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2020/11/21

湖西の晩秋2020入部谷越と朽木渓谷

 晩秋から初冬にかけて、湖西を走ることが年中行事になった。きっかけは2年前のこの時期に、マキノのメタセコイア並木を含めたコースで企画されたツーリングに参加する予定だったから。残念ながら、雨でツーリングは中止になったが、せっかく紅葉しているメタセコイア並木を見ながら走りたくて後日単独で訪れた。アプローチは100kmを越え、ちょっと遠いのであまり訪れなかったエリアだが、走ってみるといろいろコースはあるわけで、さらには「近江ちゃんぽん」を食べる楽しみも加わって、本格的に雪が積もる前に再訪して新旭・安曇川・朽木あたりを走った。
 15日の日曜は、午前中に舞鶴で勤務。昼前には自由の身となる。舞鶴まで行けばアプローチの4割ほどをこなしてしまえるわけで、これはいい足がかり。天気も申し分なさそうだ。
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 というわけで、11月15日、まずは出勤前に急いで柿の収穫。職場に直送だ。霜が降りた寒い朝。天橋立で仕切られた内海、阿蘇海も海霧が発生。そして10:50、西舞鶴から若狭を経由して近江へ。行楽のクルマや自動二輪が多い。今日から小春。その初日から小春日和だ。
 走る前に今津の「ちゃんぽん亭」で腹ごしらえと行きたいところだが、この調子だとちょうど正午過ぎの混み合う時間に到着してしまう。近江ちゃんぽんは走り終えてからにした方がいいかもしれない。そんなことを考えながら、小浜のスーパーマーケットでおにぎりとサンドイッチを買っておく。
 ちゃんぽん亭の駐車場は満車ではなく、店の外で並んでいる人はいない。ちょっと期待しながらクルマを止めて入り口へ向かうと、店内で空席待ちの人々の姿が見えた。やはり今は見送ろう。新旭へ。メタセコイアはまだ色づきはじめ。見頃は例年通り11月下旬とのことなので、今日は新旭・安曇川・朽木の周回コースを走る。メタセコイアは月末にまた。
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 かつて道の駅だった「ステージクス高島」近くの「源氏浜駐車場」にクルマを止める。ここなら、周回の最後にステージクス高島の(風力発電ではなくオランダ風の)風車を目印に戻ってくることができる。そこ以外にも湖畔にたくさんの無料駐車場があるが、5月の緊急事態宣言の最中には、すべてバリケードで閉鎖されていた。いまは解放されている。
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 自転車を準備。暖かいので、指切りグローブと長袖シャツで十分。ニットの手袋とアウターウェアはフロントバッグに入れて出発。まずは、安曇川の扇状地の湖岸道路を南へ。幹線である国道161号線は内陸で、こちらはクルマが少ない。安曇川の河口を越え、内陸へとハンドルを切る。琵琶湖の西岸に半円形にとびだした安曇川の扇状地は、広大な田園が広がる平原。少し先の交差点には赤色灯を付けた救急車が止まっている。なぜこんなところに、と思いながら近づくと、軽のワゴン車が屋根を下に完全にひっくり返っている。さらに接近していくと、側に佇む人影や、車内で膨れ上がったエアバッグや、事故の相手と思われる軽トラック(こちらは正立)も確認できた。
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 旧安曇川町の中心街を南にかわしながら、国道161号線とJR湖西線を越える。正面に見える山は蛇谷ヶ峰(じゃたにがみね)。その向かって右、つまり北側の鞍部の入部谷越(にゆたにごえ)が当面の目的地。だから、その蛇谷ヶ峰を目指していけばいいわけだが、それはあくまで大まかな目印。だだっ広い平原では細かく軌道を定めるのが難しい。鴨川が一つの目安となるが、これが曲者で、並行して流れる和田打川が紛らわしい。源流は別。平野部に出る手前で谷が一つにまとまるにもかかわらず、川が合流することなく並行して琵琶湖にそそいでいる。これは自然にはあまり起こらない。おそらく、用水路として人工的に決められた流れではないかと思っている。また、武曽の集落で鴨川の左岸をさかのぼる県道295号線をたどらないといけないのだが、初めて訪れた2年前には右岸を遡ってしまい、対岸に渡る橋がなくかなり引き返すことになった。とにかく、GPSレシーバーを慎重に見て進み、見覚えある武曽集落へ。県道とはいえ、川沿いの細い道。「この先朽木方面へ通り抜けできません。ただし地元及び作業車を除く」と記された看板が立っている。通り抜け可能かどうかに、地元も作業者も関係ない。通行を禁ずる、というのならわかるが。ちなみに、一昨年の7月の豪雨により、道路が損傷。一昨年、昨年と通行止めだった。ちなみに一昨年は復旧工事が始まる前で、昨年は工事期間中ながら工事が休みの日曜のため、自転車では無事通行できた。昨年すでに工事が終わりかけていたため、今年はもう開通している時期なのだが。まあ日曜だし、当然突入だ。
 集落を抜け、川沿いの細い道の周囲は森林となる。道路の脇を流れる川も、いつしか鴨川へ流れる支流となり、川幅も谷も狭まる。派手な服装の人影が複数見える。4~5台のロードレーサーが止まっている。パンクのようだ。止められている自転車の向きから判断するに、反対方向からやってきたと思われる。さらにその先で1台の自動二輪とすれ違った。どうやら朽木方面の通り抜けは問題なさそうだ。
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 道路は川の流れと分かれて、いよいよ本格的な登りが始まる。一昨年、昨年はここにバリケードが設けられていたが、今年は何もない。その先のヘアピンカーブを越えた箇所が、一昨年7月の豪雨による崩落箇所。見上げる道の路肩は新しいコンクリートで覆われている。ヘアピンカーブを越えて崩落箇所へ。もう路面だけ見ればほとんど違和感を感じない。注意深く見たら舗装がやり直されていることに気づく程度だ。路肩がえぐられブルーシートがかけられていた一昨年、工事終盤であとは路面の舗装を残すのみだった昨年と毎年の変化を楽しんでいるが、当面はこの状態が続くのだろう。細く曲がりくねった道なので通行を推奨しない、ということが武曽集落の「通り抜けできません」の看板の意図なのだろうか。
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 かつての崩落区間を越え、さらに標高を上げていく。初めて走った一昨年は、12月中旬で所々薄く雪が積もっていた。道路損傷でなくても、冬季閉鎖で通行止めの時期に入っていた。昨年も12月中旬だったが、雪はまだだった。今年は1ヶ月早く、ぽかぽか小春日和だ。紅葉も盛りとなりつつある。

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 まだ落葉していない木々の合間から、扇状地の景色が覗いた。琵琶湖対岸の山並みは霞んでいる。景色を眺めていると、クルマが3台連なって通っていった。地元でも作業車でもない、行楽の雰囲気のクルマ。実はもうここは峠で、カーブの先にトンネルが口を開けていた。ということは、ブッシュの切れ間からは伊吹山が見えるはずなのだが、山の形が確認できないほど霞んでいる。一昨年はよく見えたのに、年々見えなくなっている。
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 トンネルの入り口では、先ほど通り過ぎたクルマのうちの1台が止まり、中年の男女2人連れが車外で佇んでいる。トンネルと紅葉の風景を撮影して、トンネルへ突入。クルマのすれ違えない狭いトンネルだ。そこを抜けると、朽木スキー場。一昨年の雪景色が懐かしい。今年はまだ秋の装いで、幼児とその父親らしき親子連れが2組、山歩きの出で立ちでゲレンデを降りてきている。
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 ここからはずっと下り。アウターウェアを着て、指切りグローブをニットの手袋に交換。朽木の中心街まで結構急な下りで、かつてカンティレバーブレーキでは苦労した記憶がある。今はVブレーキなので問題ない。一気に朽木村中心部がある谷へと下る。この谷は安曇川により作られたもの。高島市の朽木庁舎や道の駅などがあるのは川の向こう側だが、そちらには渡らず川を左に見て、のどかな田園の中を行く。ハイキング姿の中高年の団体さんを追い越す。田んぼの中に点在する畜舎の中は、近江牛。
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 田園の広がる開けた谷から両側に山が迫る朽木渓谷へ。ゴルフ場の前の橋を渡った対岸が幹線道路である県道23号線だが、らずに右岸の旧道(?)を行く。ほとんど通るクルマはなく、色づいた木々と大きな奇岩が並ぶ渓谷を左に見ながら進む。

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 ところが、途中でバリケードが道をふさいでいるではないか。そして「通行止」の看板。なぜ? 引き返すのも手間なので、このまま突入することにする。渓谷美を楽しみながら進むと、前方に県道との合流点が見えてきた。その手前にバリケード。「通行止」の看板の裏側がこちらを向いている。しかし、道路が損傷しているわけでも工事をしているわけでもなく、通行止めの根拠となるようなものは何もなかった。看板にも当然建設業者名等は記されず、隅っこに「高島市土木課」と記されていた。
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 県道23導線に合流すると、クルマがそれなりに通るのでひたすらペダルをこぐ。安曇川の流れに沿って下り基調なので快走できる。渓谷区間が終わり、谷が開けたところで、両台橋を渡って県道23号線を離れ対岸へ。まずは、堤防の上の細い道。クルマが通らないから安心して走れる。堤防の道の舗装が終わるので川に背を向け下古賀集落の方向へ。道に沿った、安曇川にそそぐ用水路の川床は、両側の畑や家の敷地よりも高い。いわゆる天井川だ。そして県道293号線へ。県道とはいえ交通量は非常に少ない。田園の中を走り、時折現れる集落を貫いていく。下り勾配が緩むと暑くなる。再び指切りグローブへ。2年前は日が暮れたせいもあり、それまで冬用として使って居たグローブでも手が冷たくて仕方なかった。すぐに防寒性能の高いグローブを購入した。ひと月の季節差、日没前と後、天候などが重なり大きな違いが発生したということ。扇状地の大平原の広がりにたどり着いたら、北側の道にレーンチェンジ。あとは琵琶湖に向かってまっすぐ進んでいけば、源氏浜駐車場にぶつかるはず。進んでいくとステージクス高島の大きな風車が見えてきたから、もう間違いようもない。
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 源氏浜までいって対岸の伊吹山を確認しようと試みるが、やはり霞んでいてよくわからない。さあ、腹が減った。自転車を撤収したら近江ちゃんぽんを食べて帰ろう。目論見通りちゃんぽん亭はすいていて、のんびりと過ごすことができた。

