2021/08/15

四国徳島吉野川水系を巡る旅4

 帰宅してから、改めて「徳島県県土防災情報管理システム」のWebサイトで、時間通行止めの個所を確認した。8月13日の時点で、祖谷口からかずら橋、落合峠、棧敷峠を経て三加茂までに、9ヶ所の時間通行止め規制個所が挙がっていた。当日、現地でスマートフォンにより調べた時には落合集落から8番目の通行止め個所の間にもう一つ時間通行止めが示されていたような気がする。図の「?」で示したあたりである。ついつい10日余りも日が経って情報が更新されたのか、それとも私の勘違いか。現地で工事の痕跡すら見つけられなかったので、勘違いという可能性が高いようにも思われる。ただし、その次の地図の8番の規制箇所でも工事の痕跡すらなかった。しいて言えば、土砂崩れを回収した法面だが、それは完全に工事が終わっていた。
 結果的に、実際に通行止めによる停滞は星型で示した4番目の規制箇所のみで、しかも待ち時間は約10分。さらには、居合わせた自動2輪の方とお話をして過ごせた。
Photo_20210818025501 9

費用
 道路通行料  3200円 (明石海峡大橋および大鳴門橋、往復)
 ガソリン代 約4100円 (走行距離、平均燃費、1Lあたりのガソリン代により算出した値)
 宿泊料    1700円 (本来は2800円だが、宿泊予約サイトのポイント利用による支払額)
 食費    約5100円
 土産    約1100円
  計    約16200円

 財布に現金12000円しかない中での旅立ちだったが、途中で足りなくなることはなかった。橋の通行料はETC、つまりクレジットカード払い。ガソリンは帰宅できる分しか道中で給油しなかったため。

| | コメント (0)

2021/08/14

四国徳島吉野川水系を巡る旅3

 新居屋集落で国道439号線、通称ヨサクに突き当たる。右は京柱峠を経て高知県へ。左は剣山。私は左へ。この先は京柱コースとの重複区間ではなくなるので、1991年8月のヨサク全線走破以来、30年ぶり2度目の道だ。
Img_1034

 渓谷沿いを行きいくつかの集落を越え、京上へ。かつての東祖谷山村の中心とは思えないほど小ぢんまりした集落。道は相変わらず狭く、平坦な場所がほとんどない。国道439号線は、祖谷川を挟んだ対岸にバイパスができている。
 「徳島県立池田高等学校祖谷分校」の看板があった。谷へと階段を少し下った斜面に小さな校舎が見える。大きめの民家といってもいいくらいだ。人気がなくひっそりとしている。もう閉校なのだろうか。その割に、図書館とみられる部屋の窓には百科事典らしきシリーズの大型本が並べられているのが見える。帰宅してから調べてみると、祖谷分校は2005年に閉校となっていた。
Img_1037Img_1040

 集落を抜けると対岸を走っていた国道439号線バイパスが合流してきた。谷の向こう側の斜面に大きな校舎が見えた。東祖谷小学校だ。斜面に建っているのでいくつかの校舎が階段状に並んでいる。そして、それらは木造建築だ。さすが林業の村、と言いたいが完全な斜陽産業である。その校舎の背景の山の斜面に集落が見える。あれが落合集落か。
Img_1041Img_1043Img_1045

 祖谷川に沿って国道439号線を遡り、小さな集落に差し掛かったところで、いよいよ落合峠への分岐が現れた。標高は約550m。落合峠まで1000m近くある。スイッチバックするように国道から分岐した細い道は、急激に高度を上げていく。やがて祖谷川の支流、鎖谷川を遡っていく。これから目指す落合峠へは、少し上流で祖谷川に合流する落合谷川を詰めるはずなのに。
Img_1048

 やがてまたスイッチバックするように鋭角にカーブして斜面をトラバースする道は、鎖谷と落合谷に挟まれた尾根の末端の斜面に張り付いた落合集落を目指す。
 民家や駐車されたクルマ、そして道端に何か白い四足歩行の動物がたたずんでいる。犬か。いやヤギだ。首輪が見える。放し飼いにされているようだ。
Img_1053Img_1054

 山の斜面には山水が引かれた水くみ場。水の豊かな四国の山中によくある風景だ。
Img_1061Img_1062

 そしていよいよ落合集落に出た。標高差350m以上ある斜面集落の中段辺りをトラバースしていく。石段を組んで階段状の平地を作り、そこに畑や民家が並んでいる。また、祖谷川の谷を挟んだ向かいがの斜面にも集落が見える。さらに南側、祖谷川の谷の突き当りの山の左肩の鞍部は、京柱峠だと思われる。
Img_1066Img_1064

 私は、最初の分岐点から斜面に取り付いて道なりに来たわけだが、落合集落の中を登ってくるコース取りもよかったかもしれない。
 落合集落を過ぎて人気のない山中をしばらく進んだところで、小休止。行動食を摂る。時刻は、13:50。ずっと気になっているのは、時間通行止めの工事区間のこと。国道439号線の工事区間は、13時までの昼休みの間に通り抜けることができた。小便小僧の記念撮影の待ち時間にスマートフォンで「徳島県県土防災情報管理システム」のWebサイトにアクセスして調べてみたところ、落合集落から落合峠を経て三加茂に下るまでの間にも3か所もの時間通行止め区間があることが分かった。そのひとつ目、落合集落上部の工事区間を14時前の通行可能時間に通り抜けたいと思っていたのだが、どうやら間に合わないようだ。次の通行可能時間は50分後なので、ここで休憩を取っておくことにした。気温も降水確率も低い午前中に勝負、などと言っていたけれど、まったくそれを果たせなかった。
木々に覆われた山肌につけられた道は、木陰となって涼しい。標高790m。峠まであと700m余り。
 しかし、本当にこの先で工事をしているのだろうか。まったくその気配を感じない。落合集落では、観光客のものらしい軽自動車と、巡回中の軽自動車のパトカーに出会ったが、集落を過ぎたら全く人気がない。まあ、突然工事区間が現れる、ということも十分にあり得る話なのだが。
 再スタートを切る。相変わらず工事の気配はない。落合谷川の対岸からやってきた県道44号線に合流し、さらに登る。道の勾配が増し、蛇行が深くなる。GPSレシーバに表示されるトラックはなかなか伸びないが、その分標高の値は順調に増していく。木陰で涼しいのはいいが、アブがまとわりついて不快。顔の前をぶんぶん飛び回るほか、脚に止まって血を吸う。痛みを感じで叩き潰すが、もう手遅れ。明日からかゆみに襲われるのだ。
Img_1073 Img_1075

 さらに気になるのは、道路の山側の路肩に延びている黒い管。水が流れる音が聞こえる。沢筋に水をためるタンクが置かれ、そこからこの管が伸びている。山小屋へ水源から水をひく管としてみかけるものだ。やはり水をひいているのか。
 水はその管を流れているので、側溝は干上がっている。ただし、その側溝は、法面から崩れ落ちた土砂で埋まっている箇所が多数。もしかすると、側溝の管理がなかなかできないのでこのような処理が施されているのかもしれない。
 右岸をトラバースしながら谷を詰めていき、左岸に渡ってから、谷の源頭部を反時計回りに巻いて峠に向かう。その左岸から右岸へ渡る手間で、正面に人工的な斜面が見えてきた。土砂崩れした斜面が固められ、滝のような勾配のコンクリートの水路が引かれている。高低差50mはあるんじゃなかろうか。その斜面を右往左往しながら道が昇っている。さあ、その斜面との格闘開始だ。
Img_1077 Img_1079 Img_1081

 道路が九十九折れになったところでは集中して木々が伐採されるため土砂崩れが発生しやすい。麓から眺めた斜面の中腹やや下あたりをいったんトラバースして通り過ぎ、斜面の横顔を見てから、斜面の上部に出た。斜面越しに、先ほどいた道を真下に見下ろす。確かに高低差は50m以上あった。標高1200mをほどになり、峠まで約300m。
 落合集落のすぐ上の工事区間はおろか、その次の工事区間も通り過ぎたはずだが、相変わらず工事の気配はない。工事がされていないだけでなく、現場さえ見当たらないのだ。工事現場を通りたいわけではなく、むしろありがたいことなのだが。
Img_1084 Img_1085

 右岸から左岸に渡ると、落合峠と思われる方向に、なだらかな稜線が見える。木々が生えていなくて、笹だろうか緑が敷き詰められている。しかし、高いなあ。あそこまで登らないといけないのかなあ。まあ、残りの標高差からするとそんな感じのような気もする。その土その稜線は見えなくなり、ただただ黙々とペダルを踏み続ける。
 周囲の稜線が低くなってきた。突如視界に道路以外の人工的なものが飛び込んできた。木で組まれた櫓のようなもの、石段、そして小さなたくさんの石仏と祠。その先の建物には、「落合峠避難小屋」という表札。とうとう来たぞ。
Img_1095_20210814231201 Img_1098_20210814231201

 その先少し進んだら駐車場への分岐。先ほど見上げた木の生えていないなだらかな稜線が、今すぐそこにある。笹ではなく、草原だ。そして落合峠、標高1520m。16:15、到着。どこが午前中勝負だ。
Img_1101 Img_1105 Img_1108

 峠にはワゴン車が1台停まっていた。峠は、矢筈山への登山口。ここからすぐ下に駐車場があり、歩行者なら短い階段ですぐに峠へ登れるのだが、峠に路上駐車する人がいる、とのことだった。ワゴン車の側面には、野外活動を推進する団体を思わせる名称が記されているが、あまりマナーや意識は高くないようだ。
 それはともかく絶景だ。いつしか空は雲に覆われ日差しは弱まったが、周囲の山々ははっきり見える。吹く風も心地いい。はるか南には、大きく三嶺がぼんやり見える。本当にぼんやりであるが。三嶺は剣山と尾根続きの1893mの山だ。この落合峠は、1849mの矢筈山から西に延びる稜線の鞍部にある。
 峠名が記された標柱と三嶺と自転車を入れ、ワゴン車が入らないように記念撮影。あとは標高差1500mの下りだ。と、走り出そうしたら、何やら法面の上の方でガサゴソ音がする。小石や砂が落ちるバラバラという音も。登山者ではない。どうやら、シカかカモシカのようで、立ち去る後ろ脚がかすかに見えた。
 さて下り。斜面をトラバースした後谷筋へ。深渕川の沢を見ながら下る。道は下り一辺倒ではなく、ほんの小さな登り返したがたまに現れる。
Img_1110 Img_1112

