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2016/04/10

北国縦断被災地を巡る旅(3日目)

初 日 1.日本海から太平洋へ  2.田老「学ぶ防災」  3.宮古「末広館」
2日目 4.重茂半島の姉吉集落  5.城山から大槌を見下ろす  6.波板「風の電話
     7.釜石鵜住居と陸前高田  8.リアス唐桑ユースホステル

■3日目 9.唐桑ビジターセンター「津波体験館」  10.気仙沼線と南三陸
     11.福島第一原発帰還困難区域へ  12.会津の里ユースホステル
4日目 13.会津の雄国山  14.小千谷・山古志、新潟県中越地震の被災地へ
最終日 15.信濃川遡上信越ドライブ  16.信越トレイル鍋倉山  17.日本海側ロングドライブ
9.唐桑ビジターセンター「津波体験館」
 薪ストーブのが暖かい食堂の隣には、囲炉裏(こちらには火は入っていないが)の談話室。ハード面もソフト面もあたたかい感じがするユースホステルだ。いい宿見つけた、という感じ。また、本州最東端を訪れるときにはここに泊まろう。
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 リアス唐桑ユースホステルを8時過ぎに出発。半島の先端は御崎とかいて「おさき」と読む。そこのビジターセンター内の「津波体験館」まで4km。8時半の開館時間ちょうどに入館。2人の女性スタッフが笑顔で迎えてくれる。「JAFの会員の方は300円です」と言われ会員証を出すと、なんと有効期限は本日まで。「ラッキーですね」とフレンドリーなスタッフ。ここは、元々昭和、明治の三陸沖地震での津浪の記録を展示する施設だったが、2011年の東日本大震災の内容を追加し、2013年5月にリニューアルしている。
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 まずは映像と音声を軸に床の振動と送風を組み合わせた疑似体験のできるシアター、次に被害の様子と復興の足取りをドローンを駆使して撮影された3D映像、と畳み掛けられる。後者は3D眼鏡をかけて見るのだが、中には3D撮影されていない普通の映像も含まれていた。専用眼鏡をかけてそのつもりで見ているので、つい全部が3Dと思ってしまう。
 ほかにも、水槽の中で津波を発生させて陸地に押し寄せる様子を見せる模型もあり、豊富な写真もあり、なかなか見ごたえがあった。もちろん、ビジターセンターなので津波以外にも唐桑半島(旧唐桑町)を紹介する展示もある。1時間以上かけて見学し、御崎神社に参拝してから、移動開始。
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10.気仙沼線と南三陸
 復興の工事車両などで混雑する国道45号線を南下。昨夜の雨は止んで海が青く輝く。国道に沿ったJR気仙沼線はいまだ高架橋や駅舎は津波により破壊されたまま、復旧していない。一部区間ではBRT(バス・ラピッド・トランジット:バス高速輸送システム)として暫定復旧し、さらにその一部は鉄道路線を舗装して専用道路としている。
 南三陸(志津川)は陸前高田に匹敵する大規模なかさ上げ工事の真っ最中だった。
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 北上川を渡って桃生津山I.C.から三陸自動車道に乗る。ずっと無料区間ばかりだったが、途中からは有料区間になる。石巻や松島や仙台の混雑区間なのでお金を払う価値はあるというわけだ。有料区間に入るとぐっと交通量が減る。更地が広がる仙台の荒浜や、名取の閖上などを左に見ながら行く。右手には市街地の奥に白い峰々。蔵王連峰だ。