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 上の写真は伊吹山。右は、明るさ及びコントラスト調整したもの。

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2020/11/17

森の京都に全集中

 11月3日の文化の日、京都市内のランドナー専門店「アイズバイシクル」主催の「コンセントレーションひよし」が開催された。例年のツーリング企画のようにみんなでそろって走るのではなく、コンセントレーション(concentration:集中、集結)の言葉通り、集合場所を決めそこまで、あるいはそこから各自思い思いのコース取りで走るというもの。フランスで開催されたイベントにヒントを得て計画された。
 9自前に自宅をクルマで出発。本当はもっと早く出発したかったのだけれど、いつも遅くなってしまう。昨日の雨は止んだものの丹後は曇天。でも南下すれば青空が広がる。往路は宮津から綾部、和知と由良川を遡り、分水界を越えて日吉ダムへ。色づいた木々に日差しが当たり鮮やか。道の駅のキャンプ場にもテントがが並んで鮮やか。行楽のクルマも多いが、自動二輪も自転車もそこそこ走っている。
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 日吉ダムの天若湖のほとりにある駐車場にクルマを止め、自転車を準備。走り出す予定だった時間から遅れること1時間、11時半スタート。天若湖南岸の府道50号線を上流に向けて進む。行楽のクルマが多い。
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 コンセントレーションの集合地、「STIHLの森 京都(府民の森ひよし)」を今は素通り。
 世木ダムを越えて遡り、府道はダム湖から南へと離れる。私は、分岐する道でダム湖沿いを行く。通行するクルマは少なくなり、自動二輪の方が割合が多くなる。細い道に入ると、ダム湖も細くなり完全に流れのある川となった。この川の名は「桂川」。流れるに伴い「大堰川」「保津川」と名を変え、嵐山で京都盆地に進入するとまた「桂川」となり、最後は淀川として大阪湾にそそぐ。ちなみにこれから上流に向かっていくと「上桂川」となる。
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 今日の自転車は久しぶりのVIGOREオリジナルランドナーだが、どうも前輪がどこかに干渉している。リムがブレーキシューに当たっているような気がしてスポークの張りを調整するが、一向に収まらない。干渉していたのは泥除けだった。2か月前に木の枝がスポークに絡んでクラッシュしたときにゆがんだ泥除けを力ずくで直したのだが、完全に修正しきれていなかったというか、クルマに積んでいるうちに再発したというか。そクラッシュの時痛めた左の手首は、まだ完治していない。工具がないので、タイヤレバーを使いてこの原理で製型する。主に原因究明に時間を費やし、20分ほどかかった。その間に自転車も通り過ぎて行った。それまでにも自転車は何台も見たのだが、ほとんどがロードレーサー。そこで過ぎていったのはツーリングスタイルのもの。
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 やがて宇津峡公園へ。キャンプ場があり、たくさんのクルマが止まり人でにぎわっている。紅葉もいい感じ。ここはもう京都市内。ただしかつての京北町。その先、谷が開け田んぼと集落が広がる。北岸、つまり右岸に渡り引き続き上流へ向かう。北から山を越えてきた府道364号線が北岸の集落をつなぐ道となるが、私は堤防の上の細い道を行く。先ほどのツーリングスタイルの自転車も堤防の道の上だ。ただし、進む方向は私と逆。だんだん遠ざかっていく。しかし、クルマの来ない堤防の道を通れるのもつかの間、そのうち府道に合流し、さらに南側の支流をたどってきた国道477号線へと合流する。いずれにせよクルマは少ないからいいのだけれど。
 その先国道477号線は川沿いを離れ軽く山越えとなる。私は、川沿いの細い道へ。谷も狭まり、ここもまた川幅と道幅に相関関係が見られる。その川沿いの小さな集落の名は、「魚ヶ渕」。いかにも川とともに生活しているという雰囲気の集落名だ。
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 そんな川の中にリバーカヤックが一艇。岩を食むというほど急流ではないが、対岸は岩の絶壁。そこへオレンジ色の鮮やかなカヤック。そして、絶壁に張り出す紅葉(もみじ)も鮮やか。その先にはつり橋があり、自動二輪が止まって男性が記念撮影中。
 道幅も川幅も狭い区間を抜けると、大きな集落が見えてきた。京北町の中心、「周山」だ。最初の橋を渡って対岸へ渡る。ただし進行方向は、今来た方向へと折り返す。こちらは、山を越えてきた国道477号線。京都盆地と京北を結ぶ道で、クルマと自動二輪が間断なく通る。少しの辛抱だ。
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 茅葺屋根の民家や赤く染まった紅葉(もみじ)に癒されながら、小さなトンネルを抜け、さらに大きな京北トンネル手前へ。そこから分岐する旧道へ。今は歩行者と自転車のみ通行可能な道となっている。
 「災害復旧工事により通行止め」の案内板があるが、自転車乗りの直感からすると今は工事していない雰囲気。案内板はささやかな佇まいで、あまり本気で訴えているように感じられない。当然、GOである。このサイクリストの直感はよく外れるのだが、もしだめならその時点で引き返し降りてくればよい。京北トンネルは比較的新しいので、広い歩道がある。これがエスケープルートだ。
 京北トンネルができる前は、この旧道「栗尾峠」越えがメインルートだった。車道としてはあまり広いとは言えないが、もちろんセンターラインの引かれた道。これが今では歩行者と自転車だけに開放されているとはぜいたくだ。きっちりそれぞれのレーンに分けられている。私以外誰もいないのだが。旧道に入る前にもみじの写真を撮っているときに通り過ぎて行ったロードレーサーのサイクリストがこの旧道へと入り込んでいったが、とっくに姿を消している。路面に「速度注意」と記されているが、それは歩行者用のレーン。かつて車道だった時の下り車線に描かれているが、今はそれが自転車用のレーンになってしまった。自転車レーンに新しく描くより、すでに書かれていたものに塗料を塗りなおす方が楽だということのようだ。
 この栗尾峠、かつてクルマで何度か超えたことがあった。初めて訪れたのはもう30年も前だ。 峠付近からは周山の街が見下ろせる。「栗尾峠の展望」とかかれた標柱も立つ展望ポイント。だが、交通量もありクルマを止める場所もなかったので、景色は運転しながらチラチラ見るだけだった。それが、京北トンネル開通のおかげで景色を思う存分楽しめるようになった。自転車では3年ぶり。  
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 かつての幹線道路であるから、さほど登りが長く続くわけではない。峠が近づき展望ポイントへ。桂川(上桂川)の谷に家並みが密集する周山が見下ろせる。「栗尾峠展望所」として路肩にちょっとしたスペースが設けられている。
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 展望ポイントの先に、通行止めの根拠である災害復旧工事の現場があった。「台風21号被害の災害復旧工事」とある。ということは一昨年、つまり2018年の災害だ。強風が吹き荒れ、関西国際空港の連絡橋が損傷して孤立し、大阪市内などでたくさんのクルマが横転する場面がニュースで流された。京都の北山でも、京都盆地からの風が当たる面でたくさんの北山杉が倒れたまま放置されている。栗尾峠では、予想通り工事はしていなかった。その工事は、道路ではなく道路の上部の谷筋。隣り合った2つの谷筋で、道路を乗り越える土石流が発生したようだ。幸い道路そのものには損傷がなかったようだ。二次災害を起こさないように、削られて土がむき出しになった山の斜面を固めている。
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 工事現場から峠は見えていた。よってすぐに峠。切り通しを抜けると林間に入り、すぐに車止め。その先は車道だがこちら側の下りは短かった。
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 南側の麓、細野の集落には古い家が並ぶ。ベンガラで染められた赤い側壁。別棟だったり、母屋の角にあったりで風呂場がどこなのか外からよくわかる。外に火焚き場があり、もちろん壁も風呂場の部分だけは木造でなく、レンガ造り。かつては五右衛門風呂だったわけだが、今はどうなのだろう。風呂場の壁の外にプロパンガスのボンベが置かれている家も見られるが、それが炊事のみならず、風呂焚きの燃料として使われているものなのかどうかまでははっきりしない。ただし、ここも北山杉の産地。薪で風呂を焚いている家が残っているはず。集落には、いくつも材木を扱う商店がみられる。
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 集落を抜け細野川に沿って走る。川の流れに沿っての下りなので、快調に進む。いったん谷が狭まり、木々の色づきが始まった渓谷に癒される。谷が開けると田んぼと集落が現れる。そしてまた谷が狭まり渓谷美。と、これを数回繰り返す。
 
