2019/01/10

「猪突猛進」でなく「勇往邁進」!?でも本当はぼちぼちと行きたい

 5月に元号が変わる。つまり4月いっぱいで平成が終る。
 平成元年の春に買ったランドナー、ブリヂストン「ユーラシアツーリング」に乗ってみた。もうすぐ満30歳。東海道、信州、九州、四国、北海道と日本各地を走った自転車も、一線を退いて10年余り。乗る機会はめっきり減ってしまったが、まだまだちゃんと走れる状態だ。
 平成元年春のブリヂストン自転車のカタログにはユーラシアでなく、その後継モデルのトラベゾーンが掲載されている。私のもとにあるユーラシアは、おそらく最終モデル。昭和のうちに製造されたものの在庫だったかもしれない。
 とにかく平成が終わっても、ユーラシアは終わらない。
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 また、今年2019年は亥年ということで「猪突猛進」という言葉が聞かれる。今年の抱負として使われる場面も見られる。でも、それでいいの?と思ってしまう。
 辞書を引けば、以下の通り。

【猪突猛進】
[名](スル)周囲の人のことや状況を考えずに、一つのことに向かって猛烈な勢いで突き進むこと。「猪突猛進して敵の策にはまる」
(デジタル大辞泉)

【猪突猛進】
意義素:知性が欠けており、単純な行動や思考しかできない人
類語:物事を深く考えない人 ・ 猪突猛進タイプ ・ 単細胞 ・ バカ正直 ・ 直情径行 ・ 猪突猛進 ・ 単純な人 ・ 単細胞人間 ・ 素直過ぎる人 ・ 直線的な人 ・ 一本調子な人 ・ 向こう見ずな人 ・ 無鉄砲
(Weblio類語辞書)

 「今年は猪突猛進します」と宣言している人が結構多い。芸能人やスポーツ選手なら「ろくに勉強せずに大人になってしまった人達だから仕方ないな」と思う反面、たくさんの人が目や耳にすることで誤用が当たり前になってしまう影響力の大きさが気にかかる。
 さらに、まじめな場面で、あるいは政治家や弁護士などお堅い立場の人でも猪突猛進が良いことを表す言葉のように使っていることがある。意味をよく知らないのに雰囲気だけで選んだ言葉を今年の抱負などにに使うことは、まさに猪突猛進だ。時には他者に対し「猪突猛進してください」などと使われている場合もある。これは失礼だろう。メッセージを強めるため敢えて悪い言葉を使うのであれば、アントニオ猪木の「馬鹿になれ」の方が潔いし、誤用しているのではないか、という疑いをもたれなくて済む。ただし亥年とは関係なくなってしまうが。
 まあ「勇猛邁進」のように使っているつもりなのだろう。
【勇往邁進】
[名](スル)目標に向かって、わきめもふらず勇ましく前進すること。「全国制覇をめざして勇往邁進する」
(デジタル大辞泉)

 というわけで、私としては猪突猛進せず勇猛邁進する、といいたいところだが、本当のところは無理なくぼちぼちと進んでいきたい。

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2018/12/31

2018年バイクライフ総決算(走行距離は過去最高)

 自転車の年間走行距離は、3772kmで過去最高。走行日数も208日と2番目に多い記録で、週4日ペース。1月、2月、3月、8月、10月に泊りがけのツーリング。10年ぶりの海外ツーリングも敢行した。丹後半島一周は、春と秋に2度走った。また、京都市のランドナー専門店主催のツーリングに4度参加した。
 次に車種別。
 1位は、VIGOREオリジナルランドナーフラットハンドル仕様、1141km。1000km越えで一位返り咲き。春と夏の北海道、秋の信州、そして丹後半島一周などの日帰りツーリングでも活躍。
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 2位は、山口ベニックスのランドナー、804km。基本的には家から走り出すお散歩自転車。でも、4月にはランドなんー専門店のツーリングで、近江の国野洲に出向いた。2016年の春先にリアエンドとリアディレイラーの損傷をして以来、強引にディレイラーハンガーなどで応急処置をして乗っていたが、暮れにエンドを修正。完全復活を果たした。大晦日に800kmの王台に乗せた。
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 3位は、MTBのTrek6500で約651km。1月に瀬戸内「かきしま街道」、角島、関門海峡の遠征。泥除けがないので輪行に重宝する。秋の丹後半島一周など日帰りでも活躍。ブロックタイヤ装着の走行は皆無で、スリックタイヤで舗装路を走るのみ。MTBとしての性能は発揮できなかった。
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 4位は、クロスバイク「SPECIALIZED SIRRUS」で、約415km。前半低迷していたが、ノーパンクタイヤから空気タイヤに戻して、走行性能がアップ。輪行はしなかったが、クルマに積むにも泥除けがないので手間がかからない。
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 5位は、折り畳み小径車で約406km。スーパーカブの荷台に乗せて出かけていたが、今年は新たなトランスポーターが登場。自動二輪車HONDA CD250Uだ。夏には新コンビで北海道ツーリングを目論んでいたが、天候不順により自動車とランドナーのペアにとってかわられてしまった。かつて、スーパーカブとのコンビネーションで北海道を2度訪れ、年間1300km走ったこともある。
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 6位ランドナー「ブリジストンユーラシアツーリング」、131km。去年は全く乗らなかったのだが、久しぶりの出番。ランドナー専門店のツーリングに参加するため、2年ぶりにフレームにホイールを装着した。そのツーリングは雨で流れたが、試運転をしたのと、せっかく復活させたので何度か乗ってみた。
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 7位レンタサイクル「GIANTの29インチMTBスリックタイヤ仕様」、124km。2月に台湾を訪れた時に2日走った。ただし、それぞれ別の車体だったが、同じ車種なので1台として計上。
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 8位もう一台のVigoreオリジナルランドナー(ドロップハンドル仕様)、101km。こちらも一昨年以来の登場。ランドナー専門店のツーリングで、3月の京都北山、11月の豊岡・出石コウノトリ。
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 番外として、スーパーカブは約1000km、CD250Uは約2000km。エンジン付きのバイクよりもエンジンのないバイクによく乗った年だった。
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2018/12/27

山口べニックス復活

 3件前の京都桂川自転車道の記事の通り、40年前の山口べニックスランドナーのリアエンドの変形を修正してもらった。
 2016年3月、走行中にリアディレイラーがスポークに入ってしまったのだが、その後2年半以上、汎用ディレイラーハンガーと余っているディレイラー「DeoreDX」で何とか乗り続けていた
 輸送のために外していたフロントフォークにハンドル、サドル、ペダル、チェーン、そしてリアディレイラーなどを装着し、走行可能な状態に再現した。が、ヘッドセットのボールリテーナー(ハンドルが滑らかに切れるためのベアリング)が落ちてしまっている。上下に2つ必要なのだが、一つは車庫の中で発見。もう一つはどこにもない。どうやら京都市内でフレームを背負って走っているときに落としたらしい。
 20年位前までは、別のランドナーで、フロントフォークを抜いての輪行を何度も行っていたのだが、潤滑剤であるグリースの粘りで落ちることがなかった。しかし、べニックスにはもうグリースがなくなっている。
 試しにボールリテーナー片方だけでフロントフォークを組んで乗ってみたが、ライダーの体重がかかることによる摩擦力で、ハンドルが重い。かなり力を込めないとハンドルが切れないので、その勢いでバランスを崩して危険だ。ちなみに上下それぞれで試したが、どちらが欠けても駄目だった。通販サイトで見ると、ボールリテーナーだけなら2個セットで700円余りと安い。すぐに注文。
 ボールリテーナーが到着し、装着。グリースも忘れずに。ハンドルは問題なく切れる。
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 リアディレイラーはべニックスにもともとついていたCRANEをつけてみた。ガイドプレートがゆがんでいるので実際に使えるかどうかのテストだ。どうにかすべてのポジションにチェーンはかかったが、アウター・ローの状態、つまりガイドプレートが最も伸びた状態ではゆがみの影響が強く出る。チェーンの流れも悪いし、ガイドプレートが後輪のスポークに当たる。実質使う必要のないアウター・ローを禁じ手にすればいいという考え方もあるが、やはり何かのはずみでまた破損してしまう恐れがあるから、これは使えない。また、もともと24Tだったローギアを28Tに変えているので、キャパシティの問題もある。一応シフトできてはいても、厳密にはキャパシティオーバーであるはずだ。
 ランドナーのレストア(再生)が得意な店、ナニワ銀輪堂に「CRANE GS」の中古パーツの在庫が7150円で出ている。パンタグラフまではCRANEと同じで、ガイドプレートを長くしてキャパシティを広げたモデル。これならば、すべてを解決できるではないか。
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 ちょうど大阪へ行く予定があったので、ナニワ銀輪堂を訪れたが、残念ながらすでに売約済み。現物を見ることだけはできた。
 仕方がない、損傷の後2年半使っていた、DeoreDXを使うことにする。べニックスの変速はリア5S。リアホイールのシャフトの長さは5Sのフリーに合うように、さらにそのシャフト長に合うようにフレームが作られている。ところが、DeoreDXは7Sモデル。それに合わせて7Sのボスフリーを無理矢理に使っていた。でも、改めて考えればそんなことをする必要はない。もともとシフトレバーにインデックス機能はないし、ディレイラーのアジャストボルト(可動範囲調整ボルト)で調整するだけでいいのだ。もともとの5Sのボスフリーに戻して使う。
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 というわけで、ようやく復活。とりあえず、久美浜湾一周を走ってみた。ちょっとしたアップダウンもある18km。チェーンが軽く引っかかる場面があったが、ディレイラーのせいではない。チェーンの長さを調整するため、ミッシングリンクを2セットも使っているのが原因かもしれない。アウター・ローの状態のときのみに起こるので、ガイドプーリーにかかりにくいことが疑われる。この点は調整が必要だが、とりあえずディレイラーは大丈夫そうだ。
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 また、ガイドプレートが曲がったCRANEも、あきらめたわけではない。キャパシティの問題で使うことはないかもしれないが、修正を考えている。自転車屋かオートバイ屋経由で鉄工所に頼めば何とかなるのではないか。

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アバランチナイトin大阪

 雪のシーズンの始まりを告げる、特定非営利活動法人「日本雪崩ネットワーク」主催のアバランチナイト。雪山での注意喚起する雪崩安全セミナーだ。全国の主要都市や、長野、新潟、富山など雪山に近い地域で開催されることもある。伯耆大山に近い米子で開催されたこともあるし、ワンダーフォーゲル部との協賛により大学で開催されることもあった。
 ほぼ毎年開催される大阪会場。今年の12月12日に駆け付けた。昼過ぎに勤務を切り上げて丹後を出発。クルマで2時間だが、福知山での昼食に30分、15時半過ぎに篠山市へ。JR篠山口近くのコインパーキングにクルマを入れ自転車を準備。毎日のように雨が降る日本海側からはるばる南下してきたので、自転車に乗っておこう。
 福知山を過ぎたくらいから雨は止み地面は乾いた状態だったのだが、なんだか空が暗くなってきている。走り出したら、弱い雨が降ったり止んだりする空模様となった。クルマが通らない田園の中の農道などをつないで南下。南矢代、古市の駅を過ぎ、草野駅手前で折り返し、武庫川沿い北上し南矢代からはほぼ来た道を戻る。16㎞程。
 前後のホイールとリアの泥除けを外し、自転車を1分でクルマにクルマに積む。速足で篠山口駅へ向かい、17時9分の大阪行きの区間快速列車に滑り込む。何とか間に合った。
 大阪駅で環状線に乗り換え。ぎゅうぎゅう詰めだったが、京橋で少し余裕ができ、鶴橋からは座れた。19時前に天王寺駅下車。夜空にそびえるあべのハルカスを見ながら、800m歩いて、19時5分阿倍野区民センターへ。オープニングの映像が始まっていた。
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 2006年の初参加からアバランチナイトには10回近く参加している。19時から21時までの2時間のうち、前半は雪崩学概論というべき雪や雪崩の基礎知識と安全対策について。休憩をはさみ、後半は昨シーズンの雪崩事故の事例報告。もちろん、北アルプスの立山連峰などアバランチナイト直前の11月下旬等に発生した事故についても、速報として調査報告が行われることもあった。
 前半については毎年変わる内容ではないため、言い方が悪いがマンネリの感もあった。後半の事例報告だけでも駆けつける値打ちがあり、年によっては後半のみの参加ということもあった。
 しかし今年は、「バックカントリーの雪崩対策:7つのステップ」というタイトルで、我々が事前にどんな知識・技術・体力・装備を身につけ、どんな訓練をし、さらに山ではどんな行動をとるかということをまとめた講演内容だった。救護については7段階の内の最後の1ステップ。山に入って救護とむしろ同等かそれ以上に大切なのは周りをよく見て、気づくこと。雪崩に巻き込まれないことが第一なのである。
 後半の事例報告について。昨シーズンの事例からは、2018年1月20日の白馬連峰の小蓮華山・船越ノ頭のみ。昨シーズンは事故が少なかったようで、JANの公式サイトにも前述の船越ノ頭を含めて2例しか掲載されていない。公式サイトの報告は事故直後の調査結果の速報であり、アバランチナイトではその後の聞き取り調査の結果などが加えられてより詳しいものとなっている。
 昨シーズンの事故が少なかった代わりということかどうかわからないが、2013年11月23日の立山連峰真砂岳と2017年3月27の那須岳の事故についての話があった。ともにニュース等で大きく報道され、過去のアバランチナイトでもそれなりの時間を割いて触れられた内容である。
 それぞれ起こったことの説明がされた後、世間の反響や講演している「でがわあずさ氏」の考えなどが語られた。
 真砂岳の方は、「その瞬間、現場付近にいて、他のパーティーが救護に駆け付けているのを見ていたのだが、あまりの雪崩のすさまじさに恐怖を感じて自分は救護に参加することができなかった。自分は間違っていたのだろうか」という人がいたのだが、それは間違いではない。インターネット上で、救護しなかった人を批判する発言が見受けられるが、そちらの方が間違っている、とのこと。
 那須岳の方は、栃木県の高校の山岳部の合同合宿であったということもあり、指揮を執った部活の顧問の責任が問われ相当に叩かれている。しかし、当日の天候により那須岳登山の予定を変更し、スキー場内での訓練にしたことは正しい判断。でも、危険な雪崩の走路を登りルートとしてしまった。ベテラン登山者が「なぜそのような危険なことをしていたのか」と思われるような行動をとり、事故に遭遇した事例はいくらでもある。誰でもミスをする。私も、那須岳の事故の   後の調査の時には、危険地帯に長時間滞在していた。事故にあった人を批判したり、愚かだと見下したりするのは全く意味がない。自分も同じことを起こす、そう考えることが大切。
 実はこの話は過去にも聞いていた。前者の真砂岳の現場にいた人の疑問は直後の大阪でのアバランチナイトの最後の質疑応答で出てきたものだし、校舎の那須岳の話もやはり昨年の大阪会場で出た質問に対する答えだった。
 アバランチナイトの海上で落ち合ったすうさんと、地下鉄で梅田に移動。ラーメンを食べてから、阪急電車へ。川西ですうさんが下車。ここから自宅まではオートバイだそうだ。私は宝塚でJRに乗り換え。30分に一本の篠山口行きが、ちょうど出たところ。25分ほどホームで待って、篠山口まで行く便の最終の一本手前の列車に乗車。篠山口到着は日付が変わっていた。帰宅は2時過ぎ。