 標高900mを切ったあたりで、建物がちらほら見える。深渕の集落だが人気はなく実際に人が澄んでいるのか廃村なのかはわからない。その先、左手に緑色の水をたたえた湖が見えた。そして道は緩く登り始める。道路わきの沢が前方からこちらに流れてくるので、棧敷峠への登りが始まったようだ。南の落合峠からの深淵川と北の棧敷峠からの沢が正面衝突で合流し、松尾川となって西に流れ下る。その松尾川をせき止める松尾川ダムによるダム湖が、先ほどの緑の湖面の湖だ。松尾川は、祖谷の山々を分けて流れ、祖谷口の少し上流で祖谷川へと注ぐ。不思議なのは、流れはそうしてつながっているのに、今いる道は、少なくとも地図を見る限り、松尾川ダムへとつながっていない。もちろん、松尾川を遡ってダムに至る道は存在しているのだが、ダム湖上流部のこちらの道へとつながっていないようなのだ。つまり、深淵集落へは、棧敷峠か落合峠のいずれかを越えないとたどり着けない。
Img_1115Img_1116_20210814231301

 初めは緩やかだった登りも、数軒の民家を過ぎて峠の手前でヘアピンカーブの急坂となった。標高差100m余りの登り返しがあることはわかっていたものの、やはり標高差1500の峠を越えた後の脚には答える。それに、2.5L用意していた飲料水を飲み干してしまった。落合峠の手前で、左脚のふくらはぎと右脚の太ももが軽く攣っている。休憩を繰り返してだましだまし来ているのだが、脱水症状が進むとペダルが踏めないくらいの状態になってしまう。あまり頑張らず、じわじわと行く。
Img_1117

 再び標高1000mを越え、棧敷峠へ。三好市から東みよし町への市町境だ。峠の切通しを越えたところが突き当りで、左右に道が伸びている。三加茂に下るには、左。少し進んだところで、木々の合間から展望が広がる。はるかに吉野川とその手前の三加茂の市街地らしき平野部が見下ろせる。遠いなあ。まあ、まだ1000mの標高差を下るんだからね。
Img_1118

 でも、そのあとは下り一辺倒。どんどん標高を下げていく。それと逆の相関関係で、気温と湿度が上がっていくことを肌で感じる。
Gort1Gort2Gort3

 標高600m辺りからしっかりと生活感のある集落が現れる。そしてまた放し飼いのヤギがいた。子ヤギが2頭、親かどうかわからないけど体の大きなヤギが1頭。そして、最後の時間通行止め区間を通過。もう17時を過ぎ、この日の工事は終わり翌朝まで通行可能となっているはずなので安心していたが、今日は工事が行われていないとのことだった。1週間分の工事のスケジュールも示されている。この先1週間は、明後日からの3日間のみ工事が行われるとのこと。
Img_1120 Img_1122

 集落の間隔が狭まり、仕事帰りと思われるクルマとすれ違うようになった。そして、吉野川沿いの平野部へ。あくびが出た。そして急に蝉の声やタイヤが転がる音が大きくなった。気圧差は耳で感じる。
 そして暑い、ものすごく蒸し暑い。なんだこの湿度は。と思っていたら、ぽつぽつと雨が降ってきた。国道192号線を越えて、集落の中の細い道を抜ける。雨は徐々に大粒になる。もうゴールは目と鼻の先。いいぞ、降れ降れ。そして気温を下げてくれ。吉野川土手を駆け上がり、の河川敷「ぶぶるパークみかも」へ降りる。なんとまだグラウンドゴルフ場には高齢者がたくさんいるではないか。さすがに撤収中と見えるが、朝から夕方まで大盛況ではないか。まあ、同じ人たちがずっといたかどうかはわからないけど。
 18:00、ゴール。距離は104kmとなった。スタート・ゴールがコースの最低点で標高70m。最高点の落合峠が1520m。ちょうど10時間で走り切った。
 自転車をクルマに撤収。雨はあまり強くならなかったが、夕暮れと相まって少し涼しくなってきたようだ。クルマの中に少し飲み物を積んでいたが、気温40度の温室と化した車内で、ふろの湯のような温度になっている。国道に出てすぐのドラッグストアで久米たい飲み物を購入して、飲みながら帰路に就く。夕方の帰宅時間帯。列をなすクルマの中に混じって流れがいい国道192号線を東へ。徳島市に入る前に吉野川を左岸に渡らねばならない。結局徳島市直前の石井町で吉野川を渡る。橋を渡った上板町で、イオンを中心とするショッピングエリアに立ち寄る。その敷地内のうどん店で夕食だ。
 「とば作」という屋号のうどん店は、チェーン店らしいが、「はなまるうどん」や「丸亀製麺」のように本州でもよく見るものではないので、まあ四国に来て食べるだけの値打ちがあるとしておこう。でも、「元祖セルフうどん」とかかれているのがよくわからない。そんなに伝統のある店なの。
Img_1124

 セルフサービス、つまり自分で麺の湯通しするのはかけうどん等で、私が注文したぶっかけうどんは店員がすべてやってくれる。昨日は、昼も夜もラーメンを食べたので、冷たくてあっさりしたうどんが胃にやさしい。帰宅後に調べてみた。とば作は徳島県のご当地チェーン店で、徳島のうどん店でセルフサービスを始めた元祖、ということだった。たしかに、讃岐うどんとは記されていなかった。
Img_1125

 県道12号線で鳴門市が胃へ戻り、昨夜も買い物をした鳴門駅裏の商業施設でお土産を買って、大鳴門橋を渡る。もちろん、有料道路は橋だけの最低区間。淡路島は成り行きで西海岸を北上することになった。2月の淡路島一周の復習の続きができた。夜が更けてクルマが少ない。明石海峡大橋を渡ったら、北西に向かい、三木で国道175号線へ。三日月を見ながら、北上。帰宅は深夜になった。

| | コメント (0)

2021/08/13

四国徳島吉野川水系を巡る旅2

 4時半に目覚めた。5時にアラームをセットしていたが、音が鳴る前に目覚めた。静かに出発の支度を整えて部屋を出る。昨夜かった弁当を、エレベータホールに設置された電子レンジで温めて、部屋の鍵はフロントの投票箱のような返却ボックスに入れてクルマに乗り込む。まだ夜明け前。街はちょうど明るくなってきたところ。そして、まだ涼しい。
 まだ、寝静まった街を抜け、西へ。鳴門の市街地は小さく、すぐに郊外へ。県道12号線で吉野川の左岸をさかのぼる。朝日が昇り、バックミラーがまぶしく輝く。そして、通勤のクルマや長距離輸送のトラックなどと隊列を組んで走るようになる。この道は、1990年代に高知県大豊町の定福寺ユースホステルに通った道だ。四国八十八ヶ所の一番札所、霊山寺の門前を通過。人気のない駐車場にクルマを止めて山門を記念撮影する。何度も通っているが、脚を止めたのは初めてのこと。その後、二番札所の極楽寺、三番四番の案内板を見て進む。結構短い間隔で密集している。
Img_0957_20210813200201

 どこかで吉野川を渡り、右岸の国道192号線に移動したい。でもせっかくなので、脇町までは左岸を行くことにする。脇町では、「道の駅 藍ランドうだつ」にクルマを止め、歩いてうだつの町並みへ。まだ早朝のため人が少なくていい。
Img_0967

 クルマに戻り、朝温めた弁当を食べて再スタート。もう一息だ。
 吉野川を渡る。国道192号線は通勤のクルマが多いが、流れは良い。貞光を過ぎて三加茂で国道から河川敷へ。「ぶぶるパークみかも」、つまり町営のグラウンドなどの公園として整備されている。7時前だというのに、すでにグラウンドゴルフの高齢者が集まっている。
 私はグラウンドゴルフ場から離れたところにクルマを止めて、自転車を準備。今日は折畳小径車ではなく、パスハンター使用のランドナー。今日は本気の走りなのだ。
Img_0970

 8:00、スタート。国道を避け、集落の中の狭い道を西に行く。しかし、その道は国道に吸収されてしまう。ここから西は山と川が迫った狭間に、国道192号線とJR徳島本線に占有されてしまう。こういうところは、対岸に平野が広がり、幹線以外の交通量が少ない道を選ぶことができる。川の蛇行が原因だ。吉野川は、大きく見れば阿波池田から徳島までは西から東へ直線的に流れているが、細かく見れば波線を描いている。流れの速いカーブの外側では浸食のため際まで川が迫り、逆に内側には土砂がたまり平野が形成される。しかし、川幅の大きい吉野川を渡るのが面倒でそのまま国道を進む。朝の通勤時間帯なので、クルマはほとんど途切れない。そして、国道を走らねばならない区間が長い。対岸に渡った方がよかった、と思うがもう橋を通り過ぎてしまった。クルマのストレスを感じながら走る。早く、山間部へ入り込みたい。
 旧三加茂町から旧井川町へ。現在でいうと東みよし町から三好市へ。今日はこの1市1町の中を巡るわけだが、三好市は四国4県最大の麺戦機を誇る自治体だそうだ。
 青空からさんさんと日差しが降り注ぐ。今日も暑くなりそうだ。いやもうすでに暑い。その代わり、雨の心配はなさそうだ。週間予報が発表された時点では、今日は朝から雨予報だった。それが午後に弱い雨が降る予報に変わり、前日くらいには夕方以降に弱い雨が降るかもしれないという程度に変わった。まあ、気温も降水確率も低い午前中が勝負のつもりだ。
Img_0972

 井川の中心街に入りようやく国道から解放される。対岸からこちらの岸へと移ってきた徳島自動車道に並走する細い道へ。ただし、新参者である高速道路に与えられるのは山際の斜面であり、それに沿った道は当然アップダウンが続く。まあ、クルマのプレッシャーを受けて走るよりはいい。それに、集落より高い位置を走るので、吉野川を見下ろす景色がいい。
Img_0974

 川沿いの平野が広くなり、家並みが広がってきた。旧池田町。三好市の中心街だ。そのまま市街地の裏山の山すそを通り抜けるつもりだったが、なんとなく街中へと降り立ってしまった。公園に差し掛かりトイレ休憩。その公園はJR阿波池田駅に隣接していた。駅舎の前に自転車を置いて記念撮影。輪行した自転車を組み立てたり、逆に輪行袋に収めたりする作業スペースが設けられていた。工具も貸してもらえるようだ。ただし、駅舎の出入り口からずいぶん端の方へと案内される。要するに、ほかの客の邪魔をしないでね、ということらしい。
Img_0980 Img_0981 Img_0982

 そのあとも吉野川を遡るわけだが、国道走行をできるだけ避けるため、市街地の裏山を越える。しばし迷走してからちょっとした山越えとなる。苦労のかいあって国道に合流したのは、池田大橋の東詰めのすぐ手前。100mも走らなうちに、国道は池田大橋で対岸に行ってしまった。こちらは橋を渡らす、右岸の集落の中の道を行く。吉野川はほぼ直角に流れを変え、上流は南北方向となる。
Img_0986

