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2016/04/12

北国縦断被災地を巡る旅(最終日)

初 日 1.日本海から太平洋へ  2.田老「学ぶ防災」  3.宮古「末広館」
2日目 4.重茂半島の姉吉集落  5.城山から大槌を見下ろす  6.波板「風の電話
     7.釜石鵜住居と陸前高田  8.リアス唐桑ユースホステル

3日目 9.唐桑ビジターセンター「津波体験館」  10.気仙沼線と南三陸
     11.福島第一原発帰還困難区域へ  12.会津の里ユースホステル

4日目 13.会津の雄国山  14.小千谷・山古志、新潟県中越地震の被災地へ
■最終日 15.信濃川遡上信越ドライブ  16.信越トレイル鍋倉山  17.日本海側ロングドライブ

15.信濃川遡上信越ドライブ
 7時に朝食、7時半に旅館を出発。今回の旅では旅館とユースホステルにそれぞれ2泊ずつ。ユースホステルでも、その日のホステラーが1人だけだったり、私以外が皆家族またはグループだったりしたため、4泊とも個室、さらに和室に布団を敷いて寝る形式だった。私にとっては安眠できる状態のはずなのだが、毎日盛りだくさんのスケジュールでかなり疲れている。眠りも浅い。ぐっすり眠って回復できた若い頃が懐かしい。
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 国道117号線には乗らずに、信濃川の左岸の県道49号線を行く。小千谷の中心街から南に、田園地帯へと進む。前方に緩やかな勾配の棚田が積み重なっているのが見える。まるで劇場の舞台から客席を眺めるようだ。その客席の最後列の向こうは、絶壁のように切れ落ちている。信濃川の河岸段丘だ。標高差100m余りを信濃川に向かって駆け下りる。この景色が好きで小千谷に来るたびに通っている道だ。ちなみに、この先松代を経由して1時間半ほどで上越までいける。西日本から北陸自動車道で小千谷にアクセスする場合、最寄のI.C.は柏崎だが、余り所要時間が変わらないので上越I.C.を利用して松代経由のこの道がお気に入りだ。
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 しかも今日は前方に白い峰々が浮かぶ。最も大きく存在感があるのは越後三山の越後駒ケ岳。あとの二つ、中ノ岳と八海山も、そして巻機山も見えているようだ。霞んでいるのが残念だが、それでも絶景だ。
 田舎道を南西に進む。十日町の市街地も対岸の火事ならぬ、対岸の混雑でスイスイと抜ける。旧中里村(現十日町市)のJR飯山線越後田沢駅で信濃川を渡り、国道117号線へ。国道沿いには、基礎が高く玄関へは階段でアプローチする家が見られ、雪国を感じさせる。上げ底された家の基礎は倉庫などに活用されているようだが、バリアフリーはどのようになっているのだろうか。また、道路の幅は広がり、クルマが通れるほど広い路側帯が見られる。これも雪国ならではの風景。田んぼの中や川沿いの道路なら道路の外に雪を落とすことができるが、両側に家や店が並んでいたり、切り通しだったりする場合除雪の雪を積み上げるスペースとなるわけだ。
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 信濃川の北側には、関田山脈の山並みがそびえる。急な山肌が削られている箇所が見られる。中越地震の被災地によく見られた景色だ。そういえば、東日本大震災の翌日の2011年3月12日に起こったマグニチュード6.7の地震の震源がこの辺りだ。気象庁による正式な命名はされていないが、長野県北部地震という呼び名が最も通っているようだ。ただし、新潟県との県境付近なので新潟・長野県境地震、信越地震ともいうらしい。あの山肌の削られた原因が、その地震のつめ跡かどうかはわからないが、
 新潟県から長野県に入り、右手を流れる川は千曲川と名前を変える。関田山脈は新潟と長野の県境となる。信越トレイルだ。
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 千曲川を左岸に渡り、野沢温泉村から飯山市へ。関田山脈の麓の農村風景を移動し、鍋倉山の登山口の温井集落へ。80kmほど、2時間の移動。
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16.信越トレイル鍋倉山
 好天の春スキー日和で、集落奥の除雪限界地点には10台以上のクルマがずらりと並んでいる。その端は集落にまで達している。私とほぼ同時に到着した2台もどこに停めようかと迷った末に間隔の開いた箇所に縦列駐車している。私は、除雪の限界点近くの田んぼの脇のスペースに停める。ぬかるんでいて敬遠されている場所だ。田んぼはまだ雪があり農作業にはまだ早い時期なので迷惑にはならないだろう。
 真っ先にスキーブーツに履き替えて出発の準備。ブーツは泥んこになるが、この後雪できれいに磨かれる。下山後は、この陽気でぬかるみは乾いているだろうし、周囲のクルマがいなくなっているだろうから足場のいいところにクルマを動かして撤収すればいい。
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 未除雪の県道95号線の車道歩きから始まるので、シールを貼らずにステップソールを利用して行く。曲がりくねった道をショートカットする道は雪解けによりブッシュに妨げられて難儀するという報告をネットで見ているので、遠回りでも車道を行くほうがいい。雪解け、あるいは除雪が進んでいれば自転車の利用を考えていたのだが、出だしで2ヶ所雪が切れているだけで、道はずっと雪に覆われている。
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 氷結が解けかけている田茂木池を回りこんでそろそろ車道のショートカットを試みようかと、シールを出す。昨日の雄国山でうまくいかなかった方でなく、テールフックを付け替えて長さの調整ができるもの。これをはって法面に取り付く。