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2018/12/23

湖北の初冬~入部谷越と安曇川の流れ~

 先日、メタセコイア並木の紅葉を見に訪れた琵琶湖の西北部高島市マキノ。ちょっと遠いけど、十分日帰り可能だし、ご当地ラーメンチェーン「ちゃんぽん亭」で近江ちゃんぽんも魅力的だ。現在は合併により、同じ高島市でも今度は南の高島、安曇川、新旭、朽木を巡るコースを設定。今津はアプローチで必ず通る。これで、合併前の5町1村を制覇できる。
 12月15日土曜日は、朝のみ舞鶴で勤務。9時半過ぎには自由の身になる予定だったのだが、必要な資料を忘れて行ってしまい、その再現に1時間を余計に費やしてしまった。うーん、日を改めようか。でも、冬季閉鎖区間があり、今日は貴重な晴れの日だし、延ばせば本格的に雪に閉ざされてしまう恐れがある。すでに冬季閉鎖の期間に入っているだろうが、まだ積雪はわずかで突破可能という感触だ。というわけで10時半に出発。若狭から近江今津へ。例によって近江ちゃんぽんで腹ごしらえをして、湖岸道路を少し南下。道の駅しんあさひ風車村のはす向かいにある源氏浜駐車場にクルマを止める。寒いのに、椅子やテーブルを並べてデイキャンプを楽しむグループが複数見られる。
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 さて、自転車を準備。濡れた路面でもしっかりと水撥ねをガードしてくれる泥除けが付いたランドナーが今日のパートナーだ。
 湖岸道路をさらに南下。師走の太陽は低く南寄りのため、斜め前方からの日光で湖面がキラキラと輝いている。安曇川を渡る。河口手前で二股に分かれているので北流を越えてしばらく進み、今度は南流を越える。この安曇川が作った扇状地が半円状に琵琶湖に突き出し、その上に高島、安曇川、新旭の市街地及び田園が広がっている。扇状地の縁はアップダウンのない平坦なコースとなっている。対岸には伊吹山。もうすっかり冠雪して白い。
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 新旭から安曇川を過ぎ、高島で西に進行方向を変え内陸へ。和田打川、鯰川といった小さな川が並行して、それぞれ琵琶湖に注いでいる。いったんひとつの谷まとまりながらも合流せず、扇状地に入ると放射状に広がって、その後つかず離れずの関係を続けている。この辺りは田園地帯であるため、用水路として人工的に流れを決められた川なのかもしれない。
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 正面にはうっすらと白い蛇谷ヶ峰(じゃたにがみね)が、どっしりとそびえている。向かって左の方にはさらに白さが際立つ山が見える。武奈ヶ嶽かと思ったがその手前の釣瓶岳だった。蛇谷ヶ峰の向かって右側、つまり北側の中腹が当面の目標地点だ。扇状地の南端、伊黒集落の谷へと入る。進路を右、つまり北寄りへと変えていかなければならないのだが、そちらの方向に分岐する道はやけに細い。農道である。舗装されているが、かつてはあぜ道だったものだろう。シカ、イノシシ、クマ、サルなどを敷設防ぐゲートを越えて進むが、鴨川の流れに阻まれる。対岸に渡らねばならないが橋がない。そうだった、谷に入る前に左岸に渡っておかねばならなかったのだ。隣接する別の川に混乱させられてしまった。
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 上拝戸まで引き返し、鴨川を渡って武曽へ。気になる看板を発見。県道295号線の通行止めを告げている。その県道に入るとさらに具体的に、通行止めの区間と距離が示されている。要するに峠の入部谷越にあるトンネルの手前が通れない。もともと冬季閉鎖を示す看板の「冬季」の部分を「当面」に変更してある。夏から秋の前線や台風による被害なのかもしれない。もちろん、撤退はしない。自転車なら通れると信じて進む。ダメなら引き返すだけのこと。まだ現場を見ないうちに判断するのは早い。
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 集落内からすでに細い県道は、鴨川の流れを左に見ながら山間部へと進んでいく。対岸の農道と変わらない道幅だが、ずっと続いていくという雰囲気がある。何度か通行止めの看板のわきを通過し、登り勾配が増す。
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 山林に入りしばらく行くと道が大きく蛇行し、ヘアピンカーブを経て折り返す道が上方に見えるが、路肩が崩落し青いシートがかぶせてある。あれが通行止めの原因か。実際その現場まで登ってみると、かろうじてクルマも通れるだけの幅は残っている。ここが通行止めの根拠かどうかはまだ判断できない。通れないことはなくても安全のことやさらなる崩落を防ぐために通行止めにしているのかも知れないし、この先にもっとひどい個所があるのかも知れない。
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 少し先にまた路肩が崩落した箇所があった。一つ目よりも規模が小さい。
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 標高200mを越え、道路の周囲にちらほらと白い雪が見られるようになる。登るにつれ白い部分が増していき、標高300mを越えると道路を薄い雪が覆っている区間も出てきた。雪の層は薄く、湿っているので、そのまま乗車でいける。
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 標高400mに近づくと、木々の間に安曇川扇状地と琵琶湖が見える。しかしブッシュが邪魔だ。
 ようやく景色が開けて写真撮影ができた。対岸の伊吹山がピンク色に染まっている。
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 カーブミラーの先、広く路面が雪に覆われている。と思いながらカーブを曲がってみると、トンネルが口を開けていた。入部谷越(にゆたにごえ)に到着だ。通行止めの根拠は、先ほどのビニールシートで覆われた路肩の崩落だったようだ。
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 クルマがすれ違えない狭いトンネルを越える。かつての町村境のトンネルを抜けると、そこは雪国だった。そんな、ベタな表現がぴったりな景色だった。旧朽木村。朽木スキー場だ。明らかに旧高島町側よりも雪の量が多い。路面に5cm以上積もっている。でも未除雪区間はわずか。直ぐに通行止のゲートがあり、それを越えると、つまり通行止区間を抜けると除雪されている。ただし営業できるほどの積雪ではなく、スキー場は閑散としている。職員の姿もない。16時46分、ちょうど日没時刻。
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 すでにフリースの防寒手袋を着用していたのだが、下りに備えさらに厚手のものに交換。
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 スキー場を過ぎてしばらくは、今朝積もったと思われる雪がほんの少し路面に見られるところもあったが、下るにつれて雪はなくなった。ただし、かなりの急勾配。スピード抑えないと、フルブレーキでもすぐには止まれない。
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 徐々に体が冷えていく。10分ほどで、朽木村中心街が見えてきた。が、その手前で右折、中心街をショートカットして安曇川沿いの県道23号線へ。薄暗くなってきたので、ライトも装着、点灯。
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 下り基調なのでスピードアップ。扇状地の高島市の中心部と旧朽木村を結ぶメインルートなので、結構クルマが通る。前後にライトを付けているので、追い越すクルマは大きく避けてくれる。ただし、景色はもうほとんど見えない。この朽木渓谷は紅葉の名所であるらしいのだが、もう終わっているので見えなくてもまあいい。
 渓谷の区間を過ぎ、開けた扇状地に出たら、川をそれて左、つまり北方へと向かった方がクルマを止めた源氏浜への近道なのだが、暗いし寒いしあまり地図を見たりコースを考えたりする気が起こらず、安曇川右岸の県道を道なりに進んでしまう。ほぼ平坦になり積極的にペダルを漕がねば進まなくなったので、手袋を戻したのだが、やはり手が冷たくて厚手のものを装着。あとつま先も冷たい。
 結局安曇川よりも南側で湖岸道路に突き当たり、源氏浜へ向けて北上開始。すっかり夜の道を走り、駐車場へ。帰宅後に地図で確認すれば、県道を道なりよりも、北にそれる道を選べば、クルマも少なく寒い夜道を3kmほど短縮することができたはず。
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 走ってみれば、なかなかいいコースレイアウト。湖畔ルートに始まり、田園地帯を経て、程よい峠越え。通行止区間もあったが自転車の走行には支障なく、峠付近の展望もいい。後半は下り基調の川沿いコース。暗くてよく見えなかった朽木渓谷の景色も見たいし、季節を変えて再訪するのもいいかもしれない。
 12月中旬、14:25~18;12、約50km

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2018/12/22

京都桂川自転車道

 11月23日に予定されていた滋賀県マキノのツーリングが時雨で中止となって残念。個人的には後日にリベンジできているのだが、グループで走る機会が失われたのは惜しい。ロードレーサー全盛、ハイスピード&ロングディスタンス至上主義が主流の現在、のんびりペースのツーリングを共有できる機会がめっきり減ってしまった。以前は、こんなことではなかったのに。
 でも、マキノのツーリングを主催したのランドナー専門店「アイズバイシクル」では、ほぼ毎月第2日曜に、朝サイクリングを実施している。大概は、京都の北山が舞台となるのだが、この秋の台風で山間部の道が思うように走れない。というわけで、12月には桂川自転車道を走る計画が発表された。それに申し込みをした。
 12月9日、5時半過ぎに京丹後市の自宅を出発。まだ真っ暗で、家の周り、一部にうっすらと雪が積もっている。昨日の日中はみぞれだったが、夜になって雪となった。そして、家のすぐ近くの山間部では昨日の日中から雪で、当然道路にも薄く積雪。除雪が出るほどではないが、先日新調したばかりの新しいスタッドレスタイヤが活躍している。
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 近畿自動車道京丹後大宮I.C.から高速道路へ。宮津天橋立I.C.で京都縦貫道へと接続する。有料の京都縦貫道を利用することはめったにないのだが、時間制限があるので仕方ない。これにより、京丹後市から京丹波町の和知(わちI.C.)まで1時間で到達。
 和知からは国道27号線を京都市方面へと進み、そのあと府道で日吉ダムへと向かう。ダムに隣接した道の駅「スプリングひよし」でトイレ休憩だが、その手前に「この先通行止」と気になる看板を目にする。そうだった、おおざっぱに通行止め区間があることを認識していたが、あまり深く追求していなかった。どうやらこれから以降としている、日吉ダムから旧京北町の南部へ抜ける桂川(大堰川上流)沿いの道が通れないようだ。ロードマップを開いてルートを考える。
 本来なら、ダム湖に注ぐ川沿いの細道をたどり、かつての京北町と京都市の市町境である笠トンネルの北側で国道162号線に合流するのだが、府道19号線と78号線で大きく北に迂回して京北町の中心部経由するしかない。そうと決まれば、急ごう。時間に制約があるのだ。
 センターラインが引かれた走りやすい道路。距離は伸びるが時間のロスは少ないかも知れない。たまに現れるかやぶき屋根にうっすら白い雪が積もっている。京北町中心部の北側で国道162号線へ。南下開始してしばらくすると旧京北町の中心、周山と呼ばれる地区。この周山を通る国道162号線は周山街道と呼ばれる。正式には、京都盆地の仁和寺前から周山までの区間のこと。しかし、その先にも美山、さらに小浜へと続き、見所が多く、自動二輪の雑誌でも取り上げられる道である。実際、京都市内から北上してくる自動二輪とすれ違うようになる。寒さに負けない強い人たちだ。
 台風被害と思われる倒木だらけの北山杉の植林を見て、紅葉末期の高雄を超えて京都市内へ。京都盆地の北西部、仁和寺の近くに位置するアイズバイシクルには、このルートで向かえば市街地をあまり移動しなくてすむ。まあ、今の時刻、日曜の朝なら市街地でも比較的スムーズに移動できるだろうけど、帰り道、つまり昼過ぎから夕方には各所で渋滞するはず。
 8時20分、アイズバイシクル近くのコインパーキングに到着。まずは本日の相方のランドナーをクルマから降ろし、前後のホイールを装着。そして、ハンドル、フロントフォーク、サドル、チェーンとリアディレイラー、ペダルを外した別のランドナーフレームをクルマから降ろす。リアエンドが変形してしまったフレームを修理してもらうのだ。2本のタイヤチューブを引っかけて、それに両腕を通してフレームを背負う。その状態で、自転車にまたがってアイズバイシクルへ。
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 コインパーキングからアイズバイシクルまで1㎞あまり、本通りを避けて住宅街の路地を行く。交差点さえ注意すればいい。
 9時前にアイズバイシクルに到着。店の周囲には数人の参加者の姿が見られ、さらに続々と集合しつつある状況。スタッフに背負ってきたフレームを預ける。
 9時を少し過ぎて出発。西に向かって走り出す。仁和寺前を通り、そして水が抜かれた広沢の池を見て、観光客であふれる嵐山へ。秋の台風で損壊した橋げたを直したばかりの渡月橋を渡り、トイレ休憩のあと、桂川自転車道へ。
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 北西の風を背に受けて快走。自転車だけでなく、ウォーキング、ジョギングの利用者も多い自転車道。また、ロードレーサーもいれば、シティサイクルもいる。それぞれスピードが異なるので要注意だ。特に鴨川が合流するあたりで道幅が狭まる区間もある。
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 嵐山から1時間ほどで、桂川、宇治川、木津川の3本の川が合流して淀川になる御幸橋に到着。自転車道は木津川に沿って木津(木津川市)まで続くのだが、本日はここで折り返し。嵐山から木津までの中間点にあたる。淀川三川合流域 さくらであい館という施設もあり、ちょうどいい休憩ポイント。
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 しばしの休憩の後、復路スタート。斜め前方からの風に押されて往路よりペダルが重い。嵐山の手前では真正面からの向い風になる見込みだが、その手前で自転車道、つまり桂川沿いを離れ天神川沿いを北上する。嵐山まで戻らずにアイズバイシクルへショートカットするのだ。クルマも信号も多い。嵐山まで行っても、ショートカットしても、店までは市街地を走行することになる。
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 12時半近くにアイズバイシクル帰着。みなすぐには帰らずに、おしゃべりをしたり買い物をしたりして過ごす。私は、持ってきたフレームの修理作業にさほど時間がかからないと言われ、それが終わるのを待つ。今日は店に預けて、後日受け取ることを想定していたのだが、今日持ち替えられるとは嬉しい誤算だった。
 昼ご飯を食べに行こう、と店を後にする人の流れに乗るように、私も修理代を支払いフレームを背負ってコインパーキングへ。
 せっかく京都市内まで来たのだから、ともう一つ用事を済ませる。背負っていたフレームをクルマに収めたら、自転車で地下鉄太秦天神川駅へ。市営の駐輪場に自転車を入れて地下鉄へ。
 用事を済ませてコインパーキングへ戻る。すでに日は西に傾いている。国道162号線を北上。朝とは比べ物にならないくらいにクルマが多く、仁和寺の西、一条通との福王子交差点を越えるのにも時間がかかる。しかし、それを越えればクルマの流れは良くなる。最低限の市街地走行で高尾へ。
 旧京北町に入ってすぐ寄り道、猪ラーメンの「キャプテン」という店へ。遅い昼食を摂る。ここに来るのはずいぶん久しぶり、15年ぶりくらいか。前回は猪ラーメンの並で1290円というお値段におののき、普通のラーメンと猪肉の餃子しか頼まなかったが、今回は猪ラーメンを食べる。
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 そのあとは京北を通り過ぎ美山まで北上して、大野ダムを経由して和知で国道27号線へ。かつて何度も泊まった美山ハイマートユースホステルの茅葺屋根の建物を確認しようと思っていたが、位置もはっきりと覚えていない上に、暗くてわからなかった。
 京都縦貫道を使わずにのんびり帰宅。

