2021/12/29

雪が積もった

 12月25日ごろから寒波到来。26日から雪が積もり始めた。

Img_2759

 27日にはさらに積雪が増し、玄関先で積雪深24cm。大雪警報が発令された。

Img_2761 Img_2764

| | コメント (0)

2021/11/30

淀川・桂川をさかのぼり大阪から京都へ

 近年、晩夏から初秋の時期に走っているコース。暑い時期なのでアップダウンの少ないこのコースを、というわけ。今年は初秋の時期に比較的過ごしやすい日が続いたので、それなりにアップダウンのある山間コースを走っていた。そんな矢先に、自転車でクラッシュ。手負いとなってしまった。
 1週間が経過し、どうにか自転車に乗れるようになったので、9月下旬に決行。
Img_1721

 園部まではクルマ。JR山陰本線で嵯峨嵐山駅へ。輪行袋は負傷していない左肩で担ぐ。今日の自転車はPLATINUM LIGHT8。小さくて軽いので輪行に有利。JR嵯峨嵐山駅から渡月橋を渡って阪急嵐山駅へ。再び、阪急電車で輪行。桂駅で大阪行きに乗り換え。15分ほど早く着く特急化、車内が空いていて座って移動できる準急か迷うが、今日は特急を利用。淡路駅で下車。
Img_1723_20211201001501

 下新庄駅近くの「地球規模で考えろ」のラーメンを食べるのも慣例となっているのだが、行ってみると店の前に10人ほどが並んでいる。以前も並んだことがあるのだが、その時は4,5人だった。今日はあきらめよう。
Img_1724_20211201002201

 コンビニで昼食の弁当を買って、淀川へ。土手の上の道をしばらく走って、豊里大橋で左岸へ渡る。去年は右岸をさかのぼったので、今年は左岸。かわりばんこなのだ。淀川は、両岸に土手の上と河川敷に、基本的にクルマが通らない道が設けられている。土手の上を行けば、川の流れと市街地の両方を広く眺められて気分がいいのだが、車道や鉄道の橋によって道が寸断されている。そういう時は河川敷に降りて橋を潜り抜けなければならない。それが面倒なので結局河川敷を行くことになる。今日は初めから河川敷の道だ。
Img_1725_20211201002201Img_1731
 河川敷は、野球やサッカーのグラウンド、テニスコート、ゴルフ練習場、そして公園などとして利用されている。さらに、それらの施設の利用者のための駐車場や車道があるため、何度も車止めを越えなければならない。原動機付自転車や自動二輪車が車道の外に出ることを防ぐため、車止めはタイトなものとなっていて、自転車で越える場合も一度停止する必要がある。
 運動場のベンチに腰かけて、コンビニで買った弁当を食べる。
Img_1735

 大阪市、守口市、寝屋川市、枚方市と行政区は変わっていくが、基本的に河川敷はずっと公園や運動場が続く。それらの施設が途切れると京都府との境。河川敷は、背の高いススキか葦の草原となる。土手の向こうに住宅街に覆われた小高い山が見える。鳩ヶ峰だ。向こう側の斜面には、石清水八幡宮がある。
Img_1726

 京都府に入ると桂川、宇治川、木津川の三川合流地点。河川敷から土手の車道に乗り上げ、木津川御幸橋を渡る。合流する手前の。木津川と宇治川の間にある「さくらであい館」で小休止。このエリアも公園として整備されていて、その関連施設がさくらであい館。売店などがある。桂川木津川自転車道を走るサイクリストの利用も多い。
Img_1735Img_1736_20211201002201

 宇治川御幸橋を渡り、今度は宇治川と桂川に挟まれたエリアへ。そして桂川自転車道を行く。こちらは淀川沿いの道と比べて、道幅が狭い。自転車が多いと感じるのは、、その道幅のせいなのか、それとも絶対数が多いのか。のんびり走る実用車もいれば、高速走行のロードレーサーもいる。さらにランニングの人もいて注意が必要。
Img_1737

 基本的に左岸の土手の上を行く自転車道だが、鴨川合流点を過ぎ、JR東海道本線・東海道新幹線をくぐると、河川敷へ。畑の中を行く区間もある。国道9号線の橋で右岸へと渡り、またも河川敷の畑の中を行く。そのあと土手へと上がり、車道と並走したり離れたりしながら嵐山へ。渡月橋を渡ってJR嵯峨嵐山駅から輪行。
 この日の走行は60kmほど。折畳小径車とは言えスポーツサイクルとしてのセッティングにしているので、ハンドルにも体重をかけた姿勢。つまり、腕、そして肩にも体重がかかる。痛めた右肩は、やはり痛くなったが、リタイアすることなく完走できた。

| | コメント (0)

代替ホイールを組みクラッシュからの復活へ

 前の記事の通り、クラッシュによりメインで使っているランドナーのフレームが再起不能となってしまった。それを含めて、ランドナーを4台所有している。大学生の時に自分で買ったユーラシアツーリングと、あと3代はそれぞれ譲り受けたもの。
Img_1708_20211130230801Img_2263 Img_1706_20211130230801

 残っている3台は、やはりどれも20年以上前のモデルで、メインバイクとして使うにはかなりくたびれている印象。ほかにはMTB、クロスバイク、ロードレーサー、折り畳み小径車も所有しているが、ツーリングに使うメインバイクとしてはやはりランドナーが勝る車種はない。新しいランドナー、ということも頭に浮かぶけれど、とりあえず保留としておく。
 前述のとおり、ランドナーを4台所有していて、ホイールも4セットある。できるだけ共有して、前輪2本と後輪3本にタイヤとチューブを装着して使用している。舗装路用のタイヤとダート用ブロックタイヤのホイールを区別していたり、リアの変則が7Sと5Sのランドナーが2台ずつだったりするので、そういう構成になっている。4セットのうち1セットはリムの幅が少し太くブレーキシューの調整が必要だったり、スポークが細く(14番)折れる心配があったりするので、これは使わない方がいい。それでも前輪が1本余っている。ただし、これはちょっと訳あり。ユーラシアツーリングと山口べニックスと、1980年代以前のランドナーで使用している5Sのボスフリーが装着された後輪とセットのもの。この5Sボスフリーの後輪が、原因不明の連続パンクに襲われたことがあった。しばらく使っていなかった自転車を復活させるとともに再び使用するようになったホイールだが、しばらくすると後輪がパンク。原因は不明。タイヤは無傷で、チューブのリム側に小さな穴が空いていた。チューブを交換しても10~20㎞走るとまたパンク。10km程度の散歩として走っていたので、1回おきにパンクするような状態。タイヤ内に何かが混入していたのだろうか。リムを雑巾で拭き、リムバンドやタイヤも新しいものに交換して何とか落ち着いた。これが2014年の夏。ところが、翌2015年の春、謎の連続パンクが再発。もう原因究明はあきらめ、空いている前輪のリムと交換した。双方のスポークを外し、リムを交換。初めてのホイール組み作業だった。これでパンクしなくなった。
Img_2151

 というわけで、余っている前輪ホイールは、リムとスポークとハブがバラバラな状態。しかも、リムは連続パンクした後輪についていたいわくつきのもの。とにかくこれを再利用してみる。
Img_2160

 ホイールを組むのは3回目。夏に、折畳小径車のハブの交換の時以来。でもやっぱり時間がかかる。休日の午後にやり始めたが日没で中断。翌日仕事から帰ってから、車庫の中で何とかくみ上げた。チューブとタイヤを装着しようと思ったが、このサイズのリムバンドがなかった。結局これを注文。作業再開は次の休日。ホイールの振れ取りは、自転車にホイールを装着し、ブレーキシューを目安にする。組んだ直後は、恐ろしいほどの振れがあるが、根気よくニップルを絞めたり緩めたりしていく。そしてリムバンド、チューブ、タイヤを装着し空気を入れる。そして、走ってみる。
Img_2261 Img_2262Img_2265
 この日は、15kmほど。パンクしなかった。さらにその後何回か乗車。100km近く走ってパンクはない。パンクしたのは後輪として使用していた場合であり、果汁の小さな前輪での使用なら大丈夫、ということか、それともタイヤ内に混入していた何かがもうなくなっているということか。とりあえず、もう一度振れを修正してこのまま乗り続けることにしよう。

| | コメント (0)

養父の山中でクラッシュしてVIGORE永眠

 9月下旬の休日、自転車で走りに出ようと思っていながら、クルマで出発したのは遅い午後。だらだら過ごしてずいぶん遅い出発になってしまった。家から1時間あまり。兵庫県養父市の大屋川沿いの県道6号線。十二所の集落のはずれの路肩のスペースにクルマを止める。もう夕方といっていい時間に差し掛かっている。
Img_1683Img_1685

 VIGOREオリジナルランドナーを自転車から降ろして出発準備。大屋川をさかのぼる形で県道6号線を進み、旧養父町から旧大屋町へ。樽見集落に差し掛かるあたりから県道をそれて上山の集落への登る道へ。県道をもう少しだけ旧大屋町の中心集落である大屋市場方面に進んでから、登るコースもある。樽見の大ザクラの近くを通る道だ。いずれを通ってもも上山集落の上部で、前述の道と合流する。今回のコースは上山集落を毎年秋にこのコースを走っていて、確か去年は大ザクラから登ったので、今年は手前のコースの順番。かわりばんこなのだ。大きく蛇行している大ザクラ側の道と違い、こちらは出だしが急勾配。細かいヘアピンカーブで標高を稼ぐ。そして上山集落。山村の中を登っていく。
Img_1688

 毎年走っているので、時間は読める。距離約24km、標高差400mのショートコースだ。何とか日没前後に峠に到着し、あとは一気に下るだけ。どうにか残照の中、走り終えることができる。そういう目論見でいた。ライトも持っている。
Img_1695_20211130230701

 目論見通り、日没を少し過ぎた18:20、養鶏場のある峠へ到着。分岐があり、直進するとそのまま稜線を登り見祓山に向けて登る道。過去、何度も迷い込んだが、今日はそれを左折、建屋川の谷へと下る。先ほど峠と書いたが、頂上部はなだらかな高原となっていて、養鶏場を過ぎると、今度は牛の畜舎と牧草地。この牧草地はシカの群れがいて、まるで鹿牧場のようなことが何度もあった。今日はシカではなくて牛の姿が見える。牛がいるとシカはいないようだ。
 牧草地を超えると一気に下りが始まる。さあ、真っ暗にならないうちに下ってゴールしたい。
 目の前に道路を横切る排水溝。蓋をするグレーチングに隙間が空いている。ちょうど自転車のホイールがすっぽり入る隙間。前輪が、そこに吸い込まれる。
 気づけば道を歩いて下っていた。自転車から外したGPSレシーバー、暗くなったら自転車に装着するライト、そして財布などの貴重品を持って。右肩が痛い。自転車は?記憶が飛んでいるようだ。引き返してみる。少し歩いたら路肩に自転車を発見。前輪のリムが割れ、タイヤもチューブも破れ、スポークもなんぼか切れたり、曲がったりしている。フロントフォークは大丈夫だろうか。いずれにせよ乗車不可能。自転車を路肩に移動し、必要なものを手に持って歩いて下った。記憶が飛んでいるのはわずか。そしてその間の判断も正しかったようだ。
 クルマを止めた地点まで、行程の半分12kmほど。下りなので自転車なら30分ほど。でも歩きだと2時間はかかるはず。そして、自転車を回収してから帰路に就くことになる。長くなるぞ。
 山間部はすぐに闇夜となり、自転車用のライト灯して歩く。クルマを止めた地点まで、2時間半ほどかかった。
 2,3日は、右肩周辺の傷みが激しくてつらかった。それでも徐々に回復し、半月ほどでほぼ普通の生活ができるようになった。
Img_1706_20211130230801Img_1707_20211130230801

 損傷した自転車の状態を見たのは3週間ほど後のことだった。リムが割れたホイールはもうダメ。変形して邪魔な泥除けも外す。別のホイールを装着して走ってみる。違和感がある。フロントフォークが曲がってしまったか。本体のフレームだった。ダウンチューブのハンドルポスト側の付け根がゆがんでいる。つまり、もうこの自転車には乗れない。
Img_1708_20211130230801Img_2263

 12年前にある人から譲り受けたランドナー。別のランドナーをメインとして使っていたため、数年は出番があまりなかったが、昨シーズンからメインバイクとして使っていた。京都の工房VIGOREで製作されたフレームを、やはり京都市内の自転車店「キヨセサイクル」で完成車とくみ上げられたオリジナルモデル。前のオーナーである知人が1996年ごろに購入。一度旅につかったものの、その後10年余り輪行袋の中で眠っていた。さらに私のもとに来てからの期間と合わせ、20年以上あまり乗られていない状態だった。おかげでフレームもパーツもまだ新品同様とまではいかないが、いい状態なのだった。そんな自転車が再起不能の状態になってしまい悔やまれる。

| | コメント (2)

2021/11/19

部分月食

 月食の観測を忘れかけていた。時刻は、18:05。食の最大は18:03だから、急いで窓から外を見る。建物の死角で見えない。急いで外に出る。どうにか大方が地球の影に隠れた月を見る。といっても影の部分がぼんやり赤く見える。ぼんやり見えるのは光の干渉によるもの。赤いのは、地球の大気を通過した太陽光の影響。朝日や夕日が赤いのと同じ原理。そして写真撮影。

Img02256

 そのあと、19:30頃。欠けた部分が小さくなってきた。

Img02258

 そして、19:50頃。もう月食は終わりかけ。

Img02260

 2014年10月の皆既月食の記事はこちら。その時のGIFアニメーション

141008moon

 

| | コメント (0)

2021/11/17

林道本谷線から久斗山・大熊・伊角の山里巡り

■初秋の矢田川、右岸左岸の山里巡り(3)林道本谷線から久斗山・大熊・伊角の山里巡り
2109yadagawa
2109kutoyama
 三度目の道の駅「あゆの里 矢田川」。これまでの2回と違い、今回は左岸、つまり西側の山里をめぐる。これで矢田川シリーズはフィナーレ。まずは、矢田川に沿って県道4号線を下流に向かう。すぐに長瀬の集落。ここから山間へ向かう。林道本谷線。いきなり急登が始まるのは、毎回のこと。「倒木により通り抜けできません」との案内板があるが、まあ自転車なら何とかなるだろう。その先で、路面は舗装からダートに。
P1220375 P1220376 P1220380

 しばらく登るとトラックや重機が見えた。木の切り出し作業中だ。静かに脇を通り抜ける。路面が少しぬかるんでいる。太いタイヤのMTBでよかった。植林作業のおかげか、走路をふさぐ倒木は、切られている。
 植林作業区間を過ぎても、倒木は処理されている。また土砂崩れも起きているが、ふさがれているのは一部で、クルマが通り抜けられるだけの道幅は確保されている。軽自動車ならね。
P1220383 P1220384P1220392

 このコースは、2007年以来14年ぶり2回目。ただし、前回とは逆回りの周回とした。その理由は、通行不可能である可能性がある林道本谷線を先に行くため。前回は、コース終盤のこの林道が土砂崩れでふさがれていた。その時は、自転車を担いで乗り越えたが、道路そのものが崩落していたらどうしようもない。来た道を延々と戻らねばならないところだった。
P1220399P1220408 

 倒木も土砂崩れも、問題なくクリア。でも最後は路面にうっすら草が生え、まるで草原のようで走りにくかったが、どうにか舗装路にたどり着いた。あとは、ずっと県道だ。
 まずは県道257号線。少し下るとグラウンドとトイレがある。グラウンドも草原になっている。スタートは香美町だったが、こちらは新温泉町。
P1220413P1220424

 そこから久斗川の谷に降り立つとほんの数軒の集落があった。久斗山集落の端郷らしい。いくつかは廃屋のようだ。久斗川の流れに沿ってかなり下ると久斗山集落。こちらはバス停流所もある比較的大きめの集落。
 久斗山集落から県道549号線に乗り換え、小さな峠を越える。今はどちらも新温泉町内ではあるが、旧浜坂町からかつての温泉町へ
P1220432P1220433  

 峠を越え下っていくと大熊集落。大きな寺の裏手から集落へ。三叉路を左へ。今度は県道550号線で熊谷川をさかのぼって伊角集落を抜ける。谷を埋め尽くす棚田を見ながら登る。5.6名の男性が稲刈り作業の休憩中。比較的若い。14年前も同じ時期にここを走ったが、記録を読めば「農作業をしているのは高齢者ばかり」とある。必ずしも親子とは限らないが、何らかの形で世代交代が進んだようだ。
P1220437

 棚田を抜け最後の峠を越える。峠の反対側に桧尾の集落。立派な建物だが、廃屋のようで一部損壊している。今回はそれを遠目に通り過ぎたが、前回は近くまで行って小学校の跡だということを確認していた。
P1220442P1220452

 そして矢田川に向けて本格的に下りが始まる。道がとても細い。クルマはすれ違えない。そして急坂で曲がりくねってスピードを出せない。このくだりの途中に新温泉町と香美町の境がある。矢田川の支流の谷底まで下って、味取集落で矢田川沿いへ突き当たる。橋を渡って県道4号線まで来たら、道の駅「あゆの里 矢田川」はすぐそこ。

| | コメント (0)

林道宮神山田線

■初秋の矢田川、右岸左岸の山里巡り(2)林道宮神山田線
2109yadagawa
2109miyagami0
 1週間ぶりの道の駅「あゆの里 矢田川」。駐車場に止まっている車中泊装備の軽ワンボックス、芝生エリアのテントとそのわきランドナーにはそれぞれ見覚えがある。事情はよく分からない。
Img_1562_20211117225201 Img_1564Img_1566

