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2019/08/28

2日続けてコウノトリに遭遇

丹後半島一周の翌日にも。1羽のみ。自宅ではなく、職場の近く。

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2019/08/27

晩夏の丹後半島一周

 この夏手に入れたロードレーサー「RADAC」の自分なりのレストアが完了した。となると、丹後半島一周しないといけない。大学受験を間近に控えた17歳の秋分の日に通学用自転車で初めて走った、私の原点と言えるコース。ずっとほぼ同じコースを走り続けているからこそ、自分のサイクリストとしての成長、体力の衰え、自転車の特性を感じることができる。
 こうして、今シーズン3度目、生涯通算51度目の丹後半島一周が始まった。
 10時、自宅のある京丹後市弥栄町を出発。猛暑日と熱帯夜が続いた8月も下旬となり、ここ数日随分過ごしやすい気候となった。朝は肌寒いくらいだ。かつては、晩夏のこの時期にもよく丹後半島一周をしていたのだが、残暑が厳しく9月上旬まで真夏日が続くことが当たり前となり、秋が来るのを待って走るようになった。この時期の丹後半島一周は20年ぶりくらいか。
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 竹野川沿いに北上。国道を避け、農道をつなぐ。7kmほど走り、黄金色の大海原に佇む、サギよりも一回り大きい、白と黒の鳥。コウノトリのつがいだ。個体を判別する足環は、稲穂に隠れて見えない。色を見分ける以前に、足環がついているかどうかがわからない。
 竹野川河口部の道の駅「テンキテンキ丹後」でトイレ休憩して、海岸沿いを走る。急坂を登れば左に海が見えてきた。海にそそり立つ一枚岩「屏風岩」を見下ろす展望所で小休止。何より、海の水が透き通ってきれいなのが魅力。今日は北よりの風で少し波があるが、それでも水は澄んでいる。海底の砂が白いので、青色がとても明るい。
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 アップダウンを繰り返しながら東へ。
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 経ヶ岬の手前で、目の前を1頭のシカが横切る。この辺りでは、サルはよく見るがシカを見るのは初めて。この2年ほど、それまで見ることがなかった場所でシカを見るようになった。直後、後方から来た1台のオートバイが私に並走する。女性ライダーのようだ。なぜか追い越さず私の横位置をキープ。話しかけてくるわけでもない。シカを警戒しているのだろうか。確かに、続けて2頭目、3頭目が飛び出してくる場合があるから、気を付けた方がいい。しばらく並走してから加速して走り去る後姿を見れば奈良ナンバー。もしかすると奈良公園のシカの飛び出しで危ない目にあった経験があるのではないか、と頭の中で勝手にストーリーを作ってしまう。そういう自分自身も、1頭目を見送り、2頭目を急ブレーキでかわたものの、3頭目の悪質タックルの餌食になった経験がある。二輪車でなかったのが幸いだが、クルマがへこんだ。
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 経ヶ岬を越えると、これまでよりきつめの登りが始まる。標高100mの白南風隧道を越えると、絶景のカマヤ海岸。100m下に海を見下ろす断崖の空中散歩。東側の景色が開ける。思いのほか見通しがよく、若狭湾越しに越前、近江、美濃の境をなす山々がうっすらと見えているようだ。加賀白山も見えているのではないか、と目を凝らし、さらに帰宅してからの検証の材料にと写真を撮るが、どうやら見えていなかった。夏の日中に白山が見えることはかなり難しい。
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 カマヤ海岸の南の端、甲崎で小休止。反対側は、蒲入の漁港と集落。ここでちょうど正午を知らせる音楽が聞こえてくる。中山美穂の「幸せになるために」。伊根を舞台にした1994年のNHK朝の連続テレビ小説の主題歌だ。懐かしい。
 蒲入トンネルを越える。5年ほど前に開通したトンネルだ。標高差100m足らずのアップダウンではあるが、峠がひとつなくなったのだ。冒頭に「ほぼ同じコース」と書いたとおり、全く同じであり続けることはない。少しずつ道は変わっていくのだ。
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 しかしその先、野室崎と新井崎の2つの厳しいアップダウンが残っている。内陸を行く国道を離れ、クルマは少なく海の景色がすばらしい。迷わずこちらを選ぶ。海から標高差120mの登りが2回。いずれも登り出しがきつい。おそらく10パーセントくらいなので、乗車のままクリアできる。フロントチェーンリングのアウターを小さく、リアスプロケットのローを大きくしたのだが、それでも38x32。そのうちローギアを34にするつもりだが、インナーは現在のPCD130では38が最小。野室崎越えは何とかノンストップで登りきった。新井崎越えは、写真撮影ポイントがあるのでノンストップとはいかない。千枚田を構成する小さな田んぼももうすっかり黄金色。8月が晴れて高温だったので、生育は早いようだ。
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 舟屋の並ぶ伊根湾へと降り立つ。観光客が多い。外国人の割合が大きくなっているようだ。
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 天橋立の江尻まで平坦な道が続く。今日は元々の北よりの風に加え、さらに気温上昇による空気の対流現象から発生する海風に押されて快走。天橋立の北詰め観光船乗り場で小休止してから、最後の峠越え。200m近い、今日一番の標高差だが、勾配はきつくない。
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 今日一番のダウンヒルを終えて、15時15分、ゴール。早かった。大学生だった20歳の夏以来の短い所要時間。平均速度が20km/hを越えるのも20年ぶりくらい。いや、かつては20km/hを辛うじて越えるくらいだったのに、今日は20.7km/h。自己新記録だ。トンネル開通で蒲入峠がなくなったことを差し引いても、記録更新は間違いない。これが、ロードレーサーの走りということか。
 このRADACが世の中に出回っていた30年前、サイクルスポーツ誌の読者のツーリングレポートでよく見かけた「ダイレクトなパワー伝達」という表現を思い出す。その名の通り元々は競技用だったロードレーサーだが、路面状況がよくなったから、とツーリングでも使われるようになり、ランドナーが誌面に出なくなっていった時期だ。そのあとMTBのブームを経て、ロードバイクと呼び名を変えたロードレーサーがスポーツサイクルの代名詞となって長い。
 ただし、手のひら、特に左手に痛みが出た。ポジションに改善の余地あり。
 8月下旬、10:00~15:15、81.9km

 

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2019/08/24

続ランドナーにVブレーキを

 最近自転車をいじるネタばかり書いているが、もう一つ追加。
 カンティレバーからVブレーキへ。1月にリアは完了している。泥除けをまたぐロングアームのものを、とか、ドロップハンドルではなくてフラットハンドルのため、Vブレーキ用の引き量の大きなブレーキレバーを使うことができる、とかいう話はその時の記事をご覧あれ。
 フロントブレーキの交換には、台座を共有しているフロントキャリアも外さねばならない。ようやくフロントキャリアを外す時期が来たので、フロントもVブレーキにする。秋は気候も良くなり、祝日も多い。ランドナーで輪行を含めたツーリングを考えている。そのため主力ランドナーにはフロントの泥除けを普段用と輪行用に2つ用意ている。輪行用は、工具なしでフロントの泥除けも外せて、輪行に邪魔なフロントキャリアも外した状態にする。まあ、詳しくは、その加工をした時の記事をどうぞ。
 さて、もう乗らなくなってパーツ提供のドナーと化したMTBから外したVブレーキを移植。ついでに、ブレーキシューはカートリッジ式のものに交換。さらに、ブレーキレバーも上記のMTBから移植。
 ここで問題発生。フロントホイールの着脱ができない。ブレーキを開放しても、ブレーキシューがフロントフォークに干渉してタイヤが通るスペースが開かないのだ。実は、交換前のカンティレバーブレーキでも同様のことが起こっていた。もともとカンティレバー用のブレーキシューは短くてフロントフォークとの干渉は少ないのだが、カンティレバー用のブレーキシューをカートリッジ式に交換してから、上記の問題が発生していた。そのブレーキパッドはVブレーキ用の長いものを使う。これでフロントフォークとの干渉が大きくなった。ただし、カンティレバーの時には、タイヤが引っ掛かりながらもなんとかホイールの着脱はできていた。今回交換したVブレーキの方が引っ掛かり方が大きい。強引にやると、ブレーキパッドが外れてしまった。
 ちなみにそのタイヤは、26×1-1/2。ダート走行用のタイヤは26×1-3/8と少し細いので、とりあえずそちらのホイールでしのぐことにする。今後はオンロード、オフロードともに26×1-3/8に一本化していく方針だが、26×1-1/2の在庫もまだある。どうしたものか。
 その夜、ふとあることをに思い当たる。ネットで検索してみると、ほらねやっぱりあるではないか。Vブレーキ用のブレーキシューにも短いものが。これは、キャリパーブレーキで使われている規格。これまで縁なく、知識もなかったキャリパーブレーキだが、最近ロードレーサーを手に入れたことでちょっと視野が広がった。さらに探せば、カートリッジ式のものもある。ブレーキパッドはロードレーサーと共有できるぞ。
 カートリッジ式は、パッド交換の際にブレーキシューの位置や角度の調整をいちいちしなくて済むので楽だが、フロントは固定ピンがフォークの奥に隠れて挿しにくい。キャリパーブレーキ規格のシューは、ピンでなくボルトで固定。そのボルトはフロントフォークに隠れない位置なので(干渉がないのだから当然だが)、交換も楽だ。
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 実際に装着してみると、全くフォークに干渉しなくなるわけではないが、かなり改善されている。26×1-3/8のタイヤは全く引っかかることはなくなった。26×1-1/2は少しひっかるが、ホイールが着脱に大きな支障はなくなった。今後は26×1-3/8のタイヤに一本化した方がいいだろう。

