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2021/08/13

四国徳島吉野川水系を巡る旅2

 4時半に目覚めた。5時にアラームをセットしていたが、音が鳴る前に目覚めた。静かに出発の支度を整えて部屋を出る。昨夜かった弁当を、エレベータホールに設置された電子レンジで温めて、部屋の鍵はフロントの投票箱のような返却ボックスに入れてクルマに乗り込む。まだ夜明け前。街はちょうど明るくなってきたところ。そして、まだ涼しい。
 まだ、寝静まった街を抜け、西へ。鳴門の市街地は小さく、すぐに郊外へ。県道12号線で吉野川の左岸をさかのぼる。朝日が昇り、バックミラーがまぶしく輝く。そして、通勤のクルマや長距離輸送のトラックなどと隊列を組んで走るようになる。この道は、1990年代に高知県大豊町の定福寺ユースホステルに通った道だ。四国八十八ヶ所の一番札所、霊山寺の門前を通過。人気のない駐車場にクルマを止めて山門を記念撮影する。何度も通っているが、脚を止めたのは初めてのこと。その後、二番札所の極楽寺、三番四番の案内板を見て進む。結構短い間隔で密集している。
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 どこかで吉野川を渡り、右岸の国道192号線に移動したい。でもせっかくなので、脇町までは左岸を行くことにする。脇町では、「道の駅 藍ランドうだつ」にクルマを止め、歩いてうだつの町並みへ。まだ早朝のため人が少なくていい。
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 クルマに戻り、朝温めた弁当を食べて再スタート。もう一息だ。
 吉野川を渡る。国道192号線は通勤のクルマが多いが、流れは良い。貞光を過ぎて三加茂で国道から河川敷へ。「ぶぶるパークみかも」、つまり町営のグラウンドなどの公園として整備されている。7時前だというのに、すでにグラウンドゴルフの高齢者が集まっている。
 私はグラウンドゴルフ場から離れたところにクルマを止めて、自転車を準備。今日は折畳小径車ではなく、パスハンター使用のランドナー。今日は本気の走りなのだ。
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 8:00、スタート。国道を避け、集落の中の狭い道を西に行く。しかし、その道は国道に吸収されてしまう。ここから西は山と川が迫った狭間に、国道192号線とJR徳島本線に占有されてしまう。こういうところは、対岸に平野が広がり、幹線以外の交通量が少ない道を選ぶことができる。川の蛇行が原因だ。吉野川は、大きく見れば阿波池田から徳島までは西から東へ直線的に流れているが、細かく見れば波線を描いている。流れの速いカーブの外側では浸食のため際まで川が迫り、逆に内側には土砂がたまり平野が形成される。しかし、川幅の大きい吉野川を渡るのが面倒でそのまま国道を進む。朝の通勤時間帯なので、クルマはほとんど途切れない。そして、国道を走らねばならない区間が長い。対岸に渡った方がよかった、と思うがもう橋を通り過ぎてしまった。クルマのストレスを感じながら走る。早く、山間部へ入り込みたい。
 旧三加茂町から旧井川町へ。現在でいうと東みよし町から三好市へ。今日はこの1市1町の中を巡るわけだが、三好市は四国4県最大の麺戦機を誇る自治体だそうだ。
 青空からさんさんと日差しが降り注ぐ。今日も暑くなりそうだ。いやもうすでに暑い。その代わり、雨の心配はなさそうだ。週間予報が発表された時点では、今日は朝から雨予報だった。それが午後に弱い雨が降る予報に変わり、前日くらいには夕方以降に弱い雨が降るかもしれないという程度に変わった。まあ、気温も降水確率も低い午前中が勝負のつもりだ。
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 井川の中心街に入りようやく国道から解放される。対岸からこちらの岸へと移ってきた徳島自動車道に並走する細い道へ。ただし、新参者である高速道路に与えられるのは山際の斜面であり、それに沿った道は当然アップダウンが続く。まあ、クルマのプレッシャーを受けて走るよりはいい。それに、集落より高い位置を走るので、吉野川を見下ろす景色がいい。
