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2021/08/15

台風の温帯低気圧化そして前線停滞

 まずは、このたびの豪雨で被災された方々にお見舞い申し上げます。

 盆を直撃した豪雨により、西日本から東日本各地に川の氾濫、土砂崩れ、家屋の浸水など大きな被害が出た。梅雨末期のような状態の前線停滞で、特に2018年7月に西日本を中心に災害をもたらした豪雨の時に似ている、とのことだった。豪雨当日までの数日間の天気図を比べてみた。

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 確かに共通点があった。台風が九州に上陸して、西日本から東日本へと日本列島を縦断していく途中で温帯低気圧に変わり、その軌跡に前線が停滞する、というパターン。

 まず、台風は南海上から湿った暖かい空気を運んでくる。日本列島は大雨の材料である水蒸気が漂った状態となる。

 次に、台風が温帯低気圧に変わったこと。このことを伝える気象キャスターは「勢力が弱まるわけではありません」と説明していた。勢力が弱まるのではなく、低気圧の種類が変わったのである。

 そもそも台風は、熱帯低気圧。中心付近の風速が基準値を超えるものを台風(南太平洋で発生するもの)と呼び、それ以外を単に熱帯低気圧と呼ぶ。以前は、台風以外の熱帯低気圧のことを「弱い熱帯低気圧」と呼んでいたが、誤解を招くので「弱い」という表現を外した。熱帯低気圧のうちで勢力が強いものを台風と呼ぶわけで、台風が熱帯低気圧に変わったら勢力が衰えたということになる。

 では、台風を含む熱帯低気圧と温帯低気圧との違いについて。台風など熱帯低気圧は、暖気の中に存在する。暖かい海水面から発生する水蒸気がエネルギー源である。それに対し、温帯低気圧は、暖気と寒気の境目に発生する。温度の異なる気団が混ざり合う力がエネルギー源である。

 台風は上陸したり、太平洋ほど水温が高くない日本海に出たりすると、エネルギー源の水蒸気の供給が落ちるため勢力を落とす。ところが、温帯低気圧に変わることで、勢力を維持、あるいはさらに強めることになった。

 台風が温帯低気圧に変わるということは、日本付近まで寒気が南下してきているということである。暖気と寒気の境目には前線が発生しやすい。熱帯低気圧が発生し台風に発達、そして日本に上陸するほどに、日本のすぐ南の海上は温まっているにもかかわらず、日本付近まで寒気が南下した状態。つまり、暖気と寒気が強くせめぎあっている。そこへ大量の水蒸気が供給された。

 さて、少し時を戻そう。8月3日に京都府北部に大雨洪水警報が出るほどの雨が降った。この時、明石海峡から丹後半島へ、南北に、それも東経135度、日本標準時子午線に沿った線状降水帯ができていた。日本の南海上には4つの温帯低気圧が並び、特に潮岬の少し南の温帯低気圧が暖かく湿った南風を送り込んでいる状況。一般的に日本海側は南風では雨があまり降らないのだが、線状降水帯ができると南風でも大雨が降るということを認識した。

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 日本の南海上に並んでい熱帯低気圧は、台風へと発達し、いくつかが日本に上陸するわけだ。大量の水蒸気が運び込まれ、前線が発生、活発化。上陸前にも通り過ぎた後にも、半月、あるいはそれを越える期間にわたり大きく影響を与えることとなった。

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四国徳島吉野川水系を巡る旅4

 帰宅してから、改めて「徳島県県土防災情報管理システム」のWebサイトで、時間通行止めの個所を確認した。8月13日の時点で、祖谷口からかずら橋、落合峠、棧敷峠を経て三加茂までに、9ヶ所の時間通行止め規制個所が挙がっていた。当日、現地でスマートフォンにより調べた時には落合集落から8番目の通行止め個所の間にもう一つ時間通行止めが示されていたような気がする。図の「?」で示したあたりである。ついつい10日余りも日が経って情報が更新されたのか、それとも私の勘違いか。現地で工事の痕跡すら見つけられなかったので、勘違いという可能性が高いようにも思われる。ただし、その次の地図の8番の規制箇所でも工事の痕跡すらなかった。しいて言えば、土砂崩れを回収した法面だが、それは完全に工事が終わっていた。
 結果的に、実際に通行止めによる停滞は星型で示した4番目の規制箇所のみで、しかも待ち時間は約10分。さらには、居合わせた自動2輪の方とお話をして過ごせた。
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費用
 道路通行料  3200円 (明石海峡大橋および大鳴門橋、往復)
 ガソリン代 約4100円 (走行距離、平均燃費、1Lあたりのガソリン代により算出した値)
 宿泊料    1700円 (本来は2800円だが、宿泊予約サイトのポイント利用による支払額)
 食費    約5100円
 土産    約1100円
  計    約16200円

 財布に現金12000円しかない中での旅立ちだったが、途中で足りなくなることはなかった。橋の通行料はETC、つまりクレジットカード払い。ガソリンは帰宅できる分しか道中で給油しなかったため。

