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2019/11/28

来た!白鳥の内海

 天橋立の内海、阿蘇海には冬の渡り鳥が飛来している。ここで初めて白鳥を見た。小柄だ。コウノトリも小さい。豊岡の田んぼにも飛来するコハクチョウか。

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 新聞によれば、やはりコハクチョウで間違いなかった。かつてはよく見られたが、最近珍しくなったとのこと。

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2019/11/26

宵のダブル明星

 11月23日夕方、残照の西の空に縦に並んで輝く2つの星。1つは「宵の明星」金星だろう。もう一つは? 飛行機かと思ったが、2つとも動かない。写真を撮ろうと思ったが、カメラを持ち出す前にちょっとだけごそごそと作業をしたらすっかり忘れてしまった。
 調べてみると、金星と木星が接近しているとのこと。最接近といっても地球からの見た目のことだけど。最接近は24日とのこと。快晴の23日と比べ雲が多めの日だったが、なんとか夕方には雲が薄く、特に西の空の低い位置は晴れてくれた。撮影に成功。

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小春日和の舞鶴通勤ツーリング

 11月23日、土曜と勤労感謝の日が重なり休日となった人が多いだろうけど、当方は勤務。舞鶴へ。あまり朝は早くなく、昼には終業。というわけで、少し寒いけど自動二輪で。片道50km弱で1時間強。朝の往路は寒いけど、2週間前の11月10日よりはまし。同じくらいの最低気温、同じ時間帯なのだけど。快晴で日差しがあるからかなあ。今年は紅葉が鮮やか。
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 復路は気温が上がって快適。しかしクルマが多い。舞鶴市内は渋滞。また、自動二輪も多め。小春ももうすぐ終わる。過ぎゆくシーズンを惜しみながら走る。

