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2021/07/28

走り終えて(伯雲の境 終)

 境水道沿いを走っていて、小さな入り江をふさぐ堤防の上に道が付けられている個所があった。海崎と福浦だ。現地では、中海の堤防道路の原型みたいなものか、くらいに思っていた。帰宅してからこの一連の文章を書くために地図を見ていて、ふとしたことに気づいた。個の海岸線に同じようなものがいくつも見られる。
Map

 入り江をふさぐ堤防の上を走るときには、両側が水面を見ることになる。その入り江の奥には集落があり、湾岸に沿った道路もある。そのまっすぐな堤防道路と弧を描いた湾岸の道路のような位置関係の道が数か所にみられるのだ。ところがそこに入り江はない。2本の道路の間には半月のような形をした平地がある。平地には、高齢者の介護福祉施設があったり、太陽光発電のパネルがあったりしていて、その山側に道路と集落がある。集落の家々は、弧を描いた道路の山側の窮屈な土地に建っている。道路の向かいにもっと広い半月型の平地があるというのに。要するに、三日月形の土地は、入り江が埋め立てられてできたもの。そう推測できる。それを裏付ける根拠として、古い地図を探してみた。結局見つかったのは、古い航空写真。国土地理院のWebサイトで公開されていた。カシミール3Dで閲覧したので、今回自転車で走った奇跡も赤い線として重ねている。現在の航空写真も国土地理院で閲覧できるが、施設名などの記載されたGoogleマップも使ってみた。
Map_20210728235401 2021 1961

 かつては入江で、埋め立てられたのは1974年以降であることが確かめられた。せっかくなので、周辺も過去と現在を比べてみる。弓ヶ浜の北部、「夢みなと公園」や「境港さかなセンター」などがあるところもやはり埋め立て地。また、弓ヶ浜半島の先端部の東側(外海側)も埋め立てられて、境水道区間が長くなっている。かつては、ずっと弓ヶ浜が続いていた。
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 べた踏み坂で渡る江島もかなり古くから埋め立てが行われている。直線と直角で長方形をしている島の形からして、人工的な感じをうける。唯一南西側の角にあたるところに、島の原型が残っている。江島大橋は平成期に掛けられたわけだが、以前は少し南側に堤防道路があった。その切れ目に橋が架かり、船が通行するときには橋が跳ね上がるものだったそうだ。つまり、船が通るたびにクルマは通行止めとなるので、堤防道路は撤去され、高い橋に変わった。そうした変遷も見える。
 もう一つ興味深い箇所は、中海の最北部、万原、手角町あたり。湖岸から橋を渡って小さな島に渡り、そこから堤防道路に乗り入れる。その現在離島となっているのは、堤防ができる前は陸続きの半島だった。堤防で塞がれた手角港の船の出入りのため、半島の付け根の細い部分が切られたのではないかと思われる。
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 また、島根半島のと弓ヶ浜半島の関係も、なんだか不思議。半島が並んでいる場合、その間にあるのは○○湾、つまり入り江。ところが島根半島と弓ヶ浜半島を分ける境水道は海峡ではなく斐伊川だという。その奥の中海も、内海ではなく湖だから、やはり斐伊川の一部。要するに、川の左岸が島根半島で、右岸が弓ヶ浜半島ということになっている。
 半島の区切り方、湖や川と入江の区別、どれも人間が勝手に決めているだけのこと。

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