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 腹が減ってきた。どこかいい休憩場所がないかと思っていたら、長野の集落のはずれの川岸にひときわ鮮やかな紅葉(もみじに目が留まる。その近くに架かる橋の低い欄干に腰掛け、持参したおにぎりを食べる。
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 長野集落を過ぎると、道は細くなり杉林の中を行く。すぐ脇を流れていた細野川の川面はいつしかはるか下方になり、道は上り坂だ。つまり、いつしか細野川の支流を遡っているのだ。そのまま登っていけば、対岸に道が見える。国道477号線だが、今いる道と同じくらいに細い。1車線の道幅だ。杉林の中で薄暗いこともあり、ここを通るクルマは昼間でもヘッドライトをつけている。
 支流がもう水のない溝状の地形になった頃、対岸だった国道477号線へと合流。右折すれば、ずっと見えていた対岸の道で細野川に戻りさらに桂川に合流し日吉ダム方面へ。コンセントレーションの集合地へは、こちらへ向かう方が近いのだが、ここはあえて左へ。すぐに峠となり、そこからきれいさっぱり杉林がなくなり景色が開ける。神吉の田園風景だ。
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 盆地の縁にある集落は、石垣で組まれた段差に家が建つ。その石垣の断崖の細い道を下って盆地に降り立つ。田んぼの中の広い道へと合流し、日吉ダム天若湖方面へ。ただ、やはりこのまま天若湖に向かうわけではなく、少し進んでから紅葉山トンネル方面に左折。下り基調で、二つ目のトンネルが紅葉山トンネル。これを抜けたところに分岐がある。ここから日置林道へと入る。13年ぶりの日置林道。あの頃はまだも紅葉山トンネルはなかった。
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 林道に入ると、いきなり急勾配が始まる。出だしは舗装だったが、しばらくするとダートになる。急勾配のため、前輪に加重すると後輪が空回りし、後輪に加重すると前輪が浮き上がる。うまくバランスをとらねばならない。
 ややガレていたが、その一方で埋まった側溝が掘り返されていた。こうした整備は林道の維持にとって重要で、側溝が埋まってしまうと路面を水が流れ、路盤の土が流されて溝が掘れたり、石だけが残ってガレたりる。
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 そんなハードな登りもそう長くは続かない。ほどなくして切通しの峠へ。下りもガレた急勾配。フラットハンドルにVブレーキのパスハンターなので助かった。ドロップハンドルなら苦労しただろう。
 また、前日はまとまった雨だったので路面状況が心配されたが、少し湿っている程度で水たまりもぬかるみもなかった。湿った路面には自転車の新しい轍が少し見られた。数日前、アイズバイシクルのスタッフがこのイベントに先駆けてこの日置林道の実走レポートを公式ブログにあげていたので、コンセントレーションの参加者の誰かが走ったのだろう。
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 下りのガレた区間もわずか。すぐに勾配が落ち着き、フラットダートとなる。スピードを上げて快走できる。そしてすぐに天若湖畔の道へ。昼前に走った道を日吉ダム方面に戻る。いかん、もう14時半ではないか。急がねば。ダムの手前「STIHLの森 京都」がコンセントレーションの集合場所。ここに13~15時の間に集結しないといけないのだ。
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 どうにか、「STIHLの森 京都」に時間内に到着。緩やかな起伏のある広大な土地にキャンプ場や林業関係の展示場がある施設で、その一角の芝生にテントがたてられ、20人ほどの人が集まっていた。やはりランドナーが多い。手前で追い越した、坂を押して登るタンデム自転車も参加者である。
 「STIHL」とはチェーンソーなどのメーカーの企業名。本来の名称は「京都府立府民の森ひよし」で、企業が命名権を得たというわけだ。これは、京都府が推進する環境保護、地域振興などの事業「森の京都」のビジターセンターの一つ。ちなみに北部丹後地域は「海の京都」、南部は「お茶の京都」と府域全体でそれぞれの事業が展開されている。日差しを浴びて、赤く色づいた木々が鮮やかに輝いている。
 とりあえず挨拶を済ませて、いったんその場を去る。近くの駐車場に止めてあるクルマに乗り換え、再び集合地へ。家から持ってきた柿を配る。15時過ぎの撤収・解散まで、のんびりと過ごす。日置林道で見た轍は、スタッフのものだった。数日前に続き、今日も日置林道を走ったそうだ。ちなみに京都市内から自走だったそうだ。帰路は、
国道9号線で福知山経由、そのあと国道176号線の与謝峠で。往路とほぼ同じ距離。

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2020/11/08

ロードレーサーRADACのハンドルを交換

  去年の夏に譲り受けた30年前のロードレーサー「RADAC」のハンドルを交換した。元々はフラットハンドルが装着されていた。それだと見た目がクロスバイク。できればロードレーサーらしい雰囲気にしたくて、あり合わせのステムとドロップハンドルを使っている。30年前には、まだクロスバイクという車種が出回っていなかった。MTBが少し広まりつつある状態で、まだその名称もATB(オールテレインバイク、All Terrain Bike )かMTBかで定着していなかった。そんな中、RADACの(おそらく)入門グレードにはドロップハンドルではなくフラットハンドルのモデルも存在していた。なお当時は、「フラットハンドル」でなく、「オールランダーバー」と呼ばれていた。両者に違いがあるのかどうかはよくわからない。
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 余談はさておき、ありあわせのステムはやや低く突き出しが長い。ドロップハンドルの前部を少し上に向け、さらにブレーキレバーも少し上の位置につけることによって、調整しているが、それでもブレーキが少し遠い。メインバイクではないのであまりお金をかけるつもりもなく、まあいいや、という感じで過ごしていた。
 そんな折、ずいぶんと個性的な形をしたドロップハンドルがあることを知った。ドロップ部が浅く、そして末広がり。懐かしいセミドロップハンドルを思い出した。中学入学時に買ってもらったジュニアスポーツ車についていたのが、セミドロップハンドル。一般車用のブレーキレバーとハンドルグリップがついていた。ただし、ハンドルが低すぎて乗りにくかったので、ハンドルをひっくり返して乗っていた。
 さて、話を現在に戻す。ドロップ部が浅いのは、乗車姿勢を楽にするため。とはいえやはりドロップ部を持つと前傾がきつくなってしまう。本気でスピードを出して走りたいなどとは思っていないから、楽に安全に乗るのが大事。ドロップ部分は、バックミラーやライトを装着するために付いているもの、と信じ切っている。果たしてこのハンドルに変えたからといって、ドロップ部分を持って走ることはあるかどうかは不明。
 次に、ドロップ部分が下に行くほど広がっていることには、主に次の2つの理由があるという。まず、バイクパッキングで大きめのハンドルバーバッグをつけても、ハンドルに干渉しないように。これはかつてランドナーのドロップハンドルがフロントバッグ装着のため末広がりだったことと同じ。これは納得。
 しかしもう一つの、未舗装路でも安定して走れるように、という理由はどういうことだろうか。いきなり説得力に欠けた理由と感じてしまう。ハンドル幅が広い方が安定する、ということはわかる。しかし広がっているのはドロップ部分。まさかダートの下りでドロップ部分を持つことを想定しているわけではないだろうに。勾配にもよるが、ダートの下りはジャックナイフ、あるいは前転しないように、さらにリアブレーキが効くように後方に加重しなければならない。特に急な下りならば、サドルから尻を離し体を後方に引く姿勢をとる。私など、舗装路でも急な下りで前傾は恐ろしい。ということは、ドロップ部の末広がりは登りのためなのか。下りこそ安定感が求められるように思うのだが。あるいはブレーキブラケットも斜めになりフラット部(ハンドル上部)を握っても安定しているということなのか。
 まあ、正直言ってダート安定して走るため、とは子供だましの口実のようにしか思えない。ダート走行を重視するなら、MTBやパスハンターのようにフラットハンドルがいいに決まっている。しかし、ドロップハンドルを装着したロードレーサーでないといけないのだろう。理由は、今はロードレーサーしか売れないから。
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 まあそんなことを考えているうちに、注文していたハンドルが届いた。古い自転車に装着するため、コラムの太さが違うのでステムのアダプター(ハンドルポスト)、そしてハンドルステムも交換する必要があった。もちろん、安い方がいいに決まっている。ステムのアダプターは安いものを選んだら中国からの取り寄せで届くまで数週間かかったが、急ぎではないから問題ない。ハンドル本体が届いてもなかなか装着できなかった。
 すべてのパーツが届くのを気長に待って、ようやくハンドルを交換。しかし、在庫があると思っていたバーテープがなく、これも注文。結局、ハンドル本体が届いてから大方ひと月近くかかって交換完了。
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 早速乗ってみた。楽だね。ハンドルステムを交換して低くて遠かったハンドルの位置を持ちやすい位置に調整したから当然だ。ハンドル本体の効果はどうだろうか。フラット部つまりハンドル上部を持った状態でブレーキがかけやすい。ドロップ部が垂直なハンドルでは、フラット部及びブレーキブラケットを握る場合、両方の掌が内側で向かい合わせになる。それが、末広がりドロップハンドルだと、手のひらが少し下を向く。この方が体重を乗せた時に楽である。言い方を変えると、手のひらを下に向けてハンドル(のフラット部)を握っても、ドロップ部が末広がりだとブレーキレバーに指が届きやすい。これなら、ダート走行も有利といえる、とやっとわかった。急な下りでドロップ部を握る危険を冒す必要はないのだ。
 後、古いバーテープを再利用して、フラット部の掌を乗せる部分をバーテープ二重巻きにして太くした。接触面を広げ、体重を分散させ、手のひらにかかる圧力を減らすため。これまでも行っていたことだが、今回は下地の古いバーテープを特に厚めに巻いておいた。これで尺骨神経麻痺を抑えることができるだろうか。来シーズンのお楽しみだ。もう、時雨の季節になったので、泥除けのない自転車の出番はあまりない。

