2023/10/22

「播・但・丹」三国巡り4つの峠コース

 兵庫県の中央部、かつての播磨、但馬、丹波の国境が集まる三国岳の周囲を自転車でめぐる。
 3つの国境に対し、峠は4つ。うち3つは国境の峠だが、あと一つ播磨の国の中にある市原峠。多可町と神河町の境界の峠で多可町側からだとこのコース最大の標高差となる。過去に5回ほどこのコースを走っているが、いずれも多可町を周回の起点とし、最大の峠を最初に越えていた。今回は、神河町を起点とし、最後に市原峠を越える。
 クルマでのアプローチは、丹後から但馬を経て朝来市の生野銀山近くから県道627号白口峠を越えて神河町新田へ。白口峠の道は細い。自転車では何度も超えているが、自動車では初めて。
 細い急坂を降りたら作畑集落。越智川沿いの道に突き当たり左折し、川をさかのぼる。ちなみに県道は右折。作畑の隣、新田集落を超えると、「新田ふるさと村」。キャンプ場などの野外活動の施設だ。それを越えたら道路は、「林道新田黒川線」となる。施錠されていないゲートが閉じられ、「鹿・猪進入防止柵、お願い、開けたら閉めてください」と記されたプレートが貼られている。そしてゲートの手前に「通行止」の看板。この林道が通れるかどうか心配だった。だめならコース変更するつもりで、クルマでここまで来たのだ。で、結論は「GO」。通行止めは、整備されず荒れ放題だから。一般の車両、つまり自動車は通れなくても、自転車ならどうにでもなる。自己責任で。自転車で通れないのは、道路工事や植林の切り出し作業などで道が独占されている場合。そういう場合は、クルマの出入りがあるため、日中はゲートが開かれていることが多い。閉門しているということはかえって安心だ。
 クルマをUターンさせ、新田集落内から分岐する市原峠への道へ。こちらにも「鹿・猪進入防止柵」があるが、ゲートは開いている。でも通行止めの表示はない。少し進んで、事前にGoogleマップで調べていた道路わきスペースにクルマを止める。
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 自転車を準備してスタート。今日の自転車は、ランドナー。ダート区間を想定して、ブロックタイヤのホイールを装着している。新田ふるさと村を過ぎ、「鹿・猪進入防止柵」を通り抜けて「林道新田黒川線」へ。ふるさと村の手前からは、植林が伐採されむき出しとなった山肌が見えていた。そこから切り出されたと思われる丸太が積まれた現場を通過して、山の懐へ。しばらくの間は舗装道路。
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 すぐに上り勾配が増し、路面に土砂が積もった状態となる。この先のダート区間から流れてきた土砂だ。毎年来ているが、今年はずいぶん手前まで、そして分厚く堆積している。初夏、梅雨の時期、夏の台風と今年はずいぶん大雨が降ったからかも知れない。
 そして、ダート区間へとやってきた。当然ながら、荒れている。路面に溝ができ、細かい土が流れた後にこぶし大の石が残っている。要するにガレている。溝が埋め戻されているところもあるが、細かい土で埋められているので、また大雨が降れば水に溶けだすように流れてしまうだろう。
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 ブロックタイヤのおかげでそれなりにグリップしてくれるが、急勾配のガレ場に苦戦する。乗車ができなくなり、押して上る。周囲の林は伐採され、山肌の露出した景色の中を行く。登っていくと時折舗装路面の区間が現れる。なんと走りやすいことか。でもまたダートに戻り、これを何度か繰り返す。
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 盛り土で埋め尽くされた谷を回り込む。数年前の土砂崩れ現場。盛り土の下方には土石流とともに流された木々が積み重なり、生々しい。また、山側の法面から崩れた土砂が道路に堆積しているところもある。こうした山間の林道の維持は容易ではない。
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 盛り土地点から一登りで峠へ。「歸去来」と彫られた石碑が立つ分岐に到着。ここが峠。つまり、播磨と但馬の国境。南側に、今まで登って来た谷と折り重なる山々がブッシュの合間に見渡せる。標高770mで、新田からは標高差300m程登ったことになるが、荒れた路面に苦労してそれ以上の達成感を感じる。
 さあ、但馬の国へと下ろう。道なりは分岐の右側だが、すぐ先に通行止めのバリケード。道幅が狭くてさらに雑草に覆われた左の道が正解だ。分岐が峠、と記したが、ほんの少しだけ登ってから下りとなる。するとすぐに路面が荒れてきた。溝が掘れ、さらにガレている。山側の法面が崩れ道幅のを3分の1くらいが埋まった区間が続く。こんなところで転倒して行動不能になっても、誰も助けに来てくれない。慎重に行く。
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 谷底に降り、沢沿いを行くが、まだ路面は荒れたまま。コンクリート舗装の路面が現れると走りやすさに安堵する。でもまたダートに戻り、緊張の走行。
 植林の中に入ると、勾配が落ち着くとともに路面状況も改善する。でも、落石や木の枝が散らばっているので、気を抜くわけにはいかない。
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 掘り返された大木の根っこ部分が2つ、道路の真ん中に置かれている。そこは分岐点で枝道の先には祠というか小さな社があるようだ。大木のなっこは車止めバリケードらしい。
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 たまに現れるガレ場に苦労して進んでいくと、数台の重機が置かれた作業現場から道路を隔てた沢側に、テラスというかウッドデッキが設けられ、3つほどいすが置かれていた。山仕事の休憩スペースだろうか。
 ダートながら路面状況が格段に良くなった。里が近い。通行止めの看板を背後から超え、たどり着いたのは、梅ケ畑の集落。路面も舗装となった。
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 梅ケ畑を初めて訪れたのは、1997年9月。今回と同じように、林道新田黒川線を越えてここに降り立った。26年前にパソコン通信にあげた記録に、「廃村」と書いている。当然今も人の気配はなく、崩れかけた廃屋が見られる。中には、軒下に雑巾のようなものがかかっている家屋もあるが、家主がたまに掃除に来ているのかもしれない。
 ちなみに26年前は、林道新田黒川線と、今日クルマで越えてきた白口峠で、市川本流の谷と支流の越智川の谷にまたがる周回コースを走った。当時は、白口峠も未舗装で、MTB2台でのツーリング。舗装されない方の道は荒れ果てていき、麓の廃村とともに風化が進んでいくようだ。
 梅ケ畑を過ぎると丁字路に突き当たる。これを左折。ちらほらと民家があるのは、高路の集落。こちらは何となく人が住んでいる雰囲気。
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 そしてまた丁字路。国道429号だ。これを右折。ずっと下りだったが、ここからは登りに変わる。脇を流れるのは瀬戸内海にそそぐ市川。日本海に面した但馬の国にあって、朝来市の一部、旧生野町だけは中央分水界の太平洋側(瀬戸内海側)に位置している。
 すぐに国道は市川本流と別れる。市川沿いに直進すれば黒川ダム。国道は右折で青垣峠へ向かう。
 大外の小さな集落を越え、緩やかな登りで青垣峠へ。登り標高差も100m程度。ここが但馬から丹波への国境の峠。標高570m。
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 但馬側はセンターラインこそ引かれていないが拡幅された道だが、丹波側は細く曲がりくねった道。いわゆる酷道である。そして、但馬側よりもかなり長い。クルマはあまり通らないが、でも慎重に。停止して写真を撮っていると、ピンクの西宮ナンバーを付けたスーパーカブが追い越していった。荷物を満載している。少し先で路肩にスーパーカブが止まっていた。ライダーは川に降りている。休憩か、釣りか。
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 ちなみに道路沿いを流れているのは、瀬戸内海の注ぐ加古川の上流部。丹波の国は中央分水界をまたいでいるが、本日の走行エリアは、瀬戸内側。
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 大名草(おなざ)集落まで降りてきた。標高は200m弱。ここで国道427号へと突き当たる。これを右折。国道429号から427号へ。番号は2番しか違わないが、道路状況は雲泥の差。久しぶりのセンターライン。いや、今日のコースで初めてか。丹波と播磨の国境、播州峠へ向けての登りとなる。
 大名草の集落を過ぎるとすぐ山間へ。最近できたグランピング施設の前には派手な服を着たたくさんの人だかり。近づいていくと、縦列駐車された数台委のクルマの前に立つ人達のそばに自転車も見えた。サイクリストの集団だった。もちろん、みなロードレーサー(ロードバイク)。
 播州峠は、トンネルで越える。旧道もあるが、そちらを通ったことはない。なかなかそんな余裕はない。大名草からの標高差は、150m程。
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 トンネルを抜け、播磨の国へと戻ってきた。播但丹三国めぐりコースを過去に走った時は、いずれもここを下った先の道の駅「杉原紙の里・多可」を起点・終点としていたので、播州トンネル過ぎたらもうあとは下るだけ、という開放感に浸っていたのだが、今日はまだこの日一番の標高差の登りを残しているのだ。
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 とりあえず、道の駅杉原紙の里・多可で小休止。下りはもう少し続き、山里が点在する景色から、少しにぎやかな集落へと入ったあたりで、国道から右折して、山へと向かう。千ヶ峰が見える。その名の通りの標高1000m峰。その向かって右、つまり北側の稜線にある市原峠を越えないといけない。田んぼの畔には彼岸花が残っている。もう10月中旬なのに。
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 市原集落を抜け、山間に入る。植林の作業をしているようで、重機の音が聞こえる。
 その作業現場の脇を抜け、進んでいくと、道の真ん中に通行止めの看板が見える。
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 えっ!
 民家がなく、行き止まりの山道では、植林の作業中、通行止めにされる場合がある。無断で侵入して、ここは我々の縄張りだ、とばかりに追い払われたこともある。ここを通り抜けることができなければ、来た道を引き返さねばならないということか。荒れた林道新田黒川線を日が暮れてから通らねばならない。ならば、ここで夕方まで待ち作業が終わるのを待った方がいい。しかし現在15時。2時間は待たないといけない。今の時期、もう暗くなる時間だ。ライトを持ってくればよかった。
 などと考えながら近づいていくと、通行止めの原因は植林作業ではなかった。「この先で土砂崩れが発生し、通行できないため、登山道へ行けません。復旧の目処は未定です」とラミネート加工された紙の御触書が結束バンドでバリケードにぶら下げられている。登山道とは、千ヶ峰の登山道のことだろう。市原峠が登山口だ。また、現場の写真もある。山側の法面が崩れ道を完全にふさいでいる。
 よかった。これなら自転車を担いで乗り越えられそうだ。ラミネート加工はまだ新しく、土砂崩れは今年8月の台風か、梅雨の時期あたりだろう。ならば、まだ復旧工事は始まっていないことは間違いない。こういう緊急性のない道の復旧は、予算がついてから。つまり翌年度になるのが当たり前だ。
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 安心して登りにかかる。クルマが来る心配がないわけだ。まあ、もともとクルマがほとんど通らない道ではあるが。ただし、登りは長い。麓の市原は標高210m。市原峠は740m。標高差は500mを越える。と言って、特別大きな峠というわけではないが、すでに3つの峠を越えてきているので結構きびしい。ついでに腹も減ってきた。重機の音が鳴り響いていた植林作業現場がブッシュの隙間から見下ろせる。
 前方で何か動くものが。シカだ。2頭は林間に消えたが、1頭が道の真ん中に佇みこちらを見ている。立派な角をいただいた牡鹿だ。
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 しかしなかなか土砂崩れ現場は現れない。水の乏しい稜線付近でなく、山に降った水が集まってくる麓の方が、土砂崩れの可能性が高いように思うのだが。
 下方からエンジン音が迫ってくる。通行止めのはずなのに。向こうも誰もいないと思っているはずだから、警戒して、道幅の狭いところで路肩によって待ち受ける。やってきたのは空荷の中型トラック。
 あれーっ、通行止めではないのか。
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 そんな疑問を感じながら登っていく。その先に枝道がいくつもある。植林の作業道だ。だが、先ほどの中型トラックが通れるようなものではないように思われる。
 20~30分登ったら、今度は上方からエンジン音が聞こえてきた。先ほどのものと思われる中型トラックが荷台に丸太を積んで降りてきた。この先のどこかに作業現場があるようだ。
 はるか上方、稜線近くに道が通り、その道沿いに丸太が積まれている様子が見える。まさかあそこまで道は通れるのか。峠のすぐ手前のはずだ。
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 さらに登っていくが、いっこうに土砂崩れ現場は現れない。とうとう道路わきの広場に丸太が積み上げられた作業現場に到着。無人の重機も置かれ、先ほどのトラックはここで丸太を積んで引き返したものと思われる。
 そして標高は700mに到達し、峠は目前だ。なのに土砂崩れはない。植林の業者が自力で土砂を撤去してしまったのだろうか。
 そんなことを思っていたら、突然目の前の道がふさがっていた。崖が崩れて完全に道を塞いで入れ。麓のバリケードの写真の通りだ。その向こう側の路盤は崩れていない。大丈夫、乗り越えられる。
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 自転車を担いで、一歩一歩慎重に歩を進める。足場が悪い。過去にこういうケースは何度か経験している。中にはしっかりとした踏み跡がついていることもあった。
 崩れた岩や土砂を乗り越えたら、自転車にまたがって峠を目指す。
 通行止めの看板を背後から超えて峠へ。なんと土砂崩れ現場から峠までは300m位だった。誰もいない。展望はいまいち。もっと手前の方が麓が見下ろせたのだが、なんだか今日は景色を楽しむ余裕がなかった。
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 もうあとは下るだけ。初めて市原峠を越えた2007年には、神河側はダートだった。今は、舗装。下りはあっという間。
 10月中旬、11;30~16;30、約45.6km

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2023/10/07

ランドナーの自立、キックスタンドの安定

 一般的に、スポーツサイクルにはスタンドを付けない。でも、当方はすべての自転車にスタンドを装着している。自転車が映り込んだ風景写真を撮るためだ。ガードレールなど自転車が立てかけられるものが常にあるわけではない。
 MTB、クロスバイク、ロードレーサーには、片側のチェーンステイに装着するスタンドを使っている。これは、断面が楕円形のチェーンステイでないと使えない。ランドナーの断面が円形のチェーンステイだと、回ってしまいスタンドが固定されない。
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 そこで、ランドナーではBB直後の両側のシートステイを挟んで固定するキックスタンドを使っている。これは一の調整がシビアで、スタンドを畳んだ時にクランクとスポークの間に収まるようにしないといけない。けれども、スタンドをかけた時に自転車の重みで少しずつ回ってしまいクランクと干渉してしまうようになる。その都度調整が必要だが、それを繰り返していくとボルトが緩んでしまう。
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 スタンドをチェーンステイに固定するのは、大きめのボルトなので、かなり強く締め付けることができる。強く湿ればしっかり固定されるのだが、問題はフレームの損傷。どうしても塗装が剥げてしまう。さらに、フレームを変形させてしまったら致命傷だ。
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 そこでひと手間。両側のチェーンステイにブリッジをかける部分は平面。滑り止めの凹凸はあるが、それでも自転車の重量を支えると回ってしまう。そこで、ブリッジの両端を削って、チェーンステイの隙間にはまるように整形する。草刈り機の歯を研ぎ澄ます、グラインダーの出番だ。ある程度削ってみて仮止めして、さらに微調整。
 思いのほかうまくいった。あまり深く削る必要はなく、あまり強くボルトを絞めなくても、スタンドが回転してしまわなくなった。

 