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2018/12/04

今年最後(?)の小春日和

 12月2日は旧暦10月つまり小春の25日。日曜だけど舞鶴での勤務の日。貴重な晴れで最高気温が17度くらいの、小春日和。翌日からは時雨模様が続く見通しで、そのまま小春は終る。というわけで、日曜が最後の小春日和となりそうだ。
 舞鶴まで自動二輪で行こうと思っていたけど、朝の寒さに心を折られ、クルマで行く。
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 日没が早い。丹後半島最北の経ヶ岬で、16時46分。あと4日ほどたてば、16時45分と、1年で一番早い日没となり、12月の中ごろからは、日没が遅くなって行く。冬至は最も日が短いけれど、最も日没が早いわけではない。今の時期は、南中時刻も遅くなって行く。必ずしも正午ぴったりではないのだ。地球の自転速度は一定であるが、南中時刻から次の南中時刻までの間は一定でない。その理由は公転軌道が楕円であるため、公転速度が変化するから。
 というわけで、舞鶴から帰ったらもう日没。それでも、自転車で走らないと。
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2018/12/03

湖北の晩秋~紅葉の巨木と業平の里と漁村~

 京都市内のランドナー専門店「アイズバイシクル」主催のツーリングイベントが、雨で流れてしまった。数日後、TVのニュース番組で、紅葉したメタセコイアの並木からの中継。先のツーリングで走る予定だった道だ。場所は滋賀県の北部高島市のマキノ。次のこうしたツーリング企画は来春とのこと。どこを走るかはわからない。今回のコースだとしても、紅葉は今しか見られない。というわけで、一人で走ってきた。
 丹後半島から若狭湾に沿って東へ進み、上中の熊川宿を経由して、近江今津へ。途中自衛隊の演習場のそばを通る。誤って敷地外へ着弾して話題になったところだ。
 クルマで2時間半とちょっと。丹後から一番近い琵琶湖。到着は昼。まずは近江ちゃんぽんで腹ごしらえ。朝のうちは時雨模様だったが、何とか小降りになってくれた。
 今津からマキノに北上し、かつての町役場、現在の高島市の支庁がある中心街の東のはずれマキノグラウンドにクルマを止める。たどり着くのにちょっと迷走。湖北バイパスを経由すれば、盛土による高架区間が終った先左折すれば直ぐなのだが、湖畔にある「ちゃんぽん亭」から湖岸近くを走ってきたせいだ。マキノグラウンドはその名の通り運動公園で、図書館も隣接している。
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 赤く色づいたモミジに囲まれた駐車場で自転車を準備する。自転車はクロスバイク。雨はほぼ止んだが、路面は濡れている。ランドナーの方がよかったな、と思いながら簡易泥よけを装着する。簡易泥よけで体への泥撥ねは防げるが、フレームは汚れる。やはり、ランドナーに装着されているようなしっかりした泥よけがいい。
 自転車にまたがり走り出す。田んぼの向こうにメタセコイアの並木が見えている。
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 マキノの中心集落を抜けメタセコイア並木に近づくと、突然クルマが増える。クルマだけでなく、自動二輪も。そして、並木に差し掛かると人がうじゃうじゃいる。道は狭く、並木の外側に遊歩道が設けられているが、多くの人は車道の脇の路側帯を歩いている。中には、写真撮影のため道の中央に長時間佇んでいる人、そしてその人たちにクラクションを浴びせるクルマ。関西人らしい。
 道の両側に高くそびえるメタセコイアの木々は、褐色に色づいた葉を付けている。まだ紅葉の始まりで、落葉は少ない。回復基調の空からは日が射して、木漏れ日の並木道だ。木々、あるいは枝や葉の密度にも濃い薄いがあるようで、薄暗くトンネルを行くような区間もある。
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 並木道は2kmを越える。見物するには自転車が有効だ。クルマで走りぬけるだけでは、味気なく見物したうちには入らない。並木の途中の観光施設や周辺の駐車場にクルマを置いて歩くにはちょっと長い。片道ならいいくらいだが、往復だと5km近くになる。ちょうど丹後の天橋立の松並木、つまり砂嘴区間も同じくらいの長さだが、天橋立は観光船もあり往路と復路に変化をつけることができる。それでも、誰もが全線通して歩くわけではない。当然メタセコイア並木も、駐車場の近くで観光客の密度が高く、離れるにしたがって疎らになる。要するに、人がうじゃうじゃいる状態でしか並木を見物していない人が多いのだ。
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 自転車で通り抜ければ、人が少なく静かな区間も味わえる。それに並木の表情そのものにも変化があるので走っていて退屈しない。クルマよりも、自動二輪よりも表情の変化がよく見える。そして、いつでも自転車を止めてじっくり眺めたり写真撮影したりできる。並木の外側は栗園でそちらから見る並木もいい感じだ。なのに、並木道で見かけた自転車は本の数台、数えるのに片手で足りる。その中の1人は、自転車を押して歩いていた。本当はそうやってところどころで歩いてじっくり見物するのがいいのだけれど、私の場合は何度か停車したけれども基本的には走り抜けてしまった。
 並木が終ると湖北の山並みが目に入る。その直ぐ先がマキノスキー場。雪はまだ一切積もっておらず、駐車場を自由に利用してよい、と記されているが止まっているクルマを数えるのにも、やはり片手で足りる。並木までの200mを歩くより、人がうじゃうじゃいる施設の駐車場に空きを探す方がいいらしい。
 このメタセコイア並木が有名になったきっかけは、韓国のドラマ「冬のソナタ」とのこと。オープニングを含めた各場面に登場する並木と似ているらしい。私自身は「冬のソナタ」に全く興味がなかったのだが、それが日本で社会現象になったのとちょうど同じ頃、とあるテレマークスキー関連の映像の中にメタセコイア並木が登場していた。おそらくマキノスキー場の帰り道のクルマの車窓風景を撮影したものだろう。
 さらにそのもう少し前、1999年5月に、私自身この並木道をクルマで走っている。静岡県の山間部を自転車で走るために訪れた帰り道、マキノに寄り道したのだ。丹後と東海地方とを結ぶ最短ルートは湖北を経由するのだ。しかし、新緑に覆われていたはずのメタセコイア並木の記憶は一切ない。静岡の茶畑の緑はしっかり焼きついているのに。
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 白谷からは八王子川の谷を遡る。用水路の流れる木造の建物の集落を過ぎると、赤や黄色が鮮やかな木々に囲まれた別荘地。そして、19年前の初夏、長いドライブの気分転換に訪れた温泉入浴施設の脇を過ぎる。さあ標高差300mの登りの始まりだ。先日雨で流れたツーリングの計画にはない区間だ。そのツーリングはタンデム自転車、つまり二人で漕ぐ二人乗り自転車を中心としたものなので、アップダウンを少なめに計画されている。
 メタセコイアの並木道の県道283号線とはうって変わってほとんどクルマが通らない。その県道533号線は、別荘やペンションが立ち並ぶ区間を過ぎると、山間部の景色に変わる。色づいた山と八王子川の流れを見ながら上る。
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 進行方向が北から東に変わりしばらく登ると勾配が緩くなり、谷が開け田園が広がる。直ぐに集落が現れた。在原だ。何も調べずに来たのだが、集落内の案内板を読むと平安時代の歌人、在原業平ゆかりの地で、その墓もあるらしい。いずれにせよのどかな山里だ。元々、淡い秋の日差しが、西に傾いてさらに弱く照らしている。葉を落とし実だけをつけた柿の木が、茅葺屋根の民家が、風に揺れるススキの穂が、静かな静かな里の秋を演出している。
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 集落を抜けたところに、在原業平の墓、の案内板があった。県道から北側の山手に向かい、数段の棚田を抜け、山林に少し入ったところに小さな塔があった。これが墓らしい。
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 さらに東へ進むと、峠だ。地図には峠名は出ていない。標高は430m程。峠の向こう側は知内川の谷で、標高差200m以上を一気に下る。その谷底を走る国道161号線を走るクルマの音が聞こえる。その国道を通ってマキノの中心街へ戻ることもできるのだが、大型トラックの割合が高いクルマの爆走道路を走る気にはならない。引き返すのだ。それでも、その谷を見下ろす景色を求めて少し知内川方面に下って見る。木々に阻まれ展望が開けた場所はない。辛うじて、対岸の斜面の雪崩防止柵や電信柱の頂上が見える場所で写真を撮って峠へ登り返す。
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 ここまで指切りグローブで来たが、防寒のフリース手袋に交換して来た道を下る。標高差300mを一気に駆け下りる。途中で、一台の自転車とすれ違う。折畳小径車「ブロンプトン」だ。確か、メタセコイア並木でも見かけたぞ。ブロンプトンは折り畳むと非常にコンパクトになるが、反面走行性能は高くない。この坂道はかなりきついはずだ。がんばるなぁ。
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 白谷まで下り、クルマがそこそこ通る県道283号線を渡って、農道へ。そして、知内川へ。在原の峠から見下ろした谷底を流れる知内川の少し下流というわけだ。動物除けのゲートを抜け、端を渡って川沿いの道へ。自転車歩行者専用道路として整備されている。東に向かって川を遡る。とはいえ、緩やかで登りというほどのものではない。少し狭まった谷が開け広大な田んぼとなる。国道161号線の追坂峠かわすように知内川は左にカーブし、国道に沿って北上して行く。在原の峠から見下ろした谷へと続いていくわけだ。私は川沿いを離れ追坂峠へ。といっても登りらしい登りはない。
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 峠からは琵琶湖に急降下だ。センターラインの向こう側には登坂車線がある。クルマの爆走国道ルートだが、短いし、しかも急な直線の下りなので一気に通り抜けられる。ここがタンデム自転車のツーリングコースに組み入れられている。登りでないとはいえ、下りも要注意だ。一人乗りの自転車と同じブレーキで、ライダー二人分の体重とその分増量したフレームを含めた車体重量をコントロールしないといけない。
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 下りきったら国道を離れ、海津の湖岸に出る。少し海津大崎に向かって走ってみる。現在、少し先のトンネルが通行止。そのせいかクルマが少ない。サルの群れが道を占拠している。夕陽が湖を照らし、きらきら輝いている。通行止の手前で折り返し海津に戻る。
 海津の集落の中の道が工事で通行止。国道をできるだけ走りたくないので、集落の中の路地を迷走。木造の風情ある家並みだ。ここは漁村で、船着場のある運河のようなものもあった。
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 結局、少し国道を走る。路肩は狭く、クルマは多く、1kmにも満たないがストレスのかかる路線だ。西浜で国道を離れ湖岸へ。知内川の河口からは左岸の堤防の上を行く。この堤防の上も自転車歩行車道として整備されているが、実はそれは対岸の堤防。でも、その名目のつかないこちら側も同じように整備されて走りやすい。国道161号線は高架橋の下をくぐり、マキノグラウンドの直ぐ近くの橋のたもとに到着。橋を渡ればゴールだ。ちょうど日没。
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 自転車をクルマに収め、17時ちょうど、帰路に着く。
 11月下旬、13:35~16:45、37km

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2018/11/25

今年も浮島の季節

 天橋立から水平線から浮き上がった沓島を。蜃気楼の季節。シーカヤックがいい感じ。
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小春日和は二輪日和

 11月10日の土曜日、18日の日曜日は舞鶴で勤務。バイクの日の8月19日以来、2ヶ月ぶりに自動二輪車CD250Uで行く。9月にも10月にも舞鶴でのお仕事はあったのだが、ずっと天気が悪かった。
 10日は、午後の勤務。気温の高い時間帯の走行。小春日和で、海沿いの道を行き交う自動二輪車は多い。この夏から秋にかけてたくさんの台風が日本を襲ったものの、日本海側にはあまり被害をもたらさなかった(その前の梅雨前線ではひどい目にあったが)。でも、最後の最後、9月末の台風24号の被害で、内陸の交通量の少ない道が通行止め。奈具海岸、由良海岸を通る。家に帰ったら、自転車で一走り。、
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 18日は、午前勤務なので往路の50km、寒い1時間を過ごした。由良川では水上スキー。あっちも寒いと思う。そのあとは、一週間前ほどではないが、気温が上がり復路はグローブを薄い物に交換。宮津で友人の喫茶店に寄り道していたら、曇ってきて日差しが陰りまた厚手のグローブ。家の手前でコウノトリに遭遇。
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 この日も、帰宅したら自転車に乗る。やはり自転車は暖かい。
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 勤労感謝の日には、びわ湖の北部を舞台にしたツーリング企画に参加予定だったが、時雨模様でキャンセル。静かに過ごす三連休だっ
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2018/11/05

コウノトリに会いに~出石・豊岡探鳥ツーリング~(2018アイズラリー)

