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2015/03/09

京都と大阪のはざま旧樫田村から小塩山

 子どものころから地図を見るのが好きだった。たぶん小学校の時だと思うが、地図帳を見ていて、京都と大阪の府境に印象に残る部分があった。京都府亀岡市、京都市、大阪府高槻市の境である。大阪が京都に食い込んでいる。それも、大阪の飛び出した部分の形は、ギリシャ文字のオメガの大文字(電気抵抗の単位「オーム」の記号として使われる)のように丸く、ジグソーパズルのピースによく見られる突起部分のようでもある。少し成長してくると、その丸い部分はかつては一つの行政単位だったんではないか、と思うようになっていた。
 そして、大人になってからたまたま図書館で手に取った本で謎が解けた。浅井健爾著「知らなかった県境・境界線92の不思議」という本の越境合併について書かれた部分にこの京都・大阪の府境の件が出てくる。大阪府の飛び出した丸い部分はもともとは、京都府南桑田郡樫田(かしだ)村だった。ちなみに、南桑田郡の大部分は現在の亀岡市である。樫田村はもともと高槻市と経済や交通のつながりが深かった。また、樫田村はたびたび水害に見舞われていたが、村内の田能川、出灰川は高槻市に注いでいることからも、京都府の治水対策は冷遇と言えるものだった。よって、1958年、樫田村の大阪府高槻市への越境合併が実現した。(前述の書籍およびWikipediaより)
 さて、前述の書の著者である浅井健爾氏は地理に関する本を多数著わしているいるが、その一方で自転車の本も書いている。
「実践サイクル・ツ-リング」という本を大学生の頃、つまり20数年前に読んだことがある。自転車ツーリングのハウツー本である。浅井氏は、日本一周サイクリストだそうだ。さらにネットで検索をかければ、鉄道や旅の本も書いている。
 そうなのだ、私にとっても地図、旅、鉄道、自転車は一連のものなのだ。というわけで非常に親しみを感じている。
 というわけで、浅井氏の本に出てきた樫田村を自転車で走る、そんなツーリングを企画した。
 道の駅「ガレリヤ亀岡」にクルマを止め、自転車を下ろす。今回はMTB。13:20スタート。標高106m。
 クルマが飛び交う国道9号線を少し京都方面に走り、下・中・上の矢井田町辺りで年谷川沿いを南下。その年谷川の本流か支流かわからないが、川沿いをさかのぼって旧樫田村中畑へ上る道を目指す。「穴太善峰巡礼古道」というそうだ。
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 国道9号線から穴太善峰巡礼古道へアクセスするには、つつじヶ丘の造成住宅地の中を南下するほか、つつじヶ丘の東西両側に細い道がある。当然住宅地の中を通っても面白くない。また、国道9号線をできるだけ走らないで済むように、手前(西側)の道を選んだ。が、これが本当に通れるのかどうか怪しい道。国道の喧騒を離れ、田んぼの中を通り、年谷川の左岸を遡る。上矢田町で右岸に渡り、つつじヶ丘住宅地の南西のため池「茱萸(ぐみ)谷池」沿いを通る道を目指すわけだが、ゲートが固く閉ざされていて入りそびれた。そのまま左岸の道を進むが、ちょうど分岐点付近で学校帰りと思われる1人の女子中学生が歩いているのを追い越した。引き返したら不審者と思われるんではなかろうか、今のご時世そんなことが不安になってしまう。李下に冠を正さず、とそのまま年谷川を遡り、もうひとつの候補を選ぶことにする。
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 府道6号線に合流し、しばらく年谷川を遡る。京都縦貫自動車道の高架をくぐり、登り勾配を徐々に増しながら周囲が山の風景になっていく。道が左岸から右岸に渡ったところで、東へのダブルトラックが別れる。が、入り口には高さ2m半はある真新しいフェンスで塞がれていて、これは事前にインターネット(Googleストリートビュー)で確認済み。さあ、これを通り抜けられるか、というのは出たとこ勝負だったのだが、脇には隙間があって難なく通過。その奥に今度は古いゲート。これも楽々脇を抜けることができる。
 ダブルトラックは、しばらく川沿いを下ってから東からの流れを遡る。前日には雨が降ったためところどころ水たまりが残る薄暗い林間のダート道。
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 茱萸谷池沿いの道との合流点までもうあと数十mというところで、いきなり難所に行き当たる。かなりの水量の沢の流れが、道をさえぎっている。幅は3~5m、深さは30~50㎝で、なかなかの勢いだ。橋の痕跡はないから暗渠だったのだろうか。
 さあ、困った。しばし流れに沿って行き来して渡れる隙をさがす。高校時代には走り幅跳びで5m飛んでいたのだが、今はそんなに飛べるわけもない。しかも、助走路は足場の悪い河原である。じゃあ、飛び石を置いてみようと、大きめの石を拾い上げて浅い部分に投げ入れてみるが、水量が多くて石が水面に出ない。裸足になってじゃぶじゃぶ渡るのが最も無難で現実的だが、冷たそうだし足を濡らしたくない。
 20分ほど迷った挙句、撤退を決める。振り返れば「寒谷キャンプ場」という看板があった。ゲートと沢に閉ざされたキャンプ場だ。
 来た道を上矢井田町まで引き返し、先ほど見送った茱萸谷池沿いの道の入り口へ。胸ほどの高さのゲートを乗り越える。出だしはコンクリート舗装の登り。そのうち深い溝が掘れたダートに変わる。宅地造成途中の土地を越え、新興住宅地の裏手を抜けると、茱萸谷池のほとりに降り立つ。
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 京都縦貫自動車道をくぐって、薄暗い林間の荒れたダブルトラックを行くと、先ほど沢で阻まれた道との合流点。せっかくなので沢を見に行く。目と鼻の先だった。ほんの数mが通れないために1時間近くも費やしたことになる。
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 そこからは谷が開けてやや明るい雰囲気になる。つつじヶ丘の住宅地の真裏で、そちらへの連絡路と思われる階段が左手に見える。道標の記述から、この道は「寒谷林道」という名称だということが分かった。
 しばらく行くとフェンスが立ちはだかる。背が高いので乗り越えられないが、脇に金網が破れた個所があり、そこを通過。つつじヶ丘の住宅地の中の道、住宅地の東側の道が合流して、穴太善峰巡礼古道が始まる地点だ。
 ここからは谷底の舗装路となり、ウォーキングしている人の姿見ちらほら見られる。