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2021/08/14

四国徳島吉野川水系を巡る旅3

 新居屋集落で国道439号線、通称ヨサクに突き当たる。右は京柱峠を経て高知県へ。左は剣山。私は左へ。この先は京柱コースとの重複区間ではなくなるので、1991年8月のヨサク全線走破以来、30年ぶり2度目の道だ。
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 渓谷沿いを行きいくつかの集落を越え、京上へ。かつての東祖谷山村の中心とは思えないほど小ぢんまりした集落。道は相変わらず狭く、平坦な場所がほとんどない。国道439号線は、祖谷川を挟んだ対岸にバイパスができている。
 「徳島県立池田高等学校祖谷分校」の看板があった。谷へと階段を少し下った斜面に小さな校舎が見える。大きめの民家といってもいいくらいだ。人気がなくひっそりとしている。もう閉校なのだろうか。その割に、図書館とみられる部屋の窓には百科事典らしきシリーズの大型本が並べられているのが見える。帰宅してから調べてみると、祖谷分校は2005年に閉校となっていた。
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 集落を抜けると対岸を走っていた国道439号線バイパスが合流してきた。谷の向こう側の斜面に大きな校舎が見えた。東祖谷小学校だ。斜面に建っているのでいくつかの校舎が階段状に並んでいる。そして、それらは木造建築だ。さすが林業の村、と言いたいが完全な斜陽産業である。その校舎の背景の山の斜面に集落が見える。あれが落合集落か。
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 祖谷川に沿って国道439号線を遡り、小さな集落に差し掛かったところで、いよいよ落合峠への分岐が現れた。標高は約550m。落合峠まで1000m近くある。スイッチバックするように国道から分岐した細い道は、急激に高度を上げていく。やがて祖谷川の支流、鎖谷川を遡っていく。これから目指す落合峠へは、少し上流で祖谷川に合流する落合谷川を詰めるはずなのに。
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 やがてまたスイッチバックするように鋭角にカーブして斜面をトラバースする道は、鎖谷と落合谷に挟まれた尾根の末端の斜面に張り付いた落合集落を目指す。
 民家や駐車されたクルマ、そして道端に何か白い四足歩行の動物がたたずんでいる。犬か。いやヤギだ。首輪が見える。放し飼いにされているようだ。
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 山の斜面には山水が引かれた水くみ場。水の豊かな四国の山中によくある風景だ。
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 そしていよいよ落合集落に出た。標高差350m以上ある斜面集落の中段辺りをトラバースしていく。石段を組んで階段状の平地を作り、そこに畑や民家が並んでいる。また、祖谷川の谷を挟んだ向かいがの斜面にも集落が見える。さらに南側、祖谷川の谷の突き当りの山の左肩の鞍部は、京柱峠だと思われる。
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 私は、最初の分岐点から斜面に取り付いて道なりに来たわけだが、落合集落の中を登ってくるコース取りもよかったかもしれない。
 落合集落を過ぎて人気のない山中をしばらく進んだところで、小休止。行動食を摂る。時刻は、13:50。ずっと気になっているのは、時間通行止めの工事区間のこと。国道439号線の工事区間は、13時までの昼休みの間に通り抜けることができた。小便小僧の記念撮影の待ち時間にスマートフォンで「徳島県県土防災情報管理システム」のWebサイトにアクセスして調べてみたところ、落合集落から落合峠を経て三加茂に下るまでの間にも3か所もの時間通行止め区間があることが分かった。そのひとつ目、落合集落上部の工事区間を14時前の通行可能時間に通り抜けたいと思っていたのだが、どうやら間に合わないようだ。次の通行可能時間は50分後なので、ここで休憩を取っておくことにした。気温も降水確率も低い午前中に勝負、などと言っていたけれど、まったくそれを果たせなかった。
木々に覆われた山肌につけられた道は、木陰となって涼しい。標高790m。峠まであと700m余り。
 しかし、本当にこの先で工事をしているのだろうか。まったくその気配を感じない。落合集落では、観光客のものらしい軽自動車と、巡回中の軽自動車のパトカーに出会ったが、集落を過ぎたら全く人気がない。まあ、突然工事区間が現れる、ということも十分にあり得る話なのだが。
 再スタートを切る。相変わらず工事の気配はない。落合谷川の対岸からやってきた県道44号線に合流し、さらに登る。道の勾配が増し、蛇行が深くなる。GPSレシーバに表示されるトラックはなかなか伸びないが、その分標高の値は順調に増していく。木陰で涼しいのはいいが、アブがまとわりついて不快。顔の前をぶんぶん飛び回るほか、脚に止まって血を吸う。痛みを感じで叩き潰すが、もう手遅れ。明日からかゆみに襲われるのだ。
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 さらに気になるのは、道路の山側の路肩に延びている黒い管。水が流れる音が聞こえる。沢筋に水をためるタンクが置かれ、そこからこの管が伸びている。山小屋へ水源から水をひく管としてみかけるものだ。やはり水をひいているのか。
 水はその管を流れているので、側溝は干上がっている。ただし、その側溝は、法面から崩れ落ちた土砂で埋まっている箇所が多数。もしかすると、側溝の管理がなかなかできないのでこのような処理が施されているのかもしれない。
 右岸をトラバースしながら谷を詰めていき、左岸に渡ってから、谷の源頭部を反時計回りに巻いて峠に向かう。その左岸から右岸へ渡る手間で、正面に人工的な斜面が見えてきた。土砂崩れした斜面が固められ、滝のような勾配のコンクリートの水路が引かれている。高低差50mはあるんじゃなかろうか。その斜面を右往左往しながら道が昇っている。さあ、その斜面との格闘開始だ。
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 道路が九十九折れになったところでは集中して木々が伐採されるため土砂崩れが発生しやすい。麓から眺めた斜面の中腹やや下あたりをいったんトラバースして通り過ぎ、斜面の横顔を見てから、斜面の上部に出た。斜面越しに、先ほどいた道を真下に見下ろす。確かに高低差は50m以上あった。標高1200mをほどになり、峠まで約300m。
 落合集落のすぐ上の工事区間はおろか、その次の工事区間も通り過ぎたはずだが、相変わらず工事の気配はない。工事がされていないだけでなく、現場さえ見当たらないのだ。工事現場を通りたいわけではなく、むしろありがたいことなのだが。
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 右岸から左岸に渡ると、落合峠と思われる方向に、なだらかな稜線が見える。木々が生えていなくて、笹だろうか緑が敷き詰められている。しかし、高いなあ。あそこまで登らないといけないのかなあ。まあ、残りの標高差からするとそんな感じのような気もする。その土その稜線は見えなくなり、ただただ黙々とペダルを踏み続ける。
 周囲の稜線が低くなってきた。突如視界に道路以外の人工的なものが飛び込んできた。木で組まれた櫓のようなもの、石段、そして小さなたくさんの石仏と祠。その先の建物には、「落合峠避難小屋」という表札。とうとう来たぞ。