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淀川・桂川の川岸を下り京都から大阪へ

 晩夏から初秋の時期に川沿いの自転車歩行者用道路を使って、京都・大阪間を走っている。これまでは大阪から京都へ向けて走っていたが、今年は逆に京都から大阪を目指して走ろう。
 まずはクルマでアプローチ。京都市に向かって国道9号を南下。すると園部で雨が降り出した。すぐに本降り。予報では、大気の状態が不安定で局地的ににわか雨があるようなことを伝えていた。降っても小雨程度だろうと思っていたが、結構強い雨脚。これで自転車で走ろうものなら、1分もたたずに全身ずぶぬれだ。しかし、雨のエリアは狭く、クルマを進めるとすぐに雨運び理となり、やがて路面も乾いた状態となった。こんな降り方なら、雨宿りで通り雨やり過ごしながら走れるだろう。今日は、桂川・淀川沿い。コースは河川敷の割合が高く、橋の下をくぐることが多い。橋の下が雨宿りポイントだ。
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 10:50、亀岡のとある場所にクルマを止める。自転車で亀岡駅まで移動。急いで輪行の準備。さすがに折畳小径車は早い。5分で輪行袋に収めて、改札を通過。すでに入線している列車に乗り込む。それなりに乗客が入っているが、どうにか空席を見つけて座る。16インチホイールの折畳小径車は輪行袋もコンパクト。こういう場面でも有利。大きな輪行袋を携えていたら、出入り口付近に立っているしかない。
 11:27、嵯峨嵐山駅到着。所要時間は10分で、運賃は片道200円。クルマよりも早くて安い。京都市内の車移動は時間がかかるし、クルマを止めるにもお金がかかる。1日止めて駐車料金400円の駐車場もあって、往復の鉄道運賃とちょうど同じだけど、燃料費がさらにかかる。亀岡なら駅からほんの少し離れれば駐車料金のいらない駐車場がある。亀岡・京都間を自走するには道が険しかったり、クルマが多い道を通らなければならなかったり。
 自転車を準備して走り出す。お土産屋や観光客相手の飲食店の並ぶ通りは、歩行者、自動車、人力車であふれている。3年前の今の時期は閑散としてい他ことが嘘のように、観光客が戻ってきた。外国人の姿も多い。渡月橋を渡り、ベンチに腰掛け走る前の腹ごしらえ。持ってきた行動食を食べる。すると雨がぽつぽつ降りだした。えっ、もう?いつかは降ると思っていたけど、ちょっと早いねぇ。
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 とりあえず本降りになる前に少しでも、と桂川自転車道へ。もしかすると、すぐに止むかもしれない。しかし、期待もむなしく、雨は強まっていく。自転車道は、右岸の車道の端の車歩道から河川敷へと降りる。最初の雨宿りポイント、松尾橋が見えてきた。が、既に先客がいた。ランニング(ジョギング)の女性だ。気まずいので素通り。この雨脚なら、まだもうちょっと走れる。ランニングだと次の橋まで時間がかかるので、本降りになる前に雨宿り場所に退避しておかないといけない。自転車なら、次の雨宿りポイントの上野橋がもう見えてきた。よかった、誰もいない。でも、結構濡れてしまった。まあ気温が高いからすぐ乾くだろう。乾くといっても汗で湿った状態だけど。スマートフォンの降雨レーダー画像を見ると、雨のエリアは狭い。15分もすれば止む見通しだ。行動食の残りを食べる。
 気づくと空が明るくなっている。橋上の路面の排水パイプから滴る水の音で気付かなかったが、もうほとんど降っていないようだ。すぐに走り出す。路面は濡れているので、泥除けが頼もしい。進んでいけばすぐに路面は乾いた状態となり空も明るい。当面雨の心配はなさそうだ。
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 草むらから畑へと変わった河川敷。その中の道を行く。一旦国道9号の橋を潜り抜けてから堤防に上がりながらUターン。国道9号へ。そして橋を渡る。交通量の多い国道なので桂川自転車道に指定されている自歩道を行く。車道だと右側通行になっちゃうしね。左岸に渡れば、また河川敷へ。畑の中だ。阪急電車の鉄橋、さらに車道の橋をくぐって進むと、河川敷は畑から野球やサッカーのグラウンドとなる。自転車道は、堤防の上を行く。JR東海道本線や東海道新幹線を超えると、川の反対側は工場がしばらくつづく。また、桂が野さんには、天神川、西高瀬川、鴨川などが合流してくるので、それらを渡る。河川敷には運動場が連なり、反対側は住宅街。橋をくぐるとき以外は、自転車道は堤防の上を行くことが多くなる。自転車道の道幅が狭い。対向車が来たときはもちろんだが、背後から早い自転車が追い越してくる可能性もあるので、常にキープレフトを心掛ける。ただし、今日は自転車が少なめ。
 京治バイパスの高い橋が見えてきた。桂橋だ。その桂橋と並行して架かる桂橋よりも低い橋が国道478号の天王山大橋。この橋で桂川を渡る。自転車は、自歩道へ。行く手には北の天王山、南の鳩ヶ峰が迫る京都盆地の出口。桂川、宇治川、木津川が合流して淀川となる。ここまで桂川自転車道は桂川の左岸、つまり桂川と宇治川の間を走ってきたので、このまま淀川に沿って下るとなると、橋を渡らないといけない。淀川左岸を行くならば御幸橋で宇治川と木津川を渡る。木津川自転車道へ接続する場合も同じく御幸橋。
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 この先淀川右岸を行くと胃の橋の渡り方をあまりよくわかっていなかった。これまでは、国道478号の天王山大橋より一つ京都市内よりの宮前橋で桂川を渡っていたが、橋から淀川右岸の自転車道への接続があまり良くなかった。一部車道を通らないといけない。今回は、天王山大橋を渡れば車道に出ずに行けることを学習して挑んだ。
 天王山大橋を渡りながら、前方の空が黒い雲にい覆われていることに気づく。嫌な感じだ。黒い空は北西方向。橋を渡ると左、つまり南西に進路を変えるので雨に出会わないかもしれない、という期待もむなしく、橋を渡りきる前に冷たいしずくが落ちてきた。しかも、それはどんどん大きく密度の高いものとなる。橋を渡り切ったら、国道478号を離脱、いったん東に向かってすぐUターンして今渡った橋をくぐる。そこでいったん雨宿り。スマートフォンで降雨レーダーを確認。京都市街に大きな雨の襟が広がっている。その南の端が現在地にかかっている。雨のエリアは東へと移動。当方はここから西へ。一気にすれ違ってしまえるのではないか。そう思って橋の下を飛び出す。が、雨は土砂降りになってきた。駄目だ。引き返すのは悔しいので、次の雨宿りポイントへ向けて加速する。細い道がダートになった。どこへ向かっているのかよくわからないままもがく。再び舗装路になって、雨宿りできる場所に到達。ずいぶん濡れたけど、まあすぐ乾くだろう。
 雨脚はさらに強まる。道路にみるみる水がたまり川のようになる。スマートフォンで降雨レーダーを見る。15分もすれば雨のエリアは通り過ぎるようだが、よく見ると1時間当たり100mmを超える最上級の降り方を示す紫色のエリアが現在地にかかっている。こんな状況だと見動きは取れない。しばし、待つしかない。
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 時折頭上で轟音が鳴り響く。この音は? 雨宿りしているのは東海道新幹線の高架下(アンダーパス)だった。すぐそばでひっきりなしにクルマが通行する音が聞こえる。国道171号が近いようだ。
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 毎年晩夏から初秋の時期に京都・大阪間を走っている。今年の夏は猛暑で、さらに残暑も厳しく、9月下旬にずれ込んでしまった。9月上旬に一度計画したが、「雨時々曇り」、そして高温の予報に見送った。その日、インターネットで降雨レーダー画像やアメダスを何度もチェックし、見送りの判断が正しかったのかの検証をした。結果的には雨は昼過ぎの短時間のみ。最高気温は予想ほど上がらず31度台と、まさに今日と同じような状況だった。ちなみに今日の天気予報は、「曇りところにより一時雨」、というようなものだったと記憶している。
 降雨レーダーの予想通り、15分ほどで雨は上がり空が明るくなってきた。さあ、行こう。
 新幹線の高架下を出て、いったん国道171号へ。アンダーパスしていたのは、細い道だけではなく、桂川にそそぐ小泉川。小川といっていいような細い川だが、橋が架かっていないと渡れない。というわけで国道171号の橋で小泉川を渡る。橋には自歩道があるので車道には出なくてすむ。
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 小泉川を渡ったら、国道171号を離脱し堤防の上を行く。道は細く両側から先ほどの雨でぬれた草がせり出している。路面も濡れていて泥除け活躍している。そのうち路面は乾いた状態となった。このあたりから南は、先ほどの雨のエリアから外れていたようだ。前方の空は明るく、この先も雨の心配はなさそうだ。でも、振り返れば京都市中心街上空はまだ黒い雲に覆われている。
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 堤防の上を進みながら違和感を感じている。こんな道通ったっけ。いつも反対向きに走っているから、見覚えがないのだろうか。年に1度しか走らないし。いや、いつもは河川敷の道を走っていたような気がする。そんなことを考えているうちに国道171号に合流してしまった。狭い道に片側2車線を通しているので、路肩は狭い。自歩道もない。ビュンビュン走るクルマにおびえながら行く。600mほど先で分岐する河川敷に降りる道に逃げ込んで安堵。短い区間だが、十分にストレスを感じた。
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 帰宅してから確認したら、天王山大橋を渡り、堤防の上を少し東に進んだ後のUターンが逆向きだった。右にターンし河川敷に降りるべきなのに、左にターンしてしまった。左ターンの分岐が少し手前にあるのでそちらに吸い込まれてしまった。河川敷に降りれば小泉川を渡る橋も架かり、国道171号にはノータッチで行けたのだ。また、小泉川を渡った後の堤防の道から、河川敷に降りるエスケープルートもあったのに、現場ではそれを見つけられなかった。
 この先ずっと河川敷の道を行く。もうここは桂川・宇治川・木津川は一つにまとまり淀川。大阪府に入っている。このあたりで行程の4割を少し超えたくらい。まだ半分も来ていない。
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 広い河川敷には、野球やサッカーなどのグラウンド、対岸にひらかたパークの観覧車が見えてくると、ゴルフ練習場が次々と現れる。たまにあるのがバーベキュー場。厄介なのがこれらの施設の駐車場へと続く道と河川敷の道が交差するところ。河川敷の道は歩行者・自転車専用なので、交差点には車止めが設置されている。この車止めは、4輪車だけでなく、自動二輪車、原付自転車も入れないように、タイトに作られている。自転車で走行したまま通過することはまず不可能。ここを通行する自転車乗りの間では、淀川自転車道の名物となっている。特に本日乗っている16インチ小径車は、リアディレイラーの位置が低く、車止めの突起部分と干渉するので、後輪を持ち上げないと超えられない。施設の遊歩道にエスケープして車止めを通らずに行く方法もある。何度かエスケープしてみたが、回り道だったり、ダート部分があったりで面倒になって、結局車止めを超えていく。
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 しかし、風景も道の様子も大変わりはせず退屈な走りとなる。桂川沿いは、右岸と左岸そして堤防の上と河川敷をそれぞれ行ったり来たりするので比較的退屈はなかった。淀川沿い区間も、堤防の上の道に上がれば、川の外側の景色も見られ底屈せずに行けるのだが、そこは車道。交通量は少ないが、道幅が狭くクルマが近くを通り過ぎるのでストレスになる。高槻市・茨木市を過ぎ、摂津市あたりまで来ると。堤防の上の道はクルマが入れない道となるが、次々に現れる橋に行く手を阻まれる。そのたびに河川敷に降りて橋をくぐらないといけない。淀川の堤防は、桂川のそれよりも高く、アップダウンがなかなかきつい。しかも、大阪市に入ると車道の橋に鉄道橋が短い間隔で現れるようになり、堤防に上がるのが面倒になる。
 また、向かい風を少し負担に感じる。この時期は南寄りの風が吹くことが多いので、京都から大阪を目指すとどうしても向かい風となる。予報では、風は2m/s以下ということで、あまり気にならないと思ってこの向きに走ることにした。川の流れに沿っての下り基調ということになるし。帰宅後、アメダスの観測を見ても予報通りの風の強さ。たとえ無風でも、自転車で走ればおよそ20㎞/h、つまり5~6m/sの風を受けることになる。それが、7~8m/sになるということは、そう大きな変化ではない。なのに向かい風を負担に感じるということは、そろそろ疲れてきたのだろうか。それとも、アメダスの設置された場所より川沿いは風が少し強まるということなのか。
Img_5990 Img_5991 Img_5992  それでもめげずに走っていくと、対岸の堤防の向こうがビルの立ち並ぶ都会の景色になってきた。梅田の高層ビル群も、ずいぶん近づいてきた。対岸に、「毛馬こうもん(閘門)」の文字が見えてきた。大阪城のすぐ近くを通り、中之島や淀屋橋のある大川の分岐点。その大川は本来の淀川(旧淀川)。毛馬閘門から先、大阪湾までの淀川最下流部(新淀川)は治水のため、明治時代に開削によって造られた人工の河川だ。水位が異なる新淀川と大川を船が行き来するための水位調整のための施設が毛馬閘門だ。
 さあ、もう少しだ。車道の新御堂筋、地下鉄御堂筋線の新淀川大橋で淀川とお別れ。堤防を越えて、阪急南方駅へと北上。北上といっても、ほんの200mあまり。それでも、のどかな川沿いから、たくさんの人々とクルマが行きかう大都会の真ん中へと景色は急展開。
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 阪急電車に乗り込む前に、ラーメンで遅い昼食。「笑福西中島店」は昼前から深夜まで通し営業なので、15時過ぎに訪れても大丈夫。ただし、少し値上げされていた。さらに野菜増し増し以上は有料とのこと。
 輪行袋に自転車を収め、南方16時過ぎの準急に乗車。そろそろ夕方の時間帯となり、車内は少し混雑している。逆コースなら昼前の空いた時間に列車に乗れる。それでも、途中から座ることができた。京都線は比較的すいているのだ。神戸線ならまず座れない。
 高槻市で特急に乗り換え。座れなかった。桂で嵐山行に乗り換え。この時間に嵐山に向かう列車は空いていて座れた。
 阪急嵐山駅からJR嵯峨嵐山駅までは1.5kmほどあるので、輪行袋から自転車を出して走る。相変わらず歩道は人で、車道はクルマでいっぱいの渡月橋を渡る。自転車で5分走って、また輪行。乗車時間10分でJR亀岡へ戻る。駐車ポイントまで5分の走行。この走行と輪行の慌ただしい繰り返しを、元気なうちに済ませるか、疲れた体(と心)でこなさねばならないか。今回のコース進行方向だと後者だったわけだが、大阪から京都までの30分余りの電車で体力はやや回復し心も落ち着いた。
Img_5996 Img_5997 Img_5998  昨年は8月31日に大阪から京都への進行方向で走ったが、最高気温36度の猛暑日だった。暑さで体が動かなくなり、嵐山手前の木陰で休まねばならななかった。そして嵯峨嵐山駅からの輪行で、急げば間に合うタイミングで跨線橋の階段を下りていたが、急げなかった。
 この日の京都市の最高気温は、30度をわずかに超えたくらい。去年より5度以上も低い。それでも湿度が高く、汗びっしょり。
 9月下旬、61.5km

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2023/09/19

空と海の間に2023(舞鶴大浦半島空山)

 京都府と福井県の境、若狭湾に突き出した大浦半島は、舞鶴港を抱え込むように西、つまり京都府側に張り出している。その張り出し部分には、西に多祢寺山、東に空山とどちらも標高約550mの山が並んでいる。それぞれの山頂付近までアスファルトで舗装された道がつけられ自転車で登頂できる。ふもとから山頂を経由する周回が可能だ。
 1999年9月には空山、多祢寺山を立て続けに訪れた。その後両コースを何度か訪れたが、空山は2008年、多祢寺山は2013年を最後に大浦半島から遠ざかっていた。
 そんな大浦半島を昨年(2022年)久しぶりに訪れた。7月に多祢寺山コースを走った。しかし、空山コースは、周回の途中、半島北岸の野原・小橋間の府道21号が(大雨の)災害により通行止め。交通量の少ない道の復旧には時間を要する。翌シーズンへ持ち越しだ。
 年が明け、府道21号は開通。と思ったら、今度は、三浜峠から空山へ登る道の途中で土砂崩れが発せし通行止め。Googleストリートビューでその土砂崩れの様子が見られる。撮影日は2023年5月とのこと。また同じくGoogleマップの空山展望台公園のクチコミには、7月2日にクルマが通れないため三浜峠から歩いて展望台を訪れたという書き込みがある。ならば自転車も通り抜けることはできるだろう。もしかすると、その書き込みがら2か月の間に復旧工事が始まっているかも知れない。工事中は自転車も人も通れない。ただ、8月15日に近畿地方を直撃した台風7号により、舞鶴市内の内陸部の山間部で被害が出た。一本道が通行不能となり一時孤立した集落もあった。応急処置で孤立から解放され、その後本格的な復旧工事となる。建設業者の人でも市の予算もそちらが優先。生活道路ではない空山への道は後回しだろう。台風以前に工事が始まっていれば話は別だが、まあその可能性も低いだろう。
Sorayama

 というわけで、9月の上旬に決行。舞鶴の市街地から大浦半島へ。多祢寺山と空山の鞍部、三浜峠を越えて若狭湾岸に少し下ったところのパーキングスペースにクルマを止めて自転車の準備。
 標高150mのパーキングスペース「三浜ロードパーク」をスタート。今クルマで走ってきた道を引き返す形で三浜峠へ。天気は良くない。曇天で、時折雨がぱらつく。どうせ汗で全身びっしょりになるのだから、小雨くらいは問題ない。かえって涼しくていい。けれど、空山の頂は雲に覆われ、展望が期待できない。
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 標高195mの三浜峠からは、空山山頂への道へ。道の真ん中に通行止めの看板が立っているが、その両脇は車が通れるほどの空間が開いている。もちろん自転車にとっては、何の障害でもない。どうやら工事も行われていないようだ。
 標高550mの空山山頂までは、標高差約350m。その中間にあたる、標高370m辺りが土砂崩れヶ所。登り坂ではあるが、極端な急坂ではなく黙々とペダルを回す。時折、ブッシュの合間から若狭湾を見下ろす。クルマが来る心配がないので安心していける。
 路上に白いものが落ちている。動物の骨。下あごのようだ。歯があるからシカか。形からしてイノシシではなさそうだ。
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 土砂崩れの個所に到着。山側から土砂と一緒に立木や電柱もなぎ倒されている。ただし、海側は1.5mほど空いていて、自転車は問題なく通れる。自動二輪も大丈夫だろう。軽自動車は無理だが、一人乗りの超小型電気自動車も通れそうだ。
 この土砂の撤去だけなら日数はかからないだろうが、また再発しないように法面を固める必要がある。これにはそれなりの期間が必要だろう。片側工事で対応できるほど道幅は広くないし、何より生活道路でもない道だから、その期間も通行止めとなるだろう。今のうちに来ておいてよかった。
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 土砂崩れ地点を越えると、周囲は霧に覆われてきた。展望はもうあきらめるしかないが、涼しいのが幸い。そして幻想的な雰囲気に包まれた空山展望台公園へ。ここまで何度かシカの姿を見た。通行止めの看板を背後から超えて、展望台へ。見事に五里霧中。
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 さあ、大山へ向けてのダウンヒル開始だ。15年前の2008年には未舗装だった道だが、今は舗装されている。Googleマップのクチコミには、三浜峠側が通行止めなので、大山側から車で空山へ上ったという書き込みがあった。ほんの1週間前のことだ。道が狭く曲がりくねっている、という記述はあるもののダートということは書かれていなかったので、今日はブロックタイヤでなく、舗装路用のホイールで来ている。
 気持ちよく下っている途中、山側の法面のブッシュからガサゴソと音が聞こえた瞬間、猛スピードでがけを駆け下りてくるものが現れた。シカだ。まっすぐこちらへ向かってくる。あわや衝突、と思われたがぎりぎりで背後を通り抜けていった。危なかった。
 思えば、今日乗っているランドナーで9月に何度かアクシデントを起こしている。2020年9月には、兵庫県香美町・豊岡市の三川山のダート道の下りで木の枝がスポークの間にささって前輪がロック。前のめりに転倒して、右肩などを負傷。自転車は、前の泥除けを損傷した。翌2021年9月には、兵庫県養父市大屋町の山中で、道路を横切る側溝に前輪を落とし、やはり前のめりに転倒。右肩などを負傷。前年よりも重傷。また自転車は、前輪のリムが割れ、フレームもトップチューブとダウンチューブを損傷し再起不能と思われた。しかし、2022年暮れにフレームビルダーにフレームを修理してもらって、2023年から復活して今に至る。
 衝突しなくて本当に良かった。これまでに自動車の側面にぶつかられたことはある。クルマならボディがへこむ程度で済んだが、今回は自転車である。しかも、崖をかけ下った勢いでぶつかられたら、どうなっていただろうか。周囲を見ずにとにかく突進することを表す「猪突猛進」という言葉があるが、「鹿突猛進」と言ってもいいくらいだ。まあ、向こうも寸前でこちらをかわしてくれたようだから、イノシシよりは少しだけましなのかもしれない。
 シカの悪質タックルをかわして下ったら、丁字路へ。突き当たった道は府道561号線だ。大山峠ともいうらしい。標高は約300m。もう霧はない。降りてきた道には「通行止」の看板が立っているが、「展望台までは通行可」とも記されている。
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 突き当りを左折。標高差100mほど下ったら大山の集落。海が近いはずだが、標高は200m程あり、山村の雰囲気。集落の中の分岐を直進すれば田井、そして成生(なりゅう)の漁港集落。そっちにはもうずいぶん行っていない。30年くらい前にクルマで一度行ったことがあるだけだ。
 で、その分岐を左へ。府道31号線で野原の集落へと下る。海水浴場と漁港のある小さな集落。振り返れば頂が雲に覆われた空山。その雲の中の涼しさが嘘のように、ここは蒸し暑い空気に覆われている。
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 集落を抜け海を右に見ながら進む。沖合には小さな無人島。よく見れば、その向こうに冠島がぼんやり霞んでいる。標高100m程のアップダウンを越える。この区間のどこかで土砂崩れが起こり昨年は通行止めになっていた。
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 小橋(おばせ)集落へと降りる。すぐ沖に浮かぶ島は、よく見ると陸続き。陸繋島のようだ。その沖に点々と離島が並んでいる。
 丸山小学校の跡を通過。木造の校舎がレトロ。さらに集落に沿って西に行くと、集落名は三浜となる。家並みに切れ目がないから一つの集落のようだが、それぞれに漁港と海水浴場のビーチがある。
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 集落の中の道を行く。伊根の舟屋集落の道を思い起させる。狭くてクルマは通れない。それぞれにお地蔵さんがいる小さな祠が4つ並んでいる箇所があった。
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 ちょうど多祢寺山と空山の鞍部が見える。ああ、あそこまでい登るのか。集落を抜け三浜峠へ最後の登り。三浜ロードパークまで標高差150m。コースの最後が登りというのはあまりよくない。体中汗びっしょり。髪の毛は水をかぶったようだ。
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 初めて訪れた時は、同じ三浜ロードパーク起点・終点で時計回り周回。大山から空山への登りが未舗装だということを知らなかった。そのあとはダートの下りを楽しむために反時計回りの周回とした。下ってゴールしたいので、大山付近にクルマを止めたこともあるが、あまりいい駐車地はなく、道路脇のわずかなスペースに止めていた。今日は、通行止めの可能性のある区間を最初に超えるために、この周回とした。引き返すことになった時の負担をできるだけ減らしたい。特に、登り返して戻りたくない。
 また、海から空山山頂までの登り標高差を最初と最後に分けることで、体の負担を軽減できた。標高差550m程度とはいえ、気温30度を超える真夏日。今度はいつになるかわからないが、もっと涼しい時期に、通行止めが解消された状態で、時計回りで走りたい。
 舞鶴市街のスーパーマーケットでアイスクリームを買って、ラーメンを食べてから帰宅。帰宅途中に降り出した雨は夜にも降り続いた。
 9月上旬、21.6km

