2018/10/04

電脳徘徊更新そして皆さんよい旅を

 8月下旬の小千谷と北海道の旅の詳細レポートが出来上がった。あわせて、16年前の初めての小千谷ふるさとの丘ユースホステル宿泊の旅の報告も。

「小千谷の花火と自転車北海道一周にリーチをかける旅」

「魚沼と会津の再会の旅」(尾瀬と喜多方ラーメンと小千谷の花火)

 先日から、気になるニュースが報じられている。
 8月に大阪富田林の警察署から逃走し9月末に山口県の道の駅で確保された若者は、サイクルツーリストになりきって旅をしていたとのことだ。これには大変ショックを受けている。道の駅でテントを張ったり、民家に泊めてもらったりしたこともあったという。食事を提供してもらったとも。色々な人と交流し、親切にされ、それに感謝の意を表していた。
 しかし、その正体は、性的暴行や窃盗、そして警察署からの逃走と罪を重ねる「凶悪犯」。彼とかかわった人たちは、さぞかし驚いたことだろう。見た目も、やっていることも自転車で旅する若者だったわけだし。
 これを機に「もう自転車の旅人にはかかわらないでおこう」と思う人がいるとすると、とても残念なことだ。
 本来、道の駅はキャンプ場ではなく(併設されている場合もあるが)、宿泊施設でもない。黙認されているだけである。
 以前なら鉄道の無人駅やバスの待合室などが一般的だった。27年前に北海道の北オホーツクでログハウスのバスの待合所で泊まったことがある。旅先でであった2人のサイクリストとともに。暗くなると近くに住むおばあさんがやってきて、「ここは泊まってはいけないんだけど」と切り出された。しかし「泊まってけばいいよ。このあと稚内行きの最終バスが来るけど、その時間にここから乗る人なんかいないし、降りる人はそのまま家に帰る。そのあと自動的に明かりが消えるからね。火は気をつけてね」とのことだった。2年前に訪れた時には、建物は健在だったが果たして今でも泊まる人がいるのだろうか。
 最近は北海道を中心にローカル線の廃止が相次ぎ駅舎そのものが減ったこともあるが、最終便の後には施錠されるようになっているという。要するに世知辛くなった。
 この夏の一件により、さらに世の中は世知辛くなっていくのだろう。
 また、管理人が帰った後でもノートに住所や名前などを記入すれば泊まっていい無料のキャンプ場がある。こうしたところが影響を受けなければいいのだが。

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中秋の丹後半島一周

 暑かった夏も終わり、9月下旬になると秋らしい涼しい日々が続く。しかし、この秋は、いやこの秋もすっきりと晴れる日が少ない。雨も多い。どうにか、青い海を見ながら自転車で走れる日を捕まえた。こうして、今シーズン2回目、生涯通算48回目の丹後半島一周が始まった。
 せっかくの晴れの日だが、朝からフリーというわけではない。10時過ぎに自由の身となったが、その時点で宮津市街にいる。家まで帰る30分がもったいないので、自転車の周回の途中にある、岩滝までクルマで移動。道中、行動食を買う。さらに、だらだらと準備をしているうちに11時半を過ぎた。今日の自転車は、スリックタイヤのMTB。いつもランドナーなんだけど、たまには気分を変えてみよう。
 クルマでのアプローチの道中、青い海がまぶしかった。でもその海に背を向けて内陸部へ走り出す。まずは府道53号線で、標高差200mの道を越える。
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 内陸に入ると、稲刈りを終えた田んぼの畔に、彼岸花の赤い色が鮮やか。竹野川流域の平野部に降り立ち、川に沿って日本海へ北上。メインルートの国道482号線ではつまらないので、田んぼの中の農道、そして府道を選ぶ。まだ黄金色の稲穂が見られる田んぼも少しだけあり、中には稲刈り作業中のものもある。そして、青い空の下、いたるところに彼岸花の赤。この日は、弱いながら北風が吹いて、平野部では逆風を感じながら北上する。この分だと、この先の海には波が立ち、透明度はいまひとつだろうな。
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 竹野川河口部の道の駅「テンキテンキ丹後」で小休止。自動二輪車が3台。「名古屋」および「長野」ナンバーのペアと「京都」ナンバーのソロ。
 そのあとは東に進路を変え、海岸沿いの国道178号線を行く。風は横から。逆風より抵抗は小さくなる。代わりにアップダウンの連続。
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 海にそそり立つ屏風岩を見下ろす東屋のベンチで小休止。海は青く水平線がくっきり見えるのだが、予想通り波がある。すると海底の砂が舞い上がり、透明度が下がる。青く澄んだ海の水に白砂の海底が透けて輝く様子は、見られない。でも、海の青さはばっちり。
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 アップダウンを繰り返し、久僧、中浜ではずっとたどって来た国道を離れ、集落の中へ。丹後松島を形成する岩が面白い。波の侵食のせいなのか、いろいろなパターンで穴が開いたものが見られる。ふと見ると10余りの提灯が干されている。提灯屋があるのだ。それらの提灯はみな目前に迫った秋祭り用。
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 国道に戻り、海岸段丘の上を行く。アメリカ軍のレーダー基地があり、その工事が行われているのでダンプカーの往来があった。基地を過ぎると、ぐっと静かになる。
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 近畿最北の経ヶ岬灯台への分岐を過ぎ、登りが険しくなる。標高110m程の白南風(しらばえ)トンネルを越えると、眼下に青い海が広がる。カマヤ海岸だ。若狭湾に浮かぶ冠島と沓島、その向こうには若狭のリアス式海岸が見える。緩い下りの道、そして風に背を押され快走して甲崎へ。ここで小休止。
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 甲崎を越えると、蒲入漁港を見下ろす。そこから2年前にできた蒲入トンネルで本庄宇治へ。峠がひとつへって楽になった。前方を何か茶色いものが横切った。イタチにしては大きいな、タヌキかなと思ったらサル。横切った個体かどうかわからないが、その先で腹ばいに横たわっていた。こちらが近づいても気にしない、ぐうたらな様子。
 本庄宇治では、内陸を行く国道178号線を離れ、府道623号線へ。野室崎、新井崎を越える2つのアップダウン。本庄浜海水浴場で小休止。実は、経ヶ岬辺りから脚がつり始めている。暑くて夏に余り走ってなくて筋肉がなまっていたのだが、北海道ツーリングでトレーニングができたつもりだった。でも、それから1ヶ月。雨が多くて余り乗れなかった。ひどくならないように休憩をこまめに取る。
 野室崎越えは、序盤がきつい。推定だが10パーセントを越える勾配。府道にしてはきつい登りだ。その区間を越えると普通の登り坂。のんびり行こう。
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 標高120mくらいがピーク。以降、海の景色を楽しめる。次に越える新井崎、京都府と福井県の境の大浦半島、そして内外海半島の久須夜ヶ岳などのリアス式海岸。沓島の左手にも陸地が見える。越前海岸だ。もっと空気が澄んでいると白山が見えるんだが、今の季節の日中では無理。夜明けの直前か、日中なら春先だ。
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 泊の海岸まで急降下したら、次の登りに備えまた小休止。秋の日はすでに傾き、急峻な崖に囲まれた浜辺は日陰となっている。
 さあ、新井崎への登りに取り掛かる。やはり出だしがきついが、野室崎への登りほどではない。標高70mくらいでいったん平坦になり脚を休めることができる。新井の集落では耕地整理された広い棚田。30年前は、小さな田んぼが並んでいた。
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 新井の集落に分岐がある。右の町道は千枚田と呼ばれる棚田の景色が良く見えるのだが、のぼりがきつい。千枚田の景色はやや劣るが、上りもややお手柔らかな府道を行く。ちなみに、国道はアップダウンが最も緩やかだが千枚田を見ることはできない。
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 刈入れを終えた小さな田んぼには、ひこばえが伸び、雨が多かったので水がたまって、まるで田植えを終えてしばらくたった田んぼのようだ。
 標高120mのピークを越えて、伊根湾へと下る。舟屋の並ぶ界隈はすっかり観光地。そして、釣り人も多い。
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 「自転車イン舟屋」なるものができていた。小さな東屋に数台の自転車が並べられている。この界隈5箇所あるサイクルポートのいずれかに乗り捨て自由のシェアサイクルらしい。手続きも料金も不要とのことだが、チェーンは錆びていて明らかに手入れがされていない。ちょっと残念。
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 伊根を過ぎるともうアップダウンのない平坦区間。ひと月前に走った北海道の標津から別海の根室海峡から根室湾北部辺り似ているような気もする。南に向かうのだが、残念ながら北風も止んでしまった。日が落ちてきて、空気の対流が弱ってしまった。この区間はクルマの通行も多いので、前後に向けてLEDのライトを灯す。交通事故の発生しやすい時間帯だが、明るいライトのお陰で安心して走ることができる。
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 この区間は、梅雨前線による7月豪雨の被害で、半月ほど通行止となっていた区間もあり、それを含めて5ヶ所ほどで片側交互通行となっていた。何度も信号に止められる。
 すっかり暗くなって、岩滝のクルマを止めたポイントへゴール。
9月下旬、11:45~18:30、83.7km