 京都市内のオーダーメイドのランドナー専門自転車店「アイズバイシクル(I's BICYCLE)」主催のツーリング、「アイズラリー」が、11月3日に兵庫県豊岡市で開催された。京都の北山が舞台となることが多いのだが、今年は前線やら台風やらの影響で山間部には未だ通行止めの道路があるので、今回は兵庫県北部の豊岡盆地の里を巡り、コウノトリに会いに行く企画となった。参加者の多くにとっては、遠い開催地のため遅めの集合時間。でも、私にとってはクルマで1時間足らずのアプローチ。9時前に家を出る。
 午前10時、お城まつりでにぎやかな豊岡市出石町に集合。お店のスタッフ5人を含む、18人が集まった。自転車の種類に制限はないのだが、圧倒的にランドナーが多い。
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 「弁当忘れても傘忘れるな」の言葉通りの不安定な空模様が数日続いていたが、今日は見事な快晴。明け方少し曇っていたため霧がなく、透明感のある青空が広がっている。豊岡盆地をはじめとする円山川沿いは、今の時期の朝は深い霧に包まれることが多く、昼前まで日差しが届かない。雲海で有名な竹田城はこの円山川の上流に位置している。
 準備を整えている我々の頭上に、一羽のコウノトリが現れた。いきなりのご挨拶だ。
 10時半過ぎに出発。出石川の堤防の上を行く。刈り入れを終えた田んぼ。紅葉も始まり、晩秋の里を行く。
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 すぐに出石川の中に佇むつがいのコウノトリに遭遇。さらに進むと、今度は電柱の上に1羽。その先にまた、川の中に1羽。畳みかけるようにコウノトリが姿を見せる。すべて野生だが、両足に足環がついている。片方に3色。両足で6色の組み合わせ。これで、個体が識別できる。何年何月生まれの、オスまたはメスで、どのペアから生まれた個体か。しかし、ずいぶん繁殖して個体数が増えているので、同じような色の足環が使われていて、識別がだんだん難しくなっている。
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 円山川との合流点の手前で出石川を離れ、広い田んぼの中を北上する。これは円山川本流と、支流の六方川にはさまれた平原で、豊岡盆地のかなりの部分を占める。クルマの少ない細い道を行く。左に神鍋高原のスキーゲレンデ、正面に城崎温泉の手前にそびえる来日岳を見ながら進む。六方田んぼには人工巣塔が少なくとも2本立ち、野生のコウノトリを見るならここ、という認識だったがこの日は残絵念ながらここでは1羽も見られなかった。
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 六方川を渡り鎌谷川の谷へ。こちらも田園地帯だ。祥雲寺集落の田んぼの南の山林に兵庫県立「コウノトリの郷公園」がある。コウノトリの飼育、繁殖、そして研究が行われている施設だ。一部が見学のため一般開放されている。入場は無料だが、任意で協力金100円を入れる箱が設置されている。
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 その入り口に来たところで、青空を舞うコウノトリに迎えられる。さらに、電柱に佇むものも。それらをひとしきり眺めたり写真撮影してから、自転車を止めて公園内へ。ここでお昼ごはん。簡単なレストランもあるが、今日は天気がいいので途中のコンビニで買った弁当を食べる人がほとんど。私も買ってきたおにぎり、そして湯を沸かしてチキンラーメンを食べる。コッフェルや火器を積むために、今回はシートバッグを装着した。それはついこの間購入したもの。最近のバックパッキング用のシート広報な斜め上に突き出すタイプのものはランドナーには似合わない。横幅が広い物がいいと思っていたのだが、いなかでは現物を置いた店などなく、キャリアやアタッチメントなしで着くかどうかがわからず購入に踏み切れなかった。でも、先日、信州の保福寺峠で出会ったサイクリストが、キャリアもアタッチメントもなしでランドナータイプの自転車に装着していたので、今回ゲットした。なかなかいい。フロントバッグとの色のコーディネートも完ぺきではないが、まずまず。
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 我々が昼食で陣取った場所は、田んぼに面していて、目の前に人工巣塔が立っている。向かいの山の方から、コウノトリ5羽が飛んできて、我々の目の前で曲技飛行。そのうち1羽が巣塔に降り立つ。しばらくするとそのパートナーらしきもう1羽も巣塔に止まり、ツーショットの仲睦まじい様子を見せ付けてくれる。
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 公園の中にも9羽のコウノトリが飼育されている。羽を切られ飛べないようにされている。天井がないオープンケージなので、その中には野生のアオサギの姿も見られる。青い「たらい」がいくつか置かれ給餌される。以前ここに来た時には、飼育・野生のコウノトリ、アオサギ、シラサギなどがその餌を食べる姿が見られた。しかし、それでは「餌付け」となってしまい「野性に返す」という目的を外れてしまう。そこで今では、餌やりを定時でなくしているのだそうだ。
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 さて走行再開。出石へ向けて南下する。ただし、ピストンではなく往路より東側を行く。集落名でいうと法花寺から奥野へ、鎌谷川と穴見川の谷を隔てる小さな峠を越える。標高差は100m程だが、そこそこパンチの効いた急坂。これがこの日最大のアップダウン。その後は盆地の縁をなぞるように南下し、袴狭から先程よりも小さなアップダウン。降りたところが出石神社。ここで解散。「町並みやお城を見物しよう」「そばを食べに行こう」等の声が聞こえてくる。私は帰路に就く、いつでも出石に来ることができるから。
 10:40~15:10、約32.3km

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2018/10/27

中信濃遠征「パスハンティングの秋、ランドナーの秋」2018:ダイジェスト

 詳細レポートは、現在執筆中。
■諏訪湖と下諏訪
 3年前にTVで見た下諏訪のゲストハウス「マスヤ」に泊まる。丹後を朝出発し、どうにか明るいうちに到着したので、チェックインしてすぐに自転車で飛び出す。
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 諏訪湖を一周18kmとマスヤから諏訪湖の往復で20kmと少し。スタート直後にスコールにあい雨宿り。その後小雨の中を走る。途中からは夜景を見ながら。半分を過ぎた頃、フロントブレーキワイヤーが切れる。今日のうちに切れておいてよかった。
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 ラーメンのご当地チェーン店「みんなのテンホウ」で夕食。レトロな公衆温泉浴場で入浴。そして、満員のゲストハウスの賑やかな夜を過ごす。古い旅館をリフォームしたゲストハウスも、またレトロな造り。
 翌朝は、晴れ。8時から営業している食堂で朝食をとった後、諏訪大社下社の春宮と秋宮に参拝。3kmあまりの散策コース。歩くと半日かかるが、自転車でスピーディに回る。
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■北八ヶ岳のスズラン峠
 下諏訪散策の後、クルマで八ヶ岳方面、蓼科高原の麓へ移動。自転車で、白樺湖を経てスズラン峠へ。自転車で走り出したときには青空から日差しが降り注いでいたのに、徐々に空は雲に覆われ時雨模様となった。峠を越えて、蓼科この方に少し下ったところの展望所の景色を期待していたが、南八ヶ岳は霞み、南アルプス、中央アルプスはほとんど見えなかった。その後の下りは寒かった。下れば雨が降っていないことを期待したのだが、路面が余り濡れていないのに雨は降っている状態が続く。つまり、上で降り出した時雨とともに山を下っている。紅葉がきれいだったことがせめてもの救い。
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■別所温泉
 暖房を強めにかけたクルマで上田方面に移動。別所温泉の「上田まほろばユースホステル」にチェックイン。昨夜のゲストハウスとは対照的に、私ひとりだけ。談話室には、かつて賑やかだった頃の名残が見られる。風情ある温泉街、今夜もまたレトロな共同浴場に浸かる。
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■安曇野から保福寺峠を越えて上田へ
 ユースホステルにクルマを置かせてもらい、自転車で上田市街へ。上田駅でしなの鉄道に乗り篠ノ井でJR篠ノ井線に乗り換え、安曇野市の田沢駅下車。松本のひとつ北の駅、といった方がわかりやすいか。輪行すると旅の雰囲気が盛り上がる。北アルプスを眺めながらスタート。今日は快晴だ。
 その北アルプスに背を向けて東へ。かつてウォルター・ウェストンが歩いた、東山道の保福寺峠へ。ウェストンのように上田側から松本側へ向けていくと、峠で初めて北アルプスの姿が見られて感動的だ。だから私の走っている向きは、標準とは逆ということになる。輪行を先にしておけば、列車の時刻を気にせず自由に走れるということが大きな理由であり、北アルプスを何度も見ながら登っていくのもまたそれで楽しい。標高1000mから上は紅葉が美しい。
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 峠の手前の「一遍水」という水場でサイクリストが休んでいた。自転車は22インチのミニベロランドナー。出で立ちもニッカボッカーだ。聞けば私と同じく京都府から着たとのこと。自転車に乗る人は増えたけど、自転車で旅をしている人にはなかなか出会えない。うれしくて結構長く話し込んだ。
 峠で最後の北アルプスの姿を目に焼き付ける。穂高連峰や槍ヶ岳も見えた。
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 日が傾いてきて下りは寒い。手が冷たく、痛い。上田側は林間の下りで、展望は余りよくない。時おり、浅間山が木々の合間に除く。途中からいくつかルートが分かれるが、別所温泉に直接降り立つコースを選択。途中ダートもある。少し上り返しもあるが、体が暖まるので歓迎だ。
 別所温泉に至る前に野倉という集落を通過。別所温泉は千曲川が作る盆地「塩田平」の縁に位置し、山の傾斜地に温泉街がある。そのさらに奥にも集落があるということに少し驚く。野倉から別所温泉に向かうといきなり急勾配の登りに遭遇。もう下るだけと思っていたので、精神的にこたえた。
 道は細く曲がりくねって急勾配。さらにダートあり上り返しありで、時間のかかる下りだった。
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 寒さの中、自転車を撤収し、ユースホステルにクルマを止めさせてもらったお礼を言いに行くと、暖かいお茶と、お菓子を頂いた。冷えた体に体温が蘇る。
 再度お礼を述べ、長い帰路に着く。今宵は、月夜。旧暦9月13日の「後の名月」。中秋の名月と並ぶお月見の夜。

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2018/10/04

電脳徘徊更新そして皆さんよい旅を

 8月下旬の小千谷と北海道の旅の詳細レポートが出来上がった。あわせて、16年前の初めての小千谷ふるさとの丘ユースホステル宿泊の旅の報告も。

「小千谷の花火と自転車北海道一周にリーチをかける旅」

「魚沼と会津の再会の旅」(尾瀬と喜多方ラーメンと小千谷の花火)

 先日から、気になるニュースが報じられている。
 8月に大阪富田林の警察署から逃走し9月末に山口県の道の駅で確保された若者は、サイクルツーリストになりきって旅をしていたとのことだ。これには大変ショックを受けている。道の駅でテントを張ったり、民家に泊めてもらったりしたこともあったという。食事を提供してもらったとも。色々な人と交流し、親切にされ、それに感謝の意を表していた。
 しかし、その正体は、性的暴行や窃盗、そして警察署からの逃走と罪を重ねる「凶悪犯」。彼とかかわった人たちは、さぞかし驚いたことだろう。見た目も、やっていることも自転車で旅する若者だったわけだし。
 これを機に「もう自転車の旅人にはかかわらないでおこう」と思う人がいるとすると、とても残念なことだ。
 本来、道の駅はキャンプ場ではなく(併設されている場合もあるが)、宿泊施設でもない。黙認されているだけである。
 以前なら鉄道の無人駅やバスの待合室などが一般的だった。27年前に北海道の北オホーツクでログハウスのバスの待合所で泊まったことがある。旅先でであった2人のサイクリストとともに。暗くなると近くに住むおばあさんがやってきて、「ここは泊まってはいけないんだけど」と切り出された。しかし「泊まってけばいいよ。このあと稚内行きの最終バスが来るけど、その時間にここから乗る人なんかいないし、降りる人はそのまま家に帰る。そのあと自動的に明かりが消えるからね。火は気をつけてね」とのことだった。2年前に訪れた時には、建物は健在だったが果たして今でも泊まる人がいるのだろうか。
 最近は北海道を中心にローカル線の廃止が相次ぎ駅舎そのものが減ったこともあるが、最終便の後には施錠されるようになっているという。要するに世知辛くなった。
 この夏の一件により、さらに世の中は世知辛くなっていくのだろう。
 また、管理人が帰った後でもノートに住所や名前などを記入すれば泊まっていい無料のキャンプ場がある。こうしたところが影響を受けなければいいのだが。

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中秋の丹後半島一周

 暑かった夏も終わり、9月下旬になると秋らしい涼しい日々が続く。しかし、この秋は、いやこの秋もすっきりと晴れる日が少ない。雨も多い。どうにか、青い海を見ながら自転車で走れる日を捕まえた。こうして、今シーズン2回目、生涯通算48回目の丹後半島一周が始まった。
 せっかくの晴れの日だが、朝からフリーというわけではない。10時過ぎに自由の身となったが、その時点で宮津市街にいる。家まで帰る30分がもったいないので、自転車の周回の途中にある、岩滝までクルマで移動。道中、行動食を買う。さらに、だらだらと準備をしているうちに11時半を過ぎた。今日の自転車は、スリックタイヤのMTB。いつもランドナーなんだけど、たまには気分を変えてみよう。
 クルマでのアプローチの道中、青い海がまぶしかった。でもその海に背を向けて内陸部へ走り出す。まずは府道53号線で、標高差200mの道を越える。
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 内陸に入ると、稲刈りを終えた田んぼの畔に、彼岸花の赤い色が鮮やか。竹野川流域の平野部に降り立ち、川に沿って日本海へ北上。メインルートの国道482号線ではつまらないので、田んぼの中の農道、そして府道を選ぶ。まだ黄金色の稲穂が見られる田んぼも少しだけあり、中には稲刈り作業中のものもある。そして、青い空の下、いたるところに彼岸花の赤。この日は、弱いながら北風が吹いて、平野部では逆風を感じながら北上する。この分だと、この先の海には波が立ち、透明度はいまひとつだろうな。
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 竹野川河口部の道の駅「テンキテンキ丹後」で小休止。自動二輪車が3台。「名古屋」および「長野」ナンバーのペアと「京都」ナンバーのソロ。
 そのあとは東に進路を変え、海岸沿いの国道178号線を行く。風は横から。逆風より抵抗は小さくなる。代わりにアップダウンの連続。
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 海にそそり立つ屏風岩を見下ろす東屋のベンチで小休止。海は青く水平線がくっきり見えるのだが、予想通り波がある。すると海底の砂が舞い上がり、透明度が下がる。青く澄んだ海の水に白砂の海底が透けて輝く様子は、見られない。でも、海の青さはばっちり。
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 アップダウンを繰り返し、久僧、中浜ではずっとたどって来た国道を離れ、集落の中へ。丹後松島を形成する岩が面白い。波の侵食のせいなのか、いろいろなパターンで穴が開いたものが見られる。ふと見ると10余りの提灯が干されている。提灯屋があるのだ。それらの提灯はみな目前に迫った秋祭り用。
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 国道に戻り、海岸段丘の上を行く。アメリカ軍のレーダー基地があり、その工事が行われているのでダンプカーの往来があった。基地を過ぎると、ぐっと静かになる。
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 近畿最北の経ヶ岬灯台への分岐を過ぎ、登りが険しくなる。標高110m程の白南風(しらばえ)トンネルを越えると、眼下に青い海が広がる。カマヤ海岸だ。若狭湾に浮かぶ冠島と沓島、その向こうには若狭のリアス式海岸が見える。緩い下りの道、そして風に背を押され快走して甲崎へ。ここで小休止。
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 甲崎を越えると、蒲入漁港を見下ろす。そこから2年前にできた蒲入トンネルで本庄宇治へ。峠がひとつへって楽になった。前方を何か茶色いものが横切った。イタチにしては大きいな、タヌキかなと思ったらサル。横切った個体かどうかわからないが、その先で腹ばいに横たわっていた。こちらが近づいても気にしない、ぐうたらな様子。
 本庄宇治では、内陸を行く国道178号線を離れ、府道623号線へ。野室崎、新井崎を越える2つのアップダウン。本庄浜海水浴場で小休止。実は、経ヶ岬辺りから脚がつり始めている。暑くて夏に余り走ってなくて筋肉がなまっていたのだが、北海道ツーリングでトレーニングができたつもりだった。でも、それから1ヶ月。雨が多くて余り乗れなかった。ひどくならないように休憩をこまめに取る。
 野室崎越えは、序盤がきつい。推定だが10パーセントを越える勾配。府道にしてはきつい登りだ。その区間を越えると普通の登り坂。のんびり行こう。
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 標高120mくらいがピーク。以降、海の景色を楽しめる。次に越える新井崎、京都府と福井県の境の大浦半島、そして内外海半島の久須夜ヶ岳などのリアス式海岸。沓島の左手にも陸地が見える。越前海岸だ。もっと空気が澄んでいると白山が見えるんだが、今の季節の日中では無理。夜明けの直前か、日中なら春先だ。
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 泊の海岸まで急降下したら、次の登りに備えまた小休止。秋の日はすでに傾き、急峻な崖に囲まれた浜辺は日陰となっている。
 さあ、新井崎への登りに取り掛かる。やはり出だしがきついが、野室崎への登りほどではない。標高70mくらいでいったん平坦になり脚を休めることができる。新井の集落では耕地整理された広い棚田。30年前は、小さな田んぼが並んでいた。
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 新井の集落に分岐がある。右の町道は千枚田と呼ばれる棚田の景色が良く見えるのだが、のぼりがきつい。千枚田の景色はやや劣るが、上りもややお手柔らかな府道を行く。ちなみに、国道はアップダウンが最も緩やかだが千枚田を見ることはできない。
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 刈入れを終えた小さな田んぼには、ひこばえが伸び、雨が多かったので水がたまって、まるで田植えを終えてしばらくたった田んぼのようだ。
 標高120mのピークを越えて、伊根湾へと下る。舟屋の並ぶ界隈はすっかり観光地。そして、釣り人も多い。
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 「自転車イン舟屋」なるものができていた。小さな東屋に数台の自転車が並べられている。この界隈5箇所あるサイクルポートのいずれかに乗り捨て自由のシェアサイクルらしい。手続きも料金も不要とのことだが、チェーンは錆びていて明らかに手入れがされていない。ちょっと残念。
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 伊根を過ぎるともうアップダウンのない平坦区間。ひと月前に走った北海道の標津から別海の根室海峡から根室湾北部辺り似ているような気もする。南に向かうのだが、残念ながら北風も止んでしまった。日が落ちてきて、空気の対流が弱ってしまった。この区間はクルマの通行も多いので、前後に向けてLEDのライトを灯す。交通事故の発生しやすい時間帯だが、明るいライトのお陰で安心して走ることができる。
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 この区間は、梅雨前線による7月豪雨の被害で、半月ほど通行止となっていた区間もあり、それを含めて5ヶ所ほどで片側交互通行となっていた。何度も信号に止められる。
 すっかり暗くなって、岩滝のクルマを止めたポイントへゴール。
9月下旬、11:45~18:30、83.7km

