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2019/10/29

丹波の優しい峠巡り2019

 京都府と兵庫県にまたがる旧丹波の国。小さな4つの峠をめぐる。福知山市三和町の国道9号線から府道709号線へ。三春峠の手前の最後の集落田ノ谷にクルマを止める。できたら、国道9号線沿いにクルマを止められたらいいのだが。以前このコースを走った時には、国道の廃れたドライブインの駐車場にクルマを止めたことがあるが、私有地にとめるのはよろしくない。できれば田ノ谷よりも国道に近い中出で駐車場所を探したい。
 とりあえず本日は、田ノ谷が起点。ランドナーを下ろして上半身に防寒のための合羽を着て、フリースの手袋をして国道9号線に向けて下る。中出の集落で下り勾配はほとんどなくなり、合羽を脱いで指切りグローブへ交換。クルマが爆走する国道をあまり走りたくないので、集落の細い道をつないでいく。府道709号線分岐から京都方面へ1kmほどで府道710号線の分岐。これを南下して箱部峠へ。京都・兵庫の府県境は峠のすぐ手前にある。そして、峠の両側の集落はどちらも丹波篠山市桑原。箱部峠は、何の境界にもなっていない小さな峠なのだ。
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 峠を越えた先、つまり南側がおそらく桑原集落の中心。公民館のある三叉路を右折。県道509号線の細い道へと入る。この道を少なくとも5回通っているがクルマに出会ったことは1度か2度という素晴らしい峠道。ただし、峠を越えた先の栗柄ダムの工事のため、2015年まで7年も通行止めが続いた。
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 小さな集落を抜けてもしばらくは一軒家があったり、田んぼがあったりするが、谷は狭まり上り勾配が増していく。やがて沢沿いから、植林の中を九十九折れで上るようになる。峠の標高は390mほど。国道9号線から300m近く上ったことになる。
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 峠を越えて南へと下る。淡い黄金色のススキに囲まれ、緑色の水をたたえた栗柄ダム。峠を越えるあたりで振り出した小雨が、ダム湖の水面に無数の小さな輪っかを作っている。この先しばらくはダムからの水の流れとともに行く。
 特筆すべきは、川の流れが峠を越えるのだ。ダムのすぐ下流、栗柄集落ここが中央分水界。同じ谷に、日本海流れる由良川水系の杉ケ谷川と瀬戸内海へ流れる加古川水系宮田川が並行している。栗柄ダムの水は杉ケ谷川として栗柄峠を越える。
 元々は、栗柄峠が中央分水界だったわけで、それは峠の両側で勾配が異なる片峠。由良川水系の方が浸食力が強く、とうとう峠の向こう川の水源を奪ってしまったとのこと。これを河川争奪といい、この地を「谷中(こくちゅう)分水界」という。
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 栗柄峠は丹波篠山市と丹波市との市境。県道69号線だ。杉ケ谷川の流れに沿って東から西へと向かえば、上りはなく下りのみ。かつては薄暗い林間を蛇行する細道だったが、今はセンターラインの引かれた直線的な道となっている。
 たまに通るクルマが爆走する道から、細い道へと右折し谷に降りる。田園やコスモス畑を抜け栢野(かやの)の集落の中へ。家並みは、古い街道のたたずまい。赤いベンガラ塗りの木造建築だ。
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 クルマのための県道を避け、できるだけ旧街道をたどる。谷が広がり、杉ケ谷川から名前を変えた滝ノ尻川(栗柄峠で川の名が変わるのは、河川争奪の前は別々の川だったことの名残かも知れない)に北西から三井庄川が合流してくる。今度はその三井庄川の谷へとハンドルを切る。下三井庄から上三井庄と集落の中を行く。雨はずっと降り続いている。この雨は想定内で、合羽を携行しているのだが着ていない。雨に濡れるか汗に濡れるかの2択。まあその程度の雨脚ということだ。
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 正面に立ちはだかる稜線に入る小さな切込みがは、これから目指す三春峠。結構高いなあ。合流点が標高110mくらいで、峠は440mだから300mと少しの登りだ。集落が途切れると本格的な登りが始まる。ずっと降り続いているので衣類もそれなりに濡れてきた。ヘルメットからは、雫が落ちる。徐々に雨脚も強まっているような気がする。が、登りは暑いので合羽は着ないでおく。路面に水が浮いてきた。泥よけが心強い。クルマが通らないので、他車の水撥ねを浴びることもない。あと今日のトランスポーターは、自動二輪でなくクルマなのもさらに心強い。ぬれずに、ぬくぬくと家路につける。
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 黙々と登り峠が近づく。峠の手前で展望が開ける。三井庄川と滝ノ尻川が合流して竹田川となる辺りの盆地がぼんやりと見える。夕暮れと雨や霧に霞んだ景色が幻想的だ。
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 峠で到達の証拠写真を撮り、反対側へ下る。兵庫県から京都府へ。市町村合併により共に旧町名となってしまったが、春日から三和へ。三春峠の名前の由来だ。京都府側の展望も、やはり峠から少し下ったところ。霧の中に田ノ谷集落の街灯の明かりが灯る。後は一気に急降下。
 ちなみに、このコースは2008年の暮れに初めて走って以来、5度目。2009年から2015年まで栗柄ダム工事のための7年の空白の期間には、県道509号線の峠の代わりに、戸平峠、あるいは鼓峠を利用して、栗柄峠と三春峠の周回コースとしたこともある。これを合わせると7度目ということになる。県道509号線の峠が通れれば、初走破以来毎年晩秋から暮れに訪れる定番コース。やはり、クルマが通らないことが毎年訪れる条件となる。
 ところで、戸平峠も今回走った箱部峠と似ている。いずれの峠も、すぐそばに京都・兵庫の府県境が引かれているが、峠は境界ではない。峠の両側の麓の集落は兵庫県で、片側の集落のはずれの川沿いの平坦な道に府県境の標識が立っている。さらに、栗柄峠は行政区の境界ではなく、中央分水界が峠からずれて麓の平地に位置している。人の流れも川の流れも分かたない峠が、当たり前に存在しているのが丹波の国。