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2018/09/11

小千谷の花火を見たあと自転車北海道一周30ヶ年計画にリーチをかける旅(ダイジェスト)

 まずは、北海道胆振東部地震で被災された方、大切な人を亡くされた方にお見舞い申し上げます。

 なんとか、この夏、北海道を走ることができた。
 1991年夏に初めて北海道を自転車で走ってから20年以上が経ち、これまでに走ったコースを重ねてみると北海道の形が大方浮かび上がる。ならば北海道の外周を全部走ってやろう、というわけで浮かび上がった計画を名付けて「北海道一周30ヶ年計画」。
 2017年夏に、道東に途切れ途切れに残る未走区間を走る多計画を立てたが、天候不順のため断念。今年の夏は、途切れ途切れの区間を走るならトランスポーターがあった方がいいだろう、と去年の計画を少し見直し自動二輪に折畳小径車を積んで北海道に渡ることにした。
 しかし、この夏も天候不順。またも断念か、という中で起死回生のきっかけとなったのは、新潟県の小千谷の花火大会。北海道を半分諦めながら、12年ぶりの「小千谷ふるさとの丘ユースホステル」を予約したのだが、その足で新潟港に向かい、フェリーで北海道へ渡る可能性を残していた。問題はやはり天気だ。
 丹後から小千谷までの距離は600kmを越え、自動二輪では厳しい。高速道路を何百kmも走り続けることも、前夜に出発して夜通し一般道を走ることも自信がない。ということで、クルマを使うことにした。クルマなら、嫌いな高速道路も何とか我慢できる。だから当日朝の出発で間に合う。またクルマごと北海道に渡ることで不安定な空模様でも行動する気持ちになった。

 では旅のダイジェスト。
 まずは、おぢや祭り花火大会。
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 満月前夜。そして、旧暦7月15日。中秋の名月のひと月前の名月。信濃川にかかる橋の上に列をなすのは、からくり万灯。
 小千谷は2004年の「新潟県中越地震」の被災地。おぢや祭り、、そして花火大会には復興と慰霊の思いが込められている。小千谷ふるさとの丘ユースホステルは、被災を乗り越えたユースホステルだ。
 新潟港からフェリーに乗って、小樽港へ上陸。道東へひたすらクルマを走らせる。
 根室半島の付け根、風連湖から根室市街まで根室湾岸を自転車で往復。一つ目の未走区間を走破。この日は青空も見えた。
 せっかくここまで来たのなら、とクルマで納沙布岬へ。早朝に小樽を出発し、最東端まで到達した。そして、折り返して霧多布岬へ。今夜はここのキャンプ場でテント泊。涼しいというよりも寒いくらい。でも、暑さと違い寒さの対策はいくらでもできる。快適に過ごした。高速道路を使わず、650km走った。自転車は24km。
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 北海道2日目は、霧多布から釧路まで北太平洋シーサイドラインを自転車で走る。今回の途切れ途切れの未走区間の中で最長の約110km。自動二輪には折畳小径車しか積載できず、当初はほぼ中間の厚岸で泊まり2日がかりで走破する計画だったが、クルマに積んできたランドナーなら1日で走れる。こうして、小千谷の花火見物による日程超過分を解消。走行中、タンチョウやキタキツネにも出会う。天気は曇り時々小雨。霧が出なくてよかった。
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 釧路に就いたら和商市場でいくら丼を食べて、根室本線の各駅停車に乗り込む。線路にはエゾシカが出没し、警笛を何度も何度も鳴らして走る。 クルマに戻ったらまた移動。開陽台のテントサイトで泊るつもりだったが、誰もいない。かつてヒグマの出没があり閉鎖されていたこともあるので、ここでテントを張るのを断念。駐車場で車中泊を考えたが、それならば明日の予定の場所まで移動しておいた方がいい。さらにまた移動。根室海峡沿いの尾岱沼の道の駅で車中泊。
 北海道3日目は、標津から本別海まで33kmを自転車で走る。道東最後の未走区間だ。まず標津に自転車を配置し、クルマは本別海へ。路線バスを乗り継いで標津へ戻り、ようやく自転車走行開始。今日も、曇り時々小雨。昨日より雨降りの割合が多い。ちなみに、予報では昨日も今日も曇りだった。実際に降っているときにも、降雨レーダー画像には表示されていないし、周辺各地アメダスの計測による1日の雨量は1mm以下。走っていればそれなり濡れたけど、それは表面だけで、衣類や荷物の中までしみるほどではなかった。走り終えて車に乗ったら、すぐに乾いた。路面には水が浮いていたので、泥除けがないと足元は泥だらけだっただろうが、こういう場面にランドナーは強い。
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 昼前には走り終え、クルマに乗り込む。これで、道東完走。残る未走区間は、連続した140~150km。また機会を改めて走りに来よう。道南なので、天気の不安定な夏でなくても大丈夫だ。
 さあ、また大移動。小樽を目指して西へ500km。

 北海道4日目、最終日。2年ぶり3度目の宿泊となる「とまや」。今までは旅の初め、朝あわただしく出発していた。今回は旅の終わり。この宿でのんびり過ごすことにあこがれていた。朝食の後、「励ましの坂」を自転車で登る。これまでは、フェリーを下船した夜の挑戦だったが、今回初めて明るい中、そして宿主さんや泊まり合わせた旅人さんたちに見守られながら登る。これが本当の「励ましの坂」だ。距離600mで高低差80m、最大勾配は20パーセントを越えるこの坂道を自転車でノンストップで上りきったら、「やったね」とほめてもらえる。
 どうにか今回も登りきった。
 昼前までとまや過ごさせてもらい、フェリーターミナルへ。帰りは舞鶴港へのフェリー。
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 最後に、動画を。