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2019/11/12

関東甲信越遠征「ランドナーの秋、パスハンティングの秋」2019(6)小千谷ふるさとYH小熊黒沢林道

■小千谷ふるさとユースホステル
 長野I.C.から上信越自動車道で。バスの中からI.C.までの道順を頭に入れておいたので、道路は混雑していたが道に迷わずに高速道路に乗ることができた。豊田飯山I.C.では、ETC・一般兼用の1レーンしか通行できず車列ができている。私も、無料措置の書類を提出した後に運転免許証の提示を求められもたつく。その先は千曲川沿いを行く。市街地は少なくなりクルマもまばらですいすいと行けるが、到着予定時刻には間に合いそうにない。すでに暗闇で川の周辺の様子はわからない。国道117号線で長野県から新潟県へ。19時半を過ぎて小千谷ふるさとの丘ユースホステルに到着。19時の夕食に間に合わなかったことを詫びる。もちろん道中に連絡を入れた。夕食と入浴を済ませてお楽しみのお茶の時間。去年の夏以来、1年3ヶ月ぶり。小千谷のおやぢさん、小千谷のおかんさんのマネージャー夫婦とのおしゃべりが楽しい。もう一人泊まり合わせたホステラーとおそらく同世代のメンバーで話は尽きない。日付が変わってお開きとなった。
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 未明にはやや激しい雨。朝には上がったが、曇天。上空の寒気のため日本海側は時雨模様。長野でのボランティア活動は行われるだろうか。
 朝は、炊き立てのコシヒカリの朝食。もちろん昨日の夕食も炊き立てのはずだったのだが、私が遅れたのだ。遅れることを電話した時、もう少し早く言ってくれたらご飯を炊くのを遅らせたのに、とおかんさん。ごめんなさい。もう一人のホステラーも到着が遅かったそうだ。そちらもリピーターのようで、まあお互いマイペースだよね。
 朝食の後もおしゃべりタイムとなり、結局我々が出発したのは11時ごろ。私は京都府北部の丹後半島へ、もう一人はさらに西まで今日中に帰る。
 長野までは来た道を戻る。小千谷ふるさとの丘YHに泊まるためだけに往復250㎞以上をやってきたというわけだ。おやぢさん、おかんさんと会って話をすることにそれだけの価値があると考えている。そりゃあ、夜更かしも長居も当然のことなのだ。しかし、道を間違えた。信濃川の左岸に渡ればよかったのだが、右岸を遡上したため魚野川沿いを来たことに小出で気づく。しばらく魚野川をさかのぼり、上越新幹線の浦佐駅を見てから山越えして、十日町で信濃川沿いの国道117号線に復帰。小出や浦佐の風景も懐かしかったし山越えルート沿いの紅葉もきれいだった。でも時間をロスしてしまった。
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 信濃川、そして千曲川には洪水の爪痕が残る。円錐形の高社山が見えてきた。北信のシンボルだ。
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 飯山でラーメン。「おおぎや」という店。郊外をバイパスする国道19号線から市街地に向けて分岐する道に入ってすぐの場所にあるので、立ち寄りやすい。北信エリアに来るのは2016年3月末の鍋倉山スキー登山以来だから3年半のぶり。千曲川の河川敷でテントを張ってファルトボート(折り畳み式カヤック)で川下りをしたのは2009年のシルバーウィークだから、もう10年たつ。あの時もおおぎやで何度もラーメンを食べた。2002年10月に野沢温泉スキー場上ノ平高原から木島平のカヤの平へ自転車で走ったコースも今は通行止め。早く復旧してほしいものである。そのとき初めて泊まった「高社山麓みゆきの杜ユースホステル」にももう10年以上ご無沙汰。ここも魅力的なYHだ。また泊まりにいきたい。
 この先は中野、小布施、須坂、そして長野市街と時間がかかるのでやはり高速道路を利用する。もうボランティアのための無料措置対象外。豊田飯山I.C.から長野I.C.まで950円のところETCの休日特別割引で670円。
 長野I.C.から千曲川を渡って西へ進み国道19号線へ。長野市街といってもはずれの方なので何とかクルマは流れている。篠ノ井で国道から県道31号線へ。山間部の谷に沿った道だが、クルマの流れは良い。1998年の長野オリンピックに向けて整備されたメイン会場の長野市とスーパー大回転の会場白馬村とを結ぶ道。そうこれから白馬へ寄り道なのだ。
■帰路に寄り道白馬「小熊黒沢林道」
 神城駅あたりで国道148号線に突き当たる。正面に見えるは白馬五竜スキー場だが上部はガスに覆われている。こちらも朝まで時雨れていたのだろう。見えている範囲は全山紅葉だ。国道148号線を南下していくと、いつしか稜線にかかっていたガスは消えている。南から天候は回復しているようだ。今日の昼前からの移動の道中、曇天の雲間から日が射すようになるまで空模様が回復してきているものの、何度か通り雨にもあった。時間が押していることは、天候の回復ということに関してはかえって幸いだったかもしれない。しかし、日没が迫っている。
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 小千谷からすんなり帰るよりも100kmも余計に走っての寄り道をして、しかも高速料金までかけている。やはり最後に自転車に乗ろう。木崎湖の大展望がウリの小熊黒沢林道だ。
 青木湖、中綱湖を通り過ぎたところで鹿島槍スキー場へ。時間的に周回は無理だと思われるので、展望ポイントまでのピストンということで、スキー場の駐車場中で一番高い位置のところへクルマを止める。クルマの外に出ると寒い。急いでランドナーの準備にかかるが、前輪の空気が抜けている。パンクしているのだろう。3日前に走り出す前にも空気圧が下がっていたのだが、道志みちや柳沢峠の2日間持ちこたえてくれた。おそらく穴が小さく、タイヤの内側とチューブが固着していてクルマのチューブレスタイヤのような状態になって空気が抜けにくいのだろう。チューブ交換している暇はないので、空気を入れ直して走ることにする。
 16:20、スタート。標高865m。林道は全舗装。すぐに急な登り。ペダルが重い。またリムとブレーキシューが干渉している。今度は前輪だ。ただしリムの触れではなく、ブレーキ本体が傾いている。Vブレーキなのだが、フレームに固定するボルトが緩んで固定ピンが抜けているのだ。焦る気持ちを抑えながら修正する。GPSレシーバーで日没時刻を確認すると、16:49分。もうすぐではないか。丹後より20分も早い。ちなみに丹後なら11月下旬ごろの日没時刻。
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 クルマが2,3台連なって降りてきた。軽トラックなどお仕事のクルマのようだ。
 17:00、ロッジが立ち並ぶエリアに到着。山の上とは思えない広い平坦地が広がる。鹿島槍スキー場の上部である。北アルプスの鋭い峰も見ええる。すっかりガスは晴れ、残照の空をバックにそびえている。二つの峰があるが、どちらかが鹿島槍ヶ岳なのだろう。帰宅してから調べたところ、左が爺ヶ岳で右が鹿島槍だった。分岐があり、直進すると鹿島川の谷へと降りる。小熊黒沢林道は左折だ。
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 スキーリフトの降り場がある小ピークへ登ってみるが、展望ポイントではなく木崎湖は見えない。林道も登りが続く。
 標高1305mまで登ったら、道は下りとなる。林道の最高点だ。1250mまで下って、登り返す。そうだった、この林道は何度かアップダウンがあるんだった。
 もうすっかり暗くなった。上空には上弦の月。月齢7のまさに半月だ。この月明かりで木崎湖が見えるだろうか。
 ブラインドコーナーを抜けると展望が広がった。おお!街明かりがきらめいている。あれは大町の市街地か。美しい夜景を見られるとは思わなかった。その手前に木崎湖もぼんやり見える。国道148号線を行き交うクルマのヘッドライトの列も見える。南向きは列になっているが、北向きは空いている。
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 そこが展望ポイント。パラグライダーのテイクオフポイントでもあるようだ。標高は1280m。三連ピークの2つ目だ。ここまで来たら、ピストンでなく周回しようという気になってきた。
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 17:40、展望ポイントをスタート。1180mまで下り、最後のピーク1245mまで登る。そのあとは長い下り。ヘッドライトを付けているが、曲がりくねった細い道。慎重に。対向車が来た。たまにクルマが通る。めったに通行がない道での出会い頭は危険なのだが、暗い道でお互いヘッドライトを点けているのでかえって安心だ。
 下りが長く寒い寒い。木々の間に木崎湖や湖畔の集落が見えてくる頃には体かかなり冷えてしまった。18:15、木崎湖畔に降り立つ。標高775m。木崎湖の西岸を行く。対岸の国道のクルマの流れは、上から見下ろした時よりも減っているように見える。湖の北岸に達し、しばらく田園地帯を北上し、大糸線の踏み切りを渡って国道148号線へ。ちょうど踏切が鳴り出した。列車を撮影したが、スローシャッターに設定していたのを忘れていて、列車は光の帯になってしまった。
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 ハンドルが重い。前輪の空気が抜けている。あと少しだが、ここで空気を入れ直す。交通量が減ったとはいえ、国道はクルマの天下。でも、2kmで鹿島槍スキー場入り口。一番上の駐車場まで上らなければならないが、体が暖まるのでむしろ歓迎だ。19:00、ゴール。クルマにランドナーを撤収。日が暮れて気温が下がり、クルマのフロントガラスの内側がくもっていた。24.6km。
 さあ、帰路に着く。大糸線沿いの国道148号線を北上。もうクルマはまばらだ。お土産を買うつもりでスーパーマーケットに立ち寄りながら、別のものを買っていたらお土産を買い忘れた。立ち寄り温泉併設の道の駅「おたり」があいていたので、そこでお土産ゲット。
 1995年7月の大雨により、国道148号線は半年、大糸線は1年以上、通行止あるいは運休となった。復旧後の国道はトンネルの連続となった。
 糸魚川I.C.から北陸自動車道に乗るのが最速なのだが、国道8号線も流れがいいので、富山県の朝日I.C.までは一般道を行くのが恒例のパターン。ガソリンも入れなければならないし。だがなかなかお目当てのブランドのガソリンスタンドが現れず、結局富山西I.C.まで国道8号線で行ってしまった。北陸自動車道は交通量が非常に少なく快適。中央自動車道は、中京圏や関西圏へ帰るクルマで混雑しているはず。特に、恵那山トンネルから中津川I.C.の間でリニューアル工事のため片方の車線をを規制し、もう片方の車線を対面通行としている。去年もこの時期に同じような規制をしていて、その区間を越えるのに1時間近くを要した。
 北陸自動車道を順調に走り、恒例により武生I.C.で国道8号線へ。そしてすぐに国道365号線、476号線と南条経由で敦賀へ。クルマが少なく走りやすい国道のほうが高速道路より好みなのだ。敦賀からは国道27号線だが、これもすぐに広域農道「若狭梅街道」へ。日付が変わって、ようやく帰宅。4日間のクルマの走行距離は、1500kmに達した。前半の1泊2日の自転車の旅の間クルマを放置していたというのに。日程の割に壮大な旅だった。
 いろいろと欲張って盛り込んで、どうにかそれをほぼ実現できた。唯一予定通りに行かなかったのは、道志みち。通れると思っていた村道が通れるかどうか、通行止の情報がないだけで実際にはどうなのかわからないことに気付いたのは、現場に向かう途中。幸いその日に開通した別の道に救われた(道志村公式サイトに村道は通行止めであるとの情報が掲載されていることが後日判明)。本来計画していた旧中津川林道を含め、道路の復旧に期待。
 そして何より、被災地の早い復旧。被災された方々の生活の再建。これらの早い実現を切に願う。