 標高800m付近は「ドウマン平」と呼ばれる平原。その北西側に立ちはだかる尾根に登る急斜面がこのコースの最大の難所。標高差200mの一枚の急な壁で、一面にブナが生えているのでコース取りも自由自在にとはいかない。
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 雪はざくざくに緩んでずり落ちそうになる。気付けば、片方のシールのテールフックが外れていた。長さの調整が甘く張力が足らなかったようだ。調整のゴムベルトの穴の位置をかえ、一段階短くする。しかし、シールと板の間に雪が入ってしまいそのあとも難儀する。ああ、昨日に続いてシールが不調だ。そして、連日の疲労もあり、急斜面との格闘に2時間も費やしてしまった。滑り降りてくる人たちの姿が見える。雪が重そうだ。
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 尾根に上がると、反対側の谷が見える。そちらは巨木の谷と言われ、中でも森太郎と呼ばれるブナがある。最初にこの山に登ったのは、2004年の4月下旬、飯山市の野外活動の施設「なべくら高原森の家」のクロスカントリースキーツアーに参加してのことなので、ガイド役の森の家の職員から色々と教えてもらいながら登ることができた。森太郎も教えてもらい、12年経った今でもその姿を見分けることができる。ちなみにこの山は、9年ぶり4回目だ。
 尾根比較的広く勾配も緩んで、随分楽になる。腹が減ったので、昼食の休憩をとる。
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 10人以上のスキーの大集団が滑り降りてきた。彼らが降りすぎたあとの雪面は、午後のスキー場のゲレンデのようだ。スノーボードのパーティも降りてきた。入山している人は何らかの滑走用具を利用していて、8割がスキー2割がスノーボードとスキー場と勢力が逆転している。まあ、県道歩きもあるからね。滑走用具でありながら歩行の道具でもあるのがスキーのメリットだ。
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 出発から一般の人の倍近い5時間以上もかけてようやく登頂。しばし360度の絶景を眺める。関田山脈越えの関田峠、そして光が丘牧場の向こうには上越平野。ごつごつした山頂は、菱ヶ岳だ。妙高山は西に傾いた日の逆光だが、そのどっしりとした姿が見て取れる。長野側は野沢温泉スキー場の毛無山が目立つ。野沢温泉スキー場の下部のゲレンデはすでに雪解け。上ノ平高原はゴンドラも動いて営業しているようだ。カメラでズームアップすると、蟻んこのような人の姿もみえるが、スキーヤーなのかスノーボーダーなのか区別はつかない。
 さあ、シールを剥がして滑降準備。登ってきたルートではなく、北側の黒倉山との鞍部へ滑り降りる。森の家のツアーで教えてもらったコースだ。出だしはそこそこの急斜面。12年前の森の家のツアーは、前述のとおりクロスカントリースキーツアー。中にはテレマークスキーの参加者がいたものの、ガイドを含めクロスカントリースキーで標高差700mを登り、この急斜面を滑り降りていた。私はダブルキャンバーのスチールエッジ付きバックカントリースキー板にソフトブーツ。今思えば、なかなか果敢なツアーだった。現在森の家では、スノーシューでの登頂ツアーはしているが、スキー登山のツアーはない。
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 鞍部の方面はトレースが少なく荒らされていない。雪は重いが立木が少なくなかなかいい。
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 後方から「サーーーーーーッ」という音が聞こえる。緩んだざらめ雪が表層雪崩を起こしている。私が誘発したものだ。勾配は30度あるかないかというくらいで、雪崩が起きるぎりぎりの斜度。自然には起こらないが、外的な刺激をきっかけとして発生する。規模は小さく流速はゆっくりだが、延々と落ち続けている。前方にも、前の滑走者が起こしたデブリが見られる。流速が遅いので、一気に行けば追いつかれないだろうし、万が一巻き込まれても大事には至らないと思う。しかし、巻き込まれればコントロールできない状態で、せっかくため込んだポテンシャルエネルギーを消耗してしまうし、なにせ最後の一人なので万が一の場合周囲からのヘルプを期待できない。ターンをしないで斜滑降で様子を見る。黒倉山方面にトラバースしていくと雪面が安定してきた。もう大丈夫だ。ターンをして西ノ沢の谷に降りていく。余り踏み荒らされていない疎林の快適なツリーラン。尾根を下るよりも格段に楽しい。重いけれども緩んでやわらかい雪は滑りやすい。ちょっとした新雪気分だ。
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 完全に沢が出ているので、右岸を行く。ドウマン平に面した急斜面へと続いているスロープだ。下りは早い。前方が開けてきた。ドウマン平だ。ある程度標高を保ったまま登りで手こずった斜面の中腹に出る。が、木々のまばらな所は、尾根をピストンした先行者によって踏み散らかされている。しばらくトラバースして、余り踏み荒らされていないところを見つけ、そこを滑りドウマン平に降り立つ。次回があるかもしれないので、谷のうちにできるだけ標高を下げておいた方がいい、と覚えておこう。
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 のぼりと同様に少しショートカットした後は、延々と車道を行く。じっとしていたのでは板が全く走らないほど緩い勾配。でも、すり足で歩いていれば平地よりは速い。ノルディックスキーの持ち味を発揮できる。
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 温井に降りたら、朝並んでいたクルマはすっかりなくなっている。私のクルマ以外の1台は中にこもっている気配。これから帰路に就くのか、それとも明日の入山の前乗りか。
 予想通り朝のぬかるみはかなり乾いているが、それでも靴底に土がつくので、まずブーツを履き替え、アスファルトの上にクルマを移してから撤収する。

