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2015/03/17

冬から初夏への一週間

 3月も10日を過ぎて強めの寒の戻り。丹後の平野部にはほぼひと月ぶりの積雪。この時期のこうした寒の戻りは珍しいことではない。だからまだ自動車のスタッドレスタイヤを外すわけにはいかない。
 日当たりの悪い峠道は、しばらく雪道となった。
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 しかし、それから一週間。豊岡の最高気温23.8度を筆頭に、近畿北部日本海側では夏日まであと一歩。九州や離島を除けば、フェーン現象の北近畿がトップクラス。
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2015/03/09

京都と大阪のはざま旧樫田村から小塩山

 子どものころから地図を見るのが好きだった。たぶん小学校の時だと思うが、地図帳を見ていて、京都と大阪の府境に印象に残る部分があった。京都府亀岡市、京都市、大阪府高槻市の境である。大阪が京都に食い込んでいる。それも、大阪の飛び出した部分の形は、ギリシャ文字のオメガの大文字(電気抵抗の単位「オーム」の記号として使われる)のように丸く、ジグソーパズルのピースによく見られる突起部分のようでもある。少し成長してくると、その丸い部分はかつては一つの行政単位だったんではないか、と思うようになっていた。
 そして、大人になってからたまたま図書館で手に取った本で謎が解けた。浅井健爾著「知らなかった県境・境界線92の不思議」という本の越境合併について書かれた部分にこの京都・大阪の府境の件が出てくる。大阪府の飛び出した丸い部分はもともとは、京都府南桑田郡樫田(かしだ)村だった。ちなみに、南桑田郡の大部分は現在の亀岡市である。樫田村はもともと高槻市と経済や交通のつながりが深かった。また、樫田村はたびたび水害に見舞われていたが、村内の田能川、出灰川は高槻市に注いでいることからも、京都府の治水対策は冷遇と言えるものだった。よって、1958年、樫田村の大阪府高槻市への越境合併が実現した。(前述の書籍およびWikipediaより)
 さて、前述の書の著者である浅井健爾氏は地理に関する本を多数著わしているいるが、その一方で自転車の本も書いている。
「実践サイクル・ツ-リング」という本を大学生の頃、つまり20数年前に読んだことがある。自転車ツーリングのハウツー本である。浅井氏は、日本一周サイクリストだそうだ。さらにネットで検索をかければ、鉄道や旅の本も書いている。
 そうなのだ、私にとっても地図、旅、鉄道、自転車は一連のものなのだ。というわけで非常に親しみを感じている。
 というわけで、浅井氏の本に出てきた樫田村を自転車で走る、そんなツーリングを企画した。
 道の駅「ガレリヤ亀岡」にクルマを止め、自転車を下ろす。今回はMTB。13:20スタート。標高106m。
 クルマが飛び交う国道9号線を少し京都方面に走り、下・中・上の矢井田町辺りで年谷川沿いを南下。その年谷川の本流か支流かわからないが、川沿いをさかのぼって旧樫田村中畑へ上る道を目指す。「穴太善峰巡礼古道」というそうだ。
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 国道9号線から穴太善峰巡礼古道へアクセスするには、つつじヶ丘の造成住宅地の中を南下するほか、つつじヶ丘の東西両側に細い道がある。当然住宅地の中を通っても面白くない。また、国道9号線をできるだけ走らないで済むように、手前(西側)の道を選んだ。が、これが本当に通れるのかどうか怪しい道。国道の喧騒を離れ、田んぼの中を通り、年谷川の左岸を遡る。上矢田町で右岸に渡り、つつじヶ丘住宅地の南西のため池「茱萸(ぐみ)谷池」沿いを通る道を目指すわけだが、ゲートが固く閉ざされていて入りそびれた。そのまま左岸の道を進むが、ちょうど分岐点付近で学校帰りと思われる1人の女子中学生が歩いているのを追い越した。引き返したら不審者と思われるんではなかろうか、今のご時世そんなことが不安になってしまう。李下に冠を正さず、とそのまま年谷川を遡り、もうひとつの候補を選ぶことにする。