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2019/11/11

関東甲信越遠征「ランドナーの秋、パスハンティングの秋」2019(5)長野ポランティア

■長野市で復興支援(ボランティア)活動
 ランドナーをクルマに収め、15時スタート。旅の後半に向けて長野県へ。国道20号線と迷った挙句、県道を行く。予想通り、甲府市が近づくと混雑してくる。石和温泉も通過に時間がかかった。どうにか甲府を越え、韮崎で国道20号線へ。広い片側2車線で、店や住宅とも隔離された高速道路のような道。これなら初めから国道20号線を選んだ方がよかったか。すぐに左から国道52号線が合流。50㏄のスクーターで静岡から国道52号線、20号線を走って信州を訪れたことがある。だからこの先は懐かしい道。広い道は新しくて見覚えがないが、片側1車線になると30年近い時間の経過が逆戻りするようだ。特に、右側の屏風のような河岸段丘の段丘崖は印象的。
 左に甲斐駒ヶ岳などの南アルプス、右に八ヶ岳連峰を見て夕景の道を行く。クルマは多いがちゃんと流れている。長野県に入ると宿場の街並みはまた懐かしい。雪のない季節はMTBダウンヒルのゲレンデとなる富士見パノラマスキー場へ左折。MTBをゴンドラリフトで運んで入笠山の山頂近くまで登り、ゲレンデの急勾配は無理なので、林道コースを選んで下ったのは、11年前だ。そのスキー場の手前にある「入笠山湿原ユースホステル」にチェックイン。高台にあり、残照の空をバックにした八ヶ岳連峰が見える。夕食は豪勢だった。
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 ユースホステルでは朝食を取らず、6時半過ぎに出発。八ヶ岳連峰は雲に隠れている。昨日の夕方見ておいてよかった。
 国道152号線で上田方面に向かうつもりったが、分岐を曲がり損ねて、正確に言うと高架化された新しい道でインターチェンジを通り過ぎてしまいそのまま諏訪の町へ。まあいい。諏訪で朝食を取ろう。24時間営業の山岡家で朝ラーメンだ。しかし、正確な場所を調べるのを忘れていた。諏訪市街を迷走する。結局見つけることができず、代わりに諏訪湖畔にすでに営業しているラーメン屋を見つけた。そこで朝食。
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 1年ぶりの諏訪大社下社秋宮の前を通って国道142号線へ。この道も1年前に走った。上田で国道18号線へ。もう道の混雑が始まっている。諏訪で時間を費やし、朝早く出た意味がなくなってしまった。
 千曲市から長野市へ入ってすぐ、野球場のある運動公園が見えてきた。目標が大きな建造物なのでわかりやすい。運動公園への入り口の交差点の角がコンビニエンスストアなので、そこで昼御飯用のおにぎりをゲット。公園内のいくつかの駐車場は既に満車だが、どうにか係員の誘導でクルマを止める。現在10時過ぎ。10時半の受付終了に何とか間に合った。
 先月の体育の日の3連休に日本を強襲した台風19号。その爪痕が残る地域に遊びに来ているわけである。心の傷も未だ癒えぬ人もいるこの地に。せめて1日くらいは復興のお手伝いをしなければ申し訳がない。被災地のすべてがボランティアの募集を行っているわけではなく、例えば山梨県では募集されていない。千葉県や東北各県は今回訪れたエリアから遠いので長野県内に絞られた。だが、多くは地元の人限定の募集。唯一地域を問わず募集されていた長野市に来たわけだ。
 運動公園の広い敷地を歩いて受付場所へ。行列ができていた。「最後尾」と書かれたボードを持った人の背後に建つと、そのボードを渡された。後から来た人にバトンタッチしていく方式だ。行列の途中に受付の長机。そこで名前等を記入。名札シールをもらう。そこからはバス待ち行列。並びながら、5人ずつのグループに編成される。私のグループは、長野市と諏訪市からの男性、名古屋市と岐阜県からの女性。そして京都府からの男性である私。それぞれ単身での参加だ。長野電鉄の観光バスに乗って移動開始。バスは補助席も使って満員の状態。なお、受付は9時からなので、早く来た人はすでに現場に行っているようだ。
 バスは混雑する市内を移動し、上信越自動車道長野I.C.から一区間北上し須坂長野北I.C.へ。千曲川を渡る。広い河川敷に立つ木々は下流に向けて傾き、泥がコーティングされ、ごみが引っ掛かっている。洪水の跡がくっきり。
 バスがスタートした運動公園は、長野市南部の拠点。それに対しこれから訪れるのは北部の拠点。10km以上離れているため高速道路での移動。その北部の拠点が、ボランティアセンターの総本部というわけで、本来は市役所の支所。駐車場には災害派遣の自衛隊の車両が並ぶ。こちらでは被災者からの相談窓口もあり、実際面談が行われている最中だった。運動公園で受付を済ませている我々にとっては、トイレを済ませることがここに来た実質的な理由。後、昼ご飯を持ってきていない人はすぐ近くのコンビニで買ってくる。バスは満員なので乗り降りにも時間がかかる。
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 再びバスに乗り込み次の拠点へ。「市中引き回し」されているようでどこに向かっているのかわからない。2回目の移動は比較的短くて、付いた先は特別養護老人ホーム。隣接した更地がバスの発着場として使われている。ここでバスを降り、歩いて活動現場に移動する。それぞれの拠点には、スタッフが常駐しそれぞれ案内をしてくれる。そのスタッフは、全国各地の自治体の社会福祉協議会から派遣された人たちらしい。たくさんのボランティアを受け入れるには、大勢のスタッフで体制を組む必要がある。全国どこかからでもボランティアを受け入れられるのが長野市のような大きな自治体に限られるのは、こうしたことが理由だ。