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2018/08/19

本日はバイクの日

 8月19日、日曜だけど舞鶴で勤務の日。片道50km、1時間強の道のりを自動二輪で。オートバイが多い。前も後ろも反対車線もみな自動二輪というタイミングもあった。また、一時期の猛暑も一段落し、最低気温は20度を切る日が続いているので、エンジンのないバイクも見られた。
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 勤務を終えて帰宅したら私もエンジンのないバイクで10㎞程走った。
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 さらに、精米所にコメをつきに行くのにはスーパーカブ。
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 さて、この日京丹後・舞鶴を往復したCD250Uは8月の初めに1週間ほど入院していた。走行中にリアブレーキが破損した。出先でのことだったので、25kmほどの距離をエンジンブレーキとフロントブレーキで家まで帰った。
 後輪はドラムブレーキ。外周部分はホイールとともに回転し、内側部分は車体に固定されていて回らない。ブレーキペダルを踏むと内側部分についているブレーキシューが外周に押し付けられて摩擦力が発生し、これが制動力になる。写真は、修理後の状態。
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 ドラムブレーキ内側部分を車体に固定するボルトが外れてしまったのが故障の原因。おそらくずっと前からナットが緩んでいたのだろう。ブレーキをかければドラムブレーキの内側が回ろうとする。その力に耐え切れず、緩んでいたナットが外れ、ボルトも飛んでしまった。ペダルからブレーキへと力を伝達するロッドがアクスルシャフト(車軸)に巻きつくようにL字型に折れ曲がり、ブレーキアームが破損した。アームが破損することで、車輪は回り続けた。もしそうでなければ、後輪がロックするところだった。
 破損したのは、ブレーキロッドと、ブレーキアーム。紛失したのがブレーキと車体を固定するボルトとナットとワッシャー。ワッシャーの奥にはめるゴムのスペーサーは路上で回収できた。
 ブレーキはスーパーカブと同じ仕組み。CD250U専用パーツは、間違いなくすでに生産中止となっているはずだが、他のモデルと共通のものがあればそれでいいのだ。ブレーキと車体を固定するボルトは、スーパーカブのものと同じだった。アームもいけそう。ナットとワッシャーに至っては、ホームセンターで売られている汎用タイプのものでいい。それぞれ、15円と10円だった。問題はブレーキロッド。外しにくいパーツで、スーパーカブのものを合わせてみるのもかなり手間がかかる。それと、ブレーキは安全、つまり生命にかかわる重要なものなので、だんだんと店のお世話になろうという方向に気持ちが傾いてきた。
 スーパーカブをはじめとするドラム式のリアブレーキが付いたホンダのいくつかの車種に対応したボルトと、写真で判断して適合するかどうか一か八かで、スーカーカブ用のブレーキロッドを、ネット通販で注文した。
 その一方で、バイク屋を訪ねた。スーパーカブを手に入れてこの8月でちょうど10年。1度もバイク屋のお世話になったことはない。購入した遠くの店とは、それっきり縁がない。やはり地元の店と懇意になっておいた方がいい。しかし、いきなりぶらりと店を訪ねても、そう簡単に受け入れてくれるとは思えない。知人が「親切だ」と教えてくれた店を訪ねた。予想通り、はじめは拒絶された。でも、根が優しい人のようで断り切れずとりあえず見てくれそうな雰囲気になったところで、知人の名前を出したら、なんと引き受けてくれた。その日乗ってきたスーパーカブのブレーキを見せながら、破損個所と細かく説明できたことも良かった。
 スーパーカブからCD250Uに乗り換えるため、一旦帰宅。すると、数日前に注文したブレーキロッドとボルトが届いていた。一か八かで注文したブレーキロッドだが、ペダル側の頭の形も全く同じ。これはいける、と思ったもののCD250Uの車体についているものと合わせてみると、長さが足りなかった。残念。
 とりあえず、そのパーツを持って店にとんぼ返り。まず適合するパーツを探し、なければ、曲がったロッドを伸ばして使う、という方向だったのだが、私が持ってきたロッドを見て「これを使いましょう」と言われた。新旧それぞれのロッドを適切な長さで切断し、破損個所を新しいパーツにつなぎなおす、というのだ(下の一番右の写真は、それぞれ使わなかった方)。もちろん、鉄工所へ発注してのこと。こうして、1週間足らずでめでたく退院。
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2018/08/03