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 谷が広がり田んぼまたは畑が見えるようになる。さらにその奥に小さな集落が見えた。寒谷だ。かやぶきの家も見られる。
 寒谷集落を過ぎると、登り勾配が増し薄暗い林間を行くようになる。舗装はされているが曲がりくねった細い道。それでも2台のクルマが通過。峠への最後の登りはかなりの急勾配。ギア比の低いこのMTBでなければ押して登らねばならないところだった。15:40、万寿峠。標高442m。
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 万寿峠が現在の府県境。しかし、それぞれの府を表す標識がない。一般道ではないということか。ちなみに「林道森谷線(終点)」という表示がある。かつての巡礼古道は道路の分類上は林道ということのようだ。
 いよいよ越境合併の末、京都府から大阪府となった旧樫田村へと入る。ただし、少し下って「中畑回転場」という高槻からのバスのUターン場所で左折し再び京都府へ。京都市外畑町だ。小さな集落と、巨大な変電所が見える。その奥に、次の目標「小塩山」。
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 小塩山への登山道は、外畑町の畑の中の細い急坂。登っていくと、民家の庭先。そこを通過し、再び段々畑の中を行く。ただし、今は何も耕作されていない。
 畑から植林帯へ変わるところにまたフェンスが立ちはだかる。ビニールひもをほどいて通過。
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 植林の中の道はだんだん急勾配となる。しまいにはずり落ちそうな壁となって、山肌が立ちはだかる。植林の中なので踏み跡も不明瞭なものが幾筋も見られる。この先を見通し、登りやすそうなものを選ぶ。
 左手にトラーバースし、尾根道に出た。階段がつけられているので間違いない。関西電力の送電線の鉄塔の巡視路でおなじみの黒い樹脂で刻まれた階段だ。また、別方向、尾根沿いを登ってくる踏み跡も見られる。下りはこっちへ行ってみようか。
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 急坂を越え、頂上近くになるとトラバース道の区間が多くなり、頂上エリアへ到着。ふと足元を見れば「小塩山642m」の表示、17:03。そこは、淳和天皇陵の裏手。
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 小塩山はこれで3回目。過去にはいずれも裏側の洛西から登ってきた。そちらの麓から見上げると頂上部の無線アンテナが目立つので、そのアンテナを到達点としていた。そのアンテナ施設まで足を延ばしておく。
 さあ、暗くなる前に下山しよう。来た道を引き返す。トラーバース区間はそこそこ乗れる。がそのあとの急こう配区間はMTBを押して下るしかない。
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 植林の中の急な壁の上まで降りたところで、登ってきたのとは別の尾根道を下る。伐採されたところに降り立つと、打たれた枝で覆われて踏み跡がわからない。GPSレシーバーを頼りに道なき道を行く。麓は近い何とかなる、と信じていくとしっかりしたシングルトラックに出た。しかもMTBで下るのに気持ちいい勾配。急いでまたがる。ただし、登りにとおった道ではない。すぐに送電線の鉄塔の広場に出た。その先で急勾配の階段となり、木々の間にダブルトラックが見えてきた。登りで通った段々畑の間のシングルトラックを下ることを楽しみにしていたのだが、どうやらそちらを楽しむことはできないようだ。
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 ダブルトラックに降り立ち、少し行くと、本日最後のゲートを越えて外畑町集落にでた。登り口とは少し違う場所だ、18:02。
 乗車率は、40~50パーセントといったところだろうか。過去の2回は、花の寺「勝持寺」から舗装路で電波塔まで登り、淳和天皇陵道のシングルトラックから金蔵寺へ降りたのと、淳和天皇陵道を麓まで下りた。いずれもMTBで、り乗車率は今回と同じ程度だったと思う。
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 あとは舗装路のみだ。暗くなってきたのでライトを灯し、大阪府へ戻る。中畑の小さな集落を過ぎ小さな峠を越えると、左手にややまとまった集落が見えてきた。旧樫田村の中心、田能だ。クルマもそこそこ頻繁に通り、大きな建物も見える。5階建てよりも高いと思われるひときわ大きな建物は、高齢者の介護施設だった。
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 田能を左手に見ながら、西へ進む。薄暮の中「かしふね」という看板が見えた。こんな山の中で舟を貸すのかと思ったら、その先に「樫船神社」があった。樫田村の地名の由来になったもので、亀岡の鍬山神社と関わりが深いという。その鍬山神社は、通ってきた上矢井田町にあるという。やはり、もともとは南桑田郡、そして丹波の国亀山藩の所領なのだ。
 樫田トンネルを越える。杉生の集落を越えるとまた京都府が近付く。樫田トンネルから杉生側は亀岡へ流れる年谷川の水系。そのまま府道を行けば、川沿いを矢井田町に下れるのだが、クルマが通るこの道を行くのも面白くない。予定通り、もう少し西に進んで、亀岡CCのゴルフ場沿いの道を目指す。京都府に入り、亀岡市東別院町小泉の集落で右折。登り基調で東別院町神原の集落を過ぎる。そこまでは2台ほどのクルマとすれ違ったが、その先は亀岡市街まで全くクルマと出会わない真っ暗な道。
 神原集落を越えると登りがきつくなり墓地が一つのピークとなる。墓地を越えてもアップダウンを繰り返す。標高412mの竜ヶ尾山直下まで登り基調だった。
 道は台地の縁を行くようにつけらていて、右手はゴルフ場、左手には木々の向こうに亀岡盆地の夜景が広がる。すぐ下には京都学園大だ。
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 旧樫田村で標高270mまで下ったあと、再び400mを越えるまで上ったが、竜ヶ尾山を過ぎると一気に急降下。夜景をめがけて降りていく。
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 京都縦貫自動車道の上を橋で越え、側道を少し走って亀岡I.C.の交差点へ。ここからは国道372および423号線の重複区間から国道9号号線を一気に走り抜け道の駅にゴール、19:06。36.5km。(3月上旬)