17.日本海側ロングドライブ
 さあ、長い帰路に就く。桜も菜の花もまだだが、夕暮れの里は春の気配でいっぱい。「おぼろ月夜」「春が来た」「春の小川」「故郷」などを作詞した高野辰之の生誕地が近い。まんが日本昔話に描かれた山のように、ぽこっとした形の高社山が風景によく似合っている。
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 上信越自動車道の豊田飯山I.C.は逆方向だ。国道290号線で蕎麦の里「富倉」の山村風景を見ながら、妙高市新井へ。妙高山など頸城の山々に見守られながら行く。
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 上越から乗ると300kmも高速道路を走らないといけない。これはきつい。やっぱりしばらく国道8号線を行こう。富山県の朝日までは市街地や信号が少ないので流れがよく、夕暮れの日本海を見ながら快適なドライブができる。それに引き替え、北陸自動車道の上越から親不知の区間はトンネルだらけで、ただでさえ閉塞感のある高速道路がより圧迫されるような感覚に追い込まれる。
 名立や越中境のゆずり車線で、ぶっ飛ばしたい大型トラックを先に行かせるが、結局朝日の信号待ちの列の並び順が入れ替わっただけ。
 以前に立ち寄ったことがある店でラーメンを食べて、朝日I.C.へ。富山・石川・福井県内の国道8号線は信号があって時間がかかるので、高速道路を使わないと帰宅が翌朝になってしまう。一度仮眠を兼ねて休憩。高速道路は200kmで挫折。南条I.C.で北陸自動車道を降りる。敦賀までは信号も交通量も少ない国道476号線でマイペースに行く。敦賀を過ぎたら、若狭梅街道、若狭西街道と広域農道を乗り継いで京都府へ。家まであと数kmのところで眠気を我慢できず、クルマを停めて仮眠。とにかく、最後まで事故を起こすわけにはいかない。暗くてよくわからないが、桜が咲いているようだ。今年は特に早いなあ。
 500kmを、休憩、食事、仮眠を含め9時間余り。飯山から宮津まで高速道路を走り続ければ2時間以上短縮できただろうが、それはきつい。やっぱりマイペースでいける方を選ぶ。
 自動車の走行距離は、全行程2000kmを超えた。

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コメント

 長旅おつかれさまでした。最後の締めは鍋倉山でしたか。
 前半は自転車、後半はスキーと車の機動力に趣味もきっちり入って内容の濃い旅ですね。
 何回か行かれているので詳しいだろうけど、計画段階も充実していることでしょう。

投稿: すう | 2016/04/17 09:39

 計画は極めて適当です。直前に、田老の学ぶ防災、島越、姉吉、大槌の城山、新潟県中越地震被災地の各施設ののことを聞き、風の電話はTVで知り、急遽計画に入れました。宮古の末広館と、リアス唐桑ユースホステルは、どちらに泊まろうかと迷っていたのですが、盛りだくさんになったので両方泊ることにしました。
 鍋倉山も雄国山も思いつきで、出発前夜にGPSレシーバーとタブレット端末に地図を仕込みました。泊まろうと思っていた、会津と小千谷の友人の営むユースホステルには泊まれませんでした。それぞれ6年ぶり、10年ぶりの来訪となるはずだったので、のんびり過ごしたいしとなると雪山との両立は無理でしょうね。
 月曜しか敦賀の便がないフェリーを往路に使うか復路に使うかも、直前まで結論を出さず気象情報を見て日程を決めました。
 話がそれましたが、計画はあまりきちんと立てない方がいいと思います。旅は、行き当たりばったりが楽しい。予定変更の連続でした。旅は、インスピレーションとアドリブのセンス、あと先を見通す力を発揮する場だと思っています。
 あと、やりたいことをしているので、旅はすべてレジャーです。もちろん、3年前まで、被災地の復興のお手伝いに行っていたときも。同じ日本で起こっていることを目の当たりにしたい。でも、ただ見に行くということはできなかった。どうすれば現地の人たちのストレスにならずに、日本で起こっている一大事を体験できるか。それが、3年前まではボランティア活動であり、今回の旅です。基本は変わりません。自分のためです。

投稿: はいかい | 2016/04/17 23:51

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