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 数台のバスで運ばれてきた人々で、大グループが形成される。我々は、5人一組のグループが13組で65人の大グループを形成。リンゴ果樹園と住宅が入り混じったエリアを5分ほど歩き、20~25人くらいずつが現場に振り分けれれていく。その現場とは、ゴミが積み上げられて山となった住宅の合い間の空き地。ゴミの仮置き場だ。ゴミに埋め尽くされているので、その土地がもともとどういうものなのかわからない。そこには、家電、表具、廃材、そして生活雑貨、装飾品など泥にまみれたありとあらゆるもの。それが分別されずに積み上げられている。例えば、冷蔵庫の中には、野菜や魚の切り身など食品が入ったまま。食器棚には食器、CDラックにはCDが入って捨てられている。このごみ集積地に次々にトラックが横付けされ、そこにある程度分別をしながらごみを積み込むのが我々の役目。また、長野のボランティアセンターでは、人員だけでなく軽トラックも募集されていて、ごみの搬出のトラックもボランティアとして参加しているもの。仮置き場からごみを撤去するのが、この3連休の目標だそうだ。
 リンゴの木の下にはたくさんのリンゴが落ちている。落ちていない実も泥に汚れている。一度川の泥水に使ったリンゴはもう出荷できない。細菌やウイルスが含まれた泥水を浴びたものを食べるわけにはいかない。
 我々が現場に到着した時刻は正午過ぎ。運動公園から2時間かかって到着したことになる。すでに、先着した人たちが作業を行っていて、我々が昼休憩に入る彼らと交代して作業にかかる。木材、木製品など可燃物を中心にトラックに積み込んでいく。障子やふすまなどの建具が場所を取っていて、それらを取り除くと辺りが開けて作業がはかどった感じがするのだが、いろいろなものが上に積み重なっていてなかなか引っこ抜くことができない。まるで城を攻めるのにまず外堀を埋めるかのように、周囲の細かなものを取り除く必要がある。木製品には、木彫りの民芸品なども含まれる。釘の出た角材もあり、靴底を踏み抜いて怪我をする事例もしばしばある。私の場合。東日本大震災の被災地で活動するときにそろえた装備が役に立つ。長靴には金属の中敷きを入れてあるので、安心して歩ける。細かい土ぼこりが立つのでゴーグルをつけるが、マスクの端から漏れる呼気がゴーグルの中に入り視界が曇ってしまう。こうした作業用のマスクでなく、普通のマスクを持ってきたのがよくなかった。二者択一でマスクを選び、ゴーグルは基本的に外し土ぼこりが立った時だけかける。
 そのうち、このトラックには「家電」、とか「金属製品」などと指示が出る。冷蔵庫など大きなものは、数人で力を合わせて運ぶ。50インチを越えていると思われる大画面のテレビもかなり手ごわかった。
 5人グループに振り分けられたとはいえ、こうした現場では小グループにこだわらず、その場にいる人々と協力して作業をする。この現場では、5人グループは、実質人数の把握のためのもの。その5人グループ編成の際にリーダーが選ばれるが、要するに全体の指示をメンバーに伝えたり、移動の際にメンバーがそろっているかを確認する世話係。ちなみに、我々のグループでは私がリーダーに選ばれた。ヘルメット(2か月前の富士登山用に買ったもの)をかぶっていたり、薄汚れた服装をしていたりしてこういう活動になれているように見えたらしい。
 ただ、狭い場所で大人数が動くので作業の効率が悪い。列になってリレー形式で受け渡しをする方がいいと思うが、他の参加者に指示をするような立場ではないので、自分の行動をどうすればよいかを考える。ゴミの山から運び出すものを発掘する作業に専念する。発掘と運搬、それぞれ係に分かれるだけでも効率は上がる。
 我々の作業開始から1時間余り、13時半ごろに12時過ぎの到着組の昼休憩の指示が出る。落ち着いて休憩できる場所はない。もともとは住宅街で、空いた場所にごみが詰まれ、その搬出作業で人がうごめいている状態。住宅の隅、つまり私有地をお借りしグループでまとまって持参したおにぎりを食べる。
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 14時前作業再開。あと1時間余りだ。この後は、ごみの山の周囲の道路の通行をしやすくする作業が中心。実は、ごみは道路の端を占拠している。1車線と思われた道路は、実はすれ違いのできる道幅だったのだ。道幅が確保できればトラックの出入りがスムーズになり搬出作業がはかどるということ。午前中の作業でごみの山はかなりボリュームダウンしたので、トラックが来なくても道に置かれたごみを空き地の中に移動させる。その際に木、金属、プラスティックなどに大まかに分別する。作業終了時刻が近づくと、搬出用トラックが来なくなった。
 指示を近くで聞いていた人がそれぞれの場所を決めて分別していくが、少し離れて作業していた人が加わると分別があいまいになる。また、もともとあった場所にも、全く無分別で積まれていたと思われていたのだが、底の方には実は同じような種類のものが集められていることもある。例えば、ヘアドライヤー、ビデオカメラ、ラジカセ、扇風機などの家電がまとまっているなど。つまり元々は存在した分別の意志がだんだん薄れていく、これの繰り返しではないか。道幅が確保できたらゴミの分別が作業の主体となるが、分別の基準がだんだんあいまいになる様子に作業の意欲が薄れてしまう。果たしてこの作業に意味があるのだろうか。正直なところ、早く作業終了の指示が出ないかと待ち望む気持ちになっていた。
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 15時半予定通り作業終了。しかし、拠点まで歩いて戻る。ここで長靴の洗浄。こうした現場でいつも思うのだが、長靴をピカピカに磨くことに労を費やす日本人のなんと多いことか。しかし、はいかいちゃんは知っています。「次に使えばまた汚れる。」
 そしてバスに乗り込む。往路では、帰りもこのバスに乗り込んでください、とスタッフが言っていたので号車ナンバーやプレートナンバーを記憶していたが、実際には発着場に来たバスに次々に乗り込んでいく。今日はボランティアの人数の最高記録更新とのことで、いろいろ予定外のことが起こっているようだ(予定にとらわれず柔軟に対応しているということ)。高速道路を経由して運動公園へ。往路より経由地は1か所減ったが夕方の混雑のためやはり1時間半ほどかかる。高速道路の無料措置の手続きをして、自分のクルマに乗り込んだのは17時過ぎ。