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廃村小城台風の爪痕(香美町村岡区)

 兵庫県北部香美町村岡区の矢田川沿いを起点に、山間部の小城集落を経由する周回コースを何度か走っている。初めて走ったのは1999年10月。その頃はまだ小城の集落には人が住んでいる気配があった。実はその10年以上前に、集団移転により廃村になっていたのだが。その話は後述する。
 一昨年9月、そのコースを22年ぶりに走った時には、小城集落を通らなかった。集落は、周回コースから少しだけ外れているためだ。昨年の9月に三度走った時には、700mの急な登りを越えて小城集落を訪れてみた。数件の家屋は朽ちもう生活の気配は感じられなかった。
 今年も走ろう。と思っていたら、8月15日に台風7号が近畿地方が南から北へと縦断。矢田川が増水し、川沿いの道路が冠水する映像が何度もTVで流された。まさに周回コースの一部。その矢田川沿いは、よほどのことがない限り全面通行止めとなることはない。多少の損傷なら、片側通行止めで何とか復旧する。問題は山間部の細道だ。災害のあと何年も通行止めが続いたり、場所によってはそのまま廃道となることもあり得る。
 兵庫県の道路交通システムによれば、小城周辺の山間部の道に「規制あり」の表示はない。ただし、道路交通システムは国道及び県道の規制を示すもの。和佐父・小城間の道は国道でも県道でもなく、おそらく町道だ。また、小城・山田間は県道     号だが、落石の多い狭隘かつ急勾配の道で通行困難、要するに「通るな!」とされている道。道路の被害の様子さえ、誰も把握していないのかもしれない。
 9月を待たず、台風の1週間後の8月下旬、行ってみた。
 まずはクルマで矢田川沿いの県道4号を走ると、ところどころアスファルトの上に薄い層ではあるが、茶色い土砂に覆われているところがある。矢田川の水があふれ土砂が堆積した痕跡だ。重機で土砂は撤去されているが、まだまだ生々しい爪痕だ。
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 矢田川沿いの県道4号から和佐父への登る道の分岐には何やら立て看板がある。通行止めの知らせか、と思ったら神大ラリーの迂回路の案内。神大ラリーとは神戸大学自動車部主催の自動車レース。それが9月17日に行われ、この山中の稜線を行く森林基幹道がコースとなり、当日は通行止め。和佐父を経て小城へ続く道が迂回路となる、とのこと。
 小城まで行けるのか。さらにその奥の森林基幹道ももとれるのか。
 矢田川沿いの県道4号の道路わきのスペースにクルマを止めて自転車を準備。南へ向けて走り出す。国道9号線に突き当たる手前、川会集落の入り口が和佐父への入り口。スイッチバックするように急な登りが始まる。
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 山からの小さな沢が道路わきの側溝へ水を流している。今はちょろちょろとしか流れていないが、路面には石や砂が散らばっている。
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 和佐父の集落に入っても急勾配が続く。ヘアピンカーブの落差が凄まじい。路肩には土砂が積み上げられ、ちょうど重機で除雪されたあとのようだ。
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 集落を抜けると、道は木々に囲まれ薄暗い雰囲気。かつて田畑だったと思われる平坦な土地も時折みられる。また、ところどころに除雪の後のように土砂や倒木が路肩に積み上げられている。
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 道路が沢と交差する区間にやってきた。そこでは道が3つに分かれている。左右両側の道が旧道で真ん中が現道なのだが、その真ん中の現道が倒木などが積み上げられふさがっている。近づいてみると、沢にかかる橋が崩壊、陥没している。だから車止めとして倒木が積み上げられているようだ。
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 現道がふさがっている代わりに、向かって左、崖側の旧道を通行できるようにしてある。崖からの落石や土砂が積もって廃道と化していた道を急遽復帰させたというわけだ。ちなみに右側の道は、沢に架かる橋が完全に破壊され消失している。沢に絡んだ道は維持をするのも大変だ。
 沢を超えると、3つにわかれた道は合流、一本道となる。ドーナツ模様のコンクリート舗装。かなりの急坂だ。ペダルが重い。そして暑い。
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 急勾配と、暑さにあえぎながら、標高650mの最高地点までやってきた。後はくだりだ。
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 少し下ると、路肩に重機が止まっていた。道路に積もった土砂を無人だが、キーが刺しっぱなしだ。
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 さらに下ると、道路一面に石や土砂が堆積した区間が現れる。まるで河原のようだ。自転車を降りて超える。どうやら先ほど止まっていた重機は、土砂の鉄橋作業を行うためのもので、その作業は進行中ということのようだ。
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 またさらに下ると、すでに廃屋となった一軒家がある。その前の道も石と土砂だらけだ。さらに行くと、小城の集落への分岐がある。が、その手前で道幅の半分ほどが陥没崩落している箇所があった。崩落せずに残っている部分には上から崩れてきた土砂が堆積しているが、自転車担いで乗り越えることはできる。ただしクルマは通れない。Googleストリートビューでは、10年前、2013年に撮影された風景を見ることができる。当時は道路わきの倉庫があったが、今は倒壊している。
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 本当にこの道を寝台ラリーの迂回路として使えるのだろうか。路面に積もった土砂は、重機で撤去すればいい。しかし、崩落した路盤を復旧するには、かなり時間がかかる。崩落せず残った路盤は、クルマが通行するには狭いように思われる。それに、強度の問題もあり、道路を修復するまでは通行止めとなるのが普通だ。
 さて、どうしようか。前述の通り、自転車ならば目前の土砂を乗り越えて先に進むことは可能だ。しかし、目前の崩落区間を越えても、その先が心配だ。小城の集落への分岐を越えると、道は完全に1車線分の道幅しかなくなる。「この先幅員狭小急勾配急カーブ車両通行困難」の看板が立ち、通行の自粛を求められている道だ。道幅すべてが崩落しているところがあるかも知れない。そうなると引き返すしかない。下ってきた道を引き返すということは登り返しだ。
 結局、それ以上下ることをやめ引き返すことにした。最高地点までの登り返しの標高差は、約150m。
 カーブの向こうからエンジン音が聞こえる。先ほど路肩に止まっていた重機だ。昼休みを終えて、道路の復旧作業再開、ということらしい。崩落区間のことは把握されているのだろうか。
 というわけで、周回ではなくピストンコースとなった。
 後日、神大ラリーの公式Webサイトを見ると、9月17日の催しは中止、とのこと。やっぱりそうだよね。
 山間の道の復旧はいつになるのだろう。廃村ではあるものの、小城集落の家や土地の所有者が訪れることもあるだろう。しかし、復旧工事の着工でさえもかなり先のことのように思われる。
 8月下旬、22.6km
        *        *        *
 香美町教育委員会等により発行された「小城追憶-小城民俗調査報告書-
によれば、昭和59年(1984年)小城集落の約10世帯が麓の和田地区に集団移転し、小城は事実上の廃村となっている。ただし、小城追憶の冒頭「はじめに」の文章にはその著者が小城を訪れた時のことが記されていて、集団移転から23年後の2007年には、まだ家が手入れされ庭の草もかられ田んぼに稲が育っていたとある。しかし、2012年に訪れた時には、すっかり荒れていたそうだ。

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物見峠越えと因美線レトロ駅舎巡り

 4月に津山を訪れた時に因美線というローカル線の駅に立ち寄った。映画「男はつらいよ」のロケで使われた木造駅舎の「美作滝尾駅」と、桜のトンネルの中にホームがあるだけの「三浦駅」。駅の時刻表を見ると、日中は上下合わせても列車は2,3時間に一本。そんな超ローカル線には、他にもレトロな駅舎が並んでいる。その路線に並行する県道は、鳥取・岡山の県境越え路線として国道53号の裏道にあたり、どう考えても交通量は少なそうだ。4月上旬にはまだ冬季閉鎖が明けていなかった。
 その道を走ろうと思ったが、程よい周回コースが描けない。ピストンコースか。いや、因美線を使えばいいのだ。
 丹後の自宅をクルマで出発。鳥取を経由し2時間40分ほどで智頭町のJR因美線那岐駅到着。木造のレトロな駅舎。その駅舎の一部、駐輪場へ自転車をデポジット。駅の見学は後回しにして先を急ぐ。国道53号黒尾峠で鳥取県から岡山県へ。奈義町から津山市へと入ってすぐに、国道53号から北にそれ、津川川沿いへ。三浦集の県道脇スペースにクルマを止める。春の桜の時期には、鉄道カメラマンのクルマが何台も止まっていたが、今日は私のクルマだけ。三浦駅から智頭行きの列車に乗り込む。葉桜のトンネルもまたいい。3時間に1本の列車を逃さず乗れて一安心。1両のみの編成のディーゼル車は、旅行者、地元の人などでそれなりに席が埋まっているが満員ではない。ボックス席を独り占めして座ることができた。
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 列車は加茂川沿いを行く。旧加茂町の中心街にある美作加茂駅を過ぎると、停車するのは小さな集落のレトロな木造駅舎ばかり。すべて無人駅。駅舎巡りは、後程自転車で。
 そんなレトロな駅の一つで若い女性3人組が下りて行った。ちょっと派手目のいでたちで、ローカル列車の中で異彩を放っていた。
 加茂川から物見川となった川沿いを離れ山間に入る。3kmを超える物見トンネルで県境の山を貫き鳥取県へ。県境を越えた最初の那岐駅で下車。
 列車を見送ったら、まずは駅舎見学。こ線橋ではなく、踏切で対岸のホームにわたり駅舎へ。除雪用のスコップなどが置かれ雪深い冬の様子が垣間見える。今はものすごく暑いけどね。山際の傾斜地に立つ駅は、ホームが高い位置にあるので、長い階段を下りて改札口へ。駅舎内には、図書館のように本棚があり本が並んでいる。
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 駅舎の一部の駐輪スペースで2時間ちょっと前にデポジットしておいた自転車に再開。駅舎をバックに記念撮影して、スタート。

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 駅前の商店も、またレトロ。今は営業していない店のようだが、タバコ屋か雑貨屋か駄菓子屋といったところか。陳列棚に並ぶアニメなどのキャラクターのフィギアやクルマの模型などのおもちゃ。商品として並べているわけでなく、コレクションのようだ。
  鳥取・岡山県境の物見峠へ向かう。県道295号を行けばいいのだが、しばらくは、土師川の対岸の細い道を行く。那岐のある集落のはずれに大きな建物が数棟ある施設。おそらくかつて学校だった施設だが、現在は宿泊施設や売店となっているようだ。正面の門には「いざなぎ交流館」と記されている。帰宅後調べたら、旧那岐小学校で、地域のコミュニティセンターも兼ねているとのこと。
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 その「いざなぎ交流館」前の橋を渡り県道295号へ。県道を越えた先の山すそには、国道53号も通っているが、こちらは鉄道などが通る谷とは別の谷に分かれ、黒尾峠へと斜面をかけ上がっていく。
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 さて、狭い谷に鉄道と川と車道が伸び、そして谷が開けると田んぼが広がり、集落が現れる。宇塚の集落で、県道295号は因美線や物見側と別れる。いよいよ物見峠への登りが本格的に始まる。しかし、暑い。この暑さの中、登らなければならないとなるとうんざりだ。でも、自分が好きでやっているのだから仕方がない。
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 家が途切れ、山間へと入る。県道295号は細く、そして急勾配だ。植林の中を登っていくと、智頭町の中心街から伸びてきた県道4号に合流。295号よりは道幅が広くなる。若干勾配も落ち着いたようだが、登りであることには変わりない。
 標高627mの物見峠へ到着。那岐駅からは350mほど登った。木々に覆われ展望はない。カントリーサインが立っている。那岐駅からほとんどクルマに出会わなかった。
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 まずは一気に下る。谷に降りると緑の水田が広がり、やがて集落となる。岡山県側最初の集落は物見奥。瓦屋根の家並みに茅葺き屋根の家もみられる。しかし、屋根が朽ちて穴が開き、家の中が見えている。
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 集落を抜けるといつの間にか因美線の線路と並走するようになる。さらに物見川も並走に加わる。
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 谷が広がり水田地帯が現れるとやがて集落に入る。岡山県側最初の駅は「美作河井駅」。木造駅舎の中を見学する。色褪せた写真が貼られ駅舎の模型が置かれている。駅舎の外、広い敷地の片隅には転車台。ラッセル車の方向転換のためだそうだ。つまり、ラッセル区間はここまで。つまり、ここから鳥取方面のみということ。
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 往路の列車から女性三人組が下りたのは確かこの駅だったが、周囲には若い女性の立ち寄りそうなスポットは何もない。
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 また、加茂川の渓谷を見ながら走り、つぎの田園と集落へ。そして知和駅。ここも古い木造駅舎。中にはここにも駅舎の模型がある。リアルになかに置かれているものまで再現されているならば、模型の中に模そのまた模型が置かれ、それは駅舎のマトリョーシカだな、などとつまらないことを考える。
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 その先は物見川から名を変えた加茂川を見ながら進み、谷が開けて河岸段丘に広大な田園が広がる。いつしか周囲には家が立ち並び、旧加茂町の中心街。美作加茂駅は、田舎の駅ではあるが、これまでの駅と違い駅員がいそうな雰囲気。でも切符売り場の窓口にはカーテンが引かれ駅員の姿は見えない。
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 加茂の中心画を抜け、加茂川沿いをしばらく行くと、三浦の集落。もう一度三浦駅の前へ。春に訪れたときは桜色だった並木も今は緑のトンネル。
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 駅から駐車ポイントまではすぐ。自転車を車に収める。
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 今日は津山の市街地には寄らず来た道を戻る。国道53号に戻り奈義町との境の手前、河本食堂へ。ネットの口コミで大盛と話題になっているカツどんをいただく。
 7月中旬、26.1km