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 その先少し進んだら駐車場への分岐。先ほど見上げた木の生えていないなだらかな稜線が、今すぐそこにある。笹ではなく、草原だ。そして落合峠、標高1520m。16:15、到着。どこが午前中勝負だ。
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 峠にはワゴン車が1台停まっていた。峠は、矢筈山への登山口。ここからすぐ下に駐車場があり、歩行者なら短い階段ですぐに峠へ登れるのだが、峠に路上駐車する人がいる、とのことだった。ワゴン車の側面には、野外活動を推進する団体を思わせる名称が記されているが、あまりマナーや意識は高くないようだ。
 それはともかく絶景だ。いつしか空は雲に覆われ日差しは弱まったが、周囲の山々ははっきり見える。吹く風も心地いい。はるか南には、大きく三嶺がぼんやり見える。本当にぼんやりであるが。三嶺は剣山と尾根続きの1893mの山だ。この落合峠は、1849mの矢筈山から西に延びる稜線の鞍部にある。
 峠名が記された標柱と三嶺と自転車を入れ、ワゴン車が入らないように記念撮影。あとは標高差1500mの下りだ。と、走り出そうしたら、何やら法面の上の方でガサゴソ音がする。小石や砂が落ちるバラバラという音も。登山者ではない。どうやら、シカかカモシカのようで、立ち去る後ろ脚がかすかに見えた。
 さて下り。斜面をトラバースした後谷筋へ。深渕川の沢を見ながら下る。道は下り一辺倒ではなく、ほんの小さな登り返したがたまに現れる。
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 標高900mを切ったあたりで、建物がちらほら見える。深渕の集落だが人気はなく実際に人が澄んでいるのか廃村なのかはわからない。その先、左手に緑色の水をたたえた湖が見えた。そして道は緩く登り始める。道路わきの沢が前方からこちらに流れてくるので、棧敷峠への登りが始まったようだ。南の落合峠からの深淵川と北の棧敷峠からの沢が正面衝突で合流し、松尾川となって西に流れ下る。その松尾川をせき止める松尾川ダムによるダム湖が、先ほどの緑の湖面の湖だ。松尾川は、祖谷の山々を分けて流れ、祖谷口の少し上流で祖谷川へと注ぐ。不思議なのは、流れはそうしてつながっているのに、今いる道は、少なくとも地図を見る限り、松尾川ダムへとつながっていない。もちろん、松尾川を遡ってダムに至る道は存在しているのだが、ダム湖上流部のこちらの道へとつながっていないようなのだ。つまり、深淵集落へは、棧敷峠か落合峠のいずれかを越えないとたどり着けない。
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 初めは緩やかだった登りも、数軒の民家を過ぎて峠の手前でヘアピンカーブの急坂となった。標高差100m余りの登り返しがあることはわかっていたものの、やはり標高差1500の峠を越えた後の脚には答える。それに、2.5L用意していた飲料水を飲み干してしまった。落合峠の手前で、左脚のふくらはぎと右脚の太ももが軽く攣っている。休憩を繰り返してだましだまし来ているのだが、脱水症状が進むとペダルが踏めないくらいの状態になってしまう。あまり頑張らず、じわじわと行く。
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 再び標高1000mを越え、棧敷峠へ。三好市から東みよし町への市町境だ。峠の切通しを越えたところが突き当りで、左右に道が伸びている。三加茂に下るには、左。少し進んだところで、木々の合間から展望が広がる。はるかに吉野川とその手前の三加茂の市街地らしき平野部が見下ろせる。遠いなあ。まあ、まだ1000mの標高差を下るんだからね。
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 でも、そのあとは下り一辺倒。どんどん標高を下げていく。それと逆の相関関係で、気温と湿度が上がっていくことを肌で感じる。
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 標高600m辺りからしっかりと生活感のある集落が現れる。そしてまた放し飼いのヤギがいた。子ヤギが2頭、親かどうかわからないけど体の大きなヤギが1頭。そして、最後の時間通行止め区間を通過。もう17時を過ぎ、この日の工事は終わり翌朝まで通行可能となっているはずなので安心していたが、今日は工事が行われていないとのことだった。1週間分の工事のスケジュールも示されている。この先1週間は、明後日からの3日間のみ工事が行われるとのこと。
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 集落の間隔が狭まり、仕事帰りと思われるクルマとすれ違うようになった。そして、吉野川沿いの平野部へ。あくびが出た。そして急に蝉の声やタイヤが転がる音が大きくなった。気圧差は耳で感じる。
 そして暑い、ものすごく蒸し暑い。なんだこの湿度は。と思っていたら、ぽつぽつと雨が降ってきた。国道192号線を越えて、集落の中の細い道を抜ける。雨は徐々に大粒になる。もうゴールは目と鼻の先。いいぞ、降れ降れ。そして気温を下げてくれ。吉野川土手を駆け上がり、の河川敷「ぶぶるパークみかも」へ降りる。なんとまだグラウンドゴルフ場には高齢者がたくさんいるではないか。さすがに撤収中と見えるが、朝から夕方まで大盛況ではないか。まあ、同じ人たちがずっといたかどうかはわからないけど。
 18:00、ゴール。距離は104kmとなった。スタート・ゴールがコースの最低点で標高70m。最高点の落合峠が1520m。ちょうど10時間で走り切った。
 自転車をクルマに撤収。雨はあまり強くならなかったが、夕暮れと相まって少し涼しくなってきたようだ。クルマの中に少し飲み物を積んでいたが、気温40度の温室と化した車内で、ふろの湯のような温度になっている。国道に出てすぐのドラッグストアで久米たい飲み物を購入して、飲みながら帰路に就く。夕方の帰宅時間帯。列をなすクルマの中に混じって流れがいい国道192号線を東へ。徳島市に入る前に吉野川を左岸に渡らねばならない。結局徳島市直前の石井町で吉野川を渡る。橋を渡った上板町で、イオンを中心とするショッピングエリアに立ち寄る。その敷地内のうどん店で夕食だ。
 「とば作」という屋号のうどん店は、チェーン店らしいが、「はなまるうどん」や「丸亀製麺」のように本州でもよく見るものではないので、まあ四国に来て食べるだけの値打ちがあるとしておこう。でも、「元祖セルフうどん」とかかれているのがよくわからない。そんなに伝統のある店なの。
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 セルフサービス、つまり自分で麺の湯通しするのはかけうどん等で、私が注文したぶっかけうどんは店員がすべてやってくれる。昨日は、昼も夜もラーメンを食べたので、冷たくてあっさりしたうどんが胃にやさしい。帰宅後に調べてみた。とば作は徳島県のご当地チェーン店で、徳島のうどん店でセルフサービスを始めた元祖、ということだった。たしかに、讃岐うどんとは記されていなかった。
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 県道12号線で鳴門市が胃へ戻り、昨夜も買い物をした鳴門駅裏の商業施設でお土産を買って、大鳴門橋を渡る。もちろん、有料道路は橋だけの最低区間。淡路島は成り行きで西海岸を北上することになった。2月の淡路島一周の復習の続きができた。夜が更けてクルマが少ない。明石海峡大橋を渡ったら、北西に向かい、三木で国道175号線へ。三日月を見ながら、北上。帰宅は深夜になった。