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 川沿いの平野が広くなり、家並みが広がってきた。旧池田町。三好市の中心街だ。そのまま市街地の裏山の山すそを通り抜けるつもりだったが、なんとなく街中へと降り立ってしまった。公園に差し掛かりトイレ休憩。その公園はJR阿波池田駅に隣接していた。駅舎の前に自転車を置いて記念撮影。輪行した自転車を組み立てたり、逆に輪行袋に収めたりする作業スペースが設けられていた。工具も貸してもらえるようだ。ただし、駅舎の出入り口からずいぶん端の方へと案内される。要するに、ほかの客の邪魔をしないでね、ということらしい。
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 そのあとも吉野川を遡るわけだが、国道走行をできるだけ避けるため、市街地の裏山を越える。しばし迷走してからちょっとした山越えとなる。苦労のかいあって国道に合流したのは、池田大橋の東詰めのすぐ手前。100mも走らなうちに、国道は池田大橋で対岸に行ってしまった。こちらは橋を渡らす、右岸の集落の中の道を行く。吉野川はほぼ直角に流れを変え、上流は南北方向となる。
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 右岸の道は県道269号線で、しばらくはセンターラインの引かれた道。そのうち道が細くなり、クルマのすれ違いに気を遣う道となる。まあクルマはほとんど通らないが。保育園らしき建物があるが、すでに閉園しているようだ。園庭の周囲に立ち入り禁止のロープが張られているのは、遊具の安全管理ができないからだろうか。すぐ先の小学校は新しくて立派な鉄筋コンクリートの校舎。三縄小学校だ。帰宅してから調べると、手前は三縄幼稚園の旧園舎で、現在は小学校の1室を幼稚園としているとのことだった。
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 その先に三差路があり、県道は吉野川沿いを離れ山間部へ。黒沢湿原(くろぞうしつげん)の案内板がある。ちょうどサギ草の時期だそうだが、そう気軽に立ち寄れるところではない。
 そのまま川沿いの道を行く。さらに細くなり、木々に覆われた道は涼しくて快適。木々の合間から見える吉野川は、池田の市街地までとは一転、岩場の中を流れる。そう上流は大歩危・小歩危なのだ。対岸の国道32号線は、大型車を含めてクルマがひっきりなしに行き交っている。それに比べてこちら側は平和そのもの。
 木々の中を行く道から、道は狭いもの道沿いに民家が建ち並ぶようになった。祖谷口が近いようだ。道は細く、両側に並ぶ建物のほとんどは、年季の入った木造建築。これから訪れる祖谷の集落を思い起こさせる。
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 祖谷口は、支流の祖谷川が吉野川に合流する所。対岸の国道32号線から分かれ、祖谷口橋を経てきた県道32号線に合流し、祖谷川を遡る。いよいよ深い深い祖谷の山並みへと分け入っていく。ここは既走の道。ただしこちら向きに走るの初めて。1990年代、高知県大豊町の定福寺ユースホステルから京柱峠を越えて徳島県の祖谷に降り立ち、この祖谷川沿いに祖谷口へと下り、小歩危、大歩危を経て定福寺へと戻るコースを4,5回走った。定福寺公認の京柱コースだ。約90km、標高差はおよそ1000mに達するなかなか厳しいコースを、私はいつも自分のランドナーで走ったが、ユースホステルの5段か6段変速のレンタサイクルで走るホステラーがたくさんいた。まあ当時のホステラーは二十歳前後の大学生が中心だった。ところが、90年代後半、京柱峠からの下りで転倒して前歯を折る事故が発生し、ユースホステルのレンタサイクルが廃止された。これにより、定福寺ユースホステルの名物コースは事実上サイクリストだけのものとなった。ただし、その前から厳しいコースにチャレンジする若者が減る傾向だったという。その後、定福寺の都合によるユースホステルの休館が続き、2002年、ユースホステルは閉館となった。夏の閉所記念パーティに参加し、その翌日に走っていら京柱コースを走っていない。2004年には、豊永から京柱峠までピストンしているのみ。そんな京柱コースを久しぶりに走ることも考えたが、新たなコースを走ることにした。約100km、標高差約1500mと京柱コースをしのぐ厳しいコースになってしまったというわけだ。
 祖谷口周辺の集落はすぐに終わり、道路の案内板には「祖谷のかずら橋」とか「剣山」という文字が表示されている。ただし、センターラインがひかれ、クルマが容易にすれ違える道幅は、四国の山中らしからぬ風景。私が頻繁に通っていたころから20年の歳月が過ぎる間に、随所で拡幅工事が行われたようだ。さらに先には、祖谷川の屈曲による深いカーブをショートカットするトンネルの掘削工事が行われていた。