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 府道6号線に合流し、しばらく年谷川を遡る。京都縦貫自動車道の高架をくぐり、登り勾配を徐々に増しながら周囲が山の風景になっていく。道が左岸から右岸に渡ったところで、東へのダブルトラックが別れる。が、入り口には高さ2m半はある真新しいフェンスで塞がれていて、これは事前にインターネット(Googleストリートビュー)で確認済み。さあ、これを通り抜けられるか、というのは出たとこ勝負だったのだが、脇には隙間があって難なく通過。その奥に今度は古いゲート。これも楽々脇を抜けることができる。
 ダブルトラックは、しばらく川沿いを下ってから東からの流れを遡る。前日には雨が降ったためところどころ水たまりが残る薄暗い林間のダート道。
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 茱萸谷池沿いの道との合流点までもうあと数十mというところで、いきなり難所に行き当たる。かなりの水量の沢の流れが、道をさえぎっている。幅は3~5m、深さは30~50㎝で、なかなかの勢いだ。橋の痕跡はないから暗渠だったのだろうか。
 さあ、困った。しばし流れに沿って行き来して渡れる隙をさがす。高校時代には走り幅跳びで5m飛んでいたのだが、今はそんなに飛べるわけもない。しかも、助走路は足場の悪い河原である。じゃあ、飛び石を置いてみようと、大きめの石を拾い上げて浅い部分に投げ入れてみるが、水量が多くて石が水面に出ない。裸足になってじゃぶじゃぶ渡るのが最も無難で現実的だが、冷たそうだし足を濡らしたくない。
 20分ほど迷った挙句、撤退を決める。振り返れば「寒谷キャンプ場」という看板があった。ゲートと沢に閉ざされたキャンプ場だ。
 来た道を上矢井田町まで引き返し、先ほど見送った茱萸谷池沿いの道の入り口へ。胸ほどの高さのゲートを乗り越える。出だしはコンクリート舗装の登り。そのうち深い溝が掘れたダートに変わる。宅地造成途中の土地を越え、新興住宅地の裏手を抜けると、茱萸谷池のほとりに降り立つ。
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 京都縦貫自動車道をくぐって、薄暗い林間の荒れたダブルトラックを行くと、先ほど沢で阻まれた道との合流点。せっかくなので沢を見に行く。目と鼻の先だった。ほんの数mが通れないために1時間近くも費やしたことになる。
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 そこからは谷が開けてやや明るい雰囲気になる。つつじヶ丘の住宅地の真裏で、そちらへの連絡路と思われる階段が左手に見える。道標の記述から、この道は「寒谷林道」という名称だということが分かった。
 しばらく行くとフェンスが立ちはだかる。背が高いので乗り越えられないが、脇に金網が破れた個所があり、そこを通過。つつじヶ丘の住宅地の中の道、住宅地の東側の道が合流して、穴太善峰巡礼古道が始まる地点だ。
 ここからは谷底の舗装路となり、ウォーキングしている人の姿見ちらほら見られる。
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 谷が広がり田んぼまたは畑が見えるようになる。さらにその奥に小さな集落が見えた。寒谷だ。かやぶきの家も見られる。
 寒谷集落を過ぎると、登り勾配が増し薄暗い林間を行くようになる。舗装はされているが曲がりくねった細い道。それでも2台のクルマが通過。峠への最後の登りはかなりの急勾配。ギア比の低いこのMTBでなければ押して登らねばならないところだった。15:40、万寿峠。標高442m。
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 万寿峠が現在の府県境。しかし、それぞれの府を表す標識がない。一般道ではないということか。ちなみに「林道森谷線(終点)」という表示がある。かつての巡礼古道は道路の分類上は林道ということのようだ。
 いよいよ越境合併の末、京都府から大阪府となった旧樫田村へと入る。ただし、少し下って「中畑回転場」という高槻からのバスのUターン場所で左折し再び京都府へ。京都市外畑町だ。小さな集落と、巨大な変電所が見える。その奥に、次の目標「小塩山」。
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 小塩山への登山道は、外畑町の畑の中の細い急坂。登っていくと、民家の庭先。そこを通過し、再び段々畑の中を行く。ただし、今は何も耕作されていない。