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2021/08/13

四国徳島吉野川水系を巡る旅2

 4時半に目覚めた。5時にアラームをセットしていたが、音が鳴る前に目覚めた。静かに出発の支度を整えて部屋を出る。昨夜かった弁当を、エレベータホールに設置された電子レンジで温めて、部屋の鍵はフロントの投票箱のような返却ボックスに入れてクルマに乗り込む。まだ夜明け前。街はちょうど明るくなってきたところ。そして、まだ涼しい。
 まだ、寝静まった街を抜け、西へ。鳴門の市街地は小さく、すぐに郊外へ。県道12号線で吉野川の左岸をさかのぼる。朝日が昇り、バックミラーがまぶしく輝く。そして、通勤のクルマや長距離輸送のトラックなどと隊列を組んで走るようになる。この道は、1990年代に高知県大豊町の定福寺ユースホステルに通った道だ。四国八十八ヶ所の一番札所、霊山寺の門前を通過。人気のない駐車場にクルマを止めて山門を記念撮影する。何度も通っているが、脚を止めたのは初めてのこと。その後、二番札所の極楽寺、三番四番の案内板を見て進む。結構短い間隔で密集している。
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 どこかで吉野川を渡り、右岸の国道192号線に移動したい。でもせっかくなので、脇町までは左岸を行くことにする。脇町では、「道の駅 藍ランドうだつ」にクルマを止め、歩いてうだつの町並みへ。まだ早朝のため人が少なくていい。
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 クルマに戻り、朝温めた弁当を食べて再スタート。もう一息だ。
 吉野川を渡る。国道192号線は通勤のクルマが多いが、流れは良い。貞光を過ぎて三加茂で国道から河川敷へ。「ぶぶるパークみかも」、つまり町営のグラウンドなどの公園として整備されている。7時前だというのに、すでにグラウンドゴルフの高齢者が集まっている。
 私はグラウンドゴルフ場から離れたところにクルマを止めて、自転車を準備。今日は折畳小径車ではなく、パスハンター使用のランドナー。今日は本気の走りなのだ。
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 8:00、スタート。国道を避け、集落の中の狭い道を西に行く。しかし、その道は国道に吸収されてしまう。ここから西は山と川が迫った狭間に、国道192号線とJR徳島本線に占有されてしまう。こういうところは、対岸に平野が広がり、幹線以外の交通量が少ない道を選ぶことができる。川の蛇行が原因だ。吉野川は、大きく見れば阿波池田から徳島までは西から東へ直線的に流れているが、細かく見れば波線を描いている。流れの速いカーブの外側では浸食のため際まで川が迫り、逆に内側には土砂がたまり平野が形成される。しかし、川幅の大きい吉野川を渡るのが面倒でそのまま国道を進む。朝の通勤時間帯なので、クルマはほとんど途切れない。そして、国道を走らねばならない区間が長い。対岸に渡った方がよかった、と思うがもう橋を通り過ぎてしまった。クルマのストレスを感じながら走る。早く、山間部へ入り込みたい。
 旧三加茂町から旧井川町へ。現在でいうと東みよし町から三好市へ。今日はこの1市1町の中を巡るわけだが、三好市は四国4県最大の麺戦機を誇る自治体だそうだ。
 青空からさんさんと日差しが降り注ぐ。今日も暑くなりそうだ。いやもうすでに暑い。その代わり、雨の心配はなさそうだ。週間予報が発表された時点では、今日は朝から雨予報だった。それが午後に弱い雨が降る予報に変わり、前日くらいには夕方以降に弱い雨が降るかもしれないという程度に変わった。まあ、気温も降水確率も低い午前中が勝負のつもりだ。
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 井川の中心街に入りようやく国道から解放される。対岸からこちらの岸へと移ってきた徳島自動車道に並走する細い道へ。ただし、新参者である高速道路に与えられるのは山際の斜面であり、それに沿った道は当然アップダウンが続く。まあ、クルマのプレッシャーを受けて走るよりはいい。それに、集落より高い位置を走るので、吉野川を見下ろす景色がいい。
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 川沿いの平野が広くなり、家並みが広がってきた。旧池田町。三好市の中心街だ。そのまま市街地の裏山の山すそを通り抜けるつもりだったが、なんとなく街中へと降り立ってしまった。公園に差し掛かりトイレ休憩。その公園はJR阿波池田駅に隣接していた。駅舎の前に自転車を置いて記念撮影。輪行した自転車を組み立てたり、逆に輪行袋に収めたりする作業スペースが設けられていた。工具も貸してもらえるようだ。ただし、駅舎の出入り口からずいぶん端の方へと案内される。要するに、ほかの客の邪魔をしないでね、ということらしい。
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 そのあとも吉野川を遡るわけだが、国道走行をできるだけ避けるため、市街地の裏山を越える。しばし迷走してからちょっとした山越えとなる。苦労のかいあって国道に合流したのは、池田大橋の東詰めのすぐ手前。100mも走らなうちに、国道は池田大橋で対岸に行ってしまった。こちらは橋を渡らす、右岸の集落の中の道を行く。吉野川はほぼ直角に流れを変え、上流は南北方向となる。
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 右岸の道は県道269号線で、しばらくはセンターラインの引かれた道。そのうち道が細くなり、クルマのすれ違いに気を遣う道となる。まあクルマはほとんど通らないが。保育園らしき建物があるが、すでに閉園しているようだ。園庭の周囲に立ち入り禁止のロープが張られているのは、遊具の安全管理ができないからだろうか。すぐ先の小学校は新しくて立派な鉄筋コンクリートの校舎。三縄小学校だ。帰宅してから調べると、手前は三縄幼稚園の旧園舎で、現在は小学校の1室を幼稚園としているとのことだった。
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 その先に三差路があり、県道は吉野川沿いを離れ山間部へ。黒沢湿原(くろぞうしつげん)の案内板がある。ちょうどサギ草の時期だそうだが、そう気軽に立ち寄れるところではない。
 そのまま川沿いの道を行く。さらに細くなり、木々に覆われた道は涼しくて快適。木々の合間から見える吉野川は、池田の市街地までとは一転、岩場の中を流れる。そう上流は大歩危・小歩危なのだ。対岸の国道32号線は、大型車を含めてクルマがひっきりなしに行き交っている。それに比べてこちら側は平和そのもの。
 木々の中を行く道から、道は狭いもの道沿いに民家が建ち並ぶようになった。祖谷口が近いようだ。道は細く、両側に並ぶ建物のほとんどは、年季の入った木造建築。これから訪れる祖谷の集落を思い起こさせる。
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 祖谷口は、支流の祖谷川が吉野川に合流する所。対岸の国道32号線から分かれ、祖谷口橋を経てきた県道32号線に合流し、祖谷川を遡る。いよいよ深い深い祖谷の山並みへと分け入っていく。ここは既走の道。ただしこちら向きに走るの初めて。1990年代、高知県大豊町の定福寺ユースホステルから京柱峠を越えて徳島県の祖谷に降り立ち、この祖谷川沿いに祖谷口へと下り、小歩危、大歩危を経て定福寺へと戻るコースを4,5回走った。定福寺公認の京柱コースだ。約90km、標高差はおよそ1000mに達するなかなか厳しいコースを、私はいつも自分のランドナーで走ったが、ユースホステルの5段か6段変速のレンタサイクルで走るホステラーがたくさんいた。まあ当時のホステラーは二十歳前後の大学生が中心だった。ところが、90年代後半、京柱峠からの下りで転倒して前歯を折る事故が発生し、ユースホステルのレンタサイクルが廃止された。これにより、定福寺ユースホステルの名物コースは事実上サイクリストだけのものとなった。ただし、その前から厳しいコースにチャレンジする若者が減る傾向だったという。その後、定福寺の都合によるユースホステルの休館が続き、2002年、ユースホステルは閉館となった。夏の閉所記念パーティに参加し、その翌日に走っていら京柱コースを走っていない。2004年には、豊永から京柱峠までピストンしているのみ。そんな京柱コースを久しぶりに走ることも考えたが、新たなコースを走ることにした。約100km、標高差約1500mと京柱コースをしのぐ厳しいコースになってしまったというわけだ。
 祖谷口周辺の集落はすぐに終わり、道路の案内板には「祖谷のかずら橋」とか「剣山」という文字が表示されている。ただし、センターラインがひかれ、クルマが容易にすれ違える道幅は、四国の山中らしからぬ風景。私が頻繁に通っていたころから20年の歳月が過ぎる間に、随所で拡幅工事が行われたようだ。さらに先には、祖谷川の屈曲による深いカーブをショートカットするトンネルの掘削工事が行われていた。
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 道はじわじわと登っている。過去に走ったときは常に下り方向。京柱峠越えの大仕事を終えて、かずら橋で休憩した後の消化試合のような区間だった。今日はと言えば、この後の大仕事の前に、ジャブを撃ち込まれるように体に脚に緩やかにダメージを与えてくる。
 道は細くなった。木々に囲まれているので日差しがさえぎられて涼しい。だだ、時折、気になるものを目にする。時間通行止めを示す看板だ。山間部の1本道のため迂回路がなく、仮設道路を作る地形の余裕もない。そんな場合は、1時間のうち45~50分を工事のための通行止め、15~10分を通行可能とし、それを繰り返すのだ。今まで見た案内板には、「解除中」のマグネットシールが貼られていたが、そのうち捕まるのではないかと不安になる。
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 傍らを流れる祖谷川は基本的に透明感のある美しい清流だが、ダムで流れが滞っているところではやや緑に濁っている。そして、忘れたころに小さな集落が現れる。こうした集落が点在しているから工事区間が終日通行止めにならずに済むのだ。
 小さな集落を抜けたところで、ヘルメットに作業服姿で赤い旗を持った人に停止を求められた。この先時工事のため10:20まで通行止め、だそうだ。ああ、時間通行止めにつかまってしまった。ただ、時計を見るとただいま10:10。10分のロスで済むとはラッキー。でもこの先何度もこういう場面が重なると、大変なロスとなってしまう。
Rebel