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2019/11/10

関東甲信越遠征「ランドナーの秋、パスハンティングの秋」2019(4)奥多摩湖柳沢峠

■奥多摩から柳沢峠
 6時半にゲストハウスをでて、青梅駅へ。7時前だというのにホームは人がいっぱい。ほとんどが登山の装備。これが日本一の人口集積地の郊外の朝の姿か。しばらくして入線してきた折り返し奥多摩行きの普通列車にみな乗り込んでいった。私は次の快速に乗るつもりなので、ホームのベンチに腰掛け駅前のコンビニエンスストアで買った弁当を食べる。
 新宿発奥多摩行きの快速列車の座席は満席。出入り口付近に立って過ごす。一つ前の普通列車なら青梅始発だったが、ホームに並んでいる人の後に乗車したら同じような具合か。乗客の乗降の回数が少ない快速の方が、大きな輪行袋を持って出入り口付近にたたすむストレスは少ない。途中の停車駅は御嶽のみだ。
 車窓の景色がどんどんのどかになって行く。スピードはゆっくりで、御岳駅では長く止まっていた。一つ前の普通列車を追い越すこともなかった。
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 奥多摩駅で下車。ドアのすぐ前にいたのに、両脇からものすごい勢いで人が追い越して行く。まずはホームの安全な場所で大量の人の流れをやり過ごす。
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 駅の外も大混雑。登山届記入に登山口までのバスへの乗換え。あっちもこっちも行列だ。列車からのダッシュの理由はこういうことか。
 人のまばらな片隅で自転車を組む。同じ列車に乗っていたサイクリストがロードレーサーを輪行袋から出している。そのそばには都心(?)を夜中に出て自走してきたロードレーサーのサイクリスト(会話が聞こえてきた)が見守っている。私のほうが先に組みあがり、目の前の観光案内所へ。ここも順番待ちの行列ができている。2組ほど待って、「柳沢峠は通行できますよね」とたずねる。もちろん事前に調べていたし、国道なので間違いないはずだが念には念をというわけだ。目の前に観光案内所があったしね。これで今日は、不安なく走れる。いやこれだけ人出があると、クルマの交通量が不安だけどね。列車の車内から見る限りでは、それほど多いという印象はなかったけど朝の内だからかも知れない。
 8:50、奥多摩駅スタート。標高350m。当面の目標は奥多摩湖だ。序盤は緩い登り。進むにつれて勾配が増してくるようだ。そして、途中からトンネルが連続する。クルマはさほど多くないが、道幅は余り広くないのでちょっとストレスになる。今日も小春日和だ。オートバイが多い。ロードレーサーがものすごい勢いで追い越して行く。
 9:25、奥多摩湖到着。標高525m。広い駐車場と売店があり、クルマと自動二輪がたくさん止まっている。小休止の後再スタート。湖畔を行く道は平坦だが、依然トンネルが連続している。
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 東京都と山梨県の境界付近が奥多摩湖の上流側の端っこという感じ。先月の台風のなごりか、大量の木の枝などのごみが水面に浮いている。山梨県にはいると谷の幅が狭まり流れが発生し、要するに湖ではなく多摩川という感じになる。流れがでてくるということは、しっかりと登り勾配を脚に感じるということだ。
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 奥多摩湖畔には古い旅館などを含めた集落が点在し、山梨県境を越えたところにも集落があった。その集落を過ぎると山間部となり家が途切れる。木々は赤や褐色に色づき、いい雰囲気だ。奥多摩湖を過ぎるとクルマの絶対量は少なくなり、数台の行列が過ぎると、次の車列までの数分間は平和が訪れる。車列のインターバルが徐々に広がっていく傾向だ。
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 谷底にある小さな集落を見下ろしながら進んでいくと、今度は大きな集落が見えてきた。丹波山村の中心部だ。その中にある道の駅「たばやま」には10:40到着。標高640m。ここで休憩。ここも賑わっている。駐車場にはクルマに自動二輪。自転車スタンドにはロードレーサー。
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 大鍋がおかれたテントから「ほうとう」が炊き上がったという声が上がる。今日も昼ごはんはほうとうだ。ちょっと早いけど。しいたけ、まいたけ、ひらたけの3種類のきのこ入り。
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 食べ終わったら再スタート。3人組のロードレーサーの後に続くが、坂を上って国道に戻ったらあとはすさまじいスピードで走り去っていった。
 丹波山村の中心集落を過ぎ、山間部に入る。実はずっと違和感を感じている。後輪のリムがブレーキシューに当たっているようだ。シャフトがフレームにしっかり入っていないのではないかと何度かホイールを入れ直しているのだがそれでも当たるようだ。ということは…。やはりリムが振れていた。スポークの張りを調整する。ニップルレンチは、自転車に乗らないときも含めいつも持ち歩いている。かなり大きな振れだった。ということは、今日になって症状が突如出たわけではないだろう。そういえば、昨日もどうも調子が上がらないような感じだった。実際、この後GPSレシーバーに表示される標高値の上昇のペースが上がった。しかし、我ながらなんと鈍感なことか。
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 これまで何台ものロードレーサーに追い越されたが、そのあとは全く追い越されなかった。リムの振れを取った効果か。いや、それもあるだろうが、登りがきつくなりそれぞれの速度が下がったため、速度差も小さくなったということだろう。ロードレーサー以外では、道の駅の手前でフルサスペンションのMTBを追い越し、道の駅から峠までの間で折畳小径車を追い越した。おそらく16インチの特に小さなホイールだったのでブロンプトンかと思ったが、そうでなく横折り式。知らないブランドだった。しかし、なかなかのチャレンジャーだ。また、パンク修理中のロードレーサー2人組を追い越したが、彼らにも追いつかれなかった。
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 トンネルの出口付近でハザードランプが点滅している。クルマにしては左右の間隔が狭いと思ったら自動二輪(スクーター)だ。その先にはクルマもハザードランプをつけている。自動二輪はトンネル内、クルマはトンネルの外に停車し、その2台の間に1人が歩道の段差に座り込み、1人が立っている。立っている方が座っている方にしきりに話しかけ、何かと世話を焼いているようにも見える。事故だろうか。立っている方がクルマの運転手で、座っているのがライダーのようだ。トンネルの先はカーブになっていてその位置に停車していることは二次被害の心配もある。座り込むライダーに、強い物言いができないクルマの運転手。世話を焼いているように見えるのも、相手の心証をよくしておこうと立ち回っているのか。いや、まだ事故かどうかわからないのだが。狭い川沿いの道をバイパスする広いトンネルなのが幸いで、クルマは自動二輪の車列は今のところスムーズに流れている。
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 渓流と紅葉を楽しみながら登る。もうまとまった集落はないが、川魚の釣り堀など観光施設がらみの民家がたまに現れる。持参した1Lを飲み干しそうなので、自動販売機で飲料水を買う。
 そのうちサイレンの音が聞こえてきた。救急車のようだ。道路が屈曲しているので音がしてもなかなか姿を見せない。ようやく前方から救急車登場。続いてパトカーも。おそらく先ほどのトンネル出口付近で座り込んでいたライダーのもとへ向かうのだろう。交通事故であることがほぼ確定。そうか、ここは山梨県。パトカーや救急車は塩山から柳沢峠を越えて駆けつけるようだ。奥多摩にも消防署があり、そちらからのほうがアプローチは容易だと思われるが、管轄が違うというわけだ。とにかく、ああいう緊急車両のお世話にならないことを強く心に思うのであった。
 ところで、ここまで自動二輪の事故防止を呼び掛ける看板を何度も見てきた。確かに、たくさんの自動二輪車の中には、無謀と見える運転をするものも見られた。コーナーへ高速で突っ込んでいったり、わずかな直線区間(もちろん追い越し禁止)で前を走るクルマに強引な追い越しをかけたりするなど。走行時にはヘルメットをかぶっているため年齢などはわからないが、奥多摩湖のパーキングスペースや道の駅「たばやま」で見た素顔のライダーは、中高年世代が主流。分別のある大人の顔が、路上ではあのような知性も理性も感じられない醜態を演じていることに結びつかない。帰宅後に調べてみると、丹波山村内の国道411号線では毎年自動二輪車の死亡あるいは重症の事故のニュースが報じられている。年齢も40、50代である。「二輪車事故多発」の看板に偽りはなかった。
 峠まであとわずかということで、右脚がつりそうな気配。右側に分岐する林道があり、そのすぐ先がバリケードで通行止めにしてある。その入り口で小休止。青梅のコンビニで買ってきたおにぎりとバナナを食べる。
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 再スタートしてすぐに峠に到着。13:30、柳沢峠、1473m。峠の茶屋は自動二輪や車が止まっている。ロードレーサーも2台。さっき休憩したばかりので、写真撮影をして防寒着としての合羽を着てグローブを指切りから指まで覆われたものに替えたら、すぐ下る。
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 塩山側の道を少し下っていくと、谷に高架化された新しい道の建設工事が見える。さらに下ると実際に高架区間が次々と現れる。大きな曲線半径の道幅の広い道へと、徐々に麓から変わりつつあるようだ。
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 高架区間が終わると集落へ。大菩薩峠への分岐を示す案内板がある。重川の流れの向かう先に甲府盆地の街並みがぼんやり見える。
 気持ちよく下っていると、いつの間にかGPSレシーバーに引いたコースのラインから逸れているのに気付いた。クルマを止めた勝沼へ向かわなければならないのだが、道なりに塩山に向かっていた。軌道修正のため、交差点を左折。登りとなる。うまくすれば下りながら軌道修正する道もあるかもしれないが、早く予定のコースに復帰することを優先する。
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 狭い道を抜け広い通りに突き当たった。フルーツライン。盆地の外周の高台を行く道。駐車場はこの路線沿いだ。緩やかに登っていく。暑い。下りの装備のままだった。薄着になる。14:30、牛奥みはらしの丘駐車場。標高500m。
8:50~14:30、60.2km