 先週と同じように、自転車で矢田川をさかのぼる。今日は、ダート走行に備えMTB。前回は川会集落から山間に入ったが、今日はその手前の高津集落から。集落を過ぎたところから、スイッチバックするように急坂が始まる。ぐいぐいと高度を稼いで、集落の頭越しに矢田川の流れ、そして対岸の数世帯の集落を見渡せる。その高津を過ぎると、延々山間の急こう配を登っていく。標高500mほどのところに、それまでの林間から一転、平らで開けた畑が広がる。小学校の校庭くらいはあるだろうか。その先が宮神の集落。矢田川沿いから標高差400mほど登ったことになる。
Img_1567 Img_1571 Img_1577

 今日のコースは、22年前、14年前に続いて3回目。その時の記録文を読むと、2度とも「こんなところまで自転車で登ってくるなんて、大変だろうに」と女性から声をかけられている。それが同じ人かどうかはわからない。
Img_1579 Img_1585_20211117225301 Img_1591

 標高が高く麓からの道のりの長い、この宮神や、前回訪れた小城は、冬の間は雪に閉ざされるとのこと。麓に子どもの世帯がある高齢者が住んでいた、ということだろう。ただしそれは以前の話。最後に訪れてから14年。今は人の気配はない。家は雪囲いがされたまま。そのうちの1軒の玄関には麓の集落名と連絡先電話番号、そして「しばらく留守にします」と記された張り紙。それでも、家の周りの小さな田んぼには、稲が育っていた。かつて声をかけてくれた女性は、どこかで元気に暮らしておられるだろうか。
Img_1594

 宮神集落を過ぎてさらに登ると、舗装が終わりダートとなる。林道宮神山田線だ。いやダートと書いたが、荒れた舗装のような区間もみられる。ほとんどダートのようなものだが。
Img_1604_20211117225401

 しばらく登りが続くが、そのうちピークに達し、下りとなる。林道は林間だが、木々の合間から南西の山々が見える。扇ノ山あたりが見えるようだが、稜線は雲に隠れている。山腹に集落が見える。あとでカシミール3Dで検証してみれば、春来ではないかと思われる。
 ブロックタイヤのランドナーで走る、ということも考えたが、今日はMTBとした。近年、荒れたダートの路面を走ることが多く、ランドナーではかなりてこずってしまう。より太いタイヤと、サスペンションの付いたフロントフォークがしっかり仕事をしてくれる。また、このダートは比較的整備がされていて、側溝はちゃんと水が流れるように掘られている。法面が崩れ側溝が埋まると、路面に水があふれてガレてしまう。
Img_1623Img_1628

 下っていくと、今度は北の景色が開ける。山々の向こうに日本海。香住あたりか。さらに下ると、さらに景色が開け港の防波堤が見えた。香住港だ。
Img_1639 Img_1640 Img_1645

 どんどん下っていくと、前回小城からの下りで見た畑を、前回と反対側から見る形となり、そして山田川を渡って前回の道に合流。そして山田集落へ。ここからは、前回と同じ道。

| | コメント (0)

小城と山田渓谷

 9月に、兵庫県香美町村岡区の道の駅「あゆの里 矢田川」を起点として両岸の山間部にある集落をめぐるツーリングを行った。緊急事態宣言のさなかでありながら、人との接触はなく感染リスクの低い行動ということで、自粛もせず出歩いていた。ただ、ブログへのアップロードだけを自粛していた。緊急事態宣言も解除され、さらにずっと感染者数も落ち着いているので記録を上げていくことにする。

■初秋の矢田川、右岸左岸の山里巡り(1)小城と山田渓谷
2109yadagawa
2109kojo0
 氷ノ山山系を水源とし、香美町内を南から北へ流れ日本海にそそぐ矢田川。香住区との境に近い村岡区内に、道の駅「あゆの里矢田川」がある。ここにクルマを止めて自転車(ランドナー)で走り出す。県道4号線で矢田川上流へ。両側に山が迫るが、谷は少し広がりがあり田園や集落がある区間が多いが、ごつごつとした岩にはさまれた狭い谷の区間がたまに現れる。
Img_1480 Img_1485Img_1489

 川会集落の手前から右岸の山間部へと入る道へ左折。いきなり急な登りが始まる。めったにクルマが通りそうにない曲がりくねった細い道だが、数台のクルマとすれ違う。電気、あるいは通信回線の工事の関連と思われる車両だ。そして急こう配の斜面に張り付く和佐父へ。山間部にありながら10世帯以上あると思われるまとまった集落。家並みを縫う道もヘアピンカーブでぐいぐい標高を上げていく。
Img_1491 Img_1499

 集落を過ぎると、薄暗い道となる。やはり、集落があるところは、急勾配でも開けた土地。それ以外のほとんどは藪の中の道なのだ。
Img_1502

 登っていくと、家建っていたと思われる平らな土地や休耕田と思われるやはり平坦な土地が見られる。この道を走るのは、1999年以来22年ぶり。あの時には、どんな状態だっただろう。残念ながら覚えていない。
Img_1503

 矢田川の支流、和佐父川に沿った道だが、あるところで3つ股に分かれていた。分岐ではなく、すぐ先で一つに合流している。ただし、通行可能なのは真ん中で、山手の道はがけ崩れで埋まり、谷川は道そのものが崩壊している。災害で傷み、何度も付け替えられたようだ。
 標高600m余りのピークを越える。あまり展望はない。というか、ずっと山また山の風景だ。
Img_1515_20211117230301

 下っていくと急斜面に一軒家。農家だ。もう少し先が、小城の集落だが、こうした集落から外れた家が点在していたことを思い出す。ただし、人が住んでいる気配がない。おそらく廃屋。たしか、22年前には人が住んでいたと思う。
 山田川の谷へと下っていく。そして、山田川沿いにしばらく下ると分岐があり、それが小城集落の入り口。前回は4,5世帯の集落を見学するため分岐から数百メートルの距離を登ったが、今日はよらずに下ってしまった。久しぶりに集落の様子を見ておけばよかった。
Img_1525

 分岐から山田川を下る道は遣道258号線。ただし、県道とはいえ「悪路につき通行困難」の立て札。舗装はされているものの、狭く急勾配で曲がりくねり、落石が散らばる状態。道路わきを流れていた山田川は、いつの間にか数十メートル下を流れるようになり、小さな滝がいくつも見られる。山田渓谷だ。当然、落ちたら一巻の終わり。スピードを抑えていくしかない。
Img_1534

 狭く曲がりくねった落石だらけの道をひたすら下っていく。かなり下って、対岸に畑が現れた。川の流れと道路との落差も小さくなっている。今いる道は右岸、つまり流れの東側だが、対岸から未舗装の道路が合流してきた。この道もかつて通った道だ。こちらも再訪したい。
Img_1535

 そこから一下りで山田集落。産官から下ってたどり着くと、なかなか大きな人里と思えるくらいに家が並んでいる。20世帯は軽く超えているだろう。集落の中には、小学校の跡地がある。今は廃校だが、前回訪れた22年前にはまだ学校として存続していたのではないかと思う。しかし、山田集落から矢田川沿いの県道4号まで2km近くある山間の集落だ。かつてこの集落の山側のはずれで2,3匹サルが遊んでいた。そして集落の中では、女性2,3名が立ち話中。野生と人里の境界線といったところ。
Img_1537

 県道4号線にまで来たら、矢田川の流れを横に見て道の駅「あゆの里 矢田川」へ。

| | コメント (0)

2021/10/31

暑くて寒い10月だった

 ひと月半も更新が滞ってしまった。
 前の発言の通り、初秋は季節が順調に進んだかに見えたのだが、9月下旬からじわじわと季節の進行が遅れ、しまいには後戻りするような状況となった。10月前半は、最高気温が30度前後という日が続いた。京丹後市のお隣豊岡市での真夏日の日数は、9月前半(1~15日)が2日、9月後半(16~30日)が3日、そして10月前半(1~15日)がなんと7日もあった。衣替えの季節ということで、一度長袖姿が増えたのに、また半袖が戻った。日中は暑いものの、朝夕、つまり最低気温は季節の進行とともに下がり、9月初めから10月中旬まで1日ごとの平均気温は20度台前半が維持された。
 いつか気温が季節に追いつくことがあるわけで、そうなったときには一気に寒くなるだろう。そんなことを思っていたら、10月中旬にがくんと気温が下がった。1週間で最高気温は15度も下がり、8月の終わりのころから11月の気温に2か月半も季節が進んだ。半袖から長袖どころか、上着を重ねることとなり、冷房から一気に暖房へ。
 その寒さもほんの数日。その後じわじわと気温が上がり、最高気温が20度を超える平年よりも暖かい状態で10月を締めくくった。まあ、真夏日とか夏日まではいかないが。10月トータルで考えれば、暖かい秋のひと月だった。
 10月末日、コウノトリに遭遇。ペアだった。ファーストコンタクトが至近距離で、つまりこちらの存在を意識されてしまい近づけず、すぐに飛び去って行った。
Mvi_1942mp4_000008475 Mvi_1942mp4_000015148
 そのほか、3日と9日にも、単独のものに遭遇。
Img_1751_20211031201401 Img_1781
 いずれも京丹後市内。

| | コメント (0)

2021/09/14

早くも彼岸花そしてコウノトリ

 仕事の合間、自転車で職場の外へ出ていたら、彼岸花を見つけた。これは早い。近年、開花が遅れがちなのに。今年、近畿北部では、9月になってから真夏日が非常に少ない。京丹後市のお隣、豊岡市ではたったの2日。それも、かろうじて最高気温が30度に到達する程度。例年だと、9月上旬には、最高気温が32~33度は当たり前。猛暑日だって無きにしも非ず、という状況なのに。ちなみに昨年は、9月1日から14日までの間に、真夏日が7日、猛暑日が3日。つまり、14日間のうち10日が、最高気温30度以上。そして最も暑い日は、37.3度、という状況だった。
Img_1662

 また、稲刈りを終えた田んぼでコウノトリにも遭遇。単独だった。

Img_1669

| | コメント (0)

2021/08/15

台風の温帯低気圧化そして前線停滞

 まずは、このたびの豪雨で被災された方々にお見舞い申し上げます。

 盆を直撃した豪雨により、西日本から東日本各地に川の氾濫、土砂崩れ、家屋の浸水など大きな被害が出た。梅雨末期のような状態の前線停滞で、特に2018年7月に西日本を中心に災害をもたらした豪雨の時に似ている、とのことだった。豪雨当日までの数日間の天気図を比べてみた。

180706 210814

 確かに共通点があった。台風が九州に上陸して、西日本から東日本へと日本列島を縦断していく途中で温帯低気圧に変わり、その軌跡に前線が停滞する、というパターン。

 まず、台風は南海上から湿った暖かい空気を運んでくる。日本列島は大雨の材料である水蒸気が漂った状態となる。

 次に、台風が温帯低気圧に変わったこと。このことを伝える気象キャスターは「勢力が弱まるわけではありません」と説明していた。勢力が弱まるのではなく、低気圧の種類が変わったのである。

 そもそも台風は、熱帯低気圧。中心付近の風速が基準値を超えるものを台風(南太平洋で発生するもの)と呼び、それ以外を単に熱帯低気圧と呼ぶ。以前は、台風以外の熱帯低気圧のことを「弱い熱帯低気圧」と呼んでいたが、誤解を招くので「弱い」という表現を外した。熱帯低気圧のうちで勢力が強いものを台風と呼ぶわけで、台風が熱帯低気圧に変わったら勢力が衰えたということになる。

 では、台風を含む熱帯低気圧と温帯低気圧との違いについて。台風など熱帯低気圧は、暖気の中に存在する。暖かい海水面から発生する水蒸気がエネルギー源である。それに対し、温帯低気圧は、暖気と寒気の境目に発生する。温度の異なる気団が混ざり合う力がエネルギー源である。

 台風は上陸したり、太平洋ほど水温が高くない日本海に出たりすると、エネルギー源の水蒸気の供給が落ちるため勢力を落とす。ところが、温帯低気圧に変わることで、勢力を維持、あるいはさらに強めることになった。

 台風が温帯低気圧に変わるということは、日本付近まで寒気が南下してきているということである。暖気と寒気の境目には前線が発生しやすい。熱帯低気圧が発生し台風に発達、そして日本に上陸するほどに、日本のすぐ南の海上は温まっているにもかかわらず、日本付近まで寒気が南下した状態。つまり、暖気と寒気が強くせめぎあっている。そこへ大量の水蒸気が供給された。

 さて、少し時を戻そう。8月3日に京都府北部に大雨洪水警報が出るほどの雨が降った。この時、明石海峡から丹後半島へ、南北に、それも東経135度、日本標準時子午線に沿った線状降水帯ができていた。日本の南海上には4つの温帯低気圧が並び、特に潮岬の少し南の温帯低気圧が暖かく湿った南風を送り込んでいる状況。一般的に日本海側は南風では雨があまり降らないのだが、線状降水帯ができると南風でも大雨が降るということを認識した。

210803_20210815222301 210803

 日本の南海上に並んでい熱帯低気圧は、台風へと発達し、いくつかが日本に上陸するわけだ。大量の水蒸気が運び込まれ、前線が発生、活発化。上陸前にも通り過ぎた後にも、半月、あるいはそれを越える期間にわたり大きく影響を与えることとなった。

| | コメント (0)

四国徳島吉野川水系を巡る旅4

 帰宅してから、改めて「徳島県県土防災情報管理システム」のWebサイトで、時間通行止めの個所を確認した。8月13日の時点で、祖谷口からかずら橋、落合峠、棧敷峠を経て三加茂までに、9ヶ所の時間通行止め規制個所が挙がっていた。当日、現地でスマートフォンにより調べた時には落合集落から8番目の通行止め個所の間にもう一つ時間通行止めが示されていたような気がする。図の「?」で示したあたりである。ついつい10日余りも日が経って情報が更新されたのか、それとも私の勘違いか。現地で工事の痕跡すら見つけられなかったので、勘違いという可能性が高いようにも思われる。ただし、その次の地図の8番の規制箇所でも工事の痕跡すらなかった。しいて言えば、土砂崩れを回収した法面だが、それは完全に工事が終わっていた。
 結果的に、実際に通行止めによる停滞は星型で示した4番目の規制箇所のみで、しかも待ち時間は約10分。さらには、居合わせた自動2輪の方とお話をして過ごせた。
Photo_20210818025501 9

費用
 道路通行料  3200円 (明石海峡大橋および大鳴門橋、往復)
 ガソリン代 約4100円 (走行距離、平均燃費、1Lあたりのガソリン代により算出した値)
 宿泊料    1700円 (本来は2800円だが、宿泊予約サイトのポイント利用による支払額)
 食費    約5100円
 土産    約1100円
  計    約16200円

 財布に現金12000円しかない中での旅立ちだったが、途中で足りなくなることはなかった。橋の通行料はETC、つまりクレジットカード払い。ガソリンは帰宅できる分しか道中で給油しなかったため。

| | コメント (0)

2021/08/14

四国徳島吉野川水系を巡る旅3

 新居屋集落で国道439号線、通称ヨサクに突き当たる。右は京柱峠を経て高知県へ。左は剣山。私は左へ。この先は京柱コースとの重複区間ではなくなるので、1991年8月のヨサク全線走破以来、30年ぶり2度目の道だ。
Img_1034

 渓谷沿いを行きいくつかの集落を越え、京上へ。かつての東祖谷山村の中心とは思えないほど小ぢんまりした集落。道は相変わらず狭く、平坦な場所がほとんどない。国道439号線は、祖谷川を挟んだ対岸にバイパスができている。
 「徳島県立池田高等学校祖谷分校」の看板があった。谷へと階段を少し下った斜面に小さな校舎が見える。大きめの民家といってもいいくらいだ。人気がなくひっそりとしている。もう閉校なのだろうか。その割に、図書館とみられる部屋の窓には百科事典らしきシリーズの大型本が並べられているのが見える。帰宅してから調べてみると、祖谷分校は2005年に閉校となっていた。
Img_1037Img_1040

 集落を抜けると対岸を走っていた国道439号線バイパスが合流してきた。谷の向こう側の斜面に大きな校舎が見えた。東祖谷小学校だ。斜面に建っているのでいくつかの校舎が階段状に並んでいる。そして、それらは木造建築だ。さすが林業の村、と言いたいが完全な斜陽産業である。その校舎の背景の山の斜面に集落が見える。あれが落合集落か。
Img_1041Img_1043Img_1045

 祖谷川に沿って国道439号線を遡り、小さな集落に差し掛かったところで、いよいよ落合峠への分岐が現れた。標高は約550m。落合峠まで1000m近くある。スイッチバックするように国道から分岐した細い道は、急激に高度を上げていく。やがて祖谷川の支流、鎖谷川を遡っていく。これから目指す落合峠へは、少し上流で祖谷川に合流する落合谷川を詰めるはずなのに。
Img_1048

 やがてまたスイッチバックするように鋭角にカーブして斜面をトラバースする道は、鎖谷と落合谷に挟まれた尾根の末端の斜面に張り付いた落合集落を目指す。
 民家や駐車されたクルマ、そして道端に何か白い四足歩行の動物がたたずんでいる。犬か。いやヤギだ。首輪が見える。放し飼いにされているようだ。
Img_1053Img_1054

