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2019/08/14

北海道一周30カ年計画完遂は3度目のB&B 後編

 20分余りのバス旅を終え、今度はオートバイツーリングだ。東町駅を10時前にスタートし、様似駅で自転車を回収し、襟裳岬を目指す。18年前に雨の中自転車で走った道。今日は雲は多めだが、雨は降っていない。
 えりも町の中心街を過ぎ、いよいよ岬の大地へと昇っていくと辺りは霧に包まれていく。そして海からの風が強い。寒いぞ。
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 何とか岬の駐車場にたどり着き、まずは上半身のみ合羽を着る。駐車場は真っ白い霧でほとんど視界がないが、少し歩いて灯台まで行くと霧は薄く、荒々しい海岸風景が見える。海面を這う薄い霧も幻想的。
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 さあ、先は長い。どんどん行こう。次は十勝へ。百人浜を右に見ながら北上。岬を離れると霧はないが、相変わらず風が強い。そして黄金道路へ。山と海が迫った荒々しく美しい海岸だが、トンネルが連続する。そのトンネル一つ一つが長い。トンネル内は震えるほど寒い。そしてトンネル内が濡れている。と思ったらトンネルの外は雨。しかも結構激しい降り。合羽を着ていてよかった。でも恐ろしいのは、トンネルを出た瞬間視界を奪われること。トンネル内で冷えたヘルメットのシールドが、トンネルを抜けた瞬間に真っ白に曇る。慌ててシールドを上げるが、今度は雨粒が顔面に叩き付ける。ちなみに、地表に近い部分の地下の温度は10度くらい。だから、長いトンネル内もそのくらいの温度となる。夏は寒く、冬は暖かく感じる。冬はトンネル内で、クルマの窓ガラスの外側やフェンダーミラーが曇る。
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 トンネルは一番長いもので4900mを越える。黄金道路も18年前に自転車で走っている。あの時もトンネルの閉塞感に苦痛を感じて走ったが、それにしてもトンネルが長い。海岸の景色があまり見えない。18年前は、トンネルだけでなくロックシェッドも結構あったはず。帰宅してから確かめると、多くのトンネルが2010年以降に新しくできたもの。かつて落石による通行止めが何度も起こった路線だから、こういう運命をたどるのだろう。景色を楽しめるよう旧道を通行できる状態で残す、ということはあり得ない。これは、1996年の積丹半島の豊浜トンネル崩落事故の影響が大きい。旧道のうちに自転車で走っておいてよかった。トンネルが苦痛だったとはいえ、今よりはまだましだった。
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 広尾の街中まで来ると雨は弱まり、路面の濡れも少なめ。さらに国道236号線を北上。内陸に入り、大樹辺りまで来ると、黄金道路の雨が嘘のような快晴。そして、襟裳岬の寒さが幻のような、暑さ。見渡す限りの十勝平野の中を行く直線的な道。交通量は少なく快適。たまに通る大型車に、巨大な牧草ロールが満載されている。そういえば、日高では馬を積んでいるバスのようなクルマが走っていた。

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 「幸福駅」と記された案内板を発見。そうか、ここなのか。立ち寄る。もうすっかり観光化。幸福鉄道公園というそうだ。駅舎内外には壁にも天井にも、敷地内の売店で売っていると思われる切符をデザインした紙片がぎっしりと貼られている。願い事でも書かれているのだろうか。かつては、使用済みの切符、定期券、名刺などが貼られていたとTVの映像などで見たのだが。デザインのそろった紙が貼られているのが何となくつまらない。
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 幸福駅のすぐ近くの幸福I.C.から帯広広尾自動車道に乗る。国道236号線はその先帯広のど真ん中に向かうので、中心街を西に迂回する自動車道を選ぶ。通行料は無料だ。その先接続する道東自動車道は有料なので、手前の芽室帯広I.C.で自動車道を降りる。帯広市街よりも少し西だが、国道38号線には店が並ぶ。ここで、ライダーに豚丼を、オートバイにガソリンを補給。そして、国道241号線を北上。十勝平野の中を上士幌へ。十勝平野の北の縁、ナイタイ高原を目指す。
 広大な牧場の中を登り、展望台の駐車場へ。広い駐車場の半分ほどは舗装されていなくてバラスが浮いている。そちらのほうが景色が良さそうなので、転倒しないように慎重にダートの駐車場の端の景色が見える場所へ。素晴らしい、十勝平野が広々と見渡せる。