 すぐ先の広い場所では、2台の自動二輪が開通待ちをしていた。ライダーは、夫婦と思われる中年の男女二人連れだ。見た覚えがある。どこかで追い越されたのだ。京都ナンバーなので、「私も京都府から来ました。丹後です」と声をかけると「私たちは京都府の南の端からです」と返される。自動二輪は、2台ともHONDAのレブル。オートバイの車種に疎い私でも知っている車種だった。私の所有するCD250Uは30年以上前に廃止となった車種で、当然専用のパーツはとっくに製造中止となっている中、このレブルのパーツが利用できることがある。例えば、クラッチレバーやクラッチケーブルはレブル用のもので代用している。また大型自動二輪企画のラインナップもある中で、250ccの軽二輪ということにも親しみが持てた。聞けば、自動二輪で四国を走るのは初めてとのこと。自動車とは景色が違うように感じられる、とのこと。2泊3日の最終日で、この後淡路島経由で帰るそうだ。ということは、国道439号線の見ノ越峠越えか。
 10分後、工事区間から工事車両が退避してきてそのあとで一般車両がやってきた。そして通行可能となる。片側交互通行らしい。後方からちょうどいいタイミングで自動二輪とクルマが数台やってきた。この時間通行止めのことを知っていたのかもしれない。地元車かどうかナンバーを確認するのを忘れていた。エンジンのついた車両をやり過ごし、最後尾で走り出す。工事区間をあっという間に通過。工事が休みの土日祝日なら終日通行可能なのだが、平日にはこういう心配がある。
 集落を見なくなり、深いV字の渓谷のはるか下に祖谷川の川面を見下ろすようになった。いよいよ本格的に祖谷溪だ。「祖谷渓展望台〇〇km」という案内板が見られるようになり、当面の目標が定まった。
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 到着した展望台の駐車場には先ほど追い越された1台のセダンが止まっていて、運転手が車内にいるようだ。数段の階段を登って展望台へ。駐車場から見えなかった渓谷が一望できる。誰もいないので景色を独り占めだ。ただし、それは途中の道路から木々の合間に見えた渓谷の景色とそう変わるものではない。階段数段など、渓谷のスケールから見れば些細なものだということだ。展望台には、東屋があり、その日陰のベンチに腰掛け行動食を摂る。
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 駐車場に降りて再スタート。セダンは先ほど走り去っていった。次の目標は、小便小僧だ。山襞をなぞるように屈曲する道を行く。はるか前方、渓谷を形成する山肌の中腹、今いる道の延長に建造物が見える。祖谷渓温泉だ。ここの売りは、祖谷川の河原に露天風呂まで上り下りするための専用のケーブルカー。初めて京柱コースを走った1991年3月にはこの露天風呂に入浴した。春先にぬるめの湯は、ちょっと寒かった。一緒に入った私と同い年のホステラーは、のちに20代の若さでユースホステルを開業。ユースホステルはやめたが、宿としてはまだ続けている。
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 山襞をなぞって進むと小便小僧だ。ガードレールの外側、深い渓谷に向かって構えた像が立っている。水は出ていない。3台の自動二輪が止まり、3人の男性が記念撮影中。少し離れたところで彼らの撮影が終わるのを待っていたら、軽自動車が止まり、若い女性2人組が記念撮影を始め、ちょうど撮影が終わりかけた男性3人組は押しのけられるように退散。たくましいね。それに記念撮影を終えても小便小僧の側に佇んでだらだらおしゃべりをしている。
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 やっと女性がいなくなったところで、記念撮影。いやあ、約20年ぶりの再会だね。私と同じく、女性2人組が立ち退くのを待ちわびていた、自動二輪の男性3人組がドローンを飛ばした。空中から深い渓谷を見下ろすダイナミックな映像を見て、おおーっ、と歓声を上げている。
 小便小僧から少し進み、祖谷溪温泉の一軒宿を通過。そして旧西祖谷山村エリアに入る。これまでは旧池田町だった。ただし、声が聞こえそうなほど近いけど、深い渓谷に隔てられた対岸はだいぶ手前から旧西祖谷山村。だがそれも過去の話。今はすべて三好市である。
 引き続き深い渓谷の中腹を行くが、それまでの登り基調が下り基調へと変わる。そしてちらほら集落が現れるようになる。そして、比較的大きな集落が見えてきた。西祖谷山村の中心集落、一宇だ。道の駅もあるし、祖谷山トンネルを経由して大歩危峡にワープできる道への分岐点もある。前述の京柱コースは、この祖谷山トンネル、当時は祖谷渓有料道路、を経由してショートカットが許されていた。これにより距離は約20km短縮できるが、標高差200m余りのアップダウンが加わる。30年前私が初めて走った時には、7,8人で定福寺をスタートしたが、多くはこのショートカットコースを選び、90kmのフルコースを走ったのが、私とのちに宿を開業するホステラーの2人だけだった。ちなみに、私以外はみなレンタサイクルだった。また、私は基本的に90kmのフルコースを走っているが、1度だけ祖谷渓有料道路を通ったことがある。ただその時も、小便小僧に挨拶してから一宇に引き返したので、距離は10kmしか短縮されず、アップダウンが加わって、むしろハードなものとなった。
 集落の中にこの路線の時間通行止めの案内板があった。平日に必ず毎日工事が行われるわけではないようで、いくつかは規制解除だそうだ。しかし、これから向かう道筋に2.3か所、本日通行止め実施中というものもある。ただ、11時過ぎから13時ごろまでは、工事の昼休み。現在正午前。あと1時間余りでできるだけ工事区間をクリアしてしまいたい。すぐにスタート。
 その先も集落がちらほら現れる。集落な中を行くこともあれば、はるか頭上の斜面に張り付く集落もある。そして、いよいよ祖谷渓最大の観光スポット、かずら橋が近づいてきた。集落の手前から、かずら橋方面への新しく広い道が分岐している。20年前にはなかった道だ。狭い集落の中へ観光客のクルマが入り込まないようにするものだろう対岸からかずら橋に到達するようだ。自転車の私はそのまま集落の中を行く。無機質な新しい道路より、集落の中の方が風情がある。
 集落を行くと、見覚えのあるかずら橋入り口の分岐がある。祖谷渓温泉や小便小僧のあたりのような100mの標高差はないものの、谷底まで40mを下る。先を急ぐため、素通りすることも考えたが、やはりここでそれは許されない。
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 かずら橋とは、その名の通りかずらのつるで組まれた吊り橋だが、これは観光施設、安全のためちゃんと金属のワイヤーで補強されている。そして有料。初めて京柱コースを通った時には、7.8人でわいわいがやがやと渡った。怖がりの人がいたので、楽しかった。今日は、並行するコンクリートの端から眺める。橋を渡る人のほか、周辺で水遊びをする人々でにぎわっている。本来なら絶好の休憩スポットだが、今日は先を急がねばならない。
 さあ、登り返して再スタート。旧西祖谷山村から旧東祖谷山村へ。狭い谷に狭い道。点在する小さな集落。祖谷の雰囲気を20年ぶりに満喫する。