BandBで行く播磨峰山高原

 先週は兵庫県中央部の砥峰高原と峰山高原を自転車で周回したが、峰山高原は入り口まで行っただけ。峰山高原といえば、シンボルの暁晴山に登りたいし、この冬にオープンしたスキー場がどんな風になっているか見てみたい。というわけで、足を変えて訪れる。自転車は折畳小径車。トランスポーターは自動二輪車。CD250Uの本格ツーリングだ。Bicycle and motorBike を楽しもう。
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 まずは、竹田城を見上げて、国道312号線を生野、神崎と南下。福崎まで足を延ばす。有効期限が7月末のラーメン屋のサービスチケットを使うために。ラーメンを食べたら北上。来た道を引き返すのは面白くないので、市川の右岸に渡り県道で北上。田園地帯、クルマが少なく快適。神河町の新野で水車とすでに花が終わった梅花藻を見てから、県道8号線で峰山高原を目指す。先週は、峰山高原への分岐の先、宍粟市一宮町へ通り抜けることができなかったが、今日は通行止めの看板が撤去されている。「平成30年7月豪雨」で傷んだ道も、徐々に復旧しているようだ。今日も先週と同じく砥峰高原をベースにしようかと思っていたが、予定変更。峰山高原をベースに自転車に乗って、そのあと復旧した県道で一宮へ下りよう。
 曲がりくねった道を登り、峰山高原へ。スキー場はオープンしたものの、未だ工事関係の車両がうごめいている。ベースにしようと考えていた広い駐車場にも工事車両や資材が置かれている。スペースは十分あるが、作業員達の目が気になって素通り。道路脇に広場を見つけそこに自動二輪車を止めて自転車を下ろす。
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 自転車に乗ってまずはホテルリラクシアの前へ。レンタサイクルが並んでいる。クロスバイク、MTB、そしてファットバイク。その脇にはサイクルラックがあり、ロードレーサーがぶら下がっている。おそらくロードレーサーはレンタルではなく、訪問者のものだろう。ホテルの周囲には、テントが張られている。設備の行き届いたキャンプ、「グランピング」用のものだ。北方の山に目を向けると、縦に細長く山森が伐採された防火隊。逆モヒカンだ。
 峰山高原を初めて訪れたのは20年前だが、その1年後に再訪している。19年前にはパソコン通信NIFTY-Serveの自転車フォーラムのオフラインミーティングでのこと。ダブルトラックとシングルトラック中心で峰山高原と砥峰を巡った後、「峰山高原かんぽ総合レクセンター」でトロン温泉に入浴した。その「峰山高原かんぽ総合レクセンター」はその翌年に営業を終え、数年後その跡地にできたのが「ホテルリラクシア」。そのリゾートホテルを運営しているのは、全国各地でスキー場経営を展開している会社「マックアース」。この10年ほどで30を越えるスキー場の経営を手がける国内最大手となった。元はハチ高原スキー場のゲレンデ食堂だったが、経営不振のスキー場の運営を引き継ぐ形で事業を急拡大。廃業寸前のスキー場の再生請負企業、というイメージだったが、とうとう2017-18シーズンに新たなスキー場をこの峰山高原にオープンさせた。国内では14年ぶりとなるスキー場新設だ。
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 ホテルの前のロータリーのすぐ近くに2本のリフト乗り場がある。ここを扇の要として、それぞれ別方向にリフトは向かい、片方は曉晴山の山頂近くに向かっている。曉晴山の頂にはアンテナが林立し、舗装路で山頂部までいける。というわけで、てっぺんを目指す。舗装路とはいえ、一般車両は通行止。歩行者と自転車は閉ざされたゲートの脇を通れる、はずだが今日はゲートが全開だ。工事車両が出入りするためらしい。
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 リフト乗り場の奥には、たくさんの人口降雪機が置かれていた。過去に何度か雪遊びに訪れているが、毎年まとまった降雪があるわけではない。去年の初めにスキー場建設の話を聞いた時には、他人事ながら先行きを心配した。でも、人工雪と聞いてなるほど、と思った。標高は900mを越え、神戸の六甲山や京都の比叡山の人工スキー場(比叡山人工スキー場はすでに閉鎖)よりも少し高い。リフトは2本のみだが、それぞれ700m前後と結構長く、3本のコースは860~1170mと本格的。また、降雪の少なさはアクセスのよさへとつながる。姫路から近く、高速道路や鉄道も麓を通っている。高原への道は険しいが、麓のJR寺前駅からシャトルバスを運行している。駐車場もあるからマイカーからバスへの乗り換えも可能。10年間のスキー場再生事業のノウハウが生かされていると感じる。
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 ゲートの奥にキャンプ場やグラウンドがあるが、過去にあまり使われていたことはなくひっそりとした印象があるが、今日は造成工事が行われていて静かではない。何より、スキー場として木々が伐採されている。山全体ではなく細長いコースだけが伐採されているが、それでも少なくとも都会の片側2車線の道路くらいの幅はあり、伐採・造成されて間もないため赤茶色の地面がむき出し。その荒野を鹿が駆け回っている。2台の圧雪車が置かれていた。まだ新しい。片方は、まだシートがビニールで覆われている。
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 いったんスキーコースから離れる。山頂の手前にもうひとつゲートがあるが、そこも開け放たれている。そこからは勾配がきつく、自転車を押して登る。折畳小径車でなければ乗車で登れそうだ。ひとつはギア比の問題。もう一つは、折畳のハンドルポストを強く引くのが怖いので腕力や背筋力を使えず脚力だけでペダルをこがないといけない。
 山頂直下は、片方のリフトの降り場。重機が轟音を立ててなにやら建設中。後で調べたら、ジャングルジムのお化けのようなフィールドアスレチックの複合体のようなものを作るようだ。もちろんこれは無雪期煮営業する施設で、大展望を楽しめるようここに設置されているとのこと。クルマはここまで入れないので、リフトを使って往復できるそうだ。
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 それを横目に、アンテナの立つ山頂部に到着。さらに、シングルトラックで三角点のあるピークへ自転車を押して登る。山頂は360度の大展望。南は六甲、北は氷ノ山などが見えるはずだが、さすがに今の季節はかすんでいる。しばし展望を楽しんで、山頂を後にする。ガレたシングルトラックを押して下り、舗装路で自転車にまたがる。
 グラウンドの辺りまで下ったところの分岐を、来た道とは別方向へ。砥峰高原へのシングルトラックへ。20年前、19年前に訪れた時にMTBで走り、冬にはスキーでも歩いた道だ。比較的フラットなので折畳小径車でも何とかなる、と思って来てみた。自転車に負担がかかりそうなら、押せばいい。峰山・砥峰両高原をつなぐ舗装路に接続するまでそれほど距離はない。すぐに舗装が終わり、下って行く。しかし、思いのほか道がガレている。当然乗車不能。押して歩くにも一苦労。沢のようにちょろちょろと水が流れている。度重なる豪雨で、これが川になったのだろう。その先もずっと道はガレている。コ逃れたシングルトラックを苦労して通り抜け、その先の舗装路は先週走破済み。急速に戦意喪失。
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 やーめた。自転車を押して舗装区間へ戻る。後は一気に、自動二輪の駐車地点へ。帰宅してからGPSトラックを見て気付いたが、そのシングルトラックは砥峰高原へ向かうものでなく、ホテルリラクシアの裏手を周回するものだった。
 自転車を自動二輪に積んだら帰路に着く。県道8号線まで下り、坂の辻峠を越えて一宮へ。砥峰高原からの県道39号線よりもはるかに道幅が広くセンターラインが引かれているが、それでも険しい道である。途中、法面が崩れている箇所が複数あった。川に並行する区間は、路面をうっすらと土が覆っている。土石流が道にあふれたのだろう。先日までの通行止の核心はここかもしれない。
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 さらに下ると集落が現れた。中山間地のレトロな町並みが続く。一宮町の中心街で国道29号線に突き当たり右折、北上する。そのまま揖保川に沿って、国道から県道6号線に分岐。先週砥峰高原~下ってきた道が突き当たる福地を過ぎると、国道429号線と交差。少し国道429号線を西に進み、平成30年7月豪雨の被害が大きかった地区に寄る。半月程が過ぎ、ある程度片付けの手が入っているとはいえ、まだその爪あとが生々しい。川の護岸は崩れ、あたり一面泥でコーティングされている。
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 この直後、このいったいは台風12号により、避難勧告が発令される。
 県道6号線に戻り、北上再開。先週と同じようなルートで帰宅。途中、スーパーマーケットによる。買い物を終えて自動二輪に戻ると、そのそばでタバコを吸っていた一人の男性が話しかけてきた。30年前に短期間だけ発売された希少な自動二輪車に興味を引かれたらしい。スーパーカブでは自転車を積んでいることに対して声をかけられることがったが、今回は荷台の自転車には一切触れず、「よく走るか」「乗りやすいか」と自動二輪そのものへの質問を受けた。
 日が落ちて涼しい。

 この日の序盤、京都府福知山市雲原から、兵庫県豊岡市但東町へと越える、府道および県道63号線の神懸峠(かんかけとうげ)付近で、先日の豪雨の土砂崩れ地点で駐車していた自動二輪を倒してしまった。地面が傾斜していたのが原因。スーパーカブよりも、片足スタンドが不安定だ。そして、クラッチレバーを曲げてしまった。采配被害はそれだけで、どうにかクラッチ操作もできたのでその後250kmほど走った。だが、操作しにくいので、ネット通販でクラッチレバーを注文。1200円程の汎用モデルがすぐに届いた。交換も簡単だった。
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2018/08/02