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2019/08/23

平成30年7月豪雨の被災地へ

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 2018年7月豪雨の被災地のひとつを訪れた。豪雨から1年後の7月のことである。兵庫県宍粟市一宮町小原。兵庫県内での犠牲者2人の内の1人が命を落とした地だ。揖保川の支流、公文川を遡った山深い集落。裏山が深層崩壊し家ごと土砂に飲み込まれた。
 流石に規模が大きい。現場に来て改めて感じた。
 この深層崩壊の地点から道はさらに続き、藤無山の西側を越え、宍粟市波賀町道谷へと抜けている。鳥取県側から氷ノ山に入山するときなどに、養父市大屋町から若杉峠を越えて道谷集落へと入る手前、この道の北側の入り口を目にするたびに、いつか通らねば、と思い相当な時間が過ぎた。少なくとも20年以上。
 もちろん、通り抜けるなら自転車だ。小原集落から北はダートで、道谷からの入り口を見る限りかなり険しそうだ。倒木や水の流れで掘れた深い溝などを覚悟しないといけない。1997年発行の昭文社ツーリングマップル関西には、その道についてオフロードバイクのアイコンと「路面変化が大きく楽しい、南北入り口に各々民家が1軒。後は緑一色」とコメントが付いている。当時は楽しかったかもしれないが、今は厳しいに違いない。
 長い間訪れることなくほったらかしていたのは、程よい周回コースが取れないから。目的の道自体が厳しい峠越えなのに、周回にすると別の峠が加わる。気合を入れれば走れなくもないが、気合を入れずに先延ばししているうちに長い年月が過ぎた。そして、そのうち道を通り抜けようという気持ちも忘れてしまっていた。
 その道のことを再び意識したのが、上記の7月豪雨。それまでは南側の入り口のことを意識していなかったのだが、TVなどで報道を見て、道谷からのあの道が深層崩壊の現場へとつながっていることに気付いた。
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 被災地を訪れる1週間前、道谷の北側入り口へと向かった。とりあえずクルマで行ける所まで行ってみる。クルマが一台通れるだけの道幅だが、舗装されている。勾配が増すと、路面にうっすらと泥が積もっていた。山側の沢筋には土石流の跡。路面に堆積した土砂が撤去されたということがわかる。そんな風に整備されているのは、その先、植林で伐採された丸太の搬出現場まで。さらに先は、路面に堆積した土砂や落石を乗り越えたり避けたりしながら進む。何度か、クルマの腹を打ち付ける。標高800m近くまで来たところで限界を感じ、路肩のスペースを見つけてクルマを方向転換して止める。ここからは自転車。車種はランドナー。もちろんダート用のブロックタイヤのホイールを装着しているが、MTBの方がよかったかな。
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 少し進めば路面の落石や土砂の堆積は落ち着いた。道はすぐにダートとなり、多少ガレた区間を越えて標高1000mあまりの峠へ到達。頑張ればクルマでも来られたかも知れない。
 峠より南、一ノ宮側はもっと厳しい道だった。北側より激しくガレている。下りなのに乗車できない。MTBでも難しいかもしれない。さらに深く溝が掘れている。クルマでは無理だ。オフロードバイクでも、普通のテクニックでは無理だ。
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 標高800mくらいまで下ったところで、土砂崩れで路面がなくなっていた。山側の法面を歩いけそうなので、片手で自転車を担いで、もう片方の手で木をつかんで滑落しないように乗り越える。ヘアピンカーブを下ったらまた道が崩れ落ちていた。要するに先ほどの崩落現場の真下。同じ沢筋ということだ。ということはもう法面も何もかも崩れてしまっているので、乗り越えられない。そこで、引き返した。
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 1週間後、今度は南側の小原から。深層崩壊の場所のすぐ奥からダートが始まる。やはりガレていて厳しい。なのに、今回もランドナーだ。前回の崩落地点の反対側まで到達することができた。崩落地の手前には、道を通せんぼするようにピンクのリボンが張られていた。荒れているとはいっても反対側よりはクルマやオフロードバイクがやってくる可能性がある、ということだろう。
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 ツーリングマップルの「南北に民家が1軒」はよくわからなかった。もうなくなったのだと思われる。もしかすると、南側の民家は深層崩壊の下敷きとなった家のことかもしれないが、それは隣家とは少し離れているが小原集落の中の1軒なので違うような気がする。
 とにかく、ご冥福をお祈りする。

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2019/08/20

自転車歴33年目にして初めてロードレーサーを手に入れる

 またも自転車を増やしてしまった。乗れる状態ものとして9台目。パーツをほかの自転車に提供してフレームだけになったものがもう1台。他にエンジン付きのものが2台。もうすでに飽和状態。しかも手に入れたのは、これまでも、そしてこの先も縁がないだろうと思われていたロードレーサーだ。
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 まあね、タダであげるよ。いらないなら捨てる。と言われて引き取らないわけにはいかない。何より、ブリジストンのRADAC(レイダック)。30年くらい前の人気の車種だ。もうなかなか手に入らないよ。
 そんな話を持ち掛けられたのは、いつもの自転車屋さん「BULLDOG」。ずっと乗ってなくていらない自転車が何台もある、というお客さんに、なら処分してやるからまとめて持って来い、と言って持ち込まれたうちの1台。私が欲しがりそうなRADACを残しておいてくれたという。そう、古いからほしいのだ。最新モデルなら、ロードレーサーに興味などわかない。
 今やスポーツバイクの代表格といえるロードレーサー。いや最近はロードバイクというそうだが、あえてロードレーサーと呼ぼう。
■ホイールはクロスバイクと共有
 ただし、ホイールは辞退。チューブラータイヤのホイールだという。そんなのとても管理できない。すでに所有しているクロスバイクの700Cのホイールを装着してみたら、いけそうだ。空気圧などの管理を考えると、ホイールを増やさず、複数の自転車と共有でいいだろう。数台のランドナーでもそうしている。コンポーネントはシマノの600SISがRADACに付いている。リアディレイラーは6Sだ。クロスバイクのホイールに付いているスプロケットの枚数(8S)も、ローギアの歯数(32T)も、リアディレイラーの許容量を超えている。ならば、リアディレイラー交換だ。8SのリアディレイラーのストックはALIVIOが2つだけしかない。もう、ALIVIOはとっくに9Sになってしまったし、その下のグレードのACERAもどうなるかわからない。ACERAの8Sを2つ注文。所有する自転車のリアスプロケットは、8S、7S、5Sなのだ。9S以上に増やす必然性を全く感じない。また、ディレイラーがMTB用であることも問題ない。シフトレバーは、ダウンチューブのWレバーなのだから。
■チェーンリング交換、フロントディレイラーはそのまま
 チェーンリングも、アウターが52Tでセンターが42T。センターは、PCD130で最小の38Tに交換しよう。折畳小径車のフロントダブル化で使ったものだ。フロントディレイラーも600SISのキャパシティを越えるだろうから、SORAを注文。
 注文した前後のディレイラーと、チェーンホイールが到着。早速装着してみよう。まずはチェーンホイール。訳あって、アウターも交換。古い方の折り畳み小径車MU-P8の53Tのものと交換。詳細は、ひとつ前の記事に。これで、アウターとインナーの歯数の差が15となったが、もともとのフロントディレイラー600SISでちゃんと変速できた。ならばそのまま使おう。フロントディレイラーを交換しないならば、チェーンを切らなくて済む。
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■リアディレイラー交換
 次はリアディレイラー。下のプーリーを外し上のプーリーの軸のボルトを緩めればチェーンを切らずに交換できる。しかし、変速レバーが8Sに対応できなかった。仕方がない、またこれも注文。
 到着したらすぐに交換。ワイヤーも交換。リアの変速レバーは交換の必要がないのでそのまま。チェーンの長さが足りずアウター・ローに入らない。まあ、これは禁じ手としよう。ランドナーでもそうしている。 
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■フラットハンドルからドロップハンドルへ
 あとはハンドル。引き取った時にはフラットハンドルがついていた。当時は、ロードレーサーのフレームにフラットハンドルを装着した「フィットネスバイク」という車種が存在した。今のクロスバイクのようなポジションだが、あまりヒットしなかった。また、MTBもまだあまり普及していなかったので、ハンドルグリップやブレーキレバーも実用車についているようなもの。
 ちょうどドロップハンドルが余っている。もともとはランドナーで使っていたが、半年ほど前にやはりBULLDOGでドロップハンドルを頂いた。あんたになら1000円でええわ、と言われて。あるお客さんが、ずっと乗っていなかった古い自転車を復活させたい、ということで、ハンドルを交換した。その元の古いハンドルだ。ブレーキレバーもついてバーテープもまだ使える状態。ちょうどランドナーのバーテープが緩んできていたので、ハンドルごと交換したのだ。
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 ランドナーから外したハンドルバーをRADACに装着。新しい、バーテープを巻く。これで見た目もロードレーサーらしくなった。あとタイヤは700X28Cとロードレーサーには太めのもので、ホイール着脱の時にブレーキシューに引っかかって難儀していたのだが、ブレーキ開放機能がブレーキ本体とブレーキレバーの二重になった。これはいい。ホイールの着脱所要時間は、(着も脱も)それぞれ2分だ。
 突きあげるようなブレーキブラケットの角度は、グリップポジションを手前にするためのセッティング。ちょっとハンドルが遠いのだ。
 ちなみに、NHKのBSで放送されている「チャリダー・サイクルクリニック」では、モデルの朝比奈彩が私と同じ理由でこういうセッティングにしていることをほかの出演者から突っ込まれていた。同番組の開設者およびインストラクター役で、元オリンピック自転車競技選手の竹谷氏は、「このセッティングもあり」とのこと。「重要なのは、自転車の形ではなく、乗車姿勢。疲れず安全に操作できればいい」のだそうだ。
 考えてみれば、ドロップハンドル、フラットハンドル、エンドバー付き、ブルホーンバーとハンドルの形状は様々なのだ。セッティングの違いなんて些細なこと。もちろん、操作に支障のない範囲でのことであるが。
■キックスタンドは便利
 そしてやっぱり必要なのは、スタンド。スポーツ車、特にロードレーサーに付けている人はほとんどいないが、絶対に便利。ツーリングで自転車を入れた風景写真を撮るには、あるとないとで全く違う。こんな便利なものを使わない理由がわからない。見た目?重量?
 これまで走っていてスタンドを意識されたことなどない。休憩時に自転車を立てて、初めてスタンドに気付かれる。そして、数百グラム程度の重量がほとんど走りに影響しないことは、いろいろな検証実験で明らかになっている。私は、数分の1秒に人生をかける自転車競技の選手ではないのだ。
 一つ余っているスタンドがあったので装着。それはチェーンステーのブリッジに装着するもの。あ、これではリアホイールが外せない。却下。仕方ないので他の自転車についているものを流用。左側のチェーンステーに装着するタイプ。標準的な位置に取り付けると、クランクと干渉する。チェーンステーはエンド側に行くにしたがって左右が広がっている。ということは、干渉を避けるにはBB寄りに付ければよい。が今度はスタンドが長すぎて安定しない。チェーンステーはエンド側が高く、BB側が低いのだ。ここでまた、スタンドを注文。24インチホイールの自転車にも対応したものを。これを装着してみたが、やっぱり長すぎてあまり安定しない。前のものとあまり変わらないかも知れない。もちろん最も縮めた状態である。ないよりましということか。勾配を利用すればちゃんと立つし。
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 その日は日没ということもあって、あきらめて撤収。しかしそのあとあることを思いついた。草刈り機の歯を研ぐグラインダーで削るのだ。長さを調整するため二つに分かれている脚の下のパーツの、接地面ではない根元の方を。前のスタンドの長さ調整はスタンドの脚がネジ式になっている。だから、上下分割できない。削るとしたら接地面だが、接地面には面積を広げる加工、つまり脚の先が足になっている。これを削り落としたくはない。というわけで、新しいスタンドの脚を2㎝ほど削る。これで安定して自転車を立てられるようになった。
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■1990年前後のモデル?
 RADACは1986年に販売開始だが、そのうちフィットネスは1987年から。また、コンポーネントはシマノ600SIS。これはアルテグラの前身モデルで、アルテグラ登場は1992年。このことから判断して、今回手に入ったRADACは1987~91年のモデルと推測される。私の手元にあるものとしては、1989年初めに新車で購入したブリジストン「ユーラシアツーリング」、昨年我が家に来た1988年モデルの自動二輪車「HONDA CD250U」あたりと同世代ということになる。依然、最年長は1970年代生まれ(推定)の山口べニックスだ。
 とにかく自分用の自転車になった。並行して作業してきた、できるかどうかの保証がない折畳小径車Mu-P8のフロントダブル化と違い、パーツさえ揃えればできることなので、リラックスして作業できた。
 さあ、もう少し涼しくなったら、RADACで丹後半島一周しよう。

