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2015/08/22

礼文サロベツ思い出の道北旅5~24年ぶりの「あしたの城」~

 15時過ぎ、豊富駅で下車。自転車を組んで、駅前のベンチに腰かけて圧縮弁当の残りを食べてから、利尻富士に向かって走り始める。あっという間に市街地を抜け、周囲は原野となる。サロベツ原野だ。東の風を背中に受け快調に進む。だだっ広い平原と利尻。なんという絶景なんだろう。緩やかな丘を越えたり、林を抜けたり、牧場があったり、川を渡ったりで、少し雰囲気が変わるだけで写真を撮らずにはいられない。膝が痛いなんて言ってられない。
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 10km近く進み、もう少しで日本海というところに「あしたの城(じょう)」の看板があった。それにしたがって右折、坂を登って到着。ここも絶景の宿だ。桃岩荘が海の絶景なのに対し、あしたの城は草原と丘の絶景だ。
 オーナーの城(じょう)さんが出迎えてくれた。
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 「あれっ、前にも来た?」「来ましたよ」「去年」「いえいえ」「一昨年」「まだまだ…、24年前ですよ」「じゃあ(見覚えがあるというのは)かんちがいかなぁ。この前も35年ぶりって人が来たんだよ」
 あしたの城には、1991年の2月と8月に訪れている。初めて来たのは、大学卒業間際のJRの北海道ワイド周遊券を利用した旅。北海道までの往復乗車券と道内の急行、特急を含めたJR全路線乗り放題の切符を、有効期間20日間フルに使っての旅だった。その序盤にあしたの城に2連泊した。結婚してまだ間もない(?)オーナー夫婦はとてもフレンドリー。また同い年の私とY君が泊まっていた。彼は、その前の夏にオートバイで北海道を回った時にもここに泊まったという。既にひと通り道内を周り、帰りのフェリーまで日が余ってしまった。そこで、楽しかったあしたの城に戻ってきてヘルパーのようなことをして過ごした。その時「また冬にもおいでよ」と言われたのでしばらく泊まりに来た、というような感じだったと思う。
 隣の家まで1km、という真っ白な原野の中の一軒家で過ごした足掛け3日間は、夢のようだった。薪ストーブの火の世話をし、夜には勇知の雪まつりにも連れて行ってもらった。そして何より印象的だったのは、当時城さんがはまっていたスノーモビルだ。宿泊客用のレンタルもしてくれていて、夏場には歩けない湿原を縦横無尽に走り回った。天気も良くて、冬にはめったに見られない利尻富士を完全にではないが眺めることができた。また、近所のお友達が2人スノーモビルでやってきた。
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 その冬の思い出を、24年経ったこの日、城さんにしてみると、「あの(近所の友達)2人の名前まで覚えているとはなぁ。俺もやっぱり本当に(君のこと)覚えているような気がする」。
 とにかく私にとっては、一生の思い出をもらったことは間違いない。
 冬があまりにも印象的だったので、その半年後の自転車の旅の途中でも宿泊。その時は、もちろん半年前のことを覚えていてくれた。ただ、たくさんの人が泊まっていていて、オーナー夫婦は大忙し。冬のような密度の濃い時間を過ごすことはできなかった。ただし、この時同宿した自転車乗りと、走る方向が同じだったのでとりあえず一緒に出発し、結局その後の3日間を一緒に走って網走でゴール。夜行列車にも一緒乗って札幌に戻った。今回、当初予定の北オホーツクは、その24年前の夏の思い出を辿るつもりだったのだが、結果的には別の形で24年前を思い出すこととなった。
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 夕食は大きな窓から絶景を眺めながらのジンギスカン鍋。旅に出ると不足しがちな野菜がたっぷりなのがいい。おかげで、翌日は快便。
 私以外の宿泊は8人。自動車と自動二輪車が4人ずつ。自動二輪4台がそれぞれ個性的。ライダーが運転してここまでやってきたのが、道内からと本州からとそれぞれ1台ずつ。ライダーは飛行機できて、道内のレンタルバイクというのが1台。そしてもう1台は、やはりライダーは飛行機でやってきて、自分のオートバイを運んでもらい、あしたの城で受け取りというもの。いろいろなサービスがあるねぇ。

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コメント

 あまり関係のないうんちくですが、豊富は最北の酪農地帯です。とびきり有名な牧場もあるんですよ。寒いところでどのような飼い方をしているのか興味があります。いたるところ草原なんでしょうか?

投稿: すう | 2015/08/25 06:07

 湿原センターの展示に、湿原の水を抜いて牧草地にした様子が説明されいました。また、そうした開発の手が入っていたため、なかなか国立公園に認定されなかったとのことです。
 24年前に「あしたの城」に泊まった時にスノーモビルでやってきた数km離れた隣近所のお友達はみな酪農家で「あの時は若かった彼らも今じゃ地域の農家の代表だよ」と城さんが言っていました。

投稿: はいかい | 2015/08/25 19:50

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