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2020/11/05

秋の利尻島弾丸紀行(番外)神戸空港再訪

■神戸空港再訪
 北海道の旅の終わりによくミスをする。去年の夏、フェリーから下船しようと思ったら自動二輪がガス欠していてエンジンがかからず舞鶴港にJAFを呼んだ。今年の夏は、フェリー下船直後に信号待ちの路上で立ちごけしてエンジンがかからなくなり、またもJAFを呼んだ。そして、今回飛行機の中にタブレット端末を忘れた。SKYMARKの神戸空港遺失物窓口に電話をすると、預かってくれているという。取りに行くか、着払いで送ってもらうか。前者を選択。送ってもらうほうが楽だが、どうせなら空港再訪をお楽しみイベントにしてしまおう。
 数日後、再び神戸空港へ。クルマは丹波篠山まで。JRと阪急電車を乗り継いで神戸三宮へ。神戸に行くには毎度おなじみの行程だが、今回初めて自転車を輪行している。大阪には過去に何度か輪行しているのだが、これまで神戸への輪行をためらっていた理由は西宮北口での乗り換えだ。駅が混雑していて、輪行袋という大荷物を持って歩くのが嫌なのだ。でも、実際やってみれば、人の流れに逆らわないようにすれば案外スムーズに事は運び、懸念された3分でのホーム移動もクリアできた。ただしその前の、宝塚でのJRから阪急への6分の乗り換えは失敗していたが。
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 三ノ宮で輪行袋から自転車を出す。先日キャリーバッグで北海度へ持っていた折畳小径車。まずは、ラーメンだ。駅の北側の路地の中にある「どか盛りマッチョ」へ。時刻は14:40。15時までの昼の営業に、何とか間に合った。客も少なくなったいい時間だ。麺300gで野菜増しを頂き、満腹。
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 さあ、いよいよ神戸空港へ。ポートアイランドを経て神戸空港までは自転車でも行ける。走り出す前に、神戸空港のSKYMARK遺失物センターに電話をしてこれからタブレット端末を受け取りに行くことを伝える。その間に、UberEatsの大きな四角いザックを背負った自転車が数台過ぎていった。
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 JR、私鉄、地下鉄などが集まる神戸の中心、三ノ宮は人が多い。少し離れるとクルマが多い。自転車走行には要注意だ。2kmたらずの南下で、みなとのもり公園。山と海に挟まれた狭い神戸の街。自動車道路や鉄道の高架が複雑に交差し、公園の一部はその高架下となっている。そしてその高架の中の一つは、人工島「ポートアイランド」へ渡る橋。みなとのもり公園にある歩行者・自転車道の入り口から急なスロープを登って橋へ。ポートアイランド行きの自動車道路に逆方向の自動車道路、運転士不在の新交通システム「ポートライナー」など何層にもなっているし、インターチェンジ方式でいろいろな車道と絡み合うように接続しているし。自分がいる歩行者・自転車道と並走する車道が一体何層目なのかわからない。ただ、船が下を通れるように高い位置から海や港を見下ろすため、眺めがいい。高さだけでなく、長い橋でもあるのだがウォーキングやランニングの人も多い。自転車も、もちろん多い。電動アシスト自転車は、急なスロープをものともせず登っているので、追い越しは慎重に。強引に行くと、対向する歩行者や自転車と衝突してしまう。
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 しばしの、海上および空中散歩を終えて、ポートアイランドの「中公園」に降り立つ。歩行者・自転車にとって橋のたもとは両側とも公園だ。その公園の敷地を抜け、南下していく。周囲はまるで公園のようなプロムナード。公園を抜けてまた公園なのか、と思ってしまう。そう、なぜか交差点もない。進行方向左手には店舗が並んでいるが、それは建物の2階。広い歩道が高架になっているのだ。先日はクルマで通り抜けたのだが、歩道がこんな作りだとは全く気付かなかった。
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 ポートアイランドを訪れるのは数日ぶりだが、その前は実に39年前。1981年の「神戸ポートアイランド博覧会」通称「ポートピア」だ。中学1年生の夏休み、親と親戚に連れられて、2度訪れた。当時、博覧会と聞くと、行ってみたくて仕方なかった。きっかけは、さらにその2年前の東京で開催された「宇宙博(宇宙科学博覧会)」である。前年の1期に続き、2期が開催された1979年はユネスコが「国際児童年」を宣言したこともあり、「わが子への愛を世界のどの子にも」の文言がテーマに加わった。当時は、TVアニメ「宇宙戦艦ヤマト」が大ヒットし劇場公開を経て、TVの第2シリーズが放送された。そんな宇宙戦艦ヤマトに夢中になり、宇宙、科学、そして未来へと興味を持つ子どもの一人が私だった。さらに、宇宙博の特別協賛が「日本船舶振興会」。宇宙博の会場の一つ「船の科学館」は「日本船舶振興会」が設立した「日本海事科学振興財団」(ややこしいかな)。でその「日本船舶振興会」が単独でスポンサーを務めていたTVアニメ「一休さん」でCMが流れていたことから、宇宙博のことを知り興味を持った。夏休みに家族で東京都町田市の叔父の家を訪れたとき東京タワー、そして宇宙博へと連れて行ってもらった。他にも訪れたところがあったかもしれないが、その二ヶ所しか覚えていない。
 「宇宙博」と「ポートピア」。前者は「宇宙」、後者は「港および都市」がテーマであるが、共通して連想されるのは「科学技術」や「未来」といった単語。人々の記憶の中には高度経済成長があり、また「大阪万国博覧会」や「沖縄海洋博覧会」といった国際博覧会(いわゆる万博)の流れを汲んでいると思われる(大阪も沖縄も私は幼すぎてリアルタイムの記憶はない)。とにかく、規模も来訪者数も万博並みで、会場を訪れたものの人気パビリオンは待ち時間が長すぎてろくに入れなかった。
 脱線が長くなってしまったが、そんな40年前の子供のころの記憶をよみがえらせながらポートアイランドを北から南へと走り抜ける。平坦であるが、とにかく広い。40年も前に、よくこんなものを作ったものだ。そう考えると、先日の北海道新千歳空港からの飛行機の着陸直前に見た六甲山中に開かれた住宅地を思い出す。クルマで走っても長かった。六甲山地を抜けたのかと思ったら、港町としての神戸はまだまだ先。同じ神戸であっても山中に切り開かれた街が延々と続いた。山を削って街を作り、その土砂で海を埋め立ててそちらにも街を作る。小学校の社会科で習った時には人間の頼もしさを感じたのだが、年齢を重ねるに従い人間とはなんと恐れ多いことをするのだと感じるようになった。
 と、また脱線してしまった。かつては未来を感じさせたこの土地も、40年も経てばそれなりに建物を含めた街並みに年季が入り、普通の生活感を感じるようになっている。そうした住宅街を抜けると、大きな医療センターを経て、大学や理化学研究所などの研究施設が並ぶエリアへ。高架の歩道はいつの間にかなくなり、いつしか地上の広い道を走っている。
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 やがてポートアイランドの南端に達し、神戸空港へ渡る橋の袂へとやってきた。多層構造ではなく、ポートライナーの軌道と車道と車歩道が横に並んだ橋。ただし、下を船がくぐる高い橋であるから、やはり長くて急な坂を登ることになる。歩いている人はもちろん、自転車もいない。この後の復路で、1台の自転車とすれ違った。ついでに言うと、車道部分を走るクルマも少ない。
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 神戸空港島へ降り立つ。空港の駐車場の一角に二輪車のエリアがあり、自動二輪に原付自転車、そして自転車が止められている。橋を渡って自動二輪がやってきた。二人乗りだ。同乗者の女性は大きな荷物を抱えている。飛行機に乗ってどこかへ行くのだろう。
 自転車を止め、空港の建物へ。SKYMARKのカウンターでタブレット端末を受け取る。事前に電話をかけていたので、スムーズに事が運ぶ。本来の目的があっけなく終わった。
 さて、はるばるやってきた空港でのんびり過ごしたい気もするが、夕方の混雑がひどくなる前に輪行で帰らなくては。急いで帰路に就く。
 三ノ宮界隈はすでに混雑の時間帯が始まりつつあるが、阪急電車では西宮北口で乗り換える前も後も大混雑ではなく、途中からは座席に座ることもできた。JRも三田から北はいつも通り座ることができた。