 右岸の道は県道269号線で、しばらくはセンターラインの引かれた道。そのうち道が細くなり、クルマのすれ違いに気を遣う道となる。まあクルマはほとんど通らないが。保育園らしき建物があるが、すでに閉園しているようだ。園庭の周囲に立ち入り禁止のロープが張られているのは、遊具の安全管理ができないからだろうか。すぐ先の小学校は新しくて立派な鉄筋コンクリートの校舎。三縄小学校だ。帰宅してから調べると、手前は三縄幼稚園の旧園舎で、現在は小学校の1室を幼稚園としているとのことだった。
Img_0993

 その先に三差路があり、県道は吉野川沿いを離れ山間部へ。黒沢湿原(くろぞうしつげん)の案内板がある。ちょうどサギ草の時期だそうだが、そう気軽に立ち寄れるところではない。
 そのまま川沿いの道を行く。さらに細くなり、木々に覆われた道は涼しくて快適。木々の合間から見える吉野川は、池田の市街地までとは一転、岩場の中を流れる。そう上流は大歩危・小歩危なのだ。対岸の国道32号線は、大型車を含めてクルマがひっきりなしに行き交っている。それに比べてこちら側は平和そのもの。
 木々の中を行く道から、道は狭いもの道沿いに民家が建ち並ぶようになった。祖谷口が近いようだ。道は細く、両側に並ぶ建物のほとんどは、年季の入った木造建築。これから訪れる祖谷の集落を思い起こさせる。
Img_0994

 祖谷口は、支流の祖谷川が吉野川に合流する所。対岸の国道32号線から分かれ、祖谷口橋を経てきた県道32号線に合流し、祖谷川を遡る。いよいよ深い深い祖谷の山並みへと分け入っていく。ここは既走の道。ただしこちら向きに走るの初めて。1990年代、高知県大豊町の定福寺ユースホステルから京柱峠を越えて徳島県の祖谷に降り立ち、この祖谷川沿いに祖谷口へと下り、小歩危、大歩危を経て定福寺へと戻るコースを4,5回走った。定福寺公認の京柱コースだ。約90km、標高差はおよそ1000mに達するなかなか厳しいコースを、私はいつも自分のランドナーで走ったが、ユースホステルの5段か6段変速のレンタサイクルで走るホステラーがたくさんいた。まあ当時のホステラーは二十歳前後の大学生が中心だった。ところが、90年代後半、京柱峠からの下りで転倒して前歯を折る事故が発生し、ユースホステルのレンタサイクルが廃止された。これにより、定福寺ユースホステルの名物コースは事実上サイクリストだけのものとなった。ただし、その前から厳しいコースにチャレンジする若者が減る傾向だったという。その後、定福寺の都合によるユースホステルの休館が続き、2002年、ユースホステルは閉館となった。夏の閉所記念パーティに参加し、その翌日に走っていら京柱コースを走っていない。2004年には、豊永から京柱峠までピストンしているのみ。そんな京柱コースを久しぶりに走ることも考えたが、新たなコースを走ることにした。約100km、標高差約1500mと京柱コースをしのぐ厳しいコースになってしまったというわけだ。
 祖谷口周辺の集落はすぐに終わり、道路の案内板には「祖谷のかずら橋」とか「剣山」という文字が表示されている。ただし、センターラインがひかれ、クルマが容易にすれ違える道幅は、四国の山中らしからぬ風景。私が頻繁に通っていたころから20年の歳月が過ぎる間に、随所で拡幅工事が行われたようだ。さらに先には、祖谷川の屈曲による深いカーブをショートカットするトンネルの掘削工事が行われていた。
Img_0996

 道はじわじわと登っている。過去に走ったときは常に下り方向。京柱峠越えの大仕事を終えて、かずら橋で休憩した後の消化試合のような区間だった。今日はと言えば、この後の大仕事の前に、ジャブを撃ち込まれるように体に脚に緩やかにダメージを与えてくる。
 道は細くなった。木々に囲まれているので日差しがさえぎられて涼しい。だだ、時折、気になるものを目にする。時間通行止めを示す看板だ。山間部の1本道のため迂回路がなく、仮設道路を作る地形の余裕もない。そんな場合は、1時間のうち45~50分を工事のための通行止め、15~10分を通行可能とし、それを繰り返すのだ。今まで見た案内板には、「解除中」のマグネットシールが貼られていたが、そのうち捕まるのではないかと不安になる。
Img_1014

 傍らを流れる祖谷川は基本的に透明感のある美しい清流だが、ダムで流れが滞っているところではやや緑に濁っている。そして、忘れたころに小さな集落が現れる。こうした集落が点在しているから工事区間が終日通行止めにならずに済むのだ。
 小さな集落を抜けたところで、ヘルメットに作業服姿で赤い旗を持った人に停止を求められた。この先時工事のため10:20まで通行止め、だそうだ。ああ、時間通行止めにつかまってしまった。ただ、時計を見るとただいま10:10。10分のロスで済むとはラッキー。でもこの先何度もこういう場面が重なると、大変なロスとなってしまう。
Rebel

 すぐ先の広い場所では、2台の自動二輪が開通待ちをしていた。ライダーは、夫婦と思われる中年の男女二人連れだ。見た覚えがある。どこかで追い越されたのだ。京都ナンバーなので、「私も京都府から来ました。丹後です」と声をかけると「私たちは京都府の南の端からです」と返される。自動二輪は、2台ともHONDAのレブル。オートバイの車種に疎い私でも知っている車種だった。私の所有するCD250Uは30年以上前に廃止となった車種で、当然専用のパーツはとっくに製造中止となっている中、このレブルのパーツが利用できることがある。例えば、クラッチレバーやクラッチケーブルはレブル用のもので代用している。また大型自動二輪企画のラインナップもある中で、250ccの軽二輪ということにも親しみが持てた。聞けば、自動二輪で四国を走るのは初めてとのこと。自動車とは景色が違うように感じられる、とのこと。2泊3日の最終日で、この後淡路島経由で帰るそうだ。ということは、国道439号線の見ノ越峠越えか。
 10分後、工事区間から工事車両が退避してきてそのあとで一般車両がやってきた。そして通行可能となる。片側交互通行らしい。後方からちょうどいいタイミングで自動二輪とクルマが数台やってきた。この時間通行止めのことを知っていたのかもしれない。地元車かどうかナンバーを確認するのを忘れていた。エンジンのついた車両をやり過ごし、最後尾で走り出す。工事区間をあっという間に通過。工事が休みの土日祝日なら終日通行可能なのだが、平日にはこういう心配がある。
 集落を見なくなり、深いV字の渓谷のはるか下に祖谷川の川面を見下ろすようになった。いよいよ本格的に祖谷溪だ。「祖谷渓展望台〇〇km」という案内板が見られるようになり、当面の目標が定まった。
Img_1001 

 到着した展望台の駐車場には先ほど追い越された1台のセダンが止まっていて、運転手が車内にいるようだ。数段の階段を登って展望台へ。駐車場から見えなかった渓谷が一望できる。誰もいないので景色を独り占めだ。ただし、それは途中の道路から木々の合間に見えた渓谷の景色とそう変わるものではない。階段数段など、渓谷のスケールから見れば些細なものだということだ。展望台には、東屋があり、その日陰のベンチに腰掛け行動食を摂る。
Img_1003

 駐車場に降りて再スタート。セダンは先ほど走り去っていった。次の目標は、小便小僧だ。山襞をなぞるように屈曲する道を行く。はるか前方、渓谷を形成する山肌の中腹、今いる道の延長に建造物が見える。祖谷渓温泉だ。ここの売りは、祖谷川の河原に露天風呂まで上り下りするための専用のケーブルカー。初めて京柱コースを走った1991年3月にはこの露天風呂に入浴した。春先にぬるめの湯は、ちょっと寒かった。一緒に入った私と同い年のホステラーは、のちに20代の若さでユースホステルを開業。ユースホステルはやめたが、宿としてはまだ続けている。
Img_1010

 山襞をなぞって進むと小便小僧だ。ガードレールの外側、深い渓谷に向かって構えた像が立っている。水は出ていない。3台の自動二輪が止まり、3人の男性が記念撮影中。少し離れたところで彼らの撮影が終わるのを待っていたら、軽自動車が止まり、若い女性2人組が記念撮影を始め、ちょうど撮影が終わりかけた男性3人組は押しのけられるように退散。たくましいね。それに記念撮影を終えても小便小僧の側に佇んでだらだらおしゃべりをしている。
Img_1008 Img_1009

 やっと女性がいなくなったところで、記念撮影。いやあ、約20年ぶりの再会だね。私と同じく、女性2人組が立ち退くのを待ちわびていた、自動二輪の男性3人組がドローンを飛ばした。空中から深い渓谷を見下ろすダイナミックな映像を見て、おおーっ、と歓声を上げている。
 小便小僧から少し進み、祖谷溪温泉の一軒宿を通過。そして旧西祖谷山村エリアに入る。これまでは旧池田町だった。ただし、声が聞こえそうなほど近いけど、深い渓谷に隔てられた対岸はだいぶ手前から旧西祖谷山村。だがそれも過去の話。今はすべて三好市である。
 引き続き深い渓谷の中腹を行くが、それまでの登り基調が下り基調へと変わる。そしてちらほら集落が現れるようになる。そして、比較的大きな集落が見えてきた。西祖谷山村の中心集落、一宇だ。道の駅もあるし、祖谷山トンネルを経由して大歩危峡にワープできる道への分岐点もある。前述の京柱コースは、この祖谷山トンネル、当時は祖谷渓有料道路、を経由してショートカットが許されていた。これにより距離は約20km短縮できるが、標高差200m余りのアップダウンが加わる。30年前私が初めて走った時には、7,8人で定福寺をスタートしたが、多くはこのショートカットコースを選び、90kmのフルコースを走ったのが、私とのちに宿を開業するホステラーの2人だけだった。ちなみに、私以外はみなレンタサイクルだった。また、私は基本的に90kmのフルコースを走っているが、1度だけ祖谷渓有料道路を通ったことがある。ただその時も、小便小僧に挨拶してから一宇に引き返したので、距離は10kmしか短縮されず、アップダウンが加わって、むしろハードなものとなった。
 集落の中にこの路線の時間通行止めの案内板があった。平日に必ず毎日工事が行われるわけではないようで、いくつかは規制解除だそうだ。しかし、これから向かう道筋に2.3か所、本日通行止め実施中というものもある。ただ、11時過ぎから13時ごろまでは、工事の昼休み。現在正午前。あと1時間余りでできるだけ工事区間をクリアしてしまいたい。すぐにスタート。
 その先も集落がちらほら現れる。集落な中を行くこともあれば、はるか頭上の斜面に張り付く集落もある。そして、いよいよ祖谷渓最大の観光スポット、かずら橋が近づいてきた。集落の手前から、かずら橋方面への新しく広い道が分岐している。20年前にはなかった道だ。狭い集落の中へ観光客のクルマが入り込まないようにするものだろう対岸からかずら橋に到達するようだ。自転車の私はそのまま集落の中を行く。無機質な新しい道路より、集落の中の方が風情がある。
 集落を行くと、見覚えのあるかずら橋入り口の分岐がある。祖谷渓温泉や小便小僧のあたりのような100mの標高差はないものの、谷底まで40mを下る。先を急ぐため、素通りすることも考えたが、やはりここでそれは許されない。
Img_1022Img_1021