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2018/09/11

「台風21号」「北海道胆振東部地震」そして「秋雨前線」

 まずは、度重なる災害により、被災された方にお見舞い申し上げます。

 9月4日、台風21号が徳島県に上陸、その後淡路島を縦断し、神戸市から兵庫県京都府を北上し若狭湾に抜けた。
 丹後半島など北近畿には大きな被害はなかった模様。台風の進行方向がもっと東向きだったら、通り過ぎた後に日本海から陸地に向かって北寄りの風が吹き、北近畿では風雨が強まる。21号も20号と同様、近づくときも通り過ぎた後も南よりの風だったので、雨、風とも大事に至るものではなかった。
 それに対し、大阪では大阪湾から南西の風がまともに吹き込み、建物の外壁や屋根が剥がれたり、クルマがひっくり返る映像がドライブレコーダーやスマホにより大量生産された。
 何より、関西空港の水没が衝撃的だった。
 早めに帰宅して夕方のニュースを見ていたら、関空でインタビューに応じる人が「これからの11時間をどうやって過ごすかが問題です」と言っていた。要するにその時点で11時間先の便まで欠航が決定しているということだ。しかし、その直後、高潮により冠水した滑走路、さらには貨物船が衝突して損傷した連絡橋の空撮の映像が流れた。
 空港島は孤立。取り残された人数は初め3000人と報じられたが、その後7800人とされた。空港で働いている人は、本当に気の毒としか言いようがない。空港利用者に対しては、気の毒という気持ちと、自分で選んだことだからしょうがない、という気持ちが半々だ。
 その時点で欠航が決まっている便がある。問題はその先の便だ。欠航が決まっていなくても、飛び立てるという保証もない。未定なのだ。しかし、分からないことを自分にとって不利な方に考える人は少ない。うまくいく方を想定している。だから、「こんなにひどくなるとは思わなかった」とか「想定外だった」という言葉が繰り返されるし、交通事故は無くならないし、宝くじは売れる。
 しかし、乗る予定だった便を含め飛行機は飛ばない、船便も欠航、連絡橋も通れなくなる、今までより強い勢力の台風が来るのだから用心しよう、と考え関空に行くことを避けた人もいるはず。自分だったらそういう判断ができただろうか。そういう判断ができる人間でありたい。

 そして9月6日、最大震度7の北海道胆振東部地震。直後は最大震度6強とされていたが、それにしては震度5弱以上の範囲が、函館から札幌までと広すぎる。と思っていたら、やはり厚真の震度は7とされた。阪神淡路大震災をもたらした兵庫県南部地震、新潟県中越地震、東日本大震災をもたらした東北地方太平洋沖地震、熊本地震とならぶ大きな揺れを引き起こした地震ということだ。
 地震の直接的な被害は、震源の厚真町の土砂崩れや札幌市の液状化現象などだが、それ以外の地域では離島を除く北海道全体で停電が発生し、また一部の地域で断水も発生。さらには、JR北海道は全線で運行がストップし、新千歳空港も閉鎖、交通が麻痺してしまった。
 このブログの前の記事の通り、8月下旬に北海道を訪れていた。地震のちょうど一週間前に泊った小樽の宿は停電と断水。また、2年前と3年前と27年前に泊った道北サロベツ原野の宿は停電。それぞれ、SNSやブログで毎日情報発信されているので、現地の様子が伝わった。どちらも、宿泊客と工夫し協力して過ごしていて、いい宿というのは不測の事態においてもいい宿なのだということを感じた。また、停電の夜の星空の写真が掲載されていたことも一致している。
 TVのニュースを見ていて、道北や道東の地震の直接的な被害がなかった地域にも避難所が開設されていることに疑問を感じた。しかし、それはサロベツの宿のブログを読んで解決。非常用電源があり、TVが見られたりWiFiが使えたりする。もちろん、携帯電話やスマートフォン、タブレット端末などの充電もできる。情報もライフラインなのだ。さらに、ただ明るいところで夜を過ごせるということだけでも大きい。決して疑問に思うようなことではないのだ。
 震度7の厚真町の沿岸部、浜厚真にある苫小牧東港は無事。敦賀や新潟や秋田へのフェリーの発着港だ。さらに小樽発着の便もあわせ、新千歳空港が閉鎖された地震当日と翌日の本州行の便は旅客は満席。一部を除いて乗用車やバイクには空きがあったし、逆方向北海道行きは人も車両も空きがあった。
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 ところで、地図を見ていて全道ブラックアウトのきっかけとなった「苫東厚真火力発電所」は、新日本海フェリーが発着する苫小牧東港に隣接していることに気づいた。2008年には、苫小牧東港を夕方に発つ便を利用した。その時、出港するフェリーの甲板から工場のようなものが見えたことを覚えているが、それが発電所だった。
 港に隣接していることには意味があるわけで、GoogleストリートビューやGoogleEarthで見てみると、隣接する埠頭と発電所は、ベルトコンベアと思われる施設でつながれている。発電所の隣には黒い畑のような広大な土地が見られる。巨大な畝は石炭に違いない。ベルトコンベアもそちらにつながっている。「苫東コールセンター」と表示されている。当然「call」でなく「coal center」ということだろう。
 丹後にも、舞鶴市の大浦半島に石炭火力発電所がある。オーストラリアやインドネシアから船で運ばれてくる石炭を運び入れるための専用の埠頭が設けられている。
 苫東厚真発電所も海外炭を使用しているとのことで、苫小牧東港の一部がその専用の埠頭になっているとみられる。かつて、石狩地方の石炭を運び出す港として整備された苫小牧港(西港)だが、あちこちにあった炭鉱が閉山になってから石炭の需要が高まり、今度は運び込まれている、ということに不思議な縁を感じる。
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 私の住む京丹後では、7日夜に雨が降りだししばらくして大雨警報が発令、洪水警報も続いて発令された。翌8日午後にいったん解除になったが、9日未明に再び大雨発令。さらに洪水警報も加わった。10日午後から雨は弱まり洪水警報は解除されたが大雨警報は継続。結局、11日昼前にようやく解除された。ちなみに11日朝にはすでに雨は止んでいた。なのに大雨警報が継続されたのは、土壌にしみ込んだ水の量によるもの。土砂災害の危険があるためだ。雨量だけが基準ではないのだ。
 この大雨は秋雨前線によるもの。前線が南下して大気が入れ替わり、最高気温が25度にも届かない日もあった。
 そのせいか、早くも彼岸花の開花も見られた。ちょっとフライング。
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小千谷の花火を見たあと自転車北海道一周30ヶ年計画にリーチをかける旅(ダイジェスト)

 まずは、北海道胆振東部地震で被災された方、大切な人を亡くされた方にお見舞い申し上げます。

 なんとか、この夏、北海道を走ることができた。
 1991年夏に初めて北海道を自転車で走ってから20年以上が経ち、これまでに走ったコースを重ねてみると北海道の形が大方浮かび上がる。ならば北海道の外周を全部走ってやろう、というわけで浮かび上がった計画を名付けて「北海道一周30ヶ年計画」。
 2017年夏に、道東に途切れ途切れに残る未走区間を走る多計画を立てたが、天候不順のため断念。今年の夏は、途切れ途切れの区間を走るならトランスポーターがあった方がいいだろう、と去年の計画を少し見直し自動二輪に折畳小径車を積んで北海道に渡ることにした。
 しかし、この夏も天候不順。またも断念か、という中で起死回生のきっかけとなったのは、新潟県の小千谷の花火大会。北海道を半分諦めながら、12年ぶりの「小千谷ふるさとの丘ユースホステル」を予約したのだが、その足で新潟港に向かい、フェリーで北海道へ渡る可能性を残していた。問題はやはり天気だ。
 丹後から小千谷までの距離は600kmを越え、自動二輪では厳しい。高速道路を何百kmも走り続けることも、前夜に出発して夜通し一般道を走ることも自信がない。ということで、クルマを使うことにした。クルマなら、嫌いな高速道路も何とか我慢できる。だから当日朝の出発で間に合う。またクルマごと北海道に渡ることで不安定な空模様でも行動する気持ちになった。

 では旅のダイジェスト。
 まずは、おぢや祭り花火大会。
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 満月前夜。そして、旧暦7月15日。中秋の名月のひと月前の名月。信濃川にかかる橋の上に列をなすのは、からくり万灯。
 小千谷は2004年の「新潟県中越地震」の被災地。おぢや祭り、、そして花火大会には復興と慰霊の思いが込められている。小千谷ふるさとの丘ユースホステルは、被災を乗り越えたユースホステルだ。
 新潟港からフェリーに乗って、小樽港へ上陸。道東へひたすらクルマを走らせる。
 根室半島の付け根、風連湖から根室市街まで根室湾岸を自転車で往復。一つ目の未走区間を走破。この日は青空も見えた。
 せっかくここまで来たのなら、とクルマで納沙布岬へ。早朝に小樽を出発し、最東端まで到達した。そして、折り返して霧多布岬へ。今夜はここのキャンプ場でテント泊。涼しいというよりも寒いくらい。でも、暑さと違い寒さの対策はいくらでもできる。快適に過ごした。高速道路を使わず、650km走った。自転車は24km。
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 北海道2日目は、霧多布から釧路まで北太平洋シーサイドラインを自転車で走る。今回の途切れ途切れの未走区間の中で最長の約110km。自動二輪には折畳小径車しか積載できず、当初はほぼ中間の厚岸で泊まり2日がかりで走破する計画だったが、クルマに積んできたランドナーなら1日で走れる。こうして、小千谷の花火見物による日程超過分を解消。走行中、タンチョウやキタキツネにも出会う。天気は曇り時々小雨。霧が出なくてよかった。
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 釧路に就いたら和商市場でいくら丼を食べて、根室本線の各駅停車に乗り込む。線路にはエゾシカが出没し、警笛を何度も何度も鳴らして走る。 クルマに戻ったらまた移動。開陽台のテントサイトで泊るつもりだったが、誰もいない。かつてヒグマの出没があり閉鎖されていたこともあるので、ここでテントを張るのを断念。駐車場で車中泊を考えたが、それならば明日の予定の場所まで移動しておいた方がいい。さらにまた移動。根室海峡沿いの尾岱沼の道の駅で車中泊。
 北海道3日目は、標津から本別海まで33kmを自転車で走る。道東最後の未走区間だ。まず標津に自転車を配置し、クルマは本別海へ。路線バスを乗り継いで標津へ戻り、ようやく自転車走行開始。今日も、曇り時々小雨。昨日より雨降りの割合が多い。ちなみに、予報では昨日も今日も曇りだった。実際に降っているときにも、降雨レーダー画像には表示されていないし、周辺各地アメダスの計測による1日の雨量は1mm以下。走っていればそれなり濡れたけど、それは表面だけで、衣類や荷物の中までしみるほどではなかった。走り終えて車に乗ったら、すぐに乾いた。路面には水が浮いていたので、泥除けがないと足元は泥だらけだっただろうが、こういう場面にランドナーは強い。
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 昼前には走り終え、クルマに乗り込む。これで、道東完走。残る未走区間は、連続した140~150km。また機会を改めて走りに来よう。道南なので、天気の不安定な夏でなくても大丈夫だ。
 さあ、また大移動。小樽を目指して西へ500km。

 北海道4日目、最終日。2年ぶり3度目の宿泊となる「とまや」。今までは旅の初め、朝あわただしく出発していた。今回は旅の終わり。この宿でのんびり過ごすことにあこがれていた。朝食の後、「励ましの坂」を自転車で登る。これまでは、フェリーを下船した夜の挑戦だったが、今回初めて明るい中、そして宿主さんや泊まり合わせた旅人さんたちに見守られながら登る。これが本当の「励ましの坂」だ。距離600mで高低差80m、最大勾配は20パーセントを越えるこの坂道を自転車でノンストップで上りきったら、「やったね」とほめてもらえる。
 どうにか今回も登りきった。
 昼前までとまや過ごさせてもらい、フェリーターミナルへ。帰りは舞鶴港へのフェリー。
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 最後に、動画を。

