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2018/09/11

「台風21号」「北海道胆振東部地震」そして「秋雨前線」

 まずは、度重なる災害により、被災された方にお見舞い申し上げます。

 9月4日、台風21号が徳島県に上陸、その後淡路島を縦断し、神戸市から兵庫県京都府を北上し若狭湾に抜けた。
 丹後半島など北近畿には大きな被害はなかった模様。台風の進行方向がもっと東向きだったら、通り過ぎた後に日本海から陸地に向かって北寄りの風が吹き、北近畿では風雨が強まる。21号も20号と同様、近づくときも通り過ぎた後も南よりの風だったので、雨、風とも大事に至るものではなかった。
 それに対し、大阪では大阪湾から南西の風がまともに吹き込み、建物の外壁や屋根が剥がれたり、クルマがひっくり返る映像がドライブレコーダーやスマホにより大量生産された。
 何より、関西空港の水没が衝撃的だった。
 早めに帰宅して夕方のニュースを見ていたら、関空でインタビューに応じる人が「これからの11時間をどうやって過ごすかが問題です」と言っていた。要するにその時点で11時間先の便まで欠航が決定しているということだ。しかし、その直後、高潮により冠水した滑走路、さらには貨物船が衝突して損傷した連絡橋の空撮の映像が流れた。
 空港島は孤立。取り残された人数は初め3000人と報じられたが、その後7800人とされた。空港で働いている人は、本当に気の毒としか言いようがない。空港利用者に対しては、気の毒という気持ちと、自分で選んだことだからしょうがない、という気持ちが半々だ。
 その時点で欠航が決まっている便がある。問題はその先の便だ。欠航が決まっていなくても、飛び立てるという保証もない。未定なのだ。しかし、分からないことを自分にとって不利な方に考える人は少ない。うまくいく方を想定している。だから、「こんなにひどくなるとは思わなかった」とか「想定外だった」という言葉が繰り返されるし、交通事故は無くならないし、宝くじは売れる。
 しかし、乗る予定だった便を含め飛行機は飛ばない、船便も欠航、連絡橋も通れなくなる、今までより強い勢力の台風が来るのだから用心しよう、と考え関空に行くことを避けた人もいるはず。自分だったらそういう判断ができただろうか。そういう判断ができる人間でありたい。