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 道はじわじわと登っている。過去に走ったときは常に下り方向。京柱峠越えの大仕事を終えて、かずら橋で休憩した後の消化試合のような区間だった。今日はと言えば、この後の大仕事の前に、ジャブを撃ち込まれるように体に脚に緩やかにダメージを与えてくる。
 道は細くなった。木々に囲まれているので日差しがさえぎられて涼しい。だだ、時折、気になるものを目にする。時間通行止めを示す看板だ。山間部の1本道のため迂回路がなく、仮設道路を作る地形の余裕もない。そんな場合は、1時間のうち45~50分を工事のための通行止め、15~10分を通行可能とし、それを繰り返すのだ。今まで見た案内板には、「解除中」のマグネットシールが貼られていたが、そのうち捕まるのではないかと不安になる。
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 傍らを流れる祖谷川は基本的に透明感のある美しい清流だが、ダムで流れが滞っているところではやや緑に濁っている。そして、忘れたころに小さな集落が現れる。こうした集落が点在しているから工事区間が終日通行止めにならずに済むのだ。
 小さな集落を抜けたところで、ヘルメットに作業服姿で赤い旗を持った人に停止を求められた。この先時工事のため10:20まで通行止め、だそうだ。ああ、時間通行止めにつかまってしまった。ただ、時計を見るとただいま10:10。10分のロスで済むとはラッキー。でもこの先何度もこういう場面が重なると、大変なロスとなってしまう。
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 すぐ先の広い場所では、2台の自動二輪が開通待ちをしていた。ライダーは、夫婦と思われる中年の男女二人連れだ。見た覚えがある。どこかで追い越されたのだ。京都ナンバーなので、「私も京都府から来ました。丹後です」と声をかけると「私たちは京都府の南の端からです」と返される。自動二輪は、2台ともHONDAのレブル。オートバイの車種に疎い私でも知っている車種だった。私の所有するCD250Uは30年以上前に廃止となった車種で、当然専用のパーツはとっくに製造中止となっている中、このレブルのパーツが利用できることがある。例えば、クラッチレバーやクラッチケーブルはレブル用のもので代用している。また大型自動二輪企画のラインナップもある中で、250ccの軽二輪ということにも親しみが持てた。聞けば、自動二輪で四国を走るのは初めてとのこと。自動車とは景色が違うように感じられる、とのこと。2泊3日の最終日で、この後淡路島経由で帰るそうだ。ということは、国道439号線の見ノ越峠越えか。
 10分後、工事区間から工事車両が退避してきてそのあとで一般車両がやってきた。そして通行可能となる。片側交互通行らしい。後方からちょうどいいタイミングで自動二輪とクルマが数台やってきた。この時間通行止めのことを知っていたのかもしれない。地元車かどうかナンバーを確認するのを忘れていた。エンジンのついた車両をやり過ごし、最後尾で走り出す。工事区間をあっという間に通過。工事が休みの土日祝日なら終日通行可能なのだが、平日にはこういう心配がある。
 集落を見なくなり、深いV字の渓谷のはるか下に祖谷川の川面を見下ろすようになった。いよいよ本格的に祖谷溪だ。「祖谷渓展望台〇〇km」という案内板が見られるようになり、当面の目標が定まった。
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 到着した展望台の駐車場には先ほど追い越された1台のセダンが止まっていて、運転手が車内にいるようだ。数段の階段を登って展望台へ。駐車場から見えなかった渓谷が一望できる。誰もいないので景色を独り占めだ。ただし、それは途中の道路から木々の合間に見えた渓谷の景色とそう変わるものではない。階段数段など、渓谷のスケールから見れば些細なものだということだ。展望台には、東屋があり、その日陰のベンチに腰掛け行動食を摂る。
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 駐車場に降りて再スタート。セダンは先ほど走り去っていった。次の目標は、小便小僧だ。山襞をなぞるように屈曲する道を行く。はるか前方、渓谷を形成する山肌の中腹、今いる道の延長に建造物が見える。祖谷渓温泉だ。ここの売りは、祖谷川の河原に露天風呂まで上り下りするための専用のケーブルカー。初めて京柱コースを走った1991年3月にはこの露天風呂に入浴した。春先にぬるめの湯は、ちょっと寒かった。一緒に入った私と同い年のホステラーは、のちに20代の若さでユースホステルを開業。ユースホステルはやめたが、宿としてはまだ続けている。