 畑から植林帯へ変わるところにまたフェンスが立ちはだかる。ビニールひもをほどいて通過。
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 植林の中の道はだんだん急勾配となる。しまいにはずり落ちそうな壁となって、山肌が立ちはだかる。植林の中なので踏み跡も不明瞭なものが幾筋も見られる。この先を見通し、登りやすそうなものを選ぶ。
 左手にトラーバースし、尾根道に出た。階段がつけられているので間違いない。関西電力の送電線の鉄塔の巡視路でおなじみの黒い樹脂で刻まれた階段だ。また、別方向、尾根沿いを登ってくる踏み跡も見られる。下りはこっちへ行ってみようか。
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 急坂を越え、頂上近くになるとトラバース道の区間が多くなり、頂上エリアへ到着。ふと足元を見れば「小塩山642m」の表示、17:03。そこは、淳和天皇陵の裏手。
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 小塩山はこれで3回目。過去にはいずれも裏側の洛西から登ってきた。そちらの麓から見上げると頂上部の無線アンテナが目立つので、そのアンテナを到達点としていた。そのアンテナ施設まで足を延ばしておく。
 さあ、暗くなる前に下山しよう。来た道を引き返す。トラーバース区間はそこそこ乗れる。がそのあとの急こう配区間はMTBを押して下るしかない。
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 植林の中の急な壁の上まで降りたところで、登ってきたのとは別の尾根道を下る。伐採されたところに降り立つと、打たれた枝で覆われて踏み跡がわからない。GPSレシーバーを頼りに道なき道を行く。麓は近い何とかなる、と信じていくとしっかりしたシングルトラックに出た。しかもMTBで下るのに気持ちいい勾配。急いでまたがる。ただし、登りにとおった道ではない。すぐに送電線の鉄塔の広場に出た。その先で急勾配の階段となり、木々の間にダブルトラックが見えてきた。登りで通った段々畑の間のシングルトラックを下ることを楽しみにしていたのだが、どうやらそちらを楽しむことはできないようだ。
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 ダブルトラックに降り立ち、少し行くと、本日最後のゲートを越えて外畑町集落にでた。登り口とは少し違う場所だ、18:02。
 乗車率は、40~50パーセントといったところだろうか。過去の2回は、花の寺「勝持寺」から舗装路で電波塔まで登り、淳和天皇陵道のシングルトラックから金蔵寺へ降りたのと、淳和天皇陵道を麓まで下りた。いずれもMTBで、り乗車率は今回と同じ程度だったと思う。
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 あとは舗装路のみだ。暗くなってきたのでライトを灯し、大阪府へ戻る。中畑の小さな集落を過ぎ小さな峠を越えると、左手にややまとまった集落が見えてきた。旧樫田村の中心、田能だ。クルマもそこそこ頻繁に通り、大きな建物も見える。5階建てよりも高いと思われるひときわ大きな建物は、高齢者の介護施設だった。
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 田能を左手に見ながら、西へ進む。薄暮の中「かしふね」という看板が見えた。こんな山の中で舟を貸すのかと思ったら、その先に「樫船神社」があった。樫田村の地名の由来になったもので、亀岡の鍬山神社と関わりが深いという。その鍬山神社は、通ってきた上矢井田町にあるという。やはり、もともとは南桑田郡、そして丹波の国亀山藩の所領なのだ。
 樫田トンネルを越える。杉生の集落を越えるとまた京都府が近付く。樫田トンネルから杉生側は亀岡へ流れる年谷川の水系。そのまま府道を行けば、川沿いを矢井田町に下れるのだが、クルマが通るこの道を行くのも面白くない。予定通り、もう少し西に進んで、亀岡CCのゴルフ場沿いの道を目指す。京都府に入り、亀岡市東別院町小泉の集落で右折。登り基調で東別院町神原の集落を過ぎる。そこまでは2台ほどのクルマとすれ違ったが、その先は亀岡市街まで全くクルマと出会わない真っ暗な道。
 神原集落を越えると登りがきつくなり墓地が一つのピークとなる。墓地を越えてもアップダウンを繰り返す。標高412mの竜ヶ尾山直下まで登り基調だった。