夏にご用心

 夏は、リペアゲルが、緩くなるわ、ご用心。
 というわけで、用心することはいろいろある中、この記事の話題は自転車のノーパンクタイヤのお話。タイヤの中のチューブの中に、空気の代わりに、常温では固体、100度以上に熱すると液体になる「リペアゲル」を注入する。専用の設備が必要で、限られた自転車店でやってもらわないといけない。いつもお世話になっている「BULLDOG」は京都府唯一、そして近畿地方でも数少ないノーパンク加工してもらえる自転車店だ。折り畳み小径車をノーパンク加工してもらって、          5年くらいになる。その間にタイヤとチューブを3セット消費した。クッション性が弱く乗り心地が悪いにもかかわらず、空気圧が低いタイヤのように抵抗が大きい。また、空気よりも重量が大きい。パンクしないことの代償はいろいろある。
 それらの代償を小さくするには、使用するリペアゲルの量を減らす、つまりタイヤが細いほどいい。ということで、2回目のノーパンク加工の時には、タイヤの太さを1.5インチから1.35インチへと変えた。すると、1年しかタイヤが持たなかった。ちなみに、タイヤもチューブも特別なものを使うわけではなく、空気を入れて使うことを想定した普通のものを使用する。細いタイヤは高速走行を意識したもので、軽量化のためチューブもタイヤも薄く作られている。100度以上に熱したリペアゲルを注入するときにチューブとタイヤを溶かしてしまう。3回目のノーパンクタイヤの時には、可能な限り低温の状態のリペアゲルを注入してもらったが、それでもやはり1年ちょっとで後輪がバースト。チューブはボロボロ、ねばねばのリペアゲルが出ている。
 それで小径車はノーパンクタイヤから普通の空気タイヤに戻すことにした。後輪は、バーストした昨年の初秋に空気タイヤ復活済み。
 そして前輪はつい先日に…。日曜の定例走行。夕方涼しくなってから家を出て、水平線に沈む夕日を眺めてからの走行中にガックンガックンとしたので、これはとうとう来たなと感じた。周回コースの終盤、トランスポーターの自動二輪車が止めてある地点まで2km弱なのでこのまま走れるか、そのままペダルを回し続けたら軽い衝撃とともにバランスを崩し、あわや転倒。どうにか立て直して足をつく。
 これまでのノーパンク加工済みタイヤの末期を経験しているが、ガックンガックンの状態でどうにかしばらく走ることができた。今回はどうなったのだろう。
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 タイヤからチューブ、そのチューブからリペアゲルが出て、夏の夜にふさわしいようなおどろおどろしい姿になった。タイヤのほんの一部が破れチューブが顔を出しているのがこれまでの状況。今回は、タイヤの半周以上からチューブが出ている。はみ出した内臓がフォークとリムの間に挟まり車輪が回らない。適当な場所に自転車を止めてトランスポーターまで歩く。2km弱を20分。自動二輪で自転車を回収してから帰路に就く。
 翌日、よく見てみたらタイヤは破れていない。走行中にビードが外れたのだ。リペアゲルは「ゴムとオイルの混合物」とのことで、暑い夏の時期にはゲルが柔らかくなる上、オイルが漏れてくる。オイルが漏れるということは、リペアゲルのかさが減るわけで、タイヤの中はゆるゆるの状態。
 タイヤは破れていなくても、かなり劣化しているので、新しいタイヤを買いにBULLDOGへ。これで前後ともに空気タイヤ復活。後輪を空気タイヤに戻した時点でかなり走行性能は良くなったのだが、前輪も空気入りとなりさらに向上。ノーパンクって結構な足かせだったのだと気づく。
 翌日、前日のコースを再び。快調に走った。しかし、その翌日、勤務からの帰宅途中に前輪がパンク。残り1kmくらい。簡単にタイヤを点検するが何も刺さっていない。試しに空気を入れたが、すぐに抜けるわけではない。スペアとして携行している未使用のチューブを使うのはもったいない。そのまま走り出す。2回の入れ直しで、トランスポーターに戻った。
 帰宅してからタイヤを外してみると、中でチューブがねじれていた。そして結構大きな穴が開いていた。タイヤのビードとリムにチューブが挟まっていた時に開くような穴。位置もそんな感じ。一昨日の装着時には、挟まっていないか点検したはずだが。
 ボロボロに破れたチューブの中のリペアゲルの名残でリムの内側がべとべとなのが、いろいろな影響を与えているのだと推測する。本来ならばチューブをタイヤに入れたときにねじれていても、空気を入れれば中でチューブが寝返りを打つように正常に戻る。それが、粘着質のリペアゲルのせいで寝返りが打てなかったようだ。また、ビードとリムがチューブを噛めば端が外側に少し出ているのだが、外側から確認できなかった。実はタイヤ内部で挟まっていたのかもしれない。普通はそんな不安定な状態にチューブがとどまることはないのだが、リペアゲルのべとべとが軽くかんだ状態をキープしてしまったのかも知れない。不幸中の幸いは、空気の漏れ方がスローペースになったこと。その大きさの穴なら空気を入れてもすぐに抜けてしまうのだが、チューブとリムおよびタイヤ内部がリペアゲルで貼り付いてくれたおかげと思われる。
 今度はチューブに少し空気を入れてからタイヤの中へ。捻れたりビードとリムに挟まらないように。とりあえずこれで大丈夫だろう。

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砥峰・峰山周回播磨の高原巡り

 兵庫県の中部、但馬と播磨の境界に近い高原へと向かう。下界は35度前後の猛暑でも、標高1000mに近い高原は30度を切るさわやかな風が吹いている。朝来市から国道312号線を南下。旧生野町を越えると播磨国。神河町の神崎地区から西の大河内地区へ。まずは県道8号線を峰山高原へ向けてクルマを走らせるが、宍粟市一宮への通り抜けができない、という案内看板を見て立ち止まる。先日の大雨(平成30年7月豪雨)により道路が各所で寸断されている。少し考えた末に、市川沿いを北上、長谷から砥峰高原へと登る。長谷ダムを横目に見て、山間の集落川上を過ぎ、標高800mを越えたらスキー場のゲレンデを思わせる伐採された斜面が広がる。昔、茅場として伐採、野焼きによってススキ野原を維持され,たたら製鉄のための砂鉄採集により丘が削られ谷が埋められ、なだらかな丘と浅い谷の連なる斜面。その斜面を正面に見る位置に「とのみね自然交流館」が建っている。ここを本日のベースとしよう。とりあえず、交流館の中のベンチに腰掛けてしばし休憩。室内の温度計は28度位を示し、開け放たれた窓から涼しい風が入ってくる。いいねぇ。
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軽装に着替えて自転車を下ろす。ススキの斜面を右手に見ながら南下。目指すは峰山高原だ。上り坂を行くと左手にはなだらかな頂を持つ山が見えてきた。あれは段ヶ峰やフトウガ峰つまり但馬の山々だろうか、それとも千町ヶ峰だろうか。帰宅後、調べてみたら東側の平石山だった。
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 登り基調を進んでいくと、分岐に到達。左は「峰山高原」、右は「宍粟市一宮」と路面に白い字で記されている。左を選ぶがせっかく登ってきたのにどんどん下っていく。峰山高原の方が砥峰高原より標高が高いはずなのに。その下りが嫌で分岐に戻り、反対側の道へ。砥峰と峰山を結ぶ道には、ダートの林道や遊歩道など複数のルートがあるはずなので、何とかなるだろう。ただし詳細な地図を持っていないのが不安だ。
 道はさらに上り続け標高1000mを越えた。神河町と宍粟市一宮町の境界の稜線に近い位置、その一宮側をトラバースしている。基本的には林間だが、伐採されているところは景色が開けて気持ちが良い。
 時折ダートが混じる。轍には砂がたまり車輪をとられてしまう。登りでは後輪が空回りするし、下りだと転倒の恐れがある。MTBに乗っているのだが、ブロックタイヤでも苦戦する路面なのに、今日はスリックタイヤを装着している。路面状態によっては上り下りに関わらず押していく。
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 この道は過去に通っている。と言っても、それは1998年9月。もう20年前のこと。あの頃はほとんどダートだったように記憶しているが、現在は幾分舗装化されている。この道をずっと行ってしまうと、県道8号線の坂の辻峠まで下ってしまう。すると峰山高原までかなり上り返さなければならない。何とかして、市町境の稜線の神河側へと戻らねばらならない。狙い目は、暁晴山の北東鞍部だ。ここは今走っている一宮側の林道と神河側の遊歩道が接近していて、ほんのわずかな標高差で鞍部を越えられる。GPSレシーバーの大まかな地図でそのポイントを見つけることができるだろうか。正面には複数のアンテナを頂いた暁晴山が見えてきた。去年の2月以来、1年半ぶりの対面。あの時は真っ白に雪化粧していたが、今は緑。標高が高いため年によっては雪が積もる、瀬戸内海に最も近い雪山だ。しかし、昨年暮れにスキー場ができてしまった。毎年安定した積雪は期待できないが、気温が低いので人工雪を使っている。おかげで冬の間はクルマを乗り入れると駐車料金を取られてしまうようになり、リフトを使わないで雪山を愉しみたいスキーヤーには、かえって寄り付きがたくなってしまった。
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 それより今は神河側に稜線を越えられるかどうかが問題。
 結果的には、その鞍部を通り過ぎてしまった。暁晴山登山口と記された道しるべはあったが、踏み跡は草ぼうぼう。山頂を経由するのでなく北東鞍部を越えたいのだが、うやむやな気持ちのまま通り過ぎてしまった。そのうち林道は下り基調となり、しかも大半が舗装路面、焦る気持ちもあっていつの間にか暁晴山を通り過ぎて南下、坂の辻峠へ向けて舗装路を下っていく。もう引き返す気はない。坂の辻峠まで下ってやろう。
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 相当下って県道8号線へ突き当たった。標高720m。峰山高原まで200mの登り返しだ。と思ったら、いったん坂の辻峠を越えて大河内側に下っていく。峰山高原への分岐の標高は約600m。峰山高原までの登り返しは標高差300m。まあ、ここまで来たら行くしかない。インナーローで急勾配をゆっくり登る。今日は、ここまで本格的に走るつもりをしていなかったのであまり飲料水を携行していない。500mlのペットボトルの中身はすでに残り少ない。まあ、峰山高原まで行けばどうにでもなる。時刻は17時を過ぎた。ライトを持ってきていないが、今は日が長いので大丈夫。むしろ、もっと日が傾いて涼しくなってほしい。
 どうにか峰山高原へ。簡易舗装が山頂まで続く暁晴山へと登る気はもうない。高原の入り口の分岐は、直進がホテルリラクシア、スキー場、暁晴山などへと続き、右は砥峰高原への車道。例の分岐へとつながるのだろう。写真を撮っていると、ロードレーサーがものすごい勢いで登ってきて直進していった。
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 砥峰高原へと続く車道は全面舗装。アップダウンを繰り返していく。予想通り、例の分岐に到着。あとは砥峰高原へと下るだけ。飲料水は持ちこたえたものの、本来ならもっと飲みたいところを我慢していただけのこと。振り返ってみれば、峰山高原への上り返しも、元々今日は本格的に走るつもりではなかったというだけのことで、実際走ってみれば所詮標高差300mだった。峰山高原から砥峰高原へのアップダウンも、さほどきつくなかった。
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 誰もいない交流館のそばに止めて車に自転車を積んで帰路に就く。県道39号線で宍粟市一宮側へと下る。福知川の渓谷に沿った細い道。現在は坂の辻峠から一宮に下る県道が通行止めだが、なんとこの福知渓谷は通れる。こちらの方が地形が厳しく過去には通行できないことが多かったのだが。細く曲がりくねった道を慎重に下り、白い岩がごろごろしている渓谷を堪能する。揖保川への合流点が近づくと、周囲は集落となる。自動販売機で冷たいジュースを買う。クルマの中に備蓄しておいた飲み物は、すべてホットドリンクなってしまった。
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 揖保川は茶色く濁って増水している。堰により流れはあまりないのだが。先日の大雨により深層崩壊の土砂崩れによる犠牲者が出た地点が近い。あとは、養父市大屋町へと北上。