 かずら橋とは、その名の通りかずらのつるで組まれた吊り橋だが、これは観光施設、安全のためちゃんと金属のワイヤーで補強されている。そして有料。初めて京柱コースを通った時には、7.8人でわいわいがやがやと渡った。怖がりの人がいたので、楽しかった。今日は、並行するコンクリートの端から眺める。橋を渡る人のほか、周辺で水遊びをする人々でにぎわっている。本来なら絶好の休憩スポットだが、今日は先を急がねばならない。
 さあ、登り返して再スタート。旧西祖谷山村から旧東祖谷山村へ。狭い谷に狭い道。点在する小さな集落。祖谷の雰囲気を20年ぶりに満喫する。

| | コメント (0)

2021/08/10

四国徳島吉野川水系を巡る旅1

 夏の休暇を利用して少し遠出をしよう。といっても、1泊2日だ。目的地は四国。久しぶりに祖谷辺りを巡ってみたい。山が深く急峻な谷を行く道は狭く、日陰が多くて涼しいはず。思い浮かぶのは、高知県の大豊町の豊永を起点に、京柱峠を越えて祖谷渓、小歩危、大歩危を巡る約90kmのコース。かつて定福寺ユースホステルで「修行コース」認定されていたので、何度も走ったのだが、最後に走ったのは20年近く前、2002年だ。
 日曜の早朝の用事を済ませてから出発。月曜に休暇を取ってある。移動の自粛が呼びかけられているが、一人で自動車でアプローチし、田舎や山間部を自転車で走ることは問題ないだろう。いつもやっていることだ。注意すべきは、そこに付随する宿泊や外食。食事は短時間だし、感染リスクは低い。また、個人情報を残さないから、感染者が出たとしても追跡され濃厚接触者に認定されることもまずない。自分が感染さえしていなければいい。長時間を過ごし、名前や住所を記録される宿泊施設では、感染はもちろんだが、濃厚接触者に認定されることも避けられるように考えなければならない。やはり、ドミトリー形式でなく、個室に泊まるべきだろう。四国には無料のキャンプ場もあるが、この時期のテント泊は暑くて、眠れない。標高の高いところ、例えば、高知県の大豊町の梶ケ森キャンプ場は標高1000mを越え、真夏でもシュラフなしで泊まったら寒くて大変だった。シュラフがあれば大丈夫だが、そこまで行くのはちょっと遠い。

 日曜の朝に地域の清掃活動があり,それが終わってからの出発。清掃活動は6時開始で7時前には終わったが、暑い中でのそれなりの重労働。少し休憩を取って、9時半過ぎの出発。しかし、スタートしてしばらくしてから忘れ物を取りに戻って30分のロス。財布を忘れたのだ。取りに戻ったが、現金は1万2千円しかないのを思い出す。まあクレジットカードもあるし、1泊2日だからそんなに費用は掛からない。これで足りるような気がする。もし足りなければ、明日郵便局でおろせばいい。
 高速道路や有料道路を極力利用しない。、三田でラーメンを食べて、六甲を越え明石海峡大橋を目指す。ラーメンの直前、対向するスクーターのライダーがなぜか合羽を着ていると思ったら、その後雨がパラパラ。雨はすぐに止んだが、その先しばらくは路面がぬれた状態だった。カーナビ代わりのGPSレシーバーを見ながら進むが、どうも右往左往して、なかなか明石海峡大橋最寄りの垂水I.C.が近づいてこない。帰り道はルートを変えよう。クルマも多いし。
Vid_239mov_000115966

 どうにか明石海峡大橋を渡り、淡路島に上陸。最初の出口、淡路I.C.で一般道へ。淡路島東岸を南下。半年前の淡路島一周で自転車で見た景色の復習だ。洲本市街から内陸に入り、次は大鳴門橋を目指す。ここも、淡路島南I.C.から鳴門北I.C.までの最低区間のみ。本州と四国を結ぶ橋の通行量は高いイメージがあったが、ETC利用でずいぶん安い。明石海峡大橋は910円、大鳴門橋は690円だ。移動の自粛が要請されている現在、休日特別割引は適用外だが、本州と四国を結ぶ路線は、休日深夜を問わず、ETC利用で割引されるらしい。つまり、自粛期間でも。なんと通常料金の半額未満だ。
Vid_272mov_000009200Vid_275mov_000169566

 降り立った大鳴門橋のたもとは、四国本土にあらず。大毛島という離島。まだ16時過ぎなので、この後の行動計画を練るため、作戦タイム。クルマを止められる場所として、鳴門市街と反対の鳴門海峡を見下ろす鳴門公園を目指す。がその手前の千鳥ヶ浜の駐車場にクルマを止める。少し日が陰ってきたことだし、自転車でひとっ走りしたい。だから、市街地に入る前に、と思ってきてみたが、海水浴客のクルマの出入りが多い。海水浴場としてこの夏海開きしていないとのことだが、自己責任で訪れている人々でいっぱい。あまりここを走りたいとは思えない。
Vid_276mov_000148033Vid_277mov_000061233
 地図を見て、鳴門徳島自転車道なるものを発見。これはおあつらえ向き。宿泊地から近いので、宿の駐車場にクルマを止めよう。クルマで小鳴門橋を渡り鳴門市中心街へ。宿泊予約をしたビジネスホテルは、鳴門駅のすぐ近く。駐車場にクルマを止めてチェックイン。大部屋を仕切った「半個室」という、聞きなれない表現の部屋だったが、とりあえず鍵のかかる個室だった。ただし、個室の仕切りの壁と天井の間には隙間があり、隣の部屋の物音は丸聞こえ。まあこれなら、防音がもともとないことを前提として割り切ることができる。バス。トイレ、洗面所もないことも同様。そういう部屋でよければどうぞ、というわけだ。大部屋というのがよくわからないが、宴会場か、イベントスペースか。廊下に面した両開きのドアを開けると、中に通路が伸びていて、両側の壁に3つずつ個室の扉がならんでいる。エアコンはその大部屋全体のもので、天井と仕切りの壁の隙間から各個室に冷気が入る。強めの冷房がかかっていて、もちろん各部屋で調整などできず、衣類で調整してちょうだい、ということのようだ。長袖を持ってきていたよかった。これで、ドミトリー形式のゲストハウスや、カプセルホテル並みの1泊素泊まり2800円。しかも、宿泊予約サイトのポイントがたまっていたので、1700円しか支払わなくてよかった。天井と壁の隙間は身長よりも高い位置のため、隣人の発するもの音は聞こえても、飛沫はやってこない。
 そういえば、昨年夏に泊まった京都市内のホテルは、完全に個室ではあったが、洗面台はあるもののシャワーやトイレはなく、しかも部屋の面積の半分くらいをベッドが占めるというものだった。その代わり公共スペースが充実していて、1階のエントランスホールと一続きの空間には、自炊用のキッチンもあり調理道具を借りることができた。また、手回し式のコーヒーミルで好きな豆を自分で挽いて自由にドリップコーヒーを飲むことができた。小さなテーブル席もたくさんあって、当然WiFiも完備。自分で入れたコーヒーを飲みながらパソコン作業をする人の姿も盛られた。これで一泊2000円台。京都駅から徒歩圏内で、本来はなかなか予約が取れないが、旅行等の自粛が求められている時期のため、近くにある同じ系列のバス・トイレ付個室のホテルと比べ空室が多いとのこと。本来なら外国人観光客が自炊をしたりコーヒーを飲みながら過ごしていそうな公共スペースである。こうした、ドミトリー形式のゲストハウスと個室のホテルのあいのこのような設備で、ドミトリー並みの料金の宿があちこちにできているようだ。
Img_0949 Img_0952 Img_0951_20210810235901

 少し部屋で休憩。実はまだ日が高いので、もう少し涼しくなってから走る方が快適だろう。インターネットに接続し、周辺の様子を調べると、「いのたに鳴門店」なんて店が近くにあるではないか。「いのたに」といえば、徳島ラーメンを代表する店。かつて、徳島市内の本店を訪れたが休業日で、巽屋という別の店を訪れた。2003年7月のことである。その本店ではないものの、18年越しのリベンジができる。
 17時過ぎに部屋を出る。クルマから折り畳み小径車を下す。自転車を2台積んできているのだ。ポタリングにはこちらだね。いのたにの営業終了18時には十分間に合うと思っていたが、少し迷走もあり店の前に着いたら17時半。鳴門市役所の近く、国道28号線と撫養川の間の住宅街の中にひっそりと存在する店だ。営業中の看板が引き上げられようとしている。慌てて声をかけると、店に招き入れてくれた。
Img_0921 Img_0923_20210810235601 Img_0924

 「徳島ラーメン」という呼び名は、1999年に生まれた。「新横浜ラーメン博物館」に「いのたに」が出店したことに始まる。ラーメンテーマパーク新横浜ラーメン博物館では、毎年全国からその地域独特のラーメンを発掘し、期間限定で仮設店を出店してもらう、という企画を行っていた。徳島市内では、半数近い店で独特の黒いスープにバラ肉、生卵の取り合わせのラーメンが提供される。それが、選出された、ということがご当地ラーメンとしての「徳島ラーメン」誕生のきっかけとなった。
 1966年創業の徳島本店に対し、この鳴門店は1976年ごろの創業とのこと。十分に老舗といえる。実際に店内の雰囲気は懐かしい昭和の感じ。ちなみに、18年前に訪れた巽屋は1995年創業とのことで、比較的新しい店だった。
 店内には、子供連れのグループが2組が食事中。中華そば並が600円で、大は650円なので当然「大」を選ぶ。しばらく待って提供されたラーメンのスープは確かに黒っぽいが、うっすら澄きとおっている。豚骨スープに濃口しょうゆだれを加えた濁った茶色というイメージなのだが。バラ肉は少なめ。メディアでは100円プラスの「中華そば肉入り」に50円の生卵のトッピングが追加された写真が紹介されている。もともとの量は少なめなので、大でもさほど多くは感じない。本店ではないものの、18年越しのリベンジ達成。先客のうちの一組よりも先にも背を出る。
Img_0921Img_0929Img_0931