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古い折畳小径車Mu-P8もフロントダブルに

■とりあえずチェーンリングを追加
 新しく手に入れた折畳小径車SpeedFalcoのチェーンリングをいじってみてわかったことを生かし、すでに持っているMu-P8もフロントダブルにしてみようと思った。ボルト・ナットやスペーサーは安いパーツを再び注文。中国から品物が届くのを気長に待つ。38Tのインナーは3000円以上する国内製品。すぐに届いた。そして装着してみた。
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 とりあえずフロントディレイラーはなし。一昨年の秋、丹後半島一周ツーリングの時に本庄浜で出会ったサイクリストの自転車は折畳小径車のBD-1。フロントダブルに拡張していたが、フロントディレイラーはなんと自分の足。走行中、チェーンに靴を押し当てて変速するのだそうだ。「シフトダウンはまだいいけど、シフトアップは難しい」とのこと。そんなことが可能なのかどうかは疑問だが、いざとなれば手でチェーンを架け替えればよい。フロントの変速はリアほど頻繁でなくてもいい。実際、1991年夏の四国山地縦断国道439号線走破の後半は、損傷したフロントディレイラーを外し、登りの前後で手作業でチェーンをかけなおして走った。
 だめだ。元々前後のギアの間隔が狭いこともあり、チェーンラインに無理がある。だからチェーンガイドが装備されているわけで、それを外すとリアをローにしたときチェーンがインナーに落ちる。だからといってリアをトップにすればフロントがアウターに戻るわけではない。チェーンガイドをつければインナーに落ちなくなるが、今度はインナーギアが使えなくなる。手で架け替えるにも、ガイドが邪魔で苦労する。フロント変速の度に手が真っ黒だ。
■フロントディレイラーの後付け台座を探し求める
 やっぱりディレイラーが必要だ。ネットを検索するとDAHONの小径車やBD-1の外径40mmのシートチューブに対応した後付のディレイラー台座があるではないか。アウター受けも一体となっている。すぐに注文。これも中国産のため、気長に待つ。あとディレイラーと変速レバーは、SpeedFalcoにつけてもらったものを同じものを、今度は自分で手配。アウターケーブルも忘れずに。
 パーツがそろって早速装着だ。が、Mu-P8のフレーム構造に合わない。しばし絶句。
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 じっと眺めていて、後付台座がもっとスリムなら大丈夫そうだと気付く。ということでダイエット開始。草刈機の刃を研ぐ電動グラインダーで削るのだ。結果にコミットして、何とかフレームに装着することができた。ディレイラーと変速レバーも装着し、ケーブルを取り回していざ変速を試みる。