 道は台地の縁を行くようにつけらていて、右手はゴルフ場、左手には木々の向こうに亀岡盆地の夜景が広がる。すぐ下には京都学園大だ。
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 旧樫田村で標高270mまで下ったあと、再び400mを越えるまで上ったが、竜ヶ尾山を過ぎると一気に急降下。夜景をめがけて降りていく。
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 京都縦貫自動車道の上を橋で越え、側道を少し走って亀岡I.C.の交差点へ。ここからは国道372および423号線の重複区間から国道9号号線を一気に走り抜け道の駅にゴール、19:06。36.5km。(3月上旬)

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2015/03/03

大江山連峰大笠山東尾根散歩

 もうずいぶん雪解けが進んでいるのだが、金曜にまた寒波が来た。平野部は雨だが、山は雪だろう。仕方がない、もう一回行ってみるか。
 今回のターゲットは大笠山。 大江山連峰のもっとも北のピーク。山頂よりも、南斜面の「鬼の岩屋」のほうが有名で、縦走の場合も鍋塚か鬼の岩屋までという場合が多いので、山頂を踏む人は少ない。その位置関係から、宮津市街や宮津湾を見下ろす、大江山連峰唯一のピークである。ただし、天橋立は見えない。
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 宮津市外から南を見れば普甲峠から右手に緩やかに伸びる稜線の行き着くピークが大笠山。なだらかな尾根の真ん中あたりには、間隔を開けて4,5本のアンテナが並んでいる。 雪の状態は悪いだろうが、勾配が緩いからなんとななるだろう。
 2月28日、自宅から45分、大江山スキー場のある普甲峠へ。大平ゲレンデはほぼ全面、道路を隔てて対峙する大笠ゲレンデも半分以上地肌が見えている。1週間前まで営業していたとは思えない。
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 大笠山に登るには大笠ゲレンデを登る以外に、車道を行く手もある。山頂に国土交通省大阪航空局の管制施設があり車道が通っている。その車道を見に行くと、なんと除雪されている。どこまで除雪されているのか確かめようとクルマで入ってみると、すぐに対向車がやってきた。何とか離合できたが、そのあと除雪の道幅は狭まる。対向車が来ないことを祈りながら進む。1mほどの高さの除雪の壁に挟まれた路面には、昨日のものと思われる新雪がうっすらと積もっている。
 車道は稜線の南側を行く。稜線には大きなアンテナ施設が木々の合間に見える。もう大笠ゲレンデの最上部を超えているということだ。
 除雪された道が右にカーブして稜線方向に向かう地点に、広く雪を開けたスペースがあった。そこは分岐点で、直進方向、山頂の航空管制施設に向かう道は除雪されていない。右の稜線のアンテナ施設が除雪の目的のようだ。
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 そのスペースにクルマを止め、スタート地点とする。11:53、標高587m。
 未除雪の車道は、更に大きく稜線を南に外し、山頂の真南で直角に向きを変えて山頂に向かう。そんな遠回りをする気はなく、稜線を突き進むことにしよう。     まずは除雪された車道をスキー板を担いでアンテナ施設へ。
 隣接する2つのアンテナ施設の片方に除雪は続いていた。もう片方への分岐で雪の上にたち、スキーを装着して歩く。シールを使わず、ステップソールで行く。樹林帯に覆われた稜線。林の密度は高いが、落葉しているので明るい。北側は杉林で、宮津市街の眺望はほとんどない。ところどころ赤いリボンが観られ、よく見ると新雪の下に足跡があるようだ。雪の厚みは50cmほど。杉林が根明けしている。ただし、切れ目なく雪が覆っているので、スキー板を外す場面はない。
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 途中パンを食べる小休止。
 山頂手前で木々の密度がさらに高まる。歩き初めて40分ほどで、金網に囲まれた航空管制施設が木々の合間に見えてきた。監視カメラを意識しながらフェンス沿いに歩いて、その北側にある山頂へ。12:44、標高740m。