 撫養川沿いを北上するとすぐに小鳴門海峡。鳴門北I.C.や千鳥ヶ浜がある大毛島との間の海峡だ。鳴門徳島自転車道の起点を示す案内板があるが、自転車道は車道の脇の自歩道。大毛島、そして淡路島を左に見ながら東へ。公園として整備された岡崎海岸を過ぎてしばらく進むと、車道は途切れ、独立した自転車道となる。内陸は住宅街から林に変わる。「いわし山」だそうだ。岬の小ピーク「ぼら山」と「いわし山」の間の鞍部を越えて道は南下に転じる。向かい風に抗って進む。紀伊水道に面した大手海岸だが、対岸の本州は霞んで見えない。内陸側には一面のサツマイモ畑。その向こうに鳴門市街が見える。小高い丘に建つ天守閣は岡崎城址、別名撫養城。自転車道は防波堤の上。ただし、道幅が広く、畑の農道かアクセスできるため2台ほどクルマに出会った。とはいえ基本的にクルマとは隔離されている海と畑の間の道。無心に走るにはちょうどいい。
Img_0932Img_0938Img_0933

 大手海岸が終わり、旧吉野川の河口に突き当たる。今は徳島市の北部が吉野川本流だが、かつてはこちらが本流。内陸部もサツマイモ畑から造船施設に変わっている。
Img_0941Img_0942

 鳴門徳島自転車道は、この旧吉野川の対岸にも続いているのだが、川を渡るには国道28号線の大津橋まで2km以上遡らないといけない。しかも、遡る途中で支流を越える必要があり、その支流を渡る橋までまた回り込まねばならないので大津橋までは3kmを越える。その支流は、撫養川で、つまり旧吉野川河口部と小鳴門海峡をつないでいる。一体どちらからどちらへ流れているのか。おそらく、流れていない。人工河川とか運河という要素が強いのだろう。
Img_0944_20210810235901Img_0946 

 回り道に回り道を重ねて旧吉野川を渡り、対岸と変わり映えしない工場の並ぶ風景。紀伊水道に出て徳島阿波おどり空港に面した区間へ行けば雰囲気が変わるのだろうが、それはまだ3kmくらい先。ここで引き返すことにした。
 帰路は大手海岸ではなく、撫養川に沿って北上すると、追い風のアシストもあって、あっという間に鳴門駅まで戻ることができた。。
Vid_278mov_000145400

 ホテルの部屋に入る前に、買い出し。駅裏に建つ昭和の雰囲気漂う5階建ての商業施設へと歩いて行く。1階がスーパーマーケットになっていて、ちょうど賞味期限が迫る総菜を割引きで売っている時間。今夜の夜食に明日の朝食と行動職までたっぷり買い込んだ。
 ビジネスホテルの部屋に戻ると、隣室のもの音がよく聞こえる。まあ、お互い承知で泊まっている。飲み物の缶を開けるプシュという音が立て続けに聞こえる。ビール系だろう。TVがあるけど、音を出すのは気が引ける。イヤホンを持ってきているが、ケーブルが短くて窮屈だ。まあ、この数日NHKも民放もつまらない番組ばかりだし、見ないことにしよう。大浴場で入浴。今朝は早朝から作業だったし、明日も朝は早い予定なので早く寝ようと思ったのだが、無料のWiFiでダラダラネットを見ていたら、寝るのは23時過ぎになってしまった。

| | コメント (0)

2021/04/16

キャリーバッグで20インチ折畳自転車飛行機輪行北海道の旅

 14インチホイールの折畳小径車対応のキャリーバッグ「Vélo Line MOBILLY」で飛行機輪行。北海道利尻島へ。冠雪した利尻富士と紅葉を楽しみながら島を一周。天気もばっちり。あとミシュランガイド掲載の味楽のラーメンも堪能。
 ただし、自転車はこのキャリーバッグにはサイズオーバーの20インチホイール。でも工夫をすれば入る。前後の車輪とシートポストを外して、入りました。これなら飛行機で受託手荷物として他人に預けても安心。それに、キャリーバッグだから、高速バスにも載せてもらえるし、フェリーでは自転車の運賃不要。

| | コメント (0)