11.福島第一原発帰還困難区域へ
 いつしか常磐自動車道に変わり、阿武隈高地の縁を行く。標高100mを超える丘陵地帯だ。電光掲示板に示されているのは、この先、相馬~広野の空間放射線量。0.1~4.0マイクロシーベルト/時と大まか。0.1なら丹後と同じくらいだが、4.0はちょっと高めだ。
 相馬I.C.で常磐自動車道を降りて、まずは国道6号線でガソリン補給。海沿いの県道74号線で南下。3年前に自転車で走った道だ。磯部の小学校にあるモニタリングポストによると0.078マイクロシーベルト/時。借りて持参してきた線量計では0.129。この後も他の場所で何度か比べてみたが、大体手元の線量計の方が数値が高く出るようだった。
 丘を越えて南相馬市へ。3年前には、家の基礎のコンクリートがかつて集落があったことを忍ばせたが、今は完全な更地となっている。
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 鹿島で国道6号線に戻り、原ノ町を越えて南下。3年前もそうだったが、津波被害のなかった原ノ町市街は普通ににぎわった雰囲気。また、カメラや集音マイクなどテレビ撮影の機材を持った集団のあとから、馬が歩いてきた。そういえば、ここは野馬追の地だが、その馬と野馬追が関係あるのかどうかはわからない。
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 小高区に入ると少し雰囲気が変わる。ここは避難指示解除準備区域。日中の立ち入りは許可されているが、宿泊はできない。3年前と変わらない状況だ。ただ、日中の立ち入りが許されて間もなかったころは、道路沿いの田んぼにはがれきが散乱し、歩道の柵などが破損したままだったが、がれきはほとんど撤去され、柵も壊れた部分新い物に置き換えられている。それでもまだ置き去りにされている廃車がわずかに見られる。
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 ちょうど3年前にお手伝いに訪れた2軒に立ち寄ってみるが、どちらも人の気配はない。片方は、稲作の再開の見込みのない田んぼを、太陽光発電所として再生するための工事のお手伝いをしたのだが、その発電所は稼働しているようだった。用水路に入っている人々は、除染の作業員だ。
 浪江町へと入る。3年前は避難指示区域で入ることができなかった。さらに言うと、3年前私がお手伝いを終えた翌日から避難指示解除準備区域となった。日中の立ち入りが許されてから丁度3年がたったわけだが、店はほとんど営業していない。家の周りも草ぼうぼうだ。
 そして、双葉町に入り帰還困難区域に突入。高速道路や国道6号線は通行可能となったが自動車のみ。二輪車や軽車両や歩行者は通行禁止。区間の入り口には人が立って監視している。民家や店舗の入り口は完全にバリケードでふさがれ、脇道もバリケードが設置され人が立ち許可車両がチェックを受けるようになっている。信号は黄色の点滅だ。
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 帰還困難区域に入った途端線量計の数値の変化が激しくなっている。時折、1マイクロシーベルト/時を越える。市街地は低く、町が途切れたら高い傾向だ。
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 突如、線量計からピーピーとアラートが鳴り始めた。いつしか福島第一原発に最接近していた。敷地から1km、原子炉から2㎞だ。線量計の数値は、8マイクロシーベルト/時前後を指している。左手には、木々に覆われた丘の向こうに原発の施設と思われる鉄塔が数本突き出していた。
 窓を閉め切っているので、車内は温室となって熱い。西日を浴びながら人気のない大熊町のバリケードの市街地を抜ける。富岡町へと入り人が立っている帰還困難区域の南限を越えて、クルマの窓を開ける。海に背を向け西に進路をとり、中心街を行く。
 富岡町は、日中の立ち入りが許可されているが、避難解除準備区域より一段階きつい居住制限区域。ちなみに飯舘村もこれにあたる。バリケードはないが、どの家にも人の気配がなく閑散としている。学校があったが、校庭は草原になりつつあるようだ。
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 再び大熊町の帰還困難区域に入る。帰還困難区域周辺には「スクリーニング場」という施設がいくつもあった。避難している住民が制限区域の自宅に一時帰宅する際の放射線量を管理するための施設とのことだ。家に残していたものを持ち出す際には、放射線量のチェックを受けるというわけだ。
 国道288号線に入り阿武隈高地を越えると空間放射線量は、丹後と変わらない数値となる。田村市の旧三春町では有名な滝桜に寄り道。樹齢1000年を超えるというしだれ桜は全国的に有名で、「滝桜まで2.5㎞、渋滞時は3時間」などといった臨時の案内板が小刻みに立っている。今はまだ咲いていないので、クルマがほとんど走っていない田舎道をすいすいと行く。松葉づえをつくような古木だが、大きくて立派だった。
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 郡山が近づくと右前方に立派な山が見えてきた。安達太良山だ。混雑する郡山市内でものすごく遅い昼食のラーメンを食べて、東北自動車道郡山I.C.からジャンクションを経て磐越自動車道へ。

