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2016/04/11

北国縦断被災地を巡る旅(4日目)

初 日 1.日本海から太平洋へ  2.田老「学ぶ防災」  3.宮古「末広館」
2日目 4.重茂半島の姉吉集落  5.城山から大槌を見下ろす  6.波板「風の電話
     7.釜石鵜住居と陸前高田  8.リアス唐桑ユースホステル

3日目 9.唐桑ビジターセンター「津波体験館」  10.気仙沼線と南三陸
     11.福島第一原発帰還困難区域へ  12.会津の里ユースホステル

■4日目 13.会津の雄国山  14.小千谷・山古志、新潟県中越地震の被災地へ
最終日 15.信濃川遡上信越ドライブ  16.信越トレイル鍋倉山  17.日本海側ロングドライブ

13.会津の雄国山
 6時過ぎにユースホステルを出発。7時ごろ出発するつもりだったが、早く目が覚めてしまった。旅では神経が高ぶっているようでいつも寝不足だ。会津盆地を北上。会津縦貫北道路を利用せず北北東に一直線に向かう道を行く。早朝なので、ほかにクルマは少なくすいすいと行く。昨夜は反対側から夕陽のシルエットとして見た磐梯山が、今度は朝日のシルエットとして浮かぶ。また、飯豊山がひときわ白い。
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 蔵に囲まれた小さな交差点で、雄国沼への道しるべにつられていくが、これが間違い。沼の西の金沢峠を目指す道だった。今は雪に閉ざされている。軌道修正して、大塩裏磐梯温泉でようやく予定の国道459号線に合流。せっかく早く出発したのに15分ほどロスしてしまった。今日もタイトなスケジュールなのだ。
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 標高をあげ、裏磐梯の檜原湖沿いへ出る。なんとすでに湖面の氷が解けている。ヘアピンカーブの先端にクルマを止める。なんとか雪はあるようだ。今日はスキーの出番だ。
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 準備を整え、7:35、雄子沢に沿って歩き出す。雄子沢から雄国沼をピストンするのは、四国のユースホステルで泊りあわせて以来の友人が開業した会津野ユースホステルのクロスカントリースキーのコース。25年前に四国を一緒に自転車で走った友人と、クロスカントリイースキーでここ歩いたのは16年前。そして、6年前にも単独でここを訪れている。レンタルのテレマークスキーから自前のテレマークスキーに道具が変わり、雄国沼だけでなく雄国山登頂も果たした。その時は雄子沢ピストンに雄国山登頂をくっつけただけの芸のないコース取りだった。今回は雄国山から尾根を縦走し、国道近くに戻ってから雄子沢に降り立つ予定できたのだが、雪がないねぇ。結局前回と同じ芸のないピストンコースを行くしかない。
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 スノーブリッジはなくなり、完全に沢が出ているので、飛び石の渡渉を2回。雄国沼が近づいてきたところで、谷が狭まって法面のトラバースをするやや注意が必要な区間がある。本来は1ケ所だけなのだが、そういう区間が2ケ所あった。つまり、片方はスノーブリッジを渡り、平坦な対岸を通過することができるのだが、今回は雪が少ないのでそうはいかないということのようだ。法面は雪が解けていて、板を外してブッシュの中をこいで行く。
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 それを越えると時期に雄国沼なのだが、沼を見ずに雄国山の斜面に取りつく。その前にシール装着だ。が、シールの長さが合わない。長すぎて余ってしまう。この板はステップソールが刻んであるのであまりシールを使わない。クルマに置いてきた方が、この板に合うシールだったようだ。さあ困った。ステップソールでは、この急こう配を登るのに大変な苦労をする。もちろん、クルマに戻るに遅すぎる。そうだ、ザックの中にガムテープがあった。これを貼ってなんとかシールを装着。トップに引っ掛ける金具が、今の丸っこい先端に合わずすぐ外れてしまうが、なんとか上ることができる。苦労しながら稜線に出た。そこから山頂は目と鼻の先。氷結した雄国沼が見渡せる。その向こうには磐梯山。背後を振り返ると飯豊の白い峰がかっこいい。
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 小休止したらシールを外して滑降開始。ただ、雪解けが進んでブッシュが現れ、雪が切れているところもある。それでも滑降は楽しい。時間がおしているので沼のほとりには下りずに登ったルートを戻る形で雄子沢へ。沢沿いも緩い下りなので、往路よりはやい。要注意区間の片方は、法面の下の方なら雪がつながっていて板を外さずに越えられた。エッジのあるスキーなら滑落の危険は少なくてこちらが楽だった。もう片方はやはり藪漕ぎで越えなければならなかった。
 12時ちょうどにクルマに戻った。
 急いでスキーを撤収しクルマを走らせる。13時過ぎに会津若松I.C.から磐越自動車道へ。