2020/11/03

秋の利尻島弾丸紀行(4)島一周と四大坂

■利尻島一周と四大坂
 10日朝、7時前に起床して2階の寝室から、談話室のある1階に降りる。今シーズンは、相部屋にせず個室扱い。私以外は皆まだそれぞれの寝室。トールさんと番頭さんは、近くの本宅へと昨夜のうちに戻っているので、スタッフはカナコさんだけ。
Img_6913
 夜のうちに雨が降ったようで地面が濡れている。宿の正面にそびえる利尻富士は、山頂を雲で隠しているが、時間を追うごとに天気はよくなる見通し。自転車で走るのには絶好の気候となるはず。強行軍でここまでやってきた目的を果たすことができる。まずは、自転車のタイヤに空気を入れる。その後は、談話室で朝食。予め買ってあったパンを食べる。
 もう一つ天気に関する朗報があった。台風14号は、さらに日本への接近を早め、近畿地方への最接近は明日の朝との予想。日中には風が徐々に収まり、チケットを世よくした飛行機が到着する夕方の神戸の風は10m/s未満の予想。これなら大丈夫。飛行機は飛ぶ。さらに、台風はその先、南東に進路をとる見込みで、関東地方への影響は昨日の予想よりもかなり低くなった。もちろん北海道への影響はほとんどない。若い女性の旅人とその喜びを共有したいところだが、まだ談話室には出てこない。おそらくこのままお別れとなるのだろう。
Img_6915
 7:40、カナコさんに見送られて出発。今日は、うみねこゲストハウスの勧めるアクティビティの中で唯一自転車を利用する「坂道チャレンジ」。島を一周しながら「利尻島四大坂」を登るもの。10年前に初めて利尻島を訪れたときに、自転車で島を一周しているが、それに四大坂が加わることでコースの厳しさが増す。
 島の一周は、当然ながら時計回り。うみねこゲストハウスがある鷲泊は12時の位置だ。まずは、自転車道を目指す。利尻町の中心集落で9時の位置の沓形と、利尻富士町の中心鷲泊集落の少し東側まで間、島の約3分の1周分を、この利尻富士利尻自転車道で走ることができる。もちろん自転車道でなくてもクルマの少ない快適な道なのだが、これからたどる鷲泊まりの東側は自転車道のハイライトと言える絶景区間なのだ。鷲泊の集落を抜け、利尻富士のすそ野をまっすぐに登っていく。この道は北麓キャンプ場があり、道沿いには、ホテル、温泉入浴施設、キャンプ場などが点在する。ホテルの前には観光バスが止まり、利用者が乗り込んでいる。昨日のグランドホテルとは別のホテルだ。
 自転車道との交差点は標高50m足らず。結構登った。この坂は、アクティビティの課題である四大坂の一つ「甘露仙水の坂」。甘露仙水は北麓キャンプ場の奥にある湧き水で、自転車では車道の突き当りであるキャンプ場の駐車場まででよい。もともと、この坂は最後にする予定だったが、ここまでの登りを無駄にしないためにもうこのままキャンプ場まで登ってしまおう。島一周の最後、自転車道でなく海沿いの道道を使えば、再びここへ登る必要はないのだ。
Img_6921
 しかし、その先の登りが結構長かった。北麓キャンプ場の駐車場の標高は200mあまりなのだから、自転車道の交差点までで4分の1しか登っていない。10年前の利尻訪問では、このキャンプ場に2泊し、自転車での利尻島一周と利尻富士登山をした。キャンプ場の中の歩道をしばらく行くと甘露仙水があり、さらに道は登山道として利尻富士山頂へ続く。北麓キャンプ場は、利尻富士のメイン登山口である。10年前の利尻富士登山は、この登山口から。それだけで、標高差1500m、10時間の厳しい行程だ。うみねこゲストハウスのアクティビティは,鷲土間利口から子の登山口までの往復の歩きが加わる。さらにハードになる。それでもこの「0to0利尻山」が、うみねこゲストハウスのアクティビティの中の一番人気で、私のように「坂道チャレンジ」だけのためにやってくる旅人は珍しく、利尻富士登山にやってきたついでに自転車に乗るパターンが多いそうだ。自転車はうみねこゲストハウスでレンタルできる。坂道を登るために電動アシストサイクルも選べるのが、定福寺五大修行と違うところ。時代は進んでいるのだ。
 さて、私の自転車には電動アシストなどはない。代わりにあるのが、低めのローギア。フロントダブルなので、最大勾配24パーセントといわれる小樽の励ましの坂も足をつかずに登っている。そうして、北麓キャンプ場の駐車場に到着。10年ぶりに見る景色。
Img_6922Img_6918
 すぐに来た道を引き返す。下りは早い。でも長い。相当下ってようやく自転車道との交差点。自転車道に入ると今度は登り。どんどん登って、標高100mを越える。北麓キャンプ場もそうだったが、海岸よりも路面がよく濡れている。木々の影で乾きにくいということもあるだろうが、山間部の方が雨が強く降ったようだ。自転車道は尾根と谷を交互に越えるのだが、アップダウンをなくすため、谷には高い橋が架かっている。この高架は鷲泊港入出の際に海上のフェリーから見える。つまり、橋からは港や海を見下ろすことができる。谷を埋め尽くす木々は、赤や黄色に染まり始めている。背後の利尻富士は、未だ山頂を雲に隠しているが、その雲も少し小さくなっているようで出発前には見えなかった雪が見えた。昨日の夕方より白い部分が広がっている。どうやら新雪が積もったようだ。
Img_6937Img_6932Img_6927
 そんな橋が3つ続く。このような谷をまたぐ高い橋の建設にはそれなりの費用がかかったはずだが、利用者が少ない。出会ったのは高齢男性。朝のウォーキングをする地元の人という雰囲気。自然に「おはようございます」とあいさつを交わす。
Img_6941Img_6943
 その自転車道は車道と交差する。姫沼へと昇る道。この道も四大坂の一つ。自転車道のピークから少し下ったものの、交差点は標高80mくらいで、姫沼が標高150mほど。ほんのひと登りだ。その姫沼へもうすぐ到着するというタイミングで観光バスに追い越された。鷲泊のホテルの前で見たあの赤い色をした宗谷交通の観光バスだ。ただし、同じバスかどうかはわからない。今年は夏の観光客が激減した反動というか、秋になってから観光客のピークを迎えているという。今日は何度も赤い観光バスを見ることになる。
Img_6946
 すぐに駐車場に到着。姫沼までは遊歩道を少し歩くようだ。バスから観光客が下りるには時間がかかる。その前に静かな姫沼を見ておこう、と思ったが、既に別の観光バス(赤くない)が駐車場に止まっていた。そのバスに乗ってきたと思われる観光客とすれ違いながら遊歩道へ。まだ数人残っていたが、それでもバス2台の合間の比較的静かな姫沼に対面することができた。追い越されたバスの観光客とすれ違いながら、駐車場へ戻る。
Img_6951
 自転車道との交差点まで下り、さらに自転車道も下って、道道108号線へと降りる。青空がひろがってきた。利尻富士も顔を出してきている。
Img_6960Img_6958Img_6964_20201103073101
 緩やかなアップダウンを繰り返し、時折小さな集落を過ぎていく。軒には昆布が干されている。夏には、大きめの砂利を敷いた地面に寝かせて昆布を干す光景が見られるのだが、今は竿にかけて干されている。春先の函館亀田半島でも竿に干されていた。時期によって違うのだろうか、それとも土地によるものだろうか。
Img_6968Img_6969Img_6974
 時計でいうと4時の位置、島一周の3分の1を経過した鬼脇の集落にはセイコーマートがある。10年前にも立ち寄った。うみねこゲストハウスで食べたパンだけの朝食では足りないので、ここで補給。100円のパスタとバナナだ。さあ、どこで食べようかと思いながら走り出すと、すぐに「白い恋人の丘」の案内板。この丘へ登る道も四大坂の一つ。ちょうどいい。部白い恋人の丘への分岐に駐車場があり観光バスが泊まっていた。その乗客らしき人々とすれ違いながら細い坂道を自転車で登る。軽自動車が下りてきた。上にも駐車場があるようだ。
Img_6976Img_6979
 白い恋人の丘は標高40mほどなのですぐに登れる。駐車場に1台の乗用車と2人の男性。バスが入れるほど道も駐車場も広くない。この丘から、オタドマリ沼越しの利尻富士が見える。南側に回ったので、雪はあまり見えない。そして振り返れば真っ青な日本海。そして、礼文島。2人の男性も車に乗り込んで去っていき、景色を独り占めだ。ベンチに腰掛けセイコーマートで買ったパスタとバナナを食す。日差しが照り付けぽかぽか。朝は濡れていた路面もすっかり乾いている。ちょうど本州の小春日和とでも言いたいような気候。でも、小春の時期、つまり旧暦の10月は、北海道の最北の島でも、本州でも変わららない。今年だとまだひと月先なのだ。
Img_6985Img_6990
 坂を下り、島一周を再開。島の最南端、6時の位置は、仙法志埼。灯台がある。高台から、西に開けた入り江越しに利尻富士が眺められる。その入り江には波が打ち付けている。葛飾北斎の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」を連想させる。なんていうのは大げさで、あんなに波は高くない。でも、10年前にもこんな景色を見たことを覚えている。そう、北西から西の風が吹いている。隣の礼文島も、この利尻島も、あるいは宗谷岬も風の影響を受けながら走った記憶がある。季節を問わず風が強く6~8m/sくらいの風は当たり前のようだ。。事前に気象情報で晴雨だけでなく、風のチェックもするのは自転車乗りとして当たり前のこと。この日は風速4m/sまでと、比較的風の影響がましなのだ。
 仙法志埼の海岸まで下りるとアザラシがいる。今回は高台から遠くにその姿を見るだけにして、先を急ぐ。10年前には間近でお目にかかっているからね。
Img_6997Img_6998Img_7006
 さて、赤い観光バスに何度か追い越される。同じバスと抜きつ抜かれつしているのか、それとも別のバスなのかはわからない。また、進行方向が西から北西になると、向かい風でペダルが重い。それでも、順調に9時の位置、沓形へ。時刻は、11:30。大変順調だ。この沓形では、やることが2つ。「ラーメンを食べること」と「坂を上ること」。先に坂を上る。四大坂の中で最高、標高450mの見返台への上り坂だ。沓形集落を抜け、まずは緩やかな裾野を利尻富士に向けてまっすぐに上る。染まりつつある木々の間に正面にはとがった山頂が見える。センターラインが引かれた道路だったのだが、途中でいきなり細い道へと切り替わる。道が細くなるポイントで、1台のクルマが止まっていた。直前で私を追い越した普通乗用車だ。道の細さに二の足を踏んでいるのだろうか。確かにこの先、細く曲がりくねった急な坂道に劇的に変化するけれど、観光バスだって通る道。いや、そのことを示す「大型バス運行中」の看板を見て怖気づいているのか。確かに、観光バスに出会ったら、すれ違いはできない。普通乗用車同士でも厳しい。
Img_7011_20201103073101Img_7014
 そんなクルマの脇を抜け、私は急な登りに取り掛かる。もちろん、自転車だって観光バスに出会うと厄介だ。でも、大丈夫。バスは来ない。今は麓のどこかでお昼ご飯の時間帯だ。
 急坂を上っていくと、沓形登山口。利尻富士への登山道入り口。北麓キャンプ場の鷲泊登山口よりも高くまでクルマで登れるわけだが、登山道が険しく一般向けではないので、鷲泊の方がメインで、こちらの登山道はマイナーだ。
Img_7020_20201103073101Img_7021Img_7022
 その登山口を越えるとすぐに、広い駐車場に出た。誰もいない。先ほどのクルマも登ってこなかった。見返台へは、さらに遊歩道を登る。この遊歩道、アスファルトで固められた階段なのだが、かなり急勾配。水平な段であるはずの踏面(ふみずら)も、登り勾配になっている。
Img_7023Img_7026
 それを登ること5分ほど、展望台に到着。雪を頂き白く、そして鋭い利尻富士の山頂、そしてその反対側には日本海、さらに礼文島。空気が澄んで礼文島が近く見える。香深港あたりの建物も確認できる。また、麓の沓形集落や沓形港も見える。
Img_7027_20201103073101Img_7033
 景色を堪能したら下る。遊歩道の下りに注意が必要。傾斜したアスファルトの踏面は、ビンディングのクリートがよく滑る。手すりに頼りながら慎重に下る。
Img_7045_20201103073101
 自転車にまたがったら、対向車に気を付けて下る。おそらく誰も来ないだろうけど、もし出合頭にぶつかったら痛い目に合うのはこちらだ。まあ、予想通り誰も登ってこなかったけど。
Img_7048Img_7051Img_7053_20201103073101
 さあ下り切って、12:40。いい時間だ。小さな沓形の集落だからすぐ見つかるだろうと思ったが見つからず、いつの間にやら沓形岬へ。まあ、ここも立ち寄るべきポイントだ。10年前は、少し内陸の自転車道へと入り込んだので集落も岬も通らなかった。結局スマートフォンの地図を見てたどり着いた「利尻らーめん味楽」。利尻昆布でとった出汁が自慢の、ラーメンはミシュランガイドにも掲載されている。北の果ての離島に位置し、営業時間は11:30~14:00と昼のみで、なかなか食べるのが難しいラーメン。関東地方に住んでいれば、横浜ラーメン博物館で食べられるのだが、やはり本店で食べる方が値打ちがある。ちなみに前回は、沓形付近を通過したのは夕方だったし、そもそも味楽の存在を知らなかった。店に入ったのは、13時少し前。夏には行列ができる店だが、今は地元の人のみ。そして混雑が落ち着いた時間だ。店内は、イスとテーブルが並ぶ普通のラーメン店の雰囲気の部屋と、その奥の座敷の部屋。土間は地元民らしき人が食べている最中。奥の座敷に案内される。もともとは土間だけで営業していたが、有名になって旅行者も訪れるようになり、本来は居住空間であった座敷にも客を入れるようになったということかもしれない。手前には一人の客がいたので、ソーシャルディスタンスをとって一番奥の床の間の手前に座る。そして看板商品の焦がし醤油ラーメンの大盛を注文。混雑のピークは過ぎていて、すぐにラーメンが出てきた。何かしらの特徴があるわけではない、普通のラーメン。もちろん、美味しい。わざわざこんな最果てまで食べに来るほどではない、なんていう人もいる。でも、旨いラーメンを求めて北へ南へ駆け巡る旅があってもいいじゃあないの。
Img_7056Img_7065
 さて、ラーメンも食べたし四大坂も終わったし、あとはうみねこゲストハウスへ戻るだけ。残り約14kmのラストラン。進行方向は北から徐々に東へ。風は徐々に背中を押すようになり自然にラストスパートがかかる。
 沓形と鷲泊の二大中心街の間には、あまり集落はない。道道もこの区間だけ105号線と番号が少し若返る。広大な裾野から天を指す山頂まで、利尻富士の全貌を右に眺めながら進んでいく。広い駐車場がいくつかある。10年前は、ここにスーパーカブを止めて、自転車で島を一周した。さらに、利尻空港と広い敷地を利用した施設が続く。北国グランドホテルの高い建物が見えてきた。鷲泊のランドマークだ。セイコーマートで食べ物と飲み物を買って、14:30、うみねこゲストハウスへ。
Img_7067Img_7068
 距離約80km、獲得標高は推定で800m。ちなみにGPSレシーバーの計測ではプラスマイナス1500mかなり誤差が多いと思われる。いずれにせよ、四大坂が加わった利尻島一周はちょうど丹後半島一周と同じくらいのコースとなる。

| | コメント (0)