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 ひとしきり景色を楽しんだら、ちょっと作業をする。シガーソケットとUSB電源をオートバイのバッテリーつなぐ。旅立ちの前、スーパーカブで使っている電源キットを移植しようと思ったが、カブから外すのにレッグシールドも外さなければならないし、手間がかかるので止め。新たにネット通販で注文したのだが、旅立ちが迫っていたので品物の受け取りは旅先のコンビニを指定した。それを、2日前の日高富川で無事受け取っていたのだが、いろいろ忙しくて装着作業が先延ばしになっていた。
 工具の準備をしていると、ザザーッと鬼気迫る音が聞こえた。そちらを見ると、カブが転けていた。ツーリングの大荷物を積んでいるので、独りでは起こせない。駆けつけて手を貸す。この春まで学生だったという無職の若者ライダーで、春から旅を続けているとのことだ。「未舗装と気づかず、スピードを出したまま駐車場に突っ込んできた」とのこと。
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 その後、電源キットはあっという間に装着完了。こんなに簡単ならば早くやっとけばよかった。まあ、今は端子をバッテリーの電極につないだだけだが。キット本体をハンドルかバックミラーの根元に固定するアタッチメントが付いているが、それは使わない。帰宅してから工具なしでハンドルに着脱できるようにするつもりだ。でないと、オートバイを離れている間に盗電される可能性がある。使わないときにはハンドルから外して鍵をかけられるボックス内に収められるようにするのだ。ちなみに、GPSレシーバーのハンドルマウントも、工具なしで着脱可能なものを、半分自作した。自転車にもオートバイにも使える。今は暫定的にマジックテープのバンドでハンドルに固定。
 これで電源が確保されたので、バッテリーの切れたビデオカメラが復活。ドライブレコーダーのようにずっと撮影し続けるのではなく、景色の良い所など、要所要所で撮影する。
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 士幌、鹿追、新得を経て狩勝峠へ。2000年に自転車で、2006年にクルマで来たことがあるが、自転車の時には日没で暗くなっていたし、クルマの時は天気が今一つ。今日が一番いい眺めだ。夕暮れの十勝平野を見下ろす。
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 南富良野の幾寅駅は映画「鉄道員」のロケセット「幌舞駅」などが残るが、夕暮れが迫っているので素通り。前に訪れているしね。
 夕闇迫る中、富良野市南部の「山部太陽の里キャンプ場」に到着。何とかたどり着いた。13年ぶり。ありがたいことに現在も無料。
 とりあえずテントを張って夕食を摂りに出る。結局15㎞も離れた富良野市街まで行ってしまった。銭湯を探すのが面倒で、風呂はあきらめ。まあ、今日はあまり自転車に乗らなかったし。キャンプ場に戻る途中雨が降り出した。
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 8月1日、5時過ぎ起床。昨夜から雨が降り続いている。強まったり弱まったりしながら、回復基調ではある。なかなか完全に止まないが、弱まったタイミングでテントを出る。荷物を自動二輪に積み込み、テントも撤収。そして富良野市街に向けて走り出す。キャンプ場は山のすそ野にあり、芦別岳などの登山口となっている。山を離れれば、つまり富良野市街地へ行けば雨はやんでいるのではないかという期待通り、雨は局所的なものだった。富良野市街は路面すら濡れていない。すれ違うライダーが手を振ってくる。
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 空知川の流れに沿った国道38号線を行く。芦別市に入り、野花南駅に寄り道。2000年夏にはこの駅まで輪行し、自転車で走り出した。
 赤平で国道38号線を離れて北上。滝川の丸加高原へ。ここは、滝川、雨竜、深川あたりの石狩川沿いの平野部を一望できる展望の地。つい先日放送された、NHKのBSプレミアム「日本縦断こころ旅」で火野正平が訪れていた。ゴルフ場の案内に従って高原へ向かうが、お目当ての展望台がわからない。案内板がない。あまりメジャーな観光スポットではなく、積極的に売り出してもいない、という感じ。めん羊牧場やキッズキャンプ場越しに展望が開けた場所にオートバイを止める。実はその先に進むと展望台への分岐があったのだった。道が下りになるため進んでいかなかった。
