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2016/08/21

オホーツクから道北への自転車旅6

■浜鬼志別のバス停
 6時起床。曇天だ。夜になってからずっと雨が降っていた。基本的に小雨だったが、時折雨音が聞こえるくらいの雨足になった。
 一足先にライダーが出発。ちょうどオーナーさんが来ていたのでお礼を言って、軽く掃き掃除をして出発。また今日も雨上がりの湿気の中のスタート。これで3日連続だ。
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 ロードレーサー氏は反対方向に向かうはずなのだが、彼の進行方向には浜頓別まで30km近く店がないので、浜鬼志別まで戻ってセイコーマートで朝食を摂るという。同じ方向ながら巡航速度が雲泥の差。あっという間に彼の姿は小さくなった。
 セイコーマートで合流し、弁当を買う。近くの海岸の防波堤に腰掛けて食べる。その後は、浜鬼志別のバス停で記念撮影。この一戸建てのバス待合小屋は、25年前に野宿した思い出の宿なのだ。校庭の足洗い場の水道で水をもらったすぐ近くに後者が見える小学校も見えている。
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 1日に140km以上走ったのはいつ以来か、記憶をたどってみるとそれは、25年前浜鬼志別のバス待合小屋で朝を迎えたあの日のことだった。北西の風を背負い、興部の20km先の紋別まで155kmほどを走ったのだった。要するに逆方向ではあるが、ほぼ同じ場所だったと言うわけだ。
 25年前のあの日、3人のサイクルツーリストがバス待合小屋で一夜を過ごした。私ともう一人はサロベツの宿で出会い、方向が同じということでノシャップ岬、宗谷岬を経てここにたどり着いた。すると先行者が一人いたというわけだ。北西の風が吹く寒い夜だったが、一戸建ての待合室の中は風が遮断され安心して夜を過ごすことができた。夜更けにおばあさんがやってきて、「私はここの管理を任されている。泊まってはいけない事になっているんだけど、まあ気にしなくていいよ。このあと一台バスが来るけど、乗る人はまずいないし、降りた人が待合室に入ってくることはない。そのあと、明かりは自動的に消える。火の扱いだけは気をつけてね」と、宿泊上の注意のようなものを伝えて帰っていった。
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 その泊まりあわせた3人の自転車は、いずれもブリジストンのツーリングモデルで、しかもそれぞれ世代が異なる。私がユーラシアツーリング、サロベツから一緒に走ってきた人はダイヤモンドというキャンピング車。ユーラシアの前の世代のモデルだ。そして、先行のもう一人が当時最新モデルのトラベゾーン。自転車の世代で、オーナーの年齢順もわかるという具合だ。
 翌朝、皆走る方向が同じということで3人そろって出発したが、最新モデルのトラベゾーンに乗る最年少の彼が、ペースについていけないと途中で脱落。サロベツから同行のダイヤモンドの彼とは、その皿に翌日の網走のゴールまで一緒に走り、夜行列車の隣同士の席に座って札幌まで移動した。出発前にバス待合小屋のまえで3人並んで撮った写真は、サイクルスポーツ誌に投稿したら掲載された。
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 ロードレーサー氏と別れ、道道138号線で私は内陸へと向かう。天気は急速に回復、晴れてきた。だが、風はまともに向かい風。内陸に入ればもっと弱くなるだろう。のんびり行こう。起伏ある大地に牧草地が広がっている。しばらく行くとホタテの加工場があった。ダンプカーでホタテの貝殻を運んでいる。
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 猿払村役場のある鬼志別集落で「鬼志別駅」という道路の案内板を見つけて寄り道。かつての天北線の駅をバスターミナルとして利用している。今走っているルートは天北線に沿っている。
 25年前の夏にオホーツク海沿いを自転車で走ったその半年前、JRの「北海道ワイド周遊券」で有効期限の20日間をフルに使って冬の北海道を旅したことがある。宗谷岬からバスで浜頓別まで移動したのだが、その旅の紀行文から引用する。
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 今日はこれから、バスで浜頓別へ行くのだが、宗谷から直接向かう便はないから稚内市街へ戻らねばならない。しかし、市街地に戻る前の声問というバス停で乗り継ぎできるのではと思いそこで降りてしまう。ここは、波の荒れ狂う宗谷海峡を間近にみる小さな集落で、廃線の天北線の駅もある。しかし、バス停の時刻表をみると浜頓別行きは通らないようだ。結局、稚内行きのバスに乗り南稚内まで行き、そこから浜頓別行きのバスに乗り換えた。浜頓別行きのバスは、長距離を走るため車内にトイレもある。声問の手前から、内陸部に入り天北線沿いに進む。峠を越え、雪に埋もれた集落を結んで走る。鬼志別のバス停で一旦休憩である。天北線の駅をそのまま使ったバスターミナルの二階は、列車の模型などが展示してあった。バスはその後オホーツク海岸にでて、左に海を見ながら走る。日が差していて海が青々と見える。やはり駅舎を使った浜頓別のバスターミナルには今日の宿「トシカの宿」のオーナーが迎えに来てくれていた。
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 ああ、鬼志別のバス停に立ち寄っているではないか。当時は天北線が廃止されてからまだ2年足らず。バス路線は忠実に天北線沿線をたどっていたようだ。しかし、浜頓別行きのバスに乗る前に迷走しているが、バスの本数が少ないと思われる中、よく浜頓別行きに間に合ったものだ。
 また、25年前の夏の自転車ツーリングでは、宗谷岬からオホーツク海沿いを走り出したころからその日の宿のことが気になりだした。即席とはいえ同行者がいたことで安心していたのか、その日の宿のあてが全くないまま走り続けていた。するとライダーハウスの看板が見えてきた。二人で「あ、助かった」と安堵したのはつかの間、近づけば「この先180km」との文字。もう日も暮れかかってそこから180kmなんて到底無理。そこで、その半年前の冬の旅で、バス停に立派な待合小屋があり「泊まれるんじゃないか」と感じていたことを思い出したのだった。
 結局、その日はその記憶を頼りにバス待合小屋に泊まり、翌日紋別まで155kmを走って、あの看板のライダーハウスへ泊まったのだった。ちなみのそのときのライダーハウスは今はもうなくなり、逆に当時「やませ」はまだなかった。
 鬼志別のバスターミナルの二階には、現在も天北線資料室が残っているようで、立ち寄ればよかった。
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