 山の斜面には山水が引かれた水くみ場。水の豊かな四国の山中によくある風景だ。
Img_1061Img_1062

 そしていよいよ落合集落に出た。標高差350m以上ある斜面集落の中段辺りをトラバースしていく。石段を組んで階段状の平地を作り、そこに畑や民家が並んでいる。また、祖谷川の谷を挟んだ向かいがの斜面にも集落が見える。さらに南側、祖谷川の谷の突き当りの山の左肩の鞍部は、京柱峠だと思われる。
Img_1066Img_1064

 私は、最初の分岐点から斜面に取り付いて道なりに来たわけだが、落合集落の中を登ってくるコース取りもよかったかもしれない。
 落合集落を過ぎて人気のない山中をしばらく進んだところで、小休止。行動食を摂る。時刻は、13:50。ずっと気になっているのは、時間通行止めの工事区間のこと。国道439号線の工事区間は、13時までの昼休みの間に通り抜けることができた。小便小僧の記念撮影の待ち時間にスマートフォンで「徳島県県土防災情報管理システム」のWebサイトにアクセスして調べてみたところ、落合集落から落合峠を経て三加茂に下るまでの間にも3か所もの時間通行止め区間があることが分かった。そのひとつ目、落合集落上部の工事区間を14時前の通行可能時間に通り抜けたいと思っていたのだが、どうやら間に合わないようだ。次の通行可能時間は50分後なので、ここで休憩を取っておくことにした。気温も降水確率も低い午前中に勝負、などと言っていたけれど、まったくそれを果たせなかった。
木々に覆われた山肌につけられた道は、木陰となって涼しい。標高790m。峠まであと700m余り。
 しかし、本当にこの先で工事をしているのだろうか。まったくその気配を感じない。落合集落では、観光客のものらしい軽自動車と、巡回中の軽自動車のパトカーに出会ったが、集落を過ぎたら全く人気がない。まあ、突然工事区間が現れる、ということも十分にあり得る話なのだが。
 再スタートを切る。相変わらず工事の気配はない。落合谷川の対岸からやってきた県道44号線に合流し、さらに登る。道の勾配が増し、蛇行が深くなる。GPSレシーバに表示されるトラックはなかなか伸びないが、その分標高の値は順調に増していく。木陰で涼しいのはいいが、アブがまとわりついて不快。顔の前をぶんぶん飛び回るほか、脚に止まって血を吸う。痛みを感じで叩き潰すが、もう手遅れ。明日からかゆみに襲われるのだ。
Img_1073 Img_1075

 さらに気になるのは、道路の山側の路肩に延びている黒い管。水が流れる音が聞こえる。沢筋に水をためるタンクが置かれ、そこからこの管が伸びている。山小屋へ水源から水をひく管としてみかけるものだ。やはり水をひいているのか。
 水はその管を流れているので、側溝は干上がっている。ただし、その側溝は、法面から崩れ落ちた土砂で埋まっている箇所が多数。もしかすると、側溝の管理がなかなかできないのでこのような処理が施されているのかもしれない。
 右岸をトラバースしながら谷を詰めていき、左岸に渡ってから、谷の源頭部を反時計回りに巻いて峠に向かう。その左岸から右岸へ渡る手間で、正面に人工的な斜面が見えてきた。土砂崩れした斜面が固められ、滝のような勾配のコンクリートの水路が引かれている。高低差50mはあるんじゃなかろうか。その斜面を右往左往しながら道が昇っている。さあ、その斜面との格闘開始だ。
Img_1077 Img_1079 Img_1081

 道路が九十九折れになったところでは集中して木々が伐採されるため土砂崩れが発生しやすい。麓から眺めた斜面の中腹やや下あたりをいったんトラバースして通り過ぎ、斜面の横顔を見てから、斜面の上部に出た。斜面越しに、先ほどいた道を真下に見下ろす。確かに高低差は50m以上あった。標高1200mをほどになり、峠まで約300m。
 落合集落のすぐ上の工事区間はおろか、その次の工事区間も通り過ぎたはずだが、相変わらず工事の気配はない。工事がされていないだけでなく、現場さえ見当たらないのだ。工事現場を通りたいわけではなく、むしろありがたいことなのだが。
Img_1084 Img_1085

 右岸から左岸に渡ると、落合峠と思われる方向に、なだらかな稜線が見える。木々が生えていなくて、笹だろうか緑が敷き詰められている。しかし、高いなあ。あそこまで登らないといけないのかなあ。まあ、残りの標高差からするとそんな感じのような気もする。その土その稜線は見えなくなり、ただただ黙々とペダルを踏み続ける。
 周囲の稜線が低くなってきた。突如視界に道路以外の人工的なものが飛び込んできた。木で組まれた櫓のようなもの、石段、そして小さなたくさんの石仏と祠。その先の建物には、「落合峠避難小屋」という表札。とうとう来たぞ。
Img_1095_20210814231201 Img_1098_20210814231201

 その先少し進んだら駐車場への分岐。先ほど見上げた木の生えていないなだらかな稜線が、今すぐそこにある。笹ではなく、草原だ。そして落合峠、標高1520m。16:15、到着。どこが午前中勝負だ。
Img_1101 Img_1105 Img_1108

 峠にはワゴン車が1台停まっていた。峠は、矢筈山への登山口。ここからすぐ下に駐車場があり、歩行者なら短い階段ですぐに峠へ登れるのだが、峠に路上駐車する人がいる、とのことだった。ワゴン車の側面には、野外活動を推進する団体を思わせる名称が記されているが、あまりマナーや意識は高くないようだ。
 それはともかく絶景だ。いつしか空は雲に覆われ日差しは弱まったが、周囲の山々ははっきり見える。吹く風も心地いい。はるか南には、大きく三嶺がぼんやり見える。本当にぼんやりであるが。三嶺は剣山と尾根続きの1893mの山だ。この落合峠は、1849mの矢筈山から西に延びる稜線の鞍部にある。
 峠名が記された標柱と三嶺と自転車を入れ、ワゴン車が入らないように記念撮影。あとは標高差1500mの下りだ。と、走り出そうしたら、何やら法面の上の方でガサゴソ音がする。小石や砂が落ちるバラバラという音も。登山者ではない。どうやら、シカかカモシカのようで、立ち去る後ろ脚がかすかに見えた。
 さて下り。斜面をトラバースした後谷筋へ。深渕川の沢を見ながら下る。道は下り一辺倒ではなく、ほんの小さな登り返したがたまに現れる。
Img_1110 Img_1112

 標高900mを切ったあたりで、建物がちらほら見える。深渕の集落だが人気はなく実際に人が澄んでいるのか廃村なのかはわからない。その先、左手に緑色の水をたたえた湖が見えた。そして道は緩く登り始める。道路わきの沢が前方からこちらに流れてくるので、棧敷峠への登りが始まったようだ。南の落合峠からの深淵川と北の棧敷峠からの沢が正面衝突で合流し、松尾川となって西に流れ下る。その松尾川をせき止める松尾川ダムによるダム湖が、先ほどの緑の湖面の湖だ。松尾川は、祖谷の山々を分けて流れ、祖谷口の少し上流で祖谷川へと注ぐ。不思議なのは、流れはそうしてつながっているのに、今いる道は、少なくとも地図を見る限り、松尾川ダムへとつながっていない。もちろん、松尾川を遡ってダムに至る道は存在しているのだが、ダム湖上流部のこちらの道へとつながっていないようなのだ。つまり、深淵集落へは、棧敷峠か落合峠のいずれかを越えないとたどり着けない。
Img_1115Img_1116_20210814231301

 初めは緩やかだった登りも、数軒の民家を過ぎて峠の手前でヘアピンカーブの急坂となった。標高差100m余りの登り返しがあることはわかっていたものの、やはり標高差1500の峠を越えた後の脚には答える。それに、2.5L用意していた飲料水を飲み干してしまった。落合峠の手前で、左脚のふくらはぎと右脚の太ももが軽く攣っている。休憩を繰り返してだましだまし来ているのだが、脱水症状が進むとペダルが踏めないくらいの状態になってしまう。あまり頑張らず、じわじわと行く。
Img_1117

 再び標高1000mを越え、棧敷峠へ。三好市から東みよし町への市町境だ。峠の切通しを越えたところが突き当りで、左右に道が伸びている。三加茂に下るには、左。少し進んだところで、木々の合間から展望が広がる。はるかに吉野川とその手前の三加茂の市街地らしき平野部が見下ろせる。遠いなあ。まあ、まだ1000mの標高差を下るんだからね。
Img_1118

 でも、そのあとは下り一辺倒。どんどん標高を下げていく。それと逆の相関関係で、気温と湿度が上がっていくことを肌で感じる。
Gort1Gort2Gort3

 標高600m辺りからしっかりと生活感のある集落が現れる。そしてまた放し飼いのヤギがいた。子ヤギが2頭、親かどうかわからないけど体の大きなヤギが1頭。そして、最後の時間通行止め区間を通過。もう17時を過ぎ、この日の工事は終わり翌朝まで通行可能となっているはずなので安心していたが、今日は工事が行われていないとのことだった。1週間分の工事のスケジュールも示されている。この先1週間は、明後日からの3日間のみ工事が行われるとのこと。
Img_1120 Img_1122

 集落の間隔が狭まり、仕事帰りと思われるクルマとすれ違うようになった。そして、吉野川沿いの平野部へ。あくびが出た。そして急に蝉の声やタイヤが転がる音が大きくなった。気圧差は耳で感じる。
 そして暑い、ものすごく蒸し暑い。なんだこの湿度は。と思っていたら、ぽつぽつと雨が降ってきた。国道192号線を越えて、集落の中の細い道を抜ける。雨は徐々に大粒になる。もうゴールは目と鼻の先。いいぞ、降れ降れ。そして気温を下げてくれ。吉野川土手を駆け上がり、の河川敷「ぶぶるパークみかも」へ降りる。なんとまだグラウンドゴルフ場には高齢者がたくさんいるではないか。さすがに撤収中と見えるが、朝から夕方まで大盛況ではないか。まあ、同じ人たちがずっといたかどうかはわからないけど。
 18:00、ゴール。距離は104kmとなった。スタート・ゴールがコースの最低点で標高70m。最高点の落合峠が1520m。ちょうど10時間で走り切った。
 自転車をクルマに撤収。雨はあまり強くならなかったが、夕暮れと相まって少し涼しくなってきたようだ。クルマの中に少し飲み物を積んでいたが、気温40度の温室と化した車内で、ふろの湯のような温度になっている。国道に出てすぐのドラッグストアで久米たい飲み物を購入して、飲みながら帰路に就く。夕方の帰宅時間帯。列をなすクルマの中に混じって流れがいい国道192号線を東へ。徳島市に入る前に吉野川を左岸に渡らねばならない。結局徳島市直前の石井町で吉野川を渡る。橋を渡った上板町で、イオンを中心とするショッピングエリアに立ち寄る。その敷地内のうどん店で夕食だ。
 「とば作」という屋号のうどん店は、チェーン店らしいが、「はなまるうどん」や「丸亀製麺」のように本州でもよく見るものではないので、まあ四国に来て食べるだけの値打ちがあるとしておこう。でも、「元祖セルフうどん」とかかれているのがよくわからない。そんなに伝統のある店なの。
Img_1124

 セルフサービス、つまり自分で麺の湯通しするのはかけうどん等で、私が注文したぶっかけうどんは店員がすべてやってくれる。昨日は、昼も夜もラーメンを食べたので、冷たくてあっさりしたうどんが胃にやさしい。帰宅後に調べてみた。とば作は徳島県のご当地チェーン店で、徳島のうどん店でセルフサービスを始めた元祖、ということだった。たしかに、讃岐うどんとは記されていなかった。
Img_1125

 県道12号線で鳴門市が胃へ戻り、昨夜も買い物をした鳴門駅裏の商業施設でお土産を買って、大鳴門橋を渡る。もちろん、有料道路は橋だけの最低区間。淡路島は成り行きで西海岸を北上することになった。2月の淡路島一周の復習の続きができた。夜が更けてクルマが少ない。明石海峡大橋を渡ったら、北西に向かい、三木で国道175号線へ。三日月を見ながら、北上。帰宅は深夜になった。

| | コメント (0)

2021/08/13

四国徳島吉野川水系を巡る旅2

 4時半に目覚めた。5時にアラームをセットしていたが、音が鳴る前に目覚めた。静かに出発の支度を整えて部屋を出る。昨夜かった弁当を、エレベータホールに設置された電子レンジで温めて、部屋の鍵はフロントの投票箱のような返却ボックスに入れてクルマに乗り込む。まだ夜明け前。街はちょうど明るくなってきたところ。そして、まだ涼しい。
 まだ、寝静まった街を抜け、西へ。鳴門の市街地は小さく、すぐに郊外へ。県道12号線で吉野川の左岸をさかのぼる。朝日が昇り、バックミラーがまぶしく輝く。そして、通勤のクルマや長距離輸送のトラックなどと隊列を組んで走るようになる。この道は、1990年代に高知県大豊町の定福寺ユースホステルに通った道だ。四国八十八ヶ所の一番札所、霊山寺の門前を通過。人気のない駐車場にクルマを止めて山門を記念撮影する。何度も通っているが、脚を止めたのは初めてのこと。その後、二番札所の極楽寺、三番四番の案内板を見て進む。結構短い間隔で密集している。
Img_0957_20210813200201

 どこかで吉野川を渡り、右岸の国道192号線に移動したい。でもせっかくなので、脇町までは左岸を行くことにする。脇町では、「道の駅 藍ランドうだつ」にクルマを止め、歩いてうだつの町並みへ。まだ早朝のため人が少なくていい。
Img_0967

 クルマに戻り、朝温めた弁当を食べて再スタート。もう一息だ。
 吉野川を渡る。国道192号線は通勤のクルマが多いが、流れは良い。貞光を過ぎて三加茂で国道から河川敷へ。「ぶぶるパークみかも」、つまり町営のグラウンドなどの公園として整備されている。7時前だというのに、すでにグラウンドゴルフの高齢者が集まっている。
 私はグラウンドゴルフ場から離れたところにクルマを止めて、自転車を準備。今日は折畳小径車ではなく、パスハンター使用のランドナー。今日は本気の走りなのだ。
Img_0970

 8:00、スタート。国道を避け、集落の中の狭い道を西に行く。しかし、その道は国道に吸収されてしまう。ここから西は山と川が迫った狭間に、国道192号線とJR徳島本線に占有されてしまう。こういうところは、対岸に平野が広がり、幹線以外の交通量が少ない道を選ぶことができる。川の蛇行が原因だ。吉野川は、大きく見れば阿波池田から徳島までは西から東へ直線的に流れているが、細かく見れば波線を描いている。流れの速いカーブの外側では浸食のため際まで川が迫り、逆に内側には土砂がたまり平野が形成される。しかし、川幅の大きい吉野川を渡るのが面倒でそのまま国道を進む。朝の通勤時間帯なので、クルマはほとんど途切れない。そして、国道を走らねばならない区間が長い。対岸に渡った方がよかった、と思うがもう橋を通り過ぎてしまった。クルマのストレスを感じながら走る。早く、山間部へ入り込みたい。
 旧三加茂町から旧井川町へ。現在でいうと東みよし町から三好市へ。今日はこの1市1町の中を巡るわけだが、三好市は四国4県最大の麺戦機を誇る自治体だそうだ。
 青空からさんさんと日差しが降り注ぐ。今日も暑くなりそうだ。いやもうすでに暑い。その代わり、雨の心配はなさそうだ。週間予報が発表された時点では、今日は朝から雨予報だった。それが午後に弱い雨が降る予報に変わり、前日くらいには夕方以降に弱い雨が降るかもしれないという程度に変わった。まあ、気温も降水確率も低い午前中が勝負のつもりだ。
Img_0972

 井川の中心街に入りようやく国道から解放される。対岸からこちらの岸へと移ってきた徳島自動車道に並走する細い道へ。ただし、新参者である高速道路に与えられるのは山際の斜面であり、それに沿った道は当然アップダウンが続く。まあ、クルマのプレッシャーを受けて走るよりはいい。それに、集落より高い位置を走るので、吉野川を見下ろす景色がいい。
Img_0974

 川沿いの平野が広くなり、家並みが広がってきた。旧池田町。三好市の中心街だ。そのまま市街地の裏山の山すそを通り抜けるつもりだったが、なんとなく街中へと降り立ってしまった。公園に差し掛かりトイレ休憩。その公園はJR阿波池田駅に隣接していた。駅舎の前に自転車を置いて記念撮影。輪行した自転車を組み立てたり、逆に輪行袋に収めたりする作業スペースが設けられていた。工具も貸してもらえるようだ。ただし、駅舎の出入り口からずいぶん端の方へと案内される。要するに、ほかの客の邪魔をしないでね、ということらしい。
Img_0980 Img_0981 Img_0982

 そのあとも吉野川を遡るわけだが、国道走行をできるだけ避けるため、市街地の裏山を越える。しばし迷走してからちょっとした山越えとなる。苦労のかいあって国道に合流したのは、池田大橋の東詰めのすぐ手前。100mも走らなうちに、国道は池田大橋で対岸に行ってしまった。こちらは橋を渡らす、右岸の集落の中の道を行く。吉野川はほぼ直角に流れを変え、上流は南北方向となる。
Img_0986