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2021/08/11

続PLATINUM LIGHT8のリアスプロケット交換

 リアホイールのハブを交換し、クイックリリース化した。それに伴い、ボスフリーからカセットスプロケットへの交換を行い、ローギアを28Tから34Tへとギア比を広げた。ところが、34Tのローギアにシフトするとチェーンとフレームが干渉してカラカラと音を立てる。34Tが必要なのは特別な坂道で、普段使いはもっと小さな歯数のスプロケットに使用。と、ここまでが前回のお話。
 しかし、ロー32Tのスプロケットに交換してもカラカラと音がする。さらに、もともとのローギアと同じ28Tでもカラカラ。干渉の原因は、ローギアが大きくなった縦方向の要因だけでなく、7Sから8Sへとギアの枚数を増やしたことによる横方向の要因もあるようだ。
 スプロケットを8Sから7Sに戻すことにした。7S、ロー34Tのスプロケットは、トップギアが13Tになってしまうデメリットがあった。でも、この解決法は簡単なことだった。シマノのスプロケットカセットは、トップギアの1枚だけ分離している。だから、ほかのスプロケットカセットに組み合わされている、11Tのトップギアを使えばいいのだ。もちろん、トップギアだけでなく、すべてのギアを分解して組みなおすこともできるのがスプロケットカセットだが、
 ただし問題は、ハブが8S用のもの。7Sのスプロケットカセットを装着すると、ギア1枚分の遊びができてスプロケットが固定できない。ロックリングが締まらない。この隙間を埋めるスペーサか何かないのか、と思ったら、あった。厚みが1㎜、1.5㎜、2㎜の3枚セットで1500円弱。なんかコストパフォーマンスがよくない製品という気もするが、ネットで注文。数日で届いた。
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   8S用のハブに7Sのスプロケットカセットを装着するには、2㎜のスペーサーが2枚必要とのことだが、割高商品を2つも買うつもりはない。3枚セットのうちの2㎜と1㎜のものに、どれかのスプロケットカセットについていた厚さ1㎜のスペーサーを組み合わせれば、4㎜のスペーサー完成だ。
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 ところがまたちょっとした壁にぶち当たる。11Tのトップギアがどうもきちっとフィットしない感じ。よく見ると、セカンドギア側のトップギアと合わさる面にまるで五徳のような3つの突起があるではないか。13Tのトップギアはそれを見越してピッチを決めるスペーサー部分が少し薄くなっている。他のスプロケットにはこのような加工をされていないのに、なぜ。
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 このままではピッチが合わないので、削るしかない。どっちを削ろうか考えた末、セカンドギアの突起を削るのではなく、トップギアを削ることにした。突起が当たる部分に切れ込みを入れるだけでいい。草刈り機の歯を研ぐグラインダーの出番だ。
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 ようやくスプロケットを装着し、ローギアとスポークの間にチェーンが落ちないように、リアディレイラーのアジャスタボルトを締めて、試乗。変速は問題なくできたが、やはりローギアにシフトするとカラカラと干渉音が聞こえる。でも、当たりは弱くなった感じ。まあもういいだろう。11-34Tのワイドレシオ達成だ。
 また、ロー側から2枚目のギアが29Tで、もともとのローギア28Tよりも大きい。だから大概の登り坂は、この29Tでクリアできる。34Tのローギアは伝家の宝刀として最後まで温存できる。
 シフトレバーも7Sのものに戻したいが、疲れたからまた今度にしよう。