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2023/05/07

薫風の丹後半島一周2023

 当方のGWはカレンダー通り、よりも1日短い最大4連休。遠出はせず、丹後半島一周でもしようと思っていた。連休前に発表された週間予報によれば、天気が悪い。実際には天気の崩れは事前の予報より遅れ5月3,4日は晴れとなった。3日は体を休め、4日に決行。こうして今シーズン初、生涯通算55度目の丹後半島一周が始まった。
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 前日に積図いてのだらだら過ごす休日の朝。出発は11時過ぎ。またもスロースタートとなってしまった。京丹後市弥栄町から西へ。まずは網野町を目指す。竹野川の流れに沿って北上し丹後町間人から海岸沿いを走ってもいいのだが、それだと一周で80kmあまり。今日は、走行距離を100kmの大台に乗せるため、大回りするのだ。
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 府道53号から離湖の西岸を北上して国道178号へ。この178号が基本的に丹後半島一周道路だが、海沿いに出るのはもうしばらく先。小さなアップダウンを越え、国道の旧道で三津の集落へ。小さな漁港がある入江で日本海とご対面。港の(海側の)出入り口にある赤い小さな灯台が映えるということでちょっと話題になっているせいか、港に小さなカフェができている。また、入江には3艘のカヤック。カフェ主催のカヤック体験があることが後で分かった。
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 国道の現道に戻り海を見ながら進む。旧丹後町の中心集落「間人」へ。トンネルでバイパスする道でなく、集落の中を行く。そして、城島公園から間人漁港までは海岸の道を行く。岩場で日傘をさして座っている人が見られる。弁当を広げてピクニックのようだ。
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 間人の集落を抜けると、柱状節理の玄武岩でできた巨大な一枚岩、立岩。そして、道の駅「テンキテンキ丹後」でトイレ休憩。クルマや自動二輪も多いが、自転車も多い。サイクルラックはいっぱい。みんなロードレーサー(今ではロードバイクという)。ランドナーは私一人。ちゃんとスタンドがあって自立するよ。景色の中に自転車を入れて写真撮影したいからね。
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 道の駅を出発すると、まずは海岸段丘へ乗り上げる急な登り。坂の途中には閉校した小学校跡があり、しっかりとした車歩道がある。クルマの通行が多いので、そちらへ。
 海岸段丘に乗ると少し道は平坦になるが、筆石集落からまた登りとなる。そして、屏風岩を見下ろす展望ポイントへ。海の中にそそり立つ一枚岩である屏風岩。先ほどの立岩とは違い、その名の通り薄い板状である。周囲の海も水が澄んで美しい。東屋のベンチに腰掛け、持参したおにぎりを食べる。
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 さらに続く登りをのんびり進んでいると一台の自転車が追い越していった。泥除けはなく、ドロップハンドルとロードレーサーのようだが、タイヤはランドナー並みに太い。服装も自転車専用という感じではなく、ゆっくりと追い越していった。道の駅ではあんなにたくさんの自転車を見たのに、追い越していく自転車は少なかった。一方、何度かすれ違う自転車と遭遇した。時計回りに走らないと、海の景色を楽しめないよ。
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 犬ヶ崎トンネルを抜けて丹後松島を眺めて、アップダウンを繰り返しながら東へと進む。自動二輪もクルマも多い。センターラインは引かれているもののさほど広くもない道で自転車を追い越すのに、対向車が途切れるまで待つクルマは本当に少ない。特に、普通乗用車よりも二回るくらい大きなキャンピングカーがすれすれを追い越していったのには肝を冷やした。少しでもバランスを崩したら、こちらは道路から転落、大惨事だ。しかも、追い越しは非常にゆっくり。すれすれを長時間並走された。さらに、追い越した直後、カーブが連続する所を自転車より遅いノロノロ運転。背後には長蛇の車列。なんとマイペースな運転だろう。あとで再びこのキャンピングカーと遭遇するのだが、乗っていたのは60代くらいの一人の男性。自由気ままな一人旅といった雰囲気。運転スタイルも、自由気ままなゴーイングマイウェイ。
 久僧で少し内陸を行く国道178号を離れ海沿いへ。海水浴場のビーチや丹後松島を形成する小さな岩々を見ながら進み中浜港を越えたら国道へ復帰。
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 自衛隊の分屯地とアメリカ軍のレーダー基地を過ぎ、袖師の集落へ。波が打ち寄せてサーファーの姿が見られることが多いが、今日の海は穏やかでサーファーの姿はない。
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 さあ経ヶ岬へ。標高0mから50mほど登ったらいったん平坦になるが、岬へと向かう道の分岐点を過ぎたらまた登りが始まる。標高100mあまりの白南風隧道へ、これまでのアップダウンよりも大きな登りだ。
 白南風隧道を抜けると景色が一変。海を見下ろす断崖絶壁の道。カマヤ海岸だ。空気が澄んでいればはるか若狭のリアス式海岸が見えるのだが、今日は霞んでいて見えない。
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 緩やかな下りを快走する。甲崎でトイレ休憩、そしてまたおにぎりを食べる。
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 甲崎を出発。蒲入の漁港を見下ろしてから蒲入トンネルを抜けて本庄宇治。ここで国道178号線としばし分かれて、海岸の町道へ。内陸を行く国道と比べて野室崎、新井崎と海の絶景が楽しめる道だが、交通量は非常に少ない。印象としては9割が国道という感じだ。その方が静かでいいんだけど。
 景色がいいけど、アップダウンは国道よりきつい。まずは野室崎越え。登り始めの勾配がきつい。その急坂の途中に数本の八重桜の木がある。かつては、GWの初めまで残り花があり、5月になっても根本は花びらのじゅうたんということがあったが、今年はもうすっかり葉桜。嫌なんだか景色が違う。木が折れたのか。
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 登るにつれ勾配が緩やかになり、標高130mあまりまで上り詰めた。青い海、そしてこれから向かう新井崎や冠島、沓島が見える。
 泊へと下る。絶壁に囲まれた小さな入り江のビーチでは、家族連れなどたくさんの人が遊んでいる。裸になって海に入っている人もいる。ビーチのそばの道路わきにはカヤックも。
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 今度は新井崎を越えるアップダウン。やはり登り始めがきつい。標高80mあまりで緩い下りとなる。海の手前は広い田んぼ。かつては千枚田と呼ばれる小さな棚田だったが、30年以上前に耕地整理された。
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 前方から自転車がやってきた。サイクリストっぽくないいでたちの若い女性2人組。ということは…。やはり電動アシスト自転車。伊根にもレンタルの拠点がある。
 新井の集落を過ぎると再び登り。町道は2股に分岐。より登りがきつい右を選ぶ。この先は千枚田が残っているのだが、右の方がよりその姿をよく見ることができる。ただし、この数年その千枚田も耕作が途絶えているようだ。農業体験として他所から人を募って田植えや稲刈りのイベントを行っていたようだが、オーナーが高齢となり耕作をしなくなったという。新型コロナウィルス感染拡大の影響もあったのだろう。
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 千枚田を過ぎたら舟屋が建ち並ぶ伊根湾へと下る。2005年に文化庁の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されたが、その10年ちょっと前くらいから観光客が増え、今では天橋立と並ぶ丹後の観光地となった。集落の中の細い道は、元は舟屋と母屋の間の中庭をつないだもの。クルマ社会となり、舟だけが交通手段という生活が成り立たなくなったが、海と山が迫り車道を作る場所がないため、歩行者の通路だった中庭を車道にした。地元の人のクルマだけの時は良かったが、観光客がたくさんやってくるようになって山の中腹に道を通し道の駅も作った。狭い伊根湾沿いにクルマを乗り入れないで、道の駅にクルマを止めて歩いて伊根湾に降りてくる懸命な人もいるようだが、その道の駅に入るにもクルマの大行列ができていた。伊根湾沿いの細い道の一部は一方通行の交通規制が行われていて、その区間に入り込んでいるクルマはほとんどいない。自転車は一方通行の対象外だ。近年カフェなどができ歩行者天国のような状況で、縦横無尽に行き交う歩行者をかわしながら慎重に進む。
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 七面山駐車場辺りは大混雑。駐車場には船着き場もあり、伊根湾巡りの舟が発着している。その乗客や釣り人で駐車区画以外も人がたくさん。どうやら一方通行はここまでのようで、駐車場を出るクルマと入ろうとするクルマのすれ違いに難航しているようだ。交通整理員がいるが、とにかく歩行者が多く、クルマの方が数倍時間がかかる。自転車は歩行者の流れに合わせて進んでいく。
 確か2年前のGWには、一方通行区間がもう少し長かったように記憶している。そうすれば、駐車場に入るクルマと出たクルマがすれ違わなくてよいが、一方で駐車場を出クルマは歩行者でいっぱいの狭い道を延々と通過しなければならず、大渋滞となっていた。一長一短といったところだ。
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 伊根小学校、観光案内所、伊根町跡地などがある三差路から国道178号線の旧道で少しだけ道幅が広くなる。しかし、酒蔵を過ぎたあたりからクルマがぴたりと止まっている。クルマの列の中で様子を見ていたら、反対車線を一台のロードレーサーが通り抜けていった。対向車は全く来ないので、悪いけど私も続く。その先の狭い区間のすれ違いが渋滞の要因。そこを越えて進むとまた渋滞。この狭い道は実はバス路線。そのバスの運営会社である丹後海陸交通の伊根湾巡り観光船発着所の前にバスが止まって乗客が乗り降りしている。かつては舟屋集落の狭い道を行くのに、バスと同じデザインの軽のワンボックス車を先導させて対向車に注意を呼び掛けていた。その先導者を観なくなって久しいが、こんな混雑する日は大変じゃないだろうか。
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 バスが発進したらゆっくりではあるが、クルマは流れ出す。国道178号の現道に合流。海沿いの平坦な道を午後の海風に押されて快走。左前方から栗田半島が迫り、宮津湾へ。天橋立が近づいてくるとクルマが滞っている。少し前に飛ぶ鳥を落とす勢いで私を追い越していったクルマたちが、今は路上で意気消沈している。そのわきを慎重に進んでいく。
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 天橋立の砂嘴で区切られた内海「阿蘇海」の北岸を進むのではなく、天橋立を渡って阿蘇海をぐるりと回る。これも走行距離100kmに到達するためだ。
 天橋立も観光客でいっぱい。歩行者もさることながら、より警戒すべきはレンタサイクルに乗った人々。ここは四輪車や排気量125ccを越えるエンジンを積んだ二輪車は通行不可なので、道路交通法が適用されないとでも思っているのだろうか。そんな治外法権はない。ここは「京都府道607号天の橋立線」なのだ。四角四面にルールを守れとまではいわないが、道幅いっぱいの並走はしないで、基本はキープレフト。対向車や追い越す自転車もいることを念頭においてほしい。もちろん歩行者も。グループで道を塞ぐことなく、突然真横に移動することもなく、そしてせめて前方くらいは注意してみながら歩いてほしい。
 砂嘴の途切れた部分にかけられた大天橋辺りから混雑が増し、橋立水道を渡る廻旋橋から文殊堂前の土産物屋の並ぶ界隈はもう自転車に乗れず押して歩く。
 そんな雑踏を抜け、京都丹後鉄道天橋立駅前の通りを少し走り、阿蘇海シーサイド自転車道へ。車道はここでも滞っている。普段はたまに釣り人かウォーキングの人しか見られない自転車道だが、今日は観光客がちらほらと歩いている。歩行者はどんな動きをするかわからないから要注意。せめてどちらかにより、横方向に動くときには周囲を確認してからにしてほしい。
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 阿蘇海を時計回りに4分の3周したら、海に背を向け府道53号へ。最後にして最大の山越え。登り始めは道の狭い区間。クルマはそれなりに通る。センターラインがない1.5車線、対向車が分からないブラインドカーブの連続する区間でも、平気で自転車を追い越すクルマが多い。私も通勤でこの道をクルマで通るが、そういう追い越しは怖くてできない。
 狭い区間は短く、あとはセンターラインがひかれた区間。路肩も広くクルマのプレッシャーは軽減される。
 標高120mほどまで登ったらいったん緩い下りとなり田園が広がる。わがふるさとの川、竹野川の上流部だ。久住の集落で最後の小休止。腹が減ってきたので、携行しているパンを食べたいが、飲料水が切れてしまった。パンを食べたらのどが渇きそうなので食べないでおく。ゴールは近い。
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 そこから一登りで標高200m。本日の最高点だ。ただし勾配や緩やかなため、中盤の野室崎、新井崎の方がきつく感じる。下りも道は広く、カーブは大きめで、勾配もほどほど。ほとんどブレーキなしで位置エネルギーを効率よく使って下っていく。
 ちょうど100kmでゴールできそうだ、と思いながらたどり着いた自宅で走行距離を確認。100.64km。やったね。

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佐用発美作東部の武蔵の里と棚田めぐり2023

 先日津山を訪れて「ホルモン焼うどん」を食した。そうするとまた佐用でも。というわけで出発。
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 佐用までのアプローチは3時間半。津山と変わらない。マックスバリュにちかい「新さよ」という店へ。開店してしばらくの11時過ぎで1番乗りだった。鉄板がまだ温まっていないのか「ちょっと待ってね」と店主さん。ということで少し時間がかかったのかもしれないが、気にならない程度。佐用に多いつけ麺スタイルではなく、たれを絡めて焼いてあるスタイル。津山のホルモン焼うどんに近い。お味は、まあホルモン焼うどんと聞いて想像する味そのもの。あまり脂っこくなく食べやすい。津山との違いといえば、津山でピリ辛をたのんだから、ピリ辛かそうでないかの違い、という当たり前の感想。ホルモン1人前、うどん2玉で750円。うどん2玉で満腹。
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 店を出たら、佐用川を渡って町役場の駐車場にクルマを止める。自転車を準備して走りだす。佐用川をさかのぼり佐用の中心街を抜けたあたりで支流の江川川へぞいの県道240号へ。田園風景が広がる。廃校となった小学校がドローンの学校になっている。
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 谷が狭まり徐々に山に入っていく。釜坂集落から県道240号をそれ釜坂峠へ。峠道は未舗装道。ぎりぎりダブルトラックと言えるくらいの道幅はあるが、急勾配と大きな石がゴロゴロしていて一般車両は通行不能。きついカーブもあり切り返す道幅もない。そんな道を自転車を押していく。峠の近くには廃屋がある。峠を越えると乗車でどうにか下る。兵庫県から岡山県へ。
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 「壱貫清水」という山水がわいた場所からは舗装の下り。下り切ったところが宮本武蔵の生家跡。その手前には宮本神社もあり、宮本武蔵ゆかりの地となっている。ただし、生家後については諸説あるようだ。
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 武蔵の里を抜け、県道5号を吉野川沿いに下っていく。2kmほどで、立石集落。ここから県道5号、そして吉野川を離れ南へ。いきなり急坂だが登りは長くない。登り切ったらその名も「峠」集落。下っていけば、少し谷が開け田園風景となる。いくつか集落を抜け、鈩(たたら)等集落で道は分岐する。途中から県道161号に合流しているのだが、分岐左はそのまま県道161号。右は県道134号となる。この先、西はりま天文台のある大撫山を越えて佐用の中心街へと戻るのだが、結論から言うとどちらの道でもいい。このコースは2019年から毎年訪れ、今回で5回目。初めて訪れた時は、分岐を右に進み田和の棚田を経て大撫山へというコース取りだった。翌年も同じコースをたどるつもりで訪れたが、右の道が工事により通行止めとなっていた。この分岐から見えるところで工事が行われていて、自転車であろうと通れそうにはなかった。左に行くしかない。それで乙大木谷の棚田を経由するコースが出来上がった。
 翌年は、分岐右の田和の棚田コース。その次が昨年で分岐左コースだがさらにバージョンアップ。樺坂峠を越える。今年もそのコースを行く。
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 鈩の分岐を左、県道161号を進む。道は登りでため池を越え、さらに登るとやがて峠に至る。これが県境で岡山から兵庫へ。峠を越えてすぐに小さな集落「住中」。県境を越えたと思えない。
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 少し下ったら、県道から分岐する細い道へ。また小さな峠を越えて降り立ったのは、棚田で埋め尽くされた谷。そのまま谷を下っていくと乙大木谷の棚田へと至るが、途中からスイッチバックするような分岐から樺坂峠への登りへ取り付く。棚田の中を登っていくと民家が現れる。樺坂集落だ。その集落を越えてすぐに樺坂峠。峠は木製のベンチやテーブルがある展望所となっていて、後山連山や日名倉山が見える。
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 峠を越えてしばらく下ると桜山の集落。集落の中で東へ分岐する細い道を登る。集落が途切れ山林へと入ると分岐がある。それぞれの行き先を示す案内板があるが、左方向に示されているのは地名でなくその先の一軒家の主の苗字と思われる。右は「大木谷の棚田へ」とある。昨年は右の道と辿り、乙大木谷の棚田と田和の棚田の境の峠に降り立った。しかし、これはあらかじめ想定していたルートではない。
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 田和の棚田と乙大木谷の棚田は背中合わせとなっている。この峠は田和と乙大木谷の棚田をつなぐ峠越えの道と尾根筋を通る道の交差点になっていて、反対側の尾根筋は大撫山へ向かって登る道がついている。だから、田和と乙大木谷の棚田の風景は峠から見下ろすだけで、すぐに大撫山へ登っていくことになってしまう。棚田の風景は麓から登りながらじっくりとを満喫したい。昨年は、この峠に降り立ってから田和の棚田の方へ少し下って登り返してみたが、ただでさえアップダウンが連続する中でさらに余計なアップダウンを増やしたくなくて、少しだけしか楽しめなかった。
 理想のコース取りは、地理院地図上に描かれているシングルトラックと思われる破線で桜山集落のすぐ東の奥村の集落へ抜けてそのあと植木谷集落から乙大木谷の棚田を登って峠に至る、というもの。破線区間は200mほどだから、雑草に覆われていても何とかなる。
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 さて、話を桜山集落から分かれた道の分岐に戻す。昨年は、「大木谷の棚田へ」と示された右へと進んだが、今回は左を確認してみる。すぐに一軒家にたどり着いた。この奥の藪の向こうが奥山。距離は短いから突破できなくもないかもしれないが、私有地に入り込むわけにはいかない。あきらめて分岐に引き返す。もうこの時点でルート開拓をあきらめ、去年と同じコースをたどることにしてしまった。
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 分岐から下ると道は未舗装となる。そして標高差70mほどの登り返しが始まる。このダブルトラックは、途中までしか地図に描かれていない。昨年はこれが地図の破線の道かと思って進み始めた。GPSレシーバにより破線ルートから逸れていることに途中で気付いたが、なすすべなくそのまま棚田の頂上の峠に出てしまった。帰宅後に改めて確認すれば、分岐から下りきったところが破線の道との交差点。現地では何も考えずに通過していた。しっかり下調べしてから行けばよかった。あと藪漕ぎに備えて、ビンディングサンダルでなく、ちゃんとしたシューズを履いて。
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 昨年は、緑の生い茂った7月上旬に訪れたが、今回はまだ新緑の前。木々の隙間から棚田が見下ろせる。ただし棚田もまだ水もはられていない。棚田頂上の峠に降り立ったら、峠越えの道を横切り大撫山の登りへかかる。標高差70mほど登ってから約50m下って来見集落。さらに、西はりま天文台入り口まで100mあまりの登り返し。
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 このあたりは複雑に谷が入り組んだ地形。そして、点在する小さな集落をつなぐ道はアップダウンの連続。峠付近に集落や棚田があることも、特徴の一つ。どういう仕組みで水が確保できるのか、が気になるところ。
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 西はりま天文台入り口を過ぎてほんの少し下ったところの分岐から短いが急勾配の坂を登り標高406mピークへ。ここは佐用の市街地を見ロス展望ポイント。晩秋のころの早朝には雲海が見られる。もちろんこの時は雲海などなく、スタート&ゴールの市街地を眺める。あとは下るだけだ。
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 というわけで標高差300mを一気に下ってゴール。
4月中旬、41.6km

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因幡船岡見槻川大江川周回

 これはひと月と少し前の3月下旬のお話。
 とあるTV番組で鳥取県の「大江ノ郷」という施設が取り上げられていた。正確には「大江ノ郷自然牧場」といい、そこでとれた食材を使った料理やスイーツを食べたり買ったりできる。施設そのものには興味がないが、私が気になったのは、それがどこのどんな場所にあるのか、ということ。鳥取県内はいろいろ探索しているが、行ったことあるところだろうか。インターネットで調べてみたら、それがあるのは八頭町。八頭町は何度も通っているが、大江の郷のあたりは行ったことはないところだった。すぐに、標高差400m足らずの峠越えを含む20kmほどの周回コースが浮かび上がった。
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 丹後から但馬を経て因幡の国へ至るルートはいくつかあるが、往路は兵庫県養父市大屋町から若杉峠、戸倉峠を越えて鳥取県若桜町へ。ほんのわずか、播磨の国を経由する。八頭町船岡で国道29号を西にそれ、八東川と若桜鉄道を渡って船岡竹林公園の駐車場にクルマを止める。竹林公園だが、満開の桜に目を奪われる。
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 自転車を準備して、スタート。見槻川をさかのぼる形で南下。桜や菜の花、春の花に囲まれた集落を見送りながら進んでいくと、谷が狭まり、緩やかだった登り勾配が徐々に増してくる。
 志子部集落を過ぎたら、右に分岐する細い道へ。分岐点には、通行止めの案内板。冬季閉鎖が明けていないのだろうか。もう雪は解けているだろうから、倒木や落石の処理ができていないということもありうる。ただし、案内板はわきに避けられ法面に立てかけられている。自己責任でクルマが通行していると思われる。いずれにせよ、自転車ならどうにでもなる。当然、突入。
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 杉林の中を登っていく。確かに何か所かで道路に木が倒れていた。ただ、完全に道がふさがれるということはなく、路肩がぎりぎりクルマの幅だけ空いていたり、倒木の下を潜り抜けたりできる。倒木の先端を踏んで乗り越えた痕跡もある。もちろん自転車には何の支障もない。
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 いくつもの倒木を見送りながら登っていくと、トンネルが現れた。狭くて暗くて長いトンネルだ。表札には「本谷隧道」とある。トンネルには勾配があり、ここを下りとしたくて時計回りの周回とした。一車線しかない道幅なので対向車に出会わないようにさっと走り抜けたい。対向車などめったに来ないだろうけど。
 ところが入ってしばらくすると、暗闇に視界を奪われふらついて自転車で走行が難しい。両足をついて進んでいく。出口か近づき、その明かりでようやく走行可能となる。バランスをとるには視覚による情報が重要だということが実感できる。
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 トンネルを抜けたら、谷へと急降下。路肩に少しだけ残雪が見られた。また、こちらにも少し倒木があった。降り立った谷底に流れているのは大江川。川沿いに下っていくとこちら側にも通行止めの看板があった。やはりバリケードとともにわきによけられている。
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 そして大江の集落となる。集落の少し手前に、斜面の下に倉庫とみられる建物があった。一部屋根が破損している。背後の斜面は杉が伐採され、その丸太が建物の周囲に置かれている。どうやら伐採される前に建物に木が倒れて屋根を破壊したと思われる。Googleストリートビューを見れば、伐採前の様子がわかる。建物の3倍はある高さの杉がすぐそばに立っていた。
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 ずっと細い道を進んでいたが、大江集落の途中からセンターラインの引かれた広い道となる。県道322号だ。クルマが少なく、緩い下りを快走できる。川向こうの公園の桜が満開。
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 いくつかの集落をつなぎながら、大江川の右岸左岸を行き来しながら下っていく。そのうち県道はずっと左岸を行くようになる。ふと対岸を見るとそちらにも細い道が続いているようだ。橋本の集落で橋を渡って、右岸の細い道へ。自転車にはこちらがいい。こちらの道沿いにもサクラ植えられている。
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 対岸にびっしりとクルマが並んだ駐車場が見えてきた。「大江ノ郷自然牧場」だ。ずいぶんにぎわっているようだ。それを過ぎると対岸の県道には行きかうクルマが増えている。こちらに渡ってきて正解だった。対岸の県道は、やがて国道482号となる。
 水口集落で右折。大江川と見槻川のそれぞれの谷を隔てる尾根を越える峠越え。標高差は、100m程度。それを越えたらクルマを止めた竹林公園へ。公園には「やずミニSL 博物館 やずぽっぽ」もある。入場料を払って管内に入るほどではないが、屋外の古い鉄道車両が展示だけ見学する。
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 自転車をクルマに収めたら、鳥取市へ。ラーメンを食べて帰るのだ。