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2019/11/09

関東甲信越遠征「ランドナーの秋、パスハンティングの秋」2019(3)昭和レトロ青梅

■昭和レトロの青梅
 時刻表を確認すると、大月方面の次の列車は10分後。あわよくばという感じで急ぎ気味で輪行袋へ自転車を収めようと試みるが、やはりあと少しのところで間に合わなかった。次は、30数分後。今度は時間を少し持て余し気味だが、まあのんびり行こう。ICカードの残高が少ないのでチャージを試みる。JR西日本のICOCAもちゃんと富士急の端末でチャージできた。
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 車内は午前よりは空いていた。観光客が少ない。代わりに学校帰りの高校生の姿が見られる。自転車がなければ座れるのだが、輪行袋を支えながらドア付近に立つ。そのうち、ロングシートの端に座っていた高校生が下車したので、そこに腰かける。
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 薄暮の大月駅で乗り換え。が、40分ほどの待ち合わせ。日が暮れていく。ホームの待合室は満員で、寒いベンチで待つ。持っている衣類を着こむが、汗に濡れたシャツが冷たい。道坂峠への上りで汗をかいてしまったことが悔やまれる。高尾行き列車が過ぎると待合室が空いたのでそちらへ。そのあとの、新宿行へ乗車。帰宅時間帯なので当然座れるわけはないが、満員でなくてよかった。立川で青梅線に乗り換え。発車間際の列車に慌てて乗車したが、行先が武蔵五日市とのこと。はてどこに行くのだろう。間違えたか。そう思いながら路線図を探す。あった、でもちょっと離れていて駅名が読めない。駅で下車して空いた場所へ移動し複雑で難解な路線図ににじり寄る。青梅線から分岐する五日市線への列車に乗り込んでしまった。この先の拝島駅で乗換えだ。
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 というわけでどうにか青梅駅へたどり着いた。今宵の宿は、駅から歩いて3分のゲストハウス。輪行袋を担いで歩く。この青梅は昭和レトロの街。そして赤塚不二夫会館のある街。駅のホームで流れていた列車の発着を知らせる音楽は「秘密のアッコちゃん」の主題歌だった。後で調べたことだが、赤塚不二夫のゆかりの地ではないそうだ。青梅駅周辺の商店街では、昭和の雰囲気のある映画看板で町おこしをしていることが、青年時代に映画看板の仕事をしていた赤塚不二夫との接点だそうだ。駅の地下道にその映画看板が掲示されていたことともつながった。浅田次郎原作、高倉健主演の「鉄道員」の看板の広末涼子はセーラー服姿だ。今はアラフォーの経産婦なのに。ということはおよそ20年前。平成じゃないか。映画看板の時代じゃないよね。
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 ゲストハウス「青龍Kibako」は、レトロな雰囲気漂う商店街の中でも異彩を放つおもむき。文化庁公認の登録有形文化財だそうだ。ゲストハウスで教えてもらった店で夕食を食べて眠る。前夜は徹夜でクルマを運転してきたので眠い。相部屋ながらベッドはカーテンで仕切られ、私が寝る前は不在、翌朝起きたらもういなくて、結局顔を合わせることはなかった。仕事で滞在のための連泊だそうだが。さらにもう1人いて泊まりは計3人ということだったが、私と連泊の人の分しかベッドが使われた痕跡がなかった。ゲストハウスのオーナーも、チェックインの時の説明の後は、全く顔を合わせなかった。チェックアウトも手続き不要で戸締りをして出て行けばよかった。