 右岸の道は県道269号線で、しばらくはセンターラインの引かれた道。そのうち道が細くなり、クルマのすれ違いに気を遣う道となる。まあクルマはほとんど通らないが。保育園らしき建物があるが、すでに閉園しているようだ。園庭の周囲に立ち入り禁止のロープが張られているのは、遊具の安全管理ができないからだろうか。すぐ先の小学校は新しくて立派な鉄筋コンクリートの校舎。三縄小学校だ。帰宅してから調べると、手前は三縄幼稚園の旧園舎で、現在は小学校の1室を幼稚園としているとのことだった。
Img_0993

 その先に三差路があり、県道は吉野川沿いを離れ山間部へ。黒沢湿原(くろぞうしつげん)の案内板がある。ちょうどサギ草の時期だそうだが、そう気軽に立ち寄れるところではない。
 そのまま川沿いの道を行く。さらに細くなり、木々に覆われた道は涼しくて快適。木々の合間から見える吉野川は、池田の市街地までとは一転、岩場の中を流れる。そう上流は大歩危・小歩危なのだ。対岸の国道32号線は、大型車を含めてクルマがひっきりなしに行き交っている。それに比べてこちら側は平和そのもの。
 木々の中を行く道から、道は狭いもの道沿いに民家が建ち並ぶようになった。祖谷口が近いようだ。道は細く、両側に並ぶ建物のほとんどは、年季の入った木造建築。これから訪れる祖谷の集落を思い起こさせる。
Img_0994

 祖谷口は、支流の祖谷川が吉野川に合流する所。対岸の国道32号線から分かれ、祖谷口橋を経てきた県道32号線に合流し、祖谷川を遡る。いよいよ深い深い祖谷の山並みへと分け入っていく。ここは既走の道。ただしこちら向きに走るの初めて。1990年代、高知県大豊町の定福寺ユースホステルから京柱峠を越えて徳島県の祖谷に降り立ち、この祖谷川沿いに祖谷口へと下り、小歩危、大歩危を経て定福寺へと戻るコースを4,5回走った。定福寺公認の京柱コースだ。約90km、標高差はおよそ1000mに達するなかなか厳しいコースを、私はいつも自分のランドナーで走ったが、ユースホステルの5段か6段変速のレンタサイクルで走るホステラーがたくさんいた。まあ当時のホステラーは二十歳前後の大学生が中心だった。ところが、90年代後半、京柱峠からの下りで転倒して前歯を折る事故が発生し、ユースホステルのレンタサイクルが廃止された。これにより、定福寺ユースホステルの名物コースは事実上サイクリストだけのものとなった。ただし、その前から厳しいコースにチャレンジする若者が減る傾向だったという。その後、定福寺の都合によるユースホステルの休館が続き、2002年、ユースホステルは閉館となった。夏の閉所記念パーティに参加し、その翌日に走っていら京柱コースを走っていない。2004年には、豊永から京柱峠までピストンしているのみ。そんな京柱コースを久しぶりに走ることも考えたが、新たなコースを走ることにした。約100km、標高差約1500mと京柱コースをしのぐ厳しいコースになってしまったというわけだ。
 祖谷口周辺の集落はすぐに終わり、道路の案内板には「祖谷のかずら橋」とか「剣山」という文字が表示されている。ただし、センターラインがひかれ、クルマが容易にすれ違える道幅は、四国の山中らしからぬ風景。私が頻繁に通っていたころから20年の歳月が過ぎる間に、随所で拡幅工事が行われたようだ。さらに先には、祖谷川の屈曲による深いカーブをショートカットするトンネルの掘削工事が行われていた。
Img_0996

 道はじわじわと登っている。過去に走ったときは常に下り方向。京柱峠越えの大仕事を終えて、かずら橋で休憩した後の消化試合のような区間だった。今日はと言えば、この後の大仕事の前に、ジャブを撃ち込まれるように体に脚に緩やかにダメージを与えてくる。
 道は細くなった。木々に囲まれているので日差しがさえぎられて涼しい。だだ、時折、気になるものを目にする。時間通行止めを示す看板だ。山間部の1本道のため迂回路がなく、仮設道路を作る地形の余裕もない。そんな場合は、1時間のうち45~50分を工事のための通行止め、15~10分を通行可能とし、それを繰り返すのだ。今まで見た案内板には、「解除中」のマグネットシールが貼られていたが、そのうち捕まるのではないかと不安になる。
Img_1014

 傍らを流れる祖谷川は基本的に透明感のある美しい清流だが、ダムで流れが滞っているところではやや緑に濁っている。そして、忘れたころに小さな集落が現れる。こうした集落が点在しているから工事区間が終日通行止めにならずに済むのだ。
 小さな集落を抜けたところで、ヘルメットに作業服姿で赤い旗を持った人に停止を求められた。この先時工事のため10:20まで通行止め、だそうだ。ああ、時間通行止めにつかまってしまった。ただ、時計を見るとただいま10:10。10分のロスで済むとはラッキー。でもこの先何度もこういう場面が重なると、大変なロスとなってしまう。
Rebel

 すぐ先の広い場所では、2台の自動二輪が開通待ちをしていた。ライダーは、夫婦と思われる中年の男女二人連れだ。見た覚えがある。どこかで追い越されたのだ。京都ナンバーなので、「私も京都府から来ました。丹後です」と声をかけると「私たちは京都府の南の端からです」と返される。自動二輪は、2台ともHONDAのレブル。オートバイの車種に疎い私でも知っている車種だった。私の所有するCD250Uは30年以上前に廃止となった車種で、当然専用のパーツはとっくに製造中止となっている中、このレブルのパーツが利用できることがある。例えば、クラッチレバーやクラッチケーブルはレブル用のもので代用している。また大型自動二輪企画のラインナップもある中で、250ccの軽二輪ということにも親しみが持てた。聞けば、自動二輪で四国を走るのは初めてとのこと。自動車とは景色が違うように感じられる、とのこと。2泊3日の最終日で、この後淡路島経由で帰るそうだ。ということは、国道439号線の見ノ越峠越えか。
 10分後、工事区間から工事車両が退避してきてそのあとで一般車両がやってきた。そして通行可能となる。片側交互通行らしい。後方からちょうどいいタイミングで自動二輪とクルマが数台やってきた。この時間通行止めのことを知っていたのかもしれない。地元車かどうかナンバーを確認するのを忘れていた。エンジンのついた車両をやり過ごし、最後尾で走り出す。工事区間をあっという間に通過。工事が休みの土日祝日なら終日通行可能なのだが、平日にはこういう心配がある。
 集落を見なくなり、深いV字の渓谷のはるか下に祖谷川の川面を見下ろすようになった。いよいよ本格的に祖谷溪だ。「祖谷渓展望台〇〇km」という案内板が見られるようになり、当面の目標が定まった。
Img_1001 

 到着した展望台の駐車場には先ほど追い越された1台のセダンが止まっていて、運転手が車内にいるようだ。数段の階段を登って展望台へ。駐車場から見えなかった渓谷が一望できる。誰もいないので景色を独り占めだ。ただし、それは途中の道路から木々の合間に見えた渓谷の景色とそう変わるものではない。階段数段など、渓谷のスケールから見れば些細なものだということだ。展望台には、東屋があり、その日陰のベンチに腰掛け行動食を摂る。
Img_1003

 駐車場に降りて再スタート。セダンは先ほど走り去っていった。次の目標は、小便小僧だ。山襞をなぞるように屈曲する道を行く。はるか前方、渓谷を形成する山肌の中腹、今いる道の延長に建造物が見える。祖谷渓温泉だ。ここの売りは、祖谷川の河原に露天風呂まで上り下りするための専用のケーブルカー。初めて京柱コースを走った1991年3月にはこの露天風呂に入浴した。春先にぬるめの湯は、ちょっと寒かった。一緒に入った私と同い年のホステラーは、のちに20代の若さでユースホステルを開業。ユースホステルはやめたが、宿としてはまだ続けている。
Img_1010

 山襞をなぞって進むと小便小僧だ。ガードレールの外側、深い渓谷に向かって構えた像が立っている。水は出ていない。3台の自動二輪が止まり、3人の男性が記念撮影中。少し離れたところで彼らの撮影が終わるのを待っていたら、軽自動車が止まり、若い女性2人組が記念撮影を始め、ちょうど撮影が終わりかけた男性3人組は押しのけられるように退散。たくましいね。それに記念撮影を終えても小便小僧の側に佇んでだらだらおしゃべりをしている。
Img_1008 Img_1009

 やっと女性がいなくなったところで、記念撮影。いやあ、約20年ぶりの再会だね。私と同じく、女性2人組が立ち退くのを待ちわびていた、自動二輪の男性3人組がドローンを飛ばした。空中から深い渓谷を見下ろすダイナミックな映像を見て、おおーっ、と歓声を上げている。
 小便小僧から少し進み、祖谷溪温泉の一軒宿を通過。そして旧西祖谷山村エリアに入る。これまでは旧池田町だった。ただし、声が聞こえそうなほど近いけど、深い渓谷に隔てられた対岸はだいぶ手前から旧西祖谷山村。だがそれも過去の話。今はすべて三好市である。
 引き続き深い渓谷の中腹を行くが、それまでの登り基調が下り基調へと変わる。そしてちらほら集落が現れるようになる。そして、比較的大きな集落が見えてきた。西祖谷山村の中心集落、一宇だ。道の駅もあるし、祖谷山トンネルを経由して大歩危峡にワープできる道への分岐点もある。前述の京柱コースは、この祖谷山トンネル、当時は祖谷渓有料道路、を経由してショートカットが許されていた。これにより距離は約20km短縮できるが、標高差200m余りのアップダウンが加わる。30年前私が初めて走った時には、7,8人で定福寺をスタートしたが、多くはこのショートカットコースを選び、90kmのフルコースを走ったのが、私とのちに宿を開業するホステラーの2人だけだった。ちなみに、私以外はみなレンタサイクルだった。また、私は基本的に90kmのフルコースを走っているが、1度だけ祖谷渓有料道路を通ったことがある。ただその時も、小便小僧に挨拶してから一宇に引き返したので、距離は10kmしか短縮されず、アップダウンが加わって、むしろハードなものとなった。
 集落の中にこの路線の時間通行止めの案内板があった。平日に必ず毎日工事が行われるわけではないようで、いくつかは規制解除だそうだ。しかし、これから向かう道筋に2.3か所、本日通行止め実施中というものもある。ただ、11時過ぎから13時ごろまでは、工事の昼休み。現在正午前。あと1時間余りでできるだけ工事区間をクリアしてしまいたい。すぐにスタート。
 その先も集落がちらほら現れる。集落な中を行くこともあれば、はるか頭上の斜面に張り付く集落もある。そして、いよいよ祖谷渓最大の観光スポット、かずら橋が近づいてきた。集落の手前から、かずら橋方面への新しく広い道が分岐している。20年前にはなかった道だ。狭い集落の中へ観光客のクルマが入り込まないようにするものだろう対岸からかずら橋に到達するようだ。自転車の私はそのまま集落の中を行く。無機質な新しい道路より、集落の中の方が風情がある。
 集落を行くと、見覚えのあるかずら橋入り口の分岐がある。祖谷渓温泉や小便小僧のあたりのような100mの標高差はないものの、谷底まで40mを下る。先を急ぐため、素通りすることも考えたが、やはりここでそれは許されない。
Img_1022Img_1021

 かずら橋とは、その名の通りかずらのつるで組まれた吊り橋だが、これは観光施設、安全のためちゃんと金属のワイヤーで補強されている。そして有料。初めて京柱コースを通った時には、7.8人でわいわいがやがやと渡った。怖がりの人がいたので、楽しかった。今日は、並行するコンクリートの端から眺める。橋を渡る人のほか、周辺で水遊びをする人々でにぎわっている。本来なら絶好の休憩スポットだが、今日は先を急がねばならない。
 さあ、登り返して再スタート。旧西祖谷山村から旧東祖谷山村へ。狭い谷に狭い道。点在する小さな集落。祖谷の雰囲気を20年ぶりに満喫する。

| | コメント (0)

2021/08/11

続PLATINUM LIGHT8のリアスプロケット交換

 リアホイールのハブを交換し、クイックリリース化した。それに伴い、ボスフリーからカセットスプロケットへの交換を行い、ローギアを28Tから34Tへとギア比を広げた。ところが、34Tのローギアにシフトするとチェーンとフレームが干渉してカラカラと音を立てる。34Tが必要なのは特別な坂道で、普段使いはもっと小さな歯数のスプロケットに使用。と、ここまでが前回のお話。
 しかし、ロー32Tのスプロケットに交換してもカラカラと音がする。さらに、もともとのローギアと同じ28Tでもカラカラ。干渉の原因は、ローギアが大きくなった縦方向の要因だけでなく、7Sから8Sへとギアの枚数を増やしたことによる横方向の要因もあるようだ。
 スプロケットを8Sから7Sに戻すことにした。7S、ロー34Tのスプロケットは、トップギアが13Tになってしまうデメリットがあった。でも、この解決法は簡単なことだった。シマノのスプロケットカセットは、トップギアの1枚だけ分離している。だから、ほかのスプロケットカセットに組み合わされている、11Tのトップギアを使えばいいのだ。もちろん、トップギアだけでなく、すべてのギアを分解して組みなおすこともできるのがスプロケットカセットだが、
 ただし問題は、ハブが8S用のもの。7Sのスプロケットカセットを装着すると、ギア1枚分の遊びができてスプロケットが固定できない。ロックリングが締まらない。この隙間を埋めるスペーサか何かないのか、と思ったら、あった。厚みが1㎜、1.5㎜、2㎜の3枚セットで1500円弱。なんかコストパフォーマンスがよくない製品という気もするが、ネットで注文。数日で届いた。
Img_1157 Img_1153_20210811232501

   8S用のハブに7Sのスプロケットカセットを装着するには、2㎜のスペーサーが2枚必要とのことだが、割高商品を2つも買うつもりはない。3枚セットのうちの2㎜と1㎜のものに、どれかのスプロケットカセットについていた厚さ1㎜のスペーサーを組み合わせれば、4㎜のスペーサー完成だ。
Img_1152

 ところがまたちょっとした壁にぶち当たる。11Tのトップギアがどうもきちっとフィットしない感じ。よく見ると、セカンドギア側のトップギアと合わさる面にまるで五徳のような3つの突起があるではないか。13Tのトップギアはそれを見越してピッチを決めるスペーサー部分が少し薄くなっている。他のスプロケットにはこのような加工をされていないのに、なぜ。
Img_1158_20210811232501

 このままではピッチが合わないので、削るしかない。どっちを削ろうか考えた末、セカンドギアの突起を削るのではなく、トップギアを削ることにした。突起が当たる部分に切れ込みを入れるだけでいい。草刈り機の歯を研ぐグラインダーの出番だ。
Img_1159

 ようやくスプロケットを装着し、ローギアとスポークの間にチェーンが落ちないように、リアディレイラーのアジャスタボルトを締めて、試乗。変速は問題なくできたが、やはりローギアにシフトするとカラカラと干渉音が聞こえる。でも、当たりは弱くなった感じ。まあもういいだろう。11-34Tのワイドレシオ達成だ。
 また、ロー側から2枚目のギアが29Tで、もともとのローギア28Tよりも大きい。だから大概の登り坂は、この29Tでクリアできる。34Tのローギアは伝家の宝刀として最後まで温存できる。
 シフトレバーも7Sのものに戻したいが、疲れたからまた今度にしよう。

| | コメント (0)

2021/08/10

四国徳島吉野川水系を巡る旅1

 夏の休暇を利用して少し遠出をしよう。といっても、1泊2日だ。目的地は四国。久しぶりに祖谷辺りを巡ってみたい。山が深く急峻な谷を行く道は狭く、日陰が多くて涼しいはず。思い浮かぶのは、高知県の大豊町の豊永を起点に、京柱峠を越えて祖谷渓、小歩危、大歩危を巡る約90kmのコース。かつて定福寺ユースホステルで「修行コース」認定されていたので、何度も走ったのだが、最後に走ったのは20年近く前、2002年だ。
 日曜の早朝の用事を済ませてから出発。月曜に休暇を取ってある。移動の自粛が呼びかけられているが、一人で自動車でアプローチし、田舎や山間部を自転車で走ることは問題ないだろう。いつもやっていることだ。注意すべきは、そこに付随する宿泊や外食。食事は短時間だし、感染リスクは低い。また、個人情報を残さないから、感染者が出たとしても追跡され濃厚接触者に認定されることもまずない。自分が感染さえしていなければいい。長時間を過ごし、名前や住所を記録される宿泊施設では、感染はもちろんだが、濃厚接触者に認定されることも避けられるように考えなければならない。やはり、ドミトリー形式でなく、個室に泊まるべきだろう。四国には無料のキャンプ場もあるが、この時期のテント泊は暑くて、眠れない。標高の高いところ、例えば、高知県の大豊町の梶ケ森キャンプ場は標高1000mを越え、真夏でもシュラフなしで泊まったら寒くて大変だった。シュラフがあれば大丈夫だが、そこまで行くのはちょっと遠い。