14.小千谷・山古志、新潟県中越地震の被災地へ
 磐越自動車道から北陸自動車道、関越自動車道と乗り継いで15時過ぎに小千谷I.C.。180㎞をちょうど2時間。想定通り。まずは、I.C.近くの「おちや震災ミュージアムそなえ館」へ。2004年10月23日に発生した新潟県中越地震の被害やその後の復興の記録を展示し、防災意識を高めるための施設。
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 2002年夏、山古志村に近い小千谷市の東部に開業したばかりの「小千谷ふるさとの丘ユースホステル」を訪れた。マネージャーは、なんと数年前に別野ユースホステルで泊りあわせたサイクリストで、私のことを覚えていてくれた。以来毎年訪れていたのだが、2年後の震災で休業。その1年後に再開し、2006年5月に訪れている。そしてあっという間に10年のブランク。その間にできた震災を語り継ぐ施設を訪れるというわけだ。
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 まずは、専用シアターで映像を見る。そのあと「3時間後」「3日後」「3ヶ月後」「3年後」それぞれの部屋として、現場、避難所、仮設住宅での生活の様子などが展示されている。受付で持たされた端末を壁のセンサーに当てると、イヤホンから被災者の体験談が聞こえてきたり、画面に防災クイズが表示され答えることができたりする。要するに、マンツーマンガイドの役目を果たしてくれる端末だ。また、人工的に再現された地震の揺れを椅子に座って体感することができるものもある。神戸の「人と防災未来センター」にも同じようなものがあったが、訪れた時には見学者が多くて体験することができなかった。
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 45分で見学を終え、クルマで移動。山古志を目指す。道中、信濃川沿いの「妙見メモリアルパーク」も見学。ここは、大規模な山崩れが発生し、土砂がクルマを飲み込んだ。そのクルマの中から、数日後に子供が救出された場所だ。10年前に訪れた時は、まだ生々しい状態で、自動車ほどもある大きな岩の混じった土砂に道路も埋まったままだったが、今は一部その崩れた土砂が保存されているものの、切り通しで道路は開通していた。上の一番右の写真は、震災から1年半後の2006年5月のもの。
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 そなえ館から30分で、旧山古志村役場(現長岡市役所山古志支所)内の「やまこし復興交流館おたぽる」に到着。受付に行くとなんと展示は16時までとのこと。現在16時25分。しまった、17時までと思っていた。落胆していると、どこから来たのか聞かれ、遠路はるばる京都府からと答える。なんと、特別に見学させてくれるとのこと。行政の営む施設としてはなんと柔軟な対応。数人のスタッフは皆優しかった。ありがたい。
 ここのメインは、地形模型シアター。一種のプロジェクションマッピングといおうか。天井に向けて壁に設置されたプロジェクターからの映像が、天井の鏡で反射し、床に投影される。床には地形の凹凸を再現した真っ白な模型が置かれていて、これがスクリーンとなる。普段の植生の様子、地震の揺れ、土砂崩れであらわになった山肌、堰き止め湖ができた様子、雪が積もった銀世界、などが再現される。非常にわかりやすい。
 そして展示を見学。丁寧にお礼を言ってその場を去る。
 ほかにも、長岡と川口にも施設があるが、今回は小千谷と山古志の2ケ所だけ。小千谷ふるさとの丘ユースホステルが、小千谷と山古志の境界付近にあり、自転車で走ったなじみの深い土地の施設を選んだわけだが、施設の充実度からもこの2ケ所の選択で間違いなかったようだ。
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 さあ、最後に震央メモリアルパークを見に行こう。要するに、本震の震源だ。平らな土地がほとんど見当たらない山古志。傾斜地のの集落と棚田、そしてあとは山林だ。自転車で走ると、アップダウンの連続で距離の割に走りごたえがある。想定していた道は雪に閉ざされていたが、小千谷市に少し戻り、違うルートからなんとか通り抜けることができた。ただし、まだ冬季閉鎖の道。雪が少ない今年だからこの時期に行けたようだ。
 また、小千谷市の東部や山古志は、「牛の角突き」という牛同士を闘わせる闘牛が盛んな土地。道路の脇に大きな牛が3頭佇んでいた。そして、その陰には飼い主と思われるお父さん。牛が大きすぎて完全に隠れていた。
 ついでに言うと、コイの養殖も盛ん。おたぽるのエントランスホールには、コイの水槽があった。
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 川口町の山間部の棚田の中にひっそりと、震央を示すモニュメントが立っていた。夕日がもうすぐ沈む。白い峰々は、越後三山や平ヶ岳や巻機山なのだろうが、霞んでいてよく区別がつかない。
 国道17号線に降りて、小千谷に戻る。小千谷ふるさとの丘ユースホステルは本日休業のことなので、小千谷市街地の旅館に投宿。歓送迎会らしい宴会でにぎやか。宿泊客は少ないみたい。

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コメント

 高校時代、飯豊はあこがれの山でした。北にある朝日に沢登りで行きましたが、飯豊の方がひときわ山塊が大きいし山も高い。調べると地質も花崗岩質タイプのようで同じようだ。綺麗な沢だろうと思っていたけど、記録は分からず断念しました。そして朝日に高2、高3と2回も行きました。
 インターネットのない時代、今とは違い格段に欲しい情報が手に入らない。だから今では何でもないことが冒険として成り立った時代でした。
 山スキーでもいいな。飯豊に行きたいですね。

投稿: すう | 2016/04/17 08:56

 御大K氏もどこだかの山で出会った人から、飯豊と朝日を進められたそうです。

投稿: はいかい | 2016/04/17 23:45

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