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コメント

 ボクも小さい頃から地図が大好き。地図を持ってどこまでも行きたいものです。
 山でも自転車でも地図読み能力は発揮されます。
 今回も遠くまで遠征、お疲れ様です。田能は綺麗な高原地に見えませんか?

投稿: すう | 2015/03/13 20:50

 デジタルの時代になって地図もずいぶん発展しましたね。GPSレシーバーで自分がたどった軌跡、通過時刻、速度が3次元の地図に表示される、ということになり、帰宅すると早くそのデータを見たくてGPSレシーバーをパソコンにつなぐようになりました。そんなことをやり始めてからすでに13年以上、どんどん進化してGPSレシーバーに地図が搭載され、現場で地図上に現在地が表示されるようになりました。地図が好きな人間にとっては、画期的なことです。とにかく、自転車、スキー、徒歩、自動車、自動二輪、出かけるときにはGPSレシーバー必携ですね。
 さて、小塩山から下山して訪れたせいか、田能が高地であるという印象はあまり受けませんでした。田園に囲まれた普通の集落という感じでした。でも標高は350mほどもあって、京丹後市の人が住んでいる集落の中で最も高いところにある味土野に匹敵するんですよね。丹波南部や北摂の全体の標高が高いということでもありますが。

投稿: はいかい | 2015/03/18 23:16

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