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2023/04/16

滑り収めの扇ノ山2023

 なんと3月のうちに上山高原への道が開通した。これまで早くても4月上旬、年によってはゴールデンウィーク直前に除雪が完了していた。この冬は2月以降の降雪が少なかったことに加え3月の異常な高温の影響だろう。しかも、今年はすでに上山高原よりも先、兵庫鳥取県境の先の水とのふれあい広場まで除雪されているという。
 3月末の時点で、扇ノ山には滑走に十分な雪があるようだが、4月に入り最高気温が20度に達する日が続く。同行する「すうさん」とのスケジュール調整の末、4月8日に訪れることになったが、雪解けが心配だ。
 朝7時、神鍋高原ですうさんと合流。蘓武トンネルを抜け国道9号へ。湯村温泉のあたりで土砂降りの雨。大丈夫だろうか。前日のまとまった雨を降らせた低気圧と前線は去ったが、寒の戻りで不安定な空模様。山間部はより雨が降る可能性が高い。さらに、前日の雨でかなり雪解けが進んでいるだろうということも心配。
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 兵庫・鳥取県境の蒲生峠の手前を左折、上山高原へ。上山集落を過ぎ、シワガラの滝入り口を過ぎても雪がない。高原の手前、例年残雪が道路を塞いでいる区間も路肩に少し雪が残る程度。上山高原は雪が全く見られない。ここは日当たりがいいので雪解けが早い。率僕のない上山高原は、毎年4月に山焼きが行われていて、今年は4月15日の予定だそうだ(実際には雨天のため翌週に延期)。
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 上山三角点を過ぎて、避難小屋付近にバリケードが置かれている。けれど、道の周辺はクルマが乗り入れられる広場なのでバリケードを簡単に迂回できる。例年はその先の残雪区間から歩きが始まるのだが、今年はさらにクルマで入ることができる。車止めの残雪は除雪されているわけだが、例年ほどのボリュームはすでにない。それを過ぎ、ショウブ池のあたりは、日当たりのおかげで例年通り雪がない。その先は除雪によってできた雪の大谷が続くが、壁の最上部は雪解けでエッジが丸まっている。
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 小ヅッコ登山口を過ぎ、県境を越え、水とのふれあい広場へクルマを止める。我々のクルマを除いて、一台も止まっていない。ここにも、小ヅッコ登山口にも、上山高原にも。
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 雨は小ぶりとなり、さらに雪へと変わっている。ここまで来たら、もう行くしかない、と出発準備を整える。
 すぐに途切れそうな残雪の上をスキー板を担いで歩きだす。河合谷登山口は素通り。登山道は藪が出ていそうなので畑の中を行く、という狙いだが果たして雪が残っているだろうか。畑は日当たりがいいのだ。
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 農道をしばらく行くと雪に覆われた畑に出た。スキーを装着して歩く。二人ともステップソールの板だ。この畑の周囲を囲むブナ林を越え
ようとしたが、藪が出ていて難儀する。さらに方向もよくわからなくなってしまい、しばしさまよう。いつも下りにしか使っていないのだ。
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 どうにかその上部の段々畑に出た。しかし、雪が解けていて、板を外して歩く。進行方向左、つまりすぐ東側に登山道があるブナ林登っていく。そのうち畑が雪に覆われてきたのでスキー板を装着。初めは残雪を拾いながら歩いていたが、徐々に一面真っ白になっていく。広い雪原へと歩いていたが、ガスも出てきて方向が不安になってきた。ブナ林に入ることにする。実際、進路を少し西に逸れていた。
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 ブナ林の中は安定した量の雪が積もっていた。小ヅッコを過ぎたあたりで、この先大ヅッコに向けて勾配が増していく。
 大ヅッコの登りをクリアするといったん下りとなる。南斜面の上部は雪が解けていて板を担いで歩く。少し下ると雪に覆われているので板を装着。ブナの密度が高く自由自在とはいかないが、滑り降りることができる。広い尾根でホワイトアウトの中すうさんの姿を見失って少し時間のロス。
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 いつしか吹雪となり、ブナの幹の風上側半分が白くなっている。鞍部まで下り、いよいよ山頂への登り。尾根が狭まり山頂が近づく。狭い稜線は、ブッシュが出ていて歩きにくい。テラスを過ぎたら、山頂小屋が見えてきた。
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 山頂小屋の周囲はブナの根開け(ツリーホール)のように雪が解けている。その根開けの雪壁の高さは、もうかなり低くなっていて、約170cmのスキー板の半分くらい。小屋の周辺の木々は、小さな樹氷をまとっている。
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 小屋の中に入って、持ってきた食料を食べる。食後しばらくおしゃべりをしていたが、寒くなってきたので下山開始。いつもは、東斜面や南西斜面を何度か滑るのだが、今日は天気も悪くあまり滑る気が起こらない。稜線の藪を避け、東斜面に少し滑り込んでそのままトラバースで鞍部の方向へ。
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 大ヅッコへ上り返しているうちに、いつしか雪は止みガスも晴れてきた。大ヅッコの北斜面は、残雪が遅くまで残る区間。年によっては5月の連休を過ぎてもスキーができた。今年はその時期までは滑れないと思われるが、今は十分な雪。ブナの疎林の緩斜面で快適に滑ることができる。そのあと斜度がほとんどなくなり、歩きながらの滑り。ノルディックスキーの本領発揮だ。
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 雪面に足跡がある。今日つけられたものに違いないが、その主に出会うことはなかった。
 登りで畑からブナ林に入ったあたりまで下り、畑はすぐに雪が切れてしまうからこのままブナ林を行こうとするが、その先のブナ林も藪が出てまともに滑れない。結局畑に出ることにする。出だしのみ雪原だったが、すぐに残雪を拾って滑るようになる。枯れ草が出た段々の土手を滑り降りながら進み、とうとう滑走の限界へ。どうせ板を担いで歩くのなら、登山道をたどろうと、畑とブナ林の境界の藪を越える。ブナ林の中に入るとすぐに登山道。ほとんど雪は解けている。すぐに登山口に着くからと板を担いで歩いたけど、横着をしないでザックに板を付けた方が楽だった。
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 急な階段を下って車道へ。水とのふれあい広場はすぐそこだ。クルマのフロントガラスには少し雪が積もっていた。
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 クルマでの帰り道、コウノトリのペアに遭遇。

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春爛漫の津山日帰り旅(2)津山城下町とホルモン焼うどん

 山形仙の周囲を一周する自転車ショートツーリングを終え、三浦集落から加茂川に沿ってクルマを10分ほど南へ走らせ津山市街地へ。津山市内にホルモン焼うどんを食べられる店はいくつかあるが、今回狙いをつけたのは橋野食堂。老舗感漂う木造の店舗。実際創業120年とのこと。
 私のクルマには、カーナビゲーションシステムなどという高価なものは搭載されていなくて、ずっと紙の地図とGPSレシーバが頼りだったが、スマートフォンの地図アプリのナビゲーション機能が便利だということに最近最近ようやく気づいた。GPSレシーバより画面が見やすいし、音声でガイドしてくれる。
 津山は初めてではないが、以前訪れたのは20年くらい前だと記憶している。確か、瀬戸大橋で四国に渡る前後だったと思う。ただし、この時は国道を通過しただけで、市街地を細かく入り込むのは今回が初めて。
 植野食堂は道幅の狭い出雲街道沿いにある。一応駐車場有、とのことだが、駐車可能台数は少なくわかりにくそうだ。実際行ってみると、店の向かいのそれらしきスペースはクルマで埋まっているようだし、ちゃんとした案内がないので本当にそこかどうかもよくわからない。店員さんらしき男性が店の前にいて案内しているようだが、なんとなく店の前を通過。こういうことも想定して用意していた、対案へと切り替える。
 津山市役所へと移動。無料の大駐車場にクルマを止める。スマートフォンのナビゲーションを利用したのだが、案内される細かい交差点を次々通り過ぎてしまい大回りになってしまった。ここで再び自転車を下す。今度はランドナーでなく、折畳小径車だ。
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 城下町特有の入り組んだ路地を南下し、宮川沿いに出る。これを南下し出雲街道へと左折。このあたりは城東町並保存地区と呼ばれ、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。古い町家を快走したカフェや宿泊施設が点在し観光客が行きかっている。そうした街並みに違和感のない老舗、橋野食堂へ到着。津山市郊外に続き、市街地も観光できた。自転車で通っただけだが。
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 昼食時をだいぶ過ぎているが、店の向かいには相変わらず車が止まっているし、店の前には自動二輪が数台。自転車を止めて店内へ。半分くらい席が埋まっている。ホルモンうどん2玉を注文。「ふつう、ピリ辛、激辛どれにしますか」と聞かれたので、ピリ辛を選ぶ。
 つけ麺方式で提供される店が多い作用と違い、ひと皿に盛られて出てくる。2玉なのでボリュームもあって満足。
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 自転車で市役所駐車場へ。往路と同じ出雲街道を戻るのは面白くないので、一本北の通りを進む。出雲街道と比べると普通の住宅街だが神社や寺が並んでいてここもそれなりに趣がある。
 宮川に近づくと正面に立ちはだかる石垣。津山城の城壁だ。往路では気付かなかったが、宮川は津山城の脇を流れていたのだ。これも灯台下暗し。ただし、灯台からの目線ではなく、灯台の暗い足元にいると明るい光に気づかない、というパターンだ。平山城である津山城において、この川は堀の役割を果たしていたのかはよくわからない。また、あとで分かったことだが、津山城周辺にも無料駐車場があるようだ。城の周りは有料駐車場ばかりかと思っていた。まあ、自転車を使えば市役所の駐車場もそう遠く感じない。このあと3時間半のドライブがあるので、城跡散策はしないで、城壁だけ眺めて市役所駐車場へ。

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春爛漫の津山日帰り旅(1)山笑う声ヶ乢

 自転車で播磨地域を走るようになって、佐用のホルモン焼うどんを何度か味わった。ホルモン焼うどんは兵庫県佐用町とともに岡山県津山市のご当地グルメでもある。ただし、津山は遠い、そう思って足が向かわなかった。
 丹後から日本海側を西へ。兵庫県豊岡市竹野町から山陰近畿自動車道で鳥取へ。岩美町内の区間が3月につながって、途切れている区間は浜坂町内だけとなった。2時間で鳥取。市街地を少し走って、鳥取自動車道へ。智頭I.C.で自動車道を降り、千代川河畔の桜並木を見物してから、国道53号線で県境の黒尾峠を越えて岡山県奈義町へ。日本原と呼ばれる那岐山のすそ野、山並みを右に見ながら津山へ。
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 私の住む丹後から津山へは180kmたらず。自動車道のおかげで、所要時間は3時間半ほど。140kmあまりの佐用へのアプローチと同じくらいの所要時間。ちなみに私は有料道路を使わない主義。今日通ってきた自動車道はすべて無料だ。
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 遠路はるばる津山まで来てホルモン焼うどんだけではもったいないので、自転車も楽しむ。津山市街の手前で国道53号を北にそれ、県道348号へ。ため池と田園の風景の中を5分ほど行くと県道6号へ突き当たる。これを右へ。加茂川の流れに沿って北上、道路わきのスペースへ。事前に目をつけていた駐車ポイントだ。細長いスペースの北側にすでに4,5台のクルマが止められている。ここに止めても大丈夫そうだ。私は南側の「歩危地蔵」の赤い鳥居の近くにクルマを止める。よく見れば、先着のクルマからはカメラを持った人々が出入りしている。これはすぐ北に隣接する三浦集落の中のJR因美線三浦駅を目当てに来ている人たちだろうということが、あとでわかる。
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 自転車をクルマから降ろす。フレームの修理を終え、この春から復活したランドナーだ。ただし前輪の空気が抜けている。タイヤをチェックするがパンクの原因は不明。チューブを交換する。故実調べてたら、チューブに小さな穴が開いていた。たまにこういう原因不明のパンクが発生する。
 まずは、加茂川の流れに沿って県道6号を南下。川の水が勢いよく流れ、「春の小川はさらさら行くよ」という歌詞を思い出させる。小川というには大きな川だが。
 数百メートルで川から少し距離を置く県道から、川沿いの細い道へ。加茂川とJR因美線に挟まれた集落の中の細い道を行く。そして美作滝尾駅へ。木造のレトロな無人の駅舎は、ちょっとした観光ポイントなっている。「男はつらいよ 寅次郎紅の花」のロケで使われ、その時の様子を撮影した写真が駅舎の中に飾られている。
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 ホームに一人若い女性の姿が見えるが、観光客ではないようだ。どうやら列車が来るようだ。しばらく駅舎内外のを見物していると踏切の鳴る音が聞こえ、地図・鳥取方面行の列車がやってきた。列車といっても編成は1両のみ。日中に数本しかない列車にタイミングよく遭遇した。次の列車は、反対方向の津山行きが約2時間後。同じ方向のものは約4時間後だ。
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 列車を見送ったら、自転車にまたがる。県道6号を渡り、先ほどクルマで通った県道348号を少しだけ走って、県道の北側の集落の中の道を東へ。那岐山から滝山、広戸仙と連なる連山の西の端、山形仙の南側の麓を走っている。今日はこの山形仙の周りを一周する。
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 田植えの準備が進む農村地帯をじわじわと標高を上げながら進み、県道450号で北上。広戸仙と山形仙の鞍部、声ヶ乢へ本格的な登りが始まる。標高526mの声ヶ乢まで標高差250mほど。加茂川沿いからは100mあまり登ってきている。集落はなく山間部に入って静かな雰囲気だが、たまにクルマが通る。峠付近のウッドパーク声ヶ乢では、ちょうど今「桜まつり」の期間中だ。
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 声ヶ乢が近づきウッドパーク声ヶ乢のエリアに入ると、道路を満開の桜が取り囲む。さらに周囲の山々にも山桜が見られ、山笑う季節を感じる。標高の低いところではすでに終わりかけている桜だが、ここは今が見ごろ。振り返れば、日本原が見下ろせる。
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 そして駐車場と満開の桜に覆われた芝生の広場。いくつかのグループがシートを広げて座っている。ちょうどランチタイムだ。
 峠はもうすぐそこ。桜の広場を見ながら登っていく。峠である声ヶ乢は広戸仙、山形仙の登山口となりここにも駐車スペースがあり、下山した登山者が装備をクルマに収めている。
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 峠を越えたら、津川川の谷へと急降下。日本原が見下ろせる南側と違い景色は山また山。道幅も狭く、急カーブが連続。スピードはあまり出せない。谷底に見えている集落は、奥津川。その奥津川集落まで下る。山間の小さな集落。崩壊した家屋が目についてしまう。雪につぶされた空き家だろうか。
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 あとは津川川にそって下る。センターラインが引かれた道幅でクルマがほとんど通らず、下り基調なので、思い切り飛ばせる。
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 奥津川から3kmほどで津川川は加茂川に合流する。その手前で左折し三浦集落の中へ。狭い道を進んでいくと、JR因美線に並走するようになり路面が桜の花びらでおおわれてきた。桜並木というかサクラのトンネルの中を進んでいる。道のすぐわきには、駅のホームらしき建造物。三浦駅だ。駅舎はなく、ホームと東屋のような待合スペースがあるのみ。自転車を止め、ホームに立ってみると線路も桜のトンネル中に敷かれている。少し離れた場所から数人の人がカメラを構えてこちらを狙っている。ということは列車が来るのだろうか、と思い待合スペースの時刻表を見るが10分ほど後だ。ここは先を急ぐことにする。ちなみに10分後に来るのは美作滝尾駅で見送った列車の後の反対方向の便だ。
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 三浦駅から集落を抜けて県道6号に出ると、クルマを止めたスペースはすぐ。駐車場所から判断して出発時とは別のクルマが、やはり4,5台止まっている。おそらく、そのほとんどは桜のトンネルを抜ける列車と三浦駅の撮影に来た人たちのクルマだと思われる。
 自転車をクルマに収めて、津山市街へ。さあ、ホルモン焼うどんだ。