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2018/08/23

ダブルタイフーン

 あーつい、あつーい、高い気温のV字回復、ダブル台風、酷暑の晩夏。
 2013年10月下旬に27号、28号が並んで日本に接近してきた時も「ダブル台風」と報じられた。あの時は、本土上陸はなかったが、今回はどうだろうか。19号は九州の西側を抜け朝鮮半島へと向かうようだが、20号はどうも西日本に上陸する見込み。
 少し前に、気温が前日と比べて6度以上も下がったと書いたが、今度はその逆のことが起こり、見事なV字回復のグラフが描かれた。8月全体としてはW字みたいだけどね。
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 21日の最高気温は北近畿で軒並み37度を越え、宮津ではこの夏最も高い気温となった。さらに、翌22日には前日を上回るどころか、観測開始から最も高い38.8度を記録。福知山では39.6度。もちろん観測史上最高。これも台風からの南風によるもの。フェーン現象により、気象庁のアメダスの最高気温ランキングベスト10には日本海側の地点が過半数を占めた。
 そして、本日は新潟県で40度越え。アメダスランキングではベスト7は新潟県。以下鳥取県、石川県2か所と、ベスト10すべて日本海側。そしてすべて39度以上。さらに、すべて観測史上最高。
 さあ、いよいよ台風が四国に上陸する。そのあと瀬戸内海を経て兵庫県辺りを北上し明日未明から明け方には日本海に抜ける模様。18時半現在で、京丹後ではまだ雨は降らず夕映えの青空。ただし、日中から強い風が吹いている。報道では、鉄道など交通機関も夕方以降運休が相次ぎ、京阪神では店も早じまいしていると告げている。あまり被害が出ませんように。

 以下、23日、21:30追記
 つい先ほど、台風20号は徳島県に上陸したとのこと。京丹後市では、風はやや強めに吹いているが、まだ雨は降らず雲の切れ間から明るい月がのぞいている。台風の進行方向右側なので今後も南風が吹き続ける模様。ちなみに、日本海側では南風ではあまり雨は降らない。過去に北近畿に大きな被害をもたらした台風の進路からすると、進行方向の左側になった場合だ。そして、台風が東に抜けた後も、吹き返しの北西の風により雨が降り続く。もちろんこれは日本海側のこと。太平洋側など南に海がある場合は、やはり台風の進路の右側が要注意。
 7月豪雨の後あまり雨が降っていないし、今回の台風も素早く通過しあまり長時間降り続くことはなさそうなので、洪水は起こらないと思うのだが。ただ、風は要注意。倒木などで道路の通行に支障をきたすかもしれない。
 写真は、19時過ぎの西の空。
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2018/08/19

本日はバイクの日

 8月19日、日曜だけど舞鶴で勤務の日。片道50km、1時間強の道のりを自動二輪で。オートバイが多い。前も後ろも反対車線もみな自動二輪というタイミングもあった。また、一時期の猛暑も一段落し、最低気温は20度を切る日が続いているので、エンジンのないバイクも見られた。
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 勤務を終えて帰宅したら私もエンジンのないバイクで10㎞程走った。
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 さらに、精米所にコメをつきに行くのにはスーパーカブ。
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 さて、この日京丹後・舞鶴を往復したCD250Uは8月の初めに1週間ほど入院していた。走行中にリアブレーキが破損した。出先でのことだったので、25kmほどの距離をエンジンブレーキとフロントブレーキで家まで帰った。
 後輪はドラムブレーキ。外周部分はホイールとともに回転し、内側部分は車体に固定されていて回らない。ブレーキペダルを踏むと内側部分についているブレーキシューが外周に押し付けられて摩擦力が発生し、これが制動力になる。写真は、修理後の状態。
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 ドラムブレーキ内側部分を車体に固定するボルトが外れてしまったのが故障の原因。おそらくずっと前からナットが緩んでいたのだろう。ブレーキをかければドラムブレーキの内側が回ろうとする。その力に耐え切れず、緩んでいたナットが外れ、ボルトも飛んでしまった。ペダルからブレーキへと力を伝達するロッドがアクスルシャフト(車軸)に巻きつくようにL字型に折れ曲がり、ブレーキアームが破損した。アームが破損することで、車輪は回り続けた。もしそうでなければ、後輪がロックするところだった。
 破損したのは、ブレーキロッドと、ブレーキアーム。紛失したのがブレーキと車体を固定するボルトとナットとワッシャー。ワッシャーの奥にはめるゴムのスペーサーは路上で回収できた。
 ブレーキはスーパーカブと同じ仕組み。CD250U専用パーツは、間違いなくすでに生産中止となっているはずだが、他のモデルと共通のものがあればそれでいいのだ。ブレーキと車体を固定するボルトは、スーパーカブのものと同じだった。アームもいけそう。ナットとワッシャーに至っては、ホームセンターで売られている汎用タイプのものでいい。それぞれ、15円と10円だった。問題はブレーキロッド。外しにくいパーツで、スーパーカブのものを合わせてみるのもかなり手間がかかる。それと、ブレーキは安全、つまり生命にかかわる重要なものなので、だんだんと店のお世話になろうという方向に気持ちが傾いてきた。
 スーパーカブをはじめとするドラム式のリアブレーキが付いたホンダのいくつかの車種に対応したボルトと、写真で判断して適合するかどうか一か八かで、スーカーカブ用のブレーキロッドを、ネット通販で注文した。
 その一方で、バイク屋を訪ねた。スーパーカブを手に入れてこの8月でちょうど10年。1度もバイク屋のお世話になったことはない。購入した遠くの店とは、それっきり縁がない。やはり地元の店と懇意になっておいた方がいい。しかし、いきなりぶらりと店を訪ねても、そう簡単に受け入れてくれるとは思えない。知人が「親切だ」と教えてくれた店を訪ねた。予想通り、はじめは拒絶された。でも、根が優しい人のようで断り切れずとりあえず見てくれそうな雰囲気になったところで、知人の名前を出したら、なんと引き受けてくれた。その日乗ってきたスーパーカブのブレーキを見せながら、破損個所と細かく説明できたことも良かった。
 スーパーカブからCD250Uに乗り換えるため、一旦帰宅。すると、数日前に注文したブレーキロッドとボルトが届いていた。一か八かで注文したブレーキロッドだが、ペダル側の頭の形も全く同じ。これはいける、と思ったもののCD250Uの車体についているものと合わせてみると、長さが足りなかった。残念。
 とりあえず、そのパーツを持って店にとんぼ返り。まず適合するパーツを探し、なければ、曲がったロッドを伸ばして使う、という方向だったのだが、私が持ってきたロッドを見て「これを使いましょう」と言われた。新旧それぞれのロッドを適切な長さで切断し、破損個所を新しいパーツにつなぎなおす、というのだ(下の一番右の写真は、それぞれ使わなかった方)。もちろん、鉄工所へ発注してのこと。こうして、1週間足らずでめでたく退院。
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真夏日って涼しいね

 8月14日と15日の近畿北部の最高気温の比較。豊岡38.6度→32.7度。舞鶴37.9度→31.2度。宮津36.9度→30.9度。それぞれ6度前後下がった。
 7月中旬からずっと猛暑日かそれに近い日が続き、台風13号の影響で一時的に気温が下がったものの、8月中旬にはまた猛暑日が訪れていた。その状態からの6度の落差は、しっかりと体感できるものだった。涼しい。台風15号の影響で空は雲に覆われ日差しがないのも、昼前に雨が降ったのも影響しているのだろう。
 ただし、15日から16日にかけての夜間はあまり気温が下がらず、最低気温は28度ほど。この夏一番暑い夜だった。ただし、折れ線グラフでは、16日の再定位気温は低く表示されているが、これは16日の夕方以降に観測されたもの。秋雨前線の南下で風雨とともに気温が一気に下がった。1日の平均気温は、午前中の最低気温より下がってしまった。
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 17日は、さわやかな秋の空気に包まれた。最高気温は30度を下回った。そして数日、最低気温が20度を切る日が続く。

 ここで話は29年前にタイムスリップ。大学生だった1989年の夏、当時住んでいた静岡から丹後まで自転車で帰省した。春に手に入れたランドナーで初めての泊りがけツーリングだった。宿泊地は、名古屋市と京都市。高校時代の同級生に止めてもらう計画だ。連日150~200㎞の行程ということもあり、友人宅ならただ手でもててもらえるという甘えもあり、それぞれ2泊ずつして休養日を入れた。
 名古屋で過ごした7月31日、最高気温は33.4度。友人はアルバイト、私は名古屋散策から帰ってきて交わした言葉は、「今日は暑かったなぁ」。
 ちなみの、その年の名古屋で最も気温が上がったのは8月5日の35.1度。ちなみに猛暑日(この言葉は存在しない)はその1日きり。34度台まで達した日はそれなりにあるが、すべて8月。まだ暑くなり始めた矢先の、その夏トップクラスの暑さだったということ。今年ならばそのくらいの気温は6月から観測されていた(ずっと続いたわけではないが)。そして8月には40度を越えた日を筆頭に、39度台も数日見られた。
 おおざっぱではあるが、29年間に5度上がっているわけである。暑さの基準も変わるというもの。

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2018/08/03

BandBで行く播磨峰山高原

 先週は兵庫県中央部の砥峰高原と峰山高原を自転車で周回したが、峰山高原は入り口まで行っただけ。峰山高原といえば、シンボルの暁晴山に登りたいし、この冬にオープンしたスキー場がどんな風になっているか見てみたい。というわけで、足を変えて訪れる。自転車は折畳小径車。トランスポーターは自動二輪車。CD250Uの本格ツーリングだ。Bicycle and motorBike を楽しもう。
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 まずは、竹田城を見上げて、国道312号線を生野、神崎と南下。福崎まで足を延ばす。有効期限が7月末のラーメン屋のサービスチケットを使うために。ラーメンを食べたら北上。来た道を引き返すのは面白くないので、市川の右岸に渡り県道で北上。田園地帯、クルマが少なく快適。神河町の新野で水車とすでに花が終わった梅花藻を見てから、県道8号線で峰山高原を目指す。先週は、峰山高原への分岐の先、宍粟市一宮町へ通り抜けることができなかったが、今日は通行止めの看板が撤去されている。「平成30年7月豪雨」で傷んだ道も、徐々に復旧しているようだ。今日も先週と同じく砥峰高原をベースにしようかと思っていたが、予定変更。峰山高原をベースに自転車に乗って、そのあと復旧した県道で一宮へ下りよう。
 曲がりくねった道を登り、峰山高原へ。スキー場はオープンしたものの、未だ工事関係の車両がうごめいている。ベースにしようと考えていた広い駐車場にも工事車両や資材が置かれている。スペースは十分あるが、作業員達の目が気になって素通り。道路脇に広場を見つけそこに自動二輪車を止めて自転車を下ろす。
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 自転車に乗ってまずはホテルリラクシアの前へ。レンタサイクルが並んでいる。クロスバイク、MTB、そしてファットバイク。その脇にはサイクルラックがあり、ロードレーサーがぶら下がっている。おそらくロードレーサーはレンタルではなく、訪問者のものだろう。ホテルの周囲には、テントが張られている。設備の行き届いたキャンプ、「グランピング」用のものだ。北方の山に目を向けると、縦に細長く山森が伐採された防火隊。逆モヒカンだ。
 峰山高原を初めて訪れたのは20年前だが、その1年後に再訪している。19年前にはパソコン通信NIFTY-Serveの自転車フォーラムのオフラインミーティングでのこと。ダブルトラックとシングルトラック中心で峰山高原と砥峰を巡った後、「峰山高原かんぽ総合レクセンター」でトロン温泉に入浴した。その「峰山高原かんぽ総合レクセンター」はその翌年に営業を終え、数年後その跡地にできたのが「ホテルリラクシア」。そのリゾートホテルを運営しているのは、全国各地でスキー場経営を展開している会社「マックアース」。この10年ほどで30を越えるスキー場の経営を手がける国内最大手となった。元はハチ高原スキー場のゲレンデ食堂だったが、経営不振のスキー場の運営を引き継ぐ形で事業を急拡大。廃業寸前のスキー場の再生請負企業、というイメージだったが、とうとう2017-18シーズンに新たなスキー場をこの峰山高原にオープンさせた。国内では14年ぶりとなるスキー場新設だ。
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 ホテルの前のロータリーのすぐ近くに2本のリフト乗り場がある。ここを扇の要として、それぞれ別方向にリフトは向かい、片方は曉晴山の山頂近くに向かっている。曉晴山の頂にはアンテナが林立し、舗装路で山頂部までいける。というわけで、てっぺんを目指す。舗装路とはいえ、一般車両は通行止。歩行者と自転車は閉ざされたゲートの脇を通れる、はずだが今日はゲートが全開だ。工事車両が出入りするためらしい。
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 リフト乗り場の奥には、たくさんの人口降雪機が置かれていた。過去に何度か雪遊びに訪れているが、毎年まとまった降雪があるわけではない。去年の初めにスキー場建設の話を聞いた時には、他人事ながら先行きを心配した。でも、人工雪と聞いてなるほど、と思った。標高は900mを越え、神戸の六甲山や京都の比叡山の人工スキー場(比叡山人工スキー場はすでに閉鎖)よりも少し高い。リフトは2本のみだが、それぞれ700m前後と結構長く、3本のコースは860~1170mと本格的。また、降雪の少なさはアクセスのよさへとつながる。姫路から近く、高速道路や鉄道も麓を通っている。高原への道は険しいが、麓のJR寺前駅からシャトルバスを運行している。駐車場もあるからマイカーからバスへの乗り換えも可能。10年間のスキー場再生事業のノウハウが生かされていると感じる。
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 ゲートの奥にキャンプ場やグラウンドがあるが、過去にあまり使われていたことはなくひっそりとした印象があるが、今日は造成工事が行われていて静かではない。何より、スキー場として木々が伐採されている。山全体ではなく細長いコースだけが伐採されているが、それでも少なくとも都会の片側2車線の道路くらいの幅はあり、伐採・造成されて間もないため赤茶色の地面がむき出し。その荒野を鹿が駆け回っている。2台の圧雪車が置かれていた。まだ新しい。片方は、まだシートがビニールで覆われている。
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 いったんスキーコースから離れる。山頂の手前にもうひとつゲートがあるが、そこも開け放たれている。そこからは勾配がきつく、自転車を押して登る。折畳小径車でなければ乗車で登れそうだ。ひとつはギア比の問題。もう一つは、折畳のハンドルポストを強く引くのが怖いので腕力や背筋力を使えず脚力だけでペダルをこがないといけない。
 山頂直下は、片方のリフトの降り場。重機が轟音を立ててなにやら建設中。後で調べたら、ジャングルジムのお化けのようなフィールドアスレチックの複合体のようなものを作るようだ。もちろんこれは無雪期煮営業する施設で、大展望を楽しめるようここに設置されているとのこと。クルマはここまで入れないので、リフトを使って往復できるそうだ。
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 それを横目に、アンテナの立つ山頂部に到着。さらに、シングルトラックで三角点のあるピークへ自転車を押して登る。山頂は360度の大展望。南は六甲、北は氷ノ山などが見えるはずだが、さすがに今の季節はかすんでいる。しばし展望を楽しんで、山頂を後にする。ガレたシングルトラックを押して下り、舗装路で自転車にまたがる。
 グラウンドの辺りまで下ったところの分岐を、来た道とは別方向へ。砥峰高原へのシングルトラックへ。20年前、19年前に訪れた時にMTBで走り、冬にはスキーでも歩いた道だ。比較的フラットなので折畳小径車でも何とかなる、と思って来てみた。自転車に負担がかかりそうなら、押せばいい。峰山・砥峰両高原をつなぐ舗装路に接続するまでそれほど距離はない。すぐに舗装が終わり、下って行く。しかし、思いのほか道がガレている。当然乗車不能。押して歩くにも一苦労。沢のようにちょろちょろと水が流れている。度重なる豪雨で、これが川になったのだろう。その先もずっと道はガレている。コ逃れたシングルトラックを苦労して通り抜け、その先の舗装路は先週走破済み。急速に戦意喪失。
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 やーめた。自転車を押して舗装区間へ戻る。後は一気に、自動二輪の駐車地点へ。帰宅してからGPSトラックを見て気付いたが、そのシングルトラックは砥峰高原へ向かうものでなく、ホテルリラクシアの裏手を周回するものだった。
 自転車を自動二輪に積んだら帰路に着く。県道8号線まで下り、坂の辻峠を越えて一宮へ。砥峰高原からの県道39号線よりもはるかに道幅が広くセンターラインが引かれているが、それでも険しい道である。途中、法面が崩れている箇所が複数あった。川に並行する区間は、路面をうっすらと土が覆っている。土石流が道にあふれたのだろう。先日までの通行止の核心はここかもしれない。
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 さらに下ると集落が現れた。中山間地のレトロな町並みが続く。一宮町の中心街で国道29号線に突き当たり右折、北上する。そのまま揖保川に沿って、国道から県道6号線に分岐。先週砥峰高原~下ってきた道が突き当たる福地を過ぎると、国道429号線と交差。少し国道429号線を西に進み、平成30年7月豪雨の被害が大きかった地区に寄る。半月程が過ぎ、ある程度片付けの手が入っているとはいえ、まだその爪あとが生々しい。川の護岸は崩れ、あたり一面泥でコーティングされている。
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 この直後、このいったいは台風12号により、避難勧告が発令される。
 県道6号線に戻り、北上再開。先週と同じようなルートで帰宅。途中、スーパーマーケットによる。買い物を終えて自動二輪に戻ると、そのそばでタバコを吸っていた一人の男性が話しかけてきた。30年前に短期間だけ発売された希少な自動二輪車に興味を引かれたらしい。スーパーカブでは自転車を積んでいることに対して声をかけられることがったが、今回は荷台の自転車には一切触れず、「よく走るか」「乗りやすいか」と自動二輪そのものへの質問を受けた。
 日が落ちて涼しい。