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 が、ディレイラーが動かない。原因はフロントの変速のインナーケーブル、つまりアウター受けから出ている部分と、リアの変速のアウターケーブルが交錯しているため。フロントのインナーにテンションがかかってしまっている。リアの変速ケーブルの取り回しを変更しなければならない。リアディレイラーからワイヤーを外し、フレームのアウターガイドから外す。ケーブルの通過点を変えるためのアウターガイドは、結束バンドだ。ちなみに、フロントのアウターケーブルの取り回しも結束バンドを使った。
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 ようやく、ディレイラーが動くようになったが、シフトダウンができない。インナーにチェーンが落ちないのだ。ディレイラーの位置がよくないようだ。具体的には、外過ぎて前過ぎて上過ぎ。ディレイラーの位置はもう動かすことができないので、チェーンリングを外側に移動させる。アウターの位置にインナーを装着し、さらに外側にアウターを。その外側にチェーンリングガードをつけたいが、もう無理。何せフロントシングルだったもともとのフロントチェーンリングから4mmほど外側にインナーギア、さらにその4mmほど外側にアウターギアをつけている。チェーンリングガードは自動二輪に積む際に車体を支えるのに必要なので、ガードと一体型のチェーンリングを新たに購入。10年目のチェーンリングとチェーンリングガードはかなりくたびれているのでこれは必然性のあるパーツ交換かも知れない。しかし、ガード一体型はアウターギアの位置が少しずれるため、それを調整するために新たに厚さ3.5mmのスペーサーも購入。5個入りが2000円余り。なんと1個400円もする。
 まあそういうわけで、注文の品が届いたら実際に装着してみるわけだが、それでもインナーには落ちにくい。フロントの変速機だけの捜査ではだめで、リアをローギアに落としてようやくフロントインナーに落ちる。しかし、それ以上に問題なのはチェーンライン。上述の通り、もともと厳しいチェーンラインに輪をかけるこのフロントチェーンリングの外移動。ローギアでは、フロントがどちらのギアにかかっていようともどこかにチェーンが干渉していてこすれる音がする。
 ああ駄目だ。ここでまたネット検索。DAHONのMu-P8またはP9用に特化したチェーンリング台座を探す。するとあるではないか。乗っていたのは、折畳小径車専門店「ローロ・サイクルワークス」の新製品の紹介記事。半年前にハンドルポストを手配してもらった大阪店をはじめ、全国に数店舗展開している。ただし、新製品と言ってもそれは過去のもの。2009年、つまり10年前の記事だ。「各店舗に数個配置しておりますので、最寄店舗にお問い合わせください」とのこと。最寄りの大阪店と京都店に問い合わせメールを出す。1日待ったが回答がなく、翌日は定休日の木曜。待ち切れず、木曜朝にその日営業している福岡店と横浜店へも問い合わせメール送信。すると、その日のうちに両店舗から回答。さらに翌日には大阪店からも回答。京都店からは回答なし。前月に店舗の移転があって忙しかったのか。
 回答のあった3店舗とも在庫はなし。そしていずれの店舗からも代替品の紹介をされたが、横浜店の説明が最も丁寧なものだった。まず、こちらの求める商品が「店に在庫なし」というだけなく、国外製パーツで今も製造されているものの取扱代理店がなく入手ということも説明された。そのうえで紹介されたRIDEAというメーカーの「FDSD2」というもの。実際にMu-P8あるいはP9で使われた記録は見当たらないが、RIDEA公式サイトのFDSD2の項にはMu-P8,P9の文字列も記してある。少しだけ期待をしながら横浜店に注文のメール送信。すると、近い方が送料が安くて済むので京都店連絡して手配します、との返信。やはり横浜店の店員さんは顧客ファーストの対応だ。ならば今回問い合わせへの回答のなかった京都店でなく、大阪店を指定。
 思いのほか早くに大阪店からの入荷の連絡があった。通販から店頭受け取りへと変更していたので、大阪店へ。入荷の連絡の翌日が動ける日だったので、問い合わせメールから1週間で現物ゲット。
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 しかし、順調だったのはここまで、実施に取り付けを試みるが、駄目だった。一つの要因は、リアの変則ケーブルのガイドが邪魔になっている。もうケーブルは別の位置を通しているので、ガイドを削り取ってしまってもいいのだが、それでも別の個所も干渉している。フレームの形状にあっていないということだ。公式サイトの記述は何だったのだろう。年式によってフレーム形状が異なるのだろうか。これで、FDSD2の購入価格7668円は焦げ付くことになった。焦げ付き総額は1万円を超えた。
■小径車のカスタムが得意な店に相談を持ち掛ける
 もう、既製品を一か八かで買うのはやめよう。そもそもSpeedFalcoを手に入れた後で、Mu-P8をフロントダブルにする必然性はないのだが、なんだか引っ込みがつかなくなった。となると、工作技術を持った店へと依頼する、これが残された方法だ。候補は2つ。一つは、フレームビルダーに頼んでフロントディレイラー台座とアウター受けをフレームに着けてもらう。
もう一つは、自作パーツを作る技術を持った店に依頼。
 前者の候補は、兵庫県三田市のECO。ただし、ここはクロモリフレームを主体に扱っている。Mu-P8はアルミニウムフレームだ。また、フレーム製作は数か月待ち。果たしてここで自転車を作ってもらったことのない私の注文を引き受けてくれるのだろうか。
 後者の候補は、大阪府堺市の「ぽたりんぐぅ」。なんとMu-P9へ自作のフロントディレイラー台座装着のブログ記事が公開されている。こちらが有力候補だ。ただし、メール等で「同じものを作って」で済む話ではない。実際に合わせて調整してもらわないとまた焦げ付く可能性がある。自転車をもっていかないとだめだろう。
 三田と比べて堺は遠い。距離の問題よりも、大阪市の中心を越える必要があり、混雑が問題。自走、クルマ、輪行いずれもうんざりする。でも調べてみれば、大阪駅で紀州路快速に乗り換えるだけ。店はJR堺市駅のすぐ近くだ。
 篠山口駅から輪行袋を担いで乗車。駅で自転車を袋から出すときにファスナーのスライダーが外れてしまった。戻せるだろうか。両側に2つスライダーがついているので、片方だけでしのぐことはできるはず。とりあえず今は店に行こう。
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 店はすぐに見つかり、店内にいる男性に声をかける。店主一人でやっているようだ。フロントダブル化の相談を持ち掛けると、難色を示された。この店で自作の後付けフロントディレイラー台座でMu-P9をフロントダブル化したのは4年前のこと。まず、当時と違い今は元々フロントディレイラー台座がついているモデルがいくつも出ているのでそれを買った方がいい、とのこと。すでに持っているのだ、とは言えず。そして、この自転車でギア比を下げるならリアスプロケットで対応することを勧められた。ロー42Tのものがあると。ただし、それは9S以上のスプロケットが必要。自分としては、8S以下で生涯を終えるつもりでスプロケットもディレイラーもストックをしているのだ。
 あと、やはりリアの変速ケーブルのガイドがネック。削り取ってもらっていい、と提案してみるが、フレームを傷付けることはしたくない、とのこと。それがどのように影響するかわからないのだそうだ。
 さらに、すでに装着してある2枚のチェーンリングの構成についても、これでは変速できない、といわれる。SpeedFalcoと同じ構成なのでできると思うのだが、反論はしない。突如現れた怪しい一元の客。めんどくさい客になるのはよろしくない。こちらは、とにかく相談を持ち掛けている立場なのだ。相手の回答を否定するような無礼なことをしてはいけない。
 続いてチェーンラインのこと。小径車ではかなり無理をしている、ということはすでに分かっているが、とにかくすべての説明を神妙に聞く。パーツの構成もいろいろと変更しなければならないので費用も数万円かかりますし、条件が厳しくてあまりいい仕上がりにならないと思いますが、それでも良ければ考えます、と少し対応が軟化した。
 こちらとしてはあまり費用をかけたくないことを告げ、とりあえず保留。ただし実質的には、ほぼ商談不成立、ということで店を去る。
 駅で自転車を折り畳み、輪行袋を広げる。スライダーを戻すことを試みるがうまくいかない。あきらめてもう片方のスライダーだけでしのぐことにするが、自転車を収めてファスナーを閉じようとしたらもう一つのスライダーまでも外れてしまった。ファスナーのテープの部分が破れて切り込みが入っているのだ。そこだけでなく、あちこち破れて小さな穴が開いている。まだ2回ほどしか使っていないのに。最近は、畳んだ時にコンパクトになることを重視して薄いもの、耐久性は落ちるが消耗品と考えて安いものを選んでいる。それにしてもあまりにも弱かった。先日の北海道では持ちこたえてくれてよかった。
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 先ほどの店に戻って輪行袋を購入。オーストリッチのちび輪バッグだ。畳んだときやや嵩張るが、耐久性はいい。それと、ぽたりんぐぅにもアドバイスのお礼ができた。商談は成立しなかったが、店主とはお互いにわだかまりなく話ができたと思う。
 いろいろ時間を費やしてしまい、夕方の混雑する時間帯に差し掛かってしまった。大阪発の福知山線の列車は混雑する。宝塚まで阪急電車を使った方がよい。阪急のほうが空いているのだ。ならば、大阪駅の手前の福島駅で紀州路快速を下車しよう。小さな駅で降りる方が輪行袋を担いで歩く距離が短くて済む。しかももうこの時間のJR大阪駅は人であふれかえっているはず。
 自転車を店に預けて手ぶらで帰路に就くと想定していたが、商談不成立で自転車を持ち帰ることになった。これを活用する。JR福島から阪急梅田までは自転車で移動だ。梅田界隈は駅の外も混雑している。クルマを相手に被害者になることも、歩行者を相手に加害者になることも避けなければならない。慎重に事故を起こさないで移動したはいいが、道に迷って時間がかかってしまった。まあ、それはいい。予想通り阪急電車は満員ではなく、輪行袋を置く余裕があった。そして途中からは座れた。手ぶらならもっと早い段階で座れたのだが、輪行袋があるのでロングシートの端、出入り口のわきの席が空くのを待っていたのだ。宝塚で半球から乗り換えたJRの列車は、座れないが輪行袋を携える余裕あり。そして、予想通り三田を過ぎると座ることができた。篠山口まで行かず、三田市から篠山市への市境を越えてすぐの草野駅で下車。自転車の活用だ。篠山口駅近くの駐車場までは農道などクルマのほとんど通らない道をいける。距離は8km余りだ。
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■使えるフロントディレイラー台座を見つける
 さて、本題のフロントダブル化の話に戻ろう。行き詰った。三田のEcoに相談を持ち掛けたとしても、請け負ってくれる気がしなくなってきた。過去に自転車を作ってもらっていれば少しはハードルが下がるのだろうが。
 仕方がない、最後にもう一度賭けをしよう。COLORPLUSという台湾のBD-1、Birdy系のパーツメーカーの後付け台座を注文。写真で見る限りだが、なんかちょっと期待できる。折畳小径車専門店「ローロ・サイクルワークス」のサイトからリンクされている販売ページで注文。すると「SOLDOUT」の表示に代わる。最後の一個だった。本体が10800円と送料がかかった。
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 そして品物が到着。これまでに買った後付け台座と並べて比較。台座だけでなくアウター受けも一体になっているので、ある程度上下の長さが必要である。注目すべきは、ベルトの位置。ダメだった2個はアウター受けに近い下の方にベルトがあり、台座を上に伸ばしている。それに対し、COLORPLUSのものは、台座と同じ高さにベルトがあり、アウター受けを下に伸ばしている形。Mu-P8のシートチューブでは、後者の方が装着スペースに余裕があるのだ。
 実際にちゃんと装着できた。ただ、締め付けるボルトが短か過ぎたので、別のボルトで代用した。
■ダブルなのにトリプル用のフロントディレイラー
 さらに、フロントディレイラーを装着する。あーっ、ダメだ。チェーンがインナーに落ちない。シートチューブが太いため、ディレイラーが外側に位置してしまうのだ。最初に買った台座でもそうだった。あの時は、チェーンリングを外側に付け替えてみたが、ただでさえ無理をしているチェーンラインにもっと無理をさせてチェーンがあちこちにこすれてしまった。もうその方法は却下だ。
 そこで新たに考えたのは、トリプル用のフロントディレイラーを使うことだ。センターよりも内側にもう一枚、インナーギアまでをコントロールするため、可動域が広いはずだ。残念ながら、台座に直付けするタイプの3Sのフロントディレイラーは手元にない。バンド式は在庫しているが、シートチューブの太さが合わない。新たに注文だ。
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 ディレイラーが届いたら、装着。センターギアも可動域に入っている。やった、ずっと越えられなかった壁を越えた。なんとなくゴールにたどり着ける可能性が出てきた気がする。しかし、センターギアの位置からディレイラーが動かない。アウターギアの歯にディレイラーが当たっているのだ。やはり、窮屈なのだ。
 では、アウターを小さくしたらどうか。ギアとディレイラーの干渉はごくわずか。今ついているアウターは53Tだが、目の前に52Tのものがあるではないか。RADACだ。というわけで、RADACのアウターギアと交換してみる。チェーンリングガードはそのまま53Tのものをつける。ディレイラーが動くようになったが、なぜかアウターにシフトアップできない。引き量が足りないのかと、シフターを2Sから3Sのものに変えてみる。しかしダメ。チェーンリングガードが邪魔をして、もうひと押しができないようだ。チェーンリングは自動二輪車に積むときに必要なので、52Tのものを注文。
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 チェーンリングガードが届いた。3500円余りと、チェーンリングと同じくらいした。ご丁寧に、チェーンリングボルトとナットにスペーサーまでセットになっている。もうすでに手に入れているのでダブってしまった。既に前に入手したチェーンリングボルト・ナット・スペーサーの値段を合わせれば、チェーンリングガードの値段の半分をはるかに超えてしまう。
 さて、チェーンリングガードを52T用に交換。これでもうディレイラーとの干渉はない。けれどもやはりシフトアップができない。正確なことはわからないが、本来インナーからセンターへのシフトアップの位置にあるため、52Tへのシフトアップには無理があるということなのだろうか。
■ついに結実の時
 もともとは、ディレイラーなしということも考えていたわけだし、無理のあるチェーンラインでもチェーンが外れないようにするチェーンガイドの役割だけでも大きい。手でチェーンをかけかえればいいのだ。フロントの変速は、リアほど頻繁でなくてもいい。でもいろいろ試行錯誤してみると、変速レバーをシフトアップの状態にし、少しアウターギアにかかるようにチェーンを持ち上げながらペダルを回してやれば変速できる。チェーンを持ち上げるのは手でなくて、例えばその辺に落ちている細い小枝でもいい。そううまく落ちていないこともあるだろうから、折れたスポークを5cmほどに切ったものを携行してもいい。いや、パンクに備えてスペアチューブとともにタイヤレバーを携行しているではないか。走行中にはフロントのシフトアップはできないが、坂を上り切ったところでいったん自転車を降りタイヤレバーを取り出して手動でシフトアップすればよい。手は汚れない。基本はアウターのみ、要するにフロントシングルとして使っていた状態で走ればよい。ちょっとしたアップダウンはこれでクリアできる。急な登り、長い登りの時だけフロントのセンター、小さなギアへ落とす。
 もうこれでいいだろう。完成だ。あとは微調整。リアをローにしたとき、スポーク側にチェーンが外れる。ローギアを使うということは、上り坂などで強くペダルを踏みこんでいるときなので、スプロケットトリムの間の奥までチェーンが入り込み、戻せなくなってしまう。これは避けなければならない。
 ディレイラーのアジャスタボルトで調整し、念のためスプロケットをいったん外してスポークとの間にスポークガードを挟む。もともとはこの自転車についていたものだったが、必要ないだろうと外していた。
 というわけで、ゴールデンウィークから大方4か月もかけ、費用もかけて何とか難題に決着をつけることができた。

 