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 山襞をなぞって進むと小便小僧だ。ガードレールの外側、深い渓谷に向かって構えた像が立っている。水は出ていない。3台の自動二輪が止まり、3人の男性が記念撮影中。少し離れたところで彼らの撮影が終わるのを待っていたら、軽自動車が止まり、若い女性2人組が記念撮影を始め、ちょうど撮影が終わりかけた男性3人組は押しのけられるように退散。たくましいね。それに記念撮影を終えても小便小僧の側に佇んでだらだらおしゃべりをしている。
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 やっと女性がいなくなったところで、記念撮影。いやあ、約20年ぶりの再会だね。私と同じく、女性2人組が立ち退くのを待ちわびていた、自動二輪の男性3人組がドローンを飛ばした。空中から深い渓谷を見下ろすダイナミックな映像を見て、おおーっ、と歓声を上げている。
 小便小僧から少し進み、祖谷溪温泉の一軒宿を通過。そして旧西祖谷山村エリアに入る。これまでは旧池田町だった。ただし、声が聞こえそうなほど近いけど、深い渓谷に隔てられた対岸はだいぶ手前から旧西祖谷山村。だがそれも過去の話。今はすべて三好市である。
 引き続き深い渓谷の中腹を行くが、それまでの登り基調が下り基調へと変わる。そしてちらほら集落が現れるようになる。そして、比較的大きな集落が見えてきた。西祖谷山村の中心集落、一宇だ。道の駅もあるし、祖谷山トンネルを経由して大歩危峡にワープできる道への分岐点もある。前述の京柱コースは、この祖谷山トンネル、当時は祖谷渓有料道路、を経由してショートカットが許されていた。これにより距離は約20km短縮できるが、標高差200m余りのアップダウンが加わる。30年前私が初めて走った時には、7,8人で定福寺をスタートしたが、多くはこのショートカットコースを選び、90kmのフルコースを走ったのが、私とのちに宿を開業するホステラーの2人だけだった。ちなみに、私以外はみなレンタサイクルだった。また、私は基本的に90kmのフルコースを走っているが、1度だけ祖谷渓有料道路を通ったことがある。ただその時も、小便小僧に挨拶してから一宇に引き返したので、距離は10kmしか短縮されず、アップダウンが加わって、むしろハードなものとなった。
 集落の中にこの路線の時間通行止めの案内板があった。平日に必ず毎日工事が行われるわけではないようで、いくつかは規制解除だそうだ。しかし、これから向かう道筋に2.3か所、本日通行止め実施中というものもある。ただ、11時過ぎから13時ごろまでは、工事の昼休み。現在正午前。あと1時間余りでできるだけ工事区間をクリアしてしまいたい。すぐにスタート。
 その先も集落がちらほら現れる。集落な中を行くこともあれば、はるか頭上の斜面に張り付く集落もある。そして、いよいよ祖谷渓最大の観光スポット、かずら橋が近づいてきた。集落の手前から、かずら橋方面への新しく広い道が分岐している。20年前にはなかった道だ。狭い集落の中へ観光客のクルマが入り込まないようにするものだろう対岸からかずら橋に到達するようだ。自転車の私はそのまま集落の中を行く。無機質な新しい道路より、集落の中の方が風情がある。
 集落を行くと、見覚えのあるかずら橋入り口の分岐がある。祖谷渓温泉や小便小僧のあたりのような100mの標高差はないものの、谷底まで40mを下る。先を急ぐため、素通りすることも考えたが、やはりここでそれは許されない。
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 かずら橋とは、その名の通りかずらのつるで組まれた吊り橋だが、これは観光施設、安全のためちゃんと金属のワイヤーで補強されている。そして有料。初めて京柱コースを通った時には、7.8人でわいわいがやがやと渡った。怖がりの人がいたので、楽しかった。今日は、並行するコンクリートの端から眺める。橋を渡る人のほか、周辺で水遊びをする人々でにぎわっている。本来なら絶好の休憩スポットだが、今日は先を急がねばならない。
 さあ、登り返して再スタート。旧西祖谷山村から旧東祖谷山村へ。狭い谷に狭い道。点在する小さな集落。祖谷の雰囲気を20年ぶりに満喫する。

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