 日曜の朝に地域の清掃活動があり,それが終わってからの出発。清掃活動は6時開始で7時前には終わったが、暑い中でのそれなりの重労働。少し休憩を取って、9時半過ぎの出発。しかし、スタートしてしばらくしてから忘れ物を取りに戻って30分のロス。財布を忘れたのだ。取りに戻ったが、現金は1万2千円しかないのを思い出す。まあクレジットカードもあるし、1泊2日だからそんなに費用は掛からない。これで足りるような気がする。もし足りなければ、明日郵便局でおろせばいい。
 高速道路や有料道路を極力利用しない。、三田でラーメンを食べて、六甲を越え明石海峡大橋を目指す。ラーメンの直前、対向するスクーターのライダーがなぜか合羽を着ていると思ったら、その後雨がパラパラ。雨はすぐに止んだが、その先しばらくは路面がぬれた状態だった。カーナビ代わりのGPSレシーバーを見ながら進むが、どうも右往左往して、なかなか明石海峡大橋最寄りの垂水I.C.が近づいてこない。帰り道はルートを変えよう。クルマも多いし。
Vid_239mov_000115966

 どうにか明石海峡大橋を渡り、淡路島に上陸。最初の出口、淡路I.C.で一般道へ。淡路島東岸を南下。半年前の淡路島一周で自転車で見た景色の復習だ。洲本市街から内陸に入り、次は大鳴門橋を目指す。ここも、淡路島南I.C.から鳴門北I.C.までの最低区間のみ。本州と四国を結ぶ橋の通行量は高いイメージがあったが、ETC利用でずいぶん安い。明石海峡大橋は910円、大鳴門橋は690円だ。移動の自粛が要請されている現在、休日特別割引は適用外だが、本州と四国を結ぶ路線は、休日深夜を問わず、ETC利用で割引されるらしい。つまり、自粛期間でも。なんと通常料金の半額未満だ。
Vid_272mov_000009200Vid_275mov_000169566

 降り立った大鳴門橋のたもとは、四国本土にあらず。大毛島という離島。まだ16時過ぎなので、この後の行動計画を練るため、作戦タイム。クルマを止められる場所として、鳴門市街と反対の鳴門海峡を見下ろす鳴門公園を目指す。がその手前の千鳥ヶ浜の駐車場にクルマを止める。少し日が陰ってきたことだし、自転車でひとっ走りしたい。だから、市街地に入る前に、と思ってきてみたが、海水浴客のクルマの出入りが多い。海水浴場としてこの夏海開きしていないとのことだが、自己責任で訪れている人々でいっぱい。あまりここを走りたいとは思えない。
Vid_276mov_000148033Vid_277mov_000061233
 地図を見て、鳴門徳島自転車道なるものを発見。これはおあつらえ向き。宿泊地から近いので、宿の駐車場にクルマを止めよう。クルマで小鳴門橋を渡り鳴門市中心街へ。宿泊予約をしたビジネスホテルは、鳴門駅のすぐ近く。駐車場にクルマを止めてチェックイン。大部屋を仕切った「半個室」という、聞きなれない表現の部屋だったが、とりあえず鍵のかかる個室だった。ただし、個室の仕切りの壁と天井の間には隙間があり、隣の部屋の物音は丸聞こえ。まあこれなら、防音がもともとないことを前提として割り切ることができる。バス。トイレ、洗面所もないことも同様。そういう部屋でよければどうぞ、というわけだ。大部屋というのがよくわからないが、宴会場か、イベントスペースか。廊下に面した両開きのドアを開けると、中に通路が伸びていて、両側の壁に3つずつ個室の扉がならんでいる。エアコンはその大部屋全体のもので、天井と仕切りの壁の隙間から各個室に冷気が入る。強めの冷房がかかっていて、もちろん各部屋で調整などできず、衣類で調整してちょうだい、ということのようだ。長袖を持ってきていたよかった。これで、ドミトリー形式のゲストハウスや、カプセルホテル並みの1泊素泊まり2800円。しかも、宿泊予約サイトのポイントがたまっていたので、1700円しか支払わなくてよかった。天井と壁の隙間は身長よりも高い位置のため、隣人の発するもの音は聞こえても、飛沫はやってこない。
 そういえば、昨年夏に泊まった京都市内のホテルは、完全に個室ではあったが、洗面台はあるもののシャワーやトイレはなく、しかも部屋の面積の半分くらいをベッドが占めるというものだった。その代わり公共スペースが充実していて、1階のエントランスホールと一続きの空間には、自炊用のキッチンもあり調理道具を借りることができた。また、手回し式のコーヒーミルで好きな豆を自分で挽いて自由にドリップコーヒーを飲むことができた。小さなテーブル席もたくさんあって、当然WiFiも完備。自分で入れたコーヒーを飲みながらパソコン作業をする人の姿も盛られた。これで一泊2000円台。京都駅から徒歩圏内で、本来はなかなか予約が取れないが、旅行等の自粛が求められている時期のため、近くにある同じ系列のバス・トイレ付個室のホテルと比べ空室が多いとのこと。本来なら外国人観光客が自炊をしたりコーヒーを飲みながら過ごしていそうな公共スペースである。こうした、ドミトリー形式のゲストハウスと個室のホテルのあいのこのような設備で、ドミトリー並みの料金の宿があちこちにできているようだ。
Img_0949 Img_0952 Img_0951_20210810235901

 少し部屋で休憩。実はまだ日が高いので、もう少し涼しくなってから走る方が快適だろう。インターネットに接続し、周辺の様子を調べると、「いのたに鳴門店」なんて店が近くにあるではないか。「いのたに」といえば、徳島ラーメンを代表する店。かつて、徳島市内の本店を訪れたが休業日で、巽屋という別の店を訪れた。2003年7月のことである。その本店ではないものの、18年越しのリベンジができる。
 17時過ぎに部屋を出る。クルマから折り畳み小径車を下す。自転車を2台積んできているのだ。ポタリングにはこちらだね。いのたにの営業終了18時には十分間に合うと思っていたが、少し迷走もあり店の前に着いたら17時半。鳴門市役所の近く、国道28号線と撫養川の間の住宅街の中にひっそりと存在する店だ。営業中の看板が引き上げられようとしている。慌てて声をかけると、店に招き入れてくれた。
Img_0921 Img_0923_20210810235601 Img_0924

 「徳島ラーメン」という呼び名は、1999年に生まれた。「新横浜ラーメン博物館」に「いのたに」が出店したことに始まる。ラーメンテーマパーク新横浜ラーメン博物館では、毎年全国からその地域独特のラーメンを発掘し、期間限定で仮設店を出店してもらう、という企画を行っていた。徳島市内では、半数近い店で独特の黒いスープにバラ肉、生卵の取り合わせのラーメンが提供される。それが、選出された、ということがご当地ラーメンとしての「徳島ラーメン」誕生のきっかけとなった。
 1966年創業の徳島本店に対し、この鳴門店は1976年ごろの創業とのこと。十分に老舗といえる。実際に店内の雰囲気は懐かしい昭和の感じ。ちなみに、18年前に訪れた巽屋は1995年創業とのことで、比較的新しい店だった。
 店内には、子供連れのグループが2組が食事中。中華そば並が600円で、大は650円なので当然「大」を選ぶ。しばらく待って提供されたラーメンのスープは確かに黒っぽいが、うっすら澄きとおっている。豚骨スープに濃口しょうゆだれを加えた濁った茶色というイメージなのだが。バラ肉は少なめ。メディアでは100円プラスの「中華そば肉入り」に50円の生卵のトッピングが追加された写真が紹介されている。もともとの量は少なめなので、大でもさほど多くは感じない。本店ではないものの、18年越しのリベンジ達成。先客のうちの一組よりも先にも背を出る。
Img_0921Img_0929Img_0931

 撫養川沿いを北上するとすぐに小鳴門海峡。鳴門北I.C.や千鳥ヶ浜がある大毛島との間の海峡だ。鳴門徳島自転車道の起点を示す案内板があるが、自転車道は車道の脇の自歩道。大毛島、そして淡路島を左に見ながら東へ。公園として整備された岡崎海岸を過ぎてしばらく進むと、車道は途切れ、独立した自転車道となる。内陸は住宅街から林に変わる。「いわし山」だそうだ。岬の小ピーク「ぼら山」と「いわし山」の間の鞍部を越えて道は南下に転じる。向かい風に抗って進む。紀伊水道に面した大手海岸だが、対岸の本州は霞んで見えない。内陸側には一面のサツマイモ畑。その向こうに鳴門市街が見える。小高い丘に建つ天守閣は岡崎城址、別名撫養城。自転車道は防波堤の上。ただし、道幅が広く、畑の農道かアクセスできるため2台ほどクルマに出会った。とはいえ基本的にクルマとは隔離されている海と畑の間の道。無心に走るにはちょうどいい。
Img_0932Img_0938Img_0933

 大手海岸が終わり、旧吉野川の河口に突き当たる。今は徳島市の北部が吉野川本流だが、かつてはこちらが本流。内陸部もサツマイモ畑から造船施設に変わっている。
Img_0941Img_0942

 鳴門徳島自転車道は、この旧吉野川の対岸にも続いているのだが、川を渡るには国道28号線の大津橋まで2km以上遡らないといけない。しかも、遡る途中で支流を越える必要があり、その支流を渡る橋までまた回り込まねばならないので大津橋までは3kmを越える。その支流は、撫養川で、つまり旧吉野川河口部と小鳴門海峡をつないでいる。一体どちらからどちらへ流れているのか。おそらく、流れていない。人工河川とか運河という要素が強いのだろう。
Img_0944_20210810235901Img_0946 

 回り道に回り道を重ねて旧吉野川を渡り、対岸と変わり映えしない工場の並ぶ風景。紀伊水道に出て徳島阿波おどり空港に面した区間へ行けば雰囲気が変わるのだろうが、それはまだ3kmくらい先。ここで引き返すことにした。
 帰路は大手海岸ではなく、撫養川に沿って北上すると、追い風のアシストもあって、あっという間に鳴門駅まで戻ることができた。。
Vid_278mov_000145400

 ホテルの部屋に入る前に、買い出し。駅裏に建つ昭和の雰囲気漂う5階建ての商業施設へと歩いて行く。1階がスーパーマーケットになっていて、ちょうど賞味期限が迫る総菜を割引きで売っている時間。今夜の夜食に明日の朝食と行動職までたっぷり買い込んだ。
 ビジネスホテルの部屋に戻ると、隣室のもの音がよく聞こえる。まあ、お互い承知で泊まっている。飲み物の缶を開けるプシュという音が立て続けに聞こえる。ビール系だろう。TVがあるけど、音を出すのは気が引ける。イヤホンを持ってきているが、ケーブルが短くて窮屈だ。まあ、この数日NHKも民放もつまらない番組ばかりだし、見ないことにしよう。大浴場で入浴。今朝は早朝から作業だったし、明日も朝は早い予定なので早く寝ようと思ったのだが、無料のWiFiでダラダラネットを見ていたら、寝るのは23時過ぎになってしまった。

| | コメント (0)

2021/07/29

PLATINUM LIGHT8の後輪クイックリリース化とリアスプロケット交換

 昨年10月に手に入れたPLATINUM LIGHT8の走行距離が、今年6月に1000kmを越えた。12ヶ月で1500kmとはハイペースだ。これを機に、予定していたカスタマイズを決行する。これまでに、シートポスト交換、泥よけ装着、ハンドル交換等を行い、今回のカスタマイズでほぼ最終形態になる予定だ。
 というわけで、表題の通りリアホイールのクイックリリース化である。前輪のハブは元からクイックリリースなのに、後輪はナット止め。そしてボスフリー。最も簡単なのは、ハブは維持してアクスルシャフトのみ交換する方法。ただし、シャフトの互換性が問題である。シャフトにはねじ山が切られている。つまり「シャフトとハブ本体」が「ボルトとナット」の関係となっている。一般的なシマノのクイックリリースの中空シャフトはボスフリーのハブに合わないらしい。ただし、中国製の中空シャフトなら合うらしい。Amazonで手に入るらしい。ただし、実際に手に入れてあわせてみるまではなんともいえない。一か八かの作戦だ。
 また、ホイールごと交換するという手もある。しかし、16インチのホイールはあまり出回っていない。前後輪セットでなんとかあるようだが、あまりにも費用がかかりすぎる。
 導き出した結論は、ハブの交換。ハブそのものはホイールサイズに関係ないから、選択肢は多い。リムからスポークを抜いて新しいハブで組み直す必要があるが、ホイール組みは過去に経験がある。そして、メリットがもう一つ、ボスフリーからスプロケットカセットに変更できる。元々のボスフリーのスプロケットは、11ー28T、7Sの実用的なものが装着されているが、スプロケットカセットならさらに様々な歯数のものを選択できる。
 ローギアのさらなる低速化、トップギアのさらなる高速化の両方ができればいいが、トップギアのこれ以上の低速化はリアスプロケットでは無理なようだ。フロントチェーンリングを大きくすればいいのだが、PLATINUM LIGHT8のチェーンリングとクランクの取り付けサイズは特殊(PCD144)で、希望する歯数のチェーンリングがなさそう。ならば、クランクも含めて交換と言うことも考えたが、BBも特殊でなかなか大変なようだ。そして、今以上の大きなチェーンリングがPLATINUM LIGHT8のコンパクトなフレームに収まるかという問題もある。PLATINUM LIGHT8の車体を見ると、どうも今のチェーンリングがぎりぎり収まるサイズのように思われる。
 ということでトップギアの高速化はあきらめたが、ローギアの低速化はハブの交換で実現できる。具体的には34Tのローギア。ただし、これだとトップが13Tになってしまう。ただしこれは7Sのスプロケットでの話。8Sのスプロケットならば11-34Tのものがある。
 ということで、7月下旬の4連休の3日目の午後、作業開始。後輪を外し、スポークをニップルから抜いていく。スポークが太い。#12か。ホイールが小さいのでしなりが小さく、かなり力のいる作業だ。以前ホイール組み直しをしたのは、26インチのランドナーのホイールはここまで固くなかったように思うのだが。ニップルレンチだけではスポークが抜けず、タイヤ、チューブ、リムテープを外し、マイナスドライバーでニップルをリムから外す。
Img_0824_20210729233701 Img_0826  リムから外れたら、つぎはハブからスポークを抜く。予め手に入れていたクイックリリース、カセットスプロケット対応のリアハブにスポークを通す。そしていよいよリムへの組み付けだ。これまたスポークが固くて難航する作業となった。
Img_0828 Img_0829 Img_0827

 1時間半ほどかけて、ようやく後1本となったが、ニップルがない。どこにもない。仕方ないので他のスポークのニップルを使ってみる。だが、サイズが合わない。#13用のスポークねじ切り器を使い、#12のスポークを強引にサイズ変更。なんとかだいたいニップルが使えるようになった。ホイールを装着してみるが、ものすごく振れていてブレーキシューに当たって回らない。
 ああ疲れた、日が暮れてきたので今日は終わりにしよう。
 翌日、作業再開。まずはホイールの振れ取り、ニップルを締めたり緩めたり、とにかくひたすら地道な作業。本当に振れがとれるのか、そんなエンドレスと思える作業だが、根気よく続け、どうにか振れが小さくなった。
 ただし、フレームにホイールを装着するのが今ひとつしっくりいかない。どうやらハブのロックナット間隔とエンド幅が合っていないようだ。どうやらエンド幅が135mmなのに、ハブのロックナット間が130mmのようだ。新しいハブを注文しホイール組み直し、なんてことはやってられないので、いったんハブのロックナットを外しスペーサーとしてワッシャーを2枚入れてみたら、きっちりホイールに固定できた。
 とりあえず在庫している8Sのスプロケットを装着し、ちょっと乗ってみる。トップ8速から2速までギアに問題なくシフトできた。
 ただし、この日もここまでの作業に膨大な時間を要し、日没サスペンデッドとなった。
 数日後、作業再開。今日は決着をつけたい。後は、変速レバーとリアディレイラーを7Sのものから8S用へと交換する。リアスプロケット、変速レバー、リアディレイラーなどは在庫のもので間に合わせた。何せ、所有する自転車はリア7Sや8Sのものがほとんどなので、メーカーが生産停止するまえに、とある程度在庫しているのだ。まあ、グレードにこだわらなければ大丈夫そうだけどね。
 まずは、8Sのシフトレバーを交換。とりあえず、これで試してみよう。リアディレイラーは元々のTourneyのままだ。ロー側のアジャスタボルトは結構締まっているのでこれを解放してみる。すると、見事にローの34Tのギアにちゃんとシフトできるではないか。これはラッキー。元々は、在庫しているAceraを使うつもりでいたが、プーリーゲージが長くて下のプーリーが地面に付いてしまう恐れがある。そこで、別の自転車に付いているAltusを転用するつもりでいた。そうすると2台の自転車のリアディレイラーを交換することになるのだが、その手間が省けた。
Img_0887_20210729233701

 ただし、1つ問題が発生、34Tのローに入れるとカラカラと音がする。クランクを回しているときなので、チェーンがどこかに干渉しているようだ。どこだろう。チェーンガイドではない。フレームだった。これはどうしようもないが、まあいい。走れないわけではないし、34Tを必要とする場面は限られている。普段使いは、ロー32Tのスプロケットでいい。ホイールがクイックリリースになったし、工具さえあればカセットスプロケットの交換は簡単だ。

Img_0897 Img_0895

 

| | コメント (0)

2021/07/28

走り終えて(伯雲の境 終)

 境水道沿いを走っていて、小さな入り江をふさぐ堤防の上に道が付けられている個所があった。海崎と福浦だ。現地では、中海の堤防道路の原型みたいなものか、くらいに思っていた。帰宅してからこの一連の文章を書くために地図を見ていて、ふとしたことに気づいた。個の海岸線に同じようなものがいくつも見られる。
Map