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2020/11/04

秋の利尻島弾丸紀行(5)帰路

■最北からの帰路
 うみねこスタッフ不在のゲストハウスだが、玄関が開け放たれていて本日宿泊の旅人の男性が出たり入ったりしている。「受け付けは16時から」と玄関のカウンターに表示がある。談話室に入り込んでもよさそうな雰囲気だが、日差しが気持ちいいので玄関先のベンチこしかけ、目の前の船着き場の漁師さんの作業と、そのはるか奥の利尻富士を眺めながら過ごす。山頂の新雪は、今日一日でかなりとけた。旅人の男性は、玄関の荷物置き場にザックを残してどこかに行った。
 15時過ぎに、カナコさんがクルマで到着し「早かったですね」。フェリーの時間から逆算して「16時までに戻ります」と言って出発したのだった。まあ、16時までに戻ったことに違いはないが。「何日も滞在しても眺められない人もいるのに、一泊でこんなにきれいに利尻富士を眺められるなんてラッキーですね」と言われたが、もちろんそれには可能な限りの調整の努力をしているのですよ。天気を変えることはできないが、選ぶことはできる。でも、最後は運を天に任せるしかないのだけれど。
 利尻富士をバックに自転車とともに記念撮影をしてもらい、談話室で四大坂達成者の一覧に名前とコメントを書き加えさせてもらう。そして、記念品のプレートを頂戴する。プレートは、倒木を材料としたトールさん手作りのものだ。これが欲しくてここまで来たんだよ。
 カナコさんに、定福寺五大修行のことを尋ねたが、「知らない」とのこと。前に「蘇った五大修行」などとかいたが、「うみねこオリジナル」が事実だと書いておく。
 そしてもう一つ気になっていたことを尋ねる。帰りの交通手段を気にしていた若い女性の旅人がどうしたかということ。今朝、稚内発羽田行きの本日の航空便のチケットが確保できたとのことで、急いでフェリーに乗り込んでいったとのこと。急展開だが、無事帰れることになってよかった。こちらも、明日の飛行機は大丈夫そうだ。
 さて、こちらも帰り支度だ。時間に余裕のある今のうちに自転車をたたんでばらしてキャリーケースに収める。フェリー乗り場までの数百メートルの距離は、歩いて行こう。ぎりぎりまでベンチで過ごし、16時過ぎに、フェリー乗り場へと歩き出す。輪行袋を担いで歩くにはやや遠いが、ころころキャスターがあれば問題ない。少し歩いたところで、背後から「行ってらっしゃーい」と声がかかる。トールさんや番頭さんのうみねこスタッフがそろったようだ。手を振り返す。
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 完成車なら自転車の料金が発生するところだが、キャリーケースに入れてあるので人間のみのチケットを自動販売機で購入。ちょうど乗客が乗り込み始めたところだ。雑魚寝スペースにキャリーケースを置いて、甲板に出る。私一人の為にうみねこゲストハウスのスタッフがお見送りをしてくれる。16:40、本日の最終便が鷲泊港を出港。ほぼ同時に、うみねこゲストハウスからスタッフの皆さんが出てきた。礼文島の桃岩荘のように船べりに集まってのお見送りではなく、少し離れた桟橋から旗を振ってくれる。こちらも手を振って応える。桃岩荘のように大声で「行ってらっしゃーい」「行ってきまーす」の応酬はないが、お互いが見えなくなるまで旗と手を振り続けた。
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 さて、お見送りのスタッフが見えなくなったら、次は夕日だ。昨日に続いて、今日は海上から見る夕日。うみねこゲストハウスの裏山、ペシ岬に沈みかけた夕日は、フェリーの進行に伴い最終的には利尻と礼文の間の水平線に沈んだ。さあ、船室で休もう。
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 1時間半ほどの転寝しているとフェリーは稚内港に着岸。すっかり日が暮れて、空気が冷たい。自転車を準備して、今宵の宿へ向かう。国道40号を避け、港湾道路を南下。JR南稚内駅に近い「みどり湯」へ。その名前の通り、本業は銭湯。ライダーハウスとしても知られている。そのライダーハウスはすでに今シーズンの営業を終えているが、ゲストハウスは通年営業。そのゲストハウスは、普通の住宅の二階の一室。銭湯経営者の本宅の空き部屋を開放している、という感じ。夜になってからの飛び込みの客も受け入れるとのことで、だから急に相部屋になるかもしれない、と言われた。でも、このシーズンオフに夜になっても宿を決めずにさまよう旅人などいないだろう、という予想通りTVのある個室で自分の家にいるように過ごした。夕食は、少し離れているが国道沿いの「ラーメン山岡家」。また、銭湯で久しぶりに湯船につかる。今年は感染症対策でシャワーのみ、という宿が多い。
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 10日、5:40起床。軽く朝食をとり、6:10出発。昨夜のうちに自転車を収めておいたキャリーバッグを引きずって、国道40号線までの約700mを歩く。最寄りの乗り場、大黒3丁目バス停は、セイコーマートのすぐ前。お茶を買って、バスを待ち受ける。6:30に、始発の稚内駅前を出発したバスの席は8割方埋まっている。もう窓際はあいていないかと思ったら、一つだけ空席があった。それも日本海に面した右側。これで、昨日一日を共に過ごした利尻富士と最後のお別れができる。そこが開いていた理由は、トイレのすぐ後ろの席だから。少し足元が狭いのだ。稚内市内の乗り場でもう一人乗車したが、もう中央の席しか空いていなかった。
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 この日は土曜日。また、始発から乗っていないので降車時までわからなかったが、床下のトランクに荷物を預けていた人はあまりいなかった。あくまで推測だが、稚内市内及びその周辺の人々が土日を利用して札幌へ出かける、というパターンが多いと思われる。人の密度が高い状態で6時間を過ごさねばならないことは不安材料。対して、この日の時点で稚内市にはまだ感染者は確認されておらず(この数日後に1人の陽性が確認された)、宗谷支庁全体でもわずかであることが安心材料。シーズンオフだから混まないだろうと想定していたが、公共交通機関を使うとこういうこともありうるのだ。だからといって、乗らないわけにはいかない。車内ではみなマスクを着用して、ほとんど無言だったことも、安心材料に追加する。
 薄く雲はかかっているが、本日も穏やかな空模様で、無事利尻富士の姿を見てお別れすることができた。往路ではあまり気付かなかったが、車窓の風景が秋色に染まりつつある。もしかするとこの数日の冷え込みで、色づいたのかもしれない。ただし、300kmもの距離を南下すると、少し季節が逆戻りしていった。天売や焼尻は浮島現象。蜃気楼の一種で水平線から浮いて見える。冷え込んでいるときに見られる。
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 11:50、定刻よりも30分も早くバスは札幌駅前に到着。札幌駅の周辺で昼ご飯かと考えていたが、人が多く大荷物を持ってうろつくのが厄介だ。もう新千歳空港まで移動してしまおう。そう思って歩いていたが、駅前広場で何かが始まろうとしている。テレビの撮影のような大きなカメラが、特設ステージを狙っている。某政党の党首がここで、公開記者会見を行うのだそうだ。政治家といっても、タレントや俳優としても活動していた人物なので、要するに半分芸能人めあての人だかりができているといってもいい。時間があるのでその人物の登場を待ち、少しだけ話を聞く。一方的に話をするのでなく、聴衆から質問を募りそれにこたえるという形だった。2人目の質問への受け答えまで聞いて、その場を去る。新千歳空港行きの快速は、札幌からしばらくはそれなりに乗客がいたが、空港に着くころには車両に1人か2人ののんびりムード。
 空港に着いたら、何はともあれ大荷物を預けてしまおう。秤に乗せるとやはり20kgを少し超えている。工具を客室に持ち込もうとするとまた検査で引っかかるので、衣類など軽いものを取り出してもなかなかキャリーバッグは20kgを下回らない。それでもどうにか、調整完了。受託手荷物は、一発で検査クリア。機内持ち込みの荷物は、1つだけだが、ショルダーバッグは身の回りのもの、として別扱いなのでフロントバッグもキャリーバッグから持ち出している。でも、ずいぶん身軽になった。
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 とりあえずレストラン街へ。数軒が軒を連ねる「ラーメン道場」へ。想像通りちょっとお高め。ラーメンの次はお土産。空港以外での税込み価格が、ここでは外税。何となく二重に消費税をとられた気分。
 することがなくなったので、まだ時間はあるけど搭乗口へと向かおう。緊張のボディチェックだ。手荷物は一OK。ところが、ビンディングシューズのクリートが金属だからスリッパに履き替えたいのだが、まずそのままゲートをくぐるように促される。当然アラートが鳴る。そしてようやくスリッパを差し出される。
 搭乗口近くの待合エリアで搭乗の案内を待つ。乗り込む飛行機は少し離れた場所に駐機しているとのことで、バスで移動。そして機内へ。
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 往路は地上スタッフの窓口でチェックインしたのだが、この復路では機械での自動チェックイン。私は指定通り窓際の席に当たっているが、一つ空いて通路側にも別の乗客が一人。ところが、1ブロック3席が丸々あいたところもあり、客室乗務員がそれを調整。結局、通路側の乗客は、別のブロックの窓際へと移っていった。結局往路と同じく、1ブロックに一組の配置。この密度なら感染症のリスクは低い。搭乗時間も2時間弱。稚内・札幌間のバスの3分の1だ。
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 15:45、新千歳空港を離陸。これは、数少ない飛行機の搭乗経験の中で、一番楽しいフライトだった。今まではほとんどが夜間で景色が見えなかった。一度だけ、北海道への団体旅行で昼間のフライトがあったが、窓際ではなかった。まずは、畑や牧草地から苫小牧付近の海岸へ。すぐに高度が上がり雲の中。そして雲の上に出ると、一面の雲海。傾いた日差しが、雲の凹凸を際立たせる。
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 地上は見えない。今どこだろう。GPSレシーバーを取り出し、起動する。窓は小さいが、思いのほか乾度良好。空中にいると周囲に障害物がないからだろうか。佐渡沖だった。高度12,000m、速度700km/hくらいだ。越前岬を気を過ぎ、若狭湾に入ったら着陸準備。高度が下がっていく。大浦半島博打岬から舞鶴湾の入り口を横切り、由良川の流域を遡る。福知山盆地からは竹田川を遡り、日本一低い中央分水界を越えて、加古川流域へ。後はその加古川に沿ってを下っていく。播磨平野上空で下界が雲の間に覘くようになり、やがて雲の下に出た。ゴルフ場とため池が多いが、瀬戸内海が近づくと市街地が広がる。街明かり灯り始めている。加古川河口で瀬戸内海に出たら左に旋回。南西から東に進路を変える。進行方向左側の窓際にいるので、旋回すると地上がよく見える。後、台風の風もあって揺れながら飛んでいる。地上付近では10m/s未満でも、上空はもっと強いはず。明石海峡大橋を越えて、六甲連山の西の端が見えてきた。六甲山中まで宅地が造成された様子がよくわかる。そして、神戸空港の滑走路へ着陸。ああ、楽しかった。
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 シートベルト着用のサインが消灯するやいなや、席を立ち前方の出入り口に向けて行列が出来上がる。出入り口が開くまで座って待った方が楽なのに。それに、早く降りても受託手荷物を待たねばならないし。
 受託手荷物の自転車のキャリーバッグは、例によってベルトコンベアでは出てこない。人が運んでくる。往路では細くか弱いベルトを持って運ばれたので、復路では予防線として稚内で買った荷造りベルトをキャリーバッグに巻いておいた。けれどもそれではなく、両肩の太いベルトを両手で持って運ばれてきた。まあ、太いベルトなら大丈夫だろう。ということで、ちゃんとキャリーバッグは今回仕事をしてくれた。制限区域を出る前に駐車料金の精算。これをしておかないと搭乗者割引がきかない。本当は、搭乗前にするべきだったが、荷物チェックのドタバタで忘れていた。だから制限区域を出る前のラストチャンスにかけていたのだ。
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 ところで、着陸直前の機内放送で「神戸空港の天候は曇り、気温25度」。25度!夏日ではないか。それも夕暮れ時なのに。実際空港の外に出ると風が生ぬるい。駐車場のクルマに着いたら、慌ててきている服を何枚か脱ぐ。
 夕暮れの神戸市内の混雑を心配したが、市街地走行はわずか。六甲山中に向かう道はクルマが列をなしているが、信号がほとんどないので流れはよい。夕食は、また三田でラーメン。
 朝は、稚内にいたのに夜には帰宅できたよ。あ、タブレット端末がない。