2020/11/02

秋の利尻島弾丸紀行(3)うみねこゲストハウス

■うみねこゲストハウスに定福寺五大修行の面影を見る
 うみねこゲストハウス到着は、16時半過ぎ。チェックインの手続きをし、部屋へと案内されながら、「今日はいい夕日が見られそうですよ。自転車組み立てて、見に行ってきたらいかがですか」と宿主のカナコさん。カウンターには、「本日の日没17時03分」とかかれたホワイトボード。ありゃ、早く言ってよ。これは急がないと。慌てて自転車を組み走り出そうとして、部屋に戻る。ライトやズボンのすそを縛るベルトを取り出し、自転車へ跨る。教わった夕日のスポット「夕日ヶ丘」までは、1.5km。港からは上り坂もある。あ、ペダルのビンディングにクリートがはまらない。着脱式のペダルを左右逆に取り付けている。直す時間が惜しくてそのまま行く。スタートからずっとスパートをかける。
Img_6907Img_6895
 夕日ヶ丘はすぐに分かった。海岸の小山だ。頂上には数人の人影が見える。自転車を止めて、急なシングルトラックを駆けあがる。頂上に到達できなくても、途中から見られればいい。でも、何とか間に合った。礼文島の左側の水平線に沈む夕日。背後の利尻富士も赤く焼けている。利尻赤富士だ。2、3日前に今シーズンの初冠雪をしたというが、雪の部分は小さくやせ細り、言われなければ冠雪したことに気づかない。
Img_6898_20201102222101Img_6901_20201102222101Img_6902
 帰り道に、うみねこゲストハウスで教わった中華料理店「笑う門」で夕食をとる。寿司屋のような作りの店だった。居抜き物件か。笑う門の近くには大きな「利尻グランドホテル」があり、玄関前に観光バスが横付けされ乗客が下車している最中だ。
Img_6909
 ゲストハウスに戻ると、カナコさん、トールさん、番頭さんの宿主ファミリーがそろって、若い女性の旅人もいてにぎやか。さらに、あと2人の男性の旅人が到着し、この日宿泊は4人。みな一人旅。札幌のゲストハウスよりもにぎわっているではないか。本来はもうこの時期シーズンを終えているのだが、今年は春から初夏にかけて休業、つまりシーズンインが遅かったので、少し遅くまで営業しているという。後から到着した2人は、それぞれ食事に出かけて行った。しばらくは、私と若い女性の旅人とうみねこファミリーで談話室でおしゃべり。若い女性の旅人は、9月の4連休に小樽の「とまや」からスタートした北海道の旅だそうだ。期限を決めない旅だが、もう明後日くらいに帰るのだそうだ。ということは、私と同じく台風14号が日本に近づくころ。ただし、私と違って帰りの航空券はまだとっていないとのこと。期限がないなら台風が去るまでゆっくりすればいいような気もするが、それでも帰りたいらしい。お互いどうなることやら。天気予報は2日後までは詳しく示されるようになる。私が予約した帰りの飛行機が着陸する明後日の夕方の神戸の1時間ごとの風の予報は、15~18m/s。飛行機の運航には厳しい状況だ。でも、不安を共有できて少し楽になった。いずれにせよ今後の台風の動き次第で状況は変化するのだから、成り行きに任せるしかない。
Img_6911
 そのうち、食事に出ていた旅人も、それぞれ戻ってきて、旅の夜は楽しく更けていく。
 さて、利尻島がこの旅の最終目的地なのだが、もっと言うとうみねこゲストハウスに泊まるためにやってきたのだ。談話室の壁には、たくさんの旅人の名前のリストが貼られている。それは、このゲストハウスが勧めるアクティビティに挑戦し、達成した人たちが自分で記したものだ。その一つは、利尻富士登山。ただし、標高220mの登山口からではなく、ゲストハウスの前の海に手を浸けて、歩いて登山口へ行き、さらに標高1700m余りの山頂まで登り、最後また海に手を浸ける。その名も「0to0利尻山」。さらに利尻島一周55kmを歩く「GOGOウォーキング」。そしてもう一つは、明日挑戦するので説明は報告を兼ねて後に記す。
 ここで、四国にかつて存在したユースホステルのことを書かねばならない。徳島県との県境に接する高知県大豊町の定福寺ユースホステルだ。名物は「五大修行コース」。自転車や登山などのコースだ。1990年夏にたまたま泊まったのをきっかけに、1997年にユースホステルの営業を終えるまで、年1回を上回るペースで訪れた。特に、標高差800mを登り県境の京柱峠を越え、祖谷渓、大歩危小歩危をめぐる約90kmの「京柱コース」は、5回くらいは走った。また、五大修行の最難関がヨサクコース。剣山の見ノ越峠など峠が連続する四国山地の中を、徳島市から中村市(現四万十市)まで四国を横断するロングコースだ。このコースだけは、自動車やオートバイなど動力のついた乗り物を利用することが許され(ただし運転者のみ認められる)、その中間点付近に位置する定福寺ユースホステルを境に、東西それぞれ半分の走破で修業を成し遂げたと認定される。私は、そのヨサクも全線自転車で走破した。当時は、四国のいくつかのユースホステルでそれぞれ「〇〇共和国」を名乗り「共和国連合」を結成していた。定福寺ユースホステルは、お寺に所蔵されているお地蔵さんにちなんで「笑い地蔵共和国」を名乗っていた。五大修行のうち京柱を含む3つを達成すると笑い地蔵共和国の「国民栄誉賞」が授与され、5つすべての達成で「人間国宝」に認定される。毎夜夕食後のミーティングでは五大修行が紹介され、その日修行者がいれば体験談を聞く。栄誉賞や国宝の要件達成者が現れれば、表彰式が行われる。ミーティングルームの壁には歴代受賞者の授賞式の写真が貼られている。もちろん私も、「国民栄誉賞」「人間国宝」いずれも達成している。と、五大修行のことばかり書いたが、ユースホステルのペアレントであり、共和国の大統領でもある、お寺の住職の人柄の魅力も大きい。笑い地蔵とは住職のことと思っていた人もいる(?)くらいだ。
 定福寺ユースホステル閉所(お寺は存続)から約20年、北海道を中心とした小さくて安く泊まれる宿の有志で発行される「とほ」という冊子(及びそのWebサイト)で利尻島にオープンしたゲストハウスを知る。そこで用意されたアクティビティコース。3つすべてを達成すると、「利尻人」に認定される。SNSに掲載されている写真に見える、談話室の壁の達成者の名前の一覧。失礼かもしれないが、「定福寺ユースホステルの再来」「北に蘇った五大修行」と感じてしまった。もちろんネット越しではあるが、うみねこファミリーの旅人に接する暖かくて楽しい人柄も感じられ、ずっと「ここに泊まりたい」「アクティビティを体験したい」とあこがれていた。

| | コメント (0)

2020/11/01

秋の利尻島弾丸紀行(2)樹舎そして北上

■自転車押しの宿「樹舎」そしてバスで北上
 21時過ぎ、本日の宿に向けて出発。漕ぎだした瞬間、タイヤの空気圧が低いのに気付く。飛行機に乗せる前に空気を抜いたのだった。慌てて空気を入れる。
Img_6867
 宿に行く前に、寄るところがある。それは、明日の朝、乗車予定のバス乗り場。大きな目印テレビ塔の近くだからすぐにわかるつもりでいたのだが、落とし穴があった。バスターミナルを見ても稚内行きの表示がない。他の道内各地への便はちゃんと時刻や料金が記されているのに。実は、そこは中央バスのターミナル。私が乗る予定の宗谷バスのターミナルは、少しだけ離れた場所なのだった。そんなことで時間をロスしてしまった。もう夕食をとる時間はないようだ。すすきのを素通りして南下。夜の路面電車って、なんだか幻想的。
Img_6869
 今宵の宿、「ゲストハウス樹舎(いつきや)」は、中島公園に近い住宅街の中。中島公園って、あの「札幌中島体育センター」があるところだよね。藤波辰爾とのシングルマッチに挑むべく入場する長州力を花道で待ち伏せ襲撃した藤原喜明。実況の古舘伊知郎は、そんな藤原をテロリストと称した。1984年2月3日の札幌中島体育センターにおける「雪の札幌テロ事件」だ。前座レスラーだった藤原が、2年後の1986年2月6日にはかつての師匠アントニオ猪木との一騎打ちで両国国技館のメインエベントを張る。文字通りのメインエベンターへの第一歩だった。
 それはともかく、樹舎は住宅街の細い路地の奥。迷う人続出とのことで、しっかり予習済み。GPSレシーバーにもちゃんと場所を登録してきた。路面電車の通る本通りに閉店間際のスーパーマーケットがあったので、売れ残りの弁当ををゲット。これが夕食だ。そして、樹舎へ。チェックアウトぎりぎりの22時少し前に無事到着。本日の宿泊は一人とのことで、玄関に自転車を入れさせてもらった。
Img_6873
 札幌にはゲストハウスはいくつもあり、GoToトラベルで2,000円台で泊まれる宿もあった。樹舎は、GoToトラベルに登録していないのだが、宿主さんが自転車乗りなので今回お世話になることにした。古いロードレーサーが壁に掛けられた、リビングルームでの自転車談義。私も30年以上前の自転車を数台所有しているので、話はそういう流れとなり、宿主さんが持ち出してきたサイクルスポーツ誌は1970年代のものだった。いやあ、古い話は尽きないねぇ、自転車もプロレスも。年を取ったからだろうなぁ。
 2年前の台湾からの復路の飛行機は、機材繰りの影響とやらで、飛行機が30分以上遅れた。でも、今日は時間通り、いや少し早く札幌について、宿のチェックインに間に合った。しかし、寝る前の天気予報チェックで、状況は一転。台風14号だ。昨日までは旅を終えた後に本州最接近する予報だったのに、なんと日本接近が早まりちょうど神戸空港に戻る10日午後に近畿地方に最接近するというのだ。帰りの飛行機は無事に飛ぶのだろうか。この夜も眠れず、睡眠負債は雪だるま式に増大。
Img_6872Img_6874_20201101111901Img_6875
 9日朝、6時起床。玄関前で自転車とともに記念撮影してもらい、6:30頃に出発。セイコーマートによってからバスターミナルへ。昨夜の下見のおかげで、落ち着いて行動できた。6:50、到着。バスの予約はしてあるが、チケットを受け取らねばならない。窓口が開くのは7:20との表示。自転車をキャリーバッグに収めて、先ほどセイコーマートで買った納豆巻きを食べていると窓口が開く。往復で予約してあるので、チケットは復路の分もここで発行された。復路のバス乗り場は、インターネットで予約した際には稚内駅前しか指定できなかったが、宿泊予定の宿の最寄のバス停からの乗車ということに指定しなおすことができた。
 6:40、稚内行きのバスは札幌を出発。300km、6時間の長旅の始まりだ。バスの座席は横3席、縦10席ほど、つまり定員約30人。で乗客は10人くらい。中央の席は空いていて、左右のどちらかの窓際に一人ずつ。私は、日本海や利尻富士が見える左側の窓際を確保。
 札幌の市街地をしばらく走った後、バスは道東自動車道に乗り、深川JCTまで。そのあと自動車専用道路に乗り継ぎ、留萌へ。そこから国道232号線で日本海沿岸を北上。思惑通り、日本海や利尻富士の姿を楽しむ。羽幌からは天売と焼尻も見えた。あの島にもいつかわたってみたい。休憩は、道央自動車道の砂川S.A.と羽幌の道の駅。
Img_6879
 天塩を過ぎたら自動車専用道路に乗り、サロベツ原野を見下ろしながら北上。稚内の市街地手前で車内放送。市内の路線バスの各バス停で降車ボタンを押して下車可能、とのこと。前の座席のおじいさん、稚内到着までまだ1時間以上手前の豊富辺りから、振り子を逆さにしたように体を右に左に降って前方をのぞき込んでいる。明らかにじれている。稚内手前の車内放送を聞くと、早々に荷物を手にして降りる支度。市内に入ってすぐのバス停で降りるのか、と思いきや下車したのは終点の稚内フェリーターミナル。私が下車の支度をはじめたのは、おじいさんに遅れること20分以上。そう、いくら支度を早めてもバスが到着しないと降りられない。
Img_6880
 バスは定刻13:30、稚内フェリーターミナルに到着。利尻島行きのフェリー出発はちょうど1時間後。急いで昼食だ。自転車が入ったキャリーバッグを置いて、1km足らず離れたJR稚内駅まで歩く。鉄道の駅は道の駅も併設されていて、食堂もあるのだ。ならば、一つ手前の稚内駅までバスを降りてもよかったのだが、大荷物を引きずって歩くのが嫌で終点まで乗った。また、自転車を車両としてフェリーに乗せるとその料金が1,560円もかかる。輪行袋やキャリーバッグに入れて手荷物として持ち込むと料金は発生しない。だから、自転車はバッグに収めたままなのだ。
Img_6881
 速足で駅に移動。ラーメンと豚丼のセットを注文。急いで食べてまたフェリーターミナルへ。何とかフェリーに間に合った。これがこの日の最終便だから、乗り遅れたら大変なのだ。
Img_6888
 14:30稚内港離岸。少し揺れる中、雑魚寝の船室でまどろんで過ごす。16:10、利尻島鷲泊港へと接岸。10年ぶりの利尻島上陸だ。自宅出発から30時間、とうとうここまでやってきた。今宵の宿、「利尻うみねこゲストハウス」は、フェリーターミナルから400mほどの港の構内。キャリーバッグを引きずって歩く。
Img_6890Img_6891Img_6893