 入り江をふさぐ堤防の上を走るときには、両側が水面を見ることになる。その入り江の奥には集落があり、湾岸に沿った道路もある。そのまっすぐな堤防道路と弧を描いた湾岸の道路のような位置関係の道が数か所にみられるのだ。ところがそこに入り江はない。2本の道路の間には半月のような形をした平地がある。平地には、高齢者の介護福祉施設があったり、太陽光発電のパネルがあったりしていて、その山側に道路と集落がある。集落の家々は、弧を描いた道路の山側の窮屈な土地に建っている。道路の向かいにもっと広い半月型の平地があるというのに。要するに、三日月形の土地は、入り江が埋め立てられてできたもの。そう推測できる。それを裏付ける根拠として、古い地図を探してみた。結局見つかったのは、古い航空写真。国土地理院のWebサイトで公開されていた。カシミール3Dで閲覧したので、今回自転車で走った奇跡も赤い線として重ねている。現在の航空写真も国土地理院で閲覧できるが、施設名などの記載されたGoogleマップも使ってみた。
Map_20210728235401 2021 1961

 かつては入江で、埋め立てられたのは1974年以降であることが確かめられた。せっかくなので、周辺も過去と現在を比べてみる。弓ヶ浜の北部、「夢みなと公園」や「境港さかなセンター」などがあるところもやはり埋め立て地。また、弓ヶ浜半島の先端部の東側(外海側)も埋め立てられて、境水道区間が長くなっている。かつては、ずっと弓ヶ浜が続いていた。
2021_20210728235402 1974 1961_20210728235402

 べた踏み坂で渡る江島もかなり古くから埋め立てが行われている。直線と直角で長方形をしている島の形からして、人工的な感じをうける。唯一南西側の角にあたるところに、島の原型が残っている。江島大橋は平成期に掛けられたわけだが、以前は少し南側に堤防道路があった。その切れ目に橋が架かり、船が通行するときには橋が跳ね上がるものだったそうだ。つまり、船が通るたびにクルマは通行止めとなるので、堤防道路は撤去され、高い橋に変わった。そうした変遷も見える。
 もう一つ興味深い箇所は、中海の最北部、万原、手角町あたり。湖岸から橋を渡って小さな島に渡り、そこから堤防道路に乗り入れる。その現在離島となっているのは、堤防ができる前は陸続きの半島だった。堤防で塞がれた手角港の船の出入りのため、半島の付け根の細い部分が切られたのではないかと思われる。
2021_20210728235401 1961_20210728235401

 また、島根半島のと弓ヶ浜半島の関係も、なんだか不思議。半島が並んでいる場合、その間にあるのは○○湾、つまり入り江。ところが島根半島と弓ヶ浜半島を分ける境水道は海峡ではなく斐伊川だという。その奥の中海も、内海ではなく湖だから、やはり斐伊川の一部。要するに、川の左岸が島根半島で、右岸が弓ヶ浜半島ということになっている。
 半島の区切り方、湖や川と入江の区別、どれも人間が勝手に決めているだけのこと。

| | コメント (0)

2021/06/03

島根半島と美保関(伯雲の境4)

 境港・美保関エリア、伯雲の境シリーズ4度目の遠征。今回でファイナルの予定。5月も下旬となり、すっかり初夏の装いの大山。ひと月半前は白かったのに。
Img_0365

 例によって米子で腹ごしらえ。慣れてきたとはいえ、今日も少し迷走の末「今を粋ろ米子店」に12時半ごろに到着。入り口に席が空くのを待つ人影が見られるが、どうにか駐車場は1台分空いている。と思ったら初心者マークのクルマが枠線をまたいで止めていて十分な間隔がないではないか。2台分占拠というわけだ。おいおい、勘弁してくれよ。でも、すぐに店内から客が出てきて別のスペースが空く。11時半の開店直後にどっと押し寄せた客が、12時を過ぎると順次店を去り、その後回転率よく客が入れ替わる。これまでに学習した通りに事が進む。店内に入ると、待合席に先客2名だが、すぐに彼らに続いて席に案内される。今日はつけ麺だ。もちろん、野菜は増し増し。今日も満足。
 食後、もう一軒寄り道。今日は携帯用のポンプを忘れてきた。大型のフロアポンプは常時クルマに積んでいるのだが、これを自転車で携行するわけにはいかない。パンクした場合のことを考えると、空気入れを持たずに走る勇気はない。エンジン付きバイクに常時積載の2個を含め、全部で6~7個の携帯ポンプを持っている。よく乗る自転車には常備していて、あと小型のものをクルマにも積んでいた。が、その小型のものが数ヶ月まえから行方不明。どこかで落としたのかもしれない。その代わりのものを買おう。「今を粋ろ」でラーメンを待つ間に調べた店へ。スマートフォンがあるから、通り道にある店を探し出し、ロスなく行ける。約3000円の、小型で、米英仏3通りのバルブに対応した携帯ポンプをゲット。
 というわけで、境港へ北上。さらに境水道大橋を渡って、島根県松江市美保関町へ。橋のたもとの広場にクルマを止めて自転車を準備。今日は、20インチの折畳小径車2号。昨年10月の北海道利尻島以来7か月ぶりの出番。ずっと懸案だった、美保関をと今日はいくぞ。
Img_0368

 まずは、美保関とは反対方向へと境水道沿いを走りだす。強い西風を真正面から受けて進む。常時20km/h未満。時折吹く突風で10km/h台前半まで速度が落ちてしまう。ここは前々回、つまり2回目の遠征で走っている。ひと月と少し前に見た景色の復習だ。
 岬越えの小さな峠をトンネルで越え、境水道から中海沿いの道をしばらく進んだところから分岐を左にとって中海の堤防道路へ向かったのが前々回。今回はその分岐を直進して少し進み、右の道へハンドルを切る。ここから、島根半島北岸へ向けての峠越えだ。というわけで登り坂だが、向かい風から解放されて、むしろ楽に感じる。しばらくは県道152号線。標高50m余りでピーク。下ると県道37号線に突き当たり、右へ。もう一つ同じような標高差のピークを越えてようやく北岸へ。深い入り江に面した小さな漁村集落。島根半島の北岸は、リアス式海岸で、こうした入江の集落と、半島越えの峠が交互に現れる。待望の追い風を受けて快調に進む。
Img_0373Img_0374Img_0375

 境水道側と比べて集落の間隔は大きく、道行くクルマはほとんどない。やっぱり走るならこういう道だね。しかし気がかりなのは、空模様だ。霞こそ深かったが、走り出したときは青空から日差しが降り注いでいた。ところが、急速に雲が広がり小雨が降りだしてきたではないか。まるで、1回目の遠征の時のような急速な天気の急降下。幸い、ツーリングを中断するほどの雨脚にならずに止んでくれた。まあ、この場で雨が強まってもクルマに戻るまで走らねばならないわけだが。
Img_0378Img_0380Img_0381_20210603234701

 入江の集落と半島越えを2つずつこなしてたどり着いたのが七類。北岸で最大(多分ね)の集落で、隠岐への航路の発着港だ。それまでの漁港とは異なる、広大な敷地のフェリーターミナルへ。隠岐を訪れたのは、2005年8月。その時は境港発着の航路を利用したので、島根半島北岸を訪れるのは今日は初めて。
 写真を撮ろうと自転車を止めてカメラを構えたら、突風にあおられて無人の自転車が走りだし、すぐに転倒。いくら吹き曝しとはいえ、すごい強風だ。
Img_0383Img_0386_20210603234801Img_0387

 七類を越えるとさらに集落がまばらになる。これまでより大きめの半島の峠越え。登りの途中でまた雨が降り出す。今度は結構強く降ってきたぞ。その代わり、追い風による強力なアシストを受ける。登り坂なのにペダルが軽い。
 次の入り江では海岸まで下りずに高度を維持しながらその次の半島も超える。要するに集落はないのだ。そして次の入り江が、法田集落。さらに東へ。島根半島北岸の道は集落まで下りずに、家並みを上から見下ろして内陸に向かう。これまでの集落もそうだったが、赤褐色の屋根瓦の家が多い。石州瓦というやつだ。島根県に来たことを実感する。
Img_0388_20210603234801

 雲津集落を見下ろしたら、峠を越えて美保湾側へ向かうことにする。クルマのすれ違いが難しい細い道だが、クルマには出会わなかった。けれど登りがなかなか終わらない。もうすぐ美保湾のはずなのに。北岸と美保湾側の内分比が3:1、といったところに位置する長浜越。当然美保湾側はつづら折れの急降下。
Img_0395_20210603234801

 少し前から雨は小康状態となっていて、稜線の南側は北側よりも空が明るい。とにかく今日は美保関へ行こう。美保湾岸に降り立ったら、ハンドルを左に切る。またも追い風、スピードが上がる。ただし、後でこの道を引き返すことを考えると気が重くなる。日本海の荒波の影響はあまりないらしく、海沿いの平坦な道が続く。
Img_0398

 小さくて深い入り江の奥の美保関集落へ。山に囲まれた深い入り江は、風がさえぎられてこれまでが嘘のように穏やか。波も穏やかで、さらに干満差も少ないらしく、水面と変わらぬ高さに道路があり、山側に建つ1階がガレージとなった建物は、遠くから見るとまるで舟屋のように見える。美保神社の参拝は、復路にして、今は美保関(集落ではなく岬の方)を目指そう。ここから岬への2kmは登りとなる。ちょっと安心。これなら復路は下りで、万有引力を味方につけて、向かい風に立ち向かうことができる。
Img_0403_20210603234901Img_0406_20210603234901

 美保関を訪れるのは確か2回目のはず。初めて訪れたのは、1992年の2月。もう30年近く前だ。その時は自転車ではなく、クルマで訪れた。当時はまだデジタルカメラもGPSレシーバもなかったから、簡単に記録が探し出せない。銀塩カメラで撮った写真があるはずなので、家に帰ってからアルバムをあさるしかない。
 岬の広い駐車場にはクルマが1台止まっているが、人影は見えない。白い灯台と日本海を眺める。以前雨は小康状態で薄日が差しているが。大山は深い霞で見えない。弓ヶ浜がうっすらと見える。
Img_0410Img_0418Img_0419

 さあ、時間が押している。クルマに戻ろう。美保関集落までは下り坂。入江の趣きある漁港と集落。古い木造の旅館。そして美保神社参拝。感染症予防のため、手水舎には使用禁止の張り紙。代わりにアルコール消毒液で手を清める。
 そして青石畳通りへ。その名の通り石畳が敷かれた狭い通り。両側には木造の建物が並んでいる。何となく、伊根などの舟屋集落の道を思い出す。帰宅してから調べると、かつては一本内陸にあるこの石畳の道が本通りだったそうだ。ということは、波打ち際の車道は後からつけられた道。やはりここは舟屋が並ぶ集落だったのではないか。
Img_0396Img_0421

 さて、美保関集落からは、向かい風との真っ向勝負。海辺に佇む2頭のヤギに癒されながら、境水道大橋を目指す。美保関集落のすぐに死のう岬は小さな漁港のある入江。その中にまた小さな入り江があるが、道は入り江をふさぐ堤防の上を行く。入江の中の入江の波打ち際には舟屋風の建物。堤防に開けられた狭い出入り口で美保湾と行き来できる。長浜越からの合流点を過ぎ、境水道ぞいの福浦集落も同様の堤防道路。
 福浦からはすぐにクルマを止めた広場に到着。その寸前にパラパラと雨を感じたと思ったら、一気に雨脚が強まる。急いでクルマに自転車を押し込むが、かなり濡れてしまった。そのせいで、クルマのウィンドウが曇る。あと、気温も一気に5度くらい下がって、クルマの内外の温度差も曇りを濃くする要因だ。
Img_0427

 それでも4度目の正直で、美保関再訪達成だ。思えば初回の遠征からもうひと月以上が経過している。4分の3で最後雨に打たれるパターンとなった。まあこれで、今回の遠征シリーズも一区切り。当分ここまで来ることはないだろうから、思い残すことはなく岐路に就きたい。だから雨の中もうひと踏ん張りだ。数時間前自転車で走った道を今度はクルマで走る。境水道を西へ。中海にたどり着いたら、ひと月前に自転車で走った堤防道路で江島、そして大根島へ。1回目と2回目の遠征で訪れた通称「ベタ踏み坂」の江島大橋を撮影するのだ。もちろん、過去の遠征でも写真は撮った。けれど、ベタ踏み坂が最も映える地点での撮影をし損ねているのだ。それは大根島の最北端付近。ちょうど橋の延長線上にある地点だ。ここからだと中海越しに橋が見える。距離があるので望遠で撮影することになるが、そうすると遠近感が弱まり、ベタ踏み坂がまるで壁のようそびえる急勾配に見える。雨で見通しが悪くなるのでもうあきらめようかとも思ったが、やはり心残りなく帰りたい。というわけでどうにか撮影成功。雨も小降りになってくれてよかった。あとは、また4時間かけての帰り道。

| | コメント (0)

2021/06/02

鬼太郎列車と弓ヶ浜(伯雲の境3)

 伯耆と出雲の国境付近をめぐるシリーズ第3弾。第1弾からおよそ1ヶ月が過ぎ、雪解けの大山を見ながらのアプローチ。鳥取・米子間のほぼ中間地点、山陰自動車道の未開通区間である倉吉市北部郊外の北条砂丘の国道9号線。起伏も屈曲も、そして信号もほとんどないスピード出し放題の道。もちろん、制限速度プラス10km/h以内で走っていたのだが、路肩に立つ警察官に停止を求められ、駐車スペースへと誘導される。そういえば、1回目の遠征の時、このあたりでスピード違反の取り締まりをしていた。前を行く大型トラックは止められなかったのに。そのトラックに追いつくところでスピードを超過していたということだろうか。そのトラックの前のクルマ、私の後方のクルマもまとめて捕獲されている。ああこれで、長年付き合ってきたゴールド免許ともお別れか。と思ったら、交通安全の啓発のチラシ、チューインガム、マスク、消毒シートを渡された。よかった。
 スペースに限りがあるため、大型トラックは捕獲されなかったようだ。そして、我々数台が捕らわれの身になっている間、本線を次々とクルマが通過していく。我々が解放された後、また数台が捕獲されるのだろう。
 正午に米子市内に到着。昼の営業開始の11時半を目指したが、間に合わず。すでに駐車場が満車。けれどすぐに店から一人出てきて駐車場が空いた。店内に入ると、席は埋まっていて、入り口付近の待ち合い席に先客が1名。まず食券を買って待ち合い席に座る。その時点で店員がやってきて、食券を渡し、トッピングを伝える。2,3分で待ち合い席の先客が、さらに2,3分で私が呼ばれてカウンター席へ。それから1分でラーメンが出てきた。その後、新たに訪れる客よりも、食べ終えて店を出る客のほうが多く、いくつか空席が発生。開店時刻を狙ってきた客による、第一ラウンドが終了したということのようだ。今後の店を訪れるタイミングの参考にしよう。前回は、到着が12時半過ぎ、次のピークタイムとなってしまったということだったようだ。
Img_0237Img_0238

 鳥取市にもある「今を粋ろ」だが、米子店はカウンター席以外にテーブル席も複数あり少しキャパシティが大きいようだ。ちなみに鳥取店の方は、会議室などに置かれる長机一脚が、唯一のテーブル席。そして、客の多くはすぐ近くの鳥取大学の学生が徒歩で来るので、駐車場もたいがい空いている。
 300gの麺に野菜増し増し、あとはニンニクを含め普通にトッピング。そんな山盛りのどんぶりに挑む幸せな時間。
 さて、そのあとは自転車走行への準備。本日の予定コースは弓ヶ浜沿いの自転車道。片道は自転車、片道はJR境線に乗る。輪行という手もあるのだが、出発駅の駐輪場に自転車を配置しておくことにする。そのあとクルマでゴール地点の駅に移動。そして列車でスタート地点へ戻る計画だ。
 本日は、南東の風が、4m/s。これはもう、米子から境港へ向けて走るしかない。ただし、米子駅の駐輪場は有料のようなので、スタートは隣の博労町駅かその次の富士見町駅にしよう。ところがこの駅を見つけるのに苦労した。徒歩か自転車なら問題なかっただろう。もちろん、GPSレシーバにウェイポイントとして登録していたのだが、それでもクルマでたどり着くのに狭い路地を20分ほど迷走した。富士見町駅は、駅舎もない単線ホームのみの駅。隣接する月ぎめ駐車場にほんの少しの間だけクルマを止めさせてもらい、露天の駐輪場に自転車を降ろす。そして、境港へとクルマで移動。
 境港駅周辺は、クルマを止める場所に困らない。米子で迷走したものの、境線の列車の運行本数は1時間に一本程度。13時34分の列車に無事乗り込むことができた。迷走がなくても、その前の列車に乗ることは無理だった。
Img_0245Img_0246Img_0250

 「ゲゲゲの鬼太郎」の作者、水木しげるが少年時代を過ごした境港は、鬼太郎で大々的な地域おこしをしているが、境線も「鬼太郎列車」と称してゲゲゲの鬼太郎のキャラクターを描いた列車を走らせている。乗り込んだ2両編成のワンマン気動車はねずみ男をメインに描かれていた。ちなみに、この「ねずみ男列車」のほかには、「鬼太郎列車」「ねこ娘列車」「目玉おやじ列車」「こなき爺列車」「砂かけ婆列車」がある。というわけで観光列車の色合いが強いが、乗客はわずか。通学の高校生が大口の客なのだろう。
 車内放送は鬼太郎の声。気だるい口調で次の駅を告げている。また、目玉おやじが各駅の愛称を伝えてくれる。駅の間隔は短く、駅を発車してすぐに次の駅の案内放送が流れる。境港駅と米子駅以外はすべて無人駅。単線で、列車交換、つまり反対列車とすれ違いができる駅は途中に3駅しかない。その中の一つ中浜駅で反対列車の待ち合わせ。やってきたのは砂かけ婆列車だった。車窓からは海は見えず、砂地の畑の中を行く。たまに大山が見えた。
Img_0259