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 パラグライダーの滑走路と思われる木造の発射台がある。栗田半島や宮津湾がの眺めがいい。北西に磯砂山、久次岳、北に丹後半島の依遅ケ尾山、金剛童子山、高山、皷ケ岳、東に杉山、赤岩山、由良ケ岳。
 15分ほど山頂で過ごしたら、下山開始。管制施設を回り込むと南側に大江山連峰の峰々。白い鍋塚の輪郭を包むように黒い大きな千丈ケ嶽。その右側にやはり白い鳩ケ峰。千丈と鳩の間に赤石ケ岳が覗き、全て揃い踏み。
 うっすらとした新雪の下の根雪はクサレ気味で、特に山頂直下の密度の濃い林では大苦戦。勾配が極度に緩いのが幸いだが、何度もコケる。
 半分から下は、少し木々の間が開き、勾配も出て楽しめるが、あっという間にアンテナ施設に到着。その施設にはクルマが止まっていた。どうやら登り口ですれ違ったクルマのようだ。昼の休憩に下界に降りていたのか。
 また車道を歩いて自分のクルマに戻る、13:31。アンテナ施設にクルマが上がっているということは、もう対向車の心配はないだろうと、登りよりはリラックスして雪の壁の間の1車線をクルマで下る。
 さあまだ時間は早い。自転車で阿蘇海を一周しよう。
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2015/03/02

京都洛北の坂原峠・繁見坂そしてVIGORE

 2月も下旬となり急に暖かくなった。白かった山も黒い部分が増えてきた。そろそろ丹後でのスキー山行も一段落。自転車の季節が到来という雰囲気だ。しかし、まだ山間部の道は開通しない。山ではスキーができないほど雪解けが進んでも、除雪されない道では日当たりの悪い部分にはしつこく雪が残る。たとえ標高100m程度の峠道でもだ。
 というわけで南へ。京都の洛北、岩倉にある「VIGORE(ヴィゴーレ)」という自転車店。工房で作ったオリジナルの自転車を扱う自転車店に行ってみたい。その京都独自のブランドの自転車を2台持っている。
 1990年代、「自転車に乗りたい」「自転車にテントを積んで旅をしたい」と1,2年のインターバルをおいて2人の人から相談を受け、それぞれランドナーを薦めた。当時すでにランドナーの時代は終わり、丹後にはランドナーを扱う店などなく、京都市でも店は限られていた。たまたま2人とも、同じ店で京都ブランド「VIGORE」扱っていた店でランドナーを買った。15年ほど経ち、やはり2年のインターバルをおきながらそれが私のもとにやってきた。
 その京都ブランドの店が京都洛北にあり、オーナーの代替わりによってもうランドナーは作られていないとのことだが、一度訪れてみたいと思っていた。もちろん、そのブランドのランドナーで乗り付けよう。
 9時前にクルマにVIGOREランドナーを積んで京丹後市を出発、雪解けの進む与謝峠を超え、福知山から国道9号線へ。京丹波で国道をそれ日吉ダムへ。ダム湖沿いから桂川を遡る形で京都市右京区の旧京北町へ。国道477号線、府道、国道162号線とつないでいく道は、信号が全くなく、クルマも非常に少ない。小さな農山村の集落が次々と現れる。今朝は曇天、昨日までは黄砂に霞んでいた丹後と違い、空が青く、鮮やか。気持ちのいいドライブだ。
 最後はまた府道の京見峠を超えて鷹峰から京都盆地へ。市街地の移動をできるだけ少なくする作戦だ。京見峠周辺は非常に道が狭い。ところどころ離合スペースが設けられた完全一車線で、曲がりくねって見通しが悪く、杉林で薄暗く、閉塞感に満ちている。前後を走るクルマはなく、対向車も少ないのだが、だからといって気を抜けるわけではなく、いつ来ても対応できるように緊張し続けなければならない。ちょっと疲れた。道端には、わずかに雪が残る。
 御土居を横目で見ながら鷹峰街道を南下し、仏教大学前から市街地を東に進み、鴨川の手前北大路通りのすぐ南の紫明通りの市営駐車場に、クルマを入れる。広い中央分離帯が公園や駐車場として利用されている。時刻は正午すぎ。丹後から3時間半だった。
