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2015/01/23

あれから20年

 前の記事に書いた雪崩事故の起きた日のメディアは、阪神淡路大震災の話題が多数報じられていた。震災から20年と言う節目にあたるため、成人の日以降、TVなどでは特集が組まれ例年よりも多く話題になっていた。
 今から2ヵ月半前の昨年11月初めに、神戸の「人と防災未来センター」、そして震災の爪あとの残る街めぐりをしてきたので、そのとき見てきた現場について地震の時、あるいはその直後の混乱の様子や、その後の復興のことなどTVでまた詳しく説明されて、個人的にもかなり印象深いものだった。
 その阪神淡路大震災と一緒に思い起こされる記憶がある。震災の3日前の出来事だ。
 当時は成人の日が1月15日で、1995年はその日が日曜なので16日の月曜が振り替え休日、つまり土日月の3連休だった。その連休初日の14日、このブログにコメントをくれる「すうさん」と、神鍋高原にゲレンデスキーに出かける約束をしていた。目的地はアルペンローズスキー場。
 正月になっても雪不足でろくに営業できていなかったスキー場に待望の雪が降ったのだが、なんと警報が出る大雪。雪道でなければ1時間あまりで到着できる神鍋高原まで、4~5時間もかかってしまった。もちろん片道である。復路は駐車しているうちにタイヤが雪に沈んでスタックしてしまったクルマを脱出させる時間も加わり、もっとかかった。
 日中も雪が降り続きスキー客は数名、リフトの係員などスキー場関係者のほうが多い状態だった。
 で、それが初めて山スキーの道具で滑った日。前年の11月に京都の店で買ったものだ。当時はまだバックカントリースキーを楽しむ人は少なく、今と比べると道具の使い買ってもいまいち。正直言って、ゲレンデスキーと比べて随分滑るのが難しかった。
 ちなみに、デビューは、その年の5月、道具を買った京都の店の主人とほかの客と一緒に、いきなり立山だった。
 さて、その14日の大雪のおかげで神鍋高原などのスキー場には十分な雪が積もり、良好なコンディションとなったわけだが、3連休明けの早朝に大きな地震が起こり、直接被災しなかった人も自粛ムード。スキー場は、雪があっても来場者は少ない状態だった。
 ようやく客足が出てきたのは、2月の建国記念の日のあたり。リフト待ちの列に並んでいたらこんな声が聞こえてきた。「おい、お前の家傾いているのに、こんなところに来ていいのか。」心の中で「いいよ」と答えてしまった。周囲もそういう気持ちだったと信じている。
 あれからもう20年も過ぎてしまった。すうさんは丹後を離れ、アルペンローズスキー場は閉鎖、山スキーを買った店は閉店、私自身のスキー登山はテレマークスキーが主となった。
 20年前、スキー登山の最新情報を得ようと思えば、「岳人」誌の「山スキー特集」を読むくらいだった。スキー登山について書かれている本は少なく、雑誌もなかった。岳人の特集は、だいたい毎年2月号で、天気も雪も安定した残雪期がスキー登山のシーズンだった。春のぽかぽか陽気にザラメ雪を滑る、そんなイメージ。登山の形態としては、岩登りや厳冬期の雪山などとは違う、比較的穏やかな山行きの形態だった。
 それがいつしか、新雪、粉雪を滑ることが大きな喜びとされるようになり、関連の本、雑誌での扱いが増え、「バックカントリー」「パウダー」という言葉がよく使われるようになった。それから、インターネットの存在も大きい。それを楽しむ人が増えればネット上の書き込みが増え、さらに人が増える。危険を伴う厳冬期の雪山へ挑む形に変わっていった。

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