 20km足らずを45分ほどかけて、米子駅の2つ手前、富士見町駅(ざしきわらし駅)に到着。IC乗車カード(「モバイルSuica」、つまりスマートフォン)を利用しての乗車だが、無人駅にはセンサーがないので車内のセンサーにかざして支払い完了。路線バス方式だね。240円。自転車に再会し、さあ走り出そう。
Img_0263

 まずは、米子市内。先ほどクルマで迷走していた狭い道を行く。用水路沿いには、歩行者と自転車専用の道がつけられていて快適。春の花も咲いている。
Img_0267 Img_0268

 日野川の左岸に突き当たったら、河川敷に降りる。これで、クルマの多い国道9号線も、431号線も潜り抜けられる。曇り空だが、大山は見えている。今日は南東の風が強い。右後方から押してくれる。道は、河川敷から堤防へと上がり、やがて日本海へ。沖からというより、海岸に並行するように波が打ち寄せて、防波堤にぶつかり高くしぶきをあげている。
Img_0274 Img_0277 Img_0283

 あとは弓ヶ浜に沿って境港へ。まずは皆生温泉街。海沿いは大きな旅館の敷地内、つまり私道だが歩行者や自転車は通行していい。路面には「Japan ECO Track 皆生海岸ルート」「Sea to Sumit 大山」などなどいろいろ描かれている。
 前方には美保関を突端とする島根半島が遥かに見える。その名の通りの弓なりの浜に沿った道は、徐々に西から北へと向きを変えていく。しばらく姿を隠していた大山が背後に見えてきた。そして、強い風に真後ろから押されるようになり、スピードアップ。
Img_0284 Img_0292

 浜に沿った自転車道は、松林の中に入ったり、国道431号線に並走したりしながら再び弓ヶ浜沿いへ。夢みなと公園が近づいてくる。夢みなとタワーがランドマークだが、その傍らのドーム状の施設の方がもっと目立つ。
 その夢みなと公園のエリアは、おそらく埋め立て地で、境港さかなセンターやいろいろな工場や商業施設が並んでいる。自転車道はその中を通り抜ける。さらに港湾施設の広い道を経て境水道沿いへ。
Img_0293

 今日はこの後、前回果たせなかった美保関を目指すつもりでいたのだが、弓ヶ浜の途中から小雨が降り出した。境水道大橋を自転車で渡りたくないので、いったんクルマに戻ったのだが、途端に雨脚が強まる。前々回と同じパターンだ。もう走る気にならず、ここで今日は撤収。そのまま帰路に就く。また課題を残すこととなった。

| | コメント (0)

2021/06/01

堤防道路で中海北西部周遊(伯雲の境2)

 伯雲の境シリーズ第2弾。雨で不完全燃焼に終わった第1弾のリターンマッチを4月下旬に決行。半月前に走れなかった中海を走る。前回より段取りよく、寄り道もせずに米子へ。ところが、淀江I.C.で自動車道を降りるつもりが、そのまま突き進んでしまった。慌てて米子南I.C.で降りる。米子市内へ向かい今日のラーメンは、「今を粋ろ米子店」へ。これも鳥取市に系列店がある二郎系ラーメンのお店。頭に入れていた淀江方面からの道順へと軌道修正したつもりだが、どうも自信がない。迷走の末、結局山陰自動車道で淀江I.C.まで引き返して、道順をやり直してしまった。結局修正はできていて、迷わず突き進んでいけばたどり着けたのだった。これで30分のロス。
 「今を粋ろ」到着は12時半ごろとなってしまった。駐車場は満車。店の入り口には2,3人の人影が見える。クルマを止める場所がないのであきらめて、前回訪れた「笑福」へいどう。狭い路地に入り込んでしまったが、一度訪れた店ならなんとなくわかる。というわけで、迷走なく到着。中心街にある「今を粋ろ」とちがって郊外にある「笑福」はスーパーマーケットを中心とする商業施設群のテナントの一つ。大きな駐車場があるので、クルマを止めることに困らない。まあ、今日も店は空いていたけどね。そんなに離れていない二つの店だけど、いろいろな違いを感じる。
Img_9917

 さて、弓ヶ浜沿いの国道431号線を北上。境港へ。前回走れなかったところを走るわけだが、まったく同じコース取りではつまらない。だから今度は境水道の対岸をスタート地点とする。というわけでクルマで境水道大橋を渡る。道が狭く、歩道は歩行者でも車道に落ちそうなほど狭く、自転車で渡りたくない橋。いかにも高度経済成長期に建設された、クルマ優先の道路、という感じ。しかも、橋の真ん中で工事をしていて片側通行だった。クルマで渡って正解。
Img_9922

 島根県側に降り立ち、美保関方面に少し進んだところの道路わきの広いスペースにクルマを止める。道の反対側、境水道では釣りをする人の姿が見える。ここは今は松江市に吸収合併されたが、かつての美保関町。造船所や港の施設が並ぶ対岸と比べて、のどかな海岸。
Img_9925 

 自転車の準備ができたら、そののどかな海岸線を西へ。中海を目指す。のどかとはいっても、集落や漁港が点在し、狭い道にクルマがそれなりに通る。何せ国道なのだから。対岸ほどではないが、造船施設もある。
 小さな岬越えの小さな峠をトンネルを抜けると中海沿いに出るのだが、深い入り江の奥のため湖の広がりは感じられない。そして道は少し内陸に入る。信号のある分岐を左へ。小学校の前を通過するとすぐに中海に出る。そしてここからは湖の上の道を行く。まずは、小さな離島へと橋で渡る。そこがまた分岐点。右へ。ここからは堤防の上の道。反対側の道もやはり堤防道路。
Img_9938

 入り江に合わせて、半円を描いた堤防は入り江の出口で終わり、堤防道路は湖岸の国道431号線へと吸収される。しばらくは、中海の西岸を南下。のどかな風景だけど、クルマの通行が多くはないが、少なくもない。
Img_9949

 道の駅「本庄」でトイレ休憩。湖岸で、何かの撮影をしている。カメラを構えた男性達に囲まれた女性のモデルが、食べ物化飲み物を前に微笑んでいる。
Img_9951Img_9958 

 湖岸の道は、国道431号線から県道260号線へと変わり、大海崎からはまた堤防道路へ。大根島へとむけて湖上を走る。この堤防道路は、県道338号線だ。約2kmの水上走行で大根島へ上陸。島の南西から北東へ時計回りに進む。平坦な岸辺の道。ただし、堤防に遮られ海の景色はいまいち見えない。湖とはいえ、北西の季節風が当たり波が立つのだろう。堤防の上に乗り上げてみるが、舗装区間はとぎれとぎれ。未舗装区間は草ぼうぼうで走る気にならないので、車道に降りる。クルマはたまに通る程度。
Img_9960

 大根島を北側に回り込むと、ベタ踏み坂が見えてきた。前回は途中までで引き返したあの橋を、今日は渡ろう。
Img_9965Img_9969Img_9976

 堤防道路で大根島から江島へ。そして江島大橋へ。こちらは平成になってからかけられた橋で、両側に車歩道があるので、歩行者も自転車も安心して通行できる。水面から40mを超える高さの橋の中央部からは、中海、大根島、そして大山の景色が見渡せる。島根県から鳥取県へ。そして、反対車線の車歩道でまた橋を渡り、島根県へ戻る。江島に戻ったら、堤防道路の続きを走り、美保関町へと戻る。中海の北西部を一周した。後は来た道を境水道大橋のたもとまで戻る。
Img_9978Img_9979Img_9980

 さて、クルマへと戻った。この後、美保関まで往復しようと思っていたのだが、ここまで想定よりも時間がかかってしまった。帰り道も4時間かかる。今回はあきらめて、また次回とすることにした。

Img_9981

| | コメント (0)

2021/05/31

境水道とべた踏み坂(伯雲の境1)

 数年前、軽自動車のCMで話題になった「べた踏み坂」は、鳥取県と島根県の境にある湖「中海」の中の離島へと渡る橋だ。その下を船が通れるよう中央部が水面から40m以上もあり、クルマで通るときにはアクセルペダルを床まで踏み込んで登らなければならい急勾配の坂となっている、というわけだ。その橋を含め大根島や中海の湖岸を自転車で走ってみることにした。
 鳥取県内には山陰自動車道や鳥取自動車道など、自動車専用道路が伸びていて、しかも通行無料。東の鳥取から西の米子まで1時間半足らずで行ける。さらに鳥取市まで、つまり兵庫県内にも無料の自動車道があるので、2時間余りで行ける。つまり京都府の丹後地方から米子までの約200kmを3時間半くらいというわけだ。
 というわけで、4月中旬、いざ伯耆の国へ。鳥取・米子間は完全に自動車専用道路がつながっているわけではなく、倉吉郊外の北条砂丘は一般道となる。ただし、12kmに信号がわずか2つ(それも短い間隔で連なっている)しかない、平坦な直線道路。ここは以前からクルマが爆走しているところだった。今日はスピード違反の取り締まりをしていた。こんな道だとたくさんつかまるんだろうね。
Img_9785Img_9793Img_9794

 鳥取県の西部まで来るのは久しぶりなの、米子の手前で少し寄り道。名和I.C.で自動車道を降りて御来屋駅へ。趣ある古い木造駅舎。どうにか桜の花が残っていた。そしてこの時期まだ白い部分が残る伯耆大山をホーム越しに眺める。
 あとは国道9号線で米子へ。少し迷走の末たどり着いたのが、笑福両三柳店。鳥取市や大阪市でも展開している二郎系のお店。スーパーマーケットを中心とする商業施設群の一角にあるテナントだった。店は空いていて、私の前に先客1名。私のすぐ後に1名。それだけ。野菜増しを注文したのだが、出てきた野菜の量はなんだか物足りない感じ。後から来た客の野菜長増しの方が多いくらいだ。まあ、いいか。常識的な量と比べれば、けた外れに大量なのだから。
Img_9797

 そのあとは一路境港へ北上。川のような境水道の岸壁に漁船が並んでいる。その漁船の向こうに対岸の山が迫る。あちらは島根県松江市だ。無料で止められる駐車場にクルマを止めて自転車を準備。境水道沿いを西へ。中海へと向かう。
Img_9799

 まるで川のような境水道、なんて書いてしまうのだが、実は本当に川だそうだ。この境水道も中海も、その上流の宍道湖も、すべて斐伊川ということだそうだ。
Img_9803Img_9807

 港の施設を迂回するため岸から離れ狭い路地を行く区間もある。レトロな雰囲気の商店の前に止められたレトロなオートバイに目を引かれる。
 視界が開けた。中海だ。そして、高くそびえる江島大橋が見えてきた。湖岸を進んで橋に近いづいていくが、橋を渡るには一度内陸に入らないといけない。その高さを稼ぐため坂の始まりは内陸部にある。対岸の江島は地価ので、水上よりも陸上の区間が長い。
Img_9815Img_9814

 さあ、べた踏み坂へと昇る。クルマの通行は多いが両側に車歩道があるので安心していける。長い橋のため歩行者は少ないが、まったくいないわけではなかった。自転車も数台見られたが、私以外はみな押して上っていた。そんな急坂を登った橋の真ん中は、景色が抜群。中海に浮かぶ江島、そして大根島。そして、中海越しの大山が圧巻。江島、と大根島そして本土は堤防でつながっている。中海の北西部は、二つの島と堤防によって閉ざされている。だから、日本海の外海から境水道を経て松江港、さらには宍道湖へと船で行きつくには、江島大橋の下を通らねばならない。大きな船も通れるように橋は高く作られ、べた踏み坂が生まれたということだ。
Img_9819Img_9818 Img_9820

 しかし、天気が悪化している。強風が吹き荒れれている。地上で吹いていた風とは比べものにならない風圧を感じる。そして、雨。週間予報が発表されてから、曇りと雨予報を行ったり来たりしながら、前日には曇り予報に落ち着いたのだが、降り出してしまった。雨粒はだんだん大きくなってきていて、これから走っていくつもりの大根島方向の上空は暗い。大山もほんやり霞んでいる。

Img_9822

 この橋はかつての国境で、現在県境。伯耆の国からほんの少し出雲の国へ足を踏み入れた。ここで引き返すことにした。遠い道のり。久しぶりに訪れた地ということもあって、迷走したり時間の読みが甘かったりした。これを踏まえて次は段取りよく行きたい。ということで、クルマに戻る前に、水木しげるロードに寄る。2005年8月の隠岐からの帰り道以来、16年ぶりに鬼太郎やねずみ男に再会。雨は小康状態。
Img_9827Img_9830Img_9831

 クルマに乗り込んだら弓ヶ浜のパーキングスペースで大山を眺めてから、4時間の帰路に就く。

Img_9833Img_9835Img_9836

 

| | コメント (0)

2021/05/11

ごぶさた金剛童子山

 5月4日、地元のシンボル金剛童子山に登った。生活圏内、そして自宅を見下ろすことができる。
 登山口の味土野は明智光秀の三女である細川ガラシャが幽閉された地。昨年放送のNHK大河ドラマの影響もあってか、周辺にたくさんの幟が掲げられていた。

Img_0200 Img_0173 Img_0202

| | コメント (0)

PLATINUM LIGHT8のハンドルバーを交換

 時間が前後するが、丹後半島一周をする前の話。標準装備のハンドルがちょっと短かった。これは折り畳んだ際に地面と干渉しないため。でも、シートポストを長くしたため、下部のクリアランスが向上したので交換してみた。もう乗っていない、パーツ提供のドナーと化したMTBからハンドルを移植。520mmから540mmとわずかな違いだが、ついでにハンドルグリップもエンドバー付きのものに交換。これにより両端からハンドルを挟むように握れるため、長く持つことができる。また、本来は登り坂などでハンドルを引いて上半身の筋力もペダリングに生かすためのエンドバーであるが、折畳のハンドルポストという力学上の弱点があるので、ハンドルを強く引くことは禁じ手にしている。それに代わるメリットは、乗車ポジションの向上である。ホイールベースが短い小径車は、サドルとハンドルの間隔も小さく乗車姿勢が窮屈である。エンドバーを握ることで少し上体が前に移動し、姿勢が楽になる。
Img_0018Img_0016 

 前述のとおり、ハンドルバーと地面との干渉はないのだが、エンドバーを付けたハンドルが折り畳んだ時の前輪と後輪の間に収まるかどうかの問題がある。エンドバーとブレーキレバーの向きをできるだけ揃えることで何とか収まった。
Img_0017

 丹後半島一周へのチェレンジを想定して、以上の変更を行った。結果、快調に走ることができた要因となった。デザインは、以前のグリップのほうがランドナー風の味わいがあって気に入っているのだが、今回は機能を優先してしまった。
Img_7629_20210331082701

 また、今度は丹後半島一周を走り終えてからの話だが、泥除けのステーの長さも調整した。走り終えてすぐ、スーパーカブのチェーンとスプロケット交換の直前のこと。そもそもこの泥除けは、Dahon Curve D7専用のもの。ステーがやや長く、泥除けが浮いていた。だから、ステーを少し切っただけのことだが、半年ほど作業を先延ばしにしていた。まあ走りに影響はないからね。

Img_0164 Cut

| | コメント (0)

2021/05/09

16インチホイールの丹後半島一周

 山は緑、海は青く色づく初夏。自転車の季節の到来。さあ丹後半島一周だ。今回のパートナーは、半年前にラインナップに加わった、PLATINUM LIGHT8。16インチホイールの折畳小径車。果たして何時間かかるのか。そんな不安を抱えながらもだらだらと準備に時間を費やし、10時半のスタート。まあ、日が長いから何とかなるだろう。こうして、今シーズン初。生涯通算53回目の丹後半島一周が始まった。
Img_0091 Img_0092Img_0095

 京丹後市弥栄町の自宅から、まずは竹野川の流れに沿って北上。田植え作業の始まった田んぼの中の農道をつないでいく。快晴だが、西からの風が強い。横風なのだが、まるで向かい風のベクトルが含まれているかのような抵抗を感じる。
Img_0099

 竹野川河口付近の道の駅「テンキテンキ丹後」でトイレ休憩。京都府に緊急事態宣言が発令されているため、売店やレストランは休業中だが、駐車場はクルマ、自動二輪でいっぱい。自転車も見られるが、ロードレーサー。こちらの折畳小径車はどう見えているのだろうか。まあ、ほとんどの人は何とも思っていないんだろうけどね。
 道の駅からは国道178号線を東へ。追い風に押されながら、やや急な登りへ。海岸のアップダウンの始まりだ。
 少子化による統廃合で現在はもうないが、かつてはこの坂の途中に小学校があったので、車道脇にはしっかりした自歩道が設けられている。そちらを走る。すると前方から自転車が下りてきた。ロードレーサーだ。反時計回りの走行だと、海が見える右側を走りたくなる気持ちはわかる。自歩道ならば右側通行のルール違反にはならない。でも、すれ違うにはちょっと幅が狭いかな。ちゃんと手前で歩道を外れてくれた。急坂を越えて海岸段丘に乗り上げると、水を張った田んぼの向こうに青い海が広がる。
Img_0100Img_0101