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2023/04/02

Slide&Ride氷ノ山2023

 毎年氷ノ山スキー登山に一緒に行っているすうさんが、この冬から春先にかけて忙しくて行けない、とのこと。ならば単独で、と思ったが、各地でスキー登山者の雪崩等による遭難事故が相次いで報じられた。雪山での遭難を防ぐため単独での入山を避けましょう、と呼びかけられている。わかさ氷ノ山スキー場のリフトを利用しての入山は気が引ける。しかも昨シーズンまでは登山者のリフト利用ができたのだが、今シーズンから滑走具を使用しない登山者はリフトを利用できなくなったとのこと。スキーやスノーボードなどを利用しての登山者はリフトに乗せてもらえるそうだが、スキー場も登山者に対して協力的ではなくなってきていることの表れのように思う。
 ならば、戸倉方面からの入山か。坂ノ谷コースにせよ県境尾根コースにせよ、なだらかで危険個所はない。ただしコースが長い。行動可能な日の天気が今一つで、実行できないでいるうちに季節は進み、あっという間に雪が解けていく。今年の3月は、記録的な高温だった。
 こうなったら、坂ノ谷林道をMTBを利用していこう。14年ぶりの「Slide&Ride氷ノ山」だ。
 ぽかぽか陽気のドライブ2時間、R29兵庫・鳥取県境の戸倉峠の兵庫側、坂ノ谷林道入口へ。自転車を有効に活用するには雪解けが進んだ方がいいが、あくまで目的はスキー登山である。そのタイミングを見極め、3月末に決行。14年前よりも、半月も早い。
 R29の分岐から400mほど入ったところの木造かやぶき屋根の建物がかつての「やまめ茶屋」。今は営業していなくて、一部崩壊して廃墟のようになっている。その「やまめ茶屋」の前で残雪に阻まれる。そのままバックで引き返し、国道から入ってすぐの広場にクルマを止める。
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 クルマからMTBとテレマークのスキー板を下し、スキーブーツに履き替える。あと、普段の片面ビンディング片面フラットのペダルから、両面フラットのペダルに交換。スキー板をMTBに積載してスタート。
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 やまめ茶屋の前の雪の塊の脇を抜けて奥へ。ずっと残雪がつながっているわけではなく、たまに残雪に覆われながらもおおかた路面が出ている。MTBが有効だ。
 やまめ茶屋の前の雪の塊は、おそらく故意に作られたもの。国道からやまめ茶屋の間だけは除雪されていて、冬でもクルマが入れる。やまめ茶屋の前には雪を積み上げ、その先にクルマがいけないように塞いであるようだ。よく見れば、やまめ茶屋の敷地を経由すれば、クルマでも車止めの雪塊を迂回して先に進めそうだが、道路とやまめ茶屋の敷地は塀で仕切られ、雪塊前後の入り口もロープで塞がれている。
 このコースを過去に何度か訪れていて、かなり前、例えば20年位前にも雪の車止めが作られていた。
 自転車利用の14年前は、国道から2km近くクルマで林道に進入することができた。雪の車止めはなかったということだ。
 自転車なしで前回訪れた3年前2020年の2月には、坂ノ谷林道のかなり奥、無雪期の登山口よりも奥までクルマの轍がついていて驚いた。それは深い轍で、その後林道を歩いていたら、地上高を高くした数台のスズキジムニーが追い越していった。
 その後、2021年12月末、この坂ノ谷林道にクルマ4台5人で侵入したが雪のため走行不能となり、4人は自力で下山したが1人が山中で死亡する遭難事故が発生した。雪の車止め復活は、この影響かも知れない。
 右に沢を見ながら、MTBを進める。時折現れる残雪を越えるため、MTBを降りて押す。
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 40分ほどで、沢の右岸から左岸に渡る橋に到着。標高は800mと少し。ここまでの距離は、約2.6kmで林道区間のほぼ中間点だ。ここで谷底区間が終わり、この後ヘアピンカーブを繰り返して尾根へと乗り上げていく。路面の日当たりがよくなり、もう残雪に阻まれることはないはず。
 石がゴロゴロしたダートの急勾配に苦労する。両面フラットのペダルに交換したのは正解。ダート路面からの振動により、テレマークのプラブーツとペダルのグリップが緩むことがある。ペダルの回転軌道の最上部、いわゆる上死点で踏みこむ瞬間にペダルが裏返ってしまうことが頻発する。片面フラットだと、この時ビンディングの面が上に来てしまいペダルを踏みにくくなってしまう。その点両面フラットなら、ひっくり返ったペダルでも問題ない。
 ただし、母指球辺りでペダルを踏むと効率よいのだが、ペダルが裏返ることにより土踏まずからかかとよりにずれてしまう。ペダルの面を戻す必要がないのは楽になったが、足の位置をずらして戻す手間はある。MTB用の大きなフラットペダルだったらこの苦労はないのだろうか。
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 スタートから1時間20分ほどで、バイオトイレがある林道の分岐点に到着。坂ノ谷林道の本線は右で、積雪期のルート及び、殿下コースはこちら。今日は左の支線、坂ノ谷コース無雪期ルートを選ぶ。雪が解けているだろうから、積雪期ルートでは道なき道を行くことになってしまう。
 この分岐のあたりはこれまでにはない大きな残雪に覆われているので自転車はここまで。スキー板を下して、ブーツに装着。ステップソールを利かせて雪面を歩く。しかし、案外残雪はすぐに終わり、あとは板を担いで歩く。分岐から登山口までの300mのうちの半分以上、板を担いで歩いた。
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 登山口から杉林の中のシングルトラックへ。雪はなく板を担いでいく。少し登るとダブルトラックが現れ登山道と交差している。14年前にはなかった。3年前は積雪期ルートを通ったのでわからない。ダブルトラックを越えて登山道をいくとまたダブルトラックと交差。「立ち入り禁止 森林管理の作業道」の掲示とダブルトラックを塞ぐロープが路面に落ちていた。
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 周囲にちらほら雪が見えてきた。そして、ダブルトラックと3度目の交差。ダブルトラックは雪に覆われている。スキー板を装着して、ダブルトラックへ歩き出す。この時期植林作業はしていないから、自己責任ということで。
 その後も登山道と何度かクロスしながら、ダブルトラックを行く。雪はほぼつながっている。ほんの少し土の上をスキーで歩いたが。
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 ダブルトラックが登山道から離れていくあたりで、周囲の山肌は白の割合が多くなった。雪面をつないで登山道へ。やがて、周囲は杉林からブナ林へと変わっていく。常緑樹林から落葉樹林へと変わるわけで、日差しが落ちて明るい雰囲気。青空ものぞく。笹が邪魔になることがあるが、雪はほとんど途切れていない。
 カランカランとカウベルのような音が聞こえた。本日唯一の登山者とすれ違った。
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 たまにブナの開けた斜面がある。雪面はザラメ。いいゲレンデだ。
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 やがて、ブナの木々の向こうが大きく開けている様子が見える。とうとうブナ林の限界まで来たようだ。標高は約1360m。スタートから3時間20分ほどだ。
 三ノ丸までは残り標高差100mだが、その先は緑一色。ブナ林がないと日当たりによって雪解けが進み笹が出ている。笹の根元は雪面なのかもしれないが、この密度の笹原は楽しく滑れないので、今日はここまでとする。これは想定内。14年前と同じ状況だ。
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 登りで目をつけていたオープンゲレンデでは自由に滑ることができた。ただしそれはわずか。木にぶつからないように、ツリーホールに落ちないように、ブナ林では笹をかわしながら、杉林では落ちた小枝や雪の切れ目を避けながら慎重にいく。そして登山口手前で、植林作業道へ。もう登山道は使わず最後まで作業道のダブルトラックを行く。最後は雪なくなり、板を担いで作業道ダブルトラックを歩く。そして坂ノ谷林道支線へ。作業道の始まりに道を横切る大きく深い溝が掘られ水が溜まっている。自動車やオートバイが侵入しないようにしてあるのだと思われる。
 坂ノ谷林道支線で登山口を過ぎ、本線との分岐付近の残雪でスキー板をつけて最後の滑走。もし同じような状況でまた訪れることがあれば、作業道の途中まで自転車で行くのがよさそうだ。
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 MTBに板を装着して坂ノ谷林道を下る。5km足らずの林道のうち、橋の先までの約2.7kmは残雪にはばなれることなく乗車で行けた。その先谷底区間2kmあまりは、たまに残雪が現れるが、登りよりも乗車率は高い。下りの勢いで乗車のまま雪面を乗り越えたり、登りの時より雪解けが進んでいたりするせいだ。
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 下りは、2時間足らず。登りの6割程度だった。全行程で約18km、標高差700mあまり、7時間20分だった。

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三田小野から永沢寺周回(VIGOREフレーム受け取りツーリング)

 2021年の年の瀬、VIGORE復活に向けてのフレーム修理が出来上がったとの連絡を受け、三田市小野の自転車工房ECOへ。せっかく三田まで行くのだから、自転車で走る。そのための自転車(MTBにスリックタイヤ)もクルマに積んでかけた。
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 田園と農村集落が広がる風景の中、小野から黒川の谷を遡る。遡っていくと谷が狭まり山間に入っていく。集落はなくなり、時折現れる別荘のような建物やかやぶき屋根のソバ屋など見ながら登る。黒川は渓流となり、道の勾配が増していく。15パーセントくらいあるのではないか。
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 急ではあるがさほど長い登りではなく、ほどなく峠へ。峠の標高は600m近い。小野の標高は200mほど。峠付近では、クリスマス寒波の残雪を心配したが、路肩に雪が見られたものの走行には支障なし。
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 永沢寺への下りの序盤にある「花の里 展望休憩所」のベンチに腰掛け日向ぼっこがてらの小休止。日差しでぽかぽか暖かい。
 永沢寺の集落へ下り、その集落を過ぎ峠と言えないくらいの小さな峠を越えて後川奥集落へ。集落を流れる川の立派な護岸。その川は後川下集落で羽束川に合流。ちなみに永沢寺の集落は青野川の水系。いずれも武庫川に合流し大阪湾にそそぐ黒川から青野川、そして羽束川と目まぐるしく流域を移動する。
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 羽束川の流れにそって下る。山間集落の後川奥とは打って変わって後川下の集落は谷が開け田園の広がる。しかしさらに下ると羽束川再び山間の雰囲気。谷は狭まり、流れも道路も細くなる。そんな渓流沿いを10分ほど走ると、突然谷が開ける。
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 田園風景の中をさらに10分ほど走って、羽束川の谷から黒川の谷へレーンチェンジの峠越え。短い峠道だが、なかなかの急勾配。峠を越えたらすぐに小野だ。さあ、ECOへ行こう、VIGOREのフレームを受け取りに。

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2023/04/01

VIGORE復活

 2021年の9月、自転車で下り坂走行中、路面に空いた落とし穴(グレーチングの隙間)に前輪がはまりクラッシュ。ツーリングのメインバイクとして利用していた「VIGOREオリジナルランドナーProduced by KIYOSE」(ともに京都市内にあるVIGOREという工房で製作されたフレームをキヨセという店でくみ上げられたモデル)の前輪のリムが割れ、フレーム(トップチューブとダウンチューブのヘッドチューブ側の付け根)が変形した。その時のレポートのタイトルを「VIGORE永眠」とした通り、もうこのフレームは再起不能と思った。
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 それから13ヶ月後の2022年10月、同じコースを走った。改めてみると、グレーチングが乗っかっている溝は大きなもので、つまり前輪が深くはまり込み、恐ろしいクラッシュだったことを実感。
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 そして、何とかランドナーを復活させたくなった。クロモリフレームだから、フレームビルダーにお願いすれば、トップチューブとダウンチューブを交換してくれるのではないか。そう思って、「自転車 ダウンチューブ 交換」などのキーワードでネット検索してみた。
 すると、いくつかその事例が出てきた。中には、「トップチューブ換装 ○○円」などの料金表を表示してあるものもある。とりあえず、復活の道筋が開けた。
 ではどこにお願いするか。関東地方は遠いので、なし。愛知県の名古屋の北側の郊外?の丹羽郡大口町にある工房「Shin・服部製作所のサイトに例の料金表が出ていた。ちょっと遠いけどここなら日帰りで行けそうだ。以前、養老までクルマで行き、そこから近鉄電車に乗って名古屋の店にスキー板を買いに行ったことがある。
 あとは、ランドナーやレストアを得意とする大阪のナニワ銀輪堂では、フレームビルダーへの取次ぎもやってくれる。ただ混雑する環状線や地下鉄に乗って大阪のど真ん中へフレームを持っていくのは面倒だ。もちろん車であんなところに乗り入れたくない。
 フレーム換装の検索には引っかからなかったが、まず兵庫県三田市の郊外の、ECOという工房にお願いしてみよう。ここは、友人のすうさんが6年くらい前に自転車を製作してもらっている。そのあと、私も訪れたことがある。自転車は作ってもらっていないが、花乃屋という食事処が併設されているので、そこで食事をした。ただし、それから5年も経っているので、私のことを覚えていないだろう。そこで製作したわけでもない自転車の修理を引き受けてくれるだろうか。というわけで、すうさんというコネを利用することにした。
 というわけで、まずすうさんからメールで「自転車のフレームを修理してもらいたいといっているヤツがいる」と伝えてもらい、自転車を見てもらえることになった。
 10月の最後の日曜日に三田へ。ECOまでクルマで2時間半。高速道路を使えば2時間だけどお金がもったいない。できれば早く出発してECO周辺を走りたかったのだが、朝、地域の作業があったので出発が昼前になってしまった。前日の土曜なら一日空いていたのだけれど、フレームから、ハンドル、サドル、ブレーキ、ディレイラー、泥除けなどのパーツを外すのに費やしてしまった。
 フレームビルダーの唯(ただ)さんにフレームを見てもらうと、これなら修理可能です、とのこと。やった。納期は2ヶ月後。塗装をやり直すとのことで色見本を見せられる。元のフレームを同じような色を選択。
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 そのあと、ECOの前の畑で開催されている手作り案山子コンテストの投票(審査)をして、花乃屋でコーヒーをいただいて、帰路に就く。天気が良くて、走らずに帰るのがもったいない気がした。
 年末、フレームの修理が出来上がったとの連絡があった。年末年始の休暇を利用してフレームを受け取りに行く。途中福知山盆地では、市街地の木々も霜で真っ白。
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 快晴で日差しが降り注ぐ中、ECOがある三田市小野に到着。ECOを訪れる前に自転車で走ることにする。ただしこの模様は別記事で

 自転車をクルマに収めてECOへ。12月中旬とクリスマスの雪はすっかり解けているが、フレームビルダー唯さんよると、このあたりの山の木々も朝は霜で真っ白だったそうだ。
 塗装し直され、新品のように生まれ変わったフレームに再会。トップチューブとダウンチューブを交換して、ダウンチューブにはボトルケージのダボ穴をつけて、フロントフォークを修正して、塗装をし直して、84,700円。77,000円と消費税ということのようだ。
 昭和から平成に変わる34年前、ランドナー、「ブリジストンユーラシアツーリング」の定価が75,800円だった。店で値引きされ66,800円で大学生の私は購入した。当時は消費税もなかった。
 フレームだけで8万円超とは高いと感じてしまうが、愛知県の工房の料金表を参考にすれば、妥当なお値段。そして、ECOらしく十分良心的と言っていい。
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 そのあとは花乃屋で5年ぶりのキーマカレーをいただく。前回は超大盛カレーライス(4膳のごはん)に衝撃を受けたが、今回は普通の量になっていた。
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 修理が出来上がってすぐに持ち帰ったフレームだが、寒いうちは車庫に放置したまま。パーツをくみ上げて走れるようにしたのは、3月になってから。

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ホイールにまつわる諸問題を解決する3(ホイールセンター・スポーク強度問題)

■20インチ小径車のリアホイールのスポーク交換
 折り畳み小径車「Dahon Speed FALCO」のリアのVブレーキが傾いているのが気になっていた。ちゃんとブレーキは効くのだが。4年前に購入した時からこの状態だ。もちろん、ばね調整ネジによって故意にゆがめてあるのだが、そうしなければならない原因はリアホイールのセンターが出ていないこと。
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 スプロケットがある分、リアホイールのスポークの張り方は左右非対称。右、つまりスプロケット側のスポークの方がテンションが高い。ライダーや自転車の重量を支える割合は、リアホイールのスプロケット側のスポークが高い。
 ブレーキが左に傾いているので、修正するには左側のニップルを緩め、スプロケット側のニップルを絞めればよい。ところがそうするとスプロケット側のスポークは、よりテンションが高く負荷が大きくなりスポーク折れが心配になる。しかも、ホイールベースの短い小径車は、リアホイールの真上にサドルがあり、ライダーの荷重はより後輪にかかる。さらに「Speed FALCO」のホイールに使われているスポークは、細めの14番だ。
 14番のスポークが張られたホイールを使用しているほかの自転車では何度もスポークが折れているのに、「Speed FALCO」ではまだ折れたことがない。もしかすると、スポークのテンションを左右に分散させているおかげかも知れない。
 スプロケット側のスポーク14本を太いものに交換することにした。少し前に「Renault PLATINUM LIGHT8」用のスポークに続いて、中国のAmazon出品者に「Speed FALCO」のサイズのものも注文した。スポークとニップルが合わないセットが届く前のこと。
 「Speed FALCO」用に購入したものは、ちゃんとスポークとニップルが合った。しかし、その12番のスポークは、ハブと合わなかった。スポークが太すぎてハブの穴を通らなかった。今回は送料700円と併せて2,000円余り。今回はこちらの都合での返品となるから、認められても送料は返金されない。さらに返送料もこちらの負担となるので、もう返品する気もない。「PLATINUM LIGHT8」の件と併せて4,000円余りが焦げ付くことになった。
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 「Speed FALCO」に合うサイズの13番のスポークとニップルのセットがAmazonで見つかり、注文(ねじ切り器必要な長さのスポークを自作もできたが、まとまった本数が必要で、そのセットがあるならそちらを買った方がいい)。そして無事交換できた。そして、ホイールのセンターが出るようにスプロケット側のスポークのテンションを上げ、Vブレーキはまっすぐになった。
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ホイールにまつわる諸問題を解決する2(スポーク・ニップル問題)

■16インチ小径車のリアホイールのスポーク・ニップル交換
 折畳小径車「Renault PLATINUM LIGHT8」のリアホイールの振れが気になっていた。1年半ほど前もともとついていたボスフリーのハブをカセットスプロケット用のハブに交換した。そのために、リムからすべてのスポークを外し、また組み直さなければならなかった。16インチの小さいホイールでスポークは短いが、なぜかとても太い。13番よりも太い。ニップルも太い。短くて太いスポークをくみ上げるのは大変だった。指に力を込めてニップルにスポークを差し込み、ニップルを回して締める。
 ストレスのかかる作業。手こずって時間がかかり日没で周囲が暗くなる。集中を欠き、ニップルを紛失するなど、さらにストレスが増す悪循環の中での作業だった。
 よく使われている14番、13番のスポーク用のニップルのサイズは、専用サイズのニップル回しで行ける。この小径車のホイールで使われているニップルのサイズは少し大きいので、様々なサイズのニップルで使える円形のニップル回しを使って締める。これが曲者。どの部分をニップルにはめるか迷うことになる。専用サイズのニップル回しなら迷うことはないのに。そして、ニップルの四角ナット幅に合っていない部分で締めようとしてしまうことがある。ナット幅より小さい部分ははまらないのだが、ワンサイズ大きいとニップルにゆるくはまってしまうのでたちが悪い。これで締めようとすると、ニップルの四角ナットの角をなめてしまう。そうなると、きつくニップルを絞めることができない。そんなニップルが2つほどで来てしまい、どうしても振れが取れなかった。
 その状態でだましだまし乗っていたのだが、すり減ったブレーキシューを交換しようとして、リムの振れが気になってどうしようもない。もうこれは根本的に手直しするしかない。
 ちなみに角をなめたニップルを外そうとしても、ニップル回しが空回りする。一つはリムの裏側からマイナスドライバーで回して何とか外すことができたが、もう一つはスポークを切るしかなかった。
 Amazonで12番のスポークとニップルのセットを見つけて購入。数本でよかったのだが、40本セットしかないのでそれ注文。2週間ほどかけて中国からやってきた。しかし、スポークの長さがあっていなかった。短すぎた。まあでもニップルだけ使えればいい。ところが、「PLATINUM LIGHT8」に元々ついていたスポークと合わない。ゆるすぎて空回り。なんてこった。ちなみに、セットのスポークは太すぎてニップルが入らない。やってしまった。スポークセットの代金は1,000円ちょっとだが、送料が700円で合わせて2,000円足らず。中国の出品者相手に返品のリクエストをするのをあきらめてしまった。あとから思えば、不具合ということなら送料も含めて返金されるのだから、返品リクエストを試みたらよかった。けれど、もうクレーム申し立ての期限を過ぎてしまったから焦げ付き決定、後の祭り。
 さて、次はホイールに合うサイズのスポークを自分で作ってみることにする。実は、少し前に13番用のスポークねじ切り器を購入していた。併せて298mmのスポークも購入済み。これを必要な長さに切り、ねじを切れば、必要なサイズのスポークを買いそろえる必要がなくなる、と思ってのこと。ところが、13番のスポークも、ネジが切ってある部分はワンサイズ細い14番の太さになっている。だから、途中で切るとニップルと合わなくなってしまうため、ねじ切り器が活用できていなかった。1万円以上もするスポークねじ切り器を思い切って買ったというのに。
 そのねじ切りを有効に活用するためにも、サイクルベースあさひで見つけた13番用のニップルを注文。とにかくニップルの規格はよくわからない。合うか合わないか、一か八かの賭けだ。数日で届き、自分でねじを切った13番スポークに合わせてみる。何とかサイズはあうようだ。乾坤一擲の大勝負をものにすることができた。ねじ切り器活用の道も開けた。
 そして、「Renault PLATINUM LIGHT8」のリアホイールの振れも取れた。