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 赤平に引き返す。次は歌志内へ。しかし、道道114号線の分岐がわからず、別の道道339号線へと迷い込む。産業廃棄物処理場を過ぎたどり着いたところに「高根鉱山殉職者慰霊碑入り口」の道標。この辺りは、かつての炭坑の町。今から目指す歌志内もそうだ。
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 歌志内市を知ったのは、中学生のころ。学校の教材の地図帳が愛読書で家でもよく開いていた。その地図帳巻末のデータ部で、日本でもっとも人口の少ない市、歌志内市の存在に目が留まった。人口1万人余り。「市」ではなく、「町」の人口ではないか。人口などの要件を満たして市制を施行したら、その後人口が減少しても市を維持できる、ということを知った。そして、その歌志内はかつて炭坑があり、閉山後人口減少したこともわかるのは、もう少し後だった。ちなみに、その後人口は1万人を切り、さらに現在では3500人を下回り「村」並み。
 迷走の原因は新しい道ができていたことだった。持参している地図が古いのだ。何せ2006年発行の昭文社ツーリングマップルなのだから。
 道道114号線市境の小さな峠をトンネルで越えると、いきなり「悲別ロマン座」という看板が目に留まる。草に覆われ廃墟のようであるが、まだそこまで廃墟になり切っていない大きな山小屋のような建物が、独特のオーラを放って佇んでいる。「悲別」という単語には覚えがあるし、立ち寄ってみる。いきなり「やってない」という看板。正面が全面ガラス張りなので中の様子が見える。中は別に荒んではいない。食堂か喫茶店のようだ。「昨日、悲別で」というTVドラマのロケ地の一つとなった建物らしい。「悲別」ということは、倉本聰脚本だ。ツーリングマップルを見ると、「悲別駅(旧上砂川駅)」というのもある。隣の上砂川だが歌志内から近い。北海道らしからぬ狭い市域だ。当然そちらにも行ってみることにする。
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 ロマン座からすぐに歌志内の中心街。炭鉱夫の社宅のような建物がみられる。その狭い街並みを抜ける。狭さだけでなく、山間の雰囲気も北海道らしからぬ。
 歌志内の街があるペンケウタシナイ川流域から上砂川の街があるパンケウタシナイ川流域へとレーンチェンジ。その間たったの1㎞。繰り返すが、北海道のスケールではない。
 狭い街並みを抜け、悲別駅へ。ここはかつて石狩本線上砂川支線の終着駅。ドラマで使われ、その後、廃止となってからも保存されている。駅舎の中には、「昨日、悲別で」にまつわる資料が展示されている。1984年放送のTVドラマ、ということは「北の国から」の少し後ということになる。中学卒業から高校入学のころなので覚えていてもおかしくないのだが、記憶にない。ただし、だいぶ後でそのタイトルだけは知った。そのきっかけは「明日、悲別で」という舞台演劇だ。その前、つまり「昨日」と「明日」の間に、「今日、悲別で」という舞台もあったようだが、それとは別である。
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 2012年ごろに上演された「明日、悲別で」は閉山となった炭鉱の町を舞台にした演劇。東日本大震災による原発事故のことも踏まえた内容となっている。倉本聰と縁があって、私の地元丹後でも上演された。およそ2,3年に一度の割合で劇団の演劇を観るのだが、「明日、悲別で」は、ほかにない凄みを感じるものだった。凝った舞台セットなどは一切なく、演者の演技によってそこにそれがあるように見せる。圧巻は、クライマックスなど何度かのストップモーションのシーン。20人ほどがどやどやとうごめいていいる舞台が一瞬静止画となる。舞台上の全員が寸分違わず同じタイミングでぴたりと止まる。そればかりか、腕を通さず羽織っただけのジャケットの袖までもが凍り付いたように止まる。動作だけでなく音も同時に止まる。少し経って動き出した舞台を見て、これは絵ではないことを思い出し軽く驚く。そのくらい引き込まれた。いったいどんな稽古を積んだらあそこまでできるのだろう。
 歌志内に戻り、ペンケウタシナイ川に沿って下る。道央自動車道、国道5号線、石狩本線、石狩川と束になった幹線を渡り、石狩川流域平野の西の山裾へ。来年5月に廃止予定の札沼線の駅をいくつか見るのだ。まずは、下徳富(しもとっぷ)駅。ちゃんと駅舎があった。一日一往復だけの時刻表が印象的。最終便は朝で、とっくに行ってしまっている。しかも始発列車を兼ねている。
 その次の南下徳富駅は田んぼの中にホームがあるだけ。