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2021/08/10

四国徳島吉野川水系を巡る旅1

 夏の休暇を利用して少し遠出をしよう。といっても、1泊2日だ。目的地は四国。久しぶりに祖谷辺りを巡ってみたい。山が深く急峻な谷を行く道は狭く、日陰が多くて涼しいはず。思い浮かぶのは、高知県の大豊町の豊永を起点に、京柱峠を越えて祖谷渓、小歩危、大歩危を巡る約90kmのコース。かつて定福寺ユースホステルで「修行コース」認定されていたので、何度も走ったのだが、最後に走ったのは20年近く前、2002年だ。
 日曜の早朝の用事を済ませてから出発。月曜に休暇を取ってある。移動の自粛が呼びかけられているが、一人で自動車でアプローチし、田舎や山間部を自転車で走ることは問題ないだろう。いつもやっていることだ。注意すべきは、そこに付随する宿泊や外食。食事は短時間だし、感染リスクは低い。また、個人情報を残さないから、感染者が出たとしても追跡され濃厚接触者に認定されることもまずない。自分が感染さえしていなければいい。長時間を過ごし、名前や住所を記録される宿泊施設では、感染はもちろんだが、濃厚接触者に認定されることも避けられるように考えなければならない。やはり、ドミトリー形式でなく、個室に泊まるべきだろう。四国には無料のキャンプ場もあるが、この時期のテント泊は暑くて、眠れない。標高の高いところ、例えば、高知県の大豊町の梶ケ森キャンプ場は標高1000mを越え、真夏でもシュラフなしで泊まったら寒くて大変だった。シュラフがあれば大丈夫だが、そこまで行くのはちょっと遠い。