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ホイールにまつわる諸問題を解決する1(ハブ軸問題)

■ランドナーの折れたハブ軸の交換
 「ブリジストンユーラシアツーリング」と「山口べニックス」の昭和のランドナー2台で共有して使っているリアホイールが、昨年秋くらいからがたついていた。これらのランドナーは、あまり長い距離を乗ることはないので気にしないで乗っていたのだが、やはりそれではいつになっても解決しない。仕方なく、ハブからシャフトを抜いてみる。予想通り、折れていた。クイックリリースシャフトを通すパイプ状のシャフト。これが折れていた。
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 このシャフトが折れたのは2回目(1回目の記事)。2台で共用のホイールだが、もともとはユーラシアについていたもの。その時は、山口べニックスのハブから外したシャフトに交換した。べニックスのホイールは実用車用のリムと細く折れやすいスポークで組まれていて、使うつもりがないから問題なかった。
 しかし今回はもう予備がない。フレームのリアエンド幅が126mm。Amazonで前後のハブ軸とクイックリリースシャフトのセットが、1,000円前後でいくつも出品されているが、軸の長さが146mm。エンド幅135mm用のものらしい。いくら探しても、エンド幅126mm用のものなどない。
 ならばハブごと交換ならばどうかと思うが、やはりエンド幅126mm対応のハブがAmazonにはない。130mm用のものならあるが、試しに所有する別の自転車の130mmで試してみるが、エンド幅126mmのフレームには入らなかった。じつは、あとで気付いたのだが、試したハブはエンド幅130mm用として買ったものだが、135mmのフレームで使うためスペーサーを使ってロックナット間距離(OLD) を広げていたのだった。もしかしたら130mmのままなら入ったかもしれない。
 京都市のランドナー専門店アイズバイシクルの通販サイトで、エンド幅126mm用のハブが見つかったが、お値段なんと18,000円。消費税込みで約2万円もする。高すぎる。モノはいいんだろうけど。
 もうこのホイールをあきらめようか。他に所有するランドナーともホイール共有でもいいのではないか。京都のブランドVIGOREオリジナルランドナー。調べてみたら同じエンド幅126mm。ただし、リアディレイラーの問題がある。昭和のランドナーが5Sのボスフリーなのに対し、平成初期のVIGOREは7Sのカセットスプロケット。昭和のランドナーのリアディレイラーを7Sに対応したものに変えなければならないのだろうか。つまり、サンツアーやシマノのクレーンは使えないのだろうか。できれば、伝統的なパーツのまま乗っていたいのだが。
 いろいろ考えた挙句、Amazonのシャフトセットを買ってみることにした。うまくいけば、5Sのボスフリー、そしてオールドディレイラー存続だ。うまくいかなくても、クイックリリースシャフトの予備を買ったと思えば1,000円は無駄ではない。
 中国からの発送のため、2週間ほどでシャフトセット到着。形状が違っていて使えそうにない玉押しを外し、折れたシャフトから外した玉押しをつけてみる。うん、ぴったり。つまり、シャフトの太さとネジ山のピッチがそれぞれ一致したものだった。
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 玉押しは大丈夫だったが、スペーサーは使いまわせないことが分かった。折れたシャフトには縦に溝が掘られていて、スペーサーの内側にはその溝に合わせる突起がついていた。ホームセンターでワッシャーを買ってきて代用する。
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 これで、8割方問題はクリアできた。あとは軸の長さの問題だ。新しい軸と折れた軸を並べてみるとやはり、新しいものは10mmほど長い。ということでこれを短くする。切るのは難しいので、草刈り機の歯を研ぐグラインダーで削る。火花を散らしながら作業すること数分。ちゃんと短くなった。玉押しやナットを入れるネジ山は十分に切られている。
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 せっかく軸を抜いたのでベアリングのグリスアップをして、玉押し、スペーサー代わりのワッシャ、そしてロックナットを装着。クイックリリースシャフトを通して、ホイールをフレームにはめる。見事にホイールが修復できた。

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2022/12/06

ホイールを2本組みなおした

ランドナーの前輪(650A)
 ランドナーでおにゅう峠を越えた時、前輪が振れてリムの一部がブレーキシューに当たるのを感じながら走った。いつもニップル回し工具を携行しているので、振れ取りをすればいいのだが、これがうまくいかない。ホイールは複数台所有しているランドナーで使いまわしているもの。昨年9月、道路のど真ん中の落とし穴に落ちて破損したホイールの後継ホイール。使わずに保存していたリム、そしてスポークとハブから自分で組んだもの。長いことほったらかしているうちに、スポークやニップルが少し足りなくて、有り合わせのものを使って補った。スポークの太さとニップルのサイズがあっていなくて、強引に組んだものだ。それが原因で調整に苦労していた。いったんは振れが落ち着いていたのだが、しばらくしてまた振れていた。そうなると、調整はさらに難しい。
 使われているスポークは13番(直径2.3mm)という太さのもの。ワンサイズ細い14番(直径2mm)が主流でいろいろ長さのものがラインナップされているが、該当のハブとリムにあう長さの13番のスポークが見つからないのだ。だからといって、細い14番ではスポークが折れてしまう心配がある。
 ところで、昨年9月に破損したフレームを見ると、リムが割れているがスポークは一本も折れていない。曲がっているだけだ。もちろん、ハブも問題ない。スポークはホイールにつけてあるままだから、ニップルも揃っている。リムが割れるほどの衝撃にスポークは耐えた。いや、リムが割れて衝撃を吸収してくれたから、スポークは折れなかったということか。いずれにせよ、最も弱いところが破損する。スポークはリムより強かったのだ。このスポークとハブを移植しよう。
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  双方のリムからスポークを外す。破損したリムから外したスポークを、後継ホイールのリムにつけてみる。何本かは曲がっているが、テンションをかければまっすぐになる。組みあがったら、フレームに装着して振れ取り作業。初めはブレーキシューに当たる。リムの軌道は右に左にジグザグ。それをニップル回し工具で調整し、まっすぐにしていく。とにかく根気のいる作業だ。プロの仕事には到底及ばないけど、それなりにまっすぐに動いてくれるようになった。左右だけでなく、上下も何とか大丈夫そうだ。3時間近くかかった。店でやってもらえれば、工賃だけで5000円くらい。時給2000円近い仕事をしたことになる。

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 ちょっと走ってみた。いい感じ。
 650Aの伝統的なリムは、メーカーのアラヤが製造を停止してしまった。もうなかなか手に入らない。大切に使わねば。
 ちなみに、振れていた時にスポークの長さは277mm。それを290mmのものに交換した。長さの違いは、ハブの大きさによる。さらに、ネット通販で13番の290mmのスポークを見つけた。予備として、早速注文しておいた。

クロスバイク・ロードレーサーの後輪(700C)
 ロードレーサーで丹後半島一周した時、前輪が振れてリムの一部がブレーキシューに当たるのを感じながら走った。振れ取りをすればいいのだが、ランドナーでの振れ取りがうまくいかずに苦労していた時期だったので、触るのが嫌になっていた。
 後日、ランドナーのホイールを組みなおし、ちゃんとスポークとニップルがそろっていれば、振れをとることはできることが分かった。今期はいるけれど。それに気をよくして、ロードレーサーの前輪の振れ取りをした。難しいことではなかった。ついでに後輪も確認してみると、なんだか大きく振れているではないか。たまたまブレーキシューに当たっていなかったので気付かなかった。よく見ると、スポークが折れていた。それも2本。
 こころあたりは、ある。丹後半島一周の途中、後輪の方から、「カン!」という音と軽い衝撃を感じたことがあった。それも2回あったように思う。チェーンの歯が飛んだと思ったのだが、確かに変速のタイミングではなかった。ペダルを踏みこんだ時で、どうやらスポークが折れた音と衝撃だったようだ。
 このホイールは、ロードレーサーとクロスバイクで共有している。もともとはクロスバイクで使っていた。その後、ある人がもういらなくて捨てるといっている自転車があるけど要らないか、と自転車屋さんに言われて引き取った。ブリヂストンのRADAC(レイダック)。30年以上前、昭和のロードレーサーだ。チューブラータイヤのホイールがついていたが、それは頂かないで、クロスバイクで使っている700Cのホイールを共有することにした。スポークは14番で、クロスバイクで使っているころから何度も折れた。ほとんどは後輪。そのたびにスプロケットを外してスポークを交換しなければならない。一昨年琵琶湖一周するときなどは、スプロケットを外す工具を携行した。幸い、その日スポーク折れはなかったが。
 今回折れたスポークも交換した。しかし今後もこうやってスポークが折れるのだろう。スポーク交換では、根本的な解決というわけではない。何とかならないか。そう思いながらスポークの長さをを計っていると、290mm。つい先日ランドナーのホイールの予備として注文した13番のスポークと同じ長さ。それに交換してしまおうか。
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 というわけで、スポークが届いたので、後輪を13番スポークに組みなおした。ニップル付きの36本セットで、すべて使うはずがなぜかスポーク4本とニップル4個が余った。40本セットだったようだ。予備はこれで十分。
 700Cのホイールは650Aのホイールよりも少し大きい。ハブは同じ大きさみたい。なのにスポークの長さが同じになる理由は、リムの厚みの違い。650Aのリムは伝統的なものだが、700Cの方は二重構造になっていて、リムの内径が650Aのリムの内径と同じくらいになっているようだ。
 後輪はスプロケットがあるので、リムは左右非対称。進行方向右側、つまりスプロケット側が短くなるように先にこちらを張る。右側の方がテンションが高く、ほとんどこちら側のスポークで支えているような感じだ。だから圧倒的に後輪の右側のスポークが折れることが多い。丹後半島一周で折れていた2本も、右側だ。だからこちら側のスポークだけ交換すればよかったのかもしれないが、左側も折れたことがあるし、全部交換した。もっと言うと前輪も折れたことがあるが、大きな石を踏んだ衝撃を受けた時の1度きりだし、前輪はスポークの交換は簡単で予備スポークとニップル回し工具だけですぐ直せるので元の14番のままでいいだろう。
 14番スポークの直径は2mmなのに対し、13番は2.3mm。並べてみてもその違いはよくわからない。けれどホイールを組んでみると、13番スポークは、見た目も手触りもしっかりと太い。ランドナーやMTBはもともと13番のスポークでホイールが組まれていて、スポーク折れの経験は今のところない。これで、スポーク折れから解放されるか。

 

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錦秋の神鍋渓谷・小城・三川山周回

 9月に、兵庫県香美町村岡区の矢田川沿いから和佐父、小城、山田集落を巡る周回コースを走った。ここには報告していないが、昨年ほぼ同じコースを走った記録はこちら。その時小城集落の上方にガードレールが見えた。道路があるということだ。こうして見上げることができるということは、あそこからは広く景色を見下ろせるのだろうな、と気にかかり、帰宅してから地図を眺める。あの道は、かつての基幹林道だと記憶しているが、今の地図には県道258号線。神鍋高原からの周回コースを地図上に描くことができた。距離20km弱、最大標高差約400m、推定所要時間2時間の手ごろなコースだが、通行可能かどうか不明な区間を含む。わからないなら、行ってみるしかない。迷わず行けよ、行けばわかるさ。
 円山川沿いから神鍋高原へ。かつては高原の最奥部だった稲葉集落へ。今は、三川山から蘇武岳を経て但馬妙見山へと連なる山脈を貫いて村岡へと抜ける蘓武トンネルが口を開けている。そのトンネルを左に見ながら山へと向かう。分岐を左へ。神鍋渓谷公園の駐車場にクルマを止めて自転車を下す。MTBにブロックタイヤを装着して準備。
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 この先道狭く通行不能、の看板の脇を進む。すぐにダートになる。道が細いからというよりも、荒れていてクルマは通行困難だ。ガレていたり、溝が掘れていたり、倒木があったり。それでも4輪車の轍が見られる。倒木はどうにかクルマが通れるように処理されている。といっても普通のクルマでは無理だろう。各地のこうした林道をめがけて走りに来るジムニーか、山仕事の軽トラックか。
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 苦労しながら登っていくと、舗装道路に突き当たった。三川山・蘇武岳・但馬妙見山と連なる山脈の稜線を行く広域基幹林道だ。よく見ると、直進する道もあり十字路になっている。これで思い出した。今登ってきた道は初めてではなく何度か走っている。最後に走ったのはちょうど19年前。2003年の11月。蘓武トンネルの開通を記念して、今来た道を登って、この十字路を直進して村岡側に下り、蘇武トンネルで神鍋高原へ戻った。あの時は、十字路から村岡に下る道はかなり荒れていたと記憶しているが、神鍋渓谷から登る道はさほど記憶にない。またその前にも何度も神鍋渓谷からこの十字路まで登り、広域基幹林道蘓武・妙見線へと左折して蘇武岳へ登頂している。その時もそんなに荒れている印象はなかった。
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 今回は十字路を右折、広域基幹林道三川線へ。登りはまだ続くが、舗装路なので問題ない。のんびり行く。やがて道は下りとなる。黄色く色づいた木々の中を快走する。「秘境小城集落展望駅」なる標柱が立っている。
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 見下ろせば、小城集落から外れた一軒家。そこから道は登りとなり無線アンテナをいただいた三川山へと向かう。
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 三川山山頂がかなり近づいたところで、右への分岐が現れ、そちらへ。ダートの道を100mほど下ると丁字路となる。これを右折。神鍋高原へと下るダートの道だ。この道がちゃんと走れるか心配していたのだが、神鍋渓谷からの道ほどは荒れていない。まあそれでも下っていくと結構あれた区間があったけど。そして、道を塞ぐゲート。NTTのアンテナ管理のための専用道。また思い出した、ここも訪れたことがある。MTBでも、そして積雪期にクロスカントリースキーでも。やはり約20年前で、当時はまだ広域基幹林道三川線が未完成で、この道で三川山頂へと向かった。
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 ゲートを越えると舗装路となり、三差路へ。稲葉集落から山に向かった時の分岐点だ。神鍋渓谷公園の駐車場まではあと一息。

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11月中旬

 

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2022/11/14

小春日和の丹後半島一周

 毎年恒例の丹後半島一周をまだ今シーズンは走っていない。一番いい季節である、ゴールデンウィークから梅雨入り前の初夏の時期にはなんとなく走りそびれてしまった。夏の暑さが和らぐ晩夏の時期も狙ってみたが、今年の残暑はすさまじかった。秋になってもまだチャンスはある、と思っていたのに、土日の旅に天気が悪い。3連休は3回とも荒れ模様だった。ようやく訪れたチャンスは、11月6日。今までで一番遅い時期の丹後半島一周は10月下旬だから、遅い時期の記録更新だ。こうして、今シーズン初、生涯通算54回目の丹後半島一周が始まった。
 9時スタート予定で玄関を出たのだが、準備に手間取り、9:30、丹後半島中央部の自宅を出発。自転車は、ブリヂストン「RADAC」。推定35年前の昭和のロードレーサーだ。廃車になる予定のものを譲り受けた3年前に自分でレストアし、丹後半島一周してみたら、丹後半島一周の平均速度の自己記録更新。さすがロードレーサーと思った。
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 また今日は、家から竹野川を下って北上するのではなく、西へと進む。離湖の西岸を北上して、国道178号線へ。今シーズンはまだ100km/日をクリアしていない。まあ1年に一度くらいは1日に100kmは走っておきたいので、今日は大きめの周回とするのだ。
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 鳴き砂資料館を過ぎたら旧道へと向かい、アップダウンを越えて、網野町三津でようやく日本海にご対面。そこからはずっと海を見ながら行く。青い空と青い海。晴天を待った甲斐がある。間人(間人)の集落に入り、城島公園から間人漁港まで海岸道路を行く。砂浜にそそり立つ柱状節理の大きな一枚岩、立岩が見えたら、竹野川の河口を渡る。ここからは、いつもの丹後半島一周で通る道。いつもの丹後半島一周は80km余りの周回だが、とりあえずここまでで10km余り多く距離を稼いだ。
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 またアップダウンが少し大きくなる。急坂を登ると、また海にそそり立つ大きな一枚岩、「屏風岩」を見下ろす。ここは透明感のある青い海が美しい。秋になり北寄りの風が吹くと波が立ち、透明感が薄れるのだが、今日は初夏に負けないきれいな色をしている。ああ、よかった。
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 犬ヶ崎トンネルを越え、丹後松島を遠くに見て進み、宇川の河口を越える。いくつかのアップダウンを乗り越え、国道を一時離れて久僧から中浜の海岸道路へ。先ほど遠望した丹後松島が間近に見られる。
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 国道に戻ったら、自衛隊そしてアメリカ軍の基地を過ぎ、袖志の集落へ。そしてひと登りで経ヶ岬の灯台入り口。今年、国の文化財に指定された灯台までは少し離れているが、かつてはこの国道沿いにレストハウスがあった。今は駐車場とバス停があるだけ。
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 さらに登りは続く。長いこと続いていた工事は終わり、道幅が広くなっている。標高100mまで登ると白南風隧道。それを抜けると、断崖絶壁のカマヤ海岸。海を見下ろしながら、ゆるい下りを飛ばす。カマヤ海岸が終わり、甲崎で休憩。トイレを済ませ、ちょっと早いけど牛食を食べる。ここからはカマヤ海岸越しに経ヶ岬の灯台が見える。
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 蒲入の漁港を見下ろしていく。数年前に蒲入トンネルが開通して、一つアップダウンがなくなった。本庄宇治で国道を離れ本上浜へ。この先国道178号線は海から離れるので、海沿いの町道を行く。ただし、国道よりもアップダウンがきつい。まずは、野室崎越えの標高差130m。登り始めが一番きつい。でも、海の景色は素晴らしい。交通量が少ないのもいい。
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 断崖に囲まれた入江、泊まで下ったら、今度は新井崎越えの標高差150m。やはり登り出しがきつい。のろせ海岸でいったん登りが落ち着き平坦な道を行く。そして田んぼが見えたら新井の集落へと少し下る。かつては千枚田と呼ばれる小さな棚田が広がっていたが、30年余り前に耕地整理された。新井の集落を過ぎたら登り。道は二股に分かれ、左をとれば標高差130mですむが、標高差150mの右を選ぶ。この先は小さな棚田「千枚田」区間だが、右の方がそれをよりしっかりと眺めることができる。また急坂を越えて登ると千枚田区間。当然刈り入れは終わっているのだが、どうも稲作が行われた気配がない。都会から稲作体験のイベントなどで人を募っていたが、地主の高齢化でそうしたイベントも途絶え千枚田が休耕しているという新聞記事を思い出した。
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 伊根湾へと下る。舟屋の並ぶ狭い道をたくさんの観光客が歩いている。そんな道に入り込んだクルマは、対向車とのすれ違いに苦労している。
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 伊根を過ぎたら、平坦な道を飛ばす。北西の季節風の風下となるため、そして潮の干満差が小さい海域のため、舟屋も道路も波打ち際にある。日置を過ぎ、府中に来たら、天橋立の砂嘴を渡る。観光客が歩いていたりレンタサイクルに乗っていたりして、注意して進まないといけない。いつもの丹後半島一周では、天橋立を渡らずに、阿蘇海の北岸を通るのだが、今回は100km走るため、阿蘇海の南岸まで行く。そして阿蘇海をぐるっと回り、府道53号線で内陸へ。竹野川流域への峠越えだ。
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 今日一番の標高差200mだが、勾配はあまりきつくない。ただし、登り出しの道が狭く、クルマがそこそこ多いのがストレスになる。標高120mほど登れば、延利の集落となり平坦な田園地帯となる。久住の集落で小休止。残りのおにぎりを食べる。久住から一登りで、ようやく標高200m。これでまとまった登りはなくなった。下りを飛ばす。そして、15:30自宅へゴール。距離は97,5km。この後買い物に出かけて、100km/日をクリア。