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2018/07/21

美作東部の奥海乢を越える

 兵庫県佐用町と岡山県美作市にまたがる周回コースを行く。県境越えコースではあるが、かつての国でいうとすべて美作の国の中である。丹後からのアプローチは、兵庫県養父市大屋町を西に突き当たり、若杉峠を越えて国道29号線へ。引原ダムを見ながら姫路方面に南下して、宍粟市波賀町で国道429号線へ右折。トンネル開通で整備が進んだ峠を越えて、宍粟市千種町。そして、さらに志引峠の曲がりくねった道を越えて岡山県美作市大原。国道373号線で市街地を南に抜け、兵庫県側に少し進んだところの道路脇のスペースにクルマを止める。日差しが強い。これから夕方にかけての日の傾きを想定し、ここに戻ってきたときには日陰に入る位置にクルマを置く。
 まずは国道373号線を東に。県境越えの小さな峠を越す。高速道路「鳥取自動車道」の無料区間が並走しているためクルマは少ない。兵庫県側の最初の集落上石井で左折。佐用川の谷がやや開けたところの静かな集落だ。集落の奥からは谷が狭まり、佐用川は渓流の様相となる。その流れに沿った県道556号線は狭く交通量は非常に少ない。
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 このコースを訪れるのは2年ぶり2回目。前回は大雨の直後だったので佐用川が増水していた。その時と比べると落ち着いているが、勾配があるためなかなか勢いのある流れだ。
 山深い渓谷の風景がずっと続くかと思いきや、谷が開けたところでは集落と狭いながらも田園風景が見られる。茅むき出しというわけではないが、茅葺き屋根の家が多い。田んぼや家のすぐわきを流れる作用川は、岩を食んでいる。
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 最奥の奥土居集落を越えると、道は勾配を増す。なかなかの急勾配だ。キャンプ場のような施設や、イワナかヤマメかの廃れた養殖場がある。また、ログハウスの山小屋風の建物がいくつかみられる。新しいものは別荘かもしれない。そして古いものも。確か前回は建物として残っていたのに、つぶれてしまったものもある。またちゃんと建物の形をしていても、結構痛んでいるものも。窓があるが、何か見てはいけないものを見てしまいそうで、中をのぞくのははばかられる。
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 峠が近づくとさらにさらに勾配が増す。峠のすぐ手前にはまたもキャンプ場とみられる施設。そして、兵庫・岡山県境の峠、奥海乢(おねみたわ)。日名倉山から西に延びる尾根を越える峠だ。
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 さあ、待望の下り。木々の合間から後山連山がのぞく。すぐに国道429号線。今度は稼働している川魚の養殖場がある。右は志引峠。左へ。クルマでのアプローチで通った道だが、こうやって自転車で行く方が景色が輝いて見える。
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 しばらく下ると、後山連山中腹のなだらかな斜面に広がる集落が見える。今は美作市の一部となった旧東粟倉村の集落だ。盆地という言い方がふさわしいかどうかわからないが、東から西に流れる後山川の谷の北側の法面がなだらかに広がり、棚田の中にいくつかの集落が点在している。その背後に後山連山が屏風のようにそびえている。その景色はなかなか雄大である。集落の外れを国道が通過するが、沿線の焦点がなかなか渋い雰囲気。その向かいには、レトロなガソリンスタンドがあるが、すでに営業していないようでたまねぎが干されている。そんな風景ものどかだ。
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 いったん谷が狭まり、川魚の釣りをする娯楽施設を過ぎると、少し谷が開けたところがあり、交番や学校などがある。もう少し下ったらかつての村役場。現在は市役所の支所。東粟倉の中心的な集落とはいえない小さな集落にある。まとまった集落は、後ろ山の中腹の傾斜地か大原中心街の盆地の中だが、その離れた2大集落の間を取った場所ということだろうか。
 市役所の支所を過ぎどんどん下っていく。谷が開けていくにしたがって勾配が緩くなる。
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 鳥取自動車道の高架が見えたら大原の中心街が近い。中心街の国道はクルマが多いうえに道が狭いので、手前で国道ではない集落内の細い道へとエスケープ。登りとなるが、幹線道路を行ってもその先でこなさなければならない標高差なので、損はない。
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 交通量の多い区間をエスケープして、国道373号線へ合流。県境へ向けて少し登ったところで、クルマのデポ地に帰着。
 自転車をクルマに積んで、国道373号線で帰路に着く。往路とは違うルートでないと値打ちがない。兵庫県に入り、前回立ち寄った平福の宿場は素通り。佐用の中心街でホルモンうどんを食す。ホルモンうどんは津山など岡山県のご当地B級グルメだが、ここ兵庫県の佐用でも食べることができる。佐用の大半はかつて播磨の国に属していたが、今日自転車で走った佐用川の上流部はかつて美作の国だった。要するに出雲街道に沿って国境を越えての交流が盛んだったというkとなのだろう。
 店内には、お好み焼き屋のような大きな鉄板を囲んだテーブルが置かれ、店主がその鉄板でうどんを調理してくれる。完成し席の前に寄せてくれたホルモンうどんをつけだれで食べる。ホルモン焼き、あるいは焼きうどん。そういう言葉からシンプルに想像できる味だ。大きな鉄板に置かれているので実感がわきにくいが、それなりにボリュームがあり、味の濃さもあいまって結構な満足感。
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 そのあとは、旧南光町の徳久から千種川を少し遡り、そして中国自動車道に沿って山崎へ。過去に自転車で走った道の復習である。山崎からは揖保川を遡り、明延から大屋へ。
6月下旬、24.7km