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2019/08/18

台風10号の最大の被害は猛暑

 まずは、今回の台風10号でけがをされた方、避難された方、家屋の損傷など財産を損失された方にお見舞い申し上げます。
 北近畿丹後半島やその周辺では、風はそれなりに強く吹いたものの雨はさほどではなかった。進行方向の右側は危険、とよく言われるがそれは南風が当たる太平洋側でのこと。日本海側ではむしろ進行方向の左側、台風の西側に位置するときのほうがよく雨が降る。過去に大きな被害をもたらした台風のコースはこの通り。
http://haikai.txt-nifty.com/denhai/2017/10/21-648a.html
 それよりもつらかったのは、台風が来るまでの暑さ。特に、台風本土上陸前日の8月15日の日中までの最低気温は31度くらい。つまり、前日から夜通し30度を下回らなかった。ただし、その日の夜になって30度を切ったので、その日の最低気温は、27度ほど。新潟県の糸魚川や上越では二晩続けて30度を下回らなかったので、最低気温の高さが日本記録更新となる31度台となった。
 京丹後市のお隣、兵庫県豊岡市では8月前半の1~15日で、猛暑日が13日、熱帯夜が11日。まあ、多めではあるが、特筆すべきはその密度。猛暑日は2日から14日まで13日連続。これがきつい。
 台風が去った17日は、猛暑日でも熱帯夜でもずいぶん過ごしやすく感じられたが、最高気温33.9度、最低気温24.4度と十分に暑い日。なのに朝は扇風機の風が肌寒く感じられた。まあ、2日前より朝の気温が6度くらい低いんだから。

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2019/08/16

北海道一周30カ年計画完遂は3度目のB&B 動画編

 

https://youtu.be/s68AmM9hwvY

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2019/08/14

北海道一周30カ年計画完遂は3度目のB&B 後編

 20分余りのバス旅を終え、今度はオートバイツーリングだ。東町駅を10時前にスタートし、様似駅で自転車を回収し、襟裳岬を目指す。18年前に雨の中自転車で走った道。今日は雲は多めだが、雨は降っていない。
 えりも町の中心街を過ぎ、いよいよ岬の大地へと昇っていくと辺りは霧に包まれていく。そして海からの風が強い。寒いぞ。
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 何とか岬の駐車場にたどり着き、まずは上半身のみ合羽を着る。駐車場は真っ白い霧でほとんど視界がないが、少し歩いて灯台まで行くと霧は薄く、荒々しい海岸風景が見える。海面を這う薄い霧も幻想的。
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 さあ、先は長い。どんどん行こう。次は十勝へ。百人浜を右に見ながら北上。岬を離れると霧はないが、相変わらず風が強い。そして黄金道路へ。山と海が迫った荒々しく美しい海岸だが、トンネルが連続する。そのトンネル一つ一つが長い。トンネル内は震えるほど寒い。そしてトンネル内が濡れている。と思ったらトンネルの外は雨。しかも結構激しい降り。合羽を着ていてよかった。でも恐ろしいのは、トンネルを出た瞬間視界を奪われること。トンネル内で冷えたヘルメットのシールドが、トンネルを抜けた瞬間に真っ白に曇る。慌ててシールドを上げるが、今度は雨粒が顔面に叩き付ける。ちなみに、地表に近い部分の地下の温度は10度くらい。だから、長いトンネル内もそのくらいの温度となる。夏は寒く、冬は暖かく感じる。冬はトンネル内で、クルマの窓ガラスの外側やフェンダーミラーが曇る。
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 トンネルは一番長いもので4900mを越える。黄金道路も18年前に自転車で走っている。あの時もトンネルの閉塞感に苦痛を感じて走ったが、それにしてもトンネルが長い。海岸の景色があまり見えない。18年前は、トンネルだけでなくロックシェッドも結構あったはず。帰宅してから確かめると、多くのトンネルが2010年以降に新しくできたもの。かつて落石による通行止めが何度も起こった路線だから、こういう運命をたどるのだろう。景色を楽しめるよう旧道を通行できる状態で残す、ということはあり得ない。これは、1996年の積丹半島の豊浜トンネル崩落事故の影響が大きい。旧道のうちに自転車で走っておいてよかった。トンネルが苦痛だったとはいえ、今よりはまだましだった。
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 広尾の街中まで来ると雨は弱まり、路面の濡れも少なめ。さらに国道236号線を北上。内陸に入り、大樹辺りまで来ると、黄金道路の雨が嘘のような快晴。そして、襟裳岬の寒さが幻のような、暑さ。見渡す限りの十勝平野の中を行く直線的な道。交通量は少なく快適。たまに通る大型車に、巨大な牧草ロールが満載されている。そういえば、日高では馬を積んでいるバスのようなクルマが走っていた。

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 「幸福駅」と記された案内板を発見。そうか、ここなのか。立ち寄る。もうすっかり観光化。幸福鉄道公園というそうだ。駅舎内外には壁にも天井にも、敷地内の売店で売っていると思われる切符をデザインした紙片がぎっしりと貼られている。願い事でも書かれているのだろうか。かつては、使用済みの切符、定期券、名刺などが貼られていたとTVの映像などで見たのだが。デザインのそろった紙が貼られているのが何となくつまらない。
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 幸福駅のすぐ近くの幸福I.C.から帯広広尾自動車道に乗る。国道236号線はその先帯広のど真ん中に向かうので、中心街を西に迂回する自動車道を選ぶ。通行料は無料だ。その先接続する道東自動車道は有料なので、手前の芽室帯広I.C.で自動車道を降りる。帯広市街よりも少し西だが、国道38号線には店が並ぶ。ここで、ライダーに豚丼を、オートバイにガソリンを補給。そして、国道241号線を北上。十勝平野の中を上士幌へ。十勝平野の北の縁、ナイタイ高原を目指す。
 広大な牧場の中を登り、展望台の駐車場へ。広い駐車場の半分ほどは舗装されていなくてバラスが浮いている。そちらのほうが景色が良さそうなので、転倒しないように慎重にダートの駐車場の端の景色が見える場所へ。素晴らしい、十勝平野が広々と見渡せる。

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 ひとしきり景色を楽しんだら、ちょっと作業をする。シガーソケットとUSB電源をオートバイのバッテリーつなぐ。旅立ちの前、スーパーカブで使っている電源キットを移植しようと思ったが、カブから外すのにレッグシールドも外さなければならないし、手間がかかるので止め。新たにネット通販で注文したのだが、旅立ちが迫っていたので品物の受け取りは旅先のコンビニを指定した。それを、2日前の日高富川で無事受け取っていたのだが、いろいろ忙しくて装着作業が先延ばしになっていた。
 工具の準備をしていると、ザザーッと鬼気迫る音が聞こえた。そちらを見ると、カブが転けていた。ツーリングの大荷物を積んでいるので、独りでは起こせない。駆けつけて手を貸す。この春まで学生だったという無職の若者ライダーで、春から旅を続けているとのことだ。「未舗装と気づかず、スピードを出したまま駐車場に突っ込んできた」とのこと。
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 その後、電源キットはあっという間に装着完了。こんなに簡単ならば早くやっとけばよかった。まあ、今は端子をバッテリーの電極につないだだけだが。キット本体をハンドルかバックミラーの根元に固定するアタッチメントが付いているが、それは使わない。帰宅してから工具なしでハンドルに着脱できるようにするつもりだ。でないと、オートバイを離れている間に盗電される可能性がある。使わないときにはハンドルから外して鍵をかけられるボックス内に収められるようにするのだ。ちなみに、GPSレシーバーのハンドルマウントも、工具なしで着脱可能なものを、半分自作した。自転車にもオートバイにも使える。今は暫定的にマジックテープのバンドでハンドルに固定。
 これで電源が確保されたので、バッテリーの切れたビデオカメラが復活。ドライブレコーダーのようにずっと撮影し続けるのではなく、景色の良い所など、要所要所で撮影する。
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 士幌、鹿追、新得を経て狩勝峠へ。2000年に自転車で、2006年にクルマで来たことがあるが、自転車の時には日没で暗くなっていたし、クルマの時は天気が今一つ。今日が一番いい眺めだ。夕暮れの十勝平野を見下ろす。
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 南富良野の幾寅駅は映画「鉄道員」のロケセット「幌舞駅」などが残るが、夕暮れが迫っているので素通り。前に訪れているしね。
 夕闇迫る中、富良野市南部の「山部太陽の里キャンプ場」に到着。何とかたどり着いた。13年ぶり。ありがたいことに現在も無料。
 とりあえずテントを張って夕食を摂りに出る。結局15㎞も離れた富良野市街まで行ってしまった。銭湯を探すのが面倒で、風呂はあきらめ。まあ、今日はあまり自転車に乗らなかったし。キャンプ場に戻る途中雨が降り出した。
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 8月1日、5時過ぎ起床。昨夜から雨が降り続いている。強まったり弱まったりしながら、回復基調ではある。なかなか完全に止まないが、弱まったタイミングでテントを出る。荷物を自動二輪に積み込み、テントも撤収。そして富良野市街に向けて走り出す。キャンプ場は山のすそ野にあり、芦別岳などの登山口となっている。山を離れれば、つまり富良野市街地へ行けば雨はやんでいるのではないかという期待通り、雨は局所的なものだった。富良野市街は路面すら濡れていない。すれ違うライダーが手を振ってくる。
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 空知川の流れに沿った国道38号線を行く。芦別市に入り、野花南駅に寄り道。2000年夏にはこの駅まで輪行し、自転車で走り出した。
 赤平で国道38号線を離れて北上。滝川の丸加高原へ。ここは、滝川、雨竜、深川あたりの石狩川沿いの平野部を一望できる展望の地。つい先日放送された、NHKのBSプレミアム「日本縦断こころ旅」で火野正平が訪れていた。ゴルフ場の案内に従って高原へ向かうが、お目当ての展望台がわからない。案内板がない。あまりメジャーな観光スポットではなく、積極的に売り出してもいない、という感じ。めん羊牧場やキッズキャンプ場越しに展望が開けた場所にオートバイを止める。実はその先に進むと展望台への分岐があったのだった。道が下りになるため進んでいかなかった。
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 赤平に引き返す。次は歌志内へ。しかし、道道114号線の分岐がわからず、別の道道339号線へと迷い込む。産業廃棄物処理場を過ぎたどり着いたところに「高根鉱山殉職者慰霊碑入り口」の道標。この辺りは、かつての炭坑の町。今から目指す歌志内もそうだ。
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 歌志内市を知ったのは、中学生のころ。学校の教材の地図帳が愛読書で家でもよく開いていた。その地図帳巻末のデータ部で、日本でもっとも人口の少ない市、歌志内市の存在に目が留まった。人口1万人余り。「市」ではなく、「町」の人口ではないか。人口などの要件を満たして市制を施行したら、その後人口が減少しても市を維持できる、ということを知った。そして、その歌志内はかつて炭坑があり、閉山後人口減少したこともわかるのは、もう少し後だった。ちなみに、その後人口は1万人を切り、さらに現在では3500人を下回り「村」並み。
 迷走の原因は新しい道ができていたことだった。持参している地図が古いのだ。何せ2006年発行の昭文社ツーリングマップルなのだから。
 道道114号線市境の小さな峠をトンネルで越えると、いきなり「悲別ロマン座」という看板が目に留まる。草に覆われ廃墟のようであるが、まだそこまで廃墟になり切っていない大きな山小屋のような建物が、独特のオーラを放って佇んでいる。「悲別」という単語には覚えがあるし、立ち寄ってみる。いきなり「やってない」という看板。正面が全面ガラス張りなので中の様子が見える。中は別に荒んではいない。食堂か喫茶店のようだ。「昨日、悲別で」というTVドラマのロケ地の一つとなった建物らしい。「悲別」ということは、倉本聰脚本だ。ツーリングマップルを見ると、「悲別駅(旧上砂川駅)」というのもある。隣の上砂川だが歌志内から近い。北海道らしからぬ狭い市域だ。当然そちらにも行ってみることにする。
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 ロマン座からすぐに歌志内の中心街。炭鉱夫の社宅のような建物がみられる。その狭い街並みを抜ける。狭さだけでなく、山間の雰囲気も北海道らしからぬ。
 歌志内の街があるペンケウタシナイ川流域から上砂川の街があるパンケウタシナイ川流域へとレーンチェンジ。その間たったの1㎞。繰り返すが、北海道のスケールではない。
 狭い街並みを抜け、悲別駅へ。ここはかつて石狩本線上砂川支線の終着駅。ドラマで使われ、その後、廃止となってからも保存されている。駅舎の中には、「昨日、悲別で」にまつわる資料が展示されている。1984年放送のTVドラマ、ということは「北の国から」の少し後ということになる。中学卒業から高校入学のころなので覚えていてもおかしくないのだが、記憶にない。ただし、だいぶ後でそのタイトルだけは知った。そのきっかけは「明日、悲別で」という舞台演劇だ。その前、つまり「昨日」と「明日」の間に、「今日、悲別で」という舞台もあったようだが、それとは別である。
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 2012年ごろに上演された「明日、悲別で」は閉山となった炭鉱の町を舞台にした演劇。東日本大震災による原発事故のことも踏まえた内容となっている。倉本聰と縁があって、私の地元丹後でも上演された。およそ2,3年に一度の割合で劇団の演劇を観るのだが、「明日、悲別で」は、ほかにない凄みを感じるものだった。凝った舞台セットなどは一切なく、演者の演技によってそこにそれがあるように見せる。圧巻は、クライマックスなど何度かのストップモーションのシーン。20人ほどがどやどやとうごめいていいる舞台が一瞬静止画となる。舞台上の全員が寸分違わず同じタイミングでぴたりと止まる。そればかりか、腕を通さず羽織っただけのジャケットの袖までもが凍り付いたように止まる。動作だけでなく音も同時に止まる。少し経って動き出した舞台を見て、これは絵ではないことを思い出し軽く驚く。そのくらい引き込まれた。いったいどんな稽古を積んだらあそこまでできるのだろう。
 歌志内に戻り、ペンケウタシナイ川に沿って下る。道央自動車道、国道5号線、石狩本線、石狩川と束になった幹線を渡り、石狩川流域平野の西の山裾へ。来年5月に廃止予定の札沼線の駅をいくつか見るのだ。まずは、下徳富(しもとっぷ)駅。ちゃんと駅舎があった。一日一往復だけの時刻表が印象的。最終便は朝で、とっくに行ってしまっている。しかも始発列車を兼ねている。
 その次の南下徳富駅は田んぼの中にホームがあるだけ。