 段丘上の緩やかな登りを進んでいけば、左手の海にそそり立つ屏風岩が見下せる。自歩道に自転車を止めて海を眺めている女性サイクリストがいる。この先に行けば屏風岩の展望所があるが、どこでも止まって景色を眺められるのが自転車のいいところ。かえってクルマを止めるスペースのある展望所だと、静かに景色が見られないこともある。といいながらも、私は展望所へ。ベンチに腰掛けて休みたいしね。
 幸い展望所にはクルマが止まっていることはなく、自転車が一台。男性サイクリストがちょうど出発するところ。静かに休憩できる。今日は西の風が強いため波がある。この時期から夏にかけての透明感のある水色の海面が見えないのは残念。
 再スタートを切ろうとしたら自転車が到着。手前で休んでいた女性サイクリストかと思ったが、男性でそのあともう一台。男女2人組だ。次々とサイクリストが現れる。ただし、私以外はみなロードレーサー。
Img_0103Img_0104  

 犬ヶ崎トンネルを抜けると緩い下り。そして、目の前には丹後松島。少し先のパーキングスペースはクルマがいっぱい。写真を撮っていると、屏風岩展望所で遭遇した男女連れが追い越していった。私のように下りの途中で何度も停止するサイクリストはあまりいない。
Img_0109

 宇川の河口を越えたらまた小さなアップダウン。それを越えたら、国道をそれて久僧海岸へ。夏は海水浴場となる白い砂浜が広がる。さらに行くと、岩礁が点在する区間となる。この岩礁が丹後松島を形成している、小さな陸繋島群である。ちなみに陸繋島とは、砂州で本土とつながっている島のこと。有名なのは、北海道の函館山だ。
 中浜漁港と集落を越えたら、国道178号線へ合流。その時、目の前を通り過ぎたのは、屏風岩以降、何度かであった男女二人組サイクリスト。写真撮影で追い越されたが、その先の枝道に迷い込んでしまって引き返しているところを私が追い越した。なんとも激しいデッドヒート。16インチホイールの小径車でもちゃんとロードレーサーにわたりあっているではないか。しかも、こっちは寄り道、向こうは国道一直線にもかかわらず。
Img_0112_20210509011301

 そのあとは海岸段丘上をいく。水を張った田んぼ越しに青い海。そして、海上自衛隊の経ヶ岬分屯基地とアメリカ軍のレーダー基地。3台のロードレーサーが追い越していった。男性3人組だ。これまで雨続きだった大型連休。満を持しての快晴の今日、クルマも自動二輪も、そして自転車も多い。
Img_0113_20210509010401

 袖志集落を越えて経ヶ岬へ。とにかくアップダウンの連続だ。今では駐車場のみとなったかつての経ヶ岬のレストハウス跡地。隣接するバス停にはなぜか3台バスが止まっている。観光バスではなく、路線バスで使われる車体。路線バスと、定期観光バスと、あとは何だろう。先ほど追い越されたロードレーサー3人組が休憩中。ここで抜き返す。相変わらずデッドヒートだ。岬の灯台駐車場への道は閉鎖されていた。
 白南風トンネルへ向けての登り。曲がりくねった道だが、拡幅されてクルマのストレスが若干少なくなった。しかしまだ完全ではないようで、工事区間が現れた。信号で片側交互通行。
 カウントダウンの電光掲示をみると青信号までまだ1分以上ある。信号待ちの列に並ばず、少し離れた場所で自転車を降りて待つ。その間クルマが2台ほど列に加わる。青になるころ後方から次々とクルマが到着。全部やり過ごしてから片側通行区間に侵入しようと思ったが、なかなかクルマが途切れない。やっと途切れて慌てて侵入。でも登り坂なのでスピードが上がらない。やっと出口が見えてきた。信号はまだ赤だ。でも、もう残り時間がわずかなのだろう。先頭のクルマがじれて微速前進している。
 焦んなよ。裏側でも信号が赤なのはわかっているんだから。
Img_0114

 白南風トンネルを抜けると眼下に青い海が広がる。カマヤ海岸だ。それまでとは視界の向きが変わり、若狭湾方向が見渡せる。水平線の手前に浮かぶ冠島と沓島。そして大浦半島の成生岬やその奥の久須夜ヶ岳など若狭湾のリアス式海岸の様子がぼんやり見える。空気が澄んでいれば、冠島・沓島の左手奥に加賀白山が見えることもあるが、今日は見えない。
 ここからは緩い下り。スピードを上げて、海面から高度100mの空中走行。気持ちがいい。2ヶ所のパーキングスペースはクルマや自動二輪でいっぱい。カマヤ海岸の南端、甲崎のトイレ付パーキングスペースでは経ヶ岬方向を向いた迷彩柄の望遠鏡がずらりと並んでいる。ここは自衛隊の飛行機を狙うポイントなのだ。
Img_0118Img_0119_20210509010401

 甲崎を超えるとまた視界が変わる。まずは眼下に蒲入の漁港と集落。前方にこれから訪れる野室崎が見える。国道は緩やかに下る。また、工事区間、片側通行だ。写真を撮っていたら青になった。慌てて自転車にまたがり通過する。かつては、この後、蒲入峠の登りが始まるのだが、2016年に蒲入トンネルが開通して峠越えが一つなくなった。緩い下りのまま漁港への分岐を通過し、さらにトンネルを超える。
Img_0123

 トンネルを超えると、国道をそれて本庄浜へ。ここで昼食をとる。夏には海水浴場となる本庄浜だが、この時期はまだ人が少ない。家族連れなどが2組ピクニックをしているだけ。でも、例年はほとんど貸し切りだけどね。
 町道で野室崎を越える。ほとんどのクルマや自動二輪、そして自転車は国道一直線。内陸を行く国道よりも海沿いの町道のほうが、間違いなく景色がいいのに。そのおかげでこのさわやかで美しい空間を独り占めできる。しかしながら、国道よりもアップダウンが厳しく、登り始めが特にきつい。勾配10パーセントくらいはあると思われる。その急坂のわきに立つ八重桜の期のところで写真を撮るのがいつものお約束。年によっては、ゴールデンウィークにまだ花が残っていることもあるが、今年は完全に緑の葉桜。でも、路面にピンクの花びらが敷き詰められている。
Img_0124_20210509010401

 フロントシングル、リア7S。ギア比がかなり限られた16インチホイールの小径車で標高差130m余りをノンストップで登りきることができた。野室崎には灯台があるわけではなく、登りきったところから、次に訪れる新井崎など海岸の絶景がみられるだけ。それで十分だ。
Img_0127_20210509010401Img_0129

 そして、泊の海岸へと急降下。下り途中の展望所は先客がいたのでパス。いつも貸し切りなのに。断崖に囲まれた入江、泊の砂浜では数組の家族連れがピクニックなどを楽しんでいる。その小さなビーチを過ぎると、新井崎への登りが始まる。またも出だしは急勾配。標高80mくらいまで登ったら一度道は水平から緩い下りとなる。このあたりは「のろせ海岸」と呼ばれる丹後半島の一番奥の海辺。個人的には、最大の絶景ポイントだと思っている。その済んだ海を見下ろし、海岸段丘に田んぼが広がる新井の集落へ。ここはかつて、「新井の千枚田」と呼ばれる小さくておびただしい数の棚田が広がっていたのだが、もう30年以上前に整地されて普通の田んぼになった。千枚田はもう少し進んだ先にどうにか残っている個所がある。
Img_0131 Img_0133 

 新井の集落入り口で緩い下りは終わりまた登りが始まる。右に行くと唯一残る千枚田を見下ろすことができるのだが、登りがきついので今日の自転車ではやめておくことにする。昨年、一昨年と千枚田の休耕が続いている。効率の悪い小さな田んぼ。田植えや稲刈りを体験イベントとして耕作を続けてきたものの、地主の高齢化が進む中で休耕。さらに、感染症の流行が追い打ちをかけている状態。今年、耕作が再開される可能性は極めて低い。今はまだ田んぼとしての体は成しているはずだが、稲も植えられず、水も張られていない田んぼは、やはり物足りない。丹後の美しい風景が、また一つ失われつつある。
Img_0135

 そんな千枚田は見えない、左の道へ。こちらも決して登りが緩いわけではない。千枚田からは少し離れているが、それを思わせる小さな田んぼが2枚。上の段の2畳ほどしかない極小の田は干上がったままだが、下の段には水が張られ田植えの準備がされている。千枚田とは別の地主ということのようだ。
 標高130mほどのピークに到着。あとは伊根湾に向けて急降下。野室崎あたりと比べ、新井崎あたりは多くはないが数台のクルマや自動二輪が行き交っていた。いつもはあまり誰とも出会わない道なのに。あとちょっとした広場があれば、誰かが弁当を広げている。景色がいいわけではない単なる道路わきのスペースにさえ、クルマと自動二輪が止まり、家族連れと男性グループがそれぞれに食事をしている。なぜにこんなところで?
Img_0137Img_0138

 その先で理由がなんとなく判明。伊根湾を見下ろす道へと突き当たると、長い長いクルマの列。いつ果てるともない大渋滞だ。帰宅してからネット検索で詳細が分かったのだが、伊根湾沿いの狭い道はクルマのすれ違いが困難なため、一方通行の規制が行われていた。また、道の駅を含めた飲食店等も営業していた。つまり、このエリアに少しでも侵入したクルマは、もう引き返すことはできない。歩行者をかわしながら狭く見通しの悪い道を延々と進み、一方通行エリアを一周しないと脱出することはできない。あの道端ピクニックの人たちは、混雑エリアを何とか脱出し、やっと安息の地にたどり着いた、ということかもしれない。
 まあ、そんなことは自転車には関係ない。しかも渋滞は反対車線だし。
Img_0139Img_0140_20210509010601Img_0142

 舟屋街に降り立つと、走行注意。一方通行のクルマについては前方のみ警戒していればいいのだが、怖いのは不規則に縦横無尽に動く歩行者。背後、側方はおろか、目の前さえ見ずに歩いている人も少なくない。
 今や天橋立と並ぶ丹後半島を代表する観光地となった伊根だが、昨年のゴールデンウィークはさすがに人が少なかった。初めての緊急事態宣言で、外出自粛が呼びかけられ、観光客の姿はほとんどなかった。ただし釣り人はそれなりに見られ、海沿いに駐車したパトカーのスピーカーからの「外出をお控えください」の声が繰り返し聞こえていた。自粛要請として呼びかけることしかできない。その場にいづらい雰囲気づくり、ということなのだろう。
 今年も緊急事態宣言下ではあるが、今日はそんなパトカーの姿は見られない(走行中のパトカーとすれ違うことはあったが)。釣りによる感染拡大はこれまでになかったということもあるし。
Img_0146Img_0148

 伊根湾を過ぎると、若狭湾を左に見ながら平坦な道を天橋立に向けて南下。ここまでくるともう渋滞はないがクルマは多い。西風は丹後半島の山々で遮られるかと思いきや、それなりの強さで追い風となったり向かい風となったり不規則に吹いている。
Img_0150

 日置を過ぎ、天橋立が近づいてくると、またクルマが滞っている。先ほど血気盛んに追い越して行ったクルマたちが、なすすべを失い佇んでいる。
 そんな車列を後目に、江尻集落の道へ。おそらくかつて舟屋だっただろうと思わせる、細い道だ。
 丹後半島および若狭湾の海域は極めて潮の干満差が小さい。そして、入り組んだリアス式海岸のため、北西の季節風による冬の荒波の影響がほとんどない南や東向きの海岸はいたるところにある。知る限りでは栗田半島や大浦半島にかつて舟屋だったことをにおわせる家並みがある。また三方五湖の一つ日向湖では、西に開けた湖岸に舟屋の名残のある集落が見られる。細い水道で海とつながっていて、漁船は出入りできるが、外海の荒波は入ってこない。湖は小さく大きな波は発生しないということのようだ。
 ただし、多くは海を埋め立て防波堤や船着き場が作られ、波打ち際に建つ家屋ではなくなっている。日本海側といっても年中北西の風ばかりではなく、南風が吹くこともある。
 4分の3周を陸地で囲まれ、しかもそれは低いところでも50mの高さの壁のような稜線。唯一開かれた南西側の湾口のど真ん中に青島が立ちはだかる閉ざされた入江。集落のほとんどがそのまま舟屋として保存されている伊根湾ほどの条件がそろったところはなかなかない。また、弧を描いた湾岸に沿って舟屋が並んでいるから、海越しに舟屋を眺めることができる。
 江尻の集落を抜けると天橋立の砂嘴の北のたもと。遊覧船乗り場などがあり、ここも大勢の観光客が縦横無尽に行きかっている。あと、キープレフトとか一列走行だとかを無視したレンタサイクルに乗った家族連れなどのグループにも要注意。
Img_0156

 そして、阿蘇海シーサイド自転車道へ。波打ち際を行く。こちらに来ると観光客の姿は全くなくなり、釣り人の姿がちらほら見られるだけ。あとはウォーキングの人。珍しくツーリングのサイクリストも見られた。
 溝尻の集落では道は波打ち際から離れる。ここも舟屋の集落。現在でも数棟の舟屋が残っている。ただし、海岸が直線的で舟屋を海側から見ることはできない。それに、阿蘇海は広いので、対岸から眺めるには遠い。
 集落を抜け、再び波打ち際の道を行く。途中のベンチに腰掛け、おにぎりを食べる。最後の山越えに備えてのエネルギー補給だ。9年前の秋に20インチホイールの折畳小径車で丹後半島一周をした時には、最後の山越えでハンガーノック寸前に追い込まれ、ずいぶんつらい思いをした。手持ちの食料が尽き、補給できる店があるにもかかわらず立ち寄らなかった。あの時の失敗を繰り返さないように。
 天橋立ワイナリーを過ぎ与謝野町に入るあたりから、並走する国道178号線が滞っているのが見えた。天橋立を過ぎて一時流れていたのに。渋滞の発生源はどこだろう。少なくとも与謝野町役場の先、橋立中学校の前の五差路か。さらに先の国道178号線と176号線が交差する消防署前の交差点も混雑時はネックとなるし、近畿自動車道のインターチェンジくらいまでは流れが悪いような気がする。
 この翌日にクルマで伊根を通過した、という人の話を聞いたが、その日はクルマ等は多かったものの渋滞が発生するほどではなかったとのこと。連休に入って2日連続の悪天候により鬱積した思いが、3日に一気に解放されたことで発生した大渋滞、ということだろうか。
Img_0159

 そんな渋滞の国道を横切り、府道53号線で内陸へ。コース終盤にして、本日の最高地点へと登る。ただし府道だけあって勾配はさほどきつくはない。ハンガーノックの心配もない。粛々とクランクを回すのみだ。登り出しは道が狭い。センターラインがひかれていない、クルマのすれ違いに気を遣う区間だ。ここをそれなりにクルマが通るのが、自転車にとってもストレスだ。しかし、その区間はあまり長くなく、拡幅されセンターラインの引かれた区間は、路肩も広くて穏やかな気持ちで登っていける。
 こうして標高120mほどまで登ると、いったん緩い下りとなり田んぼが広がる延利の集落へ。クランクを止めると下りなのに失速するほどの向かい風。そして延利から道は再び緩く登っていく。真正面からの強い逆風にあえぐ。久住では、田んぼの中のバイパスではなく集落の中の狭い旧道へ。クルマの走行を優先した道より、風情ある里の道を選ぶのがいつものことだが、今日は家屋に風を和らげてもらうという意味も加わる。
 集落を抜けバイパスに合流したら、登り勾配が増す。だが、山が迫り風がめっきり弱まったプラス面の方が大きい。それに、向かい風と違って、登りの場合は、努力が位置エネルギーとして蓄積される。つまり、そのあとの下りが約束される。
 標高200mを少し超えたところがピーク。あとは一気に下る。押し戻されるような向かい風のおかげで、あまりブレーキをかけずに下れる。
Img_0160

 16時10分に帰宅。出発から5時間40分。実走時間は4時間38分。2012年の20インチホイールの小径車で走った時は12時間近い総所要時間を要した。帰宅手前で自転車店「BULLDOG」に立ち寄った1時間を差し引いても、今回の倍近い時間を費やしたということだ。一番の要因は、終盤のハンガーノック寸前のエネルギー切れだが、中盤の野室崎と新井崎のアップダウン辺りからじわじわと失速していった。
 2019年5月にも20インチホイールの小径車で走っている。フロントシングルだった2012年に対しフロントダブルで挑み、総所要時間6時間15分、実走時間5時間10分とリベンジを果たした。だが、今回フロントシングル、16インチホイールの小径車で、2年前の小径車最速記録を越えてしまった。さらに言うと、昨年などランドナーでの記録に迫るペースで走っている。初走行から35年目の丹後半島一周だが、まだ進化し続けているようだ。
 途切れないクルマの流れ。各スポットの大量の行楽客。2月に淡路島を走った時のことを思い出してしまった。宮津の中心街に住む友人によれば、この日は市街地でもクルマが滞り外出できない状況だったそうだ。
Img_0166

 早く帰って来られたので、懸案だったスーパーカブのチェーンとドリブンスプロケットを交換した。

| | コメント (0)

«キャリーバッグで20インチ折畳自転車飛行機輪行北海道の旅