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 その次の於札内(おさつない)駅も田んぼの中のホームのみだが、こちらは未舗装の農道のような道を進んでいかないとたどり着けない。

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 次の鶴沼駅は、近くにその名の通り丹頂鶴が飛来する鶴沼があったり、道の駅やまとまった集落があったり、さらには鶴沼温泉があったりするので、ほらねしっかりした駅舎がある、かと思いきや駅舎と思ったのは別の施設だった。ただし、ホームにはプレハブのような待合室がある。その次の、浦臼駅は浦臼町の中心集落だけに駅舎があった。けれども、近代的な建造物に「ふれあいステーション」と記され、駅としてというより別の目的で建てられた施設のように見える。
 ふと気づけば雲に覆われていた空がなんだか暗くなってきた。そしてやっぱり今日も雨が降り出した。上半身だけ合羽を着用。でも雲が厚いのは真上だけ。周囲の雲は明るい色をしているので、気にせずに走り出す。すぐに雨域を抜けだした。
 この辺で駅めぐりは切り上げることにして、小樽に向けて南下。しばらく行くと信号のある交差点で駅の案内板に目が留まる。まるであっち向いてほいの敗者のように、その矢印が示す進行方向右側に視線を振れば、趣あるくたびれた駅舎。もう一つだけ寄っていくか、と通り過ぎた交差点へUターンで戻り、駅へ。そこは、札比内(さっぴない)駅。駅前には大荷物を積んだスーパーカブ。3日前の言動から駅めぐりをしていることは察しがついていたので、なるほど、という感じ。日高線静内駅と新冠「判官館森林公園キャンプ場」で会った、群馬県からのスーパーカブライダー、Hさんだった。やはり今回の旅のメインテーマは駅めぐりで、日高線、函館本線夕張支線、根室本線富良野・新得間、留萌線、そして札沼線の廃線決定及び、廃線濃厚路線を中心に回っているそうだ。さらに、彼のブログを見ると駅めぐりは廃線がらみということでなく、全国すべての駅が対象で、もう何年も続けているライフワークのようなこと。主な足はスーパーカブ。いろいろ楽しんでらっしゃいますねぇ。 

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 それにしても、運命的な再会。数百㎞という空間的な一致だけでも難しいのに、そこに時間的な一致が重ならないと起こらない。先ほどの交差点で、何かが呼んだのだろう。 Hさんと別れ、一路小樽へ。国道275号線から国道339号線、そして国道5号線。札幌市街を迂回する快速ルートだが、交通量は多くしかもものすごく流れが速い。大型車に囲まれると恐怖を感じる。ああ早く小樽についてのんびりしたい。
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 命からがら小樽へ。市街地に入りかけたところで、まずは遅めの昼食。そして山に向かってハンドルを切る。ここでまた快晴となったので、4日前のリベンジ。毛無山展望所へ。今日は景色がよく見える。海が青い。フェリーターミナルも小樽市街も丸見えだ。「励ましの坂」や「とまや」は見えるか。手宮公園や手宮小学校が目印になるはずだが。よくわからいので、とにかくたくさんシャッターを切りまくる。