 帰路で宍粟市一宮町を通過したが、その通り道のすぐ近くで先日の平成30年7月豪雨(西日本豪雨)による犠牲者が発生している。また、その付近にある公民館の建物のレトロな雰囲気に、ふと足を止めたことがある。2年前、この報告のコースを初めて走ったときのアプローチの途中である。その風情ある建物の周囲が茶色く濁った流れに取り囲まれている映像が、TVのニュースで流された。クルマが少なく自転車でのんびり楽しめる静かな道は山間部であることが多い。山間部〔傾斜地〕は、土石流や土砂崩れが起こりやすい。
 丹後もそうであるように、播磨北部を含めた中国山地には多かれ少なかれ、豪雨の爪あとが残っていると思います。被害にあわれた方にお見舞い申し上げるとともに、早い復興を心から願います。
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2018/07/15

CD250Uのチョークケーブル交換

 CD250Uがやってきて2ヶ月余り。古い車体なので、色々細かいトラブルが発生した。
 まず、フロントブレーキをかけてもランプがつかない。家に届いた時には、リアでブレーキランプがつかなかった。そのときはブレーキペダルの上部にあるスイッチの調整の問題だった。しかし、フロントはオイル式のディスクブレーキでスイッチは見当たらない。ブレーキレバーから延びている線を色々見て、レバーの根元付近にある端子を発見。緩んでいるではないか。挿しなおして解決。簡単でよかった。
 それと時を同じくして、チョークが効かなくなった。チョークレバーを引いても、すっぽ抜けているような感覚。チョークケーブル(チョークワイヤー)が切れたようだ。気温の高い時期だから、チョークを使わなくても比較的エンジンがかかりやすい。前日も乗っていれば大丈夫。でも数日乗っていないと、かなりセルを回さないといけない。いずれにせよ、寒くなったらチョークがなければエンジンがかからない。
 左のハンドルグリップとクラッチレバーに挟まれたウェインカー等のスイッチのユニットにチョークレバーが組み込まれている。そこから伸びているチョークケーブルをたどると燃料タンクの下に吸い込まれ先の様子がわからない。これはオートバイ屋さんにもっていかないとダメかな、なんて思いが頭をよぎる。
 「自動二輪 チョークワイヤー 交換」等でネット検索してみると、自分で交換した報告はあるものの、詳しく工程が示されている者はない。が、YouTubeに作業工程を説明してある動画を発見。

 車種は違うが、これを見ると自分でもやれそうな気がしてきた。
 でも、もう一つの問題は、新しいケーブルを手に入れることだ。この古いオートバイに適合するワイヤーはあるのか。
 今度は「CD250U チョークケーブル」で検索。すると「レブルのケーブルで代用できた」という記述が見つかった。

 ずっと自動二輪に興味がなかった私は知らなかったが、レブルというのは、CD250Uと同じ1980年代に発売された自動二輪。メーカも同じHONDA。なんと、まだ続いている。
 この情報を信じて、チョークケーブルを注文。
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 とりあえず動画を参考にして、ケーブルを抜いてみる。まずはシート。後部のボルトを抜くと外れた。前部はタンクに引っ掛けてあった。シートを外すとタンクを固定する1本のボルトが現れた。こちらも前部はひっかけてあるだけだった。チョークケーブルの先端はスロットルケーブルの奥にあって作業がしにくいが、どうにか外すことができた。ホースのようなアウターケーブルとタイコ型の先端がついていて、細いワイヤーをより合わせたインナーケーブル。要するに自転車のブレーキケーブルや変速ケーブルと同じようなものだ。
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 つぎにハンドルのスイッチのユニット。まずは、クラッチレバーとバックミラーの台座を緩めてずらす。そしてスイッチのユニットを分解。切れたケーブルの先端が見えた。頭は見当たらない。分解したときにどこかに落ちたか。写真はごちゃごちゃして分かりにくいね。
 というわけで、ケーブを外した。
 数日後、注文していたケーブルが届き装着してみる。うまくいった。作業そのものは大したことないのに、結構達成感を得られてしまった。やはり、初めての作業、まだ扱いなれていない自動二輪ということが要因か。
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2018/06/25