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2019/11/08

関東甲信越遠征「ランドナーの秋、パスハンティングの秋」2019(2)山中湖山伏峠道志みち道坂峠

■山中湖から山伏峠を越え道志みち
 駐車場から南へ3km余りでJR中央本線の勝沼ぶどう郷駅へ。輪行袋にランドナーを収める。また、逆にここで輪行袋から自転車を出して走り出すサイクリストが2名。それぞれソロだ。
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 通勤通学時間帯を過ぎ、駅は閑散としている。明け方は冷え込んだが、すっかりポカポカ小春日和だ。9時半ごろの東京方面の普通列車に乗車。車内は空いている。大月で富士急に乗り換え。こちらはロングシートのみの車両で座席はほぼ埋まっている。輪行袋があるのでドア付近に立って過ごす。外国人が多い。
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 11時ごろ、富士山駅で下車。駅前でランドナーを組み立てる。遠くには富士急ハイランドの観覧車などが見える。ここは富士吉田市の中心街。今は富士山駅だが、旧駅名は富士吉田駅。11:25スタート。標高800m。狭い道をクルマが行きかう。自転車を追い越してすぐ左折。最近はこういう運転をするクルマは少なくなったのだが。巻き込み事故の危険よりも、自分が先に出ることが優先の運転姿勢にクルマへの依存度の高さを感じる。まあ、こちらは事故を起こさないことの方が優先順位が上だ。絶対に無事に帰るのだ。
 お金をおろしておきたい。交番の前の花壇の手入れをしている女性に道を訊き郵便局へ。お金をおろして外に出ると、通りの突き当りに富士山がドーンと見える。中腹から上が白くなった、いかにも富士山らしい姿だ。
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 狭い通りを抜けて、国道139号線へ。中央分離帯に分けられた片側二車線の広い通りの両側には、おなじみの店が立ち並ぶどこかで見たような景色。でも、それを見下ろす大きな富士山はここだけの風景。しかしクルマが多い。
 すぐに丁字路に突き当たり左折。今度は国道138号線だそうだ。片側一車線となりやはりクルマが列をなしている。登り基調を行くと、道路に向かい合わせに「ふじさんミュージアム」と「富士山レーダードーム館」がある。進行方向右側、反対車線側にあるのがレーダードーム館。かつて山頂の測候所にあったレーダードームが移築されている。ちょうど富士山が見えているので、今は離れ離れだがかつては一緒だった山頂とドームの2ショットを撮影しておく。
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 吉田うどんでも食べようかと思っていたが、店がみつからないまま富士吉田の街を抜けつつある(実は気付かずに店の前を通り過ぎていた)。レーダードーム館のすぐ先にかやぶき屋根の建物に「ほうとう」という看板が見える。ならば、ほうとうを食べよう。店先には、自転車スタンドもあった。店内の気温は低め。座席にはひざ掛けが用意されている。はじめは私一人だったが、ほうとうを注文して待っていると、3組の客が立て続けにやってきてにぎやかになった。鉄なべで出てきたほうとうには野菜がたっぷり入っていて、うれしい。旅先では野菜が不足しがちなのだ。
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 道は林間に入る。依然クルマが多く、早く山中湖に着いて欲しい。東富士五湖道路の山中湖I.C.を過ぎるともう山中湖は近い。
 13:00、山中湖。標高990m。国道をそれて山中湖の北岸へ。南岸の国道と比べ、北岸には静かな県道。実際に走るのは湖を一周する自転車道だが、やはり並行する車道も静かなほうがいい。そして、北岸からは湖越しに富士山を見られるのもいい。抜けるような青空と半分白い富士山。紅葉もいい感じだ。道は平坦でクルマとは隔離されて快適。観光客が歩いていることもあるが、自転車道は十分に広い。ところどころにある駐車場の近くは歩行者が多めで少し注意が必要。なんと、ビニールシートならぬ炬燵の敷布団のようなものを敷いて、まるでリビングルームにいるようにくつろいでいる人もいる。しかも自転車道の幅の半分を占拠している。なかなか図太い神経だ。
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 東西に長い山中湖を西から東へ。そして、湖の東端から国道413号線へ。「道志みち」の始まりだ。そして、山伏峠への登りも始まる。道路情報の電光掲示板に「国道413号線は台風19号の被害により通行止め。神奈川県には抜けられません」。さらにその足元には同じことを告げる看板が置かれている。当然、国道413号線が神奈川県内で通行止めであることは事前調査でわかっている。さらに枝道の県道も通行止めということも。しかしながら山梨・神奈川県境の手前から相模湖方面、つまり国道20号線へと抜ける道には通行止めという情報はなかったはず。それを通るつもりで来ているのだ。が、この通行止めのアピールは不安を感じさせるものだ。前述の抜け道は、道幅が狭くクルマの通行は困難(不可能ではないが)ということか。かなり引っかかるものを感じながら、山伏峠への登りをこなす。
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 抜け道には、国道や県道の表示がなかった。つまり、道志村の村道ということだろう。ということは、情報がないだけで実際には通れないのではないか。情報がないというか、国道や県道と同列に表示されていないということかもしれない。周辺の他の道がことごとく通行止めなのに、細い村道だけが通行できるということは考えにくい。要するに、この先「袋小路で進退窮まる」ことが濃厚だ。もちろん引き返せばいいのだが、山伏峠への登り返しとなる。道志村側は、山中湖あるいは富士吉田よりも標高が低いから、登り返しはきつい。
 もうすぐ山伏峠に到着だ。どうしよう。あ、峠のトンネルだ。とりあえず止まって作戦を考えよう。14:05、標高1115m。しかし、考えたところで結論が出るものでもない。クルマの通行、さほど多くないが皆無ではない。道志村に向けて自動二輪も結構な台数が通過していく。通り抜けられるんではないか、という期待が膨らむが、エンジン付きの乗り物なら登り返しもさほど苦ではない。ダメでもともと、あるいは初めから引き返すつもりということもありうる。
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 峠で引き返せば楽だが、それでは道志みちを走ったことにならない。富士山を眺めながらの山中湖畔は素晴らしかったが、やはりそれだけでは不完全燃焼だ。ところで、今いる場所は「山伏峠」というバス停で、先ほどバスが通った。もちろんと言っては失礼だが、乗客は非常に少なかった。ということは、登り返しにあまりに時間がかかるようなら、バス輪行も考えられる。
 結果的に道志村に下ることにした。そちらで道路が通行できるか聞いてみよう。道の駅まで下れば確かな情報が得られそうだが、できればあまり下りたくない。
 何の施設もない林間をどんどん下っていく。下りなのに心に苦痛を感じてしまう。かなり下ったところで、キャンプ場の施設が現れた。ここで聞いてみよう。受付で声をかけると、優しそうなお母さんが出てきてくれた。
 「国道413号線が通行止めとのことですが…」「今日から通れるようになったよ。片側通行で。朝9時から」「えっ!」
 なんとこんなことがあるのか。小躍りしたいくらい嬉しい。お母さんにお礼を告げて、再び村の中心に向けて下る。
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 日が傾き始めた山間部のひんやりした風にあたり、喜びで上昇した体温が冷めていくにつれ、頭も冷やされる。本当に通行できるのかどうか不安になってくる。一番の不安のもとは、あの通行止めの表示だ。山伏峠の山中湖側の麓の通行止めの表示は、地元の人の生活を第一に考えての渋滞防止・交通量抑制のためのものというより、本気で訴えるものとみられた。とりあえずこの先の道の駅まで行ってそこで聞き取り調査をしよう。
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 鮮やかに色づいた木々に囲まれた道の駅「どうし」は、にぎわっていた。14:30、標高735m。クルマも自動二輪もたくさん止まっている。道志村の案内所には誰もいない。売店のお兄さんに聞いてみようと思うが、地元の野菜などを求める客の会計に追われていて声をかけるのがはばかられる。しばらく、施設の中を見て回る。東京オリンピックの自転車ロードレースのコースがこの道志みち。持ち帰り自由の地図を頂戴する。
 ようやく客が途切れたので、売店のお兄さんに声をかける。国道は不通のままだがその迂回路が開通した、ということだった。「この先の交差点左折すると迂回路です。直進は通行止めと表示されているのでわかります。国道20号線で相模湖の方を通ってかなり回り道ですけど」とのこと。ここまで具体的なら間違いない。山伏峠までの登り返しも、バス輪行もなくなった。ただし、お兄さんの説明に出てきた細かい地名がわからず、詳細は不明。若干の不安は残る。当初予定していた村道は、もういい。どうせ通れないだろう。確実な道を選ぶ。
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 とりあえず再スタート。やっと道志川の流れと秋の里の風景を楽しむ余裕ができた。キャンプ場が多い。それだけ需要があるということか。少し下ったところで交差点。14:55、標高685m。予想より早い。お兄さんの説明通り、その場の案内に従って左折。いきなり山に向かってのぼりが始まる。やっぱり山越えか。その道の向かう方向はそれまでの進行方向から斜め後方。地図で確認すると、都留に向かっている。なるほど、神奈川県へは通り抜けられません、とはこういうことか。都留に抜け大月から国道20号線に乗って相模湖を経由して都心部へ向かうというわけだ。キャンプ場のお母さんの言うことも、道の駅のお兄さんの言うことも、言葉足らずな部分はあっても間違ってはいなかった(大勢への影響はないが強いて言うなら「片側通行」はなかった)。
 杉林の中の道を上っていく。なかなかきつい。センターラインが引かれた県道24号線。クルマはそこそこ通るが、多くはボディに企業名を表示したビジネスカー。自動二輪は2台追い越して行っただけ。観光客はこの道には来ていないようだ。登りで汗が出る。山伏峠からの下りで着込んだ装備を脱ぎたいが、なかなかタイミングがつかめない。結局標高1000mを少し超えたところで、峠のトンネルに到達。15:40、標高1030m。道坂峠の道坂トンネル。山伏峠と100mしか変わらなかった。下りのための厚着のままでここまで来てしまい、結構汗をかいた。
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 トンネルを抜け都留へと下る。なかなか長い下りだ。周囲の山は針葉樹林だが黄葉している。カラマツということか。林の開けた斜面ではススキの穂が西日に輝いている。「金色(こんじき)の野」だ。やがて、県道は菅野川に沿うようになり、集落が次々に現れる。集落の中も含め、菅野川は白く勢いよく流れている。勾配があるということだ。
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 かなり下って、谷が広がり街らしくなった。川の合流点手前で尾根、つまりトンネルで小さな峠を越え都留市の中心部へ。国道139号線に突き当たった。富士急の駅を探さねば。と思ったが、すぐに「←谷村町駅」の標識。16:10、標高500m。
 道志みち完走は果たせなかったが、途中撤退せずどうにか形になった。迂回路もなかなか良かった。11:20~16;20、54.0㎞。