 

| | コメント (0)

2020/10/31

秋の利尻島弾丸紀行(1)飛行機輪行

■キャリーバッグで飛行機輪行
 夏の北海道の旅は、どのような交通手段でアプローチするか迷ったあげく、いつもの新日本海フェリーを利用した。けれども夏に断念した飛行機は今年がチャンス。乗客が少なく、安いチケットが手に入りやすい。結局我慢ができず、秋に強行軍で決行した。もちろん、9月の4連休などという人の動きの多い日を避け、平日に休暇をとって捻出した4日間。天気が心配だったが、どうやらうまい天気周りになりそうだ。天気予報の確度が上がる、出発2日前まで待って交通機関や宿を手配。ところが、一つミスを犯せばその後の行程が崩れてしまう、タイトな計画。それがこなせるのか心配で、その夜眠れず。旅立ち前から大変な睡眠負債を抱え込んでしまった。
 10月7日、午前10時に丹後の自宅をクルマで出発し、高速道路も有料道路も使わずに南下。三田でラーメンを食べ六甲の山を越え、神戸に着いたのは15時前。少し時間が早いので、コンビニエンスストアによって時間調整。16時を過ぎるタイミングで神戸空港の駐車場へ。クルマから、折畳小径車が入ったキャリーバッグを下す。すごく重い。キャスターがないとどうにもならない重量だ。このキャリーバッグは、今年の春に買ったばかり。本来は、14インチ以下のホイールサイズの折畳小径車を想定して設計されているのだが、私が持っているのは20インチホイールのもの。当然折り畳んでも普通には入らないので、ホイールを外し、シートポストを抜いて、それを隙間に突っ込んでいる。これで飛行機輪行をすることも、今回試してみたいことの一つ。なお、このキャリーケースは、空の状態だと畳んで背負うことができる。長距離を走ることはできそうもないが、15kmほどは問題なく走れた。
Img_6853
 空港に入り2階のSKYMARKの窓口で搭乗手続きをする。自動チェックインの端末のセンサーに予約確認メールをプリントアウトした紙のQRコードをかざすが、窓口に行くように、とのメッセージが現れる。窓口のスタッフが最終的な調整をして座席を確定するみたい。インターネットで予約したとおり、無事窓側の席に指定された。その上で、できるだけ通路側に誰も座らないように、という調整は機械ではできないのかもしれない。
Img_6845Img_6848
 次に、受託手荷物の窓口へ。自転車が入ったキャリーケースを預けるのだ。今回利用する航空会社は、SKYMARK。もちろん、LCCだ。2年前に台湾への往復で利用したのはJETSTAR。そのJETSTARやPeachが関西国際空港発着なのに対し、SKYMARKは神戸空港が拠点。関空と比べれば、神戸の方が近い。神戸市街は東西に長く、北の六甲山から神戸空港のある人工島へ南下するには、クルマでの市街地走行は短くて済む。自転車を入れた重いキャリーバッグをクルマで空港まで運べることは、大いなるメリットだ。神戸を訪れるときには、たいがい丹波篠山にクルマを止めて、JRと阪急電車を乗り継ぐことが多い。神戸空港までなら、さらに三宮からポートライナーだ。篠山口駅周辺は、駐車場の料金競争が激しく、最安で100円/日と破格。でも、鉄道の運賃が往復で2,600円位。神戸空港の駐車料金は、今回の日程で、搭乗者割引適用で2,500円ほど。ガソリン代も計算に入れると、篠山口からの鉄道利用と同じくらいの経費。ならば、楽な方ということに加え、復路の飛行機が延着しても終電を気にしなくていいという点で、空港までクルマで来るのが有利。また、神戸空港から関西空港までは、大阪湾を横断する連絡船もある。神戸空港に隣接した連絡船の駐車場は、乗船すれば駐車料金が無料となる。ただし、船の運賃が片道2,000円弱で、往復だと3,000円強。往復のどちらかを神戸と関空にして、片道のみ連絡船を利用すれば安く上がる。ただし、乗船時間は30分ほどで陸路より早いが、本数が少なく3〜4時間おき。飛行機との乗り継ぎのタイムロスを見なければならない。
 また、航空券の額面も、SKYMARKが10,000円前後からなのに対し、JETSTARやPeachは6,000円台からある。ただし、SKYMARKは20kgまで受託手荷物と10kgまでの客室持ち込みの手荷物が無料なのに対し、あとの2社は別料金。今回の装備だと、まあ大体同じくらいのものののようだ。
 というわけで、キャリーバッグの重さが20kgを越えないようにしないといけない。窓口の近くに秤があるので載せてみる。21.7kg。あ、越えている。でも調整は可能な範囲。自転車以外に入れてある小物を、客室に持ち込むショルダーバッグに移動。重量のある工具類を移動させれば手っ取り早いだろう、と考えたのが間違いだった。
 受託手荷物の窓口で、キャリーバッグのX線検査。まず、これに引っかかった。衣類などを入れている大型サドルバッグの開封を求められる。怪しまれたのは洗面道具の歯磨き。もちろん、これを預ける人は無数にいるのだが、自転車と一緒の荷物だったので、パンク修理のゴム糊と疑われたようだ。ゴム糊はだめらしい。そして、次に客室へのボディチェックもいろいろ引っかかった。まずは、ショルダーバッグに移動した自転車の工具。やはり、金属類は客室への持ち込みを避けるべきだった。ビンディングシューズのクリートは間違いなく引っかかるのでスリッパに履き替えたのだが、パーカーのファスナーがダメとのことで公衆の面前で肌着姿にさせられた。いやん、いやん。私よりももっと苦労していたのが、登山装備の男性。電池だハーネスだ、あれやこれやと引っ掛かり、そのたびに荷物の開封を求められている。見るからにイラつき、スタッフに直接ではないが、散らかる荷物に「ああもう、うっとおしい」と悪態をついている。私の方も少しイライラしかけたが、他人の醜態を見て「こういう風にはなりたくない」と心が冷めていった。
 機内持ち込みの手荷物は一つだけ、ということですべてショルダーバッグに押し込んだが、ショルダーバッグは身の回りのものとして別に計上していいらしい。よし、復路はもっと要領よくやろう。
Img_6857
 17:55、神戸空港を離陸。夜景が美しい。機内は空いている。中央の通路を挟んで両側に3つずつ席があるが、その3つに一組ずつが振り分けられている。私のように単独の利用者は、窓際に一人だけ。フライト時間は1時間45分の予定だが、10分くらい早く新千歳空港に着陸。秋雨前線の雲を飛びける形で、雲の中を行くときは多少揺れた。着陸の少し前、雲の下に出たら港らしき風景が見えた。その場ではよくわからなかったが、苫小牧付近。そのあとすぐに畑の上を低空飛行。と思ったら、即座に滑走路。そうか、苫小牧から千歳って、ほんの数分なんだ。19:30、千歳空港着陸。
 飛行機を降り、受託手荷物を受け取る。自転車のような大荷物は、ベルトコンベアに乗って出てくるのではなく、人が運んでくる。もう1台自転車が預けらていて、力持ちの係員が一人で両手に1台ずつ自転車を持って出てきた。もう1台は、一般的な輪行袋。標準的な受託手荷物のサイズをけていても自転車などは20kg以内なら無料だそうな。かえって、キャリーケースの分、私の自転車の方が重いだろう。
 ところで、私のキャリーバッグのころころキャスターは角に2輪だけなので、キャリーバッグを斜めに傾けねばならならず、ハンドルを収納した状態ではキャスターを使いにくい。荷物を預けるときには、ハンドルの収納を求められた。だから、力持ちのスタッフは、細いベルトをつかんで持ち上げてきた。そのベルトもバックルも20kgを支える強度があるようには見えない。持ち上げるなら、両肩の2本の太いベルトを持ってほしいのだが、片手だと難しい。ちょっと、対策を考えないといけないようだ。
 新千歳空港はJRが直結している。ホームに降り立つと列車が発車寸前。駆け込み乗車はやめて、次を待つ。10分おきだから焦らなくていい。これで、キャリーバッグをわきに置いてロングシートの端の席に座れる。
Img_6863Img_6865
 35分ほどで札幌駅到着、20:40。寒いかと思ったけど、さほどでもない。何より、行き交う人々が結構薄着。中には、薄いシャツの袖をまくっている若者もいる。
 駅の外でキャリーバッグから自転車を出し、ホイールを装着し走行準備。フロントバッグとシートバッグも装着。キャリーバッグはたたんで背負う状態に。

| | コメント (0)

2020/09/04

北海道一周30ヶ年計画「最西端」補完の旅(終)

■データ編
・自転車走行距離 125.8km
  8月21日
   3.3km 励ましの坂
   (変速トラブルに伴う右往左往を含む)
  20.5km 0to0天狗山
   (小樽運河〜天狗山ロープウェイ山頂駅往復)
  8月22日
  56.0km 尾花岬
   (せたな町道道740号線・国道229号線周回
  8月23日
  46.0km 羊蹄山一周

・自動二輪走行距離 600.5km

費用
  約64,000円
 (GoToトラベルキャンペーンにより、
  フェリー代約15,000円の補助が出る見通し)

■動画

■自動二輪の復活
 立ちごけによる損傷、変速ペダルの変形について。インターネットで検索してみると、同様のケース、さらにメガネレンチをかけててこの原理で強引に戻すという力業が、いくつも見つかった。しかし、これは折れてしまう可能性もある。CD250Uの変速ペダルはステンレス製。アルミニウムよりは折れにくいかもしれないが、問題は折れたらもう変わりがないこと。トランスミッションにつながる軸がステップより後方についているため、変速ペダルが200mmと長め。今手に入るものは150mmくらいしかない。

Img_6538Img_6556
 だから、変速ペダルをいったん外して、取り付け角度を下向きに装着しなおした。これで干渉はなくなった。修理費用は発せしない。
 スーパーカブの変速ペダルも同様に変更している。理由は、かかとで踏みやすくするため。スーパーカブの変速は、シーソー型ペダル。シフトアップはつま先側、シフトダウンはかかと側を踏む。しかし、足首が固く、かかと側を踏めない。だから、シーソー型ペダルのつま先側を下げ、かかと側を上げた。この変更による違和感は、はじめのうちにわずかに感じたがすぐに慣れた。初めからそうだったなら、違和感などないはず。

| | コメント (2)

より以前の記事一覧