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 その次の於札内(おさつない)駅も田んぼの中のホームのみだが、こちらは未舗装の農道のような道を進んでいかないとたどり着けない。

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 次の鶴沼駅は、近くにその名の通り丹頂鶴が飛来する鶴沼があったり、道の駅やまとまった集落があったり、さらには鶴沼温泉があったりするので、ほらねしっかりした駅舎がある、かと思いきや駅舎と思ったのは別の施設だった。ただし、ホームにはプレハブのような待合室がある。その次の、浦臼駅は浦臼町の中心集落だけに駅舎があった。けれども、近代的な建造物に「ふれあいステーション」と記され、駅としてというより別の目的で建てられた施設のように見える。
 ふと気づけば雲に覆われていた空がなんだか暗くなってきた。そしてやっぱり今日も雨が降り出した。上半身だけ合羽を着用。でも雲が厚いのは真上だけ。周囲の雲は明るい色をしているので、気にせずに走り出す。すぐに雨域を抜けだした。
 この辺で駅めぐりは切り上げることにして、小樽に向けて南下。しばらく行くと信号のある交差点で駅の案内板に目が留まる。まるであっち向いてほいの敗者のように、その矢印が示す進行方向右側に視線を振れば、趣あるくたびれた駅舎。もう一つだけ寄っていくか、と通り過ぎた交差点へUターンで戻り、駅へ。そこは、札比内(さっぴない)駅。駅前には大荷物を積んだスーパーカブ。3日前の言動から駅めぐりをしていることは察しがついていたので、なるほど、という感じ。日高線静内駅と新冠「判官館森林公園キャンプ場」で会った、群馬県からのスーパーカブライダー、Hさんだった。やはり今回の旅のメインテーマは駅めぐりで、日高線、函館本線夕張支線、根室本線富良野・新得間、留萌線、そして札沼線の廃線決定及び、廃線濃厚路線を中心に回っているそうだ。さらに、彼のブログを見ると駅めぐりは廃線がらみということでなく、全国すべての駅が対象で、もう何年も続けているライフワークのようなこと。主な足はスーパーカブ。いろいろ楽しんでらっしゃいますねぇ。 

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 それにしても、運命的な再会。数百㎞という空間的な一致だけでも難しいのに、そこに時間的な一致が重ならないと起こらない。先ほどの交差点で、何かが呼んだのだろう。 Hさんと別れ、一路小樽へ。国道275号線から国道339号線、そして国道5号線。札幌市街を迂回する快速ルートだが、交通量は多くしかもものすごく流れが速い。大型車に囲まれると恐怖を感じる。ああ早く小樽についてのんびりしたい。
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 命からがら小樽へ。市街地に入りかけたところで、まずは遅めの昼食。そして山に向かってハンドルを切る。ここでまた快晴となったので、4日前のリベンジ。毛無山展望所へ。今日は景色がよく見える。海が青い。フェリーターミナルも小樽市街も丸見えだ。「励ましの坂」や「とまや」は見えるか。手宮公園や手宮小学校が目印になるはずだが。よくわからいので、とにかくたくさんシャッターを切りまくる。

 小樽市街におり、まずはお土産を買って、夕方になったら小樽市街の北部へ。「風に吹かれて食堂」で夕食だ。でも、のれんが出ていない。もう開店時刻を過ぎたはずなのに。扉を開けると「やってますよ」とマスター。そろそろ暖簾を出そうとしているところだったようだ。このマスターとは、4日前のとまやでの花火鑑賞酒池肉林焼肉パーティでご一緒した。そして、昨年の夏もフェリーに乗る前にこちらで昼食を頂いた。お客さんはまだ他にいないので、マンツーマンでおしゃべりをしながら。そうするうちに食堂の電話が鳴る。話の内容からするとどうやらとまやから。店に私が来ていることをマスターが伝えると、「うちにも寄って」とのことだそうだ。もちろんそのつもりでしたよ。、
 励ましの坂をエンジンの力で登り、とまやへ。ここでちょっとトラブル。ダートの駐車場でオートバイを倒してしまった。自転車を荷台から外さないと重くて起こせない。どうにか起こして荷物を積み直していると、クルマが駐車場に入ってきた。宿主ベルさんだ。とまやにお邪魔して、本日宿泊の女性ライダー、もう一人の宿主サリーさんも加わって、おしゃべりして過ごす。毛無山展望所からの写真には、どうにかとまやが写っているものもあった。
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 そして今日もとまやの庭から花火を見る。朝里の花火だ。潮まつりよりもずいぶん遠いが、霧がなく視界良好。
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 とまやにいるとついのんびりしてしまう。21時半ごろにとまやを出発。船内での食料を調達するためスーパーマーケットによってフェリーターミナルへ。乗客の多い夏は出航1時間半前までに到着せよ、とのことだがそれを10分ほど遅れて乗船待ち行列に並ぶ。自動二輪の乗船開始はその5分後とのことだが、乗船準備が遅れて10分遅れて22時25分乗船開始となった。いけない、ガソリンを補給するのを忘れていた。毛無山展望所へ上る途中でリザーブを開放していたのだった。まあ、あと10㎞は走れるはずだから、明日夜舞鶴に上陸してから給油しよう。
 木曜の夜の出航なので空いているかと思ったが、そんなことはなかった。でも、混雑というほどではない。のんびり過ごせるのが船旅のいいところ。
 2日21時、予定通りに舞鶴港にフェリー接岸。車両甲板の下船は四輪車から。そして、二輪車の下船のポールポジションを得るためのつばぜり合いを後目に、のんびり荷物を積み込む。最初の1台から最後の1台まで、5分も違わないのだから。
 しかし、そんな余裕は打ち砕かれた。エンジンがかからない。セルは回っている。どうやらガス欠だ。21時間の航海中にガソリンが気化してタンクから抜けてしまったようだ。これでは、どう頑張ってもエンジンはかからない。車両甲板内では、オートバイを押して出口に移動し、スロープは万有引力の法則に従う。つまり位置エネルギーを運動エネルギーに変換して進む。下り切ったら今度は慣性の法則、つまり惰性で道路に出て路肩に止める。そしてJAFにレスキュー要請の電話。30分ほどで来てくれるという。
 JAFを待つ間、オートバイを駐車場に入れようとUターンを試みたら、倒してしまった。ああまた起こすのに荷解きか、とため息をつく。が、今夜の乗船待ち行列にいたライダー数名が駆け付け起こすのを手助けしてくれた。ありがたい。
 道はフェリー関係の車両しか通らないので、もう動かそうなどと考えないでおこう。約束通りにJAFのサービスカーが到着し、携行缶から1L給油してもらう。無事エンジンがかかった。
 JAFコールセンターのオペレーターは「10Lか1L」と言ったのだが、サービスマンは「1Lで帰れるの。2Lでも3Lでもいいよ」とのこと。なんでも現場でいろいろとわがままを言う人がいるので柔軟に対応しているのだそうだ。どの業界も大変ですねぇ。
 私は、まだガソリンスタンドが開いているから、と1Lだけ。160円。これなら、ガソリンスタンドで入れたほうが安いしね。
Jaf