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2020/11/03

秋の利尻島弾丸紀行(4)島一周と四大坂

■利尻島一周と四大坂
 10日朝、7時前に起床して2階の寝室から、談話室のある1階に降りる。今シーズンは、相部屋にせず個室扱い。私以外は皆まだそれぞれの寝室。トールさんと番頭さんは、近くの本宅へと昨夜のうちに戻っているので、スタッフはカナコさんだけ。
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 夜のうちに雨が降ったようで地面が濡れている。宿の正面にそびえる利尻富士は、山頂を雲で隠しているが、時間を追うごとに天気はよくなる見通し。自転車で走るのには絶好の気候となるはず。強行軍でここまでやってきた目的を果たすことができる。まずは、自転車のタイヤに空気を入れる。その後は、談話室で朝食。予め買ってあったパンを食べる。
 もう一つ天気に関する朗報があった。台風14号は、さらに日本への接近を早め、近畿地方への最接近は明日の朝との予想。日中には風が徐々に収まり、チケットを世よくした飛行機が到着する夕方の神戸の風は10m/s未満の予想。これなら大丈夫。飛行機は飛ぶ。さらに、台風はその先、南東に進路をとる見込みで、関東地方への影響は昨日の予想よりもかなり低くなった。もちろん北海道への影響はほとんどない。若い女性の旅人とその喜びを共有したいところだが、まだ談話室には出てこない。おそらくこのままお別れとなるのだろう。
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 7:40、カナコさんに見送られて出発。今日は、うみねこゲストハウスの勧めるアクティビティの中で唯一自転車を利用する「坂道チャレンジ」。島を一周しながら「利尻島四大坂」を登るもの。10年前に初めて利尻島を訪れたときに、自転車で島を一周しているが、それに四大坂が加わることでコースの厳しさが増す。
 島の一周は、当然ながら時計回り。うみねこゲストハウスがある鷲泊は12時の位置だ。まずは、自転車道を目指す。利尻町の中心集落で9時の位置の沓形と、利尻富士町の中心鷲泊集落の少し東側まで間、島の約3分の1周分を、この利尻富士利尻自転車道で走ることができる。もちろん自転車道でなくてもクルマの少ない快適な道なのだが、これからたどる鷲泊まりの東側は自転車道のハイライトと言える絶景区間なのだ。鷲泊の集落を抜け、利尻富士のすそ野をまっすぐに登っていく。この道は北麓キャンプ場があり、道沿いには、ホテル、温泉入浴施設、キャンプ場などが点在する。ホテルの前には観光バスが止まり、利用者が乗り込んでいる。昨日のグランドホテルとは別のホテルだ。
 自転車道との交差点は標高50m足らず。結構登った。この坂は、アクティビティの課題である四大坂の一つ「甘露仙水の坂」。甘露仙水は北麓キャンプ場の奥にある湧き水で、自転車では車道の突き当りであるキャンプ場の駐車場まででよい。もともと、この坂は最後にする予定だったが、ここまでの登りを無駄にしないためにもうこのままキャンプ場まで登ってしまおう。島一周の最後、自転車道でなく海沿いの道道を使えば、再びここへ登る必要はないのだ。
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 しかし、その先の登りが結構長かった。北麓キャンプ場の駐車場の標高は200mあまりなのだから、自転車道の交差点までで4分の1しか登っていない。10年前の利尻訪問では、このキャンプ場に2泊し、自転車での利尻島一周と利尻富士登山をした。キャンプ場の中の歩道をしばらく行くと甘露仙水があり、さらに道は登山道として利尻富士山頂へ続く。北麓キャンプ場は、利尻富士のメイン登山口である。10年前の利尻富士登山は、この登山口から。それだけで、標高差1500m、10時間の厳しい行程だ。うみねこゲストハウスのアクティビティは,鷲土間利口から子の登山口までの往復の歩きが加わる。さらにハードになる。それでもこの「0to0利尻山」が、うみねこゲストハウスのアクティビティの中の一番人気で、私のように「坂道チャレンジ」だけのためにやってくる旅人は珍しく、利尻富士登山にやってきたついでに自転車に乗るパターンが多いそうだ。自転車はうみねこゲストハウスでレンタルできる。坂道を登るために電動アシストサイクルも選べるのが、定福寺五大修行と違うところ。時代は進んでいるのだ。
 さて、私の自転車には電動アシストなどはない。代わりにあるのが、低めのローギア。フロントダブルなので、最大勾配24パーセントといわれる小樽の励ましの坂も足をつかずに登っている。そうして、北麓キャンプ場の駐車場に到着。10年ぶりに見る景色。
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 すぐに来た道を引き返す。下りは早い。でも長い。相当下ってようやく自転車道との交差点。自転車道に入ると今度は登り。どんどん登って、標高100mを越える。北麓キャンプ場もそうだったが、海岸よりも路面がよく濡れている。木々の影で乾きにくいということもあるだろうが、山間部の方が雨が強く降ったようだ。自転車道は尾根と谷を交互に越えるのだが、アップダウンをなくすため、谷には高い橋が架かっている。この高架は鷲泊港入出の際に海上のフェリーから見える。つまり、橋からは港や海を見下ろすことができる。谷を埋め尽くす木々は、赤や黄色に染まり始めている。背後の利尻富士は、未だ山頂を雲に隠しているが、その雲も少し小さくなっているようで出発前には見えなかった雪が見えた。昨日の夕方より白い部分が広がっている。どうやら新雪が積もったようだ。
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 そんな橋が3つ続く。このような谷をまたぐ高い橋の建設にはそれなりの費用がかかったはずだが、利用者が少ない。出会ったのは高齢男性。朝のウォーキングをする地元の人という雰囲気。自然に「おはようございます」とあいさつを交わす。
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 その自転車道は車道と交差する。姫沼へと昇る道。この道も四大坂の一つ。自転車道のピークから少し下ったものの、交差点は標高80mくらいで、姫沼が標高150mほど。ほんのひと登りだ。その姫沼へもうすぐ到着するというタイミングで観光バスに追い越された。鷲泊のホテルの前で見たあの赤い色をした宗谷交通の観光バスだ。ただし、同じバスかどうかはわからない。今年は夏の観光客が激減した反動というか、秋になってから観光客のピークを迎えているという。今日は何度も赤い観光バスを見ることになる。
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 すぐに駐車場に到着。姫沼までは遊歩道を少し歩くようだ。バスから観光客が下りるには時間がかかる。その前に静かな姫沼を見ておこう、と思ったが、既に別の観光バス(赤くない)が駐車場に止まっていた。そのバスに乗ってきたと思われる観光客とすれ違いながら遊歩道へ。まだ数人残っていたが、それでもバス2台の合間の比較的静かな姫沼に対面することができた。追い越されたバスの観光客とすれ違いながら、駐車場へ戻る。
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 自転車道との交差点まで下り、さらに自転車道も下って、道道108号線へと降りる。青空がひろがってきた。利尻富士も顔を出してきている。
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 緩やかなアップダウンを繰り返し、時折小さな集落を過ぎていく。軒には昆布が干されている。夏には、大きめの砂利を敷いた地面に寝かせて昆布を干す光景が見られるのだが、今は竿にかけて干されている。春先の函館亀田半島でも竿に干されていた。時期によって違うのだろうか、それとも土地によるものだろうか。
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 時計でいうと4時の位置、島一周の3分の1を経過した鬼脇の集落にはセイコーマートがある。10年前にも立ち寄った。うみねこゲストハウスで食べたパンだけの朝食では足りないので、ここで補給。100円のパスタとバナナだ。さあ、どこで食べようかと思いながら走り出すと、すぐに「白い恋人の丘」の案内板。この丘へ登る道も四大坂の一つ。ちょうどいい。部白い恋人の丘への分岐に駐車場があり観光バスが泊まっていた。その乗客らしき人々とすれ違いながら細い坂道を自転車で登る。軽自動車が下りてきた。上にも駐車場があるようだ。
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 白い恋人の丘は標高40mほどなのですぐに登れる。駐車場に1台の乗用車と2人の男性。バスが入れるほど道も駐車場も広くない。この丘から、オタドマリ沼越しの利尻富士が見える。南側に回ったので、雪はあまり見えない。そして振り返れば真っ青な日本海。そして、礼文島。2人の男性も車に乗り込んで去っていき、景色を独り占めだ。ベンチに腰掛けセイコーマートで買ったパスタとバナナを食す。日差しが照り付けぽかぽか。朝は濡れていた路面もすっかり乾いている。ちょうど本州の小春日和とでも言いたいような気候。でも、小春の時期、つまり旧暦の10月は、北海道の最北の島でも、本州でも変わららない。今年だとまだひと月先なのだ。
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 坂を下り、島一周を再開。島の最南端、6時の位置は、仙法志埼。灯台がある。高台から、西に開けた入り江越しに利尻富士が眺められる。その入り江には波が打ち付けている。葛飾北斎の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」を連想させる。なんていうのは大げさで、あんなに波は高くない。でも、10年前にもこんな景色を見たことを覚えている。そう、北西から西の風が吹いている。隣の礼文島も、この利尻島も、あるいは宗谷岬も風の影響を受けながら走った記憶がある。季節を問わず風が強く6~8m/sくらいの風は当たり前のようだ。。事前に気象情報で晴雨だけでなく、風のチェックもするのは自転車乗りとして当たり前のこと。この日は風速4m/sまでと、比較的風の影響がましなのだ。
 仙法志埼の海岸まで下りるとアザラシがいる。今回は高台から遠くにその姿を見るだけにして、先を急ぐ。10年前には間近でお目にかかっているからね。
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 さて、赤い観光バスに何度か追い越される。同じバスと抜きつ抜かれつしているのか、それとも別のバスなのかはわからない。また、進行方向が西から北西になると、向かい風でペダルが重い。それでも、順調に9時の位置、沓形へ。時刻は、11:30。大変順調だ。この沓形では、やることが2つ。「ラーメンを食べること」と「坂を上ること」。先に坂を上る。四大坂の中で最高、標高450mの見返台への上り坂だ。沓形集落を抜け、まずは緩やかな裾野を利尻富士に向けてまっすぐに上る。染まりつつある木々の間に正面にはとがった山頂が見える。センターラインが引かれた道路だったのだが、途中でいきなり細い道へと切り替わる。道が細くなるポイントで、1台のクルマが止まっていた。直前で私を追い越した普通乗用車だ。道の細さに二の足を踏んでいるのだろうか。確かにこの先、細く曲がりくねった急な坂道に劇的に変化するけれど、観光バスだって通る道。いや、そのことを示す「大型バス運行中」の看板を見て怖気づいているのか。確かに、観光バスに出会ったら、すれ違いはできない。普通乗用車同士でも厳しい。
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 そんなクルマの脇を抜け、私は急な登りに取り掛かる。もちろん、自転車だって観光バスに出会うと厄介だ。でも、大丈夫。バスは来ない。今は麓のどこかでお昼ご飯の時間帯だ。
 急坂を上っていくと、沓形登山口。利尻富士への登山道入り口。北麓キャンプ場の鷲泊登山口よりも高くまでクルマで登れるわけだが、登山道が険しく一般向けではないので、鷲泊の方がメインで、こちらの登山道はマイナーだ。
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 その登山口を越えるとすぐに、広い駐車場に出た。誰もいない。先ほどのクルマも登ってこなかった。見返台へは、さらに遊歩道を登る。この遊歩道、アスファルトで固められた階段なのだが、かなり急勾配。水平な段であるはずの踏面(ふみずら)も、登り勾配になっている。
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 それを登ること5分ほど、展望台に到着。雪を頂き白く、そして鋭い利尻富士の山頂、そしてその反対側には日本海、さらに礼文島。空気が澄んで礼文島が近く見える。香深港あたりの建物も確認できる。また、麓の沓形集落や沓形港も見える。
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 景色を堪能したら下る。遊歩道の下りに注意が必要。傾斜したアスファルトの踏面は、ビンディングのクリートがよく滑る。手すりに頼りながら慎重に下る。
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 自転車にまたがったら、対向車に気を付けて下る。おそらく誰も来ないだろうけど、もし出合頭にぶつかったら痛い目に合うのはこちらだ。まあ、予想通り誰も登ってこなかったけど。
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 さあ下り切って、12:40。いい時間だ。小さな沓形の集落だからすぐ見つかるだろうと思ったが見つからず、いつの間にやら沓形岬へ。まあ、ここも立ち寄るべきポイントだ。10年前は、少し内陸の自転車道へと入り込んだので集落も岬も通らなかった。結局スマートフォンの地図を見てたどり着いた「利尻らーめん味楽」。利尻昆布でとった出汁が自慢の、ラーメンはミシュランガイドにも掲載されている。北の果ての離島に位置し、営業時間は11:30~14:00と昼のみで、なかなか食べるのが難しいラーメン。関東地方に住んでいれば、横浜ラーメン博物館で食べられるのだが、やはり本店で食べる方が値打ちがある。ちなみに前回は、沓形付近を通過したのは夕方だったし、そもそも味楽の存在を知らなかった。店に入ったのは、13時少し前。夏には行列ができる店だが、今は地元の人のみ。そして混雑が落ち着いた時間だ。店内は、イスとテーブルが並ぶ普通のラーメン店の雰囲気の部屋と、その奥の座敷の部屋。土間は地元民らしき人が食べている最中。奥の座敷に案内される。もともとは土間だけで営業していたが、有名になって旅行者も訪れるようになり、本来は居住空間であった座敷にも客を入れるようになったということかもしれない。手前には一人の客がいたので、ソーシャルディスタンスをとって一番奥の床の間の手前に座る。そして看板商品の焦がし醤油ラーメンの大盛を注文。混雑のピークは過ぎていて、すぐにラーメンが出てきた。何かしらの特徴があるわけではない、普通のラーメン。もちろん、美味しい。わざわざこんな最果てまで食べに来るほどではない、なんていう人もいる。でも、旨いラーメンを求めて北へ南へ駆け巡る旅があってもいいじゃあないの。
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 さて、ラーメンも食べたし四大坂も終わったし、あとはうみねこゲストハウスへ戻るだけ。残り約14kmのラストラン。進行方向は北から徐々に東へ。風は徐々に背中を押すようになり自然にラストスパートがかかる。
 沓形と鷲泊の二大中心街の間には、あまり集落はない。道道もこの区間だけ105号線と番号が少し若返る。広大な裾野から天を指す山頂まで、利尻富士の全貌を右に眺めながら進んでいく。広い駐車場がいくつかある。10年前は、ここにスーパーカブを止めて、自転車で島を一周した。さらに、利尻空港と広い敷地を利用した施設が続く。北国グランドホテルの高い建物が見えてきた。鷲泊のランドマークだ。セイコーマートで食べ物と飲み物を買って、14:30、うみねこゲストハウスへ。
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 距離約80km、獲得標高は推定で800m。ちなみにGPSレシーバーの計測ではプラスマイナス1500mかなり誤差が多いと思われる。いずれにせよ、四大坂が加わった利尻島一周はちょうど丹後半島一周と同じくらいのコースとなる。

