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2016/04/09

北国縦断被災地を巡る旅(2日目)

初 日 1.日本海から太平洋へ  2.田老「学ぶ防災」  3.宮古「末広館」
■2日目 4.重茂半島の姉吉集落  5.城山から大槌を見下ろす  6.波板「風の電話
     7.釜石鵜住居と陸前高田  8.リアス唐桑ユースホステル
3日目 9.唐桑ビジターセンター「津波体験館」  10.気仙沼線と南三陸
     11.福島第一原発帰還困難区域へ  12.会津の里ユースホステル

4日目 13.会津の雄国山  14.小千谷・山古志、新潟県中越地震の被災地へ
最終日 15.信濃川遡上信越ドライブ  16.信越トレイル鍋倉山  17.日本海側ロングドライブ

4.重茂半島の姉吉集落
 7時に宿の朝食を頂く。食堂の他の席はすでに片付いている。十数名の私以外の宿泊客は、皆復興の仕事に来ている作業員だった。彼らがどんどん出発して行く。
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 8時前に私も出発。宮古湾を回りこんで重茂半島へ。海沿いはどこもかさ上げ、築堤の工事が延々と続いている。細い道で宮古湾から太平洋への峠越え。さらに小さな岬越えのアップダウンが延々と続く。木々の間に除く太平洋が青く広く美しい。小さな集落をいくつか超える。山の中の集落に漁協がある。GPSレシーバーを見れば、標高は70m。すぐに道は急激に下って港に降り立った。津波のことを考えて集落が作られている。
 まさに奥の細道を越えて姉吉の集落へ到着。ここも標高60m以上の山間集落だ。でも、漁師集落。港への細道を行くと、「ここより下に家を建てるな」の大津浪記念碑。そのすぐ下に5年前の津波の到達点を示す石碑。そこからダーッと下って港へ降り立った。再開を間近に控えたきれいなキャンプ場にクルマを停めて自転車を下ろす。
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 標高ゼロメートルの港からスタート。キャンプ場を越えるとすぐにごつごつとした岩肌にはさまれ急な沢沿いの細道となる。標高50mを越えてすぐに二つの石碑を見送り、姉吉集落へ。ヘルメットに装着したカメラを起動し、動画を撮影しながら下る。集落と石碑、そして渓谷からの海の景色の流れをノーカットで納める。
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 自転車をクルマに積んで、再開間近のキャンプ場を後にする。私が出たり入ったりする間に数名集まってきたキャンプ場関係者(あるいは建設関係者)と思われる作業服の男性たちは、笑顔で挨拶してくれて気持ちがいい。よそでは無言のまま怪訝そうな目で見られることが多いのに。
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 小さな立て看板に目が留まった。なに「本州最東端?(とど)ヶ崎」だと。姉吉港から徒歩で行くようだ。後で調べたら徒歩の所要時間は1時間程とのこと。ああ、行きたいではないか。知っていれば行く計画を立てていたのに。今日も大明日もこの後スケジュールが推しているし、なにせもうクルマで走り出してしまっている。後ろ髪をひかれる思いで、クルマを走らせる。

5.城山から大槌を見下ろす
 重茂半島は秘境だった。行けども行けども続く断崖絶壁の海岸線。たまに現れる傾斜地の集落。やっとの思いで山田湾沿いへ到達。道路の建設工事で仮設の道をグネグネと行く。国道45号線に乗るとダンプカ-が相変わらず多い。三陸自動車道で山田の市街地をワープして、船越湾から大槌湾へとリアス式海岸を南下。
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 2層のプレハブ店舗が並ぶ大槌の復興商店街は大賑わい。駐車場も7~8割埋まり、クルマの出入りが激しい。とりあえずそこで作戦タイム。商店街から見上げる城山に自転車で上るのだ。
 大槌川と小槌川が北西から南東へと並行して流れ、合流するように大槌湾にそそいでいる。その河口部分が大槌の中心街。二つの川を分ける尾根の先端が城山。標高は141mあり、市街地あるいは市街地だった狭い平野部を俯瞰することができる。
 尾根の先端から上ることができる。急な登りだ。そしてその名の通りかつて山城のあった城山からは、尾根の両側にダブルトラックがついている。南の小槌川のダブルトラックで下山することに決め、クルマで移動。かさ上げ工事でどこをどう取っていいのか迷いながら行く。尾根の先端の登り口には津波の後移転した役場の庁舎がある。そこの駐車場は満車。数百m離れた更地の駐車場にクルマを止める。こちらが職員用、庁舎の敷地内が来庁者用かも知れない。
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 自転車を下してスタート。役場を過ぎたらいきなり急な登りが始まる。中腹には図書館など公民館のような施設。更地となった大槌の海沿いの風景が広がる。
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 短いが急な登りに一汗かいて、城山に到着。津波遺構の旧庁舎は尾根の先端に隠れて見えない。先端にも展望台があるが、そこまで行く気力がわかなかった。先ほどの復興商店街は足元によく見える。移転先の庁舎は見えないが、駐車場の自分の車見える。
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 数か所の展望所で景色を眺めたら、さあ尾根に沿ったダブルトラックへ。予定の小槌側川の道はすぐに未舗装となり、下った後に上りかえしもあるアップダウンの連続。先の方は工事の重機が見える。現在工事しているようには見えないが、不安なので引き返すことにする。そして、大槌川側のダブルトラックへ。こちらは舗装道路でしばらく高度を保ってから、林間に入って急激に下る。そして以前からの民家や復興公営住宅が立ち並ぶ集落へ降り立つ。復興商店街近くを通り国道を超えると、かさ上げ工事の真っただ中を行く。廃墟となった旧役場庁舎を横目に、クルマを止めた駐車場へ。海から1km近く内陸に入ったこの場所でも2階くらいの高さまでかさ上げされるようで、要するに道の両側は土の壁というわけだ。
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 さあ、時間が推している。急いでクルマに自転車を積む。快晴だった空は、いつしか雲に覆われ始めた。予報通り夕方は雨になるのか。