 そして9月6日、最大震度7の北海道胆振東部地震。直後は最大震度6強とされていたが、それにしては震度5弱以上の範囲が、函館から札幌までと広すぎる。と思っていたら、やはり厚真の震度は7とされた。阪神淡路大震災をもたらした兵庫県南部地震、新潟県中越地震、東日本大震災をもたらした東北地方太平洋沖地震、熊本地震とならぶ大きな揺れを引き起こした地震ということだ。
 地震の直接的な被害は、震源の厚真町の土砂崩れや札幌市の液状化現象などだが、それ以外の地域では離島を除く北海道全体で停電が発生し、また一部の地域で断水も発生。さらには、JR北海道は全線で運行がストップし、新千歳空港も閉鎖、交通が麻痺してしまった。
 このブログの前の記事の通り、8月下旬に北海道を訪れていた。地震のちょうど一週間前に泊った小樽の宿は停電と断水。また、2年前と3年前と27年前に泊った道北サロベツ原野の宿は停電。それぞれ、SNSやブログで毎日情報発信されているので、現地の様子が伝わった。どちらも、宿泊客と工夫し協力して過ごしていて、いい宿というのは不測の事態においてもいい宿なのだということを感じた。また、停電の夜の星空の写真が掲載されていたことも一致している。
 TVのニュースを見ていて、道北や道東の地震の直接的な被害がなかった地域にも避難所が開設されていることに疑問を感じた。しかし、それはサロベツの宿のブログを読んで解決。非常用電源があり、TVが見られたりWiFiが使えたりする。もちろん、携帯電話やスマートフォン、タブレット端末などの充電もできる。情報もライフラインなのだ。さらに、ただ明るいところで夜を過ごせるということだけでも大きい。決して疑問に思うようなことではないのだ。
 震度7の厚真町の沿岸部、浜厚真にある苫小牧東港は無事。敦賀や新潟や秋田へのフェリーの発着港だ。さらに小樽発着の便もあわせ、新千歳空港が閉鎖された地震当日と翌日の本州行の便は旅客は満席。一部を除いて乗用車やバイクには空きがあったし、逆方向北海道行きは人も車両も空きがあった。
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 ところで、地図を見ていて全道ブラックアウトのきっかけとなった「苫東厚真火力発電所」は、新日本海フェリーが発着する苫小牧東港に隣接していることに気づいた。2008年には、苫小牧東港を夕方に発つ便を利用した。その時、出港するフェリーの甲板から工場のようなものが見えたことを覚えているが、それが発電所だった。
 港に隣接していることには意味があるわけで、GoogleストリートビューやGoogleEarthで見てみると、隣接する埠頭と発電所は、ベルトコンベアと思われる施設でつながれている。発電所の隣には黒い畑のような広大な土地が見られる。巨大な畝は石炭に違いない。ベルトコンベアもそちらにつながっている。「苫東コールセンター」と表示されている。当然「call」でなく「coal center」ということだろう。
 丹後にも、舞鶴市の大浦半島に石炭火力発電所がある。オーストラリアやインドネシアから船で運ばれてくる石炭を運び入れるための専用の埠頭が設けられている。
 苫東厚真発電所も海外炭を使用しているとのことで、苫小牧東港の一部がその専用の埠頭になっているとみられる。かつて、石狩地方の石炭を運び出す港として整備された苫小牧港(西港)だが、あちこちにあった炭鉱が閉山になってから石炭の需要が高まり、今度は運び込まれている、ということに不思議な縁を感じる。
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 私の住む京丹後では、7日夜に雨が降りだししばらくして大雨警報が発令、洪水警報も続いて発令された。翌8日午後にいったん解除になったが、9日未明に再び大雨発令。さらに洪水警報も加わった。10日午後から雨は弱まり洪水警報は解除されたが大雨警報は継続。結局、11日昼前にようやく解除された。ちなみに11日朝にはすでに雨は止んでいた。なのに大雨警報が継続されたのは、土壌にしみ込んだ水の量によるもの。土砂災害の危険があるためだ。雨量だけが基準ではないのだ。
 この大雨は秋雨前線によるもの。前線が南下して大気が入れ替わり、最高気温が25度にも届かない日もあった。
 そのせいか、早くも彼岸花の開花も見られた。ちょっとフライング。
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小千谷の花火を見たあと自転車北海道一周30ヶ年計画にリーチをかける旅(ダイジェスト)

 まずは、北海道胆振東部地震で被災された方、大切な人を亡くされた方にお見舞い申し上げます。

 なんとか、この夏、北海道を走ることができた。
 1991年夏に初めて北海道を自転車で走ってから20年以上が経ち、これまでに走ったコースを重ねてみると北海道の形が大方浮かび上がる。ならば北海道の外周を全部走ってやろう、というわけで浮かび上がった計画を名付けて「北海道一周30ヶ年計画」。
 2017年夏に、道東に途切れ途切れに残る未走区間を走る多計画を立てたが、天候不順のため断念。今年の夏は、途切れ途切れの区間を走るならトランスポーターがあった方がいいだろう、と去年の計画を少し見直し自動二輪に折畳小径車を積んで北海道に渡ることにした。
 しかし、この夏も天候不順。またも断念か、という中で起死回生のきっかけとなったのは、新潟県の小千谷の花火大会。北海道を半分諦めながら、12年ぶりの「小千谷ふるさとの丘ユースホステル」を予約したのだが、その足で新潟港に向かい、フェリーで北海道へ渡る可能性を残していた。問題はやはり天気だ。
 丹後から小千谷までの距離は600kmを越え、自動二輪では厳しい。高速道路を何百kmも走り続けることも、前夜に出発して夜通し一般道を走ることも自信がない。ということで、クルマを使うことにした。クルマなら、嫌いな高速道路も何とか我慢できる。だから当日朝の出発で間に合う。またクルマごと北海道に渡ることで不安定な空模様でも行動する気持ちになった。