 クルマの荷台からVIGOREランドナーを下ろす。今日はブロックタイヤのホイールだが、後輪がガタついている。先日、同じような状態だった別の自転車、山口ベニックスの後輪の軸が折れた。このままだと、こちらも折れてしまう恐れがある。以前から気になる症状だったのだが、ナットを締めれば後輪が回りにくくなるし、緩いとガタつき、どうしていいのかわからなかった。それがベニックスの軸が折れたことを踏まえて仕組みがわかった。ダブルナットでちょうど良いポジションに固定するのだ。いったんフレームに装着したホイールを外す。ひと通りの工具はクルマに積んである。ダブルナットの片方は17mmの普通のスパナでいいが、その相方を締める15mmの薄いスパナがない。2組のスパナセットがあるのに、片方はサイズが合わず、もう片方は厚みがあってダメ。ナットに合わせて調整できるモンキーレンチも、当然厚みがあってダメ。とりあえず今日はごまかして乗って、帰り道にでもスパナを買おうか、などと思い始めた頃、ペダルレンチが合うことが発覚。これできっちりとダブルナットを締めることができた。これは、25年前に買ったブリヂストンユーラシアツーリングについていたものだ。輪行の時にペダルを外すためのもので、携帯用に薄く作られている。そのユーラシアももちろん現役。クロモリフレームのランドナーの寿命は長いのだ。
 結局、自転車で走り出したのはクルマを止めてから1時間後の13:18。まずは東へ。歩道には自転車用レーンが設けられ、色が塗り分けられている。が、左の細い道からのクルマの飛び出しが怖い。また、大学がひしめき合う土地柄、若い男女が自転車で行き交う。
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 鴨川に突き当たったら少し北上し、北大路橋を渡る。大きな通りを避け、疎水沿いを行く。再び北大路通にもどり高野橋で高野川を渡る。三条や四条とは少し違う趣の河川敷。何が違うのだろう。周囲の建物が低く、しかも川まで迫っていない。それに背景の北山の山並みが近いということか。
 腹ごしらえをするために東大路通を北上。クルマや自動二輪に気を取られたせいか、目当てのラーメン屋をいつの間にか通り過ぎてしまった。でもそこは京都を代表するラーメン激戦区、一乗寺。良い感じの店はないかとキョロキョロしながら走るが、開いているのかどうかわからない店や行列ができている店を見送るうちに北山通りに合流、いつしか岩倉へ。八幡前駅の手前で叡山電鉄の踏切を渡り細い道になってしまい諦めてコンビニエンスストアにでも入ろうかと思っていたら、餃子の王将岩倉店を発見。昼飯にありつく。
 細かい道順にはこだわらず、岩倉を北上して村松町へ。前方には少しだけ雪を残した山が見える。愛宕山の方向だろうか。
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 住宅街の景色が突然畑に変わり、道標にしたがって坂原峠を目指す。やっぱり市街地を走るだけでは芸がないし、何しろ面白くない。やっぱり、お楽しみがないとね。というわけで畑を抜けるとすぐにダート。所々ガレたりぬかるんだりしている登り坂だが、なんとか乗車でいける。自動車の轍の他、MTBかそれともエンジン付きのオフロードバイクかの轍も見られる。箕ノ裏ヶ岳への分岐を過ぎて更に行くと、本来は脇を流れているはずの沢が道の真ん中を深くえぐった区間に行き当たった。当然クルマの轍はその手前で消え、沢と化した道の上に両側からブッシュが覆いかぶさっていトンネルのようになっている。
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 ランドナーを押してブッシュのトンネルを抜けると杉林となり、少し路面は落ち着くが、ところどころ溝が掘れたりガレたりしているし、勾配もきつくなってきているので、ほぼ押していく。やがてシングルトラックとなった。
 峠までもう数百mなのだが、やはり荒れているのでなかなか進まない。道が消失しているところもある。
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 峠のすぐ手前で、幅、落差共に1m程の大きな溝がシングルトラックを横切っていた。その溝に降りる踏み跡があるものの、対岸には登っていけるような足がかりがない。周囲を見ながら、しばらく考える。足元には小さな石仏があるが、パーツがバラバラにおかれているので気づかなかった。
 分かった、その溝が峠へ至る道なのだ。溝の底に降り、ほんの少しの登りで峠に到着。そこは墓地となっている。
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 傾斜地にある墓地の最上部まで登ると市街地を見下ろすことができた。しかし、高齢者がお参りをするには大変だ。
 静原側はコンクリート舗装の、細道。クルマの離合ができる場所は少ない。盆や彼岸などの墓参りの時期は大変なんではないか。