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紅葉のおにゅう峠へ集結せよ

 11月3日、京都市内のランドナーを得意とする自転車店「I's BICYCLE(アイズバイシクル)」主催の「コンセントレーションおにゅう峠」に参加した。コンセントレーションとは、集合地点だけを決めておき、その前後のコースは参加者が自分で決めればよい、というもの。皆で一緒に走ることを自粛しながらも開催できるイベントとして、一昨年の11月3日にも南丹市の「京都府立府民の森ひよし」を集合地点として「コンセントレーションひよし」が開催された。
 今回の集合地点の「おにゅう峠」とは、福井県小浜市と滋賀県高島市朽木の境の標高830mの峠。鯖街道の一つで、山深くダブルトラックとして開通したのが2003年。近年までダートだった。雲海の名所として注目され、訪れる人が増えたせいか全面舗装された。2年前の7月に「コンセントレーションおにゅう峠」が計画されたが、雨天中止となった。その時はおにゅう峠の小浜側にはダートが残っていた。そして、今回はそのリベンジ開催。
 別にどんな自転車で参加してもいいのだが、I's BICYCLEのイベントにはランドナーで参加したい。ところが、ツーリングのメインバイクとして使っていたVIGOREオリジナルランドナーは、昨年9月のツーリング中のアクシデントでフレーム損傷。以前にメインバイクとして使っていたもう1台のVIGOREオリジナルランドナーを使おうとしてみたが、リアのカンティレバーブレーキがあまりにも効かない。これで峠越えツーリングは危険すぎる。急遽、サイドプルキャリパーブレーキを購入し、交換。
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 11月3日、8時35分、クルマで丹後半島の自宅を出発。霧が出ている。おにゅう峠からは雲海が見えていることだろう。小浜までおよそ90km。小浜市遠敷(おにゅう)の市街地から遠敷川を遡り、9時30分に鵜の瀬の広大な広場にクルマを止める。快晴だ。
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 コンセントレーションの集合時間は12時から13時。集合写真の撮影が13時なので、それに間に合えばいい。9:45、スタート。標高は45m。峠までは800m足らずの登り。
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 山間の谷を流れる遠敷川に沿った県道36号線は、センターラインの引かれた道路。緩い登り。広場から500mほど上流に鵜の瀬公園。毎年3月2日に「お水送り」の神事が行われ、そこで遠敷川にそそがれた水は、10日かけて奈良の東大寺二月堂の若狭井に届くという。そして「お水取り」が行われる。お水送りにはたくさんの観光客も訪れるということなので、先ほどクルマを止めた広場はその時の駐車場として使われるのかもしれない。もちろん、公園にも駐車場はあるが、20台ほどしか止められないようだ。
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 鵜の瀬公園からしばらく行くと、法面のコンクリートに大きな壁画。一つは魚。鯖だろう。「今日ハ遠テモ十六里」とある。もう一つは鳥。鵜の瀬の鵜だろうか。「良弁和尚生誕伝承地」と記されている。諸説あるもののこの鵜の瀬が生誕地とされる良弁和尚は、東大寺ともゆかりがあるようだ。この壁画には見覚えがある。14年前の2008年10月にここをクルマで通っている。
 4台ほどのロードレーサーの集団が追い越していった。ものすごいスピードだ。彼らもおにゅう峠を目指しているのだろう。
 そして集落を通過。下根来だ。晩秋の低い日は、10時になってようやく谷あいの集落を照らし始めている。
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 下根来を過ぎると、谷は狭まり、道は細く急勾配となる。
 後方から突然「こんにちは」と声がかかり、軽く驚きながら振り返ると、今度は名前を呼ばれた。I's BICYCLEのスタッフの一人、Mさんだった。「滋賀県側から登っている人が多いようです」とのこと。ランドナーに乗ったMさんのほか、ロードレーサーに乗った2人が追い越していった。彼らは、深夜に京都市内を出発して夜明け前におにゅう峠に到着。雲海を見て、小浜へと下りて朝食をとり、再びおにゅう峠へと登り返しているところ。Mさんは、1000kmのブルベを完走した経験もある健脚だ。
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 遠敷川の渓谷と赤や黄色に色づいた木々が美しく何度も自転車を止めて写真を撮る。そんなペースでも、単独のクロスバイクに追いついた。大きなザックが重そうだ。登山だろうか。
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 急勾配の九十九折れを越えると上根来の集落。道端の大木がシンボルのように佇んでいる。帰宅してから写真を見ると、14年前にもその大木を入れて撮っていた。何軒かある家々には人気が感じられない。14年前、暗くなってからの復路で、明かりがついている家が少なかったことを覚えているが、今はもう住民がいないのかもしれない。なんて思っていたら、人の気配のある建物発見。「お休み処・助太郎」という看板。また、隣接して「ゲストハウス与左衛門」なんてのもある。ただし管理人が常駐しているわけではないらしい。連絡先の電話番号が書かれていた。
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 下の方から爆音がしている。自動二輪のようだ。しかし九十九折なのでなかなかやってこない。神戸や大阪のナンバーの4台組だった。彼ら以外にも難題化追い越したりすれ違ったりした。
 集落を過ぎてしばらく行くと、少し開けた場所に大きな畜舎がある。もちろん今は何もいない。これにも記憶がある。この少し先からダートが始まり、クルマを止めて自転車で峠へと登ったのだった。あの時はだれにも出会わなかったが、今日は自転車自動二輪、そしてクルマも2台ほど追い越していった。
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 ヘアピンカーブの先に「鯖街道・根来坂(針畑越え)」と記された碑があった。「百里が岳登山口(根来坂コース)」と記された看板もある。その脇からシングルトラックがのびている。正式にはそちらが鯖街道で、おにゅう峠は2003年に車道として整備された道のようだ。
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 道は谷筋から尾根へと登っていく。登るにつれ周囲の稜線は低くなり、景色が開けていく。路面には落石が散らばっている。そんな中背後から車のエンジン音が迫る。道路の端によってやり過ごすが、そこは落石地獄。そのうちコンクリート舗装の急勾配区間。これはかつてのダートの名残。急勾配の区間では、水の流れで路面がガレたり溝が掘れたりするのを防ぐため、部分的にコンクリート舗装が施されていたのだ。そんな区間でまた背後から車がやってきた。落石天国の路肩で停止してやり過ごす。車輪を空回りさせながら追い越していった。しかし、その先のさほど景色がいいわけでもない広場で停車。なんとなく嫌な予感を感じながらそのクルマを追い越す。予想通りすぐ後でまた、もう一度背後に迫るエンジン音。また落石の路肩へ。こんなこと、一回で済ませてくれよ。
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 急勾配区間を過ぎると、絶景が待っていた。日本海が見えている。小浜湾だ。久須夜ヶ岳が目印だ。上根来の集落もかなり下に見える。ベンチが置かれていて、2人組が座っている。雲海のベンチというらしい。そのわきに止まっているクルマは、先ほど追い越されたものではない。止まって休憩するならこっちなのに。紅葉も見事。
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 景色を見ていると、自転車が登ってきた。ランドナーだ。ということは、コンセントレーションの参加者だ。挨拶をすると、「最悪」と何やら訴えてくる。変速ワイヤーが切れた、とのこと。幸いフロントの方で、ワイヤーのテンションがなくなりインナーにチェーンがかかった状態なので、登りではちょうどいい。「スタッフがスペアのワイヤーを持っていてくれるかもしれない」と言ってそのまま登っていった。
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 さて峠へ向けて、最後のひと登り。残り標高差は100m。
 先ほどのコンクリート舗装ほどではないが、なかなかの急勾配を越えて峠が間近に見えてきた。手前の路肩にはクルマが縦列駐車。やはり滋賀県側から登ってくる人が多いようだ。
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 12時ちょうど、おにゅう峠に到着。「おにゅう峠」と記された大きな石碑の近くに、コンセントレーションの関係者が集まっている。自転車を止めて、石碑の背後の小山に登り、そこで昼食をとる。さらに続々とコンセントレーション参加者が登ってきた。やはり、圧倒的にランドナーが多い。また、自動車、自動二輪も入れ代わり立ち代わり峠にやってくる。もう雲海は消えてしまっているけれど、結構な人出だ。誰もいなかった14年前が嘘のようだ。
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 13時、峠の石碑の周囲に集まって記念撮影。そのあとは、思い思いに峠からのダウンヒル。変速ワイヤーが切れた参加者は、小浜在住だそうで、変速ワイヤーを交換してもらえたなら、周回するといっていた。目論見通り交換してもらえたようだが、でも、小浜に折り返すようだ。滋賀県側から登ってきた人も、大半は引き返すらしい。ただし、小浜に降りて輪行で京都市方面へ戻る人、また自走で周回する人もいるようだ。私は滋賀県側に降りて周回する。あとは下り基調であるが、70km余りの周回コースのうちの15kmほどしか走っていない。距離でいうと、まだ80パーセントも残しているのだ。
 先が長いので、記念撮影の後すぐに出発。14年前はピストンコースだったが、峠ではなく、少し滋賀県朽木側に下ったところで折り返した。あまり下ると登り返しが大変だし、と思いながらダートの道を下り、引き返して登ろうとペダルを踏みこんだ時チェーンが切れた。まあ、峠までの登り返しは、乗っても押して歩いてもそんなに所要時間は変わらないし、峠からの下りはペダルをこがなくても走れるし、ということであまり深刻な事態に陥ったという気持ちにはならなかった。
 今回は、心おきなく下ることができる。勾配や落石などの路面状況は、滋賀県側の方が走りやすいようだ。先日導入したリアのキャリパーブレーキは、それ以前のカンティレバーブレーキよりもしっかり利いてくれる。が、やはりあまりスピードを出すことはできない。
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 谷底まで下り切ったら、こちらにも新しいゲストハウスがあった。畑に囲まれている。さらに進むと小入谷(おにゅうだに)の集落。漢字は異なるが、小浜には遠敷、朽木には小入谷と、どちらの麓も「おにゅう」という地名。
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 小入谷を過ぎると、県道781号線に突き当たりこれを左折。標高差約50mの登り。これで針畑川流域から北川流域へ。登り出して振り返れば、小入谷の向こうのはるか上方の稜線近くに、先ほど下ってきた道のガードレールが見える。14年前におにゅう峠を訪れた数週間前、朽木を走っている。その時、小入谷の上方に見えた道が気になり、帰宅してから地図で確認しておにゅう峠を訪れたのだった。
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 県道781号線を北川沿いへと下っていくと、家が現れた。初めは一軒家。そして集落を通過していく。とてものどかな風景だ。14年前にも感じた、秋の山里の味わいを思い出す。
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 景色を撮影していると、2台の自転車が追い越していった。コンセントレーションの参加者だ。確か朽木から登ってきていたから、峠までのピストンということだ。彼らの走行ペースはあまり早くなく、何度も撮影のための停止をする私の速度でも追いついてしまう。そして、彼らが写真を撮るための停止をしているときに追い越して、そのまま追い越されることはなかった。
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 北側の谷は徐々に開けていき、集落は大きくなっていく。そして、のどかで静かな県道781号線は終わり、国道367号線へと突き当たった。これを左折。いきなりクルマが増える。路肩は狭く、椿峠へ向けて標高差約100mの登り。これはストレスだ。対向車がなければ大きく避けて追い越してくれるが、対向車があるとすれすれを、しかもスピードをあまり落とさずに追い越すクルマがいる。さらに工事で片側通行の信号機。青になり、クルマが侵入してからこちらも突入するが、反対車線側が青になるまでに走り抜けねばと、息を切らせて走る。
 どうにか椿峠を越えて下りへ。路肩も広くなり一安心。それでもできるだけ国道を走りたくないから、保坂集落から水坂峠(おそらく国道303号線水坂トンネルの旧道)を通る予定だったが、その手前で椋川方面へと左折してしまう。少し下ってしまってからGPSレシーバで気付いて引き返す。このまま行っても目指す国道303号線へと続いているようだが、どんな道かわからないので引き返す。帰宅してから調べると、少なくともダートで、通行できる保証はないような道だった。
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 保坂集落で国道367号線とお別れ。晩秋の集落に西日が当たっている。国道を行きかうクルマの音はほとんど途切れないが、こちらへ侵入してくるクルマは全くない。標高差約50mの登りだが、クルマがいないとストレスをを感じない。水坂峠を越えて下りにかかると、1台だけクルマとすれ違った。そしてすぐに国道303号線を見下ろす。水坂トンネルの出口で国道に合流。右折で合流するため、国道を横断しなければならないが、クルマがなかなか途切れない。ようやく横断できたら、一気に下りにかかる。国道367号線の椿峠付近よりも路肩が広く、何より下りなのでストレスは少ない。寒風トンネルも、下りのため素早く通過。ちょうどクルマも途切れていた。さらに下りの途中の県境を越え滋賀県から福井県へ。
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 熊川宿では、宿場の中の道を通る。観光客が多いと走りにくいと心配したが、夕方のためか人気がとても少なく、問題なかった。鯖街道の宿場だから、寄らないわけにはいかないのだ。
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 その先は谷が開けるので、国道を避けて川の堤防の上や農道をつないでいく。やがて国道303号沿いから国道27号線沿いへと変わるが、やはり集落の中の道や農道をつないでいく。が、国道と交差しなければならず、面倒になって最終的には国道を走ることになる。まあ路肩が広いし。
 小浜市遠敷で国道27号線から、県道35号線で鵜の瀬へ。16:25にゴール。75kmの周回完了。

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家の近くにコウノトリ

 11月にしては暖かいぽかぽか小春日和が続いていたが、13日日曜は朝から曇天。昼前には小雨も降った。午後、自転車で一走り。1.5kmほど走ったところの田んぼの中にコウノトリ。単独だ。
 もうひと月以上前だが、家から300mくらいの田んぼにコウノトリを見かけた。9月中旬から10月上旬まで、そこを通った他ときにはほとんど毎回いた。多い時には5羽。田んぼにいるのは日中だけで、日が暮れると山の中かどこかへ行ってしまう。そして、翌朝になるとまた、田んぼにいる。どうも2~3週間くらい、同じ場所に定着するらしい。
 家の近所から立ち去ってしばらく見なかったが、久しぶりにまた見かけた。同じ個体かどうかはわからないが。
 小雨と追いかけっこをするように帰宅。夕方からしとしとと降りだした。

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2022/11/10

1年半ぶりの皆既月食

 11月8日、18時08分から満月の一部が欠け始め部分月食スタート。19時16分から20時42分まで皆既月食となり、21時49分に部分月食が終わった。深夜とか明け方ではなく、観測しやすい時間帯での月食だった。

 ただし、近畿北部日本海側では日中何度も時雨れる不安定な空模様で、見られるか心配したが、薄雲の向こうから欠けている月が見えたり、雲の切れ間から赤黒い皆既月食が見られた。

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 日本で皆既月食が見られたのは、2021年5月以来、1年半ぶり。ただし、日本では見られなかったが、2022年5月以来。地球規模で考えれば、今年2度目の皆既月食。

 TVの報道や、インターネットの記事では442年ぶりという言葉が見受けられた。皆既月食と惑星食が同時に起こるのが442年ぶりということだ。442年前の1580年といえば、安土桃山時代。皆既月食の月の向こう側を土星が通過。でも当時は、惑星食なんて意識されていなかっただろうね。もちろん、明るい満月が暗くなっていく皆既月食には気付いただろうけど。ただし、それが起こった時間帯による。

 今年の惑星食は、肉眼ではほとんど見えない天王星の食なので、「442年ぶり」という見出しの報道でもスマートフォン片手に夜空を見上げている一般の人々が意識しているのは一生のうち何度も遭遇する皆既月食のみ。

 8年前、つまり2014年10月8日の皆既月食は、近畿北部でも快晴の条件で見られた。この日は、コンパクトデジタルカメラではあるが三脚を使ってちゃんと撮影した。

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2022/10/25

夜通し鳴り響いた雷は

 10月24日深夜から25日明け方にかけ、雷が鳴り響いた。カーテンを引いているにもかかわらず、窓からは稲光が射し込んでくる。雨も激しく、京都府北部、丹後地方に25日1時17分に大雨警報が発令された。
 これは19日に亡くなった、仲本工事さんを追悼する雷だろうか。いや、一晩中ということだから雷さまの通夜ということか。窓から差し込む稲光は、沙悟浄の黒縁メガネのフレームから発されるメガネ光線だったのかもしれない。
 ドリフ大爆笑の雷さまのコント、8時だヨ全員集合の体操、人形劇の西遊記の沙悟浄。仲本工事さんを悼むTV番組では、ドリフターズで最も地味な存在、他のメンバーの引き立て役、とされていた。リーダーで突っ込みのいかりや長介、ボケの志村、加藤ほどは目立ってないけど、仲本さんも結構ボケていた。コントに出ていてもほとんどセリフがなく、目立たなかったのは高木ブーだった。ところがある時、高木ブーが雷コントで脚光を浴び、いつの間にか仲本さんがメンバーで最も地味な存在と言われるようになってしまった。ちなみに、ドリフ大爆笑で、初めて雷さまのコントが披露されたとき、好き放題ボヤいた挙句に席を立って退場した高木ブー。残されたいかりやと仲本の二人が、「あいつずっと黙ってたくせに、あんなに喋れるじゃねぇか」で閉幕。
 そんな仲本さんの最大の偉業は、じゃんけんをするときの「最初はグー」の掛け声を世の中に広めたことだろう。これは、全員集合の後半のショートコントコーナーで、志村けんと仲本さんの二人の定番コントで披露された。西部劇のガンマンスタイルで登場する志村と仲本が決闘する、そんな設定でコントが始まる。決闘といってもそれはじゃんけん。その掛け声が「最初はグー、じゃんけんぽん」。負けた方は勝った方がから罰を与えられる。例えば、ケーキを顔に押し付けられたり、消火器の粉を吹きかけられたり、ズボンの中に水を流し込まれたり(入れやすいように、ウエストがゴムのズボンをはいていた)。この最初はグー、さらに元をたどれは、ドリフのメンバーでの飲み会で、誰が勘定するかを決めるじゃんけんをしようとしてもみなべろんべろんに酔っぱらってタイミングが合わないので、「最初はグー」を付けることで息を合わせていた、などと言われている。それを決闘コントに使ったら受けたので定番コントになり、そして「最初はグー」がじゃんけんの時掛け声として定着した。
 25日、夜が明けると雷は収まっていた。大雨警報は、7時52分に解除された。ただし、時雨模様の天気は日中も、さらに日が暮れてからも続いた。いわゆる「うらにし(浦西)」と言われる時雨たり止んだり、時には青空から日が差しながら雨が降る不安定な空模様。季節はすっかり晩秋。中国地方最高峰の大山、四国山地第2の高峰である剣山などから雪の知らせが届いた。

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