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コメント

 小雨の中をお疲れ様です。
 谷中分水界のある栗柄がインパクトが大きいですね。何年かかってこうなったのか、だいたいこんなことが起こりうるものなのか。分水界という名前があるくらいだから他にも同じような所があるんでしょうか。

投稿: すう | 2019/11/04 20:46

 「稜線にある分水界」のことを「分水嶺」と呼ぶわけで、山国である日本では圧倒的に分水嶺が多いということですね。特に日本海へ流れる水系と太平洋や瀬戸内海へと注ぐ水系を分ける中央分水界が分水嶺でないことはかなり珍しいです。しかもそれが丹波の国に集中しています。
 ただし中央分水界に限らなければ、分水嶺でない分水界は日本にもほかの地域にいくつもあるようですね。護岸が行われ川の流路は固定されていますが、かつては平野部での川の流路は流動的だったそうで、要するに分水界も自然に変わっていくことがあったでしょう。逆に人の手により強制的に分水界が変わったところも多々あります。大規模な例としては、江戸時代の河川改修で河口が江戸湾(東京湾)から銚子に変わった利根川ですね。
 しかし分水嶺であった峠が、そうでなくなってしまった栗柄分水界はかなり特殊でしょう。されに、同じ水の流れが分岐し日本海と瀬戸内に流れる石生の水別れも特殊な例ですね。こちらは、人間が作った水路、つまり人為的もの。水の流れが合流することはあっても、二股に分かれるということは自然にはまず起こらないですね。
 境界線が引き直されるのが丹波の特徴、と言えますね。水の境もそうだし、人の境も。丹波の国と、周辺の丹後、但馬、山城、摂津などの諸国との国境は、今の府県境にはなってませんからね。
 話は変わりますが、画像のアップロードができません。とりあえず別の方法が見つかりましたが、正攻法ではできないままです。

投稿: はいかい | 2019/11/07 23:42

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