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 あっという間に田んぼの広がりに出た。山の際には水車が回る。農道で静原川を渡って、府道に出た。右折すれば江文峠を経て大原へ向かうが、ここは左折。市原川の流れとともに下る。クルマが通るのでストレスを感じる。早くクルマのいない道に行きたい。
 鞍馬・木船方面への分岐の手前で川を渡って住宅街に。家の間のダートのダブルトラックへ。取り付きは旧坂で少し押す。そのあとはいい感じの林間のダート道。林の向こうには静原川の流れを感じる。対岸の府道を走っていたときとは打って変わって、生き返ったような気持ちだ。
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 しばらく行くと山裾の畑が広がる場所に出た。目指す繁見坂への道はシングルトラック?ダブルトラックと思っていたんだけど。農作業の高齢の男性がいたので聞いてみる。「ホンマは川沿いをもう少し行くんやけど、木が倒れたりしているから、こっちを行ったほうがええ」とシングルトラックのほうを指さす。なるほど、両方あるんだ。そうとわかればシングルトラックへ。
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 すぐに林間に入り、シイタケの栽培地を押して登る。すぐに登りは落ち着き、水平になる。気持ちよく乗れるシングルトラックだ。
 GPSレシーバーを見ると、すでに標高200mを越えている。繁見坂と呼ばれる峠は、ピークと少しずれているようだ。
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 左から道が合流したらダブルトラックとなる。先ほどの男性の言っていた道のことだろう。下りに変わる。しばらく行くと、金網のゲートがあった。人や自転車は脇を抜けていける。その代わり、扉は施錠されている。動物でなく自動車や自動二輪の通行を防ぐもののようだ。
 その先スピードを上げて下ると、路面は舗装に変わり佛教大学のグラウンドの脇を抜けため池へ。水面にぼんやり比叡山が映っている。
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 そのため池からの流れに沿って岩倉の街並みを下っていく。岩倉川だ。下るにつれて家々の間に緑が少なくなっていく。
 白い電車が行くのが見えた。叡山電鉄岩倉駅で川沿いの道が線路にふさがれるため少しだけ迂回を要する。ここも比叡山に見下ろされている。
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 さらに川沿いを下っていくと、宝ヶ池通に出た。すぐ東にあるのが「VIGORE」京都本店。
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 残念ながらオーナーは不在だったが、店にいた女性(オーナー夫人か?)と少しお話をする。すでにランドナーは扱われていなくて、ロードレーサー、クロスバイクなどが並んでいる。どれも、落ち着いた色合いだ。VIGOREオリジナルのハンドルグリップを購入。
 ちなみに、現在私のもとにある2台のVIGOREランドナーはいずれも「キヨセ」という店で買われたものだ。チェーンステイに「Produced by Kiyose」というステッカーが貼られている。当時は卸売もしていたようだ。というわけで里帰りとは言えないが、一族の本家を訪れることができた。
 VIGOREを後に、宝ヶ池公園で岩倉川を渡り、さらに高野川右岸を南下。川沿いの道は走りやすい。
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 その川沿いの道が北山通の南側で途切れるので京都工芸繊維大学の脇へ迂回。再び高野川沿いを南下し、疎水沿いの道へ。その後は来た道をたどって、17:12紫明通りの駐車場へ戻る。28.2km。
 夕方で交通量が多い。田舎道ばかり運転しているものは、特に都会の二輪には注意しないといけない。どうにか無事に鷹峯から京見峠へ。夕暮れでヘッドライトを点灯。林間の曲がりくねった狭い道ではかえって対向車がわかりやすい。帰路もやっぱり、3時間半。

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