6.波板「風の電話」
 大槌の商業施設のフードコートで遅い昼食の後、吉里吉里へと戻る。先日のNHKスペシャルで取り上げられた「風の電話」を訪ねる。海を見下ろす高台にある電話ボックス。中のダイヤル式の黒電話破線が途切れてどこにもつながらない。もともとはそこに住むガーデンデザイナーが知人の一周忌に自分の庭に設置しようと思いついた。故人とつながることができるきっかけとして。直後に東日本大震災。多くの人が親しい人を亡くした。誰でも訪れることができるようにしたという。
 ただし、人を積極的に受け入れているわけではなく、道案内の標識などはない。手がかりはあまりない。NHKスペシャルでは大槌といわれていたが、携帯電話で検索して見つかった情報によると吉里吉里とのこと。また、NHKスペシャルの映像では駅のすぐわきの踏切を越えて山手に入っていく。
 吉里吉里駅の近くに来たが、道が狭くて自由がきかないクルマを適当なところに止めて歩いて探す。なかなか見つからない。庭で子供を遊ばせているお母さんたちに聞くと、吉里吉里ではなく波板とのこと。
 再びクルマで山田方面に戻る。山田町との町境の手前が波板地区。まだ鉄道が復旧していない駅の風景は映像とぴったり同じ。船越湾の形もこちらの方がしっくりくる。クルマを止めてしばし歩き回ってようやく見つけた。撮影は禁止。懐かしいダイヤルで自分の家の電話番号を回してみる。何も聞こえない受話器を耳に当て、しばし過ごす。おいてあるノートに自分の住所と名前を記帳して、その場を去る。雨が降ってきた。

7.釜石鵜住居と陸前高田
 大槌を越えて南下、鵜住居へ寄る。遠野まごころネットとのつながりが強い地域で、2011年夏、2012年春夏と復興のお手伝いをした土地だ。蓬莱館という旅館、港など懐かしい風景もみられるが、3階にクルマが突っ込んでいた小学校はすでに撤去済み。かさ上げ工事も行われていてかなり変わっているという印象だった。
 両石の津波記念碑の周囲も工事中。
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 三陸自動車道で大船渡をワープして陸前高田へ。ここも大規模なかさ上げ工事の最中。街全体が焼失した陸前高田では、まるで鉱山のような(あるいはもっと大規模な)ベルトコンベアで周囲の山から土砂を運んだとのこと。現在もそのベルトコンベアの跡形が残る。
 駅などのあった中心街の対岸、つまり気仙川の西に位置する気仙町へ。2012年夏に2年ぶりに復活する夏祭りの会場の整備のお手伝いをした土地だ。震災直後人々が避難生活をした高台のお寺は残っているが、あとはずいぶん変わっている。かさ上げ工事はまだ始まって以外が、その準備のため残っていた建物がほとんど撤去されている。遠くに一本松が見える。
 日没、そして雨のため暗くなってきた。クルマに乗り込む。工事のため通行が制限されて一本松には寄れなかった。本当は行く道があるのかもしれないが、時間もないし暗いので見つけられなかったのかもしれない。
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8.リアス唐桑ユースホステル
 岩手県から宮城県へと入り、唐桑半島へ。午前中の重茂ほど秘境ではなく、ローソンとセブンイレブンが相対峙しているし、センターラインがある立派な道路が続いていた。暗くなってきて心配したが、大きな看板があってリアス唐桑ユースホステルには問題なく到着。もしかするとひとりきりかと思ったが、ちゃんとほかにもホステラーが泊っていた。頑張っているユースホステルだ。
 私と同様、かつてボランティアで北東北のその後を見に来たという関東からの2人組。震災の翌日から被災地で活動した元自衛官という現在復興の仕事で来ている作業員などがいて、ヘルパーさんもボランティアをしていたという。

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コメント

 ふーん。それぞれの被災地にそれぞれのストーリーがあるんですね。
 震災を風化させてはいけないし、教訓を今後に残さなくてはいけないと思いました。

投稿: すう | 2016/04/16 09:06

 被災地にそれぞれ、というより、ひとりひとりのストーリーがあるのだと思います。後の記事のコメントにすうさん自身が書かれている通り。でも伝えなければ消えていきます。風化です。
 でも、石碑など、何かシンボルとなるものがあるとストーリーが残ります。たろう観光ホテルや大槌町役場などの震災以降は、シンボルを残すという意味が大きいのだと思います。

投稿: はいかい | 2016/04/17 23:43

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