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2016/04/08

北国縦断被災地を巡る旅(初日)

■初 日 1.日本海から太平洋へ  2.田老「学ぶ防災」  3.宮古「末広館」
2日目 4.重茂半島の姉吉集落  5.城山から大槌を見下ろす  6.波板「風の電話
     7.釜石鵜住居と陸前高田  8.リアス唐桑ユースホステル

3日目 9.唐桑ビジターセンター「津波体験館」  10.気仙沼線と南三陸
     11.福島第一原発帰還困難区域へ  12.会津の里ユースホステル

4日目 13.会津の雄国山  14.小千谷・山古志、新潟県中越地震の被災地へ
最終日 15.信濃川遡上信越ドライブ  16.信越トレイル鍋倉山  17.日本海側ロングドライブ

1.日本海から太平洋へ
 3月29日、秋田に上陸。フェリーを降りたら、東にクルマを走らせる。旧協和町(大仙市)までの国道13号線は、ボランティア活動の拠点のひとつがある遠野を目指して何度か通った道。この日は、国道46号線へと左折、やや北よりに進路を変える。東日本大震災から5年。被災地を見に行く。2011~2012年にボランティアで訪れた釜石や陸前高田以外に、今回は田老(宮古市)なども訪れる。
 せっかくなので角館では武家屋敷を軽く見学。アプローチもただの移動ではもったいない。そのあと秋田新幹線に追い越されつつ北東へ。立派な白い峰が見えてきた。秋田駒ケ岳だ。平野部はすっかり雪解けだが、山はまだ真っ白。今の時期が一番山が美しい時期なのかもしれない。ちなみに一年前の今頃はひたすら富士山を見ていた。今回の旅では、色々な白い名山を見ることになる。その一つ目が、秋田駒ケ岳だ。
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 県境の峠には、周囲に残雪が見られた。盛岡のある北上盆地に降りると、今度は岩手山。思わずコンビニの駐車場に滑り込む。秋田駒ケ岳から岩手山へと白い峰が続く奥羽山脈の絶景が広がる。秋田駒ケ岳は、岩手側からだと随分なだらかな姿に見える。その名の通り、秋田側から見るほうが迫力がある。
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 盛岡市街を抜け、国道455号線で北上山地を越える。山間部には残雪。ダム湖はまだ氷結。でも、日差しを受けてクルマの中はぽかぽか。窓を開けずにはいられない。
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 岩泉町の三田貝の道の駅は学校をイメージしたもの。廃校となった分校の跡地とのこと。「めだかの学校」が流れ、時折「キーンコーンカーンコーン」とチャイムが鳴っている。
 三田貝川から小本川とひたすら川沿いを進み、三陸鉄道北リアス線岩泉小本駅へ。日本海側から太平洋側へと横断完了だ。小本から開通している自動車専用道路で田野畑南I.C.まで北上し、島越海岸へ。断崖に囲まれた漁港は、まさに秘境だ。
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 かさ上げされた高台には、完成してからまだ半年しか建っていないピカピカの駅舎。中には震災以後の復興の足取りを写した写真が展示してあった。また駅舎のすぐ下には、津波に打たれて傷んだ宮沢賢治の詩碑と旧駅舎よりホームへ向かう階段が震災遺構として保存されていた。
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2.田老「学ぶ防災」
 小本に戻りさらに南下。国道は復興のトラックやダンプカーが数珠繋ぎだ。13:45田老駅に到着。約束の14時に「学ぶ防災」のガイドさんがやってきた。学ぶ防災とは、一般社団法人「宮古観光文化交流協会」が運営する、田老の町を見学しながら防災意識を高めるためのツアーだ。
 ガイドさんが乗ってきたクルマに同乗して、防潮堤、港、震災遺構の「たろう観光ホテル」、高台に建設が進んでいる新しい集落などを見て回り、最後に「学ぶ防災」の事務局のある民家で震災当日の映像(TV等では使われていない、ここに来ないと見られないもの)を見る。本来30~60分のとことだが、みっちり100分もお話を聞かせてもらった。5年前の2011年3月11日、子どもを持つ母親としての震災体験談も話してもらった。
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 田老駅でガイドさんと別れたあと、クルマから自転車を下ろして見学した場所をもう一度回り、動画と静止画をじっくりと撮影する。漁連の製氷施設の天辺近くに今回の津波の高さ17.5mを示す表示があった。ビルの4~5階の高さだ。木っ端微塵に砕かれた第2、第3防潮堤はそもそも津波でなく高潮を防ぐためもの。唯一、津波を想定し生き残った第1防潮堤の上も自転車で走った。ただ、この防潮堤も、津波を止めるのでなく、あくまでやわらげて避難するための時間を稼ぐためのもの。なのに、人々はこの防潮堤たちを過信し、すぐそばに、あるいは外側に家を建て、さらに津波の目隠しとなって逃げ遅れてしまうという副作用も生んだかも知れないとのこと。
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3.宮古「末広館」
 宮古市街へ移動。市街地が近づくと夕方の混雑。駅前の旅館「末広館」に投宿。
 この旅館はかつてユースホステルも併せて営業していた。サイクルスポーツ誌2010年11月号にこの宿のことが掲載されている。私と同い年の自転車で旅するエッセイスト、石田ゆうすけ氏の連載「僕の細道」だ。当時はまだユースホステルとしても営業していて、84歳のお母さんの「昔は自転車のホステラーも多かった。自分でもやらなければわからないと思い、30歳の時自転車で三陸を走ってみた。きつかったわぁ」という言葉に惹かれてこの宿に泊まることを決めた。
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 しかし行ってみるとそのお母さんらしき人の姿はない。聞けば3年ほど前に亡くなったとのこと。6年前に84歳だから、まあそういうことも覚悟していなかったわけではない。ユースホステルをやめたのは、代替わりによることだったのかもしれない。先程のビデオには、すぐそばに迫る津波に気付かずに、のんびりと歩く人の姿もおさめられていた。
 5年前の津波で被災しながらも、復興支援に駆けつけた人が泊めるために早くから営業を再開させた、と聞いている。当時まだご健在だった先代のお母さんの姿がしのばれる(会ったこともないくせに)。
 「僕の細道」の記事を読み返せば、明治と昭和の津波の話も出てくる。そして、私と同じように、防潮堤の上を自転車で走っている。ただ、記事に掲載された写真では防潮堤の両側に家並みが広がっていた。

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コメント

 いつもオリジナルでテーマ性のある旅をされますね。
 長文なので、少しずつ読ませてもらいます。ちなみに秋田と岩手は行ったことがありません。一度空気を吸ってみたいです。

投稿: すう | 2016/04/16 08:52

 オリジナルって、ただ好きなようにしているだけです。それ以外にできないので。というより、旅ってそういうもんでしょう。

投稿: はいかい | 2016/04/17 23:42

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