 乗船待ちライダーの列に行って先ほどのお礼を述べ、少しだけ旅の話をしてから帰路に就く。百里を行く者は九十九里を半ばとす、だね。あとはトラブルがないように慎重に帰路に就く。しかし、暑いなぁ。

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2019/08/13

北海道一周30カ年計画完遂は3度目のB&B 中編

 30日、4時過ぎ起床。キャンプの朝は早い。そして夏の北海道の夜明けは早い。連泊なのでテントは張りっぱなし。カブライダーはもう起きているかも知れないが、声をかけずに静かにキャンプ場を出発。またネットでやり取りできるのだからかまわないのだ。
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 昨日下見しておいた静内駅の駐車場に自動二輪を止めて自転車を下ろす。そして5時26分の鵡川行きのバスに乗る。乗客は渡し一人。JR日高本線は数年前の高潮被害により鵡川・様似間が運休中。そして、復旧の見通しはなくこのまま廃線となる見込みだ。今乗っているバスは、列車の代行バス。路線バスとは違い、日高本線の駅をたどって行く。高校も夏休みに入っている時期なので車内がすいていることは想定の範囲内。輪行袋に入れた自転車の持ち込みも大丈夫だった。結局、4,5人の乗客を乗せた鵡川駅へ。ここからは列車に乗り換え、苫小牧へ。2両編成の列車には、夏休みとはいえ高校生が結構乗っている。もちろん満員ではなく、悠々と座れた。
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 2時間半近い長旅を終え、苫小牧駅の南口で自転車の準備。去年の春先にもここから自転車で走り出したが、あの時は室蘭へ向かった。今日は反対方向に向かう。2001年夏、その頃までは早朝にフェリーが到着。小樽から列車で日高本線へ。最初の目的地は襟裳岬だが、その日は雨がしっかりと降る日。終点の様似まで列車を利用した。そしてそのまま苫小牧・様似間が最後の自転車未走区間として残っている。
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 曇天ながら、雲は薄く所々青空ものぞく。苫小牧西港を回りこんで、苫小牧東港へ。港に隣接しているのは、苫東厚真火力発電所。地元舞鶴からのフェリーは小樽港のみの航路だが、過去には敦賀や新潟からのこの苫小牧東港への航路を何度か利用したことがあるので、この発電所にも見覚えがある。苫小牧といってもここは厚真町で、勇払原野の真っ只中だ。

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 去年9月の胆振東部地震では苫東厚真発電所が停止し、全道的に停電が発生し大きな話題となったが、そのときも東港のフェリーは運航していた。飛行機も鉄道もストップした中、北海道と本州をつなぐ稀少なルートだった。

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 港の周辺は大型車が轟音を立てて爆走する。対向車の風圧がすさまじい。勇払原野も広大な景色が広がるが、景色を楽しむ余裕もなく、早くこの区間を走り過ぎたいという一心で黙々と行く。鵡川の町が近づくとようやく大型車の割合が普通の状態になった。
 シシャモの街、鵡川を通過。昨年の地震の直接的被害はほとんどないものの、訪れる観光客が減ったというニュースが報じられていた。

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 いつしか空は青く、強い日差しが降り注いでいる。雨の心配はない。たまに緩やかな登りが現れ高台へと登る。広がる牧草には馬が佇む。胆振から日高へ。周辺には牧場が増えて行く。また、北海道にしては短い間隔でまとまった市街地が現れてセイコーマートなどのコンビニエンスストアもあり、食料や飲料水の補給には不自由しない。
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 現在は使われていない駅舎にたまに寄り道しながらもくもくと走り新冠へ。判官舘森林公園の入り口を過ぎ、新冠の中心街。道の駅に隣接して「レ・コード館」がある。新冠はサラブレッドとレコードの町なのだ。が、レ・コード館には入らずに次の町、静内へ。ここで昼食をとり、駅へ。すでに90kmほど走っている。今年の初夏にこの折畳小径車で丹後半島一周でアップダウンを伴う80km余りを走った感触からして、平坦な日高の道なら100kmは問題なく走れると思っていたが、そのとおりだ。まだまだいける。あわよくば、様似までの140km余りを今日だけで走りきってしまうことだってできるかも知れない。
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 駅の駐車場に止めた自動二輪のリアボックスを開け、荷物を入れ替える。気温の低かった朝は着ていたが、もう使わない衣類を自動二輪に納め、携行するの忘れていたバックミラーを自転車のハンドルに装着。
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 新冠までは、海が感じられる範囲ではあるが、少し海岸から離れたところに道があった。新冠からは海を間近にして走る区間がたびたび現れる。また、キャンプ場も点在していて、テントがあれば泊まるところを探すのはさほど難しくなさそうだ。ただし、いつでも好きな時にチェックイン・チェックアウトできる無料キャンプ場はない。基本的に管理人がいる間に受付が必要な有料キャンプ場がほとんどだ。判官舘森林公園では管理人がいない夜間や早朝では、受付用紙と料金を郵便受けに入れることで対応しているが、他でもそのようにしているのだろうか。
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 キャンプ場のある三石を過ぎる。やはり、今日中に様似までは無理だということがはっきりとわかる。自転車で走り終えたら本数の少ない代行バスで静内へと戻らないといけないからだ。様似まで橋っても最終便には間に合うだろうが、それだと静内に戻るのが夜遅くになる。そのひとつ前の便に乗りたいが、様似発の時間には間に合わない。浦河までは十分行ける。浦河と様似の中間の日高幌別辺りかなぁ。

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 しかし、走行距離は100kmを越え、疲れてきて休憩の間隔が短くなっている。幸い追い風となってきたが、疲労によるペースダウンは否めない。ちなみに、静内辺りまでは海から吹く横風が主体で、少し逆風のベクトルが含まれていた。
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 浦河の中心街を過ぎる頃には、日高幌別到着がバスの時間ぎりぎりという見通しとなった。バスを逃したくないので、浦河駅の次の東町駅を落としどころとする。
 浦河駅は、国道側が駅の裏口。町の中心に背を向けていて、陸橋を渡って線路を越えないと駅の正面に行けない。これはかつての浦河の中心街が線路より内陸側にあったことを示している。現在国道が走り役場や店が立ち並ぶ線路よりも海側の市街地は埋め立て地だ。国道と線路の間には、かつての防波堤が残っている。
 浦河中心街から小さなアップダウンを越えた集落が東町。駅は住宅街の中。バスが入り込むには狭い道なので、代行バスも路線バスと同じ高校や病院に近いバス停に止まるようだ。自転車は駅に止めておく。駐輪場はないがバス停よりは駅の方が良さそうだ。明日はここから続きを走る。本日の走行距離は、138km。

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 駐輪場所を捜し求めていたら代行バスの時間が迫ってきた。やはり、無理せず余裕を持って切り上げてよかった。予想に反してバスは空いていた。またしても片手で足りるくらいの乗客だ。浦河から静内までの区間は、海岸を走る国道336号線と日高本線とが離れていることが多い。そこでバスは国道を離れ内陸の駅へと向かう。夕暮れの寂れた駅はわびさびの世界。
 1時間あまりのバスの旅を経て、静内へ。自動二輪でいったん新冠のキャンプ場に戻る。昨日は1泊分の受付のみ。今朝は早朝出発だったので、受付用紙と料金を郵便受けに入れておいた。テントの中を見ると期待の品が置いてあった。レ・コードの湯の割引券。これで今夜も100円安く温泉に入れる。着替えとタオルももってまた自動二輪にまたがる。まずは入浴だ。
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 温泉施設は、静内との町境近くにある。新冠の中心街に店は入浴前にすでに閉まりつつあったので、再び静内へ。夕食と明日の朝食などの買出しだ。明日も早起きするのだ。
 新冠への帰り道、弱いながらも雨に打たれる。毎日一度は雨が降る。
 31日、5時過ぎ起床。昨日ほど早くは起きられなかった。テントの撤収もあり、6時過ぎの出発。静内駅で自動二輪から自転車に乗り換える。さあ様似まであと13~15km位だろう。ラストランだ。
 7時過ぎにスタート。追い風に乗って走るが、さすがに昨日の138kmの疲れが残っている。
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 4kmで日高幌別。あっという間だった。さらに黙々と行く。親子岩という奇岩があって、漁港があって、そして様似の町中へ。漁港を見ながら休んでいると、砂浜を軽トラックが走っている。昆布漁のようだ。いずれの軽トラも昆布を吊り上げるクレーンが付けられ、荷台には昆布を満載している。また、道路沿いでは昆布を干す人の姿も見られる

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 駅はどこだろうと思いながら走る。赤信号で停止。左を見ると交差する道を200m程進んだ突き当りが駅だ。東町から14kmだった。
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 1991年の夏、音威子府からサロベツ原野、宗谷岬、そしてオホーツク海沿いを網走まで自転車で走ったのが始まり。あれから28年、17回目の北海道ツーリングで北海道の海岸沿いを走りきった。もちろん、初めから一周しようなんてことは思っていなくて内陸も走ったし、同じところを2度、3度走ったこともある。これまでに走ってないところを目的地に選ぶようになり、北海道一周30カ年計画と名づけたのが2,3年前。これで、ひとつの区切りとなった。
 さらに、日高本線の列車を降り、間断なく雨が降る様似駅前の景色を呆然と眺めた、2001年の夏もよみがえる。28年前も、18年前も、こんなに長く自転車に乗り続けるとは思っていなかった。
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 さて、走っているときは自転車で東町に自走で戻るつもりでいたが、なんかもう走りたくなくなった。昨日の10分の1しか走っていないのに。現在の時刻は8時20分。9時2分にここから代行バスが出る。疲れが残っているし、復路は向かい風だし、今から自転車で走っても東町到着時刻は、40分遅れで出発するバスと同じ位なのかもしれない。代行バスに乗ることに決定。バスによる日高線駅巡りを楽しもう。そうすれば代行バスも全区間制覇だ。その代行バスよりも2分早い9時ちょうどに、浦河行きの路線バスが様似駅前を出発した。代行バスと同じJRバスだ。代行バスは日高本線の駅だけで停車するのに対し、路線バスは小刻みなバス停に停車する。20分後東町には、代行バス、路線バスが連なって停車。代行バスが時間差スタートによる2分送れを挽回した形だが、同じような時簡に同じようなルートを同じ会社のバスが走っている。国道から少し離れた西様似駅の辺りで両者のコースは違ようで、その代行バスの回り道と路線バスの小刻み停車がちょうど両者の所要時間を同じくらいにしたようだ。代行バスの車内は、やはりガラガラ。深刻な赤字は大きくなるばかり、という印象だ。