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2020/11/02

秋の利尻島弾丸紀行(3)うみねこゲストハウス

■うみねこゲストハウスに定福寺五大修行の面影を見る
 うみねこゲストハウス到着は、16時半過ぎ。チェックインの手続きをし、部屋へと案内されながら、「今日はいい夕日が見られそうですよ。自転車組み立てて、見に行ってきたらいかがですか」と宿主のカナコさん。カウンターには、「本日の日没17時03分」とかかれたホワイトボード。ありゃ、早く言ってよ。これは急がないと。慌てて自転車を組み走り出そうとして、部屋に戻る。ライトやズボンのすそを縛るベルトを取り出し、自転車へ跨る。教わった夕日のスポット「夕日ヶ丘」までは、1.5km。港からは上り坂もある。あ、ペダルのビンディングにクリートがはまらない。着脱式のペダルを左右逆に取り付けている。直す時間が惜しくてそのまま行く。スタートからずっとスパートをかける。
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 夕日ヶ丘はすぐに分かった。海岸の小山だ。頂上には数人の人影が見える。自転車を止めて、急なシングルトラックを駆けあがる。頂上に到達できなくても、途中から見られればいい。でも、何とか間に合った。礼文島の左側の水平線に沈む夕日。背後の利尻富士も赤く焼けている。利尻赤富士だ。2、3日前に今シーズンの初冠雪をしたというが、雪の部分は小さくやせ細り、言われなければ冠雪したことに気づかない。
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 帰り道に、うみねこゲストハウスで教わった中華料理店「笑う門」で夕食をとる。寿司屋のような作りの店だった。居抜き物件か。笑う門の近くには大きな「利尻グランドホテル」があり、玄関前に観光バスが横付けされ乗客が下車している最中だ。
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 ゲストハウスに戻ると、カナコさん、トールさん、番頭さんの宿主ファミリーがそろって、若い女性の旅人もいてにぎやか。さらに、あと2人の男性の旅人が到着し、この日宿泊は4人。みな一人旅。札幌のゲストハウスよりもにぎわっているではないか。本来はもうこの時期シーズンを終えているのだが、今年は春から初夏にかけて休業、つまりシーズンインが遅かったので、少し遅くまで営業しているという。後から到着した2人は、それぞれ食事に出かけて行った。しばらくは、私と若い女性の旅人とうみねこファミリーで談話室でおしゃべり。若い女性の旅人は、9月の4連休に小樽の「とまや」からスタートした北海道の旅だそうだ。期限を決めない旅だが、もう明後日くらいに帰るのだそうだ。ということは、私と同じく台風14号が日本に近づくころ。ただし、私と違って帰りの航空券はまだとっていないとのこと。期限がないなら台風が去るまでゆっくりすればいいような気もするが、それでも帰りたいらしい。お互いどうなることやら。天気予報は2日後までは詳しく示されるようになる。私が予約した帰りの飛行機が着陸する明後日の夕方の神戸の1時間ごとの風の予報は、15~18m/s。飛行機の運航には厳しい状況だ。でも、不安を共有できて少し楽になった。いずれにせよ今後の台風の動き次第で状況は変化するのだから、成り行きに任せるしかない。
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 そのうち、食事に出ていた旅人も、それぞれ戻ってきて、旅の夜は楽しく更けていく。
 さて、利尻島がこの旅の最終目的地なのだが、もっと言うとうみねこゲストハウスに泊まるためにやってきたのだ。談話室の壁には、たくさんの旅人の名前のリストが貼られている。それは、このゲストハウスが勧めるアクティビティに挑戦し、達成した人たちが自分で記したものだ。その一つは、利尻富士登山。ただし、標高220mの登山口からではなく、ゲストハウスの前の海に手を浸けて、歩いて登山口へ行き、さらに標高1700m余りの山頂まで登り、最後また海に手を浸ける。その名も「0to0利尻山」。さらに利尻島一周55kmを歩く「GOGOウォーキング」。そしてもう一つは、明日挑戦するので説明は報告を兼ねて後に記す。
 ここで、四国にかつて存在したユースホステルのことを書かねばならない。徳島県との県境に接する高知県大豊町の定福寺ユースホステルだ。名物は「五大修行コース」。自転車や登山などのコースだ。1990年夏にたまたま泊まったのをきっかけに、1997年にユースホステルの営業を終えるまで、年1回を上回るペースで訪れた。特に、標高差800mを登り県境の京柱峠を越え、祖谷渓、大歩危小歩危をめぐる約90kmの「京柱コース」は、5回くらいは走った。また、五大修行の最難関がヨサクコース。剣山の見ノ越峠など峠が連続する四国山地の中を、徳島市から中村市(現四万十市)まで四国を横断するロングコースだ。このコースだけは、自動車やオートバイなど動力のついた乗り物を利用することが許され(ただし運転者のみ認められる)、その中間点付近に位置する定福寺ユースホステルを境に、東西それぞれ半分の走破で修業を成し遂げたと認定される。私は、そのヨサクも全線自転車で走破した。当時は、四国のいくつかのユースホステルでそれぞれ「〇〇共和国」を名乗り「共和国連合」を結成していた。定福寺ユースホステルは、お寺に所蔵されているお地蔵さんにちなんで「笑い地蔵共和国」を名乗っていた。五大修行のうち京柱を含む3つを達成すると笑い地蔵共和国の「国民栄誉賞」が授与され、5つすべての達成で「人間国宝」に認定される。毎夜夕食後のミーティングでは五大修行が紹介され、その日修行者がいれば体験談を聞く。栄誉賞や国宝の要件達成者が現れれば、表彰式が行われる。ミーティングルームの壁には歴代受賞者の授賞式の写真が貼られている。もちろん私も、「国民栄誉賞」「人間国宝」いずれも達成している。と、五大修行のことばかり書いたが、ユースホステルのペアレントであり、共和国の大統領でもある、お寺の住職の人柄の魅力も大きい。笑い地蔵とは住職のことと思っていた人もいる(?)くらいだ。
 定福寺ユースホステル閉所(お寺は存続)から約20年、北海道を中心とした小さくて安く泊まれる宿の有志で発行される「とほ」という冊子(及びそのWebサイト)で利尻島にオープンしたゲストハウスを知る。そこで用意されたアクティビティコース。3つすべてを達成すると、「利尻人」に認定される。SNSに掲載されている写真に見える、談話室の壁の達成者の名前の一覧。失礼かもしれないが、「定福寺ユースホステルの再来」「北に蘇った五大修行」と感じてしまった。もちろんネット越しではあるが、うみねこファミリーの旅人に接する暖かくて楽しい人柄も感じられ、ずっと「ここに泊まりたい」「アクティビティを体験したい」とあこがれていた。