 小樽市街におり、まずはお土産を買って、夕方になったら小樽市街の北部へ。「風に吹かれて食堂」で夕食だ。でも、のれんが出ていない。もう開店時刻を過ぎたはずなのに。扉を開けると「やってますよ」とマスター。そろそろ暖簾を出そうとしているところだったようだ。このマスターとは、4日前のとまやでの花火鑑賞酒池肉林焼肉パーティでご一緒した。そして、昨年の夏もフェリーに乗る前にこちらで昼食を頂いた。お客さんはまだ他にいないので、マンツーマンでおしゃべりをしながら。そうするうちに食堂の電話が鳴る。話の内容からするとどうやらとまやから。店に私が来ていることをマスターが伝えると、「うちにも寄って」とのことだそうだ。もちろんそのつもりでしたよ。、
 励ましの坂をエンジンの力で登り、とまやへ。ここでちょっとトラブル。ダートの駐車場でオートバイを倒してしまった。自転車を荷台から外さないと重くて起こせない。どうにか起こして荷物を積み直していると、クルマが駐車場に入ってきた。宿主ベルさんだ。とまやにお邪魔して、本日宿泊の女性ライダー、もう一人の宿主サリーさんも加わって、おしゃべりして過ごす。毛無山展望所からの写真には、どうにかとまやが写っているものもあった。
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 そして今日もとまやの庭から花火を見る。朝里の花火だ。潮まつりよりもずいぶん遠いが、霧がなく視界良好。
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 とまやにいるとついのんびりしてしまう。21時半ごろにとまやを出発。船内での食料を調達するためスーパーマーケットによってフェリーターミナルへ。乗客の多い夏は出航1時間半前までに到着せよ、とのことだがそれを10分ほど遅れて乗船待ち行列に並ぶ。自動二輪の乗船開始はその5分後とのことだが、乗船準備が遅れて10分遅れて22時25分乗船開始となった。いけない、ガソリンを補給するのを忘れていた。毛無山展望所へ上る途中でリザーブを開放していたのだった。まあ、あと10㎞は走れるはずだから、明日夜舞鶴に上陸してから給油しよう。
 木曜の夜の出航なので空いているかと思ったが、そんなことはなかった。でも、混雑というほどではない。のんびり過ごせるのが船旅のいいところ。
 2日21時、予定通りに舞鶴港にフェリー接岸。車両甲板の下船は四輪車から。そして、二輪車の下船のポールポジションを得るためのつばぜり合いを後目に、のんびり荷物を積み込む。最初の1台から最後の1台まで、5分も違わないのだから。
 しかし、そんな余裕は打ち砕かれた。エンジンがかからない。セルは回っている。どうやらガス欠だ。21時間の航海中にガソリンが気化してタンクから抜けてしまったようだ。これでは、どう頑張ってもエンジンはかからない。車両甲板内では、オートバイを押して出口に移動し、スロープは万有引力の法則に従う。つまり位置エネルギーを運動エネルギーに変換して進む。下り切ったら今度は慣性の法則、つまり惰性で道路に出て路肩に止める。そしてJAFにレスキュー要請の電話。30分ほどで来てくれるという。
 JAFを待つ間、オートバイを駐車場に入れようとUターンを試みたら、倒してしまった。ああまた起こすのに荷解きか、とため息をつく。が、今夜の乗船待ち行列にいたライダー数名が駆け付け起こすのを手助けしてくれた。ありがたい。
 道はフェリー関係の車両しか通らないので、もう動かそうなどと考えないでおこう。約束通りにJAFのサービスカーが到着し、携行缶から1L給油してもらう。無事エンジンがかかった。
 JAFコールセンターのオペレーターは「10Lか1L」と言ったのだが、サービスマンは「1Lで帰れるの。2Lでも3Lでもいいよ」とのこと。なんでも現場でいろいろとわがままを言う人がいるので柔軟に対応しているのだそうだ。どの業界も大変ですねぇ。
 私は、まだガソリンスタンドが開いているから、と1Lだけ。160円。これなら、ガソリンスタンドで入れたほうが安いしね。
Jaf

 乗船待ちライダーの列に行って先ほどのお礼を述べ、少しだけ旅の話をしてから帰路に就く。百里を行く者は九十九里を半ばとす、だね。あとはトラブルがないように慎重に帰路に就く。しかし、暑いなぁ。

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