初夏の播但ツーリング

■大河内・生野「水車と銀山と名水街道」
 神河町の神崎地区の中心部をスタート。新野の水車を見て、もうすぐ麦秋の麦畑と田植えを終えた水田が広がる穀倉地帯から、大河内中心部の寺前を過ぎ市川の谷へ。川をさかのぼるほどにクルマが減って静かになる。生野の街並みを越えたら市川本流を離れ、山間部の集落、白口を目指す。標高400m以上の山中にある小さな集落で、廃屋もある。住んでいるのは10世帯もないようだ。坑口があり、かつては白口千軒と言われて賑わっていた面影はない。
 峠を越えたら、越智川の谷へ。少し遡って「新田ふるさと村」。あとは越智川の流れに沿って神崎中心街へと下る。
 5月中旬、約54km
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■宍粟「旧山崎の西部中山間地」
 宍粟市の中心街、旧山崎の路地は焼杉の黒い壁の木造建築が立ち並び、風情がある。そんな街並みを北西に抜けて、井沢川をさかのぼる。すぐに田園風景となる。はじめは工場も見られるが、市街地から離れていくにしたがって中山間地の農山村の雰囲気となる。上ノ集落から井沢川を離れ、左折し西へ。林道細野白口線の登りにとりかかる。杉林の中を標高700mまで登ると、後山の姿が見える。尾根筋の道を少し下って白口峠。「山崎アウトドアランド」というオートキャンプ場がある。ただし、たいてい人気(ひとけ)がない。
 かなり山深いが、田がちらほら見られ、左上方には上月集落を見上げる。どんどん下って、旧千種町鷹巣への分岐からは志文川の渓流沿いを下る。やがて少し谷が開け、集落と田園の中を行くようになる。谷は少しずつ広がっていき、中国自動車道に出合うまで南下。中国道に沿った県道54号線へ左折して東を目指す。切窓峠を越えたら菅野川沿いに山崎中心部へ。
 5月下旬、約44km
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■朝来「青倉から多々良木ダム」
 朝来市朝来町、国道312号線から多々良木ダムへと向かう道の分岐にある道の駅「あさご」が、スタート・ゴール。まずは円山川沿いに北上。国道を行くよりも、対岸の田園の中の細道を行く方が楽しい。竹田城や朝来山に向かって行く。国道沿いに大きな鳥居のある伊由市場で東へ。円山川の支流、伊由谷川を遡る。最も奥の集落は川上。道なりに行けば伊由峠を越えて朝来山の山麓を反時計回りに周回するが、分岐するコンクリート舗装の道に右折。いきなりの急坂をあえぎながら登る。国道沿いの鳥居を参道入り口とする青倉神社を経由して、生野町の黒川ダムへと続いている。諸栗が伐採された急斜面につづら折れの車道が張り付いている。厳しいが、登るほどに景色が開ける。ただし、円山川間では見通せず、いくつもの緑の尾根が重なっている景色。標高500m近くまで登ったところの分岐を多々良木ダム方面へ。青倉神社へはまだ上らなければならない。そしてその先の黒川ダム湖沿いで災害による通行止で通り抜けができないとのこと。多々良木ダムへは、転げ落ちるような急降下。実際、サドルから腰を上げ、後方に体重移動して前転を防ぐ。そして、多々良木ダムの湖畔へ降り立つ。この急勾配を利用しているのが、奥多々良木発電所。黒川ダムから中央分水界またいで標高差400m下の多々良木ダムに落としている。主な発電施設は地下のようだが、送電線だけで地上も賑やかだ。ダム湖沿いを走り、ロックフィル式の堰堤へ。見下ろせば、あさご芸術の森美術館。芝生の敷地内にモニュメントが点在している。一気に急降下して美術館敷地のそばを通る。「多々良木ダム湖マラソン」が目前に迫っていて、「臨時駐車場」「受付」などの案内板が立っている。ダムの下流の多々良木川沿いの小道に入る。ウォーキング中の女性に追いついた。背後の私に気付いている様子はない。彼女は端を歩いているので、十分追い越すことは可能。速度を落とし、脅かさないように反対側の端に寄って追い越す。が、路面に落ちていた街路樹の枝を踏み「ボキッ」と音を立ててしまった。女性は「ひゃぁ!」と叫び、飛び跳ねた。驚かせてごめんなさい。
 6月上旬、約22km
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■佐用「旧三日月・南光の短くて険しい周回」
 入梅して天気が悪いことはわかっているのだが、いやそれどころかアプローチの途中も雨が降ったりやんだり。国道179号線から、志文川とJR姫新線が離れた旧南光町と旧三日月町の境界付近の道沿いのスペースにクルマを止めて自転車を下ろす。雨は小康状態だが、路面は濡れている。泥よけのない自転車に簡易泥よけを装着して走り出す。旧三日月町側に向かい志文川を渡って久保集落へ。その奥から、動物よけのゲートを越えて簡易舗装の激坂細道へ。3kmで標高差300m。平均勾配10パーセント。最大で20パーセントはあるだろう。クルマの通行は皆無なので、路面が濡れていても水撥ねを浴びなくてすむ。坂が急過ぎて大半は押して登るので自分の撥ねもかからない。そのうち小雨が振り出すが、林間なので余り木にならない。しかし、雷の音に震え上がる。ほぼ真上ではないか。山間の神社にご挨拶をして、さらに登る。多賀登山から十文字山へ、東西に伸びる尾根が最高地点。それを越えるとこれまた急な下り。前転しないように腰を引いて下る。初めてここに来た2009年には未舗装だったが、今は完全にコンクリート舗装。廃棄物の処理施設を過ぎ、三ツ尾の果樹園に出る。センターラインの引かれた広い道に突き当たるが、反射するように県道449号線で大下りへ。県道だが、こちらも細道で、やはり初めて来た頃にはダート区間も残っていた。ダート区間は短くなり、今ではこちらも全面舗装。下り基調なので楽だが、道は狭くカーブが多く並走する大下り川の谷が深く、スピードを出すことはできない。途中の大下りの小さな集落は、廃屋が目立つ。人が住んでいる家は少ないようだ。多賀の集落に出ると久しぶりにセンターラインのある道を走る。雨は本降り。簡易泥よけが役に立っている。大下り川が志文川に合流する。県道の番号も449から368と若返り、少しクルマが通るようになるがそれもつかの間。数百メートルで県道を離れ、クルマを止めている道へ逃げ込む。気温が高いので寒さはない。ショートコースで、大半はクルマがほとんど通らないこのコースは、五月雨の季節にぴったり。
 6月上旬、約16km
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■佐用・宍粟「志文川・千種川沿い周回」
 今日も梅雨空の予報だが、通り雨程度で長く降り続くことはないようだ。現在の佐用町、JR姫新線三日月駅のある旧三日月町の中心部から国道179号線をほんの少し西に進み、SPring8へ続く県道28号線で南に向かってすぐ、志文川の橋を渡ったところのパーキングスペースにクルマを止める。道路の向かいが交番だから安全だ。自転車を下ろしていると、雨が降り出し風もやや強く吹き始めた。携帯電話で降雨レーダーをチェックすると、すぐに去っていくとおり雨なので準備を継続。そして、走り出す。その頃には雨は止み、薄日が射してきた。国道を走るのは嫌なので、志文川の南側の田園の中の道を東へ行く。川と国道を隔てた三日月小学校の裏山、三方里山の斜面には三日月形の植え込みが見える。三日月駅の手前で、志文川と一緒に国道179号線を北に渡る。ここからは県道154号線をひたすら北上する。クルマの少ない川沿いののどかな道だ。そのうち中国自動車道と少し並走して、さらに自動車道の北側へ。ひたすら北上を継続する。ここは少し前に山崎からの周回コースで逆向きに走っている。今回は登り基調なのでじっくりと中山間地の景色を堪能する。天気はすっかり回復。五月雨どころか五月晴れ(さつきばれ)となった。ここで言う「五月」とは旧暦のもの。つまり、現在では露の時期にあたる。水田の広がる開けた谷から、山間部の狭い谷となりじわじわと上り勾配が増す。「山崎アウトドアランド」を示す案内板の立つ分岐を左へ。右は少し前に下ってきた道だ。さあ、鷹巣へもうひと登り。勾配が増し、並走する志文川には小さな滝が次々に現れる。
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 そして、水道の施設を越えたら集落へとたどり着く。下鷹巣だ。鷹巣はいくつかの集落が集まった地区名。かつての村というか行政単位だったのだろう。いくつかの集落を網の目のような道がつないでいるが、一番西の別所への道をとる。すると前方に後山連山が見えてくる。後山ではなくてその前衛とでもいうべき笛石山だが、山頂は雲に覆われている。別所を過ぎるまでは緩やかな登りだったが、その先から下りが始まる。しばらく下ると今度こそ後山本峰が見えてきた。集落の中を急降下、千種川沿いへと下る。そして、県道72号線を南下。川の流れと田園の広がりを見ながらのそれなりにのどかで、下り基調の快走区間。気持ちよく飛ばす。道の駅「ちくさ」で小休止。宍粟市千草町から、佐用町(旧南光町)へ入る。以前ここを走ったときはそのまま南光の中心部、徳久(とくさ)の国道179号線まで南下したが、今日は県道54号線の八重谷峠を越えて、志文川沿いにレーンを戻すことにする。千種川沿いから八重谷峠までの標高差は50m程と思っていたらもう少し多くて80m。道路は大方拡幅されていて路肩が広いが、峠付近は狭い。クルマが多くて不快。まあこれは、国道179号線まで南下しての卯山峠でも同じことだが。標高差50mなのは志文川沿いへの下りの方だった。そのあとは往路で登ってきた志文川沿いを下る。こちらは、千種川沿いの下りを継続するよりクルマが少なくのどかな道だ。三日月小学校の裏山の三日月はライトアップされていた。
 6月中旬、約56km
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