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2019/08/12

北海道一周30カ年計画完遂は3度目のB&B 前編

 7月26日21時過ぎ、この春ラインナップに加わった折畳小径車「DAHON SpeedFalco」を、昨年春に我が家にやってきた自動二輪車「HONDA CD250U」の荷台に乗せて舞鶴港へ。
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 ちなみに、過去に2度(2010年夏2012年夏)に折畳小径車をスーパーカブの荷台に積んで北海道を旅した。HONDAの上にDAHONを載せて(DAHON on HONDA)、3度目の、Bicycle and (mortor)Bikeだ。
 27日20時半、小樽港にフェリー接岸。軽く夕食をとってから、小樽市街地北部の坂の上にある旅人宿「とまや」へ。2015年からもう4度目で、もう顔なじみ。
 28日、とまやに連泊。まず、坂を自転車で登る。とまやへのメインアプローチルートである「励ましの坂」。距離600m、高低差80m、最大勾配は22パーセントとも24パーセントともいわれる。ここを自転車で足を着かずに登りきったら「やったね」とほめてもらえる。過去には、MTBとランドナーで計3回ほめてもらっている。今回は折畳小径車での挑戦。何とかクリア。4度目の達成。そして、3種類の自転車で。
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 そのあとは、赤井川へ。道中、小樽市街を見下ろす毛無山展望所に立ち寄るが、ガスのため小樽の街は見えず。

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  道の駅「あかいがわ」に自動二輪を止めて、自転車で走る。クルマの通らない細い山道へ。落合ダムを過ぎるとダートになった。しかも熊出没注意。めげずに進むとだんだんガレたり水たまりができたりした箇所が現れ難儀する。こんなワイルドな道を走る自転車ではないのだ。常盤ダムを過ぎると道はゲートで閉ざされていた。越えられないことはないが「熊出没エリアであり、単独での入山は避けてください」との警告に従い引き返す。周回のつもりがピストンになった。ガレ場の下りはパンクしないように慎重に。
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 小樽への帰路は、毛無峠ではなく余市を経由。差し入れのビールを買ってとまやへ。今夜は「潮まつり」の花火大会。坂の上にあるとまやは花火見物の特等席。花火が上がり始める前に、庭で炭火を起こして焼肉パーティ。今夜宿泊の旅人も、小樽やその他道内のとまやのお友達も入り乱れ賑やかに。ハンターがしとめたエゾシカの肉が大量に差し入れられ、他にも持ち寄りの肉、ビールにワインもあって、まさに酒池肉林、肉食系で、肉弾相打つ(?)焼肉パーティだった。
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  満を持して始まった花火は、霧と煙でいまひとつ視界不良。
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 29日、後ろ髪を引かれながらとまやを出発。日高地方を目指す。とりあえず苫小牧へと向かうのだが、札幌や千歳の市街地が続くルートを通っても面白くないので、定山渓温泉から支笏湖を経由。小樽市街から山間部に向かってすぐ雨。局地的な弱い雨のようだが、不安定な空模様だ。その後雨がやや強まる場面もあったが、雨具は上半身のみで過ごした。

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 少し自転車で走ろうかと思ったが、結局移動のみ。新冠の「判官舘森林公園キャンプ場」へ。テントを設営したあと、夕食などのため新冠よりも賑やかな隣町の静内へ。明日の下見のために静内駅に立ち寄ると、スーパーカブの旅人に出会った。黄色のナンバープレート。群馬県からだ。「雨が降りそうなのでビジネスホテルに止まろうと思ったけど、断られてしまった」とのこと。私の泊まるキャンプ場を紹介する。隣り合ったサイトにテントを張ったが、雨が降ってきたためそれぞれのテントの中に入ったのであまり話はしなかった。

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新しい折畳小径車

   ゴールデンウィークの丹後半島一周で既に登場しているが、改めて一通りの装備が整ったのでまとめておく。

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■泥除け
 基本的に雨の中を走らないけど、雨上りのぬれた路面で水撥ねを最小限に食い止めるたい。特に晩秋から冬、そして春先までは日本海からの北西の季節風で「うらにし(裏西)」とよばれる不安定な空模様となる丹後で、時雨の止み間に走るかどうかの決断は、自転車に泥除けが付いているかどうか大きく左右される。もちろん、簡易的なものでなく、フルのものがいい。
 純正は高いので、サードパーティーのものを選択。

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■折畳ハンドルポスト
 かつては、進行方向左に折れて車体を畳む際にその内側に抱え込むものが主流だった。しかし、最近は右折れ、つまり車体を折り畳んだときに外側にハンドルが出るタイプが増えてきた。Speed Falcoも右折れハンドル。おそらくは、変速レバー、ハンドルのエンドバーなどいろいろな拡張を行折り畳んだときに干渉しないようにするためと思われる。しかし、ハンドルが外側に出ているのでは折畳サイズが大きくなる。自動二輪車の荷台に載せるには、左折れが必要条件なのである。
 すでに持っているMu-P8の後継モデルMu-P9のハンドルは左折れのまま。そしてハンドルの高さを調節機能もP8から受け継がれている。元々スポーツサイクルに乗っているサイクリストはハンドルを最も下げた状態で乗るので、走りを重視したモデルは長さ調整をできない短いハンドルポストが付いている。その長さで左折れだと、折り畳んだ時にホイールのシャフトとハンドルが干渉する。長さ調整できるハンドルポストなら折り畳む時には一番長くすることで干渉を防げる。
 ハンドルポストはカタログには掲載されていないが、以前大坂の小径車専門店「ローロ・サイクルワークス」で壊れた時の予備として取り寄せてもらったことがある。しかし、それは片割れのみ。つまり、長さ調節ができるということは上下2つに分かれていて、ヒンジのある下の部分だけ。ハンドルバーを装着する上の部分は壊れないだろうということで、入手しなかった。純正パーツはとにかく高いのだ。
 というわけで、大阪へ注文する。電話したら電子メールか来店でないと注文を受け付けられないとのこと。要するに、後で揉めたくないので記録が残るようにするということだろう。
 注文品が届いたとの連絡を受けて、大坂まで受け取りに行ったのは3月末日。亀岡でツーリングの催しがあった日のこと。装着してみたのはさらに後になってから。フロントの変速機やエンドバーを付けたハンドルでもちゃんと内側に折り畳むことができた。

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■フロントダブル
 これが今回の購入の目的。フロントディレイラーの台座やアウター受けがフレームに用意されている限られたモデルを選んだのだ。
 この拡張は購入したお店「BULLDOG」でやってもらった。元々ついている53Tのチェーンホイールををアウターとして残し、インナーを追加する形。デフォルトでフロントダブルのモデルにはインナーに39Tがついているし、あと拡張可能モデルにインナーを追加した記録を乗せているいくつかのブログ記事でもやはり39T。だけど、38Tでもいけるとのことで、そうしてもらった。せっかくだからギア比の幅は広い方がいい。

■チェーンリングガード
 フロントダブル化は思わぬ副作用を発生させた。納車の際に、「はい、これ外したパーツ」として2点手渡された。一つはチェーンガイド。リアをローギアに落としたとき、フロントのギアからチェーンが内側に外れないようにするため主の。外しても問題ない。フロンとディレイラーがその役割を果たしてくれるし、ディレイラーと共存できない。
 もう一つの方、チェーンリングガードが外されていたのが大問題だ。自動二輪車の積荷はハンドル幅の範囲に収めなければならない。だから、折り畳んだ自転車を90度回転させ、立てる必要がある。前後のホイールが上に、チェーンリングが下に位置するのが私の積み方。するとチェーンリングで自転車の重みがかからないようにするために必要なのが、チェーンリングガード。
 フロントダブル化で、元々は1枚のチェーンリングとそのガードが付いているのを、2枚のチェーンリングに付け替えたわけである。
 購入までに店長といろいろ話をする中で、自動二輪への積載のためにはチェーンリングガードが必要なことも話題にしていたので、てっきり理解してもらっていると思っていたのだが、そうではなかった。その先は、私が自分でやることになった。
 模索した結果、チェーンリングを固定する専用のボルトとナットを長いものに変更し、チェーンリングガードを追加することにした。アウターギアとガードの間を空けるためにスペーサーも必要だ。
 専用のボルトとナットだが、特にナットが特殊。筒状の細長いもの。エンジンであるライダーの脚から発生した動力を駆動林へと伝えなければならない。ボルトとナットがその役割をになうパーツの一員である。その駆動力でボルトのねじ山をつぶさないように、ナットが覆っている形だ。太さが主に2種類あるようだ。ナットの外径が10mm、つまり太い方の規格だ。そのナットが通るスペーサーはあまり種類がない。ネット通販サイトを検索するが、目当ての厚さが4mmくらいのものが見つからず、厚さ2mmのものを2枚ずつ重ねることにした。スペーサーには駆動力が画家からないから問題ないだろう。
 安いものを選んだ。発送元は中国。到着まで日数がかかるが、急ぐ必要はない。両方あわせて1000円もしなかった。

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■その他
 自動二輪の二台の上で自転車の重量を支えるのはチェーンリングガードと前述したが、もちろんそこだけではない。もう一ヶ所、フレームのヒンジ部分で支える。すでに持っているMU-P8はフレームが直接接地するので問題なかった。ところが、SpeedFalcoはフレームヒンジの構造が異なり、そのままだとやや細かいパーツに自転車の重みがかかる。もちろん、そんな風にして自動二輪に積載することなど想定されていないわけだから、自転車を支える強度があるとは思えない。どげんかせんといかん。これは、購入前からわかっていたのだが、現物を見ながらでないとどうしようもなかった。アイデアだけは練っていたけれど。
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 結果的にはしたの写真のものを作った。初めはありあわせのもので何とかならないかと思ったが、堰政治に手間をかけたくないので簡単に着脱でき、かつ使用時に外れてしまわないことが必要だ。長さ15cmほどの金属プレートの両端に、木ねじで木片を固定した。自転車の重さを支える木片はしっかりとした材質のものが好ましいわけで、農機具の柄を使った。ちょうどたけのこ堀専用の鍬の柄が折れて外れていた。これが硬くて、ノコギリで輪切りにするのに苦労した。その代わり、木ねじはしっかりと噛んで堅牢な感じ。太さや楕円形の断面の形は、フレームのくぼみにぴったりフィットして、マジックテープのベルトで簡単に、そしてしっかりと固定できる。

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