 この日の序盤、京都府福知山市雲原から、兵庫県豊岡市但東町へと越える、府道および県道63号線の神懸峠(かんかけとうげ)付近で、先日の豪雨の土砂崩れ地点で駐車していた自動二輪を倒してしまった。地面が傾斜していたのが原因。スーパーカブよりも、片足スタンドが不安定だ。そして、クラッチレバーを曲げてしまった。采配被害はそれだけで、どうにかクラッチ操作もできたのでその後250kmほど走った。だが、操作しにくいので、ネット通販でクラッチレバーを注文。1200円程の汎用モデルがすぐに届いた。交換も簡単だった。
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2018/08/02

夏にご用心

 夏は、リペアゲルが、緩くなるわ、ご用心。
 というわけで、用心することはいろいろある中、この記事の話題は自転車のノーパンクタイヤのお話。タイヤの中のチューブの中に、空気の代わりに、常温では固体、100度以上に熱すると液体になる「リペアゲル」を注入する。専用の設備が必要で、限られた自転車店でやってもらわないといけない。いつもお世話になっている「BULLDOG」は京都府唯一、そして近畿地方でも数少ないノーパンク加工してもらえる自転車店だ。折り畳み小径車をノーパンク加工してもらって、          5年くらいになる。その間にタイヤとチューブを3セット消費した。クッション性が弱く乗り心地が悪いにもかかわらず、空気圧が低いタイヤのように抵抗が大きい。また、空気よりも重量が大きい。パンクしないことの代償はいろいろある。
 それらの代償を小さくするには、使用するリペアゲルの量を減らす、つまりタイヤが細いほどいい。ということで、2回目のノーパンク加工の時には、タイヤの太さを1.5インチから1.35インチへと変えた。すると、1年しかタイヤが持たなかった。ちなみに、タイヤもチューブも特別なものを使うわけではなく、空気を入れて使うことを想定した普通のものを使用する。細いタイヤは高速走行を意識したもので、軽量化のためチューブもタイヤも薄く作られている。100度以上に熱したリペアゲルを注入するときにチューブとタイヤを溶かしてしまう。3回目のノーパンクタイヤの時には、可能な限り低温の状態のリペアゲルを注入してもらったが、それでもやはり1年ちょっとで後輪がバースト。チューブはボロボロ、ねばねばのリペアゲルが出ている。
 それで小径車はノーパンクタイヤから普通の空気タイヤに戻すことにした。後輪は、バーストした昨年の初秋に空気タイヤ復活済み。
 そして前輪はつい先日に…。日曜の定例走行。夕方涼しくなってから家を出て、水平線に沈む夕日を眺めてからの走行中にガックンガックンとしたので、これはとうとう来たなと感じた。周回コースの終盤、トランスポーターの自動二輪車が止めてある地点まで2km弱なのでこのまま走れるか、そのままペダルを回し続けたら軽い衝撃とともにバランスを崩し、あわや転倒。どうにか立て直して足をつく。
 これまでのノーパンク加工済みタイヤの末期を経験しているが、ガックンガックンの状態でどうにかしばらく走ることができた。今回はどうなったのだろう。
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 タイヤからチューブ、そのチューブからリペアゲルが出て、夏の夜にふさわしいようなおどろおどろしい姿になった。タイヤのほんの一部が破れチューブが顔を出しているのがこれまでの状況。今回は、タイヤの半周以上からチューブが出ている。はみ出した内臓がフォークとリムの間に挟まり車輪が回らない。適当な場所に自転車を止めてトランスポーターまで歩く。2km弱を20分。自動二輪で自転車を回収してから帰路に就く。
 翌日、よく見てみたらタイヤは破れていない。走行中にビードが外れたのだ。リペアゲルは「ゴムとオイルの混合物」とのことで、暑い夏の時期にはゲルが柔らかくなる上、オイルが漏れてくる。オイルが漏れるということは、リペアゲルのかさが減るわけで、タイヤの中はゆるゆるの状態。
 タイヤは破れていなくても、かなり劣化しているので、新しいタイヤを買いにBULLDOGへ。これで前後ともに空気タイヤ復活。後輪を空気タイヤに戻した時点でかなり走行性能は良くなったのだが、前輪も空気入りとなりさらに向上。ノーパンクって結構な足かせだったのだと気づく。
 翌日、前日のコースを再び。快調に走った。しかし、その翌日、勤務からの帰宅途中に前輪がパンク。残り1kmくらい。簡単にタイヤを点検するが何も刺さっていない。試しに空気を入れたが、すぐに抜けるわけではない。スペアとして携行している未使用のチューブを使うのはもったいない。そのまま走り出す。2回の入れ直しで、トランスポーターに戻った。
 帰宅してからタイヤを外してみると、中でチューブがねじれていた。そして結構大きな穴が開いていた。タイヤのビードとリムにチューブが挟まっていた時に開くような穴。位置もそんな感じ。一昨日の装着時には、挟まっていないか点検したはずだが。
 ボロボロに破れたチューブの中のリペアゲルの名残でリムの内側がべとべとなのが、いろいろな影響を与えているのだと推測する。本来ならばチューブをタイヤに入れたときにねじれていても、空気を入れれば中でチューブが寝返りを打つように正常に戻る。それが、粘着質のリペアゲルのせいで寝返りが打てなかったようだ。また、ビードとリムがチューブを噛めば端が外側に少し出ているのだが、外側から確認できなかった。実はタイヤ内部で挟まっていたのかもしれない。普通はそんな不安定な状態にチューブがとどまることはないのだが、リペアゲルのべとべとが軽くかんだ状態をキープしてしまったのかも知れない。不幸中の幸いは、空気の漏れ方がスローペースになったこと。その大きさの穴なら空気を入れてもすぐに抜けてしまうのだが、チューブとリムおよびタイヤ内部がリペアゲルで貼り付いてくれたおかげと思われる。
 今度はチューブに少し空気を入れてからタイヤの中へ。捻れたりビードとリムに挟まらないように。とりあえずこれで大丈夫だろう。

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砥峰・峰山周回播磨の高原巡り

 兵庫県の中部、但馬と播磨の境界に近い高原へと向かう。下界は35度前後の猛暑でも、標高1000mに近い高原は30度を切るさわやかな風が吹いている。朝来市から国道312号線を南下。旧生野町を越えると播磨国。神河町の神崎地区から西の大河内地区へ。まずは県道8号線を峰山高原へ向けてクルマを走らせるが、宍粟市一宮への通り抜けができない、という案内看板を見て立ち止まる。先日の大雨(平成30年7月豪雨)により道路が各所で寸断されている。少し考えた末に、市川沿いを北上、長谷から砥峰高原へと登る。長谷ダムを横目に見て、山間の集落川上を過ぎ、標高800mを越えたらスキー場のゲレンデを思わせる伐採された斜面が広がる。昔、茅場として伐採、野焼きによってススキ野原を維持され,たたら製鉄のための砂鉄採集により丘が削られ谷が埋められ、なだらかな丘と浅い谷の連なる斜面。その斜面を正面に見る位置に「とのみね自然交流館」が建っている。ここを本日のベースとしよう。とりあえず、交流館の中のベンチに腰掛けてしばし休憩。室内の温度計は28度位を示し、開け放たれた窓から涼しい風が入ってくる。いいねぇ。
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軽装に着替えて自転車を下ろす。ススキの斜面を右手に見ながら南下。目指すは峰山高原だ。上り坂を行くと左手にはなだらかな頂を持つ山が見えてきた。あれは段ヶ峰やフトウガ峰つまり但馬の山々だろうか、それとも千町ヶ峰だろうか。帰宅後、調べてみたら東側の平石山だった。
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 登り基調を進んでいくと、分岐に到達。左は「峰山高原」、右は「宍粟市一宮」と路面に白い字で記されている。左を選ぶがせっかく登ってきたのにどんどん下っていく。峰山高原の方が砥峰高原より標高が高いはずなのに。その下りが嫌で分岐に戻り、反対側の道へ。砥峰と峰山を結ぶ道には、ダートの林道や遊歩道など複数のルートがあるはずなので、何とかなるだろう。ただし詳細な地図を持っていないのが不安だ。
 道はさらに上り続け標高1000mを越えた。神河町と宍粟市一宮町の境界の稜線に近い位置、その一宮側をトラバースしている。基本的には林間だが、伐採されているところは景色が開けて気持ちが良い。
 時折ダートが混じる。轍には砂がたまり車輪をとられてしまう。登りでは後輪が空回りするし、下りだと転倒の恐れがある。MTBに乗っているのだが、ブロックタイヤでも苦戦する路面なのに、今日はスリックタイヤを装着している。路面状態によっては上り下りに関わらず押していく。
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 この道は過去に通っている。と言っても、それは1998年9月。もう20年前のこと。あの頃はほとんどダートだったように記憶しているが、現在は幾分舗装化されている。この道をずっと行ってしまうと、県道8号線の坂の辻峠まで下ってしまう。すると峰山高原までかなり上り返さなければならない。何とかして、市町境の稜線の神河側へと戻らねばらならない。狙い目は、暁晴山の北東鞍部だ。ここは今走っている一宮側の林道と神河側の遊歩道が接近していて、ほんのわずかな標高差で鞍部を越えられる。GPSレシーバーの大まかな地図でそのポイントを見つけることができるだろうか。正面には複数のアンテナを頂いた暁晴山が見えてきた。去年の2月以来、1年半ぶりの対面。あの時は真っ白に雪化粧していたが、今は緑。標高が高いため年によっては雪が積もる、瀬戸内海に最も近い雪山だ。しかし、昨年暮れにスキー場ができてしまった。毎年安定した積雪は期待できないが、気温が低いので人工雪を使っている。おかげで冬の間はクルマを乗り入れると駐車料金を取られてしまうようになり、リフトを使わないで雪山を愉しみたいスキーヤーには、かえって寄り付きがたくなってしまった。
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 それより今は神河側に稜線を越えられるかどうかが問題。
 結果的には、その鞍部を通り過ぎてしまった。暁晴山登山口と記された道しるべはあったが、踏み跡は草ぼうぼう。山頂を経由するのでなく北東鞍部を越えたいのだが、うやむやな気持ちのまま通り過ぎてしまった。そのうち林道は下り基調となり、しかも大半が舗装路面、焦る気持ちもあっていつの間にか暁晴山を通り過ぎて南下、坂の辻峠へ向けて舗装路を下っていく。もう引き返す気はない。坂の辻峠まで下ってやろう。
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 相当下って県道8号線へ突き当たった。標高720m。峰山高原まで200mの登り返しだ。と思ったら、いったん坂の辻峠を越えて大河内側に下っていく。峰山高原への分岐の標高は約600m。峰山高原までの登り返しは標高差300m。まあ、ここまで来たら行くしかない。インナーローで急勾配をゆっくり登る。今日は、ここまで本格的に走るつもりをしていなかったのであまり飲料水を携行していない。500mlのペットボトルの中身はすでに残り少ない。まあ、峰山高原まで行けばどうにでもなる。時刻は17時を過ぎた。ライトを持ってきていないが、今は日が長いので大丈夫。むしろ、もっと日が傾いて涼しくなってほしい。
 どうにか峰山高原へ。簡易舗装が山頂まで続く暁晴山へと登る気はもうない。高原の入り口の分岐は、直進がホテルリラクシア、スキー場、暁晴山などへと続き、右は砥峰高原への車道。例の分岐へとつながるのだろう。写真を撮っていると、ロードレーサーがものすごい勢いで登ってきて直進していった。
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 砥峰高原へと続く車道は全面舗装。アップダウンを繰り返していく。予想通り、例の分岐に到着。あとは砥峰高原へと下るだけ。飲料水は持ちこたえたものの、本来ならもっと飲みたいところを我慢していただけのこと。振り返ってみれば、峰山高原への上り返しも、元々今日は本格的に走るつもりではなかったというだけのことで、実際走ってみれば所詮標高差300mだった。峰山高原から砥峰高原へのアップダウンも、さほどきつくなかった。
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 誰もいない交流館のそばに止めて車に自転車を積んで帰路に就く。県道39号線で宍粟市一宮側へと下る。福知川の渓谷に沿った細い道。現在は坂の辻峠から一宮に下る県道が通行止めだが、なんとこの福知渓谷は通れる。こちらの方が地形が厳しく過去には通行できないことが多かったのだが。細く曲がりくねった道を慎重に下り、白い岩がごろごろしている渓谷を堪能する。揖保川への合流点が近づくと、周囲は集落となる。自動販売機で冷たいジュースを買う。クルマの中に備蓄しておいた飲み物は、すべてホットドリンクなってしまった。
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 揖保川は茶色く濁って増水している。堰により流れはあまりないのだが。先日の大雨により深層崩壊の土砂崩れによる犠牲者が出た地点が近い。あとは、養父市大屋町へと北上。