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2019/11/07

関東甲信越遠征「ランドナーの秋、パスハンティングの秋」2019(1)旅立ち

■旅立ち
 サイクルスポーツ誌2015年11月号の峠特集でその存在を知った長野県川上村と埼玉県秩父市を分ける三国峠。翌2016年の秋に走破する計画を立てたが、その夏の台風の波状攻撃(岩手県や北海道が大打撃を受けた)で三国峠の秩父側の旧中津川林道が通行止めとなって、計画を実行することができなかった。
 それから3年近くが過ぎ、今年の初夏、旧中津川林道の復旧工事が終わり、通行止め解除のうれしいニュース。秋には3連休が4回もある。ようやく実現できると思っていた。9月の3連休は、まだ暑かったり、別の予定があったり、天気が悪かったりで見送り。そして、10月の連休を襲った台風19号。三国峠のある秩父山地は、箱根山地に次ぐ雨量を観測し、川上(長野)側は通行止め、秩父(埼玉)側に至ってはその被害の全貌すらつかめていないような状況。これでまた最低でも数年は先延ばしということになるのだろう。
 というわけで、11月初旬、文化の日の連休に、急きょひねり出した代替案を引っ提げて、東へ。
 世間的には三連休だが、11月1日の金曜も休み個人的には四連休として、木曜の深夜にクルマで丹後を出発。若狭湾沿いから琵琶湖へと南下。時計回りに湖北を回り込み
長浜市内でガソリンを補給してから北陸自動車道へ。名神・東名高速道路、中央自動車道を走り継いで、夜明けの富士山を見ながら山梨県へ。右は南アルプス甲斐駒ケ岳。その肩から白く雪化粧した北岳のてっぺんがのぞく。逆光でシルエットしかわからないが、富士山も白いはずだ。
 勝沼I.C.で高速道路を降りる。
 家の庭先がブドウと思われる果樹園。そんな集落を抜けていく。甲府盆地の北東の隅。北に向かいながら盆の底から縁へと乗り上げ「牛奥みはらしの丘」の駐車場へクルマを止める。牛奥とは聞いたことがある言葉。そうだそうだ、日本一の山「牛奥ノ雁ヶ腹摺山」だ。名前の長さ日本一の山ってこの辺りだったんだ。また、みはらし丘という名の通り、甲府盆地を見下ろす眺めのいい場所だ。
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 ここで自転車を準備。ありゃ、前輪の空気圧が下がっている。とりあえず空気を入れなおして様子を見ることにする。大型のサドルバッグを装着。が、リアブレーキとの緩衝を防ぐパーツを忘れてきた。別のランドナーにつけたままだった。サドルバッグをあきらめてザックを背負うことにする。寒い時期だしまあいいか。それと、ハンドルグリップとバーエンドを交換。ランドナーだが、ダート走行も考えフラットハンドルを装着しているのだが、バーエンドをつけたハンドル周りが、MTBやクロスバイクのような雰囲気になっていた。そこで、もう少しランドナーらしい雰囲気のものを手に入れていた。ちなみにエンドバーは、本来はドロップハンドルのブレーキレバーをギドネットレバー(ハンドルの水平部に付けるレバー)に交換したあとブレーキブラケットの位置につけるハンドレスト。なぜこのタイミングで交換するのかというと、面倒だったので先延ばしにしていただけのこと。
 それと、実は10年余りメインバイクとして活躍してくれたこのランドナーだが、今シーズンで別のランドナーに交代させようと考えている。もちろん引退ではないのだが。この旅が最後の晴れ舞台となる可能性もある。ちなみにハンドルも含めたいくつかのパーツは、後継ランドナーに移植して使う予定だ。

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