 では旅のダイジェスト。
 まずは、おぢや祭り花火大会。
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 満月前夜。そして、旧暦7月15日。中秋の名月のひと月前の名月。信濃川にかかる橋の上に列をなすのは、からくり万灯。
 小千谷は2004年の「新潟県中越地震」の被災地。おぢや祭り、、そして花火大会には復興と慰霊の思いが込められている。小千谷ふるさとの丘ユースホステルは、被災を乗り越えたユースホステルだ。
 新潟港からフェリーに乗って、小樽港へ上陸。道東へひたすらクルマを走らせる。
 根室半島の付け根、風連湖から根室市街まで根室湾岸を自転車で往復。一つ目の未走区間を走破。この日は青空も見えた。
 せっかくここまで来たのなら、とクルマで納沙布岬へ。早朝に小樽を出発し、最東端まで到達した。そして、折り返して霧多布岬へ。今夜はここのキャンプ場でテント泊。涼しいというよりも寒いくらい。でも、暑さと違い寒さの対策はいくらでもできる。快適に過ごした。高速道路を使わず、650km走った。自転車は24km。
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 北海道2日目は、霧多布から釧路まで北太平洋シーサイドラインを自転車で走る。今回の途切れ途切れの未走区間の中で最長の約110km。自動二輪には折畳小径車しか積載できず、当初はほぼ中間の厚岸で泊まり2日がかりで走破する計画だったが、クルマに積んできたランドナーなら1日で走れる。こうして、小千谷の花火見物による日程超過分を解消。走行中、タンチョウやキタキツネにも出会う。天気は曇り時々小雨。霧が出なくてよかった。
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 釧路に就いたら和商市場でいくら丼を食べて、根室本線の各駅停車に乗り込む。線路にはエゾシカが出没し、警笛を何度も何度も鳴らして走る。 クルマに戻ったらまた移動。開陽台のテントサイトで泊るつもりだったが、誰もいない。かつてヒグマの出没があり閉鎖されていたこともあるので、ここでテントを張るのを断念。駐車場で車中泊を考えたが、それならば明日の予定の場所まで移動しておいた方がいい。さらにまた移動。根室海峡沿いの尾岱沼の道の駅で車中泊。
 北海道3日目は、標津から本別海まで33kmを自転車で走る。道東最後の未走区間だ。まず標津に自転車を配置し、クルマは本別海へ。路線バスを乗り継いで標津へ戻り、ようやく自転車走行開始。今日も、曇り時々小雨。昨日より雨降りの割合が多い。ちなみに、予報では昨日も今日も曇りだった。実際に降っているときにも、降雨レーダー画像には表示されていないし、周辺各地アメダスの計測による1日の雨量は1mm以下。走っていればそれなり濡れたけど、それは表面だけで、衣類や荷物の中までしみるほどではなかった。走り終えて車に乗ったら、すぐに乾いた。路面には水が浮いていたので、泥除けがないと足元は泥だらけだっただろうが、こういう場面にランドナーは強い。
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 昼前には走り終え、クルマに乗り込む。これで、道東完走。残る未走区間は、連続した140~150km。また機会を改めて走りに来よう。道南なので、天気の不安定な夏でなくても大丈夫だ。
 さあ、また大移動。小樽を目指して西へ500km。

 北海道4日目、最終日。2年ぶり3度目の宿泊となる「とまや」。今までは旅の初め、朝あわただしく出発していた。今回は旅の終わり。この宿でのんびり過ごすことにあこがれていた。朝食の後、「励ましの坂」を自転車で登る。これまでは、フェリーを下船した夜の挑戦だったが、今回初めて明るい中、そして宿主さんや泊まり合わせた旅人さんたちに見守られながら登る。これが本当の「励ましの坂」だ。距離600mで高低差80m、最大勾配は20パーセントを越えるこの坂道を自転車でノンストップで上りきったら、「やったね」とほめてもらえる。
 どうにか今回も登りきった。
 昼前までとまや過ごさせてもらい、フェリーターミナルへ。帰りは舞鶴港へのフェリー。
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 最後に、動画を。

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