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2020/11/01

秋の利尻島弾丸紀行(2)樹舎そして北上

■自転車押しの宿「樹舎」そしてバスで北上
 21時過ぎ、本日の宿に向けて出発。漕ぎだした瞬間、タイヤの空気圧が低いのに気付く。飛行機に乗せる前に空気を抜いたのだった。慌てて空気を入れる。
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 宿に行く前に、寄るところがある。それは、明日の朝、乗車予定のバス乗り場。大きな目印テレビ塔の近くだからすぐにわかるつもりでいたのだが、落とし穴があった。バスターミナルを見ても稚内行きの表示がない。他の道内各地への便はちゃんと時刻や料金が記されているのに。実は、そこは中央バスのターミナル。私が乗る予定の宗谷バスのターミナルは、少しだけ離れた場所なのだった。そんなことで時間をロスしてしまった。もう夕食をとる時間はないようだ。すすきのを素通りして南下。夜の路面電車って、なんだか幻想的。
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 今宵の宿、「ゲストハウス樹舎(いつきや)」は、中島公園に近い住宅街の中。中島公園って、あの「札幌中島体育センター」があるところだよね。藤波辰爾とのシングルマッチに挑むべく入場する長州力を花道で待ち伏せ襲撃した藤原喜明。実況の古舘伊知郎は、そんな藤原をテロリストと称した。1984年2月3日の札幌中島体育センターにおける「雪の札幌テロ事件」だ。前座レスラーだった藤原が、2年後の1986年2月6日にはかつての師匠アントニオ猪木との一騎打ちで両国国技館のメインエベントを張る。文字通りのメインエベンターへの第一歩だった。
 それはともかく、樹舎は住宅街の細い路地の奥。迷う人続出とのことで、しっかり予習済み。GPSレシーバーにもちゃんと場所を登録してきた。路面電車の通る本通りに閉店間際のスーパーマーケットがあったので、売れ残りの弁当ををゲット。これが夕食だ。そして、樹舎へ。チェックアウトぎりぎりの22時少し前に無事到着。本日の宿泊は一人とのことで、玄関に自転車を入れさせてもらった。
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 札幌にはゲストハウスはいくつもあり、GoToトラベルで2,000円台で泊まれる宿もあった。樹舎は、GoToトラベルに登録していないのだが、宿主さんが自転車乗りなので今回お世話になることにした。古いロードレーサーが壁に掛けられた、リビングルームでの自転車談義。私も30年以上前の自転車を数台所有しているので、話はそういう流れとなり、宿主さんが持ち出してきたサイクルスポーツ誌は1970年代のものだった。いやあ、古い話は尽きないねぇ、自転車もプロレスも。年を取ったからだろうなぁ。
 2年前の台湾からの復路の飛行機は、機材繰りの影響とやらで、飛行機が30分以上遅れた。でも、今日は時間通り、いや少し早く札幌について、宿のチェックインに間に合った。しかし、寝る前の天気予報チェックで、状況は一転。台風14号だ。昨日までは旅を終えた後に本州最接近する予報だったのに、なんと日本接近が早まりちょうど神戸空港に戻る10日午後に近畿地方に最接近するというのだ。帰りの飛行機は無事に飛ぶのだろうか。この夜も眠れず、睡眠負債は雪だるま式に増大。
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 9日朝、6時起床。玄関前で自転車とともに記念撮影してもらい、6:30頃に出発。セイコーマートによってからバスターミナルへ。昨夜の下見のおかげで、落ち着いて行動できた。6:50、到着。バスの予約はしてあるが、チケットを受け取らねばならない。窓口が開くのは7:20との表示。自転車をキャリーバッグに収めて、先ほどセイコーマートで買った納豆巻きを食べていると窓口が開く。往復で予約してあるので、チケットは復路の分もここで発行された。復路のバス乗り場は、インターネットで予約した際には稚内駅前しか指定できなかったが、宿泊予定の宿の最寄のバス停からの乗車ということに指定しなおすことができた。
 6:40、稚内行きのバスは札幌を出発。300km、6時間の長旅の始まりだ。バスの座席は横3席、縦10席ほど、つまり定員約30人。で乗客は10人くらい。中央の席は空いていて、左右のどちらかの窓際に一人ずつ。私は、日本海や利尻富士が見える左側の窓際を確保。
 札幌の市街地をしばらく走った後、バスは道東自動車道に乗り、深川JCTまで。そのあと自動車専用道路に乗り継ぎ、留萌へ。そこから国道232号線で日本海沿岸を北上。思惑通り、日本海や利尻富士の姿を楽しむ。羽幌からは天売と焼尻も見えた。あの島にもいつかわたってみたい。休憩は、道央自動車道の砂川S.A.と羽幌の道の駅。
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 天塩を過ぎたら自動車専用道路に乗り、サロベツ原野を見下ろしながら北上。稚内の市街地手前で車内放送。市内の路線バスの各バス停で降車ボタンを押して下車可能、とのこと。前の座席のおじいさん、稚内到着までまだ1時間以上手前の豊富辺りから、振り子を逆さにしたように体を右に左に降って前方をのぞき込んでいる。明らかにじれている。稚内手前の車内放送を聞くと、早々に荷物を手にして降りる支度。市内に入ってすぐのバス停で降りるのか、と思いきや下車したのは終点の稚内フェリーターミナル。私が下車の支度をはじめたのは、おじいさんに遅れること20分以上。そう、いくら支度を早めてもバスが到着しないと降りられない。
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 バスは定刻13:30、稚内フェリーターミナルに到着。利尻島行きのフェリー出発はちょうど1時間後。急いで昼食だ。自転車が入ったキャリーバッグを置いて、1km足らず離れたJR稚内駅まで歩く。鉄道の駅は道の駅も併設されていて、食堂もあるのだ。ならば、一つ手前の稚内駅までバスを降りてもよかったのだが、大荷物を引きずって歩くのが嫌で終点まで乗った。また、自転車を車両としてフェリーに乗せるとその料金が1,560円もかかる。輪行袋やキャリーバッグに入れて手荷物として持ち込むと料金は発生しない。だから、自転車はバッグに収めたままなのだ。
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 速足で駅に移動。ラーメンと豚丼のセットを注文。急いで食べてまたフェリーターミナルへ。何とかフェリーに間に合った。これがこの日の最終便だから、乗り遅れたら大変なのだ。
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 14:30稚内港離岸。少し揺れる中、雑魚寝の船室でまどろんで過ごす。16:10、利尻島鷲泊港へと接岸。10年ぶりの利尻島上陸だ。自宅出発から30時間、とうとうここまでやってきた。今宵の宿、「利尻うみねこゲストハウス」は、フェリーターミナルから400mほどの港の構内。キャリーバッグを引きずって歩く。
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