 日曜の朝に地域の清掃活動があり,それが終わってからの出発。清掃活動は6時開始で7時前には終わったが、暑い中でのそれなりの重労働。少し休憩を取って、9時半過ぎの出発。しかし、スタートしてしばらくしてから忘れ物を取りに戻って30分のロス。財布を忘れたのだ。取りに戻ったが、現金は1万2千円しかないのを思い出す。まあクレジットカードもあるし、1泊2日だからそんなに費用は掛からない。これで足りるような気がする。もし足りなければ、明日郵便局でおろせばいい。
 高速道路や有料道路を極力利用しない。、三田でラーメンを食べて、六甲を越え明石海峡大橋を目指す。ラーメンの直前、対向するスクーターのライダーがなぜか合羽を着ていると思ったら、その後雨がパラパラ。雨はすぐに止んだが、その先しばらくは路面がぬれた状態だった。カーナビ代わりのGPSレシーバーを見ながら進むが、どうも右往左往して、なかなか明石海峡大橋最寄りの垂水I.C.が近づいてこない。帰り道はルートを変えよう。クルマも多いし。
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 どうにか明石海峡大橋を渡り、淡路島に上陸。最初の出口、淡路I.C.で一般道へ。淡路島東岸を南下。半年前の淡路島一周で自転車で見た景色の復習だ。洲本市街から内陸に入り、次は大鳴門橋を目指す。ここも、淡路島南I.C.から鳴門北I.C.までの最低区間のみ。本州と四国を結ぶ橋の通行量は高いイメージがあったが、ETC利用でずいぶん安い。明石海峡大橋は910円、大鳴門橋は690円だ。移動の自粛が要請されている現在、休日特別割引は適用外だが、本州と四国を結ぶ路線は、休日深夜を問わず、ETC利用で割引されるらしい。つまり、自粛期間でも。なんと通常料金の半額未満だ。
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 降り立った大鳴門橋のたもとは、四国本土にあらず。大毛島という離島。まだ16時過ぎなので、この後の行動計画を練るため、作戦タイム。クルマを止められる場所として、鳴門市街と反対の鳴門海峡を見下ろす鳴門公園を目指す。がその手前の千鳥ヶ浜の駐車場にクルマを止める。少し日が陰ってきたことだし、自転車でひとっ走りしたい。だから、市街地に入る前に、と思ってきてみたが、海水浴客のクルマの出入りが多い。海水浴場としてこの夏海開きしていないとのことだが、自己責任で訪れている人々でいっぱい。あまりここを走りたいとは思えない。
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 地図を見て、鳴門徳島自転車道なるものを発見。これはおあつらえ向き。宿泊地から近いので、宿の駐車場にクルマを止めよう。クルマで小鳴門橋を渡り鳴門市中心街へ。宿泊予約をしたビジネスホテルは、鳴門駅のすぐ近く。駐車場にクルマを止めてチェックイン。大部屋を仕切った「半個室」という、聞きなれない表現の部屋だったが、とりあえず鍵のかかる個室だった。ただし、個室の仕切りの壁と天井の間には隙間があり、隣の部屋の物音は丸聞こえ。まあこれなら、防音がもともとないことを前提として割り切ることができる。バス。トイレ、洗面所もないことも同様。そういう部屋でよければどうぞ、というわけだ。大部屋というのがよくわからないが、宴会場か、イベントスペースか。廊下に面した両開きのドアを開けると、中に通路が伸びていて、両側の壁に3つずつ個室の扉がならんでいる。エアコンはその大部屋全体のもので、天井と仕切りの壁の隙間から各個室に冷気が入る。強めの冷房がかかっていて、もちろん各部屋で調整などできず、衣類で調整してちょうだい、ということのようだ。長袖を持ってきていたよかった。これで、ドミトリー形式のゲストハウスや、カプセルホテル並みの1泊素泊まり2800円。しかも、宿泊予約サイトのポイントがたまっていたので、1700円しか支払わなくてよかった。天井と壁の隙間は身長よりも高い位置のため、隣人の発するもの音は聞こえても、飛沫はやってこない。
 そういえば、昨年夏に泊まった京都市内のホテルは、完全に個室ではあったが、洗面台はあるもののシャワーやトイレはなく、しかも部屋の面積の半分くらいをベッドが占めるというものだった。その代わり公共スペースが充実していて、1階のエントランスホールと一続きの空間には、自炊用のキッチンもあり調理道具を借りることができた。また、手回し式のコーヒーミルで好きな豆を自分で挽いて自由にドリップコーヒーを飲むことができた。小さなテーブル席もたくさんあって、当然WiFiも完備。自分で入れたコーヒーを飲みながらパソコン作業をする人の姿も盛られた。これで一泊2000円台。京都駅から徒歩圏内で、本来はなかなか予約が取れないが、旅行等の自粛が求められている時期のため、近くにある同じ系列のバス・トイレ付個室のホテルと比べ空室が多いとのこと。本来なら外国人観光客が自炊をしたりコーヒーを飲みながら過ごしていそうな公共スペースである。こうした、ドミトリー形式のゲストハウスと個室のホテルのあいのこのような設備で、ドミトリー並みの料金の宿があちこちにできているようだ。
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 少し部屋で休憩。実はまだ日が高いので、もう少し涼しくなってから走る方が快適だろう。インターネットに接続し、周辺の様子を調べると、「いのたに鳴門店」なんて店が近くにあるではないか。「いのたに」といえば、徳島ラーメンを代表する店。かつて、徳島市内の本店を訪れたが休業日で、巽屋という別の店を訪れた。2003年7月のことである。その本店ではないものの、18年越しのリベンジができる。
 17時過ぎに部屋を出る。クルマから折り畳み小径車を下す。自転車を2台積んできているのだ。ポタリングにはこちらだね。いのたにの営業終了18時には十分間に合うと思っていたが、少し迷走もあり店の前に着いたら17時半。鳴門市役所の近く、国道28号線と撫養川の間の住宅街の中にひっそりと存在する店だ。営業中の看板が引き上げられようとしている。慌てて声をかけると、店に招き入れてくれた。
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 「徳島ラーメン」という呼び名は、1999年に生まれた。「新横浜ラーメン博物館」に「いのたに」が出店したことに始まる。ラーメンテーマパーク新横浜ラーメン博物館では、毎年全国からその地域独特のラーメンを発掘し、期間限定で仮設店を出店してもらう、という企画を行っていた。徳島市内では、半数近い店で独特の黒いスープにバラ肉、生卵の取り合わせのラーメンが提供される。それが、選出された、ということがご当地ラーメンとしての「徳島ラーメン」誕生のきっかけとなった。
 1966年創業の徳島本店に対し、この鳴門店は1976年ごろの創業とのこと。十分に老舗といえる。実際に店内の雰囲気は懐かしい昭和の感じ。ちなみに、18年前に訪れた巽屋は1995年創業とのことで、比較的新しい店だった。
 店内には、子供連れのグループが2組が食事中。中華そば並が600円で、大は650円なので当然「大」を選ぶ。しばらく待って提供されたラーメンのスープは確かに黒っぽいが、うっすら澄きとおっている。豚骨スープに濃口しょうゆだれを加えた濁った茶色というイメージなのだが。バラ肉は少なめ。メディアでは100円プラスの「中華そば肉入り」に50円の生卵のトッピングが追加された写真が紹介されている。もともとの量は少なめなので、大でもさほど多くは感じない。本店ではないものの、18年越しのリベンジ達成。先客のうちの一組よりも先にも背を出る。
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 撫養川沿いを北上するとすぐに小鳴門海峡。鳴門北I.C.や千鳥ヶ浜がある大毛島との間の海峡だ。鳴門徳島自転車道の起点を示す案内板があるが、自転車道は車道の脇の自歩道。大毛島、そして淡路島を左に見ながら東へ。公園として整備された岡崎海岸を過ぎてしばらく進むと、車道は途切れ、独立した自転車道となる。内陸は住宅街から林に変わる。「いわし山」だそうだ。岬の小ピーク「ぼら山」と「いわし山」の間の鞍部を越えて道は南下に転じる。向かい風に抗って進む。紀伊水道に面した大手海岸だが、対岸の本州は霞んで見えない。内陸側には一面のサツマイモ畑。その向こうに鳴門市街が見える。小高い丘に建つ天守閣は岡崎城址、別名撫養城。自転車道は防波堤の上。ただし、道幅が広く、畑の農道かアクセスできるため2台ほどクルマに出会った。とはいえ基本的にクルマとは隔離されている海と畑の間の道。無心に走るにはちょうどいい。
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 大手海岸が終わり、旧吉野川の河口に突き当たる。今は徳島市の北部が吉野川本流だが、かつてはこちらが本流。内陸部もサツマイモ畑から造船施設に変わっている。
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 鳴門徳島自転車道は、この旧吉野川の対岸にも続いているのだが、川を渡るには国道28号線の大津橋まで2km以上遡らないといけない。しかも、遡る途中で支流を越える必要があり、その支流を渡る橋までまた回り込まねばならないので大津橋までは3kmを越える。その支流は、撫養川で、つまり旧吉野川河口部と小鳴門海峡をつないでいる。一体どちらからどちらへ流れているのか。おそらく、流れていない。人工河川とか運河という要素が強いのだろう。
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 回り道に回り道を重ねて旧吉野川を渡り、対岸と変わり映えしない工場の並ぶ風景。紀伊水道に出て徳島阿波おどり空港に面した区間へ行けば雰囲気が変わるのだろうが、それはまだ3kmくらい先。ここで引き返すことにした。
 帰路は大手海岸ではなく、撫養川に沿って北上すると、追い風のアシストもあって、あっという間に鳴門駅まで戻ることができた。。
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 ホテルの部屋に入る前に、買い出し。駅裏に建つ昭和の雰囲気漂う5階建ての商業施設へと歩いて行く。1階がスーパーマーケットになっていて、ちょうど賞味期限が迫る総菜を割引きで売っている時間。今夜の夜食に明日の朝食と行動職までたっぷり買い込んだ。
 ビジネスホテルの部屋に戻ると、隣室のもの音がよく聞こえる。まあ、お互い承知で泊まっている。飲み物の缶を開けるプシュという音が立て続けに聞こえる。ビール系だろう。TVがあるけど、音を出すのは気が引ける。イヤホンを持ってきているが、ケーブルが短くて窮屈だ。まあ、この数日NHKも民放もつまらない番組ばかりだし、見ないことにしよう。大浴場で入浴。今朝は早朝から作業だったし、明日も朝は早い予定なので早く寝ようと思ったのだが、無料のWiFiでダラダラネットを見ていたら、寝るのは23時過ぎになってしまった。

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