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2018/07/21

美作東部の奥海乢を越える

 兵庫県佐用町と岡山県美作市にまたがる周回コースを行く。県境越えコースではあるが、かつての国でいうとすべて美作の国の中である。丹後からのアプローチは、兵庫県養父市大屋町を西に突き当たり、若杉峠を越えて国道29号線へ。引原ダムを見ながら姫路方面に南下して、宍粟市波賀町で国道429号線へ右折。トンネル開通で整備が進んだ峠を越えて、宍粟市千種町。そして、さらに志引峠の曲がりくねった道を越えて岡山県美作市大原。国道373号線で市街地を南に抜け、兵庫県側に少し進んだところの道路脇のスペースにクルマを止める。日差しが強い。これから夕方にかけての日の傾きを想定し、ここに戻ってきたときには日陰に入る位置にクルマを置く。
 まずは国道373号線を東に。県境越えの小さな峠を越す。高速道路「鳥取自動車道」の無料区間が並走しているためクルマは少ない。兵庫県側の最初の集落上石井で左折。佐用川の谷がやや開けたところの静かな集落だ。集落の奥からは谷が狭まり、佐用川は渓流の様相となる。その流れに沿った県道556号線は狭く交通量は非常に少ない。
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 このコースを訪れるのは2年ぶり2回目。前回は大雨の直後だったので佐用川が増水していた。その時と比べると落ち着いているが、勾配があるためなかなか勢いのある流れだ。
 山深い渓谷の風景がずっと続くかと思いきや、谷が開けたところでは集落と狭いながらも田園風景が見られる。茅むき出しというわけではないが、茅葺き屋根の家が多い。田んぼや家のすぐわきを流れる作用川は、岩を食んでいる。
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 最奥の奥土居集落を越えると、道は勾配を増す。なかなかの急勾配だ。キャンプ場のような施設や、イワナかヤマメかの廃れた養殖場がある。また、ログハウスの山小屋風の建物がいくつかみられる。新しいものは別荘かもしれない。そして古いものも。確か前回は建物として残っていたのに、つぶれてしまったものもある。またちゃんと建物の形をしていても、結構痛んでいるものも。窓があるが、何か見てはいけないものを見てしまいそうで、中をのぞくのははばかられる。
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 峠が近づくとさらにさらに勾配が増す。峠のすぐ手前にはまたもキャンプ場とみられる施設。そして、兵庫・岡山県境の峠、奥海乢(おねみたわ)。日名倉山から西に延びる尾根を越える峠だ。
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 さあ、待望の下り。木々の合間から後山連山がのぞく。すぐに国道429号線。今度は稼働している川魚の養殖場がある。右は志引峠。左へ。クルマでのアプローチで通った道だが、こうやって自転車で行く方が景色が輝いて見える。
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 しばらく下ると、後山連山中腹のなだらかな斜面に広がる集落が見える。今は美作市の一部となった旧東粟倉村の集落だ。盆地という言い方がふさわしいかどうかわからないが、東から西に流れる後山川の谷の北側の法面がなだらかに広がり、棚田の中にいくつかの集落が点在している。その背後に後山連山が屏風のようにそびえている。その景色はなかなか雄大である。集落の外れを国道が通過するが、沿線の焦点がなかなか渋い雰囲気。その向かいには、レトロなガソリンスタンドがあるが、すでに営業していないようでたまねぎが干されている。そんな風景ものどかだ。
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 いったん谷が狭まり、川魚の釣りをする娯楽施設を過ぎると、少し谷が開けたところがあり、交番や学校などがある。もう少し下ったらかつての村役場。現在は市役所の支所。東粟倉の中心的な集落とはいえない小さな集落にある。まとまった集落は、後ろ山の中腹の傾斜地か大原中心街の盆地の中だが、その離れた2大集落の間を取った場所ということだろうか。
 市役所の支所を過ぎどんどん下っていく。谷が開けていくにしたがって勾配が緩くなる。
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 鳥取自動車道の高架が見えたら大原の中心街が近い。中心街の国道はクルマが多いうえに道が狭いので、手前で国道ではない集落内の細い道へとエスケープ。登りとなるが、幹線道路を行ってもその先でこなさなければならない標高差なので、損はない。
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 交通量の多い区間をエスケープして、国道373号線へ合流。県境へ向けて少し登ったところで、クルマのデポ地に帰着。
 自転車をクルマに積んで、国道373号線で帰路に着く。往路とは違うルートでないと値打ちがない。兵庫県に入り、前回立ち寄った平福の宿場は素通り。佐用の中心街でホルモンうどんを食す。ホルモンうどんは津山など岡山県のご当地B級グルメだが、ここ兵庫県の佐用でも食べることができる。佐用の大半はかつて播磨の国に属していたが、今日自転車で走った佐用川の上流部はかつて美作の国だった。要するに出雲街道に沿って国境を越えての交流が盛んだったというkとなのだろう。
 店内には、お好み焼き屋のような大きな鉄板を囲んだテーブルが置かれ、店主がその鉄板でうどんを調理してくれる。完成し席の前に寄せてくれたホルモンうどんをつけだれで食べる。ホルモン焼き、あるいは焼きうどん。そういう言葉からシンプルに想像できる味だ。大きな鉄板に置かれているので実感がわきにくいが、それなりにボリュームがあり、味の濃さもあいまって結構な満足感。
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 そのあとは、旧南光町の徳久から千種川を少し遡り、そして中国自動車道に沿って山崎へ。過去に自転車で走った道の復習である。山崎からは揖保川を遡り、明延から大屋へ。
6月下旬、24.7km

 帰路で宍粟市一宮町を通過したが、その通り道のすぐ近くで先日の平成30年7月豪雨(西日本豪雨)による犠牲者が発生している。また、その付近にある公民館の建物のレトロな雰囲気に、ふと足を止めたことがある。2年前、この報告のコースを初めて走ったときのアプローチの途中である。その風情ある建物の周囲が茶色く濁った流れに取り囲まれている映像が、TVのニュースで流された。クルマが少なく自転車でのんびり楽しめる静かな道は山間部であることが多い。山間部〔傾斜地〕は、土石流や土砂崩れが起こりやすい。
 丹後もそうであるように、播磨北部を含めた中国山地には多かれ少なかれ、豪雨の爪あとが残っていると思います。被害にあわれた方にお見舞い申し上げるとともに、早い復興を心から願います。
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2018/07/15

梅雨前線、西日本で大暴れ、そして梅雨明け

 まずは、被災された方々へお見舞いを申し上げます。
 死者および行方不明者が発生したのは岐阜県から鹿児島県。中部、近畿、中国、四国、九州と広範囲にわたる災害という点では、7年前の東日本大震災に匹敵する。
 直接的には梅雨前線によるものだが、先の台風7号に間接的原因があったといってもいいと思う。台風の背後の北西の風により、北海道まで北上していた前線が西日本まで南下したことに加え、大量の水蒸気を運んできた。過去に近畿北部に打撃を与えたいくつかの台風に共通するのは、四国沖を北西に進み紀伊半島あるいは東海から本州に上陸するコース取りであること。今回の7号は日本海を通ったこと、そしてゆっくりであるから時間の経過とともに衰える。台風本体による近畿地方日本海側への影響は少ないだろう。梅雨前線は北海道まで北上していたので、台風からの南風で活性化したとしても近畿地方には影響ない。強いて言えば、台風が通り過ぎたあとの西高東低の気圧配置による生暖かい時雨模様となるくらいだろう。そう予想していた。まさか、台風の過ぎた後にこのような展開が待ち受けているとは思わなかった。
 大雨警報発令の2日目、7月6日金曜日の家の近くの川の朝と夕方の様子。明らかに夕方の方が増水している。もう一枚は、その前日5日夕方。竹野川から田んぼに水があふれている。
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 天橋立で宮津湾と仕切られた阿蘇海も増水。
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 この日は午前中宮津に勤務。午後、西舞鶴に行く予定だったが、国道178号線の奈具海岸が規定雨量に達したとのことで通行止になった。まあ、いつも最短距離の裏道を通っているので、海岸沿いの通行止の影響はない。しかし、その裏道は山間部を通るため、土砂崩れの心配がある。西舞鶴行きは、その日でなくてもよいのだが、宮津での仕事も大雨のため来週回しになった業務が発生。そうなると来週(この時期をアップした時にはすでに過去のことだが)は余裕がなくなる。急いで荷物をまとめ、西舞鶴へ。
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 実際に行ってみると、雨足には強弱があり、風も弱く、嵐という感じではない。度の川も茶色く濁って増水しているものの、往路で通った道がすぐに通れなくなりそうな気配はなく(何の根拠もないのだが)、西舞鶴で長居をした。幸いにも帰路も問題はなかった。
 しかし、さらに雨量が増し京都府北部の各市町に大雨の特別警報が発令されたのは、その夜のこと。宮津や舞鶴では土石流や川の氾濫が発生し、金曜日の日中に通った道の何ヶ所かが通行止となった。特に宮津舞鶴間の裏道では2箇所がいまだ復旧していない。おそらくしばらくかかるものと思われる。

 週明け、「大丈夫でした」が挨拶となった。そして、話題になるのは14年前、2004年10月の台風23号。そのあとにも何度か台風の被害があったが、やはり一番印象に残っているのは2004年の23号である。強風を伴い短期間で大雨を降らせた嵐だった。それに比べると、また違うのが梅雨前線。風による被害はなく、台風23号の時ほど強い雨ではなかった。でも、降っている期間が長かった。前述の範囲の広さと加えて、停滞する前線の特徴だ。降り始めから止むまでの積算雨量では、台風23号の時を超えている。
 そして、雨が止むと夏の日差し。梅雨前線は再び北上、西日本はあっさり梅雨明け。猛暑続きの日々となる。
 警報発令の6日から全面運休していた京都丹後鉄道は、11日にようやく一部で運行再開。10日には復旧作業の様子も見られた。レールの上を走れるユンボが働いていた。
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 海沿いには、おそらく川から流れた色々なごみがたまっていた。
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 最後に私事だが、幸いにも我が家には被害がなかった。基本的に戸地の高さも川の流れも不変。いいところに家を構えてくれた、とご先祖様に感謝するばかりである。
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 大雨から一週間経過。路面に泥がうっすらと残っているところもある。撤去した土砂が道路わきに積まれている箇所もある。川の水量も、平常時よりもまだ多い。幹線道路を中心に通行止めも解消されつつあるが、交通量の少ない道程後回しにされ復旧の見通しが立たない。京都丹後鉄道の完全復旧もいつになるのか。
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CD250Uのチョークケーブル交換

 CD250Uがやってきて2ヶ月余り。古い車体なので、色々細かいトラブルが発生した。
 まず、フロントブレーキをかけてもランプがつかない。家に届いた時には、リアでブレーキランプがつかなかった。そのときはブレーキペダルの上部にあるスイッチの調整の問題だった。しかし、フロントはオイル式のディスクブレーキでスイッチは見当たらない。ブレーキレバーから延びている線を色々見て、レバーの根元付近にある端子を発見。緩んでいるではないか。挿しなおして解決。簡単でよかった。
 それと時を同じくして、チョークが効かなくなった。チョークレバーを引いても、すっぽ抜けているような感覚。チョークケーブル(チョークワイヤー)が切れたようだ。気温の高い時期だから、チョークを使わなくても比較的エンジンがかかりやすい。前日も乗っていれば大丈夫。でも数日乗っていないと、かなりセルを回さないといけない。いずれにせよ、寒くなったらチョークがなければエンジンがかからない。
 左のハンドルグリップとクラッチレバーに挟まれたウェインカー等のスイッチのユニットにチョークレバーが組み込まれている。そこから伸びているチョークケーブルをたどると燃料タンクの下に吸い込まれ先の様子がわからない。これはオートバイ屋さんにもっていかないとダメかな、なんて思いが頭をよぎる。
 「自動二輪 チョークワイヤー 交換」等でネット検索してみると、自分で交換した報告はあるものの、詳しく工程が示されている者はない。が、YouTubeに作業工程を説明してある動画を発見。

 車種は違うが、これを見ると自分でもやれそうな気がしてきた。
 でも、もう一つの問題は、新しいケーブルを手に入れることだ。この古いオートバイに適合するワイヤーはあるのか。
 今度は「CD250U チョークケーブル」で検索。すると「レブルのケーブルで代用できた」という記述が見つかった。

 ずっと自動二輪に興味がなかった私は知らなかったが、レブルというのは、CD250Uと同じ1980年代に発売された自動二輪。メーカも同じHONDA。なんと、まだ続いている。
 この情報を信じて、チョークケーブルを注文。
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 とりあえず動画を参考にして、ケーブルを抜いてみる。まずはシート。後部のボルトを抜くと外れた。前部はタンクに引っ掛けてあった。シートを外すとタンクを固定する1本のボルトが現れた。こちらも前部はひっかけてあるだけだった。チョークケーブルの先端はスロットルケーブルの奥にあって作業がしにくいが、どうにか外すことができた。ホースのようなアウターケーブルとタイコ型の先端がついていて、細いワイヤーをより合わせたインナーケーブル。要するに自転車のブレーキケーブルや変速ケーブルと同じようなものだ。
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 つぎにハンドルのスイッチのユニット。まずは、クラッチレバーとバックミラーの台座を緩めてずらす。そしてスイッチのユニットを分解。切れたケーブルの先端が見えた。頭は見当たらない。分解したときにどこかに落ちたか。写真はごちゃごちゃして分かりにくいね。
 というわけで、ケーブを外した。
 数日後、注文していたケーブルが届き装着してみる。うまくいった。作業そのものは大したことないのに、結構達成感を得られてしまった。やはり、初めての作業、まだ扱いなれていない自動二輪ということが要因か。
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