12.会津の里ユースホステル
 磐梯山のシルエットを正面に見ながら会津へ。会津若松I.C.で磐越自動車道を降りて、会津縦貫北道路へ。これは国道121号線のバイパスで無料で通行できる。喜多方への中間点、塩川I.C.で降りるとすぐに会津の里ユースホステル。チェックイン20時までとのことだが、19時過ぎに到着。本業の酒屋でチェックイン。
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 ここは古いユースホステルで、25年前の大学生の時に泊まっている。正直言うと、当時はあまり印象がなかった。たとえば予約の電話では、名前も確認されないだとか、朝はとっとと出ていけとばかりに扉を開け放たれる(晩秋の寒い時期に「開けたままにしといて」と言われた)など、つっけんどんな対応だった。その後、近くに友人が会津野ユースホステルを開業したこともあり、会津の里ユースホステルに泊まることはなかった。いくら酒屋の副業とはいえ、ネットでの厳しい口コミの風当たりもある。廃業していくユースホステルが多い中で、ずっと続いているのはすごい。そして、近年いい評判も聞こえるようになった。予想通り、マネージャーは代替わりしていた。今日は素泊まりだが、25年前にはなかった食事の提供もある。古民家の建物には民芸品や民具などが飾られ、会津の雰囲気を出している。
 この日のホステラーは私一人。歩いてすぐの温泉施設で入浴し、明日の朝の食料の買い出しや夕食を済ませる。せっかくここまで来たけど喜多方ラーメンにはありつけなかった。 

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コメント

 ボクが南相馬に初めて行ったのは4年前。当時は少し閑散としていました。
 泊まった宿の方から震災当時のことを教えてもらいました。学校の体育館が死体安置所になって異臭が漂っていたとか、リアルでした。
 そういえば、宮城に行った時も話してもらったことがあります。妹さん(学校の保健の先生)の安否がわからず心配で気が狂いそうな数日を送っていたけど、妹さんは学校の屋上で教室のカーテンをはがして防寒して生徒とともに数日過ごしていて無事であったとか。
 そこに住んでいる人たちの人の分だけストーリーがあることがわかりました。それが悲しい話であったり、安堵の話であったり・・・
 原発周辺はまだダメなんですね。恐ろしいことです。

投稿: すう | 2016/04/17 08:35

 復興のお手伝いに何度も訪れるたびにお話を聞かせてもらいましたし、今回田老の学ぶ防災のガイドさんからも、最近まで人に言えなかったという津波の襲来時の話を聞かせてもらいました。もちろん、この場には書けません。また、小千谷のそなえ館で端末により被災者の体験談が聞けるシステムがあるのは、ひとりひとりのストーリーを伝えることを大切にしていることの表れでしょう。
 西日本で暮らしていると、5年前の震災が完全に他人事です。他人事をできるだけ他人事にしたくない、という思いが自分の被災地に通う原動力なんだと思います。
 今回一番行きたかったのが、原発です。去年の夏に、国道6号線が通れるようになったので行ってきた、という人の話を聞いて、これはぜひ行かねばならない、と思っていました。福島県まで行くのなら、もう少し頑張ってかつてお手伝いに行った釜石や陸前高田まで足を延ばそう、だとか、一気に変えるのは大変だから帰りも寄り道したらいい、だとか考えて、さらにいろいろ尾ひれがついてこうなりました。

